◇metempsychoses(前編)
砂くじらさま作


ACT.1

…ドクン、ドクン、ドクン…
心音のような音が聞こえる。
まっくらだ。ここは…何処だろう。
…光?
ここは…何かのトンネル?
あたしは、光の射す方へ、ゆっくりと歩きはじめた。


突然視界が開ける。と、其処には一脚の椅子。その前方に、スクリーンのようなモノ。
 『…ようこそ、あかねさん…』
少年のような声が響き渡る。あたしは吃驚して、辺りを見回した。
声の主は何処にもいない。…天井に、スピーカーのようなモノがある。声は其処からしたようだ。
 『…只今より、“貴女の歩んで来た人生”を、前方のスクリーンで上映します…どうぞ、お掛けになってお待ち下さい…』
ああ、そうか。
今の一言で、あたしは全てを理解した。
あたしはあのまま、死んでしまったのだと。
今から始まるのは、噂に聞いた、所謂「走馬灯のように、今までの人生を思い起こす」ことなのだと。


あたしが椅子に座ると、辺りが急速に暗くなっていった。まるで映画館みたいだ。
画面はまだ真っ暗だ。でも、お父さんと…お母さんの声が、聞こえる。
ここは、…お母さんの、お腹の中?
あたしの泣き声と共に、画面がぱっと明るくなる。この人は産婆さんね。
 『おめでとうございます、女の子ですよ。あらあら、元気の良い子だわ。』
お母さんが、優しい笑みをしてる。
次に映し出されたのは、大喜びして大泣きしているお父さんの姿。あ、かすみお姉ちゃんも嬉しそう。
なびきお姉ちゃんは…寝てる。まぁ無理もないか、未だ一歳だものね。
覚えてはいないけれど、心の奥の何処かに確実に記憶されている、あたしが生まれた時の記憶。
はじめて見る光景…ではないけれど、誰もが覚えていない光景。なんだか凄く新鮮。
そうか…あたしはこうして、生まれてきたんだね。


次々とスクリーンに映し出される光景。
あたしがはじめて喋った日。はじめてつかまり立ちをした日。はじめて歩いた日。
オーバーに喜ぶお父さんと、本当に嬉しそうに見守るお母さん。にこにこしているお姉ちゃん達。
記憶の奥の奥へと仕舞われたものが溢れ出す。
あたしは愛されていたんだなぁと、今さらながら嬉しくなる。


突然、スクリーンがぼやけた。
 『おかあさん…やだよう、おかあさん…』
泣きじゃくる、あたしの声。
お母さんが死んでしまった日。
あの時はただ悲しいだけだったけど、今見ると、お母さんは安らかな死に顔だった。
…お母さん、きっと幸せだったんだね。


お母さんが死んでしまってから、あたしは強くなろうとしていた。
いつまでも泣いてばかりでいるのは嫌だったから。あたしが笑うと、家族みんなが、笑ってくれたから。
今まで遊びの延長でしかなかった武道を、本格的に習い始めたのもこの頃だった。
真剣な顔のお父さん。あたしの動きは、凄く拙い。やっぱり不器用だからなぁ…
あたしが此処まで強くなれたのは、お父さんが諦めないで何度も教えてくれたから。
…そして、あいつがいたから…だよね。


 『やぁ、あかねちゃん。今日はどうしたんだい?』
東風先生だ。あたしの、初恋の人。
幼いながらも、本当に憧れて、尊敬して、大好きだった人。
同じく本当に憧れて、尊敬して、大好きだったかすみお姉ちゃんに敗れて、初恋は終わってしまったけれど。
でもあの頃のあたしは、どうしても諦めきれないままでいた。
誰からも愛され、何でも出来てしまう、女神のようなかすみお姉ちゃん。
自分に酷くコンプレックスを感じ始めたのは、この頃から。
きっと、おねえちゃんへの羨望を、すべて自分への憎悪に変換してしまっていた。
今でこそこうして、穏やかな気持ちで見ることが出来る。あの頃は、必死だったのにね。
まぁ、これも、あいつのおかげ…かな?


