◇桜花爛漫 〜想いを伝えよ、桜の木〜 前編
夏海さま作


 今日は天道家、早乙女家総出でお花見に来た。
 あたし達だけ・・・のはずなのに何故かシャンプーに右京に小太刀に久能先輩、良牙君、東風先生、おじいちゃんにシャンプーの曾おばあさん、果てはクラスメイトまでが勢揃いしている。
 少し、乱馬と二人きりになれるのを期待していたあたし。
 期待はずれも良いとこ。
 逆に悪い予想の方はここまで当たる!?って思いたくなるぐらいによく当たっているから驚くよりも先に呆れた。きっと情報源はなびきお姉ちゃんに違いない。
 久能先輩はしきりにあたしの方に抱きついてこようとする。その度にあたしや、隣にいた良牙君が追い払ってくれた。いつも追い払ってくれる乱馬は三人娘に囲まれて手も足も出せない、まさに雁字搦め。
 なんて言うか本当に想像通りの展開だから、脱力しちゃった。
 もう乱馬なんて知らないって感じで良牙君と話してる。
 乱馬はあたしの事ずっと睨んできてるけど、何よ。自分だってシャンプー達とベタベタしてるクセに、あたしが良牙君と話してたらそうやって睨んでくるなんてなんか矛盾してる。
 ヤキモチ焼いてるんでしょ。
 あんたにそう言いたいけど、言わない。どうせあんたの答えなんて「誰がおめぇなんかにヤキモチなんか焼くか!」なんてトコでしょ?
 かすみお姉ちゃんは東風先生と仲良くやってる。羨ましいなぁ。
「わははははっ!おねいちゃーんっ!」
 おじいちゃんが別の所でお花見しているOLの人達に飛びついて行く。
 それを呆れた様子で見ているのがシャンプーの曾おばあさん。
「天道君もっと飲まんかね?」
「すまんねぇ、早乙女君。」
「あなた、飲み過ぎですよ。」
 酔っぱらったお父さん達におっとりと注意しているのはおばさま。
「これ、あかねさんが作ったんですか?」
 良牙君があたしの唯一作った卵焼きに手を伸ばす。
 真っ黒焦げになっちゃってなにがなんだかよく分からなくなっちゃったけど、多分おいしいはず。
 頷くと良牙君は勢いよく卵焼きを口に入れて、硬直した。
 何かをグッと堪えるように俯いて、方を振るわせながら、拳をギュッと握った。よく見ると泣いているみたいに見える。
「ご、ごめんなさい!」
 慌てて良牙君に水を差し出すと良牙君は水を一気に飲み干した。
「バッカじゃねぇの?あかねの料理なんかに手出ししやがって、外見からしてやばそうなのは分かるじゃねぇか。」
 茶々を入れるあいつはさておいて、あたしは良牙君の背中をトントン叩く。
「やっぱりおいしくなかった・・・?」
「そんな事!ただ・・・喉に詰まっちゃって。」
 乾いた笑い声をあげる良牙君。
 やっぱりおいしくなかったんだ・・・。
「ほんと、ごめんなさい。」
「分かってんなら最初から食わせるなよ。」
「あんたには言ってないでしょ!食べもしなかったあんたが横から口挟まないでよ!」
 遂に放っておけなくなって振り返るとシャンプー達を振り切ってきたらしい乱馬が良牙君を指しながら言ってのけた。
「食わなくても、そこに体験者がいるじゃねぇか。良牙の様子見てりゃ誰だってまずいんだって思うに決まってんだろ。」
 それは確かにそうだけど・・・。
 あたしが口を開きかけた時、良牙君がそれを制して乱馬の前に立ちはだかる。まだなんとなくだけど顔色が悪い。
 やっぱりあたしの卵焼きのせいだろうなぁ。
 コッソリとため息を付くあたしの前で良牙君は乱馬に言い放つ。
「あかねさんが一生懸命作ってくれた料理をまずいなどと抜かす奴はゆるさん!」
「ほんとの事言って何が悪い。」
「貴様っ!」
 殴りかかろうとする良牙君をあたしは慌てて止めた。
「いいのよ、こんな奴。なんて言おうと良牙君がちゃんと食べてくれたもの。だからあたし全然気にしないわ。それにこんな綺麗な桜の下で殴り合いの喧嘩なんて、良牙君にはして欲しくないもの。」
「俺だったらいいのかよ!」
「あんたなんて風情のふの字も分かって無いみたいだから、桜の下でそんな無粋な事も平気でするんじゃないの?」
「んだとぉ!?」
「シャンプー達との追いかけっこの方が忙しいから、桜の事なんて気にも止めないんじゃないかなって思っただけよ!」
 お決まりの口喧嘩。これもあたし、予想してた。
「可愛くねぇヤキモチ焼くんじゃねぇ!」
「自惚れないでよ!誰がヤキモチなんか!」
 ヤキモチ?焼いてるよ。
 だって本当は誰よりも、あんたと桜を見たかったのに。
 あんたは他の三人と忙しくて、あたしの事構ってくれなかったじゃない。
 怒って当然。
 その上いくら本当の事だからってまずいなんて言われたら、これぐらい言いたくなるよ。
 だって本当はあんたに食べて欲しくて、一生懸命作ったのに。
 鼻息荒くいつものような睨み合い。
 乱馬はきっと「可愛くねぇ!」って言おうとしたんだと思う。
 けどそれは「か」の形に口を象ったまでで終わった。
「乱ちゃーん!」
 三人娘の再来。
「でぇッ!もう追いついてきやがった。」
 乱馬は三人の姿を捕らえると同時にあたしを残して、走り去って行く。
 間髪置かずに三人もあたしの前を通り過ぎて行った。
 追いかけっこはもう少し続きそうだから、良牙君を散歩に誘おうかと思ったんだけど、いつの間にかあかりちゃんが来ていた。二人の世界に入っているから、邪魔しちゃ悪いと思ってなびきお姉ちゃんに散歩に行くと言い残して一人で歩き出す。

