◇聖なる日の約束  前編
夏海さま作


「無理に決まってんだろ!この不器用女がピアノなんか弾けるか!」
乱馬は即座に反対した。
「なによ!それぐらいあたしだって練習すれば出来るわよ!」
あかねが負けじと言い返す。
「無理、無理!どうせピアノぶっ壊すのがオチだ!」
「なんですって!?あたしだってやれば出来るわよ!」
「止めとけよ!おめぇが伴奏者になったら優勝できるもんもできねぇって!」
「そんな事ないわよ!乱馬の馬鹿!変態!」
「誰が馬鹿だ!それに変態も余計だ!」
クラスメイト達はこの二人の毎度おなじみ痴話喧嘩の始まりに思わずため息をついた。
さてこの二人、一体なんの事で言い争っているかと言うと実は学校行事が関係している。
三学期、風林間高校ではあの校長の思いつきで合唱コンクールなるものが実施される。
これで優勝すれば、一ヶ月宿題免除という豪華な特典付き。
俄然燃える生徒達。
優勝目指して頑張ろうと一年F組でも、話し合いがなされていた。
つまり・・・今である。
合唱コンクールで点数に入るのは、もちろん合唱能力、声の大きさなどの音楽的な面で審査される・・・かと思ったら大間違い。
ここはさすがに風林間高校。
なんとクラス全体のフインキ、態度、身だしなみ、指揮者やピアノ伴奏者の技術、果ては容姿まで審査されるというむちゃくちゃなものである。
技術までは納得がいくが、容姿まで審査に入るとなると各クラス大問題。
反対したが結局あの校長が『優勝商品を取り下げ』なんぞという脅しをかけたので審査に入る事となってしまった。

一年F組の指揮者は吹奏楽部の、そこそこに顔立ちの整った少年に決まったのだが、ピアノ伴奏者がなかなか決まらない。
なんと一年F組にはピアノを弾けるという人材が一人・・・しかも盲腸で入院した子だけだったのだ。
当初その子に決まっていたのだが、入院していてコンクール出場は無理。
そこであかねが抜擢されたのだ。
しかしそこで乱馬が反対し・・・冒頭に繋がる。

二人の痴話喧嘩に慣れたとはいえ、クラスメイトは少々ウンザリしていた。
この大変な時にケンカをされてはウンザリもするだろう。
見かねた学級委員の新村奈美が止めに入る。
「ちょっとちょっと。二人とも、痴話喧嘩は後にしてよ。今は伴奏者を決める方が先でしょ?」
二人は渋々痴話喧嘩を止めたが、お互い顔も見ない。
まぁこれもいつもの事と言えばいつもの事。
さほど気にせず奈美が提案した。
「こうしたらどう?伴奏者候補を後何人か決め手おいて、一番上手く弾けていた人に伴奏者を頼むの。早乙女君もあかねだけに決めなければ安心でしょ?」
乱馬は頷いた。
乱馬としてはあかねだけに任せるのはどうしても不安だったのだ。
と言うよりも、絶対に弾けるわけがないと言う確信があった。
容姿の点ではあかねはクラスの誰よりも適任だが、技術の点ではクラスの誰よりも不適任だと、乱馬はそう思っていた。
クラスのみんなもあかねの不器用さは知っていたので、何人か候補を決めておいた方が無難だと思った。
「じゃあ多数決。何人か候補を決めておくに賛成の人。」
かくいうあかね本人も実は心配だったようで、しっかり手を挙げていた。
満場一致で、あかね以外にも何人かの女子が選出された。
「合唱コンクールは二月十五日、金曜日!それまでに伴奏者も指揮者も気合い入れて頑張ってね!」
奈美がそう言うのと同時にチャイムが鳴った。

