◇T・L・B・E? 〜1
砂くじらさま作


…先生。僕、おかしいんです。
彼女を見ると、胸がどきどきして、顔が熱くなって、息が苦しくなって…
とにかく、苦しくなるんです。身体のぜんぶが。
でも、このまま苦しいままでいたい。とか、思っちゃうんです。
…ねえ、先生。これって病気なんですか?





 「…うーん…この前の処方、あんまり良くなかったかもしれないな。あんまり…効いてないみたいだよ、あかねちゃん」
 「…そんなぁ…」
 「ここまで症状が酷いと、“原因”である人物からの隔離をした方が良いと思うんだけれど…本当に、原因となっている男性はわからないのかい?」
あかねは、目の前の東風から視線を微妙に外しながら言った。

 「…わからない、んです…」

―本当に、嘘をつくのが苦手な子だ。このままじゃ、僕以外の人間にバレるのも時間の問題なんじゃないかなぁ…
東風はカルテとあかねの顔を交互に見比べ、ふぅと溜息を吐いた。
 「…仕方が無い。もう一段階、薬のレベルを上げよう。あんまり…良い方法とは思えないんだけどね。この薬も副作用が無いわけじゃないし…外に居る、早乙女さんから受け取って帰ってね。お大事に。」
かっ、と赤くなるあかねの顔。どの単語にあかねが反応したか東風は知っていたが、口には出さなかった。それは彼女の中ではトップ・シークレットで、他人にも自分にも知られてはいけないことだろうから。
 「…あ、ありがとうございました…」
パタン、と診察室の扉が閉まる。東風はそれを見送ってからカルテを書くと、眼鏡を外しそれを少し拭いた。またそれを掛けなおし、ぽつりと呟く。

 「…偉い学者さん達が考えていることは、僕にはわからないよ…人間が誰かに恋するなんて、人間として普通の感情だと思うのに…」



 「おう、あかねくんか。久し振りじゃのう…ホイ、薬。お大事にな。」
玄馬から薬を受け取ったあかねは、どこかほっとしながら、しかしどこか残念そうに呟いた。
 「…あ、今日はおじさま、だったんですね…」
 「ん、まぁな。あまりあの馬鹿息子にばかり押し付けてもおられんわい。あいつ、今度の惑星探査のメンバーに選ばれそうじゃ。」
 「…惑星探査って…あの、二人一組で未開の星を調査する、っていう?」
 「おお。あの馬鹿息子、あれでいて優秀らしくてな。余程あやつ、精神力が強いようだ。まぁ少々ノイズは入るが、なんでも質はピカイチらしくてのう。わしも鼻が高い!」
わっはっはっ、と玄馬は豪快に笑った。

 「――、あ、あのっ。パ…パートナーは、決まったんですか…?」
おずおずと玄馬に尋ねるあかね。
 「それがのう、聞いた話だと…三人があいつのパートナーに立候補しているらしい。あかねくんも聞いたことはあるじゃろう?シャンプーに右京、小太刀の三人じゃ。我がブロック―Nが誇る、いずれ劣らぬ精神力のつわもの。誰と組んだとしても、きっと大いに新境地を開拓してくれるだろうて。」
あかねの心がズキン、と痛む。

―ああ、早く東風先生が処方してくれた薬を呑まなければ――

 「…そういえばあかねくんは、何故惑星探査のメンバーに応募せんのじゃ?あかねくんも普段はパワーセーブしておるが、本当は元パイロットだった天道君の血を一番継いでおるのは君だ、とわしは思っておる。何故――」
 「そんな…あたしの精神波なんて、ノイズが多すぎて…使い物になりませんよ。おじさまはあたしを買いかぶりすぎてるわ。そ、それじゃあ…失礼します」
あかねの美しい後姿を見送りながら、玄馬は溜息混じりに言った。
 「…全く、お上も残酷なことをしてくれたもんじゃ。これでは…あかねくんが、あまりにも不憫ではないか…」



