◇海の守人 4
夏海さま作


 パシャッ・・・・・・
 不意に水の跳ねる音がした。乱馬からは反対側だった。
 ドキッと乱馬の心臓が跳ねる。
 遂に人魚は来たのだ。
 パシャッ!
 もう一度水の跳ねる音がして、乱馬の目の前に広がる海の水面が岩の上にもう一つ影を映す。
 人魚は乱馬が来ている事に気が付いていない。
 乱馬は辛そうにギュッと目を瞑った。
(ゴメンッ!)
 心の中で謝罪してから岩の上に姿を現した。
 タンッと足を置く音がした。
 乱馬の出した音が聞こえて、人魚が音のした方―――乱馬の方に振り向く。
 お互いがお互いを月明かりの下で見た。
 乱馬は口を開いたまま、声が掠れて出なかった。
 人魚も乱馬を凝視していた。驚きすぎて声を出す事も忘れてしまったかのようだ。
 乱馬は唾をゴクリと飲み込んで、震える声で呟くように言った。
「あかね・・・・・・。」
 答えるようにあかねも小さく呼ぶ。
「乱馬・・・・・・。」
 乱馬が見たのはあかね。ただいつものスラリとした足が、尻尾になっている。尻尾の鱗が、月光の下に晒されてキラキラと輝いていた。
 あかねはどうしていいか分からない。乱馬の出方を窺うしかなかった。
 乱馬は顔を伏せた。
「面白かったかよ。」
 低い声で乱馬はあかねに言った。
「え・・・・・・?」
「俺が、お前が人魚とも知らずに昼と夜毎日毎日ここにくんの見て、馬鹿だなって思ってたのかよ。なんにも知らない俺を見て、見事に騙されてた俺を見て、笑ってたのかよ!」
「そんな事無い!」
 あかねはすぐさま否定し何故黙っていたか言おうとしたが、乱馬は聞きたくないとばかりに首を振って言葉を紡ぐ。
「じゃあなんで教えてくれなかったんだ!?それともなにか。俺にはこんな秘密言えないって事か?そんなに俺は信用されてなかった訳か!?俺の話聞いてお前が楽しいって言ってたのも嘘だろ?夜は人間についてなんにも知らない人魚の振りして、昼間は変わり者の人間の振りしてた訳だ!」
「違う!話を聞いてよ!」
「話!?話って何だよ!お前から見た間抜けな俺の話か!?人を馬鹿にするのもいい加減にしとけよな!」
「だから、違うって言ってるのに!どうして、聞いてくれないのよ。」
「嘘つきの話なんて信用できるか!」
 あかねはボロッと大粒の涙をこぼした。
「あたし、嘘つきだから、乱馬は、もう嫌い?」
 乱馬はようやく顔を上げた。あかねが嫌でも視界に入って、そのままあかねの大粒の涙に目を奪われた。
「あたしの事、もう、嫌いになった?」
 乱馬は心で『そんな事ねぇ!』と叫んでいたのに、口には全く出せなかった。今思っている事がどうやったらあかねに伝えられるのか、分からなかった。
 そんな事あるはずがない。あり得なかった。
 けど、それはあかねにちっとも伝わっていない。それどころか、あかねを傷つける事しかしていない自分が嫌になった。
 頭では納得して、あるがままを受け入れようとしていた。でもそれは所詮理性の部分だけで、自分の感情に歯止めがきかない。感情の効きの悪いストッパーは全く役に立っていなかった。
 自分の感情はあっさりと表面化して、あかねを泣かせてしまう結果となった。
 何の返事もない乱馬にあかねは、ぎこちない笑顔を向けた。
「ごめんね、乱馬。信じてくれないと思うけど、あたし騙そうと思ってたんじゃなかったの。乱馬からしたら言い訳と同じ事だけど、あたしもう少し時期を見て乱馬に話そうって思ってたの。本当に、ごめんなさい。それじゃ、あたしもう・・・・・・。」
 バシャンッという水音と共にあかねは姿を消していた。
 乱馬は岩の上で座り込んだ。
「俺、嫌だった。あかねに秘密にされるのが嫌だった。あかねが俺と違うんだって思ったらなんかやだった。人魚ってだけで目の前のあかねが実はずっと遠くの奴に思えて、手が届かない奴に思えて仕方がなかった。・・・・・・嫌いになんてならない。なれねぇよ。あかねの、馬鹿。」
 誰もいない海に響く。
 しばし間を置いてから乱馬はもう一度言った。
「俺の、大バカヤロウ・・・・・・。」
 乱馬の声が夜の海に虚しく響いた。