「二月十五日かー。バレンタインデーの次の日ね。」
「忙しくなりそうね。」
「ほんと。大体校長もいきなりよね。合唱コンクールなんて。」
あかねは女子達とかたまってわいわい騒いでいる。
「今年のバレンタインデーはどうしようか。」
「チョコ作る時間あるかな?」
「さぁ、どうかなぁ?今年は合唱コンの練習で部活始まるまでの間残るんでしょ?」
「あかねはもっと大変よね。ピアノの練習までしなきゃいけないんだもん。」
「平気よ。あたしは特に部活入ってないから。」
とは言いつつもあかねは稽古の時間が減るなぁと思っていた。
しかしあかねは責任感が強い。
選ばれたからにはしっかり練習するつもりだった。
それに、乱馬に馬鹿にされた分ちゃんと弾いて見返してやろうとも密かに燃えていた。
「あかねは今年乱馬君に本命チョコ用意するの?」
「ええ?」
「ええ、じゃないわよ。バレンタイン、あげるんでしょう?」
あかねはバレンタインの事をすっかり忘れていた。
なにしろ話を半ば聞き流しながら、さっきもらった楽譜とにらめっこしていたから。
「ああ、バレンタインね。」
「本命あげるんでしょ?あかね頑張らなきゃね、チョコ作り。」
(乱馬にあげたいな・・・。けど、きっとシャンプーや右京達も用意してるだろうし、それにきっと本命チョコを作るっていったら『チョコくれるんだったら買ってくれ』なんて言いそう。)
乱馬があかねの手作りを嫌がるのは目に見えている。
さすがにバレンタインのチョコを拒否されるのはちょっと辛い。
だからあかねはチョコを作るつもりはまるでなかった。
「乱馬にはあげるけど、作らないわ。」
そこにはバレンタインのチョコはちゃんと受け取って欲しい、と言うあかねの想いが隠れていた。
のだが、周囲が気が付くはずもなく。
「じゃあ、乱馬君にあげるのは・・・。」
手作りチョコは本命。
買うのは義理。
風林間高校ではほぼ常識化しているのだ。
なぜなら本命チョコを作ってここの屋上で渡すと恋が実ると言うジンクスがあったから。
そんな訳で、手作りと言ったら風林間高校では本命チョコなのだ。
「買うんだから、義理ね。」
(気持ちは本命だけど。)
あかねは胸中で付け足した。
「「「え〜!!」」」
驚きと残念さとやっぱりというような感情が複雑に入り交じった声をみんなは上げた。
「乱馬君かわいそー。」
「あかねの本命チョコ待ってると思うけどなぁ。」
「そんな訳ないない。あいつの事だもん。『チョコくれるんなら買ってくれ。』なんて言うに決まってるじゃない。」
その光景がリアルに浮かんで一緒に話していたクラスメイト達は黙ってしまった。
(((それでもやっぱり欲しいと思ってるよ、乱馬君は・・・)))
誰もがそう思ったが、あかねは全然気付かなかった。

そして放課後

部活までの少ない時間で合唱コンの練習をクラス一丸となってやっている・・・はずだったのだが、理想と現実はかけ離れていた。
つまり・・・脱走者続出である。
その中には乱馬の姿も。
と言うより、乱馬は脱走者達の首謀者。
『そんな事してられったよ!』
と言って多数の男子生徒と共に真面目な女子達の目をかいくぐりとっとと帰ってしまった。
普段は『格好良くて強くてスポーツ万能の許嫁でいいな』なんて思う女子達もこういう時ばかりはさすがにそうは思わない。
『トラブルばっかり起こす問題児が許嫁であかねも大変ね』という気持ちにたちまち変貌してしまう。
一ヶ月宿題無しは良いが、練習はやだ。
乱馬の考えはそんなところだろう。
許嫁のあかねは頭を抱えた。
残ったのは女子と、一部の男子生徒。
仕方なく練習を始めたが、男子の人数が少ないために男子の声が押され気味。
今日はまだ始めなので歌詞を覚える事に重点を置いての練習だったが、それでも逃げ出した男子達は歌詞を覚えていないわけで、一年F組は他のクラスよりも一歩後れをとってしまった事になる。
(帰り際には『明日は乱馬君に出るようにってあかねから言っておいてくれる?』って言われるんだわ。)
なんだか仕事が増える予感にあかねはため息をついた。

