◇桜花爛漫 〜想いを伝えよ、桜の木〜 後編
夏海さま作



 次の日、朝早く目が覚める。
 隣に彼の姿はなかった。
 予想はしてた。ほぼ、間違いなくあいつがこうするって知ってた。
 急いで着替えて、玄関から飛び出すあたし。
「ちょっとッ!」
 息を切らせて走ってきたあたし。彼は、桜の木の下にいた。
「黙って行くなんて酷いんじゃないの?」
「なっ!?」
 驚いた彼。
「あんたが黙って行くって、あたしが分からないと思ったの?夫婦歴はたったの一日でも、幼なじみ歴は十数年なんだから!ちょっとした素振りで分かるに決まってるでしょ?」
 昨日の彼はいつになく優しくて、素直だったから。
 ・・・まるで残りの時間を惜しむように。
 昨日の夜、あんな約束の話しをしたのは明日の朝にはいないから。
 明日の朝話せばいい事を夜話したのは、彼が明日黙って出て行く気だったから。
 ・・・分かってたんだよ。全部。
「でも、なんでここだって・・・。」
「なんとなく、最後にここに来る気がしたの。あんたが気に入っていたから。」
 彼はお手上げとばかりに両手を挙げた。
「さすがだな。」
「当然よ。夫婦なんだから。」
「・・・俺が帰ってくんの待ってろよ。勲章とかめいっぱい貰って、手柄挙げて錦飾ってやらぁ。」
 あたしは、彼の胸に飛び込んでむせび泣いた。
「手柄なんていいの!勲章も、いらない!逃げたっていい。あたしはあんたの事、かっこ悪いなんて思わないから。だから・・・無事で帰って来て!約束破らないで!あんたが帰ってくるの何年でも待つから!しわくちゃのおばあさんになったって、あんたの事待ってるから!お願い・・・。」
 彼にすがりついたあたしの足から力が抜けて、膝をつく。
 約束破らないって言って。
「俺が、そんなヤワな奴に見えっか?絶対に約束は守る。」
「ほんと?」
「ああ。」
「嘘じゃない?」
「ああ。」
「絶対に?」
 しつこく言うあたしを見て、彼を苦笑した。
「疑り深い奴。」
「だって・・・。」
「そんなに心配なら、印やるよ。」
 彼は、あたしの服の襟元を少し緩めた。
「ちょ・・・っ!?」
 鎖骨の当たりに唇をつけて、吸い上げられた痛みに思わず『痛いじゃないッ!』って怒鳴りそうになったけど、彼が満足げに顔を上げたからやめた。
「ほれ。」
 彼が指を指す先には赤い・・・。
「な?それが印って事で、勘弁しろよ。」
 立ち上がってから、彼はあたしの頭にポンッと手を置いた。
「・・・そろそろ行くから。」
「・・・うん。」
 あたしは地面を見つめている。顔を上げる事は出来なかった。
 あたしは泣いていたから。
 人は言う。
 お国の為に愛する人が戦うのだから胸を張って笑顔で見送れ。泣くなんてもっての他だ。
 それでもどうしようもなく悲しくて、辛い。
 誰がそんな事言ったのだろう。
 本心を偽った言葉じゃない。本当は誰もそんな事思っていない。
 みんな死にたくないって思ってるでしょ。みんな行かせたくないって思ってるでしょ。

 死なないで・・・。

 言いたいのはこの一言なのに、みんな言えない。
 おかしな事に、言ったらいけない。

 行かないで・・・。

 引き留めたいのに、それが出来ない。
 おかしな事に、引き留めたらいけない。

「顔、あげろよ。」
 上げられないの。
 上を向いたら、送り出せなくなってしまう。
 そしたら、根が優しいあんたは困るでしょ。
「ったく、泣き虫。」
 彼はクイッとあたしの顎に手をかけて、上を向かせた。
 『悪い!?』って言おうとしたら、彼の唇にふさがれた。
 触れるか触れないかの口づけ。
 彼は心の底から笑ってた。あたしの耳元で囁く彼。
「愛してる。」
 ―――そして彼は行ってしまった。