 あたしは桜の並木道を歩いていた。大抵の人は向こうの広場の桜の下で騒いでるみたいでここを歩くのはあたし以外いなかい。
 去年、高校受験が終わったあの頃。
 ここの桜の美しさに感動した。
 東風先生と一緒にここに来て、一緒に歩いている自分を想像していた。
 今あたしの隣にいて欲しい人は東風先生じゃないけれど、やっぱりそいつとここを一緒に歩けたらって思うのは変わらない。
 緩やかな春風。サヤサヤと風に身を任せる桜の木は枝を微かに揺らし、桜の花びらは風達にエスコートされて各々が美しく舞う。
 散歩道の両側に並ぶ桜並木のこの道の間を、あたしは一人。
「あんな奴、もう、知らないんだから。」
 口ではこう言ってるけど、本当はあたしの後を追って来てくれてないかなって、何度も振り返りそうになった。微かな期待を、まだ捨てきれないあたし。
「少し心配させてやろうかな?」
 ちょっとした悪戯心。
 隠れる場所を探し始めるあたし。
 道からちょっとそれてキョロキョロと辺りを見回しながら歩く。
「・・・あったっ!」
 大きな桜の木に、人一人が入れそうな穴が一つ。
 道に面している訳じゃないから、道からそれてこの木の穴の中まで覗き込まなきゃあたしは絶対に見つからない。
 あたしは迷わずそこに潜り込んで、身を縮めた。

 あたしが帰って来ないってなったら、探しに来てくれる?
 あたし、乱馬を待ってるよ?
 けど素直には出て行ってやらない。
 見つけ出して、あたしを。

 桜よ、桜。
 ほんの少しの間だけ、見つからないようにあたしを隠して。
 ほんの少しの間だけ、あたしが見えないように消してしまって。
 ほんの少しの間でも、あいつがあたしの事を心配するように。




