◇桜花爛漫 〜君と一緒にいたいから〜 後編
夏海さま作


 俺がなにで起きたかというと、あいつの豪快な蹴りだった。
 寝相が悪いのは相変わらずだ。ま、目覚ましには丁度良いかな。
 あいつに布団をかけ直してやってから、着替えた。
「ありがとな・・・。」
 それだけ言い残して、荷物を手に長年住み慣れた家に愛妻を残して出て行った。
 ちょっと早めだったから桜の木に立ち寄ってみる。
 あいつをよく見ていたこの木。あいつとよく来たこの木。
「これからはあいつを頼むな。」
 勝手な話しだが、これから一緒にいてやれない俺はこの木に頼んだ。
 あいつを俺の代わりに見守ってやってくれ。
 あいつは強がりで、でも泣き虫で。俺がいねぇと無茶ばっかするんだ。
 あいつが無茶してる時は止めてやってくれ。あいつが泣きそうな時は慰めてやってくれ。
 俺がいる時のように・・・。
 そこまで考えて、俺のきれい事は消えた。
 ・・・何故、他の奴に任せるんだろう。これは俺以外の誰でもねぇ、俺のやる事なのに。
 分かってるさ。今一番無理してて、一番強がってんのは俺の方だって事。
 ずっと一緒にいたから。これからもいたかった。
 だから・・・絶対帰って来よう。
 地獄にだって行くさ。俺とあいつの未来の為に。
 幸せな俺達の未来の為に。戦争なんてくそくらえだ。戦って、勝って、帰って来る。
 お前と一緒にいたいから。
「ちょっとッ!」
 声がした。聞き慣れた声。
 間違えようもない、あいつの声。
「黙って行くなんて酷いんじゃないの?」
「なっ!?」
 目を見開いた俺。どう見たって立ってるのはあいつ。
「あんたが黙って行くって、あたしが分からないと思ったの?夫婦歴はたったの一日でも、幼なじみ歴は十数年なんだから!ちょっとした素振りで分かるに決まってるでしょ?」
 嬉しかった。見送りに来てくれた事。でもやっぱり疑問が残る。
「でも、なんでここだって・・・。」
「なんとなく、最後にここに来る気がしたの。あんたが気に入っていたから。」
 俺は思わず両手を挙げた。
「さすがだな。」
「当然よ。夫婦なんだから。」
「・・・俺が帰ってくんの待ってろよ。勲章とかめいっぱい貰って、手柄挙げて錦飾ってやらぁ。」
 精一杯の強がりだった。
 あいつは俺に駆け寄って、抱きつく。あいつは泣いてた。
「手柄なんていいの!勲章も、いらない!逃げたっていい。あたしはあんたの事、かっこ悪いなんて思わないから。だから・・・無事で帰って来て!約束破らないで!あんたが帰ってくるの何年でも待つから!しわくちゃのおばあさんになったって、あんたの事待ってるから!お願い・・・。」
 あいつの想い。きっちし受け取った。受け取ったからにはきちんと返す。
 どんなになっても待っていてくれるのなら、俺はどんなになっても帰って来る。
「俺が、そんなヤワな奴に見えっか?絶対に約束は守る。」
 泣いているあいつを元気付けるように言った。
「ほんと?」
「ああ。」
「嘘じゃない?」
「ああ。」
「絶対に?」
「疑り深い奴。」
 俺って信用ねぇのかな。
「だって・・・。」
 涙目のあいつは指を弾く。その仕草もしばらくお別れだな。
「そんなに心配なら、印やるよ。」
「ちょ・・・っ!?」
 服の襟元を緩めた俺に抵抗するように言うが、気にせずあいつの鎖骨の辺りに唇をあてる。
 軽く吸い上げて、顔を上げた。
「ほれ。」
 印のいっちょ上がり。その内消えっちまうんだろうけど、お前を落ち着かすには十分だろ?
「な?それが印って事で、勘弁しろよ。」
 立ち上がる俺。
「・・・そろそろ行くから。」
「・・・うん。」
 あいつは俯いたままで、俺の事見てくれない。
 ふと地面を見つめると雨が降り始めた時みたいに濡れているから、泣いているのに分かった。
 お前、一体どれだけ泣けば気が済むんだ?
 そんなに泣かれっと、俺がお前の事心配で行けなくなっちまうだろ?
「顔、上げろよ。」
 笑顔とはいわねぇけど、せめて顔見せてくれよ。
 でもあいつは下を向いたまま。
「ったく、泣き虫。」
 あいつの形のいい顎に手をかけて、強引に上に向けると泣くなっていう意味を込めて甘い接吻。
 それからあいつの耳元に口を近づける。
「愛してる。」
 そう囁いて、俺はあいつに背を向けて歩き出した。