 家に帰ったあたしは、ちゃぶ台の上に一通の手紙を見つけた。
 慌てて家を飛び出したから気が付かなかったけど、その手紙はもちろん彼からあたしへの手紙。
 彼もあたしと同じ事をしていたのだと分かって、似たもの同士ねと微かに笑った。
 汚い字だけど、そんなの全然気にならなかった。
 優しい彼の気持ちが痛いほど伝わってくる。
 そして、手紙に残された涙の後。
 どれだけあなたは辛かったんだろう。あたしと同じくらい、ううん、もっと辛いんだよね。
 緩んだ涙腺。
 手紙の最後に書かれた『愛してる。』の文を読んだらあたしは耐えきれなくなって、遂に声をあげて大泣きしてしまった。


 それから、どれだけの月日が流れたか。
 三回の春が駆け足で通り過ぎて行った。
 お母様は昨年の冬亡くなった。穏やかに微笑んで、あたしが見る前で息を引き取った。
 あたしは彼の家に一人残されたけど寂しいなんて思わない。
 いつか帰ってくるあなたを待つ毎日。
 あなたはきっとお母様が無くなった事を悲しむわね。二人でお墓参りに行こう?きっとお母様もあなたが無事な姿を見たら喜んでくれるわよ。
 それから、あたしの成果を見て。料理上手くなったんだから。
 お母様直伝だから、きっと口に合うはず。ほんとよ?自信あるんだから。お母様のお墨付きだからね。
 辛い生活だけど、大丈夫。
 あなたが帰ってくるその日の為に、耐えてみせる。
 あなたの『ただいま。』の一言が玄関で聞こえる日を、待ってるから。
 もしあなたが帰って来たら、あたしの事誉めてよ。
 『よく頑張ったな』って。あなたの太い腕で思い切り抱きしめてよ。
 いつ帰って来てもいいように、あたし一ヶ月に一度はあなたの服全部洗濯してるの。すぐに服を着られるようにしてないと、困るでしょ?

 願いはただ一つ。
 早く帰ってきて・・・。


 四回目の春。
 ある日、あたしの元に小さな小包と手紙が届いた。
 差出人は二つとも同じ人であたしの全く知らない人からだ。
 間違いかとも思ったけれど、それは確かに家の住所だった。
 怖々と開けようとしたその時。
「ただいま!」
 懐かしい、あの声が聞こえた。
 あたしはそれを押し入れの奥に無理矢理押し込めてから、玄関に走る。
 ―――彼が、いた。
「元気だったか?」
 その声も、その姿も、その仕草も。
 待ちわびていたあの人のもの。
「なんとか言えよ。せっかく俺が帰って来たってのによ。」
 そう言って悠々と荷物を置く彼。
「馬鹿ぁッ!心配したんだから!」
 叫んであたしは彼の胸に飛び込んだ。
 彼は一段と逞しくなっていて、たやすくあたしを抱き留める。
「良かったぁ。帰って来てくれて、良かったよぉ。」
「心配かけて悪かったな。」
「あたし、ちゃんと料理上手くなったんだから。」
「浮気したか?」
「する訳ないでしょ!」
「だろーな。俺はおめぇの事信じてるぜ。そうそ、これ見ろよ。」
 彼は自慢げに胸元に付いた勲章を見せびらかす。
「へっへー。どーだ、三つも勲章もらっちまった。」
「凄いじゃない!」
「俺の事自慢していいぜ?ったく、おめぇはこんな立派な旦那持てて幸せだな。」
「自惚れも程々にしなさいよ。あんたこそ幸せじゃない。これでもあんたが出征した後、何人もの人に結婚申し込まれたんだから。でもちゃんとあんたは帰って来るって言って断ったのよ。」
「ぬぁにぃ〜?どこのどいつだ、俺のモンに手ぇ出すとはいい度胸してんじゃねぇか。」
 途端に怒りを露わにする彼。
 独占欲強いのも変わってないみたいね。
「あたしにはあんただけなんだから怒らないの。」
 そう言ったら彼は見る見るうちに顔を赤くした。
 何も変わっていなかった。
 けど、なんだか彼の身体は冷たかった。
「どうしたの?身体冷たくない?」
「今日は、ちっと風が、つめてぇんだ。そんな中を、ずっと薄着で、歩いて来たから。」
「そう。じゃあ、早く上がって温まりなさいよ。」
「そうすっかな。」
「もう、ずっと家にいられるんだよね?」
 彼は俯いた。
「・・・明日には、もどらねぇと・・・。」
「・・・そう、なの。」
 彼は黙って家に上がった。
 あたしもその後をすぐに追って、なにか暖まる物を作ってあげる事にした。