「なによ、こんな所に呼び出して。」
 よく彼が寝ている桜の木の下で、あたしは彼といた。
 彼はあたしの幼なじみだった。それ以上でもそれ以下でもない、でもあたしにしたら彼は大切な人だった。
 彼が好きだった。
 桜舞う四月の事。彼は午後、すれ違いざま言った。
『いつもの桜の木に日が掛かる頃、来い。』
 真剣だった。
 行ってみたら、彼は既に来ていた。そして最初の可愛くない言葉があたしから発せられる。
 照れ隠しだったの。
 あなたが真剣な顔してあたしを見るから。
 どうにも照れくさくて、ごめんねって心の中で謝ってた。
 でも彼はその事について何一つ言わない。
 落ち行く桜の花びらに夕日が当たってオレンジ色に見えた。
「あのさ・・・。」
 重い口を開く。彼の口から告げられたのは、あたしを失意に叩き落とすような一言。
「あれが来た。」
 あれって言うだけで、たいていの人は見当が付く。
 彼が見せたのは、あたしが思った通りの物。彼の出征を知らせる一枚の紙切れ。地獄への切符と言っても決して間違いじゃない。
 彼をここから連れて行ってしまう。
 それだけじゃ飽きたらず彼を黄泉の世界へ連れて行ってしまうかもしれない。
 たった一枚の紙切れでありながら、それほどの威力を持つ。
 穴が開くほどそれを見つめて、沸き上がった涙を懸命に抑えた。
「三日後だってよ。」
 あっけらかんと言う彼だったけど、あたしは逆に耐えていた涙がこぼれそうになった。けど、なんとか耐えしのいだ。彼があたしを泣かすまいとそう言ったのは十分分かっていたから。
 だから余計に泣いてはいけないと、唇を強く噛んで堪えた。
「なんだよ、なに泣きそうになってんだ。せっかく俺が戦地に行くんだぜ?勇ましく戦って手柄挙げてきなさい、ぐらいの一言があってもいいんじゃねぇの?」
 どうして平気なの?死んじゃうかもしれないのに。
 なんで笑っていられるの?
 それを聞いたら彼は笑った。
『俺は男だぞ。国の為に戦って死ぬんなら本望だ。こんなに名誉な事、ねぇだろ。』
 だけどその笑顔の向こうには計り知れない不安の影があるのを、あたしが気が付かないとでも思ったの?
 でもあえて言わない。
 あんたが隠そうとして、強がってるのをわざわざあたしはダメにしたりしないよ。
 知らない振りをして、血の気のない顔であたしは同意した。
「どうしてあたしに教えてくれたの?他にもっと伝えなきゃいけない人がいるんじゃないの?」 出征するんだから、やっぱり家族は当然だし、お世話になった人達とか・・・好きな人とか。喧嘩ばっかりしてたあたしなんかに言うのはそっちが終わってからじゃないの?
 それとももう終わったからあたしに言いに来たの?
「おめぇには・・・一応世話になったからな。ガキの頃からさ。ま、俺が世話した方が多いけど。」
「悪かったわね。どうせあたしはあんたに迷惑かけてばっかりだったわよ。」
 いつもの調子が出なかったけど、悲しいのを振り払ってあたしはツンと顔を背けた。
 だって喧嘩ばっかりのあたし達はこれが普通だったから。
 だけど彼は喧嘩する気は毛頭なかったみたい。こっちの調子が狂っちゃうぐらいに優しい声で言った。
「俺なら、いいんだよ。いくら迷惑かけたって。」
「あんたってそんなに心の広い奴だったっけ?」
 そうやって彼に喧嘩をふっかける。
 だってそうしないと、いつものあたしじゃなくなっちゃう。それに、彼にいきなりそういう態度をとられてしまったら、なんだか寂しい。
「俺は昔から心の広い奴でぃ。」
 良かった。いつもの反応だ。
 そう安心したのもつかの間。
 彼は不意にあたしの両肩を掴んだ。
「・・・ふざけるのもここまでにする。俺は真剣だ。おめぇも真剣に聞け。」
 いつの間にか最初の真剣さが彼に戻って来ていた。
 あたしはコクッと頷いた。頷くしか、出来なかった。
「俺、おめぇと喧嘩ばっかだったし、泣かした事も結構あったけどよ。俺は、おめぇの事好きだ。」
 顔を真っ赤にして、でも随分さらりと彼は言ってのけた。
「だから、出征する前におめぇと祝言挙げたい。」
 あたしの顔を覗き込む彼の瞳には不安がいっぱい。
「いいよ。祝言、挙げよう。」
 あたしはそれを言うのが精一杯だった。
 彼の不安を少しでも取り除きたかった。それにあたしも望んでいた。
 彼が好きだから。ううん、彼を愛しているから。

 彼は既におばさまに話しを済ませていたみたい。彼の父は、既に戦死していた。あたしの父も彼の父と同じ頃に戦地に赴き、やはり命を落としている。
 あたしの母を病で亡くなった。
 こんな世の中だ。珍しい事ではないが、あたしが幼い時に亡くなったのでとても寂しく、よく泣いていたのを覚えている。
 そんな時慰めてくれたのが同い年の彼だった事も。
 その頃から一緒にいたあたし達。いつの頃からか彼への思いが幼なじみから恋心に変わり、そして今、夢―――彼と一緒になるという夢が叶おうとしている。
 彼の家へ挨拶に行くと、姉達がおばさまと準備をしていた。
 あたしの友達や彼の友達も既に集まっていて『どうしたの?』って聞くと、『明日中に祝言が挙げられるように、準備してるのよ。』と言われた。
 彼の報告を受けたおばさまが即座に人を集めたのだ。
 彼もあたしもおばさまの行動に面食らい、顔を見合わせて微笑みあった。

