◆さざなみの恋唄
いなばRANAさま作


ざざあっ
ごううっ

 夜の海がこれほど怖いものだとは知らなかった。今さら後悔しても遅い。つまらないヤキモチの代償・・・


「もう知らないっ!!右京やシャンプーと一緒に行けばいいでしょっ」
「あのなっ、俺は好き好んで・・・ったくかわいげのねーヤキモチを・・」
「乱馬なんて大っ嫌い!!!散歩なら一人で行ったほうがず〜〜っとましよ!」
「勝手にしろっ」

 二人で夕暮れの海岸を散歩。それとない約束を見事に阻まれ、私の苛立ちは頂点に達してしまった。


 せっかくの家族旅行は水入りの連続。どこから聞きつけたのか右京にシャンプー、小太刀、ムース、九能先輩まで・・・Pちゃんと会えたのは嬉しかったけど。そしていつもの大騒ぎ。それでも昼間のうちはましだった。私はなびきお姉ちゃんと泳ぐ練習に懸命だったし、乱馬はとっとと遠泳に行ってしまった。右京達はそれぞれの商売に忙しい様子。
 午後になって乱馬が練習の相手を引き受けてくれた。私の金づちぶりは皆よく知っているので、誰も邪魔しには来なかった。遠くから笑って見ていたのかもしれないけれど。

「がーぼがぼがぼっ」「だから息継ぎは顔を上げてやれって・・・」
 二人だけの時間、というには余りにも愛想がない。乱馬も女に変身してしまっているし。それでも根気良く泳ぎを教えてくれるのはやはり、嬉しい。相変わらず泳げるようにはなれなかったけど。
「ほら、もう少し頑張れよ。海の水は浮きやすいんだぜ。練習するにはもってこいじゃないか。」
 さすがに苦手な水泳でへばってきた私に、呆れ半分でも励ましてくれる乱馬。
「まだ、まだ・・・でもちょっと、一息、はああ〜〜」
 立てば腰までの浅さしかない。荒い息を整えていると、乱馬はあさっての方向を見ながら、何気ない様子で口を開いた。
「泳げるようになるとおっもしろいぜー。俺、さっきあっちの岩場の向こうまで行ってみたんだけどさー」
「あっちって・・・遊泳禁止じゃない。」
「俺くらい泳げりゃ問題ねーよ・・で、岩場をぐるっと回ったところに入り江があってさ、これが絵に描いたような穴場。きれいだし、誰もいねーし。」
「そう、良かったわねー」何も泳げることをこんな形で自慢しなくても・・・
「・・・歩いてだって行けるぜ。」
「?」意味を取りかねていると・・・
「あのな・・・だから後で連れてってやるって言ってんだよ。お前、鈍過ぎだぜ、ったく。」
「本当?」胸の中にわっと甘ずっぱさが広がる。乱馬はぷいっと横を向く。照れ隠しのように。
「海に来て溺れてるだけじゃつまんねーだろ。夕飯前のいい運動さ。」
 そっか・・・少しは私のこと、考えてくれてるんだ。
「さ、続きだ。気合入れて行くぞ。」「うん」
 そこへ・・・
「乱馬ーっ」「乱ちゃーん」「天道あかねーっ」「ビーチバレーやりましょーっ」
 またしても水入り。ま、いいか。かなり寛大な気分だった、その時は。

 考えてみれば、夕方二人っきりで海辺を散歩するなんて、誰でも考えるようなパターン。だから身支度して宿を出た途端、九能先輩にすり寄られるやら、お父さん達が付いてくるやら・・・追い払うのに苦労した私は、既にかなり頭に血が上っていた。
 やっと浜に出てみれば・・・