小学校・中学校と過ごし、高校に入学したあたしがスクリーンに映る。
あ。あたし…ドキドキしている。
日々誰かに付き纏われ、勝負を挑まれ、男性不信になりかけていた、神の長い頃のあたし。
ただ強くなりたかったあたし。
 『とーさんの親友の息子でな、早乙女乱馬くんというんだ。』
現れたのは、パンダと可愛い女の子。
お父さんは、寝込んでしまうほどのショック、受けてたよね。


はじめて男の姿の乱馬を見たのはお風呂場。お互いに裸。
最初はチカンだと思った。
はじめての出会い、のっけから印象最悪で出逢ったあたしたち。
 『あかねに決定ね。』
お姉ちゃんの一言で、その日から許婚に決定してしまった。




 ACT.2

 『おれはあかねなんか、なんとも思ってねーんだ!』
 『なによ変態ッ!』
お互い、意地を張り合っていた。
二人とも頑固で、素直じゃなくて、かわいくなかったんだね。
言い合いをしているスクリーンの中のあたしとあいつが、ひどく懐かしくて。
…涙が出てきそうになった。


 『お前さぁ、そんなに怒ってばっかいて、疲れねぇか?』
 『笑うと、かわいいよ。』
強くなろうと意固地になっていたあたしの心を、ゆっくりと解き放ってくれた、乱馬の一言。


良牙くんとの戦いで、はじめてあたしを守ってくれた乱馬。
すぐまた、意地を張り合ってしまった。あたし、お礼を言ってなかった…
でも、それどころじゃなかったもんね、あの頃のあたしは。
髪がばっさり、切られてしまったから。
あの長い髪だけが、あたしと東風先生を繋ぐものだと、馬鹿みたいに信じていたから。
全てを否定された気分に、なってしまっていたから。
…あたしには、もうなにもなくなってしまった、と思っていた。


 『…と、とにかく、おれは絶対短い方が好…』
ゼロになってしまった、と思っていたあたしを、肯定してくれた乱馬。
好きになるには、きっとそれで充分だった。


乱馬が来てから、途端に騒がしくなり始めたあたしの身辺。
良牙くんに、黒バラの小太刀。Pちゃん、シャンプー、ムース、右京…
騒ぎの種はもとからあったけど、乱馬が来てからというもの、毎日が大変だった。でも、楽しかった。
ヤキモチ焼いたり、焼かれたり。素直になれなかったけど、日を追う毎に乱馬の存在が大きくなっていく。
許婚という、近いようでいてすごく遠い関係。くすぐったかったけど、居心地は良かった。
…もどかしかったけれど。


こうして改めて見てみると、乱馬って結構、不器用な愛情表現、してくれてたんだなぁ。
今見ると、あたしってかなりニブイ…
くすくすと笑ってしまった。


 『だ、だからっ。俺が完全な男になるまで、待ってて…くれるか?』
高校を卒業したその日の夜に、真っ赤な顔でそう言った乱馬。
次の日に乱馬は、中国へ向けて旅立っていった。そしてそのまま、3年間、帰ってこなかった。
あたし、その3年の間、何度溜息をついたかわからない。
…でも、再会した時に、どれだけ嬉しかったかもわからないくらい、嬉しかった…


 『…あかね、待っててくれて、ありがとな』
少し低くなった声。
ますます高くなった背。
しなやかに、でも…凄く逞しくなった身体。
大人びた顔立ち。
そのどれもが、あたしの心臓を打ち鳴らし、掻き乱す。
次に続く言葉をあたしは知っている。知っているけれど、今あたし、ドキドキしている。あの頃と同じく。
 『…俺と、結婚してくれ。』
…泣いて、しまった。あの頃と、同じように。


ACT.3

はじめて唇を合わせた日。
はじめて二人で、朝を迎えた日。
お父さん達に、結婚の話を切り出した日。
結婚式当日。
あたしが、龍馬と未来を産んだ日。
天馬を産んだ日。
いつでも、昨日のことのように思い出せる記憶。
あたしの隣にいるのは、日々強く、逞しくなっていく乱馬。
どんなに時が経とうとも、あたしたちはいつも共にいた。
…いるはず、だった。