東風医院を出てすぐ、あかねは目いっぱいに深呼吸をした。
なるべく薬を使わないでも、心拍数と精神波を平常時のレベルにまで戻せるようにならなければ。そうすれば、東風医院に通う理由もなくなる。
…そうすれば、あいつに会うことだって、少なくなるし――
 「…何、ぼーっとつっ立ってんだ?そこにいちゃ通行の邪魔だ。」
 「!」
せっかく整えた心拍数もまたエイト・ビートを叩きはじめ、まっすぐな線になりかけていた精神波もまた不規則なラインを描きはじめた。今あかねの中で思い描いた人物が、急に目の前に現われたのだ。
 「…ら、乱…馬…っ」
 「…だから、そこにいると邪魔だ、って」
眉を寄せ、必要以上に迷惑そうな表情をわざと浮かべる乱馬。あわててあかねは道をあけた。そんなあかねを見て、乱馬はニイ、と意地悪そうに笑う。
 「今時“恋”なんつー前世紀の病気にかかるなんて、おめー本ッ当どんくせーな。」
かあっ、と一瞬で赤くなるあかねの顔。くすくすくす、と笑う乱馬。
 「ほ、ほっといてよっ!!」
 「まあまあ、そう怒るなって。…あ、そーだ。あかね手ェ出せ。」
 「何よっ!」
と言いつつ、従順に手を開いて出してしまうあかね。乱馬はその上に握った右手を突き出し、その手をぱっと開く。ころん。とその中から出てきた、小さなアメ。
 「東風医院ご愛用感謝の、特別記念品。ありがたーく受け取るよーに。」
可愛らしいピンクの包み紙。あかねの手の中で、そのセロハンがカサ、と鳴った。
 「…あ、ありが…と…」
笑いながら東風医院の扉を開ける乱馬。去り際に、一言。
 「…安心しろ。ローカロリーだからダイエット中でも安心!」
 「…っ馬鹿ッ!!!」
バタン、という音を立てて、東風医院の扉は閉じた。
あかねはぎゅうっと、今しがた乱馬がくれたアメを握り締めた。渡してくれた時に少しだけ触れた手のあたたかさ。アメにもそのあたたかさが残っているような気がした。
 「…〜〜〜〜っっ!!!」
だっ、と家へと駆け出す。今、こんなにも心臓がドキドキとうるさいのは。顔が真っ赤なのは。胸が苦しいのは。全部、走ったせいだと思いたかったから。




一方、居候先である東風医院に帰ってきた乱馬。扉を閉めるなり、大きくひとつ溜息を吐いた。
 「…はぁ〜〜〜〜〜〜…」
 「何じゃ。乱馬、帰ってきたのか。」
 「!お、親父っ!」
 「どうした。顔が真っ赤で汗が凄いぞ。風邪か?」
 「そっ、そうかもなっ。今東風先生暇だろ?俺、ちょっと診てもらってくるわっ。健全な精神は健全な肉体に宿る、ってなっ!パイロットは体が資本だ!」
言い訳がましい台詞を口にしながら、乱馬は診察室へずかずかと入っていった。その後姿を見送りながら、溜息を吐いて玄馬は一言。
 「…あれで父の目を誤魔化せたとでも思っておるのか、乱馬は?…全く。」


バタン、と診察室の扉は開き、胸を押さえた乱馬がなだれ込むようにして入ってきた。
 「…っ東風先生、すいません…」
ギイッと音を立て、年代物の椅子を半回転させて、東風は乱馬の顔を見た。
 「おや、お帰り乱馬君。その顔は…またかい?」
苦笑いをして東風は、手近にある薬棚からトランキライザー(精神安定剤)の瓶を取り出す。緑色の錠剤を二粒出し、乱馬は一息でそれらを呑み下す。
 「…ふーっ。先生、いつもいつも…すみません。」
 「本当に…いくら常に平静状態でいることを要求されているとは言え、君は少々トランキライザーの呑みすぎだよ、乱馬君。」
瓶を乱馬から受け取り、薬棚に戻す東風。少し意地悪かな、と思いつつも東風は続く台詞を言った。
 「…乱馬君。これは…ただの精神不安定じゃないかもしれないよ?一度、きちんとした検査を受けたほうが…」
目に見えて慌て出す乱馬。
 「いやっ、こんなことで先生の手を煩わすわけにはっ!トランキライザー以上の薬は使ってねえし、俺っ…自分の体のことは自分で一番良く知ってるしっ。大丈夫です、心配かけてすいませんでしたっ!」
そう言って、乱馬はどたどたと二階にある自分の部屋へと戻ってしまった。残された東風は、また溜息を吐いて一言。
 「…きちんと検査しなくてもわかるよ、乱馬君。その病名は――明らかに“恋”だ…」




L・I・B・E――Love Is Breaking the Earth.
21世紀末に発表された「リーベ論」と略される、ある高名な研究者団体の論文は、今までの世界の常識を根底から覆した。その団体は、真っ向から「恋愛感情」というものを全否定してみせたのだ。

―「恋愛感情」とは、誰か一人の人生を拘束したいと願う感情であり、己自身の感情波を著しく乱れさせ身体に変調をきたさせる「恋愛」というものは、最早「結婚」という概念が古ぼけ、新生児の100%が試験官から産まれる世の中になり、女性が「産みの苦しみ」から開放されて、「子育て」というものに束縛されることもなくなり、「夫婦」という形態が不自然極まりないものになりつつある現代では、最早「害」にしかならない。
―「自由」を高らかに歌い上げる現代社会において、「恋愛」という「身勝手とエゴイズムのカタマリ」は不必要。
―そもそも「恋愛」とは、脳に走る電気信号の一種。それ以上のものではありえない。
―精神波を乱す存在でしかないものは、精神力がものを言う時代となった現代では寧ろ厄介な「病気」―…

「恋愛不要論者」は、次第にその数を増していった。そしてその数は、ある一人の天才が「人間の精神力」を「ありとあらゆるエネルギー」に変換する画期的な装置を完全に完成させたと同時に爆発的に増大し、地球上のありとあらゆる国がその恋愛不要論を支持した。
今や「恋」は「病気」の一種となり、それを治療する薬や技術まで開発された。
政府は「恋愛禁止令」を制定し、「恋」のレベル4は隔離病舎行きが義務付けられる程の重病となった。
そして、「恋愛」は地球上からその姿を消した。少なくとも、表面上は。




