◆Days
砂くじらさま作


洗濯物を畳むその手を休めて、ふうと一つ溜息をつく。
だんだんと早く、且つ手際良くなっていった自分を実感して、あたしはふっと笑みを漏らした。
左手の薬指に嵌まる銀色の指輪を眺めると、どうしようもない愛しさがこみ上げてくる。
――もう、20年も経つんだね。あたしと乱馬が、結婚してから。



何度涙を流したかわからない、10代の終わり頃のあたし。
涙の原因は専ら、あなたが好きでどうしようもなかったあたしの心。
あたしを不安にさせるのもあなた。あたしをたまらなく嬉しくさせるのもあなた。喜怒哀楽のすべてをあなたに支配されているような気がして、何かと素直になれなかったあの頃。
でも、ある雨の夜だった。泣きじゃくるあたしの肩を抱いて、あなたも泣きそうな声で、こう言ったわね。
 「泣くなよ、もう。…お前が泣くと、おれも…どうしようもなく悲しくなっちまうんだ」
あなたの喜怒哀楽も、あたしが支配していたんだと悟ったあの日。雨があがり、眩しい光の中、二人で笑いあった。



「幸せすぎて怖い」という台詞の意味を痛いほど思い知ったのは、20代の頃のあたし。
中途半端に大人になったあたしは、永遠というものがありえないものだということを知ってしまった。

“今はこんなに好きでも、明日にはもう嫌いになっているかもしれない”
“今はこんなに幸せでも、明日には何か不幸になるような出来事が起こってしまうかもしれない”
“今隣に居る乱馬が、明日には消えていなくなってしまうかもしれない”

永遠に変わらないものなど存在しない。あたしも、乱馬も、この星も、この世界でさえも、いつかは消えてなくなってしまう日が来る。
…それと同じように、乱馬があたしに注いでくれる愛情も、いつかは消えてなくなってしまう、のだ。
不安で、こわくて、ひとり涙を流す夜もあった。

――不安に負けないでいられたのは、あなたがその手を離さないでいてくれたから。

 「“今”の延長線上に“未来”があるんだ。今感じてる気持ち――それで充分、じゃねえか?」
あたしの涙を拭い、やさしく囁いて、そのまま朝まで抱きしめてくれた乱馬。
今を一生懸命に生きるあなたらしい台詞だと思った。



あなたとあたしの子供たちも育ってきて、道場の方もうまくいって。二人の会話が、だんだんと減っていった30代。
俗に言う倦怠期、なんかじゃ絶対無い。
常に新しい顔を見せてくれる乱馬に、あたしは年を追う毎にさらに強く惹かれ続けているのだ。いつまでも、飽きることだけは絶対にないだろう。

じゃあ何故、二人の会話は減っていってしまったのか?

答えは簡単。会話なんか要らないほどに、あたしたちは深くお互いを理解していたのだ。
目が合うだけで、あなたがあたしの名を呼ぶだけで。それだけであたしは、今あなたが何を言おうとしているかわかる。
あたしがあなたを見つめるだけで、その手に触れるだけで。それだけであなたは、今あたしが何を望んでいるのかを瞬時に理解してくれた。
お互いに鈍感だった、相手の気持ちがわからなくてやきもきしていた、10代の頃のあたしたち。その頃のあたしたちから見れば、きっと想像もつかないような感覚。でも今は、それが日常。人生ってホント、どうなるかわからない。




