◆星流花祭
いなばRANAさま作


 天の河に星は流れ

 地を行く水面(みなも)に花は浮かぶ

 それは人の心を通り過ぎる時、軌跡を交わしまた輝きを発す

 あたかも星の花と共に行くが如く




 肌寒い風が川面をかすめる。しかしそこには風に似合わぬ暖かな明かりがいくつもいくつもあった。小さなロウソクを灯した円筒形のちょうちんを乗せた紙の舟がくるくると回り、あるいはぶつかり合いながら、共に流れを下っていく。舟には二種類の形があった。一つは星の形、もう一つは花の形。そして二種類の舟はよく見るとそれぞれ星と花、花に星が対に結わえられて共に流れていく。

 その様子を物憂げに眺めるほっそりした姿があった。手には花の形をした舟。水面の輝きがぼんやりと照らし出す・・・うら若い少女。どこかしっとりとした輝きと翳りを帯びた様子はもう乙女と呼ぶべきものなのかもしれない。風にさらりと揺れる短めの髪、大きくぱっちりとした漆黒の瞳は流れ行く輝きをいっぱいに映している。愛らしくも寂しげな少女はふと手元に目を落とす。その手の花の舟に明かりは灯されていなかった。

「もう帰ろうかな・・・」
 舟に囁きかけるように少女は呟いた。突然程遠からぬところから派手な物音と嬌声が響く。少女はぐっと口を引き結び、川面に背を向けた。
「何よ、いつもいつも・・・あたしばかりどうしてこんな思いをしなくちゃいけないのよ!」
 苦しい叫びはどこにも届かない。手の中の紙舟がかさりと音を立てる。
「・・・物に当たってもしょうがないよね。だけど、こんなことなら・・・お祭なんかない方が良かった。」
 思いは過去へと流れていく。見も知らぬ土地の失われた祭がこの地へとやって来た、そのささやかな始まりを・・・




「え、お祭?今頃になって?」
「ああ、町内会で決まったんだよ。もう日にちもないし、あんまり盛大にやるわけにはいかんが。」
 ある日の夕食後のひととき、食卓を囲んだ家族に早雲はお茶をすすりながら切り出した。
「何でも町内会長さんの母方の故郷でやってたお祭だったそうだが、今流行りの自治体の統合があって、無くなってしまったそうだ。」
「それも寂しい話だねえ、天道くん。」
「全くだよ、早乙女くん。で、聞いてみると変わった風習もあるんで、こっちでやってみようかという話になったんだ。」
「あら、面白そうねえ。」
「どういうお祭なの、お父さん?」
 娘たちに興味を示され、早雲は会心の笑みをにじませた。
「何でもだな・・・」


 空気が澄み、冬の星座が見え出す秋の終わり。その時期にまとまって現れる流れ星。そして同じ時期に盛りを迎えるある種類の花。桜にも似て僅かな間の盛りを経て、すぐに散り行ってしまう。天と地にまるで呼応するかのように繰り広げられる儚くも華やかな競宴。その地を流れる河には、一瞬の星の輝きと散り敷いた花びらが混ざり合い、共に流れ行く。
 その有様に次第に人々は想いを重ね合わせるようになり、そして祭になっていった。互いに想い合う若者たちが星と花を象った舟を結び、その想いの永遠なることを願って水面に託すという・・・


 話が進むにつれ、一同の目線は次第にある方向へとシフトし始めた。その先には並んでお茶を飲んでいた少年と少女。
「これはもう・・・」「やるっきゃないわよね」「うんうん」
 狭まる周囲の包囲網に二人は反発し始めた。
「な、何だよ・・・」「そうよ、あたしたちには関係ないわ」
 意地になって背を向け合う乱馬とあかね。その様子に周囲は却ってヒートアップする。
「そんなこと言ってていいの?先越されちゃうわよ〜、二人とももてるんだから。」
「許さん、それは許さんぞお〜〜っ!絶対に二人でやらなきゃダメっ、ダメだからね!」
 急にデカ顔になる早雲に付き合いきれないとあかねは席を立った。
「やりたければやれば。あたしと関係ないところでね!」
「ったく、本当に可愛くねえ言い方だな、もちっと・・・」
 いつものようにふてくされ顔で一言多い乱馬。ガンと地響きを立てて、その頭にお湯のなみなみと入ったポットがめり込む。
「ええ、可愛くないですとも。でもあんたの減らず口はもっと可愛くない!」
 後ろ足で蹴るようにしてあかねは居間を去った。既にその時点でこのお祭が不愉快な騒動を巻き起こす予感を嫌というほど感じ取っていたのだ。
「どうせあいつのことだもん、またはっきりしないでいいようにまとわりつかれるんだわ・・・」

