◇記念日(前編)
夏海さま作


「ほんとにこんなかっこすんのかよぉ。」
「文句言わないの。」
 二十歳前後の一組の男女。
 男は茶髪で、髪を短く切りそろえている。明るい茶色の瞳が、これから悪戯をする子供のように輝いている。
 一方女の方は金髪に青い瞳という容姿からして外人のようだ。だが、話しをする限りでは日本人とさして変わりない。よくよく見れば顔立ちも日本人のようだ。
「ちゃんとしてよね。口調も直す事。」
「ゲッ!」
「はい、スタート。」
「勝手に決めんじゃねぇ!じゃない、勝手に決めるな!」
 なんだかんだ言いながら口調を直そうとする男を見ながら女はクスクスと笑った。


 三月十四日

 皆さん良く知るように今日はバレンタインのお返しをする日である。
 乱馬は朝から大荷物を背負っていた。
 風呂敷包みいっぱいに入ったそれは、バレンタインのお返しのクッキー。のどかお手製だ。
 お陰で昨日のどかはそれを作るのにてんてこ舞いだった。
「あかね、持つの手伝ってくれよぉ〜。」
「嫌よ。あんたが返すんでしょ。」
 ちょっと不機嫌なあかね。
 それもそのはず。他の女の子達に返す物なのだから。
 ちなみにあかねは今朝既にのどかから貰っている。本人からではなくのどかからというのも不機嫌な原因の一つだと推測できる。
「乱ちゃーん!」
 そこへ乱馬のもう一人の許嫁、右京が小走りでやって来た。
「あ、うっちゃん。これ、バレンタインの時はサンキュ。」
 そう言って風呂敷包みの中からクッキーの入った小袋をポンと渡す。
 その様子を見てあかねはますます機嫌が悪くなった。
(なによ、乱馬の奴。あたしの時はおばさまに任せて、自分ではお礼なんて一言も言わなかったクセに。)
「乱馬様!」
「ニーハオ!乱馬!」
 続いてやって来た小太刀とシャンプーにも同じ様な事を言ってクッキーを渡した。
「やはり、私の事を愛しているのだな?」
「乱馬様のわたくしへの愛はしっかり頂きましたわ!」
 この二人もお返しがもらえて嬉しいのか、今日は必要以上に絡んできた。そんな二人に負けじと右京も乱馬にベタベタし始める。
 元より機嫌の悪かったあかねは遂にキレて、乱馬を置いて学校へ行こうと歩を進めた。
「あかね!」
「あたしは先に行ってるから、せいぜい遅刻しないようにね!」
 捨て台詞を残して先に行ってしまうあかねの背に、乱馬はいつも通りの言葉を言い放つ。
「可愛くねぇ!もちっとかわいげのあるヤキモチ焼けよな!」
「誰が焼くかー!」
 あかねは道に転がった空き缶を拾い上げ、乱馬に向かって投げつけた。
「ふん!」
 クルッときびすを返すあかねの背後で、乱馬は空き缶の当たった額をさすりながら叫んだ。
「ほんっっとに可愛くねぇ!」
 あかねはそう言ってももう乱馬の相手をしなかった。グッと怒りを堪えて学校に駆け込む。
 乱馬はため息をつかざるをえない状況に陥っていた。無意識の内にズボンのポケットに手を突っ込んで、箱に触れる。
(これ、今日中に渡せっかな。)
 あかねにだけに特別に用意したお返し。
 買うのが恥ずかしくて随分大変だったのだからちゃんと渡したいのだが、今日のあかねは目に見えて不機嫌だ。
 なんだか今日一日の行き先が不安で、争う三人の前で大きなため息を一つ落とした。

