◇5月の3日間   the last Day   Epilogue
いなばRANAさま作


「う・・・」

 最初に視界に入ったのは一面の白。自分はまだ気の世界を彷徨っているのだろうか・・・

「乱馬?・・・乱馬!」
 視界に人影が入る。よく知っている女性・・・
「おふくろ?」
「ああ、良かったわ・・・ちょっと待ってなさいね、今東風先生をお呼びしてくるから。」
「ちょ・・・おふくろ、それより・・・」
「大丈夫よ、あかねちゃんも、シャンプーちゃんも。もう心配することはないの、だから大人しくしていなさい。」
「・・・そっか」

 ほっと安堵の息をつく。首を少し動かすと、左手に点滴がされているのが見える。その腕の様子からすると、どうやら今は男に戻っているらしい。
 恐らく気をひどく消耗したのだろう、体に力が入らない。だが、あの恐ろしい尸気は跡形もなく消え去っているのはわかった。

「何とか・・・成功したらしいな。結局自分の力じゃなくて、あかねに助けてもらったようなもんだけど・・・」

 動けるようになったら、何よりまずあかねに会いたい。会ったら今度こそ自分の気持ちをはっきり伝えて、周囲にも認めさせる。もう二度とこんなことにならないように・・・右京にも小太刀にも、そして良牙にも。


「乱馬くん、気がついたんだって。」
 東風が静かに部屋に入ってきた。その後にのどかが微笑みながら続く。
「先生・・・本当にお世話になりました・・・」
「いいんだよ。本当に頑張ったね、乱馬くん。もうあかねちゃんもシャンプーちゃんも眼を覚ましたからね。」
「そうですか・・・良かった。」
「君が実は一番キツいことをやったんだよ。コロンさんによれば破尸気は、対抗する尸気以上に気を高めないと成功しないそうだから。」
「そんなこと・・・あかねがいなければ・・・俺一人ではとても出来なかった。」
「ともかく君はしばらく絶対安静だよ。お母さん以外の方は失礼だけど遠慮してもらってるんだ。ああ、勿論あかねちゃんは別だけどね。」
「先生、今は何時ですか?」
「もうじき2時だよ。君はかれこれ半日眠ってたんだ。・・・じゃちょっと診察させてね。」
「私はあかねちゃんのところに行ってきますわ。乱馬が目を覚ましたことを伝えないと。」
 のどかはにこやかに部屋を出ていった。
「今日はもう一晩ここに泊まっていってね。あかねちゃんもその予定だし。これはどちらかというと、君たちにゆっくり休養を取って欲しいからなんだ。シャンプーちゃんはさっきコロンさんたちに連れられて帰ったけどね。」
「すいません、先生。・・・俺、もう二度とこんなことは起こしません。起こさないようにします。」
「そう・・・」
 東風は脈を計りながら静かな目を向ける。少年の決意を見て取るかのように。
「君がそう言うなら、言っておいたほうがいいのだろうね。」
「何ですか?まさか・・・」
「そんな深刻なことではないのだけれどね。あかねちゃん、多分ショック性のもので時間が経てば直ると思うんだけど・・・」
 乱馬は息を呑んで続きの言葉に備えた。
「記憶を少々失ってるんだ・・・ここ数日くらいのね。当然シャンプーちゃんとのことも覚えていない。ただの手合わせで頭を打った・・・そういうことにしているんだ、今はね。」
「ここ数日・・・」
「だから君の口からその辺りのことを言われると・・・心配なんだ、ショックの上塗りになりそうで。知り合いに専門の医師がいるから後で紹介するけど、今は僕の独断であかねちゃんに対して昨日のことを言うのは止めさせてもらうからね。」
「わか・・りました。」
「乱馬くん?・・・真っ青じゃないか、大丈夫かい?ああ、そんなに心配しないで。記憶以外は何の問題も無いし・・・」
 東風はそこで言葉を切った。思慮深げに血の気の引いた乱馬の顔を見る。


 少年の目に狂おしいかぎろいが浮かぶ。失われた時間、失われた言葉、失われた思い・・・

 潮風の中の少女。見上げる瞳に星を浮かべ、薔薇色の頬に光が伝う。

 お互いの心を素直に開き合って初めてつかんだ確かな絆。

『あたし・・・今日のこと、絶対に忘れない。』


 失われた微笑み



「俺は・・・大丈夫です。下手なことは言いません。」
 やっとのことで乱馬は言葉を搾り出した。
「聞いてくれるかな?気休めではないけど、人の記憶はそう簡単に消えるものではないよ。忘れたとか記憶にない、と思っていても何かのきっかけで思い出されることもある。パソコンのデータとは違うんだ。あかねちゃんの記憶もきっと戻るよ、だからそれまであかねちゃんを支えてあげようね。」
「はい・・・」
 東風の穏やかな取り成しに、乱馬は自動人形のように頷いた。


