◆ Calling
結城さきやさま作


「それじゃ、また明日ね、あかね」
「うん、今日はありがと。じゃあね!」
オレンジや朱色の絵の具を溶かして広げたような、綺麗な夕焼けの下で、わたしは笑顔で遠ざかってく友人に手を振った。
寒い中、買い物に付き合ってくれた友達は、すぐにせわしない雑踏の中に紛れてしまう。

…そうだ、少し遅くなっちゃったから、家に電話しなくちゃ。
わたしは、駅の構内にあった灰色の公衆電話の前まで来ると、鞄から財布を出した。
小さな鈴のキーホルダーを付けた、ダークブラウンの皮財布。いつも愛用してる物だ。
それを開いて、テレカを抜き出す。
鈴の音が、ころころと可愛く響いた。
受話器を上げてテレカを差し込むと、分かり切った我が家の電話番号を手早くダイヤルする。
数字の羅列が浮かぶ液晶画面を、何となしに眺めながら、スタートボタンを軽く押した。
するとすぐに、コール音が耳に届いてきた。

rrrrrr...rrrrrr...

受話器を耳にあてながら、ふと視線を人ごみに投げてみる。
駅舎に入って行く人と、改札を通り街へ繰り出していく人で、通りは賑わっている。
道行く人々は皆、防寒着をしっかり着込んで、足早に通り過ぎる。
口からこぼれて来る白く息が、風になびいてく。
頬がぴりぴりするくらい寒いのに、割と人の流れは多い。
お休みの日だからかな?

rrrrrr...rrrrrr...

あれ、なかなか出ない。
わたしは再び目の前の電話機を見る。
おかしいな、いつも誰かしら人がいる家で、誰も出ないなんて。
そこまで考えて、わたしは、あることにはたと思い当たった。
そうだ。うっかりしてた。
朝、出掛けにかすみお姉ちゃんが、『今日はみんな出かける』って言ってたっけ。
現に、こうして電話を鳴らしても誰も出ないし、まだみんな帰って来てないよね。
諦めて、わたしが受話器を耳から離そうとした、その時。
向こうの受話器が軽く上げられる音がした。