あかねは、自分の部屋でひとり枕を抱えていた。机の上には、先程乱馬から貰ったアメが乗っている。
 「…はぁ…」
これで何度目だかわからない溜息をつくと、あかねは机の上のアメに視線を移す。
イチゴ味のアメ。前に、果物では一番イチゴが好きだ、と言ったのを覚えていてくれたのだろうか?
あかねはすぐに頭を振り、頭の中に浮かんだ考えを否定した。まさか、たまたまだ。たまたま乱馬が持っていたアメがイチゴ味で、それをたまたま乱馬はくれたのだ。口は悪いけれど、心は優しいひとだから。
―そんな、たまに見せる優しさや、屈託のない笑顔。夢をどこまでも追い続けるまなざし。鋼のような意志。そう、あたしは、乱馬のそんなところが…

ばしっ、と両頬を叩く。胸の奥の奥が、きゅううっと締め付けられているように痛い。顔が、熱い。
苦しい。でも、もう少しこの苦しみの中でのた打ち回っていたい、とも思う。この苦しみを感じている間は、乱馬のことだけを考えていられるから。

机の上のアメを取って、その包み紙を開く。アメを口に放り込むと、優しい甘さが口の中にひろがる。
…このアメが無くなるまでは、今日貰ってきた抗恋愛薬は呑まないでおこう。もう少し、この幸せな気分を味わっていたいから。
 「…乱馬…」
ありがとう、と声には出さずに呟いて、あかねはゆっくりと目を閉じた。



自分の部屋の扉を慌しく閉めて、乱馬はまず乱れる呼吸を整えた。
 「…っはーっ、はーっ…やっぱもう、トランキライザーじゃ耐性ついちまったかもなぁ…くそっ」
わざわざ隣ブロックの薬屋にまで足を伸ばし、買って来た抗恋愛薬をポケットから取り出す。“名医”である東風の家に居候してはいるが、東風の診察を受ける気はなかった。
 「…もう、気付いてるかもな…先生。」

乱馬は、自分で自覚していた。自分をここまで苛んでいる病の名は「恋」で、しかもそれはレベル4クラスであるということを。
しかし、治療をする気はさらさらなかった。確かに胸は苦しくなるし、顔は赤くなるし動悸も早まる。惑星探査パイロットとしてはあまり好ましくない、精神波へのノイズも入る。「恋」をしているということが、通っているパイロット養成学校の面々にバレたら、きっと退学処分くらいは食らってしまうだろうと思う。だが、そのマイナスポイントをも超越してしまうような幸せも感じるのだった。それは、今この瞬間の為だけに自分は生きているんだと思わせるような幸福感だった。
右手を顔の前まで持ち上げ、開いたり閉じたりを繰り返す。一瞬だけ触れたその手のやわらかさと、あたたかさが頭の中でフラッシュバックする。くるくると変わる、その愛らしい表情を思い返してみる。

―前に取りとめも無い話をした時に、あいつは「果物の中では一番イチゴが好き」だ、と言っていた。
その次の日から、実習中のお口の友は、ミント味のガムからイチゴ味のアメになった。一緒に買い物についてきた友人が、ハタチにもなる男がイチゴ味のキャンディを買う光景は不気味だ、と言って笑った。俺は実は甘党なんだよ、と笑って誤魔化した。
イチゴのアメに変えてから、精神波に良くノイズが入るようになった。しかし、確実にミントのガムの時以上の実力が出せるようになった。何があったんだと、友人達がいぶかしむ程に。
ふっ、と笑みを漏らし、自分の右手を見つめる乱馬。何ともいえないやさしい気持ちに包まれた。

――まだ、いいよな?抗恋愛薬を呑まなくても…

ずりずりっ、と扉に背をつけて腰を下ろし、何とはなし先程手が触れた人差し指で、自分の唇に触れる。
前世紀を記録した映像で見た、「恋人」という関係の男女がしていた「キス」というものを、ぼんやりと思い出しながら。
 「…あかね…」
その名を呼ぶだけで強くなれる自分と弱くなれる自分を感じながら、乱馬はゆっくりと目を閉じた。



つづく




作者さまより

〈作者戯言。〉
天野月子さんの「BOOGY!」という曲からイメージが湧きあがった小説です。昔っから「恋愛が禁じられた世界でのラブ・ストーリー」は書いてみたいなぁ、と思っていたテーマの一つでした。
で、筆の赴くままに書いてみたら、物凄い量になりました。もしかしたら初の長編なるかっ?!
タイトルは「Is Love Breaking the Earth?(愛は地球を壊すか?)」の頭文字を取ってつけていますが、微妙に「I’ll be」とかけてます。(Lが一個足りないけど)
あいるびーとでも読んで頂ければ良いかと思われます。はい。
砂くじら 拝。


 やってきました。波乱の予感のパラレル新作。
 恋愛は厳禁の世界ですか?んで、乱馬くんは恋に落ちたと?
 気になって仕方ないですね。宇宙時代のパラレル長編です。
(一之瀬けいこ)


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