 その予感はこれ以上ないくらいにぴたりと的中した。



 祭の準備は着々と進んでいった。ささやかな催しのはずがなぜか規模が広がり、舟を流す予定の川に沿った町を次々巻き込んでいった。一説によると町のアピールを狙った思惑が一致したとも、とある金持ちが大枚を寄付したとも言われる。後者は間違いないと思われている・・・連日の九能帯刀のアタックぶりを見れば。
「天道あかね〜〜」
「お断りしますっ」
 これで今日何度目か忘れたくらい帯刀を蹴り飛ばしたあかねの背に、浮き浮きとした声がかけられる。
「もてるなあ、あかねちゃん・・・乱ちゃんはうちに任せとき。あかねちゃんはあかねちゃんでゆ〜っくり楽しむとええわ。」
「勝手にどうぞ。」
 自信たっぷりなライバルの宣戦布告にすげなく答える端から、あかねの胸には穏やかならぬ波が広がっていった。

 お祭なんか行くものか・・・

 浮き立ちさざめく同級生からあかねは目をそむけた。


 流星群、と授業で習った流星がまとまって降り注ぐ時期。そのピークの夜に祭は行われることになった。雨天時は中止だが、この時期あまり天気は崩れない。
「やっぱ明日は晴れか・・・」
 天気予報をため息混じりに見るあかねの前に一つ上の姉の姿。
「あかね、明日はちゃんとお祭に行ってもらうわよ。」
「お姉ちゃん・・・誰に頼まれたのかは知らないけど、余計なことはしないで。」
「行けばいいのよ、行けば・・・あんなの迷信なんだから。それにねえ、行かないとお小遣い減らすってお父さん息巻いてたわよ。」
「どうしてそうなるの!」
「さあね。とにかく会場に行って花の舟をもらいなさいな。それでみ〜んなめでたしよ。」
 金の亡者の姉のこと、そこまでは父親たちから請け負ったのだろう。そこから先の騒ぎはもちろん我関せず、あるいはまた別口で儲けを画策しているのかもしれない。
「・・・行ってくればいいんでしょ。だけど行くだけよ。」
「そうそう、まずは行かなくちゃ何も始まらないわよ。じゃあ、明日はよろしくね。」
 恐らくこれから同じ手でもう一人口説き落とすのだろう。そしてまたいつもの騒ぎ・・・そこまで考えてあかねは首を振った。もう考えるのは充分。考えたって始まらない。いつものように乗り切ればいいだけ。そう、これまでのように・・・

 あかねの足は道場に向かった。体を動かせば少しはネガティブな考えも振り払えるだろう。そんな期待をこめて道場の戸を開けると、そこには先客がいた。
「よう、お前もか。」
「乱馬・・・」
 一瞬引き返そうかという気持ちが込み上げてきたが、あかねはそのまま道場に入った。
「何だかえれえ怖い顔してるな。」
「どうせそんな顔よ。」
 誰のためにこんな顔になってるのよとあかねはそっぽを向く。他の人間相手ならそんな態度は取らないのに、なぜか許婚の少年の前ではそうなってしまう。意地を張ったところで満たされるものは何もないのに。