 「あんた達って、今でもまだラブラブなのねぇ」
この前あった高校の同窓会で、20代の終わりごろに苗字が変わったゆかが言った台詞。
 「今ぐらいって大体倦怠期に入る頃でしょ?浮気とか、夫婦喧嘩とかないわけ?」
 「んー…口喧嘩くらいならたまぁにやるけど、お互いふざけ半分でやってるよ。そりゃあ、今まで山も谷も全く無かったわけじゃないけど」
 「…はぁ…あんた達、凄すぎるわよ…高校ん時から今まででしょ?ラブラブ期間が続くの長すぎッ!!」
 「なんだとうさゆりぃ、俺らが変な夫婦だとでも言いてーのかよぉ?」
アルコールがかなり入って真っ赤な顔をした乱馬が、突然話に割り込んできた。きっと、あたしたちの会話にずっと聞き耳を立てていたに違いない。
 「変っていうか…あかね、ホントーに乱馬くんって浮気したことないの?高校の頃なんか、毎日のよーにあの三人とおっかけっこしてたし、後輩がファンクラブ作ったりしてピーピーうるさかったじゃない」
 「おれはその頃からあかねひとすじなのっ!なぁあかね?」
あたしが答える前に乱馬が答えた。酔ってとろんとしたその目は、“あかね以上の女なんて、俺ン中じゃこの世には存在しねぇもんな?”と告げていた。
あたしも目で、“乱馬以上の男なんて、あたしの中ではこの世には存在しないもんね?”と答えた。
ふふ、と笑いあうあたしたち。

 「おいおい、目と目で通じ合う〜♪ってかぁ?見せ付けやがってぇ〜〜」
そう言って、乱馬を羽交い絞めにしようとするひろしくん。乱馬はそれを易々とかわし、軽くヘッドロックをかけながら
 「うるせぇひろし、てめぇも早く嫁さん見つけりゃいーじゃねえかよおぉ〜〜〜」
と言って笑った。
 「ぐふぅっ痛いトコ突きやがってぇ!あー俺もあかねちゃんみてーな嫁さんが欲しーよおぉ〜」
と言ってあたしに手を伸ばすひろしくんを遮るように、乱馬はあたしにきゅっと抱きついた。
 「ちょ、ちょっと乱馬ぁ!」
 「あかねはおれの、だもーんっ」
子供みたいに笑う乱馬の顔に、あたしは耳まで真っ赤になった。
 「あーっ!早乙女くんと天道さんが抱き合ってるうぅーーーー!!」
ひなちゃん先生があたしたちを指差しながら言う。
 「先生、もう天道さんじゃないんですってば」
冷静なさゆりのツッコミに、皆がどっと笑い出した。



同窓会が終わって家に帰ったあたしを待っていたのは、すっかり酔っ払ってしまって抱きつき・キス魔と化してしまった乱馬。
いつでも惜しみなく愛情をあたしに注いでくれる乱馬だけれど、根が照れ屋なので人前であんなことはまずしない。しかし今日のように泥酔すると、途端にわがままで甘えん坊で独占欲の強い面が顔を出す。
たまにしか見せてくれないそんな顔も、あたしはたまらなく好きだ。
 「乱馬…とりあえず台所に行って、お水飲も?」
千鳥足の乱馬の肩を支えながら、台所へと向かう。あと一歩で台所というところで、抱きつき魔の乱馬が顔を出した。
 「ちょ…ちょっと、乱馬ぁ…」
 「ん〜〜〜〜あかねぇ〜〜〜…」
頬にキスしようとしてくる乱馬を手で押さえている時、台所からスポーツドリンクを持って出てきた、高校生になったばかりの娘の千晶とばったり出くわした。
ちょっとびっくりしたような顔を見せた千晶だが、すぐににやっと笑ってこう言った。
 「お帰り。…お父さん、酔ってるね?」
すぐに台所に引き返し、コップに水を汲んで、千晶はあたしにそれを手渡す。にやにやと笑いながら。
 「あ、ありがとう千晶…」
礼を言いながらそれを受け取ると、千晶はあたしの耳元でこう言った。
 「…これからはオトナの時間だねっ。コドモはさっさと退散するから、おかーさん頑張ってっ♪」
 「な゛」
真っ赤になったあたしの横をすり抜けて、二階への階段を登る千晶。くすくす笑いながら振り返って、
 「明日の朝ご飯はあたしが作ったげるからさっ、おかーさん、おとーさんとごゆっくりねーんっ」
 「ち、千晶っ!」
きゃははははっと笑って、千晶は二階へ。
…あの子は、なびきおねえちゃんに似たのかな――とあたしは思った。