あの日のことは、まだ覚えている。はっきりと。
ううん、忘れたくても忘れられない…

 『おかあさんっ、おとうさんが、おとうさんが…!』
高校生になった未来が、血相を変えて飛び込んで来た。
見ず知らずの子供を庇って、車にはねられた乱馬。
どう病院に行ったかも、全く覚えていない。タクシーだった?走って行った?
あたしの目の前で、重々しく閉じられる手術室の扉。
言葉を濁すお医者様。
…3ヵ月後にやっと目覚めた乱馬は、今まで見たことがない位に、やつれていた。


 『…どうしても、あかねに言いたい事があるんだ。皆、席を外してくれないか…』
2人きりの病室で、急にぐい、とあたしを抱き寄せた乱馬。あたしは、その腕にこもる力の無さに驚いた。
 『あかね』
弱々しいけど、力強い乱馬の言葉。スクリーンの中のあたしも、今ここにいるあたしも、涙をぼろぼろ流していた。
 『俺はもう、お前と子供達を、守ることが出来ない』
乱馬は泣いていた。あたしはもっと泣いていた。
 『俺のかわりに、子供達を守ってやってくれ』
あたしの言葉は声にならない。首を必死で縦に振る。
 『…ごめんな…あかね…』
乱馬の顔を見つめるあたし。血の気がほとんどないその顔にあたしが言おうとした言葉は、乱馬の唇で塞がれ、告げることが出来なかった。
 『愛してる…これからもずっと…』
そう呟きながらあたしを抱くその腕から身体から、力がどんどん抜けていくのを感じていた。


 「…嫌…」
あたしはもうスクリーンを見ていなかった。目を瞑り、耳を塞ぎ、ただ泣きじゃくっていた。
最愛の人が死んでしまうところを、もうこれ以上見ていたくなかった。
 「乱馬…乱馬ぁっ…」
涙は止まりそうにない。
スピーカーからも聞こえて来る嗚咽。耳を塞いでも、まだ聞こえて来る。それが余計にあたしを悲しくさせる。


乱馬。あたしの愛しい人。
彼が逝ってしまった日のことが今、目の前で再生されている。
身体が千切れそうな程、心が痛かった。
…変だね。あたしの身体は、もう無い筈なのにね。



つづく




作者さまより

最近乱あにハマったは良いものの、未だコミックスを全巻揃えていません。
それでも「あかねの心情を分析してみる」という暴挙に出てみました。ツッコミは勘弁してやってください。
創作にあたり、一之瀬けいこ様のプロットを勝手にお借りしました。この場を借りてお礼を申し上げます。

今回の小説では、「黙読することを前提とした文章」を実験的にやってみようと思い、こんな文になりました。
「自分の心の中で声を出して読んでみる」ことをやって頂けたら、より深く味わえるのではないかと。
そのやり方が果たして成功しているのかどうなのか、はさて置いて(笑)

愛する二人が遭遇する、幾多のイベント。「結婚」「出産」を描く人は数多いでしょうが、私は敢えていきなり「死」から描きました。
死が二人を別つとき、乱馬とあかねは一体どうするのか。生半可な愛し方では、きっと結論が出せないものに
なってしまうモノだと思います。
必ず訪れる別れ。愛する人が傍に居るという日常が、居ない日常に変わってしまうとき。
この小説は、私の「この二人ならこうなるだろう」という「ひとつの答え」です。


 こちらの作品、子供の名前は私、一之瀬の「Another World」創作の三人です。
 え?三人って?龍馬(りゅうま)と未来(みく)しか知らない?・・・一作あるんですよねえ・・天馬(てんま)くんが出てくるのが(笑
 止まってますけど・・・創作(墓穴・・・)
 実は7つのセクションから構成される作品でしたが、こちらサイドの都合で勝手に前・中後編と統合して掲載させていただきました。

 で、題名について。思わず英和辞典を広げた方(は〜い!)・・・英語苦手なもんで(苦笑
 意味は「霊魂の再生」転じて「輪廻」です。何て発音するんだろ…?
(一之瀬けいこ)


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