 汽車に乗って窓際の席に陣取る俺。
 同じくらいの歳の男が俺の目の前に座っている。
「おめぇは?」
「良牙。よろしくな。」
「おう。」
「見送りに誰も来てないのか?」
「来てねぇ。」
「結婚してないのか?」
「したさ。昨日。」
「昨日?そりゃまた随分と急だな。」
「俺達素直じゃなかったからな。」
「でも、奥さんどうして見送りに来ないんだよ。」
「黙って出て来た。」
 その後追いかけて来てくれた事とかはややこしいから言わなかった。
「俺の方はちゃんと来てくれた。」
「そうか。」
 その後は黙って窓の外を見た。
 やがて列車が出発する。流れる景色にしばしの別れを言った。
 それから腹が減ったから、荷物をゴソゴソ漁ると見慣れない封筒が出てくる。
 ―――あいつからだ。
 急いで手紙を読む。
 俺が黙って出る事分かっていたから、間に合わなかった時の為に書いたんだろう。
 同じ事してたからさすが夫婦だなって我ながら感心しちまった。
 綺麗なあいつの字。手紙に残された涙の後。
 ごめんな、側にいてやれなくて。ほんと、ごめんな。
 最後まで目を通してから、俺は思わず微笑んだ。
「どうしたんだ?」
「なんでも。」
 俺は手紙を懐にしまい込んだ。
 手紙の最後には俺が書いたのと同じ言葉が書いてあった。
 『愛してます。』って。
 この手紙がきっと俺達を繋いでくれてる。俺はそう信じて疑わなかった。


 俺は良牙と同じ隊になった。
 不思議なもんで俺と良牙は良いコンビだ。こいつになら自分の背を預けられるってぐらい頼りになる、相棒。
 訓練を数ヶ月間させられると、いきなり戦場に叩き出された俺達。
 何人もの奴が一日で命を落としていった。
「こいつらの分まで生き延びようぜ。」
「それが最大の供養だな。」
 よく生きて帰ろうと話し合った。
 結構筋がいいと言われた俺達は割と強かった。
 勲章も貰った。
 今日も戦場で俺は銃を乱射。
「向こうに伏兵がいるぞ!」
「了解!良牙、流れ弾に気をつけろ!」
 良牙が見つけた敵兵の隊に向かって銃を撃ち込んだ。
 激しい銃撃戦は夜も昼も関係なく、勝ち負けがハッキリするまで続く。
 精神の戦いでもあった。
 常に死と隣り合わせの戦場で何日もいると、恐怖のあまりに気が変になる奴もたまに出た。
 季節とかあんまり感じられなかった。気にする余裕もなかった。
 生きて帰るんだ。あいつの為に。
 泣かせたくない!俺はあいつの所に・・・!