「おふくろ」
「何かしら、乱馬?」
 のどかはりんごをむく手を止めた。東風と交代で乱馬とあかねに付き添ってくれている。朝方、まだ二人が眠り続けている時に来た早雲たちの大騒ぎに閉口した東風は、のどか以外の付き添いを認めなかった。
「あかねに会わせてくれ。」
「それは構わないけど・・・あかねちゃん、さっき見たら眠っていたわ。」
「いいんだ。」
 のどかはそれ以上何も聞かず、乱馬が立ち上がるのを手伝った。


「ちょっと電話をかけてきますからね。」
「ああ」
 あかねの病室に乱馬を残すと、のどかは階下に降りていった。

 静かな病室に、穏やかな寝息だけが微かに聞こえる。蒼白だった頬には柔らかな赤味。楽しい夢を見ているかのような微笑むような寝顔。それを見詰める乱馬は複雑な思いにとらわれる。

 覚えてない方がいいのかもしれない・・・黒く冷たい闇の気のことなど。
 忘れたこともわからなければ、何の痛みも感じないだろう・・・きっと。

 でもあかねを傷つけてしまったのは事実。いくら本人が自覚しない傷でも。
 その災難を招き寄せてしまったのは他ならぬ自分。あかねを何よりも大切なものだと思っていたはずなのに。

「あかね・・・俺はずっとお前の傍にいるよ。例えお前が笑顔一つ向けてくれなくても、傍でお前を守り続ける。ずっと・・・お前の心を徒に揺さぶるような真似はしない、お前を置いて修行に行くことも・・・」

 それが危うくあかねの未来を閉ざしかけた自分が出来る償い。記憶を取り戻し、完全に癒される日までの・・・

 そっと布団から出ている手に、自分の手を重ねる。血の通った確かな温もりが伝わってくる。


「乱馬、そろそろ自分の部屋に戻って休まないと・・・」
 戻ってきたのどかが優しく声をかけるが、思い詰めた乱馬の面持ちを垣間見て、はっと口をつぐんた。
「俺は大丈夫だ。」
「・・・いいえ、乱馬。お前の戦いはまだ終わってないのですよ。休める時には休んで、早く力を取り戻しなさい。」
「おふくろ・・・」
 思わずのどかの方に乱馬は向き直る。
「心が受けた傷を癒せるのは心だけ・・・自分の心を鍛えなさい。わかるわね、乱馬・・・望みを持ち続けなさい。きっとあかねちゃんの心も応えてくれますよ。」

 乱馬は静かに立ち上がる。新たな戦いは既に始まっていた。




 数日後・・・


「着いたぞ、シャンプー」

 国際フェリーのタラップから降り立つ三人。やや青白い顔の少女は桟橋に足を着いた途端、ふらつきかけた。
「大丈夫か?」
 少女の体を危なげなく支えたのは傍らにいる少年。
「コンタクトレンズ、調子良さそうじゃの、ムース。」
「おかげでシャンプーの綺麗な顔が良く見えるだ。」
 からりと晴れた空のように、ムースはさばさばした笑顔でコロンに応じた。

「さあ、今度は列車の旅じゃ。」
 かつんかつんと杖をついて歩いていくコロンの後を、シャンプーとムースはゆっくりと続く。
「明日には村に着くな。」
「そうだな。」
 考えに沈むシャンプーの肩に、温かい感触。ムースがそっと手を置いてうなづく。

 おらは何があってもお前の味方だ、たとえ世界を敵に回そうと・・・

 言葉以上の決意が気を通して確かに伝わる。

「ムース・・・私は負けない。」

 挑戦的とも見える光を目に閃かせ、シャンプーは手をムースに差し伸べた。その手をムースはしっかりと受けると、二人は故郷への道を踏み出した。



 end of the story "the three Days in May"

 written by "いなばRANA"




作者さまより

 やっと怒涛の三日間が終わりました。お付き合い下された方々に心からの感謝を。5月の話が8月に完結となったのはひとえに私的怠慢の為せる技です(大汗)
 しかし「いぢわる」ですね・・・最後の最後にZAP(古い?)というかトラップカード発動(違)させてしまいました。
 でも傷つく時があればまた癒しの時もあるというわけで、それがどういう形を取るかはまだこれからゆっくり練っていこうかなと考えています。あるいはお○○○ー○リターンマッチ(謎)になるかもしれないし、別の形になるかもしれませんが。
 で、次のエピソードは(やっと夏突入)鬱屈どころかかなり元気に乱あが動き回るような(というか主に乱馬くんが)話になります☆ 知る人ぞ知る○○○騒動です(笑)でも夏のうちには終わらない(始まらない??)かも・・・

 シャンプー&ムースは一つの決着と新たなスタートを切りました。それからの彼らのことを独立した話としては取り上げる予定はありませんが、辛い帰郷となるシャンプーに対して、今度こそムースは真価を発揮してくれると信じます。

 このシリーズのコンセプトから「希望」が無くなることはありませんので。


 いやはや、大作でした。
 たった三日、されど宝玉のような三日間。
 こんな後日譚が、原作の後に本当にあったのかもしれませんね。
(一之瀬けいこ)

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