◇5月の3日間   the first Day   Part 3
いなばRANAさま作


 青空がその大半を澄んだ橙色に模様変えする。海沿いの道は寄り添う二人連れの姿が増え、恋人たちだけの空間と化していく。

「予約したのは6時。場所はここから近いし、散歩しながらゆっくり行きましょう。」
 缶ジュースを片手に、連れに微笑みかける美しい少女。その大きく澄んだ瞳は夕日の金色の光をはじいて輝く。
「そうするか。・・・はーっ、腹減ったなー」
「いいじゃない、空腹は最高の調味料だよ。」
「へーへー・・・それで何て名前で予約したんだ?」
「勿論、大介とゆか。」
「お前・・・まーだ続けんのかよ。」
「あら、今日一日って約束でしょ、大介くん」
 やれやれと乱馬は肩を竦める。あかねの言い出した別人なりきりゲーム。乱馬にとっては他愛無いものだが、あかねには面白くて仕方がないらしい。


 小一時間後、二人は海沿いに立つ白いビル群の前に来た。海に向かってウィング状に広がる建物。少しデッキのように張り出しているのは綺麗に整備された庭園。TVや雑誌でよく紹介されるシティリゾートホテルである。
「ここが日空ホテルか。すっげーでっかいなー」
「ここの展望レストランだって。豪華な景品よね。」
「をーし、行くとするか。」
「あ、待って。ちょっとそれじゃカジュアル過ぎるかも。」
 あかねはそう言って手早く乱馬の服装を直す。ものがいいだけあって、きちっと着るとフォーマルな雰囲気になる。
「これで良しと。ドレスコード、うるさそうだから。」
「何だ、そりゃ?」
「あんまりくだけた格好だと入れてもらえないこともあるのよ。」
「ちぇ、面倒だなー。だいたい俺、テーブルマナーなんて知らねーぜ。」
「教えてあげるわよ。今のうちに覚えておけばこの先役に経つわよ。披露宴にお呼ばれした時とか。」
「ま、いーや。頼りにしてるぜ、あかね。」
「あ、まーた言った。ダメよ、予約と違う名前で呼んじゃ。」
「だーっっ、もうめんどくせ〜」
「さ、行きましょう、大介くん」
「・・・ご馳走食うのも楽じゃねーなー」
 他人にイニティアティブを取られるのは許せない乱馬であるが、ここは大人しくあかねについて行く。ご馳走が目の前にぶら下がっているからであるのは言うまでも無い。

 最上階の展望レストランの案内された席からは夕日に染まる海が一望出来た。コースが進むにつれ、海はきらめく炎紅色から輝きをおさえた茜色へ、そして四方から迫る蒼い闇と交じり合って葡萄色へと変化していく。夕闇が深まるにつれてレインボーブリッジのライト群がくっきりと浮かび上がる。ディナーが終わる頃にはすっかり夜の帳が覆い尽くし、夜景の人工的な明りが地上の星々のように輝いていた。

「おい、大丈夫か?」
 ホテルの瀟洒なロビーで、足をもつれさせたあかねを、すかさず乱馬は支える。
「お酒なんか飲んでいないのに・・・やっぱりデザートのクレープシュゼットかなあ・・・」
 ぼうっとした顔であかねが呟く。フランス料理のフルコースを堪能した二人だが、どうやら洋酒をふんだんに使ったデザートに、少しあてられてしまったらしい。
「俺は何ともないけど・・・ともかくこれじゃ帰れねーな。少し外で風に当たってからにするか。」
 ロビーから見える庭園の方に、乱馬はあかねを誘導するように歩いていった。
「ふう・・・気持ちいい。」
 あかねはすうっと深呼吸する。海に面しているテラス上の庭園なので、心地の良い風が吹き抜けていく。
「ほら、ここに座れよ。」
 レインボーブリッジが良く見える位置にあったベンチにあかねを座らせる。自分は座らず、海に張り出したテラスの手すりに軽く身をもたせかける。海風が一つに結わえただけの髪の毛を梳るように吹き上げる。
「やっぱこれじゃ落ちつかねーなあ・・・もうなりきりゲーム、やめよーぜ」
 あかねの返事を待たず、乱馬はメガネを外す。そしておさげ髪に結いなおそうといったん結んである紐を解く。

ざあっ
 折しも少し強めの海風が、解いた乱馬の髪を吹き散らす。

「あっ・・・」
 その様子を見てあかねが目を見張る。また違う印象の乱馬がそこに現れ出る。いったい今日はどうしたのだろう。自分の目の前にいる少年・・・彼のことはだいたいわかっていると思っていたが、違うのだろうか。
「ねえ・・」
「うん?」風に乱された髪をまとめながら、乱馬はあかねの方を向く。
「あの・・」特に何を言おうとしたわけでもなく、あかねは話しかける。だが、そんな時には往々として思いもよらぬ言葉が口をついて出るもの。