そしてあかねの予感は的中した。
練習も終わり、解散時になるとさゆりやゆかや奈美などの女子生徒達は一斉にあかねの元に集まった。
「あかね、乱馬君に練習出るようにって言ってくれない?」
(やっぱり・・・。)
あのめんどくさがりな許嫁をきちんと練習に出すのは一苦労。
その役目はいつもあかねにまわってきた。
他の女子から見れば乱馬はあかねの言う事は多少聞いてくれる。
だがあかねはちっともそんな風には思っていなかった。
「ね?お願い。」
(お願い、かぁ。あたし弱いのよね・・・。)
すがるように見つめるみんなの視線にあかねはうんと頷くしかなかった。
「分かった、あたしから言ってなんとかしてみる。」
「さっすがあかね!」
「頼りになるぅ!」
「じゃ、あたし帰るから。練習もしなきゃいけないしね。」
「あ、あかね!」
ゆかは帰ろうとするあかねを呼び止める。
「なに?」
「練習ってあかねの家にピアノなんてあったっけ?」
あかねはその時になって初めて気が付いた。
天道家にピアノなんてたいそうな物があるわけがない。
「そうか、あかねの家にはピアノなんてないんだっけ・・・。」
「他の子は兄弟がやってたりして練習できるけど。あかねはどうする?」
正直困ってしまった。
特に練習できるような場所にあてがあるわけでもない。
でも次の瞬間、あかねは思いついた。
(学校!そうよ、学校の音楽室を借りれば良いんだわ!)
「平気よ!学校のピアノを貸してもらえるように頼んでみるから。」
あかねがそう言った事で、一緒に困った顔になっていたクラスメイト達の表情も笑顔になる。
「学校ね。気が付かなかったわ。」
「あたしはこれから頼みに行って来るから。みんなは行きなよ。部活とかあるんでしょ?」
「うん。それじゃああかね、また明日ね。」
「バイバイ。」
あかねはクラスメイト達と別れ職員室へ。
だが、そこでは思わぬ落とし穴が待っていた。
「吹奏楽部や他のクラスが使ってる!?」
「ああ。悪いが空きのピアノはないよ。」
音楽教師はすまなそうに言った。
別にこの先生が悪いわけではない。
あかねはしょうがないかと音楽教師に礼を言って、そのまま学校を出た。

