◇SUMMER VACATION 〜8月2日〜
夏海さま作
8月1日 金曜日
少年は名を乱馬と言った。
それ以外分からないと言う。
乱馬はなんの記憶も持っていなかった。
だったら死んだのかもしれない、と言ったら本人は、だから死んだ記憶もねぇって言っただろと返した。
屁理屈を、と思うがそれは置いておいて。
つまり彼は自分の名前以外、死んでいるのか、はたまた生きているのか、生きているとしたらどこに住んでいて、どこに自分の身体があるのかさえ分からない状態だった。
死んでいるならそれでもしょうがないが、生きているなら身体に戻りたい。
そんな訳で彼はずっと一人で探していたようだが、やはり一人では限界があると思ったようで自分の姿を見ることが出来る者を探していたらしい。
そこで初めて彼を見たのがあたしだったと。
とんでもない話だ。
あたしは驚いてその場から逃げ出してしまった。
少し悪いことをした。身体探しを手伝って上げれば良かったと少し後悔。
今度会ったら手伝って上げよう。
そこまで読んであかねは日記を閉じた。
昨日の日記を読み返していたのである。
あるいは昨日の事は全て夢なのでは・・・と思ったからである。
しかし日記は残っている。
「つまり・・・現実か。」
「今度会ったら手伝ってくれんのか。」
「そうね。可哀想だし、それにそれぐらいの時間はあるし。」
「そうか。おめぇ、いい奴だな。」
「?」
あかねは後ろを振り返った。
すぐ後ろに乱馬が立っている。
あんまり驚いて、そのまま硬直しているあかね。そのあかねに乱馬が声を掛けようとした。
「おい、どうし・・・。」
「きゃあああああああああああああっ!」
あかねが悲鳴を上げた。
乱馬が耳を塞ぐ。
「なんだよ!いきなり悲鳴なんか上げやがって。」
「レディの部屋に勝手に入ってくるなんてどういう神経してるのよ!いつから居たの!」
「おめぇが日記を読み返してる時から・・・。」
「じゃあ日記まで見たの!?サイテー!」
避難を浴びせかけるが、乱馬はそれに構わずあかねの手を取った。
「触れるんだ。」
透き通って見える乱馬が自分の手を掴めたのは意外で、ちょっと驚いたようにあかねが言った。
「俺の身体探し、手伝ってくれるんだよな。」
「・・・しょうがない。手伝ってあげるわよ。」
「サンキュ、あかね!」
あかねの顔が急に赤くなった。
それから乱馬の頭を叩く。
「いつまで手を握ってるのよ!」
「あ、わり。」
二人は暑く照らす太陽の下に躍り出た。
ジリジリと肌を焼く光に顔をしかめたが、あかねはそのまま自転車に跨る。
乱馬がその後ろに座った。
「普通男が漕ぐものじゃない?」
「俺、透明なまま自転車漕げねぇもん。だってこのまま自転車漕いで見ろよ。前には誰もいないのに自転車が後ろにおめぇを乗せて走ってるって周りからは見えるんだぜ?」
「それは・・・。」
確かにその通り。
そんな変な物見た事がない。
見せ物になる事間違い無しなので、あかねも諦めて自転車を漕ぎ出す。
「快適快適。」
「良かった、あんたに重さが無くて。」
一人で乗っている時とさして変わらない。
乱馬の体重は感じられなかった。幽霊(?)なのだからそれは当然なのだが。
「ところでどこ行くんだ?」
「図書室。あんたの事、新聞に載ってるかも知れないでしょ?」
「そうか・・・こんな小さな村だもんな。人一人がいなくなったり、死んだりしたらすぐに新聞に載るか。」
「そういう事。特に注目するのは村内新聞。あの新聞、どんな小さな事でも書いてあるんだもん。だから乱馬がこの村の人かすぐ分かるよ。」
以前おもしろ半分に村内新聞を読んでみたのだが、どこどこの誰さんの家の山羊が子供を産んだ話だとか、あるおばあさんが転んだ拍子にぎっくり腰になっただとか、そういうくだらないようなほのぼのとしたような記事が出ている。
小さな村なので記事にするようなことがあまりないのだろう。
出るのは二週間に一度くらいだ。
だから、もし一人の少年が死んだか何かしていれば村内新聞には大きく取り上げられるだろうとあかねは思ったのだ。
「どこから来たんだ?」
突然話を振られてあかねは「え?」と返した。
「おめぇ、この村の奴じゃねぇんじゃねぇの?」
「よく分かったわね。」
「その手、綺麗だから畑仕事なんてしねぇだろうなって思ってさ。」
あかねは自分の手を見た。武道をやっているせいで随分ごつくて太い指や手が、綺麗だとは思えなかった。
「綺麗かな?この手。」
「おう。普通はこうもっとさ・・・俺の手みたいになってる奴が多いんだ。」
乱馬が自分の透き通った手をあかねに見えるように出した。
「俺の手はずっと畑仕事してたから爪なんていっくら切っても土が入ってとれやしねぇし、ごついし。その点おめぇの手はさ、そんな事ねぇじゃん。指、細いし爪も綺麗だ。」
「東京に行ったらあたしなんかよりずっと綺麗な手の人いるよ。それに、乱馬の手がそんな風になってるのだって一生懸命畑仕事をしているからでしょ?だからあたし乱馬の手、好きだな。」
本心からだった。
その手がいくら汚れていても、その事が逆に一生懸命働いている証のように思えるのだ。
「そ、そうか?」
「何照れてるの?」
「ば、バッカヤロー!照れてなんかねぇよ!」