「あなたは・・・誰なの?」

「え?」

 何言ってるんだ、俺は早乙女乱馬、お前の・・・

 当たり前のようにそう答え返そうとして、はっとする。

『じゃあ、らんまはあかねの何?』

 早乙女乱馬という名前も、許婚という立場も親が決めたもの。建前に過ぎない。そんなことは目の前にいる少女には分かりきっていることだ。

『ふたりでフィアンセになるってきめたんでしょう?』

 決めたのは自分じゃない。でも、いつの間にか自分の気持ちを便乗させて・・・隠れ蓑のようにしていた。

 求められているのは建前ではなく、自分の言葉で答えること。それは・・・


「俺は・・・親が決めた許婚だよ。でも、今は・・・自分の意思でお前の許婚でいたい・・・」
 弛めた手から髪の毛が風に流される。あかねは立ち上がっていた。
「・・・自分の意志で?」囁くようなあかねの声。
「親の約束なんて、関係ねえ・・・俺は、お前の許婚でいたいんだ。」

 深い水底にいるようにあらゆる感覚が引いていく。ゆらゆらと視界がゆらめき、それもまた遠くなる・・・

「あかねっ!!」
 力強い腕に引き戻され、あかねは正気づく。目の前には驚きと心配をごちゃ混ぜにした乱馬の顔。
「大丈夫か?どうしたんだ、いきなり・・・」
「あたし・・・あたし・・・ずっと待っていたような気がする・・・」
「え?」
「そう言ってもらえるの・・・」
「あかね・・・」

 腕の中の少女を見つめる。ほのかに輝くような美しい顔に浮かぶ儚げな表情。

 ずっと待っていた・・・痛々しいまでのいじらしさに胸を締め上げられる。

 なぜもっと早く言ってやらなかったのだろう・・・
 何を意固地になっていたのだろう・・・
 なぜつまらない片意地に負けて、心とは裏腹のことばかり・・・

 見上げる大きな瞳には、幾千の星の輝きが宿る。つややかにきらめく光がその中から溢れ出し、桜色の頬を伝う。薔薇色の唇がかすかにわななく。見るものの魂を捕らえて止まぬ美しさ。明け初めた曙光の輝きも、煌々と夜空に君臨する月も、盛りを迎えて咲き誇るあらゆる花もその前では色あせてしまう。

 世にも美しい軍門の前に、自分の心が下っていくのを感じる。あんなに張っていた意地もプライドも崩れ去る。完璧な敗北。悔しさなど微塵もない。ただ感じるのは限りない喜び。この世の何ものにも代えられぬ至宝を、その腕の中に抱き締めていることに・・・


 少女は見上げる少年の目に、かつてない光を認める。やんちゃ坊主のようないたずらっぽい輝きでも、戦いに赴く者の持つ厳しく鋭い輝きでもない、暖かく誇らしく優しい、自分を包み込むような力強い光。不思議な色の瞳に少女は引き込まれる。これまでじっくりと見たことはなかったが、夜明けの最初の光が差し初める直前の清冽な空の色。限りなく深く澄んだダークグレイの瞳に映るのは光に包まれた自分の姿のみ。

 私は・・・きっとこの瞳の中で溺れてしまう・・・気が遠くなりそう・・・でも・・・

 躊躇していた自分の心が解き放たれていく。大切に思う人を愛することに、もう何の迷いもない。夢にも思わなかった幸福感が魂の奥底まで広がっていく・・・

 解いたままの髪が風になびいて、あかねの頬にまでかかる。優しい手がそっとかかった髪を払い、そのまま頬に添えられる。暖かく逞しい腕と涼やかな潮風に包まれて、永遠とも思える瞬間にあかねは身をゆだねた。




ジジッ
 蝋燭の炎がゆらめく。控えめな炎紅色の光が、その前に座る少女の姿を照らし出す。つややかな長い黒髪が背中に流れる。非の打ちどころのない美しい顔立ちの少女だが、無機質な印象を受ける。その整った顔には何の表情もなく、身動き一つしない。ただじっと蝋燭の炎を見つめるのみ。

「あ、あのー、シャンプー・・・」
 背後からおずおずと声をかける若い男。少女の身を案じているのは一目瞭然。
「ムース・・・さっきの話、いいね。」
 何の感情も感じられない少女の声。男のほうを振り返りもしない。
「あ、ああ、それがお前の望みなら・・・」
 まだ心配でたまらない、といった様子で引き上げるムースを一顧だにすることなくシャンプーは炎を見つめつづける。その大きな瞳には映し出された炎すら飲み込むような果てしない闇が宿っていた。