「やっぱ明日のことでか?」
 思いがけぬ問い掛けにあかねはパッと少年の顔を見上げた。そして気づく。乱馬もひどく当惑し、思い悩んでいるのだと。
「・・・うん、みんな騒ぎ過ぎだよ。明日はどうしても参加しろってお父さんたちまで。」
「そんなこったろうな。さっきなびきに出ろって言われたよ。脅し半分すかし半分・・・ちぇ、やってらんねえ。」
「あたしも同じ。出たい人だけ出ればいいのに。」
「そこんところだけは俺も同感だ。・・・あのさ、それでちょっと考えたことがあるんだけど。」
「なあに?」
「だから、出ればまたしつこく追い掛け回されることはわかってるし、お前だってうんざりだろ。それなら先手を打っちまわないか?」
「先手って?」
 あかねは小首を傾げる。
「だからその、とっとと行って流しちまわないか・・・舟を。」
「あたしたち・・で?」
「お、おう・・・その、お前が嫌じゃなければ。」
 覚えず上気する顔。その前で負けじと顔を赤らめる少年の姿。
「あ、あたしは・・・構わないよ。それにいい考えかもね、もう舟を流しちゃったと知れば皆も諦めるだろうし。」
「決まりだ。祭は6時から10時までだったな。一番にもらってすぐに落ち合おう。場所は・・・」
 二人であれこれ考えた挙句、祭に参加するエリアの中で一番本会場から遠い橋のたもとということになった。
「何なら変装グッズも貸してやろうか?」
「ううん、ゆかたちと一緒に行くつもりだからいい。それよりも乱馬、ちゃんと来れるの?」
「あいつら撒かないといけねえからなあ・・・少し遅れるかもしれないな。」
「少しで済ませてよ。」
「へーへー」
 ぐんと軽くなった気持ちであかねは道場を後にした。



 次の日、学校が引けて一旦帰ってきたあかねは暖かい格好に着替えるとまた外に出た。ゆかたちと落ち合い、簡単に食事をして祭に向かおうという計画。時間まで家にいると家族の目がうざったいし、招かれざる押し掛けがあるかもしれない。
「ねえ、あかねはやっぱり乱馬くんとでしょ?」
「やっぱりって・・・お父さんたちがうるさくてかなわないから出てきただけよ。」
「またまた〜、でもねえ、あかねがちょっとだけ素直になってみせたら絶対あっという間に両思いだよ。勿体無いなあ。」
「あんなやつに何がどう勿体無いのよ。」
 しょうがないなあと友人たちは顔を見合わせる。端から見れば二人の気持ちは歴然としていた。それだからこそ、ライバルたちは必死にもなる。二人の間が決定的になる前に何とかしようと。
「足元すくわれてからじゃ遅いんだからね。」
「そうだよ、乱馬くん狙ってるの、あの三人だけじゃないんだから。乱馬くんがはっきりしないから変に希望持っちゃって。」
 友人たちの気持ちは有り難いと思いながら、それでもあかねの意地は収まらない。その合間から複雑な本心が少しだけ顔を出す。
「そんなふらふらした気持ちの相手と・・・両思いになっても意味あるの?」
 友人たちは言うべき答えを見つけられず、黙り込んだ。


 舟を配る会場は既にごった返していた。人混みは嫌いなあかねだが、隠れるには人の中が一番。帽子をかぶって気配を消し、友人たちの助けもあって首尾よくあかねは舟・・・女性は花の舟・・・を受け取った。
 ここで他に約束があるはずのゆかたちと一旦別れることになった。互いの幸運を祈りつつ。

 乱馬も舟を受け取れたのかな・・・

 急いで待ち合わせ場所に向かいながら、あかねは次第に胸苦しいような甘酸っぱさが身の内に募ってくるのを感じていた。

 やっぱり・・・一緒に流したい。互いのままならぬ想いを乗せ合ってでも。

 頭上に晴れ渡った夜空が広がる。都会の大気汚染や光害を差し引いても、そこそこは流星も見えるだろう。まだ時間が早いのでちらちら見ても見つからない。流星の来るピークは夜中から明け方にかけて。祭が終わってからが、夜空の本番なのだ。
 待ち合わせの橋まではそこそこの距離。あかねの足でならそうはかからない。もう来てるだろうか、それとも・・・うまく行くかもしれないという期待と何かが起こりそうな不安が交互に湧き上がる。あかねはひたすら前者を願った。まだ流れぬ星たちに。