(どうしようかなぁ、練習しなきゃ出来るわけないし。学校でもできないって言われちゃったし。)
あかねは手に楽譜を持ち、考え事をしながら歩く。
その時あかねは妙な道に入り込んで、家とは別の方向に歩いている事に気が付かなかった。
(家に帰ったら気分転換に稽古でもしよう。瓦でも割ったらスカッとするし・・・。でもその前に乱馬に練習に出るように言わなきゃいけないんだった。でも乱馬が素直に練習に出るわけもないから、明日の放課後は乱馬が逃げないように見張る事になりそうね。右京も乱馬と一緒にいたいだろうから、もしかしたら乱馬が逃げ出そうとしたら止めてくれるかも。ったく、元はと言えば乱馬が逃げ出したりするのがいけないのよ。乱馬の世話を押しつけられてるあたしの身にもなって欲しいわ。まぁ、そう言っても乱馬が分かるわけないけど・・・。あーあ、乱馬のせいで余計な仕事まで増えちゃったな。なんでいつもあたしが乱馬の世話をしなきゃいけないのよ。乱馬の奴は都合のいい時だけ許嫁の立場を利用するだけだし。実質的に言ったらあたしって乱馬の世話を焼くお母さんみたいなモノじゃない。大体、あいつあたしをなんだと思ってるの?まわりは許嫁って思ってる。けどあいつ本人は?親同士の決めた、ただそれだけの許嫁?ただのクラスメイト?ただの居候先の娘?ただの・・・)
「あたしは一体あいつのなんなんだろう・・・?」
そう呟いた時だった。
あかねの耳に微かに透明な美しい響きが。
「綺麗な曲・・・。どこから聞こえて来るんだろう。」
あかねは音のするところを探し始めた。
やがてその音はピアノだと分かる。
(誰が弾いてるのかな?)
この綺麗な調べを奏でる人が無性に気になったあかねは音を頼りに必死に探し回り、やがて一軒の古い屋敷へ来た。
音はそこからだった。
「ここって、誰もいない空き家だったんじゃなかったっけ?」
おかしいなと首を捻りつつ、あかねは敷地内へと入った。
「すみませーん。」
大きなドアの前であかねはそう言った。
呼び鈴がなかったのだ。
だが、聞こえないのか誰も出てくる気配はなかった。
意を決してあかねはドアを開けてみる。
鍵はかかっておらずギィィィッと音を立てながらスムーズとは言えないながらも開いた。
「おじゃましまーす・・・。」
広い玄関ホール。
正面には二階への大きな階段がドッシリと構えている。
沢山の部屋があった。
「誰かいませんか?」
ピアノの音がするんだから誰かいるに決まってる。
そう思いながら声を出した。
急にピアノの音がやんだ。
二階の一番右の部屋のドアが開く。
「誰だい?」
顔を出したのは透けるように白い肌で長身。
サラサラの茶髪に明るい茶色の瞳。
優しそうな十八、九の男だった。
「あ、あのピアノの音が聞こえたから・・・。ごめんなさい、勝手に屋敷に入ったりして!」
あかねは慌てて相手に謝ったが、男は笑っただけ。
「そんな事いいよ。僕は亮。君は?」
「天道あかねです。」
「あかねちゃんか。その制服は・・・風林間高校だね。」
「そうです。」
「せっかく来たんだからお茶でも飲んでいかないかい?ごちそうするよ。」
「え、でも初対面なのにお茶なんて・・・。」
あかねはごちそうになんてなれないと断ろうとしたが、亮は階段を下りあかねの前に立つと
「僕のピアノを聞いてここに来てくれたんだろう?感想も聞きたいし、お茶ぐらいご馳走させてくれないかな。」
と言う。
断りにくくなってしまったあかね。
(こんな事してる場合じゃないんだけど、まぁいいか。)
「それじゃお言葉に甘えて。」
あかねはお茶をご馳走になる事にした。

あかねは亮が出てきた部屋に通され、勧められるままに席に着いた。
しばし亮は席を離れ紅茶を入れる。
アップルティーだ。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
あかねは紅茶を一口。
いい香りがする。
味も甘くておいしい。
「おいしいです。」
あかねは笑顔で言った。
「そう、良かった。ところであかねちゃん。その手に持っているのは?」
「え?」
あかねは手を見た。
それはずっと持ちっぱなしだった楽譜だった。
「これ楽譜なんです。今度の合唱コンクールの曲で・・・。」
「貸してくれないかな?」
「ええ、どうぞ。」
亮はあかねから楽譜を受け取ると、部屋にあったピアノでそれをいともあっさり弾き始めた。
(うわぁ・・・亮さん、ピアノ上手・・・。)
初見ですらすらとピアノを弾いてしまう亮に感心した。
あかねは亮の奏でるピアノに聞き惚れる。
(なんだか、とっても暖かな気持ち・・・。この曲を作った人の気持ちが伝わって来るみたい。)
じんわりと温かくなる心。
あかねはさっきまで悩んでいた事も忘れてしまったくらいだった。
そしてあかねは思い立った。
(亮さんにピアノを教えてもらおうかな。)
やがて曲が終わり、亮は楽譜をあかねに返す。
「いい曲だね。」
「はい。・・・あの、亮さん。」
「なんだい?」
「もし・・・ご迷惑でなければ、あたしにこの曲を弾けるように教えていただけませんか?」
突然の申し出に亮は戸惑う・・・かと思いきや。
「いいよ。」
とあっさり了解が出た。
驚いたあかねだったが、これでなんとか練習が出来ると喜んだ。
しかも亮のようなとても上手い奏者の指導付き。
「ありがとうございます。まだ会ったばっかりで、しかもこんな突然な申し出なのに・・・。」
「いや、いいんだよ。それぐらいね。」
亮は笑って言ってのけた。
(なんだか、東風先生みたい・・・。)
あかねは亮に東風先生の影を一瞬ダブらせた。
「じゃあ、あかねちゃん。練習しようか。」
「お願いします。」
それからあかねはたっぷりに時間亮と共にピアノの特訓を始めた。