「乱馬は私とデートするね。引っ込むよろし!」
「邪魔せんとき!乱ちゃんはウチの許婚や、ウチとデートするのが筋っつーもんや。」
「ほーっほっほっ、乱馬さまにふさわしいのは私に決まっておりますわ、ね、乱・馬・さま」
 そこに繰り広げられていたのは、相変わらずの光景。いつもの3人にまとわり付かれて閉口する乱馬。嫌なら嫌ってはっきり言ったほうがお互いのためなのに、どうしてこう優柔不断なんだか。
 普段は呆れる方が先立ってそれほど腹も立たないのだが、今度ばかりは怒りが抑えられなかった。気づいた時には乱馬に思いっきり平手打ち。いつになく棘だらけの言葉のぶつけ合いの挙句、私はその場を立ち去った。堂々と・・・惨めな自己嫌悪でいっぱいになって。

 気が付くと、私の足は例の岩場に向かっていた。後ろからPちゃんの声が聞こえていたが、いつの間にかはぐれてしまったみたい。海は夕日に染まって金色に輝いていたが、目には入っても、心には届かなかった。本当なら二人で歩いていたはずなのに・・・他愛もない話と口には出さない確かな想い・・・乱馬と共有できたはずの時間が失われてしまったことを、私はひたすら思い悩んでいた。
 岩場はお世辞にも歩き易いとは言えなかった。波に濡れた岩は滑り易い。転んだらかなり痛い目に遭うだろう。さすがに私は気持ちを集中して歩いた。万一海に転がり落ちたら・・・その先は考えたくない。
 乱馬が言っていた入り江は・・・見つからない。今さらそこに行っても仕方が無いのに。でも見つからなければ見つからないで、いっそう虚しさが募ってくる。乱馬のバカ・・・私のバカ・・・

「もう、いい加減帰ろう。」
 半ば自分を励ますように言い放つと、私は帰ろうとした。日も沈みかけ、あたりは金色から茜色・・私の名と同じ、ちょっと暗めの赤・・に変わりつつあった。暗くなってはまずい。そうでなくても危険な足場なのだ。何歩か進んだ時、私は恐ろしいことに気が付いた。どれくらいの時間、岩場にいたかはわからないが、取り返しがつかなくなるには十分だった。行きは普通に歩いて来れた岩が、今はすっかり沈んでいた・・・波の下に。
「潮が・・・どうしよう・・・」
 不覚だった。潮は満ち始めると早い。みるみるうちに岩が水中に没していく。ぐずぐずしている暇はない。濡れるのは嫌だけど、こんな所に取り残されたら・・・今のうちならまだ戻れるかもしれない。波間に残るわずかな足場に狙いをつける。
「やあっ」
 気合でジャンプ。辛うじて狙ったポイントに着地。すぐさま次のポイントへ飛び移る。どこも波に洗われて滑り易い。転倒したら・・・最後だろう、文字通りに。あたりは薄暗くなって狙いを絞りづらくなってきた。急がないと・・・次の目標はかなり広めの岩棚だ。あそこに行き着けたらかなり楽になる。
「よおし・・はあっ」
 気持ちのどこかに緩みが出来ていたのかもしれない。踏み切った足が横に取られ、バランスを完全に崩した私はそのまま海へ・・・

「がぼっがぼっ」
 私は夢中でもがいた。こんな所で・・・死にたくない・・!・・乱馬と喧嘩したままで・・・そんなの・・絶対に・・
「いやーっ」
 足が岩に着く。何とか体を起こしてみると・・・水は腰の辺りまでしかなかった。そして目の前に飛び移ろうとした岩棚が・・・助かった・・・私は何とか岩棚によじ登った。人心地ついて体の状態をチェックする。手と膝にかなりの擦り傷と切り傷・・・夢中で気がつかなかったが、かなりざっくりと切れている。フジツボで切ったのだろうか・・・一番ひどい右手にハンカチを巻きつける。気休め程度にしかならないけれど・・・だらだら流れる血をそのままにしておくよりはましだから。立ち上がろうとした時、私は今度こそ思い知らされた・・・今日が厄日であることを。
「い、痛いっ」
 転んだ時、足首を捻ってしまっていた。もう、立つこともままならない。太陽が完全に沈み、わずかな残照も消えようとしていた。