「次の橋だわ。」
 早足から次第に駆け足になる。あかねは舟を胸に川沿いの道を走った。そこに一つの気配。

「天道あかね、待ってたぞ〜」
 あかねは目を疑った。なぜここに帯刀が?それも待ち伏せて。
「さあ、僕と一緒に・・・」
 あかねは渾身の力で蹴り上げた。見事に夜空を流れる姿に願掛けをする者はいたかもしれない。
「ど、どうして・・・」
 嫌な予感がどっと募る。あかねは土手を降り、気配を消してそっと目的地を目指した。


「乱馬、やっぱり来たか。」
「うちを出し抜こうなんて百年早いで。」
「さ、私の舟と一緒に・・・」
「くそっ、なびきのやつ、ちゃっかり情報売りやがって!」
 橋の上では既に騒ぎが始まっていた。その様子に恐れをなしたのか、他の参加者たちの姿はなかった。
「あかねなら今頃他の男とデートしてるある。」
 してないわよ!と内心で叫んだあかねはあわてて気を抑えた。ここで自分まで見つかったらそれこそ収拾不能だ。
「来ないかもしれんな。乱ちゃんより意地の方が大事らしいからな。」
 痛いところを突く言葉にそれでもあかねはぶんぶん頭を振る。
「もうあんな女のことはよろしいではありませんこと。さ、乱馬さま・・・舟をいただきますわっ」
「勝手なことばかり言ってるんじゃねえっ!」
 派手な物音が炸裂する。橋の上はバトルモード。
「私がもらうね!」「乱ちゃん、うちに渡しやっ」「私ですわっ」
 見なくてもどうなっているか手に取るようにあかねにはわかっていた。目の色を変えて星舟を奪いにかかる三人に、防戦一方の乱馬。
 いつものことだ・・・そんなことにいつまで付き合っていればいいのだろう。やるせない怒りとバカバカしさが募ってくる。

「そんなに欲しけりゃ・・・」
 いきなり落ちる沈黙。そして遠い水音。
「乱ちゃん!」「何てことを・・・」「あっちに落ちたか!」
 あわただしく去る足音。あかねも唖然とした。まさか舟を投げ捨てようとは・・・

 静かになった橋から低い声が響いてきた。
「あかね、そこにいるんだろ?・・・あれは偽物だ。本物は隠してある。あいつらを撒いて取ってくるから待っててくれ。寒いだろうけど・・・」
「わかった、気をつけてね。」
 橋の上から気配が去った。あかねはほうと息をつくと空を眺めた。それほど詳しいわけではないが、冬の星座はそれでも分かりやすい。いくつか星座を見つけながら、流星が来る方向を見定める。北寄りの東・・・うまい具合に開けていて良く見える。じっと見たが星は流れない。まだだよ、と夜空の星がたしなめるように瞬く。


「これは偽物あるね!」
「乱ちゃんにしてやられたわ・・・」
「こうなったら探すしかありませんわ。乱馬さまを・・・そして天道あかねも。」




 気づくと川面にいくつも舟が流れていた。もっと上流から流したのだろう。仄かな明かりが水面に揺れる。星と花を象った舟に蛇腹上の提灯部分がつけられており、それを伸ばして中にロウソクを灯すだけ。そんな簡単な造りでも、川の上で堂々流れていく様子にあかねは羨望に近い思いを抱く。今持っているこの舟もああやって対となるべき舟と流れていけるのだろうか・・・

 時間は過ぎる一方だった。たまたま近づいてきた舟の明かりに時計の文字盤を透かして何とか見たあかねは愕然とした。もう祭が終わるまで時間がない。乱馬はいったい何をしているのだろう。暖かい格好をしていても冬間近の夜の川べりは冷え込む。日頃鍛えているあかねでも辛くなってくる。普通の女の子ならとっくに音を上げて立ち去っているだろう。

 もう少しだけ・・・

 そう思って我慢し続けたあかねの耳に聞き慣れた喧騒が遠くから届いた。どうやら乱馬はあの三人に見つかったらしい。あかねは苦い思いに沈んだ。やっぱり自分がバカだったのだ。何を期待したというのだろう。あの優柔不断な態度が治らなければ、何も変わるはずがない。自分が変わったところでそれは一人相撲になるだけだ。