 その夜、出発する前日と同じように、あたしは彼と一緒の布団で寝てた。
 彼の身体はやっぱり冷たかった。
「ねぇ、どうしてそんなに身体が冷えてるの?」
「さぁな。ま、おめぇが暖めてくれんだろ?」
「助平。」
「男はそういうもんなの。今だって十分我慢してんの。戦争が終わったらって約束だしな。」
「あたしはもう約束果たしたわよ。」
「そうだな。見違えるほど料理上手くなってたもんなぁ。」
「お母様に仕込んでもらったから。」
「お袋か。死に際にはいてやれなかったけど、墓に行けて良かった。」
「そうだね。きっとお母様も喜んでるわよ。あんたの無事な姿を見る事が出来て。」
「そうかな・・・?」
 彼は曖昧な返事をした。
 今にも消えてしまいそうな彼を、あたしはギュッと抱きしめた。
 腕枕をしてもらっているのに、その腕が次の瞬間には無くなってしまうような恐怖を感じていた。
「ったく、おめぇはしょうがねぇな。」
 彼はあたしを布団ごと抱きしめた。
 あたしは彼をすんなり受け入れ、もう少し身を寄せた。彼の温もりを感じたくて・・・。


「そう言えば聞き忘れてたけど、あたしの手紙に気が付いた?」
「一応おめぇが俺にくれた初めての手紙だしな。お守り代わりに持ってたぜ。」
「今も持ってる?」
「・・・わりぃ。無くしちまって・・・。」
「あたしはちゃんとあんたの手紙持ってるのに。」
 玄関先での会話。
 彼はまた行ってしまう。
 彼は寂しげな顔をしている。名残惜しそうに家中を見て回った彼。
 深い口づけをかわす。
 肩を落として出て行くその背中に、あたしは叫んだ。
「すぐ帰って来るんでしょ!?」
 彼は、振り向かなかった。
「・・・ごめん・・・。」
 彼はそう言った。
「どうして!?」
「・・・・・・ごめん。」
 朝靄の中に、彼は姿を消した。
 ごめんなさいを言うのはあたしの方。
 あたしはその場に泣き崩れた。
 あなたが帰って来れないって知っていたのに、あんな事を聞いてしまった。

 昨日届いた小包の中には、彼の遺骨が入っている。
 昨日届いた手紙は、彼を看取ってくれた仲間の人からの手紙。

 彼が死んでるって、知っていた!
 彼はこの世の人ではないと、彼はもう逝ってしまったのだと、あたしは知っていた!!!
 昨日は寒くなんかなかった。むしろ春にしては暑いぐらいだった。
 昨日の夜、いくらくっついていても彼の体が温まるどころかあたしの方が冷たくなった。
 さっきかわしたばかりの口づけ。彼の唇はひんやりとしていた。感触はあっても思わず飛び上がるぐらい、冷たかった。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 いくら謝っても足りない。
 最後の最後で、あたしは彼を困らせてしまった。
 あなただって死にたくて死んだ訳じゃないのに。
 なのに最後になってあなたを苦しめてしまった。
 死んでも尚、あたしの為に帰って来てくれたあなた。約束をわざわざ守る為に、戻って来てくれたあなた。
 あたしは、最後にあなたに『ありがとう』と言わなければいけなかったのに。

 届いた手紙には、彼がどんなに勇敢に戦ったかという事。
 仲間の一人を助けようと、自分が身代わりになって撃たれた事。
 最後まであたしの事を気にしていた事。
 そんな事が書いてあった。
 小包には、親指大の彼の遺骨。
 たった、たった一欠片。真っ白で小さな欠片。
 これが彼だなんて信じられなかった。
 でもあたしはまだ幸せだ。
 骨さえ帰ってこない人もいるのだから。
 ましてや、死んで尚も会いに来てくれる人なんか・・・。

 フラフラと外に出た。手には彼の遺骨が握られている。
 桜の木の下に座り込んだ。
 あなたのお気に入りだった桜の木。

 あたし、とても酷い事をあなたに言った。
 ごめんなさい。
 どうしても信じたくなかったの。
 あなたがもう死んでしまったなんて。
 事実から目を背けて逃げていた。
 帰って来てくれて、ありがとう。
 あなたの姿を見た時、あなたに抱かれた時、嬉しかった。
 ずるいあたし。
 あなたを引き留めようとした。
 そんな事ダメだと分かっていたのに。あなたを迷わせてしまった。
 死んでてもいい。そんなの関係ない。あたしの側にいて欲しい。
 ただその一心で。
 身勝手なあたし。
 あなたの気持ちも考えずに、あんな事を言ってしまった。
 