 あかねは海の底にいた。
 あかねは泣いていた。しかしその涙は全く分からなかった。
 一見目を閉じて、寝ているようにも見えた。
 あかねはそれに気が付いて笑ってしまった。
「海の中じゃ、泣いたって分からないのね・・・・・・。」
 今のあかねを見たらただ笑っているだけに見えたに違いない。
 あかねはゆっくりと洞窟に向かって泳ぎ出す。魚達があかねを見つけて戯れてくる。
『歌ってよ、あかね。』
『あかねの歌が一番だよ。』
『あかね、歌って!』
 水の振動を言葉として話す魚達の言葉を、あかねは完璧に理解出来た。
『ごめんね、今日は疲れちゃったから明日また歌ってあげるわ。』
 同じように魚達に返すと、魚達は頷いて散り散りになった。

 あかねが洞窟に帰り、乱馬が頭から布団に被り、お互いがお互いの事を考えていた時だった。
 誰にも感じられないぐらいの小さな、小さな揺れが起きた。
 あまりに小さな揺れなので誰も気が付かなかったが、魚達は揺れを感じた。
 暗いくらい海の底で二つの目がギョロリと動いた。
 
 乱馬は、東風の家の前に立っていた。
「かすみさん!いますか!」
 ドアを叩くと、すぐにかすみが顔を出した。
「はーい。あら、早乙女さんのところの・・・・・・。」
「乱馬です。今日はお話があってきました。ちょっといいですか?」
「今丁度なびきちゃんが来ていて・・・・・・ちょっと待っててくれる?」
「あ、なびきにも聞いて欲しい事なんです。」
 なびきとは一才違いなのでさん付けで呼ぶ事はしていなかった。
「なびきちゃんにも?」
「ええ、お願いします。」
「あたしに用って何?乱馬君。」
 なびきはいつの間にやらかすみの隣に立っていた。
 乱馬はなびきにビックリしながら言った。
「あかねの事で。」
 二人の顔が同時に強ばった。
 すぐになびきが納得顔をする。
「はいんなさいよ。今、東風先生往診に行ってるし、その帰りにあたしの家でお昼食べてく事になっているからしばらく帰ってこないしね。いいよね、お姉ちゃん。」
「もちろん。」
「それじゃ、お邪魔します。」
 家を厳重にドアや窓を締め切り、昼間だというのに雨戸まで閉めた。
「それで?」
「だから、あかねの事だ。二人の妹の。」
「乱馬君、どこでそれを・・・・・・・。」
 驚くかすみとは対照的になびきは冷静に言った。
「昨日お姉ちゃんとあかねが会ってたのを見たのね?」
「たまたまだけどな。」
 二人は顔を見合わせ黙り込んだ。視線で会話しているように乱馬には見えた。
 しばしの沈黙の後、かすみが口を開いた。
「乱馬君、絶対に誰にも話さないと誓えるかしら?」
「お姉ちゃん!」
 なびきは思わず立ち上がって反対した。
「どうかしてるわ。絶対の信用がおけるの?乱馬君は。」
「なびきちゃん、どっちにしろ乱馬君はもうあかねの秘密を知りかけているのよ。それなら全てを話して納得してもらった方がいいのよ。ね、乱馬君。」
「俺、絶対に他言しません。」
「ね、なびきちゃん。きっと乱馬君なら大丈夫よ。」
 楽天的に話すかすみに、なびきはなにも言えなくなって座り直した。
「お姉ちゃんのしたいようにして。」
 なびきはあたしはもう知らないとばかりにそっぽを向きながら言った。
 かすみはそんななびきを見てニコッと笑ってから、乱馬の方に向き直り姿勢を正す。
 乱馬もつられて背筋を伸ばした。
「どこまで乱馬君はあの子の事を知っているのかしら。」
「あかねが人魚だという事だけです。」
「そう。じゃあ、最初から話さなきゃね。」
 かすみは一呼吸置き、一回天井を見てから乱馬に視線をゆっくりと戻した。
「私達のお母さんはこの近海に住む人魚だったの。父は村の漁師をしていたわ。乱馬君も名前ぐらいは知っているんじゃないかしら。天道早雲というのだけれど。」
「天道早雲!?親父の親友って言ってた、あの?」