「もういい、もう帰ろう。」
 立ち上がったあかねはつと困惑した。足元が暗くて土手を登る道が見つからない。無理矢理登ってもいいが、服が汚れるかもしれない。何か明かりがあれば・・・そう思ったあかねは苦笑した。
「これがあるじゃないの。」
 提灯部分を伸ばし、中のロウソクに用意してきた百円ライターで火をつける。ぽわっと灯る明かり。それで道を見つけると、あかねは土手を登った。そのまま明かりを消して帰ろうとしたが、なぜかためらわれてあかねはそのまま橋へ足を向けた。

 橋から見下ろす川面にいくつものきらめき。手から下がってる舟の明かりに呼応するように。このままあの中に流せば・・・でもあの舟はそれぞれ相手がいる。一つだけぽんと流しても、それは仲間外れに過ぎない。ふと目の前の景色が潤み、ぽつっと滴が舟にかかった。
 あかねは提灯を上げて火を消そうとした。

 その時、風を切る音が響いた。


「あっ」
 あかねの手元をかすめた何かは舟を弾き飛ばした。見えない手で川面に置かれたように花の舟はきれいに着水し、そのまま流れていく。

「やった!」「ほーっほっほ、引っ掛かりましたわね。」「油断大敵やで、あかねちゃん。」
 快哉が上がる。凍りついたように水面を見ていたあかねはキッと振り向いて言った。
「何が?今流そうとしてたのよ。あんたたちも急がないともう時間がないわよ。」
 強がりとはわかっていたが、精一杯の意地と共にあかねは堂々と歩き去った。その後ろで憤慨とも嘲笑ともつかぬ声が上がるが、もう何も耳に入らなかった。

 行ってしまった、花の舟。

 独りぼっちで行ってしまった・・・



「あら、あかね・・・帰るの?舟はちゃんと流せたかしら?」
 聞き覚えのある声にあかねは自分でも驚くほどきっぱりと答えた。
「ええ、しっかり流せたわ。・・・お姉ちゃんのおかげでね!」
 八つ当たりに近い捨て台詞。これも後で惨めな自己嫌悪になるだろう。でも今はどうでも良かった。あの舟が気持ちを全て持っていってしまったように感じられる。あかねはそのまま立ち去った。

「あかね・・・ちょっとやり過ぎちゃったかな・・・」



 家に戻ったあかねを家族は腫れ物を扱うように迎えた。祭のことなどおくびにも出さず、お風呂やお腹が空いていないかと気遣う。恐らく一足先に戻ったなびきが何か言ったのだろう。あかねは物憂げにお風呂に入って寝る支度をした。祭は終わった。もう何も考えたくない。さっさと眠りたい。
 それでもお休みの一言は言っておこうと居間に降りてきたあかねの耳に、家族の会話が入った。
「まだ乱馬くんは帰ってこないのか・・・あかねを探しているんじゃないだろうねえ?」
「祭は終わって人は引き上げてるし、じきに帰ってくるわよ。」
「あのバカ息子、どこをふらふらしとるんだか。」

 まさか!?

 あかねはもう一度着替えなおすと、こっそり家を飛び出した。



 そんなはずはない。でも、もしかしたら・・・

 あかねはあの橋へ全力で走った。乱馬は待っててくれと言った。あの三人が自分を誘い出して舟を川に落としたことを知らないのかもしれない。それなら、まだ・・・

 あかねは足を止めた。橋の手前に確かな気配。

「遅いじゃねえかよ!ほら、とっとと舟を出せ。」
 さすがに苛立った声。あかねは言い返そうとして声を詰まらせた。とてつもなく大きく重いものが喉と胸を締め付けている。
「お、おい・・・泣くことはねえだろうが。」
 あわてた声が側でした。あかねはやっとの思いで声を振り絞った。

「流れていっちゃった・・・あたしの舟、もうないのよ・・もう・・・」
 大事にしていたおもちゃを無くした幼子のようにあかねは繰り返し同じことを言い続けた。苦い涙を流しながら。

