◇風林館高校ピアスウォーズ 1
いなばRANAさま作


 カチャ

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『ここにあるのは、風林館高校の歴史の中でも最大にして、最も不可解な騒乱についての記録である。不可解というのはこの騒乱に加わったものたちの大半が、その結末はおろか、経過についてもロクに覚えていないことである。ここに載せてある記録は、その場に居合わせた中で辛うじて記憶を留めていたある生徒によって書かれたものである。

 なお、ここで見たものは一切他言無用、引用不可である。心して閲覧されたし。

 以上文責  風林館高校 第22代図書委員長 稲原黎奈 』



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 暗転



 序奏  動乱、あやかし、その他もろもろへのいざない


「わーっっ、どうして起こしてくれなかったんだよ!?!?」
「あら・・・あかねちゃんかなり頑張って起こそうとしてたみたいだけど、どうしても起きないからって先に出ちゃったわ。」
「ったくあかねのやつ〜〜」
 穏やかに答えるかすみの言葉などもう耳に入らず、乱馬は卓袱台に置いてあるオレンジジュースのコップを取り上げて飲み干し、トーストを一枚手に、もう一枚くわえて玄関へと突進した。

ガラッドタバタバタ・・・

 慌しい足音が遠ざかるのを聞きながら、かすみは朝食の後片付けを始めた。
「いってらっしゃい、乱馬くん・・・あら、そういえば耳に何かついていたような気がするけど。」
 ちょっと首を傾げたかすみだが、そのまま手は休めずに片付けを続ける。
「お片づけ終わったら洗濯物干して、布団も干して・・・今日は本当にいい天気ですものね。」


「ふぃ〜、あふぃあふぃ・・・あむっ、あちあち、今日もあちくなりそだな。ったく夏休みだっつーのに登校日ばっか作りやがって、あの変態校長が!・・・あぐあぐはむっ」
 走りながらトーストをかじるという器用な真似をしつつ、乱馬は高校へ急いだ。夏の盛り、朝から容赦無い日差しが降り注ぐ。夏休みも佳境に入ったところで、生徒イジメとしか思えない登校日。高3になった乱馬への嫌がらせのラストスパートという噂もあながち外れていないかもしれない。進学準備も就職活動もないお気楽三年生・・・端からはそう見える・・・をいびる手段はそう多くはない。卒業させない、という最大級の嫌がらせは学校関係者総意のもとに却下された。もう少しで高校始まって以来のトラブルメーカーはいなくなるのだ、それを引き止めてどーするとばかりに。
「あかねのやつ、もっと気合入れて起こしてくれりゃあいいもんを〜」
 あっという間に持って出たトーストを平らげ、乱馬は走るスピードを上げた。遅刻は確定的だが、うまくすれば教師が来る前に教室に滑り込める。何しろ担任は相変わらずの二ノ宮ひな子。生徒以上に休みボケしている可能性大である。
「まあ、あいつまで遅刻させるわけにはいかねえか・・・」
 推薦希望のあかね。成績はもちろんのこと、日頃の態度も評価の対象になる。遅刻などはもっての外。頑張るあかねに負担はかけまいと、乱馬は一学期の半ばに自分のフォローはもうしないでいい、と言ったのだった。それでもあかねは朝はなるべく乱馬を起こしてくれたし、自分の勉強の合間に課題を手伝ってくれたりした。生来の面倒見の良さと、ちゃんと卒業して欲しいという思いの現れ。
「いつまでも甘えるわけにはいかねえよな。・・・そうじゃなくても、俺はあいつを傷つけちまってるんだから。」
 眩しい日差しの下でも、心に差す影は消せない。かれこれ三ヶ月以上経った今でも、あかねの失われた記憶のかけらは戻っていなかった。当人もほとんどの周囲の人間もそんな傷があることすら、気がついてもいない。だからといって許されたわけではない、というより自分が絶対に許さないだろう。何よりその痛みを感じているのは乱馬自身なのだから。