「そうね。お父さんも早乙女さんをよくそう言っていたわ。私達三人はその二人の間に生まれた、人魚と人間の混血児なの。幸い私となびきちゃんは人間の血の方が濃かったみたいで、ただの人間とさして変わりはなかったんだけれど・・・・・・。ただ一人、あかねちゃんは人魚の血が濃かったのね。日がある内は人間、日が沈むと人魚になってしまうの。」
「で、でも俺が助けられた時は朝だったけど、あいつは人魚でした。」
 なびきがそこで口を挟む。
「乱馬君が助けられた時って、嵐が去ったすぐ後の朝でしょ。時々天気が悪くて外が暗い雨の日なんか、雨水と暗さに身体が反応しちゃうらしくて人魚になっちゃうみたいなのよね。」
「そうなのか。」
 乱馬が納得したところでかすみが続ける。
「それでも私達は普通に接していたし、あの子もそんなに気にしていなかったんだけどね。ある日、お母さんを狙った海賊がこの島付近にやって来たの。」
「海賊?そんな話聞いた事無いんですけど。」
「そうね、海賊達はこの島にはあまり近づかなかったし、村の死角にしか船を止めなかったから村の人達は気が付かなかったのね。村には用はなかったみたいだったし。」
「奴らは一体なんの為に?」
「ばっかね〜!海賊達の狙いは、お母さんとあかねの肉に決まってるでしょ!奴らは不老不死の妙薬とされる人魚の肉が欲しかったのよ!」
 なびきが思い切り馬鹿にした目で見てきた。乱馬はムッとする。
 かすみはその空気が読めていないのか、あまり気にしていないのかさっさと話す。
「海賊達は、入り江で遊んでいたあかねちゃんとお母さんを無理矢理連れ去ってしまったわ。私達も必死で止めに入ったけれど、なにぶんまだ幼かったし海賊達の相手にはならなかった。お父さんがその後すぐにここに来て、私達はお父さんに事情を話したの。お父さんは血相を変えて、漁の船で海賊船に乗り込んで行ったわ。そして、それっきり。」
「って事は・・・・・・。」
 乱馬は唾を飲み込んだ。
「海賊に殺されたのよ。お母さんも、お父さんもね。お母さんは胸を刺されながらも放心したあかねを抱きかかえて入り江まで泳いで来た。お母さん、その怪我が元ですぐに息を引き取ったわ。その時まだ五歳だったあかねは、お父さんが殺される瞬間も、お母さんが刺された瞬間も、一部始終を見てしまった。それが元であかねは、人間に酷く怯えるようになったわ。」
 残酷としか言い様がなかった。
 まだ幼いあかねは、両親が殺される瞬間をずっと見ていたのだ。
 乱馬はまだ会って間もない頃『どうせあたしを殺すクセに!』と言ったあかねの事を思いだした。
「お母さんはあかねに、夜毎日欠かさず歌い続けるようにと言い残したの。あかねはそれを忠実に守りながら今まで暮らしてきたのよ。」
「なんであかねは村に来なかったんだ。」
「人間が嫌だったからよ。四年前、あたしとお姉ちゃんが村に行くまでに何回もあかねを説得したけど、どうしてもあかねは首を縦に振らないから、仕方なくあかねを一人残して村に行ったのよ。一週間に一度、岩場で食料を渡す事にして。」
「あかねは、なんで歌ってるんだ?」
「海に眠る怪物を封じる為よ。人魚の歌がどうやら怪物の眠りを誘う波長らしいわ。」
(本当にこの海に怪物なんていたのか。)
 乱馬は玄馬の話を思い出して驚いた。それから乱馬はかすみに尋ねた。
「あかねはどこにいるんですか?」
「入り江の側に茂みが生い茂る所があるでしょう。その茂みの後ろに隠れるようにして、洞窟があるの。そこであの子は暮らしてるわ。」
 乱馬は静かに立ち上がった。
「乱馬君?」
「俺、あかねの所に行ってきます。教えてくれて、ありがとうございました!」
 乱馬はペコリと一礼して、東風先生の家から教えてもらった通り入り江に向かった。
(昨日はごめんって、少しだけ素直になって俺が思った事少しだけでも伝えたい。あかねの事分かりたいし、分かって欲しいから。)
 