「そうか・・・そうだったのか・・・」
 あかねの苦い思いを乱馬もまた静かに受け止めた。震える肩をそっと引き寄せて。



「落ち着いたか?」
「うん・・・もう帰ろう。待たせてゴメン。」
 涙が苦い気持ちをいくらか押し流していた。あかねは黙って付き合ってくれた少年に内心で感謝した。
「帰る前に・・・川下に寄ってかないか?」
「え・・・だってもう見つからないよ。それにもういいの。」
「俺たちが探すんじゃねえよ。」
「?」
「こいつが探すのさ。」
 目の前に出された星の舟。あかねは泣き腫らした目でぼうっと見つめた。


「ここまで来ればもういいか。」
 二人が足を止めた辺りはまだ提灯を灯した舟がゆったりと流れていた。乱馬は星の舟を組み立てるとロウソクに火をつけた。
「ほら、相棒を探しに行け。・・・お前にたっぷり涙をかけた泣き虫の舟だぞ。」
「な、何よそれ!?」
「さっきお前がわんわん泣いた時、これにかかったんだよ。」
 星の舟は乱馬の手を離れて静かに川面に浮かび、そのまま流れていく。
「いい手がかりを持ったんだ。しっかり探せよ。」
 あかねは手を胸元で握り締めて舟を見送った。淡い光を放ちながらどこか堂々と水面を行く舟。それはまだ見ぬ伴侶を求めて旅立つ若者にも似ていた。

「見つかるかな・・・」
「さあな。願ってみたらどうだ、星に。」
 あかねは思わず頭上を振り仰ぐ。そこには幾つも流れる星の軌跡。流れ星はいつの間にか夜空に到来していた。


「きれい・・・東京でも結構見えるものなんだ。」
「そうだな、山からならもっとすごいんだが。」
「それも一度見てみたいな・・・でも今はこれで充分。」
 何分と待たずに流れる星。あるものは乳白色の尾を引き、またあるものはオレンジ色に発光した。燃え尽きる一瞬だからこそいっそう輝かしい。
「お前を待ってる間にも結構流れてたぜ・・・なあ、祭もいいが皆下ばっか見てロクロク星を見てないんじゃないのか。あかね、お前だってそうだろ。」
「乱馬を待ってる間見てたわよ・・・時間が早くてほとんど流れなかったけど。」
「それだって暇つぶしに見てただけだろうが。俺が聞いてるのはそういうことじゃねえよ。」
 ならばどういうことかとあかねは続きの言葉を待った。

「この祭のことは聞いたこともない。ただ・・・元々やってたところではきっと皆でゆっくり星を見てたんだろうな。川のように視界の開けたところで。それで見上げているのにちょっと疲れた時、ふと川を見て気づいたんだ・・・水の上にも星が流れているのを。」
 あかねも星空から目を転じて川を見た。舟たちの一団は遠くなり、水面は静穏さを取り戻していた。
「そこに花が流れ、自分たちの姿もかすかに映ってるのも・・・そっから祭は始まったんだ。星や花の仲間に入ったつもりになって。そんな風に思える。」
 乱馬の話にあかねはいつしか引き込まれていた。根拠がなくても乱馬の言う通りに違いない。遠い見たこともない土地の人々の姿や思いがまざまざと思い浮かべられる。
「早い時間に舟を流して・・・そして星が降ってくるのを待ったんだろうな。本当に一緒に見たい人と。」
 え、とあかねは傍らを振り返る。それは自分たちにも当てはめているのだろうか。

「なのにこのバカ騒ぎときたら・・・これじゃ星も花もへったくれもねえだろうが。いくら祭だって無理矢理人の舟を奪って流して・・・そこにどんな想いが乗るってんだ。」
「そう・・よね。あたしもそう思う。こんな騒ぎにかまけてせっかくの流れ星も見られないところだった。」
 あかねは心からうなづいて再び星の天蓋を仰ぐ。見る間に幾つもの白い筋が暗い夜空に描き込まれる。
「本当は彗星が落としていった塵が大気圏の中で燃え尽きるだけなのに・・・どうしてこんなにきれいに見えるんだろう?」
「それは・・・心を通るからだよ。」
 普段不調法極まる少年の意外な答え。いったいどうしたというのだろう。降る星たちは彼に何をもたらしたのだろうか。
「どんなにすごくてもただの自然現象に過ぎないんだ・・・見る者がいなければ。俺たちが見てそして心に感じ取るんだ。違うか?」
 あかねは無意識のうちに首を縦に振っていた。