 つい昨日のことのように思い出される。腕の中で大輪の白い花が開くように、あふれんばかりの輝きに満ちていく少女・・・もう少女ではない・・・目の前の少年に対する偽りない愛情が一気に艶やかな乙女へと変えていく。その鮮やかな瞬間。何よりも満たされた至福の時。喜んで自分の心を捧げ、その瞬間は永遠のものになった。・・・そのはずだった。

「何をやってたんだよ、俺は・・・」
 足が鈍る。やっと垣間見えたこと。人を愛するということ。それまでも守ろうと時には命をかけてまで戦ったこともあった。それが自分なりの気持ちの表し方だと信じていた・・・何という子供じみた方法だっただろう。一番大事な自分の気持ちは出し惜しんで、そのために山ほど厄介ごとを抱え、肝心の相手を傷つき続け・・・それでもやっと幼い意地っ張りをやめ、心から相手を受け入れ、受け入れられたと確信して一日と経たないうちに・・・結ばれた絆を黒い絶望の炎から守ろうとしたあかねは、引き換えにその心の一部を失った。
 表面上は何ら変わったところはなかったが、乱馬にはわかった。今いるのは潮風の中で愛情に満ちて花開いた乙女ではなく、それ以前のいわば可愛らしい蕾。自分が持っている絆の片端は・・・その手にはなかった。狂おしいまでの喪失感。いつかまた失われた時間、記憶が蘇るかもしれない・・・その確証なき希望を信じ、自分の気持ちを抑えつづける。それが今自分に出来るただ一つのこと。
 もうこれ以上あかねを傷つけまい、その気持ちを不用意に揺らすまい・・・あかねが進学の準備にいそしんでいることが、却って乱馬にはありがたかった。その邪魔をしない、ということで安全な距離を保っていられるから。・・・いつまでもそうしていられるわけではないにしても。


「っけね、これじゃ完璧遅刻だ!!」
 物思いに沈みかけていた乱馬はハッと足を速めた。あれこれ考え込むのは元々性に合わない。今まで行動しながら突破口を見出してきたのだ、ともかく出来そうなことはやってみること、たとえそれが成功する自信がなくても。
 川べりの道をダッシュする乱馬。さすがにフェンスの上を行く余裕は無い。
「あれ?」
 前方に乱馬は変わったものを認めた。フェンスの上の小さな影。近づくとそれは小さな・・・6、7歳の女の子だった。
「をい、おめー、そんなとこで何やってんだ?」
 何と川を向いてフェンスに腰掛けている女の子。呼びかけにも答えようとしない。仕方なく乱馬はフェンスに飛び乗った。
「なあ、あぶねーから降りなよ、な?」
 少女の隣にしゃがみこんで話しかける乱馬。墨を流したように黒い真っ直ぐな長い髪、アンティークな雰囲気のオールドローズのドレス・・・まるで人形のような少女はつと横を向いた。
 その星無き夜空のような漆黒の瞳が乱馬の姿を映す。と・・・
「おい・・・?」
 つと少女が手を伸ばす。その象牙のように白くか細い指が乱馬の耳に触れた。それまで無表情だった少女の顔に、奇妙な笑みが浮かぶ。