一方、脱走首謀者乱馬は・・・

「乱ちゃん!」
「乱馬!」
「乱馬様!」
学校からとっくに帰ってきて着替えた右京、出前の途中のシャンプー、下校途中の小太刀の三人に追いかけられていた。
最初に店を開けようとしている右京に会った乱馬。
そこへシャンプーが出前で通りかかり、しかも運の悪い事に小太刀も来たという訳だ。
毎度毎度、よくもまぁタイミング良く現れるモノである。
乱馬は不思議でならなかった。
(とはいえ、今はそんな事よりも三人を撒く方が先だ。)
「何故逃げるか!乱馬!」
「それはあなた方が乱馬様を追いかけるからですわ!」
「そんならあんたが追いかけるのを止めたらええやないか!」
「乱馬!私とデートするよろし!逃げるの良くないね!」
「まぁ!乱馬様は今から私の家にいらっしゃるのですわ!」
「乱ちゃんはうちの心のこもったお好み焼き食べるんや!」
(誰もそんな事言ってねぇだろ!勝手に決めやがって。俺は今すぐ帰って稽古したいんだ!)
乱馬のそんな想いにはちっとも気が付かない三人はしつこくしつこく追いかけてくる。
(どうにかして撒く方法は・・・!)
「あー!あんな所に俺のそっくりさんが!」
乱馬は適当な方向を指した。
「どこあるか?」
「どこや?」
「どこですの?」
(いるわけがない。)
乱馬は胸中でそう付け足しながら、三人をおいてその場から姿を消した。
それから三人は乱馬がいなくなっている事に気が付くのであった。