 あかねは入り江に来ていた。
 何故だか言い様もない胸騒ぎがして、落ち着かない。海の中に身を沈めて、気持ちを静めようとした。
「!?」
 落ち着くどころか、あかねの中に不安の波が一気に押し寄せてきた。全身に鳥肌が立ち、悪寒が走る。いてもたってもいられなくなって、あかねは海に潜った。
 人間の姿になると泳ぐ能力は大分下がるが、それでも人間に比べたらだいぶ上手いし、海の中でも長く留まる事が出来た。
(魚達が怯えている?)
 あかねは珊瑚の陰に隠れていた小魚達に話しかける。
『どうしたの?』
 魚達はあかねにすり寄ってきた。
『あかね、怪物が目を覚ましたって!』
『昨日見たって言う奴がいたんだ!』
『怪物が目を覚ました!?確かなの!?』
 魚達怯えながら頷いた。
 あかねはハッとして気が付いた。
(昨日あたし歌ってない!)
 怪物が目を覚ました理由はこれしかない。
 あかねは自分のした事に強く責任を感じた。
『それに変な船が来てるんだ!あの時と同じ様な船が!』
 あかねは聞き返す。
『あの時と、同じ様な船・・・・・・?』
 嫌な予感がした。
(あの時と同じ様な船って言ったら、思い当たるのは・・・・・・。)
『十一年前、あかねがまだ五歳だった時に来たあの時の船だよ!』
 あかねは雷に打たれたような気分になった。走る恐怖。鮮やかすぎるほど鮮やかに蘇る記憶。
 次の瞬間あかねは叫んでいた。
『みんなに伝えて!ここから、この島から早く離れてって!』
 魚達はあかねに言われて、蜘蛛の子散らすようにこれを伝えに行った。
 あかねはその船の様子を見に行こうと泳ぎだした。

 乱馬はあかねのいるという洞窟を見つけた事は見つけた。しかし、そこにあかねの姿はなかった。
 別の洞窟かとも思ったが、奥に食料の入ったかごがあるのを見つけてここであると言う事は分かった。
「あかね?」
 呼んでみても返事はない。隠れているという訳でもなさそうだ。
 乱馬はそこで待とうかとも思った。しかし乱馬は急に怖くなってしまった。
(あかねに、嫌いだって言われたらどうしよう。あかねに拒絶されたらどうしよう。俺そんな事になったら、二度と立ち直れねぇ・・・・・・。)
 あかねに嫌われる、もしくはもう嫌われているかもしれないと考え始めた乱馬はあかね本人に会ってハッキリ言われるのが嫌でそこから逃げるように立ち去った。
 
 あかねはその後全身ずぶぬれで帰って来た。その顔は真っ青になっている。
 あかねは洞窟の入口でうずくまる。
(あいつらが、戻って来た。)
 あかねはあれから、船の所まで泳ぎ様子を見てきた。その船には見覚えがあった。
 それは以前この島に来た海賊達の船だったのだ。
「乱馬ぁ・・・・・・。」
 珍しく弱気になったあかねは乱馬を呼んだ。
(乱馬に会いたいよ。乱馬、怒ってるよね。それでも、会いたいのに、怖い。)
 今一番に会いたいのは乱馬なのに、あかねには乱馬に会いに行く勇気がなかった。
 あかねはあかねで乱馬に拒絶されるのが怖かったのだ。それに乱馬に会いに行くと言う事は人間が沢山いる村にいるという事。


 同じ思いでいるのに、すれ違うばかりの二人。
 平行線を辿る二人の気持ちはまだ交わる事を知らない。
 本当は本人達が思うより、相手はずっと側にいるのに。


 その夜、乱馬は怯える自分を奮い立たせて浜辺に来た。しかしあかねは姿を現さなかった。
「あかね、どうしてこねぇんだ?」
(おめぇがいないと、俺、どうにかなっちまうぞ・・・・・・。あかね・・・・・・。)
 あかねはその時、海の中でせわしなく動いていた。
『早く逃げて!』
 魚達を誘導し、避難させていた。
 ここで一騒動起こるのは分かりきっている。目覚めた怪物、現れた海賊。最悪の状況だ。
 しかも全てはあかねが原因だ。あかねはそれを気に病んで、せめて魚達の被害を減らそうとしていたのだ。
 そんな中、ふと頭をよぎるのはやはり乱馬の事。
 水面を見上げるが、優しく月が照らすだけ。前はそれで満足だった。優しく包むような光があかねの元にもあればそれだけで良かったのだ。
 しかし今は別の物が欲しかった。乱馬という存在が今一番あかねにとって必要だった。
 その時だ。
 一息つくあかねを、まるで追いつめるかのように揺れが起こる。
「地震!」
 あかねは人間の言葉で言った。
 ギリッと歯ぎしりをした。
 地震が怪物の復活の時が近づいているのをハッキリ告げていた。
(お母さんは、ここを守るために歌い続けろと言った。全てはここを守る為。なら、あたし一人でもここを守ってみせるわ!)
 あかねは一人戦いの決意をした。