 お母様と姉達、そして多くの友人のお陰であたし達は次の日、慎ましくも暖かな祝言を挙げた。
 祝言が終わると、お母様はの二人きりで過ごしなさいと申し出てくれた。おばさまはあたしの下の姉の家に泊まる事になっているそうだ。わりと裕福だから、一人ぐらいなら大丈夫って言ってくれたそうだ。
 明日は彼が戦地へ行ってしまう日。お母様とて息子の彼に言いたい事は山程あるはずなのに、その大切な一日をあたしにくれたのだ。あたしはそんなお母様に無言で深々と頭を下げた。
 祝言は朝早くに行われたから昼前に終わった。
 あたしは少しでも彼の妻として振る舞いたくて、張り切って炊事に取りかかる。
 一方彼は居間で転がってあたしを眺めるばかり。
「ほら、洗濯するから洗濯して欲しいのがあったら出しなさい。」
「あっちにある。」
 彼は指さすだけでちっとも動こうとはしなかった。
「少しは動きなさいよ。」
「洗濯は妻の仕事だろー。」
「妻が大変でも夫は助けてくれないの?」
「どこの世界に洗濯する夫がいる。」
 確かに彼の言う通りなので、後は黙って洗濯。
 庭に水を張ったたらいを出して、貴重な石鹸を少しずつ大切に使いながら洗濯した。
 彼はずっと笑いながらあたしを見ていた。
「なに笑ってるのよ。」
「ん〜?おめぇが俺の服洗濯してんの見てたら、『俺達結婚したんだ。もう夫婦なんだな。』って改めて思っちまってよ。そしたらなんか嬉しくて、顔が戻らねぇんだよ。」
 嬉しいセリフ。彼から見たあたしはちゃんと彼の妻として映っているみたいね。
 あたしは自分なりに最高の笑顔を心がけて彼に笑いかけてみた。
「あたしもね、あんたの服洗濯とかしてると『結婚したんだなぁ。』って実感するの。凄く、嬉しいの。」
 彼はあたしの顔を見てしばらく硬直していた。
 なにか付いてるのかな?
 服の袖で顔を拭ってみた。
 彼は下駄をつっかけて庭に出て、あたしの前に立つ。
「なぁに?」
「おめぇさ、そういう顔すんなよ。」
「・・・どうせ変な顔ですよ!」
 ぷうっとほっぺを膨らませると、彼はやれやれといった感じで首を振ってからたらいの前にしゃがむように言った。
「さっきみてぇに笑顔になってみな。」
 言われた通り再び最高の笑顔を心がけながら、彼を見た。
「そのままたらいを見ろ。」
 彼はあたしの肩に手をかけながら一緒にたらいを眺めた。
 たらいにはあたしと、穏やかに微笑む彼が映った。
「見ろよ。おめぇがどんな顔しってか分かったか?」
 変な顔なのを分からせようとしたわけ?意地悪。
「なんだ、わかんねぇのか?」
「あんたそんなにあたしが変な顔だって分からせたいの?」
 そんなに変な顔だって思うならどうして結婚したのよ。
 あたしが睨むと彼はあたしのほっぺをむにっとつねった。
「誰がおめぇの顔が変だっつった?そんな奴がいたら俺が殴り飛ばすぞ。」
 彼はあたしのほっぺから手を離して、自分の頬を掻きながら明後日の方に目を走らせた。
「お、おめぇはだな、可愛いから。だからそんな可愛い顔して見せたら、それ見た男がなにしでかすかわかんねぇじゃねぇか。」
「可愛い?」
 可愛いなんて今まで言ってくれた事、一度もなかったのに。
 あたしは立ち上がって、彼を怪訝そうに覗き込んだ。
 ほんのりと顔が赤いように思うのはあたしの気のせい?
「馬鹿。この世界一かっこいい俺が結婚してくれって頼む女なんだぜ?か、可愛いに決まってんじゃねぇか。」
「だって今まで一度も言ってくれた事無かったから。・・・嘘みたい。」
「んな照れくさい事結婚した今だからなんとか言えっけど、気持ちも確かめぇ内から言えっかよ。だから、今までは言わなかっただけでずっと・・・。」
「ずっと?」
 その続きが聞きたくて、彼を急かすように言った。
「か、か、可愛いって思ってた・・・ぜ・・・。」
 くすぐったかった。
 彼からこんな言葉が聞けるなんて思っても見なかった。
 あたしは彼の顔の方に立つ。
「あんたが世界一かっこいいかどうかは疑わしいもんだけど・・・。」
 彼はあたしの言葉に文句があったようで、ムッとしながらあたしを見た。
 けどあたしは構わず続けた。
「あたしの中じゃ世界一かっこいいわよ。」
 言ってあげてない言葉。
 あたしが彼にかっこいいなんて言ってあげた事やっぱり一度も無かった。
 けど、あんたが言ってくれたからあたしも言ったの。
 彼は愛おしげにあたしの名前を呼んでくれた。
 彼の目の中にあたしが映っているのが見えた。きっとあたしの目にも彼が映ってるんだろう。
 いつまでもそれを見ていたかったけど、彼がそっと顔を近づけてきたからあたしは目を閉じた。
 彼の体温が直に伝わって、離すのが惜しくって、もっともっと彼を近くに感じたくて。
 次をねだったら、彼はそれを快く承諾してもう一度。
 それであたしは十分だったけど欲張りな彼はそれだけじゃ満足できなかったみたいで、あたしを強く抱きしめて庭にいるって事も忘れてもう一回、もう一回って唇を重ねてきた。
 嫌じゃなかったからあたしもそれをあっさりと受け入れる。
 庭の垣根があったし、庭は裏通りに面していたから誰にも見られなかったと思う。
 まるで今までの我慢していた想いを満たすように、もう飽きてしまうんじゃないかって思うぐらい何度も何度も、貪るように口づけをかわした。
 やっと気が収まったのか、彼があたしから身体を離した時に彼がいきなり真っ赤になったからなにかと思って聞いてみたら、彼はこう答えた。
「俺、おめぇと・・・その・・・接吻したんだなって・・・。」
 今更な話。祝言の時だってしたのに。
 そんな事で照れている彼がおかしくてあたしが笑ったら、彼は憮然とした顔であたしに言った。
「仕方ねぇだろ!慣れてねぇし・・・。」
 まだ真っ赤になっている彼をよそにあたしは手早く洗濯物を干し、たらいを片づけた。
 実はあたしだって顔がまだ赤いのは秘密にして。
「じゃ、今ので慣れたわね。」
 あたしは家に入りながら言った。
 そしたら彼は急に意地悪そうな顔になって、お昼ご飯の支度をしようと台所に行こうとしたあたしを後ろから羽交い締めにする。
「慣れるにはまだかかりそうなんだけどなぁ〜。慣れさせてくれっか?」
「まだ足りないの?」
「もっと。」
 まるでお菓子をねだる子供のように言う彼。
「・・・ほんとしょうがないわね、あんたって。」
「そいつと結婚するって言ったのはおめぇだろ。」
「こんな甘えたさんとは思わなかった。」
「俺はこういう奴なの。それとも、こういう俺は嫌いかよ。」
 ちょっとしゅんとしながら言う彼が、可愛くて愛しくて。
 あたしの右肩あたりにあった彼の顔。
 振り向いて、彼の額に軽く唇を押しあてた。離した時ちゅって音がする。
「嫌いじゃないよ。あんただもん。」
 キョトンとしていた彼だけど、またにやにや笑い出した。
「そっかぁ〜、嫌いじゃねぇんだ。ふ〜ん。へ〜。」
 失言かなって思ったけど既に時遅し。
 彼はあたしの腰を掴んで自分の方に向かせると、今度は口だけじゃなくてほっぺとか瞼とか色んな所にしてきた。
 あたしがどんなに言っても彼は満足するまであたしを離そうとはしなかった。
 どうやらさっきのは急に正気に戻っただけで、満足はしてなかったみたい。
 今度の場合正気になっているだけにさすがに手強くて、彼が満足して離してくれた時にはとっくにお昼時になってた。
 それでも奴は言う。
「まだ慣れてねぇからな。」
 なんて欲張り。普通の欲張りだって負けちゃうぐらい。
 あたしが呆れながら『あんたのせいでお昼遅くなっちゃうじゃない。』って言ったら彼は悪びれもせずに居間に戻りながらこんな言葉を返してきた。
「夫の俺がしたかったんだからいいの。女は男の言う事聞くもんだぞ。」
 だって。
 全く、急に亭主面して。
 でも彼もあたしと同じ気持ちだったのかもしれないって思った。
 あたしが彼に妻として見られたかったのと同じように、彼もあたしに夫として見られたいんじゃないかって。
 もうあたしはそういう風に見てるのにね。