 厳しい寒さも関係無しに続く戦い。
 その頃はだんだん寒さも緩和になってきて、もうすぐ春だって思い始めた頃だった。
「どうしたんだよ。浮かない顔して。」
 丁度その時はちょっとした休戦状態になっていた。
 俺も良牙も弾を込めながら、いつ始まるとも分からない銃撃戦に備えて油断無く辺りを見回していた。
「手紙無くしちまったんだよ。」
 俺は苦々しげに言った。
 大事なあいつの手紙無くすなんてついてねぇ。
 そのせいかさっきからやな予感がしてきたし・・・。
「それってお前がお守りだっつって持ってた奥さんからの?」
「なんか嫌な予感がしてならねぇんだ。」
「気のせいだろ。奥さんの手紙無くして気落ちしてるだけさ。しっかりしてくれよ、相棒!」
 そう言って肩を叩く良牙に俺はなんとか笑顔を返したけど、やっぱりその嫌な予感が拭えなかった。
 フッと溜息をついたその瞬間。
 計ったかのように銃撃戦は再開された。
「おりゃあああああッ!」
 向かってくる敵兵に向かってこちらは発砲。
 そうはさせじとこっちを狙って銃を放つ敵兵。
 俺達は隊長の指示により、立てこもっていた岩場を捨てて乱戦を始める事となった。
 入り乱れながら銃でひたすら敵を撃っていた。
 人殺しになっちまったって最初はウジウジなやんじまったけど、向こうだって俺達の仲間を殺している。生き残りたかったら、それは仕方がないんだ。戦争は殺し合いなのだからっと言っていた奴がいた。
 確かにその通りだ。
 仕方がないっていう言い方は俺としては気に入らないけど、でも向こうが俺の命を狙ってくるのなら、俺だって身を守る為に殺すしかないのだろう。
 結局この現実から逃げる事は誰もできねぇんだ。逃げるんじゃなくて、終わらせる事が大切なんだ。
 俺はそう気が付いていながら、戦争を終わらせる事が出来なくて悔しかった。
 戦う度に、俺の戦争嫌いは激しくなっていく。
 人殺しの俺なんて嫌いで、殺すぐらいなら俺が死んだ方がマシだと何度思っただろう。
 その手を止めたのはあいつ。生きて会うって約束したから。
 お前と一緒にいたいから。だから人殺しになったって生き残って必ずお前の所に帰るからな。
 適当に物の陰に隠れて銃を撃ち合いながら、俺は良牙の姿を探した。
 それは一瞬の出来事。
 良牙を視界に捕らえた俺だったが、他の者も見つけた。背後から忍び寄る敵兵。良牙を狙っているのは誰の目にも明らかだった。
「良牙ああああああああッ!」
「?」
 振り返った良牙の前に飛び出した俺。
 腹に激痛が走りバランスを崩しかけたが、それでも撃ってきた奴に撃ち返す。
 向こうが倒れたのを見届けると、俺もその場に崩れ落ちた。
「くそッ!」
 良牙は俺を担ぎ上げて物陰に走る。
 俺は無意識の内に傷口に触れていた。ベットリと赤いものが手について、気持ち悪い。
「しっかりしろ!」
 俺は丈夫だからこれぐらい平気だって言おうとした。
 けど口から出たのは言葉じゃなくて、血だった。
 霞む視界。
「おい!なにやってんだよ!俺なんか庇いやがって!」
「りょ・・・が・・・。」
「死ぬなよ!こんなトコでくたばるな!お前の奥さん、待ってるんだろ!約束したんだろ!帰って来るって言ったんだろ!男が約束破るな!一緒に生きて帰ろうっつっただろ!」
 そうだな。
 俺がここで死んだらあいつ泣くもんな。あいつに会えなくなるもんな。
 ・・・でもさ、分かるんだよ俺。
 俺はもう死ぬしかねぇって事。どうあがいたって死ぬって事。
「ごめん、な・・・。約束、やぶ・・・て・・・。」
「なに言ってやがる!」
 久々に泣いた。
 ぼやける良牙の顔が消えて、俺の目の前にあいつがいた。
 最後に俺が見たのは、遠い記憶の中の庭で見たあいつの笑顔だった。