 あかねはそれからというもの、あまり洞窟に戻らなくなった。
 日に日に怪物の復活が近いのに伴って、地震も大きくなり、島の人々もようやく地震に気が付いた。最近では揺れがひどく、激しいので地震のたびにパニックになりかけている。
 昼間は島の森の奥でひたすら己を磨き、夜は島の近海に住む魚達に事情を説明して回った。
 魚達は驚き慌て、あかねを頼り一緒に逃げようと言うがあかねは頑として頷かない。魚達を別の海流まで連れて行き、島が平和になったらまた呼びに来ると言い避難させた。
 そのせいで、島の人々は揃って首を傾げた。
「なぁ、乱馬。最近魚がめっきり捕れなくなったとおもわねぇか?」
 良牙は網を引き上げながら隣にいる乱馬に言った。二人の引き上げる網は今までにないぐらい軽く、魚が十五匹ほど引っかかっているだけだった。
「そうだな・・・・・・。まるで示し合わせたみてぇに一度にいなくなってきやがった。」
 最近妙に意気消沈している乱馬は、どうでもよさそうに答えた。
 乱馬があかねと会わなくなってから、既に一ヶ月が立とうとしていた。
(あんな事言ったんじゃ俺達、もう・・・・・・。)
 乱馬はあかねと離れてからも、あかねの事をよく考えた。
(なんであの時あそこまで酷い事言ったんだろ。もっとあいつの気持ちも考えれば良かったのに。)
 既に乱馬の大部分をあかねが占拠し、原動力にもなっていた。原動力たるあかねに会えないのだから、乱馬から元気がなくなるのは当たり前と言えば当たり前の結果だった。
 良牙はふと玄馬の話を思い出した。
(確か、人魚って魚を連れて来たんだよな。それだったらその逆も出来るはずだ。もしかして、これは人魚の仕業?)
「乱馬、ちょっと来い。」
「なんだよ。」
「お前、人魚を見つけたって言ったよな?」
 乱馬は慌てて叫んだ。
「そんな事、言ってねぇッ!」
「はぁ?ハッキリと言ってたじゃねぇかよ。」
「い、言ってねぇ!」
「嘘とか冗談言ってる場合じゃねぇんだぞ、乱馬。お前、人魚を怒らせたりしてないだろうな。お前の親父さんの話しじゃ、人魚がこの島の近海に魚を連れて来たって言うだろ?って事は人魚は魚を別の所に移す事も出来るって訳だ。もしかしたら・・・・・・。」
「あいつはそんな事絶対にしねぇッ!!!」
 良牙はビックリして乱馬を見た。乱馬はこれまでにないぐらい鋭い目つきで良牙を睨み、殺気さえ感じられる。
「乱馬、お前・・・・・・。」
「あいつはそんな女じゃねぇ!もし、あいつだとしてもなにか訳があんだよ!」
 良牙は知った。乱馬を独占しているのはその人魚だという事を。
「すまん、乱馬。」
「あ、いや・・・・・・。」
 乱馬は俯いた。
「俺の方こそ、怒鳴って悪かったな。最近俺、調子悪くてさ。」
 良牙は乱馬の頭に手をポンと乗せた。いつもなら即座に振り払う乱馬も、今日ばかりはそのままだった。
「なんかお前らしくないぞ。地獄にでもいるみたいな顔で、飯もあんまり食ってねぇって話しじゃねぇか。俺で良かったら、いつだって話し聞いてやるからな。幼なじみのよしみだし。それに、お前がそんなんじゃ俺の方も調子が狂ってくる。」
「サンキュ。」
「乱馬!良牙!あれ見ろよ!」
 側の船に乗った村の若者が、二人に向かって叫んだ。
 乱馬も良牙もなんだと思い、村の若者が指さす方向を見る。
 よくよく目を凝らすと、ずっと遠くの方にだが船が止まっている。メインマストに黒い旗がなびいていた。
「「海賊船ッ!?」」
 二人は同時に叫んだ。
(こんな所に海賊が来るっていったら、あいつらの狙いはあかねか!?)
 乱馬は険しい表情で船を見つめた。
「海賊がこの近海に現れるなんてな。東風先生の話じゃ海賊っていうのは村や町を襲うって言ってたけどこんな所までわざわざ来るか・・・・・・?」
 良牙は首を傾げた。だが、次の瞬間良牙にも海賊達の狙いが分かった。
「乱馬!」
 良牙は乱馬の耳を引っ張りコソコソと耳打ちした。
「奴らの狙いって人魚じゃないか。」
「さぁな。」
 乱馬はそれしかないと思ったが、良牙には分からないと言うような答えを返した。
 乱馬は拳をグッと握った。
(あいつは海賊なんかにゃわたしゃしねぇ!)