 星が瞬きだす。不幸中の幸いだったのは、今いる岩の上までは波が当分上がって来そうに無いこと。もしかしたら満潮になっても沈まないかもしれない。でも・・・月も無い、暗い夜の海に一人・・・波の音が恐ろしい轟音のように響く。びしょ濡れの体に、夜気が冷たい。傷の痛みも相まってがたがた体が震えだす。
 みんなきっと、心配してるだろうな・・・だけど、こんな所、誰が探しに来てくれるだろう・・・でも最悪、朝まで持ちこたえれば、きっと見つけてもらえる。朝まで・・・この暗闇の中で一人・・・急に心細さが募ってくる。波のごうごうとうなる音が耳元に聞こえる。今にも海の中へ引きずり込まれるような恐怖感が、私を打ちのめす。
「う、うう・・・」我慢していた涙が、ついに堰を切って溢れ出す。もう止められない。私は泣きじゃくる。
「ぅ・・・・・・らぁんま・・・ぁ」
 返ってくるのは勢いを増す潮騒ばかり。どどどどど・・・私の希望も波に飲み込まれていく。

 後で知った話だが、この頃、姿の見えなくなった私を探して、皆大騒ぎだったらしい。早速、捜索隊が作られたが、メンバー分け(要は誰が乱馬と組むかということ)でもめてる間に、乱馬は一人で姿をくらましていた。

 やっと涙が一段落してくれる。暗闇に目が慣れ始め、私はそろそろと辺りを見回す。満天の星。白く輝く天の川。一筋の流れ星が尾を引く。願えたのはたった一度。でも、回数に百倍する思い。・・・お願い、会わせて・・・乱馬に・・・
 星空をバックに、波間に浮かぶ岩場が、海に点々と連なっているのが見える。何だか、海と空の接点が明るいような、不思議な白さ。もしかしたら・・・月の出?私の胸に希望の光がともる。月が出れば、自力では帰れなくても、誰かに見つけてもらえる可能性が高くなる。
 私はじっと目を凝らす。空の白さがどんどん強くなってくる。間違いない、月白だ。もう月の出はすぐそこ。確か一昨日は満月だったから、かなり明るいだろう。怪我の痛みも忘れて、私は東の空に見入る。

 水平線に、冴えた銀青色の輝きが差し初める。待ち焦がれた月。その輝きは海面を滑るように走り、行く手に立ち騒ぐさざなみを月色に染め上げながら、真っ直ぐに岸辺・・・こちらに向かってくる。まるで月へのプロムナード。
「きれい・・・」
 先ほどまで泣きべそをかいていたのが嘘のように、私の気持ちも晴れ晴れとする。あれほど恐ろしかった波が、幻想的な風景の一部にしか感じられなくなる。随分と現金な話だけれど。
 月が昇るにつれて、海の輝きもひとしおになってくる。あまりの美しさに思わず腰を浮かしかけるが、その行動は否応無く、私に現実を思い知らせた。捻った足が、容赦無く痛んだのだ。そう、私は身動きが取れない状態。あの目も彩な月華の道を通って、大好きな人たちに会いに行くことなど出来ない・・・再び目に涙がにじむ。
 涙でぼやける視界・・・相変わらず、切ないくらいに月映えの海はきれい。波間の月色の道が、ゆらゆらと私を差し招く。行けやしないのに・・・・・・誰かが光の道を走ってくる。美しすぎる幻・・・