 夜。
 カボチャの煮物をやって見事に失敗。
「昼飯はまだ食えたけど、おめぇ・・・。」
 『こりゃあさすがにねぇだろ。』って顔。彼の見つめる先には真っ黒に焦げたカボチャの煮物・・・になるはずだったもの。
「明日腹壊すの俺はやだからな!」
「どうせそう言うと思ったわよ!あたしが責任持って食べるから心配しないで!」
 そう言って彼のカボチャの煮物が入った器を取り上げようと、手をかける。
 一生懸命作ったのに。
 あんたが好きだっていうの知ってたから、頑張ったのに。
「ちょっと待て!」
 その手をぺちっと叩く彼。
 思わず手を引っ込めるあたし。
「なによ!」
「誰が食べねぇっつったんだよ。」
 煮物の器を抱え込む。
 あたしはそれを取ろうと奮闘。
「だってお腹壊すの嫌なんでしょ!」
「けど、食べねぇとは言ってねぇ!」
 なんなのよ!
 彼の言いたい事がよく分からない。
「だから。なんか薬用意しとけ。」
 彼はそれだけ言うと一気に煮物をかっこんだ。
「あ゜―――――――――ッ!」
 彼はすました顔でそれを飲み込んだ・・・かに見えたけど、飲み込むと同時に彼は机に突っ伏してしまった。
 彼の手からカランと音を立てて箸が落ちる。
 それから喉元を押さえてゴロゴロと畳の上を転がる。
 目は涙目になって、畳に這い蹲りながらちゃぶ台の方に手を伸ばすから、あたしは急いで夕飯前まで彼が飲んでいたコップを彼に渡した。
 ゴクンゴクンと水を飲み干してから、彼は一言。
「まずい・・・不味すぎる・・・。」
「バカッ!無理して食べる事無いのに・・・!」
 美味しくないだろうなってちゃんとあたしだって分かってたもん。
 最初は頑張ったのにって怒ったけど、ここまで無理して食べる事無かったのに!
「馬鹿は、どっちだ。」
 彼は畳に転がりながらあたしを見上げた。
「せっかく、作ってくれたってのに、もったいねぇだろ。」
 あたしの顔が赤くなる。
 すると彼が慌てたように付け足す。
「べ、別におめぇが作ってくれたからじゃなくて、その、材料が!ざ、材料が、もったいねぇと思ったから!」
 あたしは顔を赤くしながらクスクス笑った。
「さっきあんた自分で何言ったか忘れたの?『せっかく作ってくれたのに。』って言ったじゃない。」
 彼はあからさまにしまったって顔をしてた。
「天の邪鬼な旦那様ですねぇ〜。」
「うう・・・。」
 耳まで真っ赤になった彼は自分の顔を隠した。
 可愛い♪
 チョンと額を突いてから、席に着く。
「ご飯冷めるわよ。」
「おう・・・。」
 食べ終わってから、あたしが彼に胃薬をあげたのは言うまでもない。