 その頃村ではかすみとなびきが切迫した顔でヒソヒソと話していた。
「最近なんだか、あかねちゃんの様子がおかしいのよ。洞窟にいないみたいなの。」
「乱馬君のあの顔見てればあかねに会ってないのは一目瞭然ね。でも、あの子一体どこで何をしてるのかしら。」
「それに、ここ最近魚が捕れないって言うし、地震は続くし。なにか起きてるはずよ。」
 かすみは心配そうに首を傾げた。
 その時なびきはある一つの想像にたどり着いた。
 当たって欲しくない事ではあるが、可能性はある。
「お姉ちゃん、まさか怪物が・・・・・・。」
「なびきちゃん、それはないわよ。」
「どうして?お姉ちゃん、よく考えてみてよ。これだけおかしな事が続くなんて。魚達はきっと怪物が復活しかけているのに気が付いて逃げ出してるのよ。」
 かすみもさすがに不安になったようで、サッと青ざめる。
「お姉ちゃん、あかねの所に行こう!」
「そうしましょう。」
 二人は足早に入り江に向かった。

 あかねは森にいた。
 日はかなり高いところまで昇っているというのに、朝から何も口にしてはいなかった。
 いや、最近は修行のためにろくに飲み食いしておらず、あかねはフラフラのはずだった。
 それでも修行を続けられたのも、ひとえにその強い意志故だろう。あかねは太陽の位置から昼だと言う事を感じ、少し休もうと考えた。
 だがあかねは、昨日の夜の地震を凄まじさを思い出して結局休みを取る事はなかった。
「でやーッ!はッ!だーッ!」
 洗練された突きや蹴りは女の物とは思えないほど鋭く力強い。
 そのあかねは怪物が今夜にも動き出す事を身体でその気配を感じ取っていた。
 余計に力が入り、集中力も高まった。
 それだけにあかねの上達ぶりは目を見張るものだった。
(そうなる前に海賊共の方だけでも潰しておこう。一度に来られたらあたしもどうして良いか分からない。)
 あかねは少し自分の強さに自信がもてるまでに成長していた。これなら海賊共も倒せるかもしれないと思い、あかねは洞窟へ久々に戻る事にした。

「お姉ちゃん達!?」
 あかねは洞窟の前で素っ頓狂な声をあげた。
「あかね!」
 かすみとなびきはあかねの姿を見て駆け寄った。
 あかねの姿は酷いモノだ。満身創痍で、服は見る影もない。泥だらけになったあかねの顔で、黒い瞳だけがキラキラと輝いていた。
「どうしたの、その格好!」
「ちょっと修行してたの。あたし、身体綺麗にしてくるから、お姉ちゃん達ここでちょっと待ってて。」
 そう言って入り江に駆けて行く。
 あかねは海水が傷にしみて、ヒリヒリと痛いのを我慢しながら海の底へと潜って行った。
 太陽があかねを明るい日差しに照らす。あかねはその光を一身に受けた。
 体中にこびりついた泥があかねから離れ、あかねの真っ白な肌が顔を出し始める。泥だらけの服はどうしようもなくなっていたが、仕方ないとあかねは諦めた。
 あかねは海に入る事で、海に自分の疲れや傷を癒やしてもらう事が出来る。。人魚の血を引いているからこそ出来る事だ。
 傷が完全に治り、疲れがとれたと思うとあかねはすぐに洞窟に戻った。
 あかねは一着の小綺麗な服に着替える。
「あかね、その服・・・・・・。」
「お母さんの。あたしの服、みんな泥だらけになっちゃってもう着る物がないの。」
 なびきはあかねに詰め寄った。
「あかね、今何が起きてるの?最近の地震といい、魚達の大移動といい、あんたの突然の修行といい。何を隠してるの?」
「なにも。」
 あかねは視線を逸らしながら、しかしハッキリとそう言った。
「あかねちゃん、私達にも言えない事なの?」
(お姉ちゃん達を巻き込んだらダメだ。)
 あかねは仕方ないとばかりに肩を落とした。
 あかねは素早くかすみとなびきの背後に回り、手刀を振り下ろす。
 二人が倒れそうになったところをあかねはなんとか受け止め、そのまま地面にそっと寝かせておいた。
「かすみお姉ちゃん、なびきお姉ちゃん。ごめんなさい。」
 あかねはそのまま脱兎の如く走り出した。