 逢いたい。
 約束破るのは嫌だ。
 残ったあいつはどうなるんだ。
 帰ると約束したんだ。
 頼むから、俺をあいつの所へ行かせてくれ・・・。


「乱馬。」
「お袋?」
「立派に戦ったのね。偉いわ。」
 ふと気が付くと俺は戦場から、見た事もない所にいた。
 死後の世界、なのか?
「あなたは死んでしまったの。」
 ああ、やっぱり。
「でもね、乱馬。あなたの想いが強いから、仏様があなたを一日だけ地上に行かせてくれると言って下さっているの。このままでは想いが強すぎてあなたは成仏できないから。」
「あいつの所に帰れるのか!?」
 お袋は頷いた。
「但し一つだけ条件があります。彼女に自分から死んでいる事を告げてはいけません。」
「分かった。」
 けど行くのは躊躇われた。
 今更どの面下げて俺はあいつの前に行けばいいんだろう。
 いつかはあいつも俺が死んだ事を知るはずだ。
 こんな事をして、あいつが余計に俺の事で気に病んだりしないだろうか。
 戸惑っているとお袋はあの時と同じように俺の背を押してくれた。
「行ってきなさい、乱馬。彼女はあなたを待っています。」
「お袋・・・。」
 お袋は笑っている。
「行ってくるッ!」
 俺は駆け出した。
 悩むのはやめた。
 会いに行く。少しでもお前と一緒にいたいんだ。
 だから・・・。


 俺はいつの間にか家の玄関の前にいた。
 死ぬ前の格好をした俺。それだけじゃなくて荷物もあった。
 結構気が利くな。
 すうっと息を吸って、ドキドキする胸を押さえながら叫んだ。
「ただいま!」
 玄関の引き戸を開けて入る。
 とたとたと走る音と共にあいつが玄関に顔を出した。
「元気だったか?」
 あいつは食い入るように俺を見たまま一言も発しない。
「なんとか言えよ。せっかく俺が帰って来たってのによ。」
 俺は玄関に荷物を降ろす。
 するとたまらなくなったあいつが叫んだ。
「馬鹿ぁッ!心配したんだから!」
 俺に抱きついてきたあいつは相変わらず華奢だ。
 一瞬俺には触れないんじゃないかってビクついたけど、どうやら普通に触れるみたいだ。
「良かったぁ。帰って来てくれて、良かったよぉ。」
「心配かけて悪かったな。」
「あたし、ちゃんと料理上手くなったんだから。」
 ほぉ、そりゃ楽しみだ。
「浮気したか?」
 冗談半分で聞いてみると、あいつは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「する訳ないでしょ!」
「だろーな。俺はおめぇの事信じてるぜ。そうそ、これ見ろよ。」
 俺は胸についた勲章を見せた。
「へっへー。どーだ、三つも勲章もらっちまった。」
「凄いじゃない!」
 尊敬の眼差し。
 うん、悪くねぇな。
「俺の事自慢していいぜ?ったく、おめぇはこんな立派な旦那持てて幸せだな。」
「自惚れも程々にしなさいよ。あんたこそ幸せじゃない。これでもあんたが出征した後、何人もの人に結婚申し込まれたんだから。でもちゃんとあんたは帰って来るって言って断ったのよ。」
 んなっ・・・!
「ぬぁにぃ〜?どこのどいつだ、俺のモンに手ぇ出すとはいい度胸してんじゃねぇか。」
 俺の留守中に!しばき倒すぞ!そいつら全員!
「あたしにはあんただけなんだから怒らないの。」
 俺が怒るのを見て言ったあいつのセリフに思わず赤面。
 そうだった、こいつはこういう恥ずかしいセリフも自然に言ってのける奴だった。
「どうしたの?身体冷たくない?」
「今日は、ちっと風が、つめてぇんだ。そんな中を、ずっと薄着で、歩いて来たから。」
 苦しい言い訳だ。
「そう。じゃあ、早く上がって温まりなさいよ。」
 それでもあっさり納得したあいつ。
 もしかしてこいつ、もう・・・。
 そんな考えが頭をよぎった。
「そうすっかな。」
 とりあえずなんでもないように振る舞う俺。
「もう、ずっと家にいられるんだよね?」
 すがるようなあいつの声に、俺は下を向くしかなかった。
「・・・明日には、もどらねぇと・・・。」
「・・・そう、なの。」
 こいつはもう真実を知ってる・・・。
 それでもあいつはなにも知らない振りをしていた。