 桜よ、桜。
 先に逝ってしまった彼に伝えて下さい。
 あたしの想いを伝えて下さい。

 桜よ、桜。
 素直になれないばかりに、結ばれた時間があまりに短かったあたし達。
 そんな人を増やさないように、人々に伝えて。
 あたし達のような想いをする人を、これ以上増やさないように。
 あたし達の代わりに、幸せになってくれるように

 雨の日も風の日もあたしはそこにいた。
 何も食べずに、何も飲まずにそこにいたあたしを気にしてくれる人は沢山いたけれど、そのうち誰も声を掛けてこなくなった。
 徐々に重くなる身体はまるで重りをどっさりつけられたみたい。
 身体を動かす事も出来ずに、あたしはそこにいた。そこから動きたくなかったから別に気にしなかった。
 この桜の木の側にいると、彼といるみたいに暖かだったから。
 ずっとここにいるって決めたの。彼といるって・・・。
 ―――何日経ったか分からなかったけれど、ある日。
「おい・・・、おい!」
 身体を揺すり起こされた。いつの間にか眠っていたあたし。
 このまま眠っていたら彼の所に行けたかもしれないのにと、恨めしく思いながらなんとか目を開いた。
 今度は一体誰があたしに話しかけてきたの?
 うっすらとこじ開けた瞼の隙間から見えたのは、彼の姿。
「ったく、こんなトコで寝やがって。風邪引いたってしらねぇぞ。」
 重い瞼を懸命に開いて、彼の姿を見ようとした。
 上手く動かせない口で、彼に謝ろうと思った。
「立てよ。」
 彼は手を差し出した。
「ダ、メ・・・。体が重くて、動けないの・・・。」
 ピクリとも動かせなかった。
 目の前に彼がいるのに、あたしはちっとも動けなくて悔しかった。
 その手を取りたいのに・・・。
 彼は笑う。
「ほんと、俺がいねぇとダメだな。」
 あたしの手を取った彼。
 何故だか急に体が軽くなって、あたしは重い束縛から解き放たれたようだった。
「動くじゃねぇか。」
「ごめんなさい!」
「あんなの気にすんなよ。」
「それと、どうしてここに・・・。」
「ばぁーか!迎えに来てやったんだよ。」
 彼はあたしの額をチョンと突いた。
「迎え?」
「そっ。分かったら行くぞ。」
「また明日になったらまたあたし達別れちゃうの?」
 彼は首を振った。
「これからはずーっとずーっと一緒だ。」
「本当?」
「嘘なんかつかねぇよ。」
「嬉しい!」
 あたしは彼の首に腕を絡めた。
 彼はちょっと驚いたようだけど、すぐに腰に腕を回す。
「もう、離れねぇからな。」
「うん。」
 あたしは彼に手を引かれて歩き出す。
 前には眩しいぐらいの光。
 痛いぐらいに強く握り合う手。
 ちらと後ろを振り返る。
 桜の木の下に、あたしの身体があった。
 名残惜しくないと言ったら嘘だけど、これで良いの。
 彼といられずに歩く人生より、彼といられるこっちの方が。
「これから向こうでずっと一緒だぞ。」
「そうじゃなかったら、あたし浮気してやるから。」
「この俺以上にいい男なんかいるか。」
 自信満々の彼を見ながらあたしは言った。
「もし生まれ変わってもあたし達一緒だからね。」
「俺が絶対おめぇを見つけ出すから、待ってろよ。」
 あたし達は同時に光の世界に飛び込んだ。
「約束だよ・・・。乱馬・・・。」