『見つけた、妾の・・・』

 瞬間、触れられた場所からえもいわれぬ振動が体中を駆け巡る。思わずバランスを崩した乱馬はそのまま川に転落した。


「ぶはっ、何なんだよ〜」
 ずぶ濡れになって変身したらんまは急いで体を起こす。見上げたその先に・・・子供の姿はなかった。
「え、えっと・・・」
 その辺を見回すが、川に落ちた様子はない。元いた場所に戻っても、女の子の姿は見えなかった。
「わかんねえなあ・・・まあ、川に落ちたんじゃなさそーだし、いいとするか。」
 ふと気になって少女が触れたところに手をやる。その顔が強張った。
「い、いっけねえ・・・付けっぱなしだ!」
 その手に硬い感触。耳につけられた薔薇色のピアス。耳に開けた穴を維持するためにいつも寝る時につけ朝は外しているのだが、今朝はあわてて飛び出したために外すのを忘れてしまったのだ。今朝はかすみにしか会っていないのが不幸中の幸いだろう。
「ふう、気づかないで学校に行ったらとんだ笑いもんになるとこだったぜ。」
 それに比べれば川に落ちたのも、遅刻もものの数ではない。乱馬はホッと息をついてピアスを外そうとした。
「ん?・・・おっかしいな・・・あれえ?」
 止め具は緩めたのに、ピアスは外れなかった。まるで耳にくっついてしまったかのように。
「寝てる間に金具が歪んだのかな・・・くそっ・・・あいててて!」
 押そうが引こうが一向に外れないピアスに乱馬は業を煮やしたが、耳に手を当てたまま、学校へ走り出した。
「あいつなら外せっだろ・・・あーあ、大遅刻だぜ、まーたあかねにどやされる。」


ガラッ
 勢い良く用務員室の戸が開く。
「お・・・早乙女、大名出勤か?」
 筋骨逞しい中年のトレーニングウェア姿の男が、用務員相手に指していた将棋盤から顔を上げる。
「やーっぱここにいたか、鬼平・・・じゃねえ、大木戸先生。」
 まだ全身から水をしたたらせながら、らんまはホッとした表情で中に入る。
「何だあ、その艶姿は・・・水もしたたるいい女ってか?ちっと体拭いてけ・・・その姿でうろうろされたら俺は構わんが、若僧には刺激的すぎっからな。」
 ずけずけとした物言いの非常勤講師の大木戸平蔵、非公式通称鬼平はにやりと笑ってらんまにタオルを投げた。
「どうも・・・お湯かぶってから使わせてもらうぜ。それよか、ちょっと見て欲しいもんがあるんだけど・・・」
 らんまは耳から手を離した。

「うーむ、こりゃあダメだな・・・ぴったり貼りついてしまってるぞ。いったいどうしたんだ、これは?」
「だから今言ったとーり、変な子供に触られたくらいしか思い当たることはないんだ。」
「いたずらされて瞬間接着剤でもつけられた・・・お前に限ってそんな間抜けなこともないだろうしな。」
 アクセサリーは商売にしていることもあって詳しい鬼平。らんまからピアスを外そうとあれこれいじってみたが、文字通りくっついてしまったピアスはどうしても取れなかった。
「とにかく今はお手上げだ。学校はねたらうちの店に来い。道具があれば何とかなるだろう。」
「それまでどーすんだよっ、こんなものつけて外歩けるか!」
「元はと言えばお前の不注意だろうが・・・ほれ、これでも貼っとけ。」
 目の前にぴらっと出された絆創膏をらんまは渋々受け取った。
「お湯、沸いたよ。」
 用務員がヤカンを持ってくる。
「済まんな・・・さ、とっとと男に戻って教室に行け。サボリになるよりゃマシだろう。」



 あかねはため息をついた。

「早乙女くん、サボリ?困るわねえ、これで出席日数悪いとと卒業単位に響くわよ。」
 珍しくアダルトチェンジしているひな子のやれやれという言葉に、あかねはすみませんと答えるしかなかった。やっぱり起こして連れてくるべきだった・・・悔いがこみ上げる。休み中にすっかり起床時間が遅くなったのはあかねも一緒だったが、ますますパワーアップした乱馬の朝寝坊には手を焼くどころの騒ぎではなかった。今日も自分でも起きるのがタルいのを我慢して起こそうと努力したものの、結局時間切れになってしまったのだ。