 その夜、俺達は同じ布団で身を寄せ合っていた。
「ねぇ、どうしてそんなに身体が冷えてるの?」
「さぁな。ま、おめぇが暖めてくれんだろ?」
「助平。」
「男はそういうもんなの。今だって十分我慢してんの。戦争が終わったらって約束だしな。」
「あたしはもう約束果たしたわよ。」
「そうだな。見違えるほど料理上手くなってたもんなぁ。」
 あいつのカボチャの煮物は絶品だった。ここを出た時は殺人的不味さだったのに、素晴らしい成果だ。
 約束、俺はこんな形でしか果たせなかったのにこんなのずるいよな。俺って。
「お母様に仕込んでもらったから。」
「お袋か。死に際にはいてやれなかったけど、墓に行けて良かった。」
「そうだね。きっとお母様も喜んでるわよ。あんたの無事な姿を見る事が出来て。」
「そうかな・・・?」
 曖昧な返事を返した。
 お袋が見たのは無事な俺の姿じゃなくて、死んだ俺の姿だったから。
 あいつは俺を抱きしめた。
「ったく、おめぇはしょうがねぇな。」
 あいつの不安を紛らわすように、布団ごと抱きしめ返した。
 するとあいつは俺に更に身を寄せる。
 まるで、行かないでと言うように・・・。


「そう言えば聞き忘れてたけど、あたしの手紙に気が付いた?」
「一応おめぇが俺にくれた初めての手紙だしな。お守り代わりに持ってたぜ。」
「今も持ってる?」
「・・・わりぃ。無くしちまって・・・。」
「あたしはちゃんとあんたの手紙持ってるのに。」
 玄関先での会話。
 そっか、あいつは俺の手紙ちゃんと持っててくれたんだ。
 俺が死んだのは、あいつの手紙無くしちまった罰だったのかな。
 ちゃんと持っていたら俺の運命は少し変わっていたのかもしれない。あの手紙は確かに俺を守ってくれてたんだ。
 俺は家中を見て回った。
 それから泣き出しそうなあいつに、口づけた。
 こんな事したらあいつはきっと俺の事忘れられなくなる。
 分かっていたのに。
 俺はもうこいつを幸せにする事が出来ない。一緒にいてやる事は出来ないんだ。
 後に残ったこいつの幸せは別の奴と結婚して、今度こそ幸せな家庭を築く事。悲しい思いしかさせられなかった俺なんか忘れてしまった方がいい。
 なのに窒息しそうな程長く深く口づけた俺。こんな事をして別れたら、あいつの悲しみはどれだけ増えるのか・・・。
 俺には分からないけどただ言えるのは。
 最後まで、俺はずるい奴だ。
 やっぱりお前を困らせる。
 きちんとお前は約束を守ったのに、俺は破った。
 そんなお前に俺は嘘をついて、こんな形で戻って来た。
 そして最後に忘れられないように接吻をした。
 でも、俺に言い訳を言わせて欲しい。

 ただ君に逢いたくて。
 どうしても逢いたくて。
 逢いたくて、逢いたくてしょうがなかった。
 こんな死人になっても、一日でも長く君といたいって思った。
 君が余計に悲しんでしまう。
 こんな事をしたら君が一生忘れられないって事を承知していながら、来てしまった。
 君と一緒にいたいから。
 もっと長く、これから先もずっと一緒にいたかった。
 君と、一緒に・・・。