 その頃、村ではかすみとなびきが姿を消して大騒ぎになっていた。
 村人達がワイワイと騒ぐ中、乱馬は思い当たる場所があった。
(もしかして、洞窟に行ったんじゃ・・・・・・。)
「良牙、俺ちょっと行ってくる!」
「お、おい乱馬!?」
 良牙が止めるのも聞かず、乱馬は洞窟へ駆け出した。
 その一本向こうの道をあかねが走ってきている事も知らずに。
 あかねはもう怖いなんて言っている場合じゃないと、村に初めて姿を現した。
(乱馬に、この事を伝えなくちゃ。ううん、誰でもいい。村の人達に知らせて、すぐにでも避難させなきゃ。お姉ちゃん達はきっとすぐにでも気が付くから、大丈夫だわ。)
 あかねは一瞬村に入るのに戸惑ったがすぐに村の中心へと走り込んだ。
「あたしの話を聞いて!」
 突然現れた美しい少女は乱れた髪もそのままに集まっていた村人達に向かって叫んだ。
「き、君は?」
 良牙は少女に問う。
「あたしの事はどうだっていいわ!それより、すぐに海から少しでも離れた所へ行きなさい!事が済むまでここに来ちゃいけない!」
「事が済むまでって、なにが起こるんだ?」
「海の怪物が大暴れするから避難しなさいって言ってるのよ!それに海賊達がここへ来るかもしれない!死にたくなかったら急いで!いいわね!?」
「海の怪物!?」
 聞き返した時にはあかねは既に背を向けて、浜辺へと走っていた。
 村人達は今の少女の話を困惑した様子で聞いていた。
「今の話は本当だと思うか?」
「分からない。けど本当だったら・・・・・・。」
 迷う村人達。そんな中、良牙だけは今の見知らぬ少女の正体が分かった。
(きっと乱馬に言うつもり出来たんだろう。あのバカ、俺が止めたのにこんな時に限ってどこかにいっちまうなんて!)
 良牙は乱馬の走って行った方とは全く正反対の方を向いて心中で毒づいた。

「かすみさん!なびき!」
 乱馬は洞窟内で倒れている二人を見つけて、揺さぶり起こす。 
 なびきの方が先に起きた。と、思ったらすぐさま入り江に飛び込んだ。
「お、おい!」
「黙って!」
 なびきは鋭く叫ぶと海へ潜る。
 丁度小魚達が島を離れようとしていた。
『どこへ行くの?』
 あかねほどではないにしろ、なびきやかすみも魚と意思の疎通が出来た。
『海の怪物がいるし、海賊もいるから危ないってあかねが言うんだ。』
『それで今からこの島を離れるんだよ。』
『本当はもう随分前から言われてたんだけど、やっぱりずっとこの海にいたからどうしても離れる決心が付かなくて。』
『だから、みんな今日あたりに怪物が目覚めるのを知って大急ぎで避難してるんだ。』
『用心深い奴らはもう避難したけどね。』
『あかねは一人でなんとかするって言ってたよ。』
 そこまで聞くとなびきは魚達に礼を言って洞窟に駆け戻った。
「お姉ちゃん!」
 かすみもその時には既に目を覚ましていた。
「怪物が目を覚ますって!それに海賊がすぐ側まで来てるって言うのよ!あかねったら、一人でなんとかするって言ったらしいわ!」
 かすみは真っ青になって、倒れそうになった。乱馬はそれを受け止める。
「乱馬君、お姉ちゃんを村まで運んで!」
 なびきは大急ぎで村に向かって走る。乱馬もかすみをおぶってその後に続いた。



つづく




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