 ハッと目を覚ますと、外は既に暗くなっていた。
 ゴソゴソと穴から抜け出すあたし。
 どうやら眠っていたみたい。
「あの人の事、乱馬って言ってた・・・。」
 そっと桜の木の幹に手を触れながら呟いた。
 単なる偶然?
 彼は乱馬に似ていた。おさげがないだけで、それ以外は乱馬そのものと言ってもおかしくなかった。
 あたしは夢の中で、ある女の人だった。名前は分からない。
 その人の感情があたしに流れ込むような感覚。ううん、あたし自身の感情だったのかも。
 それぐらい違和感がなかった。
「この桜に残った、あの人の想いを感じていたのかな?」
 きっとあれはただの夢じゃない。
 あれは多分夢の中の二人を見ていたこの桜の記憶。
 彼と彼女の事、ずっと見てたんだね。
 幼なじみだった彼らの事も、結婚しようと彼が彼女に言った事も、別れた二人も、それから残った彼女も。
 全部見守っていたんだね。
 幹に触れた手をそのままに、桜の木を見上げた。
「もうすぐ来るからな・・・。」
「あ・・・。」
 錯覚だったのかもしれない。
 一瞬夢の中の彼が、桜の木の枝の上で寝そべりながら下を見下ろしているのが見えた。
 満足そうに微笑んでいた。
 少し離れた街灯の明かりで、夜の闇にぼんやりと浮かび上がる桜の木は妖艶な美しさを放っている。
 その美しさに、あたしは目を奪われていた。

「あかねッ!」
 乱馬の声だ。
 あたしが振り返ると乱馬は息を切らせて、汗を掻きながら走ってきた。
「どこ行ってたんだ!みんな心配してんだぞ!」
「あたし、ずっとここにいたの。ごめんなさ・・・。」
 謝ろうとしたあたしの言葉を乱馬は遮った。
「嘘つけ!ここなら俺は何度も通ったんだからな!」
「嘘!あたしずっとこの木の穴に入ってて、そのまま寝ちゃって・・・。」
「穴ぁ?どこにんなもんがあんだよ。」
「そこよ!よく見てみなさい!」
 あたしは桜の木を指した。
 乱馬は近寄ってジロジロと見た後、幹をぺたぺた触ってみる。
「ねぇじゃねぇか。」
「そんなはず無いわよ!ちょっと退いて。」
 乱馬を押しのけて、今度はあたしが穴を捜してみた。
 けど驚いた事にそんな穴、無かった。
「ほーら、ねぇじゃねぇか。」
 勝ち誇ったように言う乱馬。
 本当にあったのに、あたしがバレバレな嘘をついたみたいじゃない。
「で、どこ行ってたんだよ。」
「ここにいたの!ちょっと寝ちゃってただけだもん。」
「・・・ま、そういう事にしといてやるよ。」
「ほんとなんだってばッ!」
「へいへい、わかりましたー。」
「乱馬ッ!」
 全然信用してないから、思わず手が出た。
「ってぇ!凶暴女ッ!」
「ふん!あたしの事信じてくれない罰よ!」
 夢の中の彼とは大違いだ。
 夢の中の彼は照れ屋で自信過剰なところまで同じだったけど、もうちょっと優しかったしあたしの事ちゃんと信じてくれたのに。
「・・・・・・。」
 乱馬が何か言ったのが聞こえた。
「え?何?」
「聞こえてねぇんだったらいい。」
「何よ!気になるじゃない!」
「別にいいって!」
「やだ、教えて!」
「しつけーぞ!」
「あんたが教えてくれないからでしょ!」
「だーっ!いつか教えてやるって!」
「いつかっていつよ!」
「おめぇが忘れた頃だーッ!」
 叫ぶと乱馬は脱兎の如く逃げ出した。
「待ちなさいよ、乱馬ーッ!」
「誰が待つかっ!」
 前を走っている乱馬の表情は読めないけど、多分笑ってるんだろう。
 あたしの事からかって!
 ムキになって追いかける乱馬の背中を見ながら、夢の中の彼を思い出す。

 もし、夢の中の彼女があたしなら。
 夢の中の彼はあんただったのかもね。
 もしかしたらあんたとあたしは彼と彼女の生まれ変わりかもよ?
 だって夢の中の彼と彼女は約束したもん。

 生まれ変わっても一緒だって。
 彼は絶対彼女を見つけ出してくれるって。
 ・・・だから、ね?


 桜よ、桜。
 
 ―――あたし達は彼らの生まれ変わりだって思ってても良いですか?―――








桜の幻想・・・不思議な物語〜あかね編
読み応え抜群のパラレル作品。
悲恋物語の筈なのに・・・互いを思う絆の強さが心打つ珠玉作品。
読み終わると顔がズルズル状態に・・・。何度読み返しても泣けてしまう私って一体・・・。
(一之瀬けいこ)




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