「まじいっ、もう9時だ。これじゃ帰り着くのは11時近くになっちまう。」
 あわてて駅に向かう二人。帰りは臨海副都心線、有楽町線へと乗り継ぎ池袋へ。一応帰るコールはしてあるが、少々羽を伸ばしすぎと言われてしまうだろう。
「今日は・・・楽しかったね。」
「まあな・・・」
 おさげ髪が電車の振動で揺れる。帰り道でも乱馬とあかねは周囲の目を引いてやまなかったが、当人たちにはそんなことは気にもならない。楽しかった場所から離れれば離れるほど、まるで魔法が解けていくように興奮が醒めやるものだが、この二人は違っていた。お互いの瞳の中に潮風の記憶を認め合う。さながら覚めない夢、解けない魔法の幸せな囚われ人・・・


 帰宅した二人はかすみとのどかにしっかり教育的指導を受けた。天道家と早乙女家の家長たちは町内会の旅行に出かけ、八宝斎も姿を見せないところから勝手にくっついていったらしい。
「さ、二人ともお風呂に入ってもう寝なさい。いくら明日がお休みでも、規則正しい生活は大事ですからね。」
「はい、おばさま・・・乱馬、明日の朝稽古はちゃんと付き合ってよ。」
「へーへー、じゃ俺、先に風呂いただくわ。」
「あっ、着てる物を洗濯機なんかに突っ込まないで。クリーニングしないとダメなんだから。」
「わかってるって、お先ー」
 家族の前ではざっくばらんに会話してみせるものの、二人の心を占めるのはただお互いのことのみ。ここになびきがいれば鋭い突っ込みの一つや二つは入っただろう。


「ふー、湯冷めしたっていいや。」
 ひらりと屋根の上に飛び乗る乱馬。ひんやりとした瓦の感触がほてった体に心地よい。もっともほてっているのは気持ちも同じかもしれない。腕の中の柔らかな感触、自分を見上げる可憐な瞳が繰り返し蘇り、めまいすら覚える。

 どーしたってんだ、あかねを好きなのは今に始まったわけでもないのに・・・

「何やってるの?」
 澄んだ声をかけられ、危うく屋根から転げ落ちそうになる。
「な、何だよ、おめーこそ。」
 屋根の下からひょっこり顔を出したあかねはいたずらっぽく笑うと上ってきた。
「あたしも風にあたりたくって。」
「気をつけろって、おめーは鈍くさいんだから。」
「ふーんだ。」
 あかねはちょこんと乱馬の隣に腰掛ける。既にパジャマに着替えている。
「早く寝ないと起きられないわよ。ただでさえ寝坊の常習犯なんだから。」
「ちぇ、かわいくねーことを。」
「どーせかわいくないですよーだ・・・・・・でも、あたしの許婚でいたいんでしょ?」
「い゛・・・」
 真っ赤になって言葉に詰まる乱馬に、あかねは柔らかく微笑みかける。
「あたしも同じ、だよ。」
「あかね・・・」
「あたし・・・今日のこと、絶対に忘れない。あたしにとっては記念日、だから・・・」
「俺たち、だ。」
「乱馬・・・」
 思わず合わせた視線が二人を強い力で引き寄せる。

 最愛の人を腕に・・・
 最愛の人の胸に・・・

 限りない喜びが静かに二人を満たしていく。日付の変わりしなにふわりと口づけを交わす乱馬とあかね。

 新たな一日が始まろうとしていた。



 end of the first Day

 written by "いなばRANA"




作者さまより

拙筆者による中間報告(ぉぃ)

  もう言い訳はしません>タイトル(焦)
  どうにもなりません>破壊的長さ(滝汗)
  ダメ出しですか>この展開(自爆)
  作中の団体名その他は実在のものとは何ら関係ありません。これは私的らんまワールドの東京です。(少しだけ理性)

  まだ二日残ってます(うぐっ)

 ブラヴォーッ!!私はブラヴォー屋か?否・・・ほんとに凄いっ!!
 でも、ちゃんと次の二日間への伏線らしきがあるのがなんとも・・・気になります。彼女の行動が・・・

 本当は小出しにしようと思ったんですが、週末に入るし、ここまで一気に読んで欲しく思ったんで一気にアップさせていただきました。
 いなばRANA的シンデレラゲーム・・・ご堪能いただけましたでしょうか?

 さて、この小説を頂いたその日、お台場で遊び呆けていたやつが我家に一人・・・。修学旅行へ関東方面へ行った我が息子です(笑
 彼の話を一通り聞いたあとだったんで、お台場を知らない私もなんだかわくわくしちゃいました(笑

 その後、数年を経て、2005年春、初めてお台場へ行きました。ううん…これが!乱馬とあかねになった気分ではありませんでしたが、堪能してきました。
(一之瀬けいこ)


Copyright c Jyusendo 2000-2005. All rights reserved.