「・・・かねーっっ」
 聞き覚えのある女の子の声。この声は・・・現実のもの。じゃ、あれは・・・

 はっとして顔を上げた私の目に映ったのは、波間の岩を軽やかに飛び繋いでくる乱馬の姿だった。

「あかねっ、だいじょーぶかっ」
 月を背に乱馬が私の前にふわっと降り立つ。本当に月から迎えに来てくれたよう。でも、その目は真剣そのもの。一生懸命、私を探して、見つけ出してくれたんだ・・・もう涙が抑えられなかった。
「お、おいっ、あかね・・・」
 いきなりしがみついてわっと泣き出した私に、乱馬は困惑したようだけど、憎まれ口は叩こうとせず、かわりに背中をトントンと優しく叩いてくれた。やれやれと言わんばかりに。

「あかね・・・お前、怪我してるじゃないか!」
 乱馬のはっとした顔。手の出血に気がついたらしい。私は痛みなんか忘れていたけれど。手を取って月明かりで傷の具合を調べていた乱馬は、ちょっと難しい顔をすると、背負っていた小さなバックパックを降ろした。
「怪我してどれくらい経つ?」
「よくわからないけど、2時間、は経っていないと思う・・・」
「そんなにほっといたのか!・・・血止めくらいちゃんとしとけよ。」
「しようとしたけど、両手切っちゃって、うまく出来なかったの・・・」
「両手?こっちもか・・・とにかく止血しとく。後はもっと安全な場所に行ってからだ。」
 乾いた布で手早く止血をしてくれる乱馬。それが終わると、ナイロン製のパーカーを取り出し、私に着せ掛けてくれた。
「これで少しはマシだろう。さ、行くぜ。おんぶしてやるよ。」
「え?・・・どうして足、痛めてるって・・・」
「わかるさ、いくら鈍くさいお前でも、こんなところから動けないってことは・・・足、挫くか何かしたろ」
「う、うん」当たりだ。こういう時の乱馬の鋭さには目を見張る。
「とにかくおぶってってやる。ここもじきに波に洗われちまうからな。」
 私は素直に背中におぶさる。暖かい。自分の体がどれだけ冷えているか、痛いほどわかる。
「お前、すっかり冷えちまってるな・・・急ぐぜ、しっかりつかまってろ。」

 バックパックをつかむと、乱馬は岩場を器用に伝っていく。ものの5分と経たないうちに岩場を抜け、小さな浜に着く。
「ここまで来れば安心だ。さ、怪我したところ、見せな。」
 驚いたことに、応急処置に必要なものは、ほとんど揃っていた。水筒まであるのだ。止血が出来ていることを確認すると、水筒の水で傷口を洗って、改めてきれいな白布で巻いてくれた。両手、膝、気づいてなかったけど、肘にも傷。
「よーし、これでひとまずOKだ。捻挫は宿に帰ってからだな。ちょっと腫れてっけど、折れてはいないようだし。」
「あ、ありがとう・・・」
「ま、いいさ。これに懲りたらもう一人でふらふら出歩くなよ。」
「だ、誰のせいで一人になっちゃったと思うのよっ」何だか悔しさがこみ上げてくる。
「その元気があればだいじょーぶだな。・・・ヤキモチはもう止せよ、ここ、来る予定だった入り江さ。」
「え?ここが・・・」
「まーな、ちょっと遅くなったけど、月明かりでも、きれいなとこだろ?」
 静かに寄せる波が、月の光にきらめく。二人っきりがちょうどいいくらいのこじんまりとした浜。
「・・・うん、いいところだね。」
 乱馬はもう一つ小さな水筒を取り出すと、今度は自分にかける、中身はお湯だ。みるみる男に戻る。
「さ、帰るか。もう一度おぶってやるよ。」

 今度は浜伝いに砂浜を歩いていく。さっきとは違って広い背中。でも、暖かさは一緒。冷え切った体も、傷の痛みも、そして夜の海への恐怖も、全てが影を潜める。

ざああっ
ざあっ
 あれほど恐ろしく聞こえたさざなみが、まるで歌のよう。月映えの海の恋唄。ううん、子守唄かな・・・何だか頭がぼーっとする。

「あかね、もう少しだ、頑張れ」「・・・ん」
「あかね、一人にして悪かった。ちゃんと側にいてやるよ。だから返事してくれ、あかね」「・・・」
「あかね、あかね、もう絶対に一人にしないから・・・」
「あかね、お前にもしものことがあったら俺・・・」
「あかね?・・・」