「………ふァい、天道です」
耳に届いたのは、飽きる程聞き慣れた、低いけど柔らかく響く声。誰かなんて問うまでもない。
乱馬だ。
「天道です」なんて、うちの名字を名乗ってるあいつの声を聞くのは、何だかくすぐったくて、不思議な感じ。
でも、珍しいなぁ。あいつは滅多に、電話になんか出たりしないのに。
やっぱり、みんな留守なのかな。そんな風に心の中で呟きながら、話し始める。
「あ、もしもし?わたしだけど」
「…おー、あかねか」
それだけで向こうには通じたみたいだった。彼ものんびりと声を返してくる。
それを聞いてわたしは、不思議と嬉しくなった。
声を聴くだけで、お互いが誰か分かるということは、当たり前な事のようだけど、いいなあと思う。
「今、家にいるの、乱馬だけなの?」
「んー?ああ、なんか誰もいないよ。俺ひとり」
答えを返してくれる乱馬の声、何だかいつもよりほんの少し高くて、とぼけた声をしてる。
ふと思い当たって、わたしは受話器に向かってぽそりと言ってみた。
「お昼寝でもしてたんだ?」
「え゛、あ、…なんで、分かったんだ?」
乱馬の驚いたような慌てたような声が聞こえる。どうやら図星、らしい。
あ、なんか、可愛い。
何だか楽しくて、思わず笑いがこみ上げて来る。
「なんかね、声が寝ぼけてる」
軽く咳払いして、笑い声をごまかしながら言ってみると、受話器の向こうで乱馬がうーん、と唸った。
本人は気づいてないんだろうけど、そんな声も少し鼻にかかったように上擦ってて可愛い。
「そぉか?分かるもんなのかな…?」
「うん、すぐ分かったよ。…あ、起こしちゃったんなら、ゴメンね?」
「あー、いいんだ、どうせもう起きなきゃいけなかったんだし」
「そっか、それなら良かった」
受話器を片手に、いつもの人懐っこい笑顔で、ぱたぱたと片手を振っている乱馬の姿がすぐに思い浮かべられて、わたしは微笑んだ。
「そりゃそーと、今どこにいるんだ?」
「えっとね、駅前の公衆電話からかけてるの」
普通の調子に戻った乱馬の問いに、わたしは何となく周囲に視線を巡らせながら答えた。
夕焼けはもう沈んでしまっていて、東の空の方から、紫の色が濃くなり始めている。
周りの風景は、薄い紺色のフィルターをかけたように、薄暗くなっていた。
だけど、それを補うかのように、街のイルミネーションがぽつぽつと点灯しだしていて、そんなに暗いという感じはしない。
そんなわたしの思いを裏打ちするように、乱馬が言葉を紡いだ。
「おう、そんじゃ周りはまだ明るいな。今から行くから、そこ動くなよ」
彼の底抜けに明るい声に、わたしは思わず、目を見開いた。
それって、迎えに来てくれる…ってこと?
「え…そんな、今から自分で帰れるわよ?」
いつもなら絶対聞けなさそうな乱馬の申し出に、思わず驚いてしまう。
何だか慌てたような声になっちゃった気がしたけど、乱馬は気にする様子もなく、いいから、と言葉を継ぐ。
「もう帰り道は暗いだろ。どっちみちおじさんたちが帰って来りゃ、かすみ姉ちゃんに頼まれるに決まってるんだから」
「でも……」
なおも断ろうと口を開いたわたしを遮るように、乱馬の少し大きな声が響いた。
「だーっ!たまーに優しくしてやってるときくれぇ、素直に喜べっ!」
苛立ったような口調だけど、声は優しい。
心配してくれてるのかな。そう思って、わたしは嬉しくなった。
だから、いつもならムッとしてるような言葉にも、笑って声を返す。
「なによ、『たまーに』って。自分で分かってるんじゃない」
「うるせ。いいな、大人しく待ってろよ。5分で行ってやるから」
向こうも、笑いを滲ませた声で答えてくる。
うちから駅までの距離は、5分でたどり着けるようなものではない。
あいつらしいと言えばあいつらしい物言いに、思わず笑みが零れる。
「はーい、待ってる。……ありがとね、乱馬」
笑顔で、素直になって呟いたわたしの耳に、いーよ、と照れくさそうな返事が届いた。

何だか温かい気持ちが溢れるのを感じながら、わたしは受話器を置く。
嬉しくて、知らず顔がほころんでしまう。
いつの頃から、こんな風に優しい気持ちにさせてくれるようになったんだろう。
まだ、恋人同士という雰囲気には程遠いけど、今の関係も、悪いものじゃないと思う。
家族みたいなこの温かさを、大切にしていきたい。
意地っ張りで素直じゃない、だけど誰よりも優しい、大好きな許婚のことを想い浮かべて、わたしは微笑った。

そうだ。あいつが着くまでに、あんまんでも買っておいてあげよう。
甘いもの好きなあいつのことだから、きっと喜んでくれるよね。
自分の思い付きにうきうきしながら、わたしは荷物を持ち直し、近くの点心屋へと歩き出したのだった。








あまりに素敵なのでご無理言って「呪泉洞」に譲っていただいた短編小説です。
二人の関係の暖かさがそのまま伝わってくるようで、大好きな作品です。

結城さきやさんといえば、そう、私の大好きな乱馬くんお絵描きさんです。
さきやさんの描く乱馬くんはもう最高です、まださきやさんが中学生だった頃から惚れています。
同じ乱馬至上主義の乱あ派ですから、彼の描写がとってもエキサイティング!
他にもイラストを数点強奪したものが「一期一会メモリアル」の天武館にありますので、よろしければどうぞ!
(一之瀬けいこ)


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