「だから、一番大事なのは気持ちなんだ。」

 胸の中でめちゃくちゃにもつれていたものがきれいに解かれていく。もう一度天上を見上げ、あかねは深く息を吸った。心が開かれていく。空に。地に。流れる川に。見知らぬ地で祭を考え出し、楽しんできた人々に。その全てを通り過ぎていった空からの星のかけらに。
 そしてそのことを教えてくれた傍らにたたずむ少年に。


「あたし、やっとわかった・・・大切なもの。今の自分の気持ち。それが無かったら星も花もただ行き過ぎちゃうだけ。それに・・・乱馬のことだって、あたし・・・」
「あかね、あんまし思いつめるなよ・・・また一人で抱え込んじまうぞ。」
 言いたいことはわかったから、と肩に置かれた手がそっと伝える。柔らかい温もりで。
「先のことは誰にもわからねえんだから・・・って無責任な意味じゃないぞ。ガキの頃、山で流れ星なんかそれこそ星の数ほど見てきた。その時は想像すらしなかった。今こうしてる自分なんて。・・・あるのは今この時の自分と、先への希望っつうか、願いだけだ。」
「さっき流した舟だってお前の舟を見つけられるかなんてわからねえ。けど、それでも俺は送り出した。力の限り探してこいって・・・」
 それが今の自分の気持ちだ・・・語らずとも響いてくる声。やっと受け取ることの出来た本当の心。

 答えの代わりにあかねは肩に添えられた手にそっと頭を寄せた。ぴくっと腕の筋肉がつれる動きが伝わってくる。ただそれはいつものようにカチカチにならず、優しさを秘めた力が加わっただけだった。


「さすがに冷えてきたな。引き上げるか。」
「ううん、あとちょっとだけ・・・星たちに頼んでおきたいの。あの星の舟が無事に川を下っていけるように。そして探している相手に会えて・・・独りぼっちにならないように。」
 真摯に見上げる大きな目に夜空の輝きが集まる。無数の星たちが澄んだ瞳に浮かぶ。それは次に大きく流れた。

 星にも似たきらめきを受け取る大きな手。切なる願いに力強い声が応える。
「きっと会える・・・絶対に探し出すさ。途中で諦めたりはしない、俺の作った舟なんだ。だから・・・見つけたらもう決して離さない、離すもんか!」
 舟に託した想いが二人を引き寄せる。花は星をあまりにも純粋に恋い、星は花を求めて悠久の天と地を駆ける。いつか必ず寄り添い、大海原をも力強く渡っていくことを心に誓って。

 千の星が一つの強く真摯な想いを乗せ、無窮の天上と留まることを知らぬ水面を、確かな輝きを放ちながら渡っていった。



 数年経った頃、二人にははっきりとわかった。星の舟は花の舟を見出したことを。星たちがしろしめす遥かな水面の上で永遠の絆を取り交わし、共に旅立っていったと。




 end of the story

 by "いなばRANA"




作者さま的より

 高二の秋くらいのイメージの二人です。

 本当にこんなお祭やってるところがあったらいいなあ・・・モデルはないですが、ちょっと「銀河鉄道の夜」のケンタウル祭がイメージに入ってるかも。タイトルは適当に読んでください(いい加減だなあ)


お祭から帰ってきて開いたメールに一作。疲れた身体に乱あはいいです。疲労回復に♪
実は私も「銀河鉄道の夜」のケンタウル祭のイメージがどっと浮かびました。星の祭りかあ。日本じゃ七夕ですかね。(この七夕も起源がいろいろ言われてますが。)
生駒市には天の川という川が流れています。この川には記紀神話に表された「天の岩船」を祭った神社もあります(これは交野市になるかな?)
満天の星を見ながら舟を流せる川も、もう伝説なのかもしれませんが・・・。
ロマンスは星の夜に。ありがとうございました♪
(一之瀬けいこ)

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