 乱馬の声が波の音に重なる。何を言っているのか、もう、わからないけど・・・とても優しい響き・・・

 私の記憶はここで途切れた。


 目が醒めた時、私は宿の一室で寝かされていた。かすみお姉ちゃんが、ほっとした顔で私に微笑みかける。
「あかねちゃん、良かった・・・気分、どう?」
「お姉ちゃん・・・私・・・」
「覚えてる?乱馬くんが連れ帰ってくれたのよ。」
「うん・・・」月明かりと潮騒と背中のぬくもり・・・夢の余韻のよう・・・
「もう帰られたけど、お医者さまにちゃんと診ていただいたから、大丈夫よ。今日明日いっぱいはゆっくり休んでいなさいね。せっかくの旅行に残念でしょうけど。」
「しょうがないよ、私が悪いんだもん・・・」
 私の右腕には点滴がされていた。意外と出血が多かったのだろうか。
「それでね、お医者さまが感心していたのよ、応急処置。乱馬くんがやってくれたの?」
「そう・・・だよ」私の問いたげな目に、かすみお姉ちゃんは微笑みながら答えてくれた。
「乱馬くんなら今、ご飯を食べに行ってるわ。さっきまで付いててくれたのよ。あかねもお腹空いたでしょう?」
「うん、少し・・・お父さんたちは?」
「あまり枕元で騒ぐからお医者さまに怒られちゃって・・・向こうにいるけど、今夜は面会禁止よ。なびきは今、お風呂。でも、あかねは今日は我慢してね。あとで体拭いてあげるから。」
 そこへちょうどなびきお姉ちゃんが入ってきた。
「あら、気が付いたの、あかね・・・もう、大騒ぎだったんだからね。」
「ごめんね、心配かけて・・・」
「ううん、そーじゃなくて、あかねが戻ってきた時の話。」
「なびき、ちょっとお願いね。あかねの分の食事、もらってくるから。」
「いいわよ」

 かすみお姉ちゃんが出て行くと、なびきお姉ちゃんはいたずらっぽく微笑んで話を続ける。
「あんたを背負って帰って来た時の乱馬くんの顔、見せたかったわねぇ」
「・・・」
「右往左往しているお父さんたちに向かって『早く医者を呼んできてくれ!』って一喝するわ、気を失っているあんたに抱きつこうとした九能ちゃんを蹴り飛ばして、小太刀に『バカ兄貴を連れて帰れ!』ってびしっと言って聞かせるわで凄かったのなんの。」
 迫真の演技で再現するお姉ちゃん。
「結局右京もシャンプーも小太刀も大人しく引き上げて行っちゃったのよ、信じられる?はっきりする時はするのねえ・・・あんた、気絶してて本当に残念だったわね。あの様子見たらきっと・・・惚れ直しちゃうわよ。」
「お、お姉ちゃん、どうせまたからかってるんでしょ」
「さあ、ね。本人に聞いてみれば?」

がらっ
 何というタイミング・・・入ってきたのは乱馬だった。

「ほら、食事持ってきてやったぞ。」
「さんきゅ、乱馬くん。あ、ついでだからあかねに食べさせてあげてよ。両手怪我してるんだから。」
「ば、バカ言え!」「い、いいわよ」
「・・・」「・・・」
「・・・全くあんたたちって・・・」
 笑い転げるお姉ちゃん。乱馬の顔が赤い。きっと私の顔も・・・
「俺、もう行くからな。」
 むっとした表情で、乱馬はとっとと出て行く。照れ隠し、かな・・・