 「うおっ、めっずらしい。親父がチャイナ服じゃねー服着てるぅーー!!」
いちばん下の息子、大樹の声がする。
 「…大樹、親父は今日おふくろと食事行くんだって言ってたろ?」
いちばん上の息子、光が呆れたような声を出した。
 「そ。磁器婚式ってヤツのお祝いだ。つーわけでメシはお前ら3人でなんとかしろよ?」
乱馬の声だ。
 「げええーっそんなあぁ!いーや、ねーちゃんに全部まかそっ」
と大樹。
 「甘いぞ大樹。千晶は今日はバイトで、帰りは9時近くだそうだ。」
と光。
 「イマドキの男は、料理ぐれぇ出来ねーと嫁が来ねぇぞ?」
と、くすくす笑う乱馬。
 「…料理はおふくろにまかせっきりの親父には言われたくねーよっ」
笑いながら言う光。
 「…かーさんのメシの方が、うまいんだからいいのっ」
 「うっわまただよ、この万年新婚ふーふっ!!」
 「その万年新婚夫婦から生まれたお前らに言われたくねぇよっ。くやしかったらお前らも早いトコ、かーさんみてえなひと連れて来やがれっ!」
 「あ、言いやがったな親父!」
 「でも実際、光兄貴は晩婚っぽいカオしてるよなぁ。兄貴、俺が先に嫁さん貰ってもブーたれんなよ?」
 「黙れ大樹ぃ!晩婚っぽいカオって、どんなカオだそれわっ」
ガラ、とあたしがいる部屋のふすまが開く。そこには、くすくす笑っている乱馬。
 「あかね、そろそろ出るから支度しろよ?」
20年前と変わらない、その瞳の輝き。20年前と同じ胸の高鳴りを覚えながら、あたしはにっこりと笑ってこう返した。
 「うん。…これからもよろしくね、乱馬。」
乱馬はちょっとびっくりした顔をしたけれど、すぐこう返した。
 「…ああ。こちらこそ、よろしくなあかね。」



あたしは弱いのだと、あなたと出会ってから何度も思い知らされた。
…でもあたし、あなたと、あたしとあなたの間に生まれた子供たちは、守れる強さを持っていたいと思うの。
―だから、この手をはなさないでいて。
あなたのその瞳の輝き。あたしとあなたの間にある絆は、きっと同じように輝き続けるから。








作者さまより

〈作者戯言。〉
…なんだこの甘さは。さとうきびにホイップクリームをかけチョコでコーティングして角砂糖をトッピングしたような。
ていうか結婚なんぞしたこともない人間が結婚生活を斯様に語って良いのかと。妄想力っておそろしい。
色々なところでぴーんと来た方もいらっしゃるかと思いますが、ポケットビスケッツの「Days」という曲からイメージを貰った小説です。さすがにまた一之瀬さんのプロットを借用するわけにもいかないので、子供の名前はポケビメンバーから取ってつけました。

長男・光(ひかる)→ポケビリーダー・テルさんの本名:内村光良さんの一字を貰いつけました。高3くらい。
長女・千晶(ちあき)→ポケビヴォーカル・チアキ(千秋)の字を変えただけ。高1くらい。
次男・大樹(だいき)→ポケビメンバー・ウドの、ポケビでのフルネーム「独活野大木」の「大木」を「大樹」に変えて読みを変更。中2くらい。

プロットを作ったはいいんですが、使うのは多分この小説限りかと…(おい)

砂くじら 拝。

 そしてプロットはどんどんと増殖し延々と続くエンドレス物語・・・(笑
 ここで置くより書きたくなるもの。シリーズへの希望的観測も含めて。

 今年私も目出度くそろそろ結婚二十周年。
 運命の出会いはあると思っています。それが幾つで来るかは知りえませんが。
 乱馬とあかねの運命の出会いは十六歳。
(一之瀬けいこ)


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