 違う、そうじゃない・・・

 あかねはぐっと手を握り締めた。

 あたし、乱馬を・・・避けてる。


 記憶にはない5月の数日間。でもそこで何かが、自分と乱馬にとって決定的な何かが起こったことをあかねは直感していた。

 勿論シャンプーとのこともある。猫飯店が急に休業の看板を出し、シャンプー、ムース、コロンは故郷に戻っていった。覚えてはいなくてもあかねにはわかった。シャンプーとの間で決着がついたのだと。定かなところはわからなかったが東風やかすみ、のどかといった信頼のおける人たちから二人が手合わせをして、その結果シャンプーが身を引き、その時のダメージでいくらか記憶が混乱していることが伝えられた。あかねはその言葉を信じた。憶測は飛び交ったものの、それには耳を貸さなかった。
 けれども乱馬の態度は・・・あかねは理解に苦しんだ。

 つかず離れず、それは傍目には変わって見えないのかもしれない。けれどもあかねの目には後退とも映る。無意識に胸元に手が行く。こっそり身に着けているネックレス。これを贈られてから確かに自分たちの距離は縮まったはずだった・・・
 なぜか今はあかねに対して一定の距離を置こうとする乱馬。建前は進学希望である自分に対する配慮、ということだったがあかねは釈然としなかった。感じるのは乱馬の焦燥にも似た気。近づきたいのに近づけない、自分を抑えているような乱馬。時折気づくと向けられている熱過ぎる切ない視線。
 違う、何かが決定的に違う・・・最初に短絡的な発想があかねに訪れ、思わず自分の体を検めたりもした。それが思い違いであることにはホッとしたあかねだが、それで気持ちが収まったわけではなかった。
 何が思い出せない日にあったのか・・・どうしても思い出せない数日。その中で一日を除いて、どんな日を自分が過ごしたかは見当がついている。残る一日・・・三連休の最初の日。のどかと乱馬と三人で出かけ、そのまま乱馬と二人でお台場に遊びに行ったらしい。そこでどんな時間を過ごしたのか・・・

『テレビ局のゲームに出て賞品もらって食事して帰ってきただけだ』

 素っ気無い乱馬の言葉は、あかねの落ち着かない思いを増幅させただけだった。それでは理由のつかない、乱馬のあの視線・・・まるで片思いの相手に向けているような目。そしてあかねと目が合うとふいっとそらしてしまう。

 やっぱり何かがあったんだ。

 胸苦しいまでの確信。それが何か・・・乱馬には答える気はなく、あかねも聞けなかった。知ったら多分苦しむことになる。自分の取った行動がわかったところで、その時の気持ちは再現しようがない・・・記憶が戻らない限り。
 今の乱馬の気持ちには応えられない・・・あかねは向けられる熱い思いから目をそむける。乱馬もそれがわかってるからこそ、自分に対して距離を取るのかもしれない。あふれる思いを抑えながら。


 ざわざわと教室の中がざわめく。
「早乙女くん、遅すぎ!」
 ひな子の呆れたようなホッとしたような声。振り返るとやれやれと頭を掻いている乱馬の姿があった。
「なあに、早乙女くん・・・びしょ濡れじゃない。」
「まあ、その、色々あって。」
「訳は後で聞きます。とにかく席について。」
「へーへー」
 あかねの隣に座る乱馬。ちらと目をやったあかねはあれ、と小首を傾げた。その耳たぶに貼られている絆創膏。半乾きの髪が当たっているためか、あまりぴったりと貼りついていない。やけにもこっとした膨らみがあり、出来た隙間からちらちらと見える皮膚じゃない色合い。

 まさか・・・

 あかねはあわてて目をそらした。

 いくら何でも・・・それにあんな隠し方をするくらいなら外せば済むはず。

 気を静めてひな子の語る注意事項・・・秋の進路指導について耳を傾けようとする。それでも妖しい予感が募ってくるのを止められなかった。



 to be continued...

 by いなばRANAW




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