「あー、やっぱり照れてるんだ!あはは、かわいいッ!」
「男が可愛いなんて言われて喜ぶかよ!」
むくれる乱馬を見て、あかねはますます笑った。
「・・・おめぇ、東京から来たんだな。」
「そうよ。どうして?」
「別に。」
そこで会話が途切れたが、あかねがふと思い出したように短く叫んだ。
「あっ!」
自転車を止めて、後ろに座った乱馬に言った。
「乱馬って畑仕事してたんだね。」
「なんでそんな事・・・。」
「だって自分の手が畑仕事している人の手だなんて、あたし分からなかったもの。それって自分が畑仕事をしているからそういう事が分かるんだよ。」
「そっかっ!」
「だから、乱馬はきっとこの村か・・・そうじゃなくてもきっとこの付近の人なんだよ!この辺りには農村がかなりあるし・・・すぐ近くの隣村とかもそうだしね。」
「俺はこの辺の奴なのか。」
キョロキョロと辺りを見回す。
少しでも見知ったところがないかと探しているようだ。
あかねはゆっくりと、自転車を走らせ始めた。
昨日と同じように、良牙の家の畑の前も通る。
しかし今日は良牙の姿が見えない。居るのは良牙の両親とおばあさん。
いつもなら家族総出で畑仕事に精を出しているはずなのだが。
「あら、あかねちゃん。」
声を掛けてきたのは良牙の母だった。
「こんにちわ、おばさん。良牙君はどうしたんですか?」
「あの子ならおじいさまと隣村に行っているのよ。友達の畑を手伝って来るって言って。」
「そうですか。」
小さな謎が解けたので、あかねは早々に立ち去ることにした。
あまり長く立ち話で引き留めておくのは仕事の邪魔だからだ。
それからしばらくして図書室に着く。
いつもなら迷わずにファンタジー小説の方へ行くのだが、今日は真っ先に新聞の所へ向かって行った。
最近のから十年前の物まで。
あかねが席に座って新聞のファイルをめくり始めると、乱馬もその隣に腰を下ろしてファイルを覗き込んだ。
「そんなに昔とは思えねぇんだけど・・・。」
乱馬がそう呟いた。
(そもそも時間の感覚が合ってるのかさえ分からないけれどね。)
もしかしたら本人の気が付かない間に随分時が経っているかもしれないとあかねは思いながらページをめくり続けた。
「ないッ!あんたらしき人の事は全然書いてないわ!」
思わず大声で言ってしまったが、幸いにも今日の利用者はあかねだけだ。
「そうか・・・じゃあ俺はこの村の人間じゃないのか?」
「多分。別の農村の人なんじゃない?」
「当てが外れたな。」
乱馬がガックリと肩を落とす。
「まだ別の方法がきっとあるわよ。」
励ますように言うが乱馬には効果がなかった。
「根拠もなくそういう事言うなよ。」
「なによその言い草!今回は駄目だったけどまだもう探りようがないっていう所までは来てないじゃない!人がせっかく慰めてあげてるのに!」
「慰めてくれなんて頼んじゃいねぇよ!」
完璧な八つ当たりである。
しかし乱馬も自分の事が分からないが為に溜まったストレスを、どうしようもなかったのだろう。
「ああ、そうですか!余計な事してごめんなさいね!」
あかねもあかねで八つ当たりされて気分を害して、図書室から出ていく。
そのまま自転車で家へ帰る。
その途中で良牙に出会った。
「あれ、良牙君。どうしたの?」
「隣村からの帰りなんです。爺ちゃんと一緒に来たんですけど、村に入ったところでどうもはぐれちゃったみたいで。」
「そうなの?あたしも丁度家に帰るところなの。一緒に帰らない?」
「そうしてくれるとありがたいです。」
おそらくはまたも家が分からずに迷っていたのだろう。
良牙はあかねにあってホッとした表情を浮かべた。
「隣村って何してたの?」
「友達の家の畑の手伝いをしてたんですよ。そいつ今入院中で、お袋さんと親父さんだけじゃあ大変だろうと思って。あいつは一人で三人分くらいの働きをする奴なんですよ。」
「そうなの、大変ね。そのお友達も、ご家族も。」
良牙が少し寂しそうに頷いた。
「いつもからかってくる相手がいないと調子狂っちゃうんですよね。・・・ああ!あかねさんも多分遊んだ事ありますよ。でももう覚えてないでしょう。随分小さな頃だったから。」
「うーん・・・覚えてないなぁ。だって覚えてるのって良牙君だけだもん。多分会ったら思い出すんだろうけど。」
「そうでしょうね。」
その後は二人で昔話に花を咲かせた。
「誰だよ、あいつは。」
あかねの事が気になって追いかけてきた乱馬があかねの隣に自分の以外男がいるのにムッとした。
しかし良牙は元より、あかねもそんな乱馬には気が付かなかった。
その夜。
「おばあちゃん。明日は畑を手伝うね。」
「そう?ありがとう。でもたったの一週間しかいられないんだからゆっくりしてていいんだよ?」
「ううん。こっちにいられる日にちが後四日だから余計に手伝わせて欲しいの。お願い。」
「じゃあお願いしようかね。」
「ありがとう!畑仕事ってやってみたかったの。」
(あいつが謝ってくるまでは手伝いなんてしてやらないんだから。)
あかねは予想もしていなかった。
もうあの乱馬には会えないという事を・・・。
つづく
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