「ねぇ。」
「あ?」
 あたしは隣の彼の布団に潜り込んだ。
「なんだよ。」
「一緒の布団で寝たい。」
 ギシッて音がした。彼の体は岩みたいに硬くなってる。
「今日はくっついていたいの。」
 そんな彼にはお構いなしで、あたしはギュッてしがみついた。
「・・・戦争が終わって、俺が帰って来たらさ。」
「うん。」
「俺の子供生んでくれ。」
「・・・ば、馬鹿!どうしてそういう事しか・・・!」
「嫌かよ。」
 いつの間にか身体が動かせるようになった彼はあたしの背中に腕を回して、閉じ込める。
 逃げられない。
「本当は俺、我慢すんの辛いけど。平和な世の中になったらって事でおめぇと約束しとく。おめぇとの約束守る為に、俺は死に物狂いで戦って生き延びて、帰ってくるから。」
「・・・うん。」
「おめぇも約束しろ。俺が帰ってくるまでに料理上達するってな。」
「うん。」
「俺、期待してっからな。おめぇの料理、たらふく食わせてくれよ。」
「うん。」
「今日は失敗したカボチャの煮物、出してくれよ。」
「うん。」
 涙声になってきちゃった。
 彼は無言のままにあたしを強く抱きしめてくれた。
 彼の温もりに安心したあたし。
 すぅっと寝入ってしまった。




つづく




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