 背を向けて歩き出す。
 お前は俺の事忘れてしまうかもしれないけれど向こうで俺は待っている。
 しばしの別れ、と思いたい。また逢える時まで。
 お前は俺の分まで生きてくれよ・・・。
「すぐ帰って来るんでしょ!?」
 後ろから叫ぶ声に俺は思わず振り返りかけた。
 けど、振り返れなかった。俺の身体は既に透け始めている。
「・・・ごめん・・・。」
 俺は死んでいて、あいつは生きている。
 近くにいてもこの世の何よりも大きな壁に阻まれて、二度と交わる事のない俺達。
「どうして!?」
「・・・・・・ごめん。」
 俺はそのまま強い力によって、上へと引っ張り上げられるような感覚に陥った。
 ふと下を見れば、生きている俺とあいつが最後にお互いの姿を見た桜の木。

 桜よ、桜。
 戦地から帰って来たらもう二度とお前の世話にはならないと思っていた。
 けれど頼むよ。
 死んでしまった俺の代わりに、これから先もあいつを側で見守っていてくれ。
 俺はもう、遠くから見る事しかできないから。


 あいつはそれから俺の遺骨を手に桜の木の下に座り続けた。
 やっぱり俺のせいだ。
 遙か遠いこの世界で、見ているだけしかできない俺。
 俺があんな事をしなければあいつは今よりもっと楽だったのかもしれないのに。
 あいつを気にかけて、色んな奴が声を掛けてきたけどあいつは頑なに拒んで動こうとしなかった。
 だんだんと衰弱するあいつを見るのは、俺にとって拷問に等しかった。それでもあいつを見ていたくて、辛くても目を背ける事だけはしなかった。
 
 ある日、俺は仏様に地上に迎えに行くようにと言われた。
 なんに事だかすぐに分かった。あいつの迎えに行けと言うのだ。
 俺は必死で頼んだ。
 このままここへ来るなんて、あいつは俺のせいであんな不幸な人生を送ったんだ。
 もっと長く生きて、幸せになって欲しいのに・・・!
 でも仏様は仰った。
「彼女の今一番の願いは、お前と共にある事なのだ。どの様なことになろうともお前と共にある事が、彼女の一番の幸せなのだよ。」
 あいつの幸せが、これ?
 いまいち納得できない。
「乱馬よ、お主とて死んだ身でありながら彼女と一緒にいたいと思ったではないか。彼女もお主と同じように思っておるのだよ。」
 俺と同じ?
 そこで俺は気が付いた。
 長く生きて他の奴と結婚すれば幸せなんて、俺が決めつけていた事なんだ。
 あいつの幸せはあいつ自身で決める事。
 仏様は言った。
 俺といる事が一番の幸せだと。
 ならば俺は行こう。
 あいつを迎えに。
 俺はまだあいつを幸せにする術を持っているみたいだから。
 俺は仏様に礼を言うと、韋駄天のように地上に向かう。