(全くしつこいぜ、あいつら。)
乱馬は道場に帰って稽古をしようとした。
だが乱馬には一つ気にかかる事があった。
あかねの事だ。
(練習なんてめんどくせぇからとっとと帰ってきちまったけど、あかね怒るだろうな。きっと『あんたはどうしてそう勝手な事ばっかりするのよ!』なんて怒鳴ってさ。いいじゃねぇか。別に。本当にめんどくせぇんだもん。けどあかねの奴はきっと真面目に練習とか出てんだろうな。酔狂なこって。確かに合唱コンの優勝商品である一ヶ月間宿題免除はおおいに嬉しいけど、その為に練習なんてやなこった。それだったら稽古してる方がマシだもんな。・・・あいつ、伴奏者なんてほんとに出来んのか?いや、考えてみるまでもねぇな。やっぱり学校でも言ってやったがピアノの鍵盤の所が破壊されて終わるだけだろ。あいつの不器用はただの不器用とは訳が違うから。きっと練習は学校でするんだろうな。ピアノは何台残ることやら・・・。全部あかねが壊しちまったりしてな。)
乱馬は一人でそんな事を考える。
あながちハズレじゃねぇかも・・・。
そう思って乱馬は天道家に回されて来るであろう請求書の額を予想してみた。
(きっと何千万単位だな。天道家にそんな大金はねぇし、一体何回ローンになるんだろ。)
「あら、乱馬君。あかねはまだ帰ってないの?」
「なびき。あかねの奴ならまだだぜ。」
なびきは制服姿。
今しがた帰ってきたばかりのようだ。
「おかしいわね。あかねのクラスの子達は部活に出てたから、あかねももうとっくに帰ってきてると思ったんだけど。」
「あいつ伴奏の練習でも学校でしてんじゃねぇの?」
乱馬はどうでもよさそうに答えた。
「ふーん。あかねは伴奏者に選ばれたのか。これは写真に撮らなきゃ。」
また稼ぎ口が舞い込んできた、とばかりに喜ぶなびきだったがすぐに態度を変えた。
あかねが超不器用だと言う事を思いだしたのだ。
「でも、あの子が伴奏なんて出来るわけないわよね。」
「そう思うだろ?俺もそう思う。」
なびきが自分と同意見なのを知って、乱馬はウンウンと頷いた。
「いい写真が撮れると思ったけど、まぁいいわ。別口で稼がせてもらうから。ね?乱馬君。」
「なんで俺に振るんだよ。」
「乱馬君で稼がせてもらうのよ。」
「なにぃ?」
自分をネタになびきが稼ぐなんて、なんかとんでもない事でも起きそう・・・と言うよりもとんでもない事に巻き込まれそうだ。
乱馬は直感的にそう思った。
(今までの経験から言ってなびきが稼ぐ時は写真だけど、たまに俺自身を一時間千円でレンタルするからな。そんな事されちゃ困る。)
「まさかまた俺をレンタルしようなんざ思ってねぇだろうな。」
「思ってるわよ。今度は三十分千円で。女子限定で、十四日に。」
なびきはこともなげに自分の案をばらした。
「だー!なんで俺をレンタルなんかすんだよ!」
乱馬は思わず怒鳴ったがなびきはあくまで冷静に言った。
「可哀想な乙女達を救うためよ。」
「はぁ?」
「馬鹿ね、あんた。二月十四日と言えばバレンタイン。つまり乱馬君にチョコをあげたいと思う女の子達に乱馬君独占時間、三十分を特別価格、なんと千円で奉仕してあげるって寸法よ。きっとあかねがいて渡しにくいなんて思ってる子達が面白いように飛びつくわよ。」
バレンタイン。
そう聞いてようやく合点がいった。
今までは興味はなかった。
でも今年は、興味ない訳じゃない。
毎年貰うチョコは多い方だが今まではチョコがもらえてラッキーと思う程度。
ただ、今年は・・・。
(あかねの奴、俺に用意してくれるかな?)
今年は彼にも気になる少女がいる。
許嫁の彼女は自分のためにチョコを用意してくれるだろうか。
だが、それなら予防線を張らなければならない。
なにしろ彼女は不器用で、彼女の作り出す料理をどれもみな殺人的まずさを誇る物である。
見かけだってヤバイし、鼻につく臭いはツンとする刺激臭。
そんな物ばかり作り出す彼女の手作りチョコだけはなんとか避けたかった。
(後でチョコは買ってくれって頼もう。)
「あかねは今年乱馬君に手作りするんじゃないかしら。」
なびきはいきなりそう言い出した。
「な、なんでだよ!」
それは乱馬にとってある意味死を意味していた。
一口食べれば三途の川のほとりまで行くようなまずい料理を作り出す彼女の手作りチョコは遠慮したい。
「だって本命チョコは普通手作りでしょ。」
なびきはそれだけ言うと自分の部屋に戻って行った。
本命チョコ=手作り
それは乱馬にとって究極の選択だった。
(本命チョコは欲しい。でも俺はまだ死にたくねぇ。でも本命チョコは欲しい。死にたくない。本命チョコをとるか、生をとるか。)
あかねの手作りチョコ一つにここまで悩む乱馬。
なんだかんだ言って乱馬はどうやらあかねにゾッコンらしい。
(ふぅ・・・あかねの奴には買ってくれるように言うか。それでももしかしたら本命チョコ作ってくれるかもしれねぇし。そ、そしたらしょうがねぇもんな。そんときは突っ返すのもなんだから喰ってやろう。腹壊すの覚悟で。あ、胃薬の用意でもしとくかな。)
結局、あかねの本命チョコが欲しいと思う乱馬だった。


つづく



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