何とか食事を済ませて薬を飲む。やっぱりまだ体がだるい。かすみお姉ちゃんが戻ってきて三人で他愛ない話をしていたけど、だんだんしゃべるのが億劫になってきた。
「あかね、眠そうね。もう眠りなさい。」
「うん、かすみお姉ちゃん・・・」
「かすみお姉ちゃん、お風呂まだでしょ。ここ、あたしがいるから入っておいでよ。」
「そうね。お願いしようかしら。」
「あと、何か読むものお願いできる?」
「はいはい」
「さ、あかねは眠った、眠った・・・」
 なびきお姉ちゃんが電気を予備灯だけにして、枕もとのスタンドのスイッチを入れる。部屋が薄暗くなる。私が眠るからと気を使ってくれたようだけど。あまり暗いのは好きじゃない、特に今は。
 目をつぶるが、何だかまぶたの裏で暗い波のうねりが寄せてくるようで、眠れない。まだ目を開けているほうがマシ。
「あかね、いーから眠りなさいよ」「う、うん・・・」
 まさか暗いのがいやとは言えないし・・・体が睡眠を欲しているのに、気持ちが乱れてどうしても眠れない。

がらっ
「なびき、こんなんでいーのか?」
「あ、さんきゅー、乱馬くん・・・ちょっと替わってくれる?トイレ、行きたいんだけど。」
「構わねーけど」「じゃ、お願いね。」
 なびきお姉ちゃんは部屋を出る時、ウィンクをしてみせた。また何か企んでいるのかな・・・
「どーだ、具合は?」
「う、うん、だいぶ楽になったよ。」
「眠ったほうがいーんだけどな。まだ眠くないのか?」
「ちょっと眠いけど、何だか神経が休まらなくて・・・」
「・・・怖かったか、夜の海は?」わかるの?・・・暗い海の記憶に、私がまだ怯えていることを。
「・・・実は、とっても」「え゛」
 あっさり認めたので、ちょっと乱馬は驚いた様子。きっと笑われちゃうな、と思ったんだけど・・・

「そっか・・・そんなに怖い思い、したのか。・・・もっと早く見つけてやれば良かったな。」
 思いもかけぬ返事。ううん、言葉だけじゃない。声も、私に向ける眼差しも、優しくて、私の心を暖めてくれる。
「いいよ、だって自業自得だし、それに・・・乱馬だって気味、悪かったでしょ。真っ暗な海・・・」
「確かに気持ちいいもんじゃないけど、びびる程のもんではないな。」
「本当かなあ」強気で自信家の乱馬。怖いなんて絶っ対に認めないだろうな。
「お前なあ・・・海は化け物じゃないんだぞ。油断してるとやられちまう恐さ、は確かにあるけどな。でも知ってれば避けられる危険もある。怖がる前に相手を良く知ることが肝心なんだ。」
 ちょっと驚く。武道家としての洞察力はすごい、と思っていたけど、格闘以外でもこれだけしっかりした考えを持ってるなんて・・・年端もいかない頃から各地を修行して回っていた乱馬。きっと私には及びもつかないほど、いろいろ見聞きして、たくさんの経験を積んできたんだろうな・・・
「さすがに月が出るまでは岩場に行けなくて・・・懐中電灯は持ってきてたけど、ぎりぎりまで使いたくなかったんだ。夜目が利かなくなるからな。海に落ちてさえいなければ、お前なら持ちこたえる、って思っていたけど、最後のほうは潮との競争だったな。・・・こんな話、聞きたくないか・・・思い出させてしまうし。」
「ううん、そんなことないよ。私、何にも知らなかったから、危ない目にもあったし、怖かったし・・・だから、教えて、乱馬が知っていること。聞いてみたい。」
「あ、ああ・・・お前がそう言うんなら・・・」