 あいつは桜の木の元でまだ身体から抜け出せずにいた。
「おい・・・、おい!」
 身体を、というよりもあいつの魂を起こした。
 久々に見るあいつは上から見ていたよりもやつれている。
「ったく、こんなトコで寝やがって。風邪引いたってしらねぇぞ。」
 あいつがうっすらと目を開けて俺を見た。
 軽口を叩いてみる。
 あいつはまだ反応しない。
「立てよ。」
 手を差し伸べる。
 でもあいつはまだ身体に束縛されたまま。
「ダ、メ・・・。体が重くて、動けないの・・・。」
 なんとか口を動かして、俺の手を掴もうとする。
 けどまるで動かせないみたいだ。
「ほんと、俺がいねぇとダメだな。」
 俺はあいつの手を取った。
 俺はまだまだこいつにとって必要なんじゃねぇかって自惚れる。
「動くじゃねぇか。」
 身体から解き放たれたあいつの第一声はこれ。
「ごめんなさい!」
 何に対して謝っているのかすぐに分かった。
「あんなの気にすんなよ。」
 俺だって酷い事してたんだからな。
「それと、どうしてここに・・・。」
「ばぁーか!迎えに来てやったんだよ。」
 額をチョンと突いた俺。
 キョトンとしたあいつは俺を見上げた。
「迎え?」
「そっ。分かったら行くぞ。」
「また明日になったらまたあたし達別れちゃうの?」
 不安げに聞くあいつ。
 俺は首を振って笑う。
「これからはずーっとずーっと一緒だ。」
「本当?」
「嘘なんかつかねぇよ。」
「嬉しい!」
 俺の首に腕を絡めてくるあいつ。
 俺は驚いたけど、あいつの腰に腕を回して俺達は抱き合う。
「もう、離れねぇからな。」
「うん。」
 あいつの小さな手を握って、歩く。
 離さないように、力強く握り合う手。
 前には目が眩むような光。
 あいつは後ろを振り返る。
 後ろには桜の木と、あいつの身体。
 寂しそうだったから俺がいるぞっていう意味を込めてこう言った。
「これから向こうでずっと一緒だぞ。」
「そうじゃなかったら、あたし浮気してやるから。」
 浮気ッ!?
 内心大慌てだったけど俺はすまして言ってみた。
「この俺以上にいい男なんかいるか。」
 あいつを見たら、あいつはそうだねって感じで笑ってた。
「もし生まれ変わってもあたし達一緒だからね。」
「俺が絶対おめぇを見つけ出すから、待ってろよ。」
 俺達は同時に光の世界に足を踏み入れる。
「約束だからな・・・。あかね・・・。」



 俺は目を開いた。
 すっかり暗くなっている。
 俺はどうやら寝ちまったらしい。
 不意に吹いた風に思わず身震いする。春になったとはいえ、まだ夜は少し肌寒い。
 俺は他のみんなの事を思い出して、広場に駆け出した。
 夢でも俺は駆けずりまわってたなって思い出す。
「あいつの事、あかねって言ってたな。」
 最後の最後になって出てきた名前。
 夢の中のあいつは、髪の長かった頃のあかねそのものだった。
 料理が下手なトコとかも同じだったしな。
 もしかして、夢の中の桜は俺が寝ていた桜の木だったんじゃないだろうか。
 あの夢は桜の見ていた夢だったのかもしれない。それをたまたまその木で寝ていた俺が一緒に見ちまったとか。
 俺はその夢に出てくる男の視点で見ていたようだがそいつの感情は俺自身の感情と言ってもおかしくない。それぐらい似てた。
 他人の考えのはずなのに、抵抗なく受け入れていた。
 まるで俺とあいつが一人の人間、同一人物であるかのように。
 いや・・・同一人物なのかもな。
 考えが飛躍する。
 もしかして本当に生まれ変わって、それが・・・って。
「桜の夢、か・・・。」
 呟くと同時に、なびきが俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ちょっと乱馬君。こんな時間までどこに行ってたのよ。・・・っと、あかねは?」
「しらねぇぞ。まさか、まだ帰って来てねぇのか!?」
「散歩に行ったきり、帰って来てないわ。てっきり乱馬君と一緒かと・・・。」
 そう聞いてはいてもたってもいられない。
「俺、探してくる!」
 そう言って桜の並木道に引き返す。

「あかねー!」
 こんな時間までいないなんて。
 どこ行ったんだ。
 何か危険な目にあっているのだろうか。
 胸が苦しい。身体が引き裂かれそうだ。
 道からそれて隅々まで探した。何度も同じ所を通った。
 それでもあいつは見つからない。
「あかね、どこだー!!」
 いくら呼んでも帰ってこない返事。
 不安が胸をかき立てる。
「あっち・・・。」
 不意に聞こえた声。
「あかねかッ!?」
 声のした方を見ると、夢の中のあいつが立っていた。
 黒い長い髪をなびかせて。
「な・・・!」
 目をこすってもう一度見るといない。
 幻か?まだ俺は目が覚めていないのかもしれねぇ。
 でも信じてみる事にした。
 幻でもなんでも、あいつがいるかもしれないって思ったから。
 言われた方に走る。
 ―――いた!