 話しているうちに、無意識に伸ばした手。点滴はさっき外してもらって肘の内側に絆創膏が貼ってある。手首から先は包帯でぐるぐる巻き状態。ほんと、色気もそっけもない。
 つと乱馬が手を伸ばして私の手を取る。思わず手がびくっとして、心臓の鼓動も早くなってしまう。
「手首、切らなくて本当に良かったぜ。かなり血を失ってたんだぞ、お前。途中で気絶するし・・・気が気じゃなかったんだからな。」
 心配してくれたんだ。私を助けようと一生懸命になってくれてたんだ。なびきお姉ちゃんの話、きっと本当のことだね・・・
「あ、こら泣くなって!せっかく点滴したのに出してどーする。」
「だって・・・ううん、それよりさっきの続きは?」
「え?ああ、いーけど、そだな、何が聞きたい?」
「じゃあね・・・月、の話がいいな・・・」
「月か・・・今夜は十七夜の月だから、結構明るかったんだ。出る時間もそんなに遅くはないし。立待月っていうんだってさ。日が沈んで立って待ってるうちに昇ってくるから・・・」

 私の手を取ったまま、乱馬は静かに話し出す。月のこと、風のこと、海のこと・・・優しく響く声。手から伝わるぬくもり。私の中の暗くうねる海が、次第に月明かりにきらめく波でいっぱいになる・・・

 夢の中でたどる月へのプロムナード。私の手を取って導いてくれる背の高いシルエット・・・ちょっと天邪鬼だけど、優しく頼もしい、私の・・・最愛の・・・人・・・

 the end of the story

 written by "いなばRANA"




作者さまより

拙筆者あとがき
 実は私的駄作品「春宵」の中で何気に書いた一文が枝プロットと化し、出来たお話です。だからこれは高2の二人のお話にしようと思ってたのですが・・・いつの間にかシリーズが増設されてた(仰天)ので、これはそちら行き、にします(謎)だから二人は高3です(ぉ)

 あかねちゃんの遭難譚、超ありがち話ですが、ぎりぎりまでがんばろうとするあかねちゃんと、意地も優柔不断もすっ飛ばしてあかねちゃんを守ろうとする乱馬くん・・・書いてて大満足です(出来にではないです)読まれる方は・・・災難ですねえ(^^;
 あかねちゃんは乱馬くんを当てにし過ぎる、って言われることがありますが、それは結果論という気がします。後先考えないで行動に移るきらいはありますが(苦笑)で、乱馬くんの保護欲(?)はめちゃめちゃ強いですし。「ほっといてよ」って言われても引き下がりませんからね(笑)二人とも面倒見、いいほうだし、かみ合えば最高なんでしょうが・・・そーは問屋が(笑)

 拙筆でも何だか臨場感があるのは(<本当か)多少私的経験、もとい失敗談が入ってるためです(<またかい)いや、ざっくり切れるんですよ、フジツボって・・・塩水はしみるし、血は止まんないし。思い出しても痛い痛い・・・(ぉ)
 夜の海は怖いものです。蟹を捕まえに行ったことがありますが、真っ暗で波の音がどどーんと・・・10分持ちませんでした、子供の頃の話ですが。一人で取り残されたら、怖いなんてものではないでしょうね。ナイトダイビングなんて・・・よく出来る人がいるもんです。

 ところで後半書いている間に、コンタクトを片方、馬鹿みたいなことで失くしてしまい、涙が止まらなかったのですが・・・はっと気がつくと、乱馬くんが・・・癒し系してる(爆)ここまではプロットに無かったのに・・・私も乱馬くんから風や星の話、聞いてみたいなあ・・・


 無理矢理シリーズ化・・・大成功。
 素敵な話ですね。乱馬くんの優しさが月明かりと共に差し込んでくるようで。
 これから少しずつ蒼い時を成長してゆく、RANAさんの描く乱馬くん、が楽しみなのは、私だけではないでしょう。
(一之瀬けいこ)

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