 あかねがいたのは俺が寝ていた木の下だ。
 なんで分かるのかわからねぇけど、確かにこの木だ。間違いねぇ。
「あかねッ!」
 あかねが振り返る。無邪気に笑ってる。
 ったく、人の気もしらねぇでこいつは・・・!
「どこ行ってたんだ!みんな心配してんだぞ!」
「あたし、ずっとここにいたの。ごめんなさ・・・。」
 俺はそれを遮って怒鳴った。
「嘘つけ!ここなら俺は何度も通ったんだからな!」
「嘘!あたしずっとこの木の穴に入ってて、そのまま寝ちゃって・・・。」
「穴ぁ?どこにんなもんがあんだよ。」
「そこよ!よく見てみなさい!」
 確かめてみるまでもねぇと思った。
 さっきまで俺はここにいたんだからな。
 けど、あかねがあんまり言うもんだから調べてみた。
 木のまわりを一周して、見てみる。見た感じはない。
 次は触ってみた。やっぱりない。
「ねぇじゃねぇか。」
「そんなはず無いわよ!ちょっと退いて。」
 あかね自身が今度は調べてみるけどやっぱねぇ。
「ほーら、ねぇじゃねぇか。」
 あかねは思い切りむくれる。
 その顔を見ながら思った。
 こいつは本当の事言ってるんだろうなって。
 あんなおかしな夢を見る木だ。そんな不思議な事が起こったって別におかしくねぇのかもって妙に納得しちまったから。
 でもここでそれを言うのは癪だ。
 んな事言ったらあかねに今の立場逆転されかねない。
 本当にあったのに、あたしがバレバレな嘘をついたみたいじゃない。
「で、どこ行ってたんだよ。」
「ここにいたの!ちょっと寝ちゃってただけだもん。」
「・・・ま、そういう事にしといてやるよ。」
「ほんとなんだってばッ!」
「へいへい、わかりましたー。」
「乱馬ッ!」
 景気良く一発。
 ちぇっ。
 夢の中のあいつは不器用だったけど、あいつはもちっと大人しくて可愛かったのに。
 現実って、所詮こんなモンなのか?
「ってぇ!凶暴女ッ!」
「ふん!あたしの事信じてくれない罰よ!」
 俺は夢の中のあの男じゃねぇけど・・・。
「俺はいつでもおめぇの事信じてるぜ。」
「え?何?」
 どうやらあかねには聞こえなかったようだ。
「聞こえてねぇんだったらいい。」
「何よ!気になるじゃない!」
 二度もあんな事言えるか。
「別にいいって!」
「やだ、教えて!」
「しつけーぞ!」
「あんたが教えてくれないからでしょ!」
「だーっ!いつか教えてやるって!」
「いつかっていつよ!」
「おめぇが忘れた頃だーッ!」
 遂に俺はあかねから逃げ出した。
「待ちなさいよ、乱馬ーッ!」
「誰が待つかっ!」
 自然と顔が緩んだ。
 後ろから走ってくるあかねの気配を感じながら、俺は夢の事を思い返す。

 もし、夢の中の男が俺なら。
 夢の中の女はおめぇだったのかもな。
 もしかしたらおめぇと俺はあいつらの生まれ変わりかもしれねぇぞ?
 だって夢の中のあいつらは約束したからな。

 絶対女を見つけ出すって。
 女は生まれ変わっても一緒だって言ってた。
 ・・・だから、な?


 桜よ、桜。

 ―――俺達はあいつらの生まれ変わりだと思ってても良いだろうか?―――









桜の幻想・・・不思議な物語〜乱馬編
実はこの作品・・・続きがあります。
あかね視点を読めば一つの話に繋がります。
さあ、感動を再び!!
一之瀬けいこ





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