「あかね、おはよう!」
「おはよう。」
 教室に入ると、突然ゾワッと鳥肌が立った。
(来るッ!)
 本能的にそれを察知して後ろに振り向く。
「天道あかねー!」
「やっぱり。」
 木刀を持った男が廊下を爆走してくる。そして一年F組の前で止まった。
「九能先輩・・・・・・。」
「天道あかね、これが僕の愛の証だ!」
「あたし、先輩にチョコあげてないんですけど。」
「はっはっは、分かっている!恥ずかしくて渡せず仕舞いだったのだろう!」
「そうやって自分の都合のいいように解釈できるところは尊敬します。」
 あかねはげんなりしながら九能が押しつけてきた物に目をやった。
 赤いバラの花束。これはいつもの事だ。それの他にもう一つ、キャスター付きの台の上に乗った物。布がかかっていてなんだかよく分からない。
「なんですか、これ。」
「ふっ。」
 九能は勢いよく布を取り去る。
『天道あかね!愛しているぞ!』
 テープに録音された九能の声。目の前に現れたのは等身大の久能の像だった。
「なんですか、これ。」
 あかねは同じ質問をもう一度した。
「僕がいなくても寂しくならないようにという、僕の心配りだ。さあ、受け取ってく・・・。」
「こんな物いるかー!!」
 九能は自分の像と共に大空の彼方へと旅立った。
「九能先輩も何を考えてるんだか。」
 あかねが九能を蹴り飛ばした後、席に着くとひろしや大介などバレンタインにチョコを配った男子が順にお返しを持ってくる。
「あかね、これ。」
「天道さん、バレンタインどうもありがとう。」
「あかねさん、これどうぞ。」
 それはぬいぐるみだったり、お菓子だったりした。わら人形という変わった物もあったが。
 物はそれぞれ違っても共通して言える事があった。それは義理チョコのお返しにしては物がいい事。但し本人にとって希少価値が高いだけ等の例外もある。もちろんわら人形はその一部だ。
 ここはさすがあかねだ。乱馬という許嫁がいる今でもあかねは未だに男子の憧れの存在なのだろう。
 あかねが嬉しそうに男子からのおかえしを貰う様子を、いつの間にやってきたのか乱馬がつまらなそうに見ていた。
(なんでい、あかねの奴。あんな機嫌悪かったクセに、ニコニコ笑ってお返し受け取りやがって。)
 しかしいつまでもそうはやっていられなかった。
 乱馬からおかえしを貰おうという女子が朝から教室に殺到したのである。
 お陰でバレンタイン時同様、教室の入口は女子が集まりすぎて片方は完全にふさがれ、乱馬は入口と風呂敷包みを置いた机とを行ったり来たり。
 休む間もなくせっせとクッキーを運ぶ、給仕のような乱馬を見てあかねは再び不機嫌になった。
(乱馬なんかもう知らない!)
 気になるものの、乱馬から視線を外して友達との会話に徹する事にしたあかね。
 作り笑いを浮かべて、怒りを押し隠しているあかねを見て乱馬はどうやってポケットの中の物をいつ渡すかと考えを巡らせたが、シュミレーションしてみても大半は渡せないと言う結果に終わった。
(意地でも渡してやる!)
 そんな結果にするものかと、余計に気合いが入る乱馬であった。


 が。現実はそうは甘くなかった。
 つらい風当たりだ。
 あかねの機嫌は一向に治らない、邪魔は入る、余計に怒らせる。
 お返しを渡す渡さないよりも先にあかねの機嫌をどうやって直すかという課題にまず取り組まねばならない。
 そんな訳で機会を窺っていたのだが相当機嫌が悪いらしく、乱馬が話しかけてきそうな気配を察すると、即座に逃げてしまう。さすがに鈍感であっても、一緒に住んでいる乱馬の行動が嫌でも少しぐらいは分かってしまうらしい。
(普段は鈍感なクセに!)
 このホームルームが終われば下校だった。
 乱馬は隣に座るあかねを見ながら心の中で悪態をつく。
 一身に先生を見て、話に耳を傾けるあかね。隣に座る乱馬はその視界にまるで入っていない。
「起立!」
 話しが終わると学級委員が号令をかける。
「礼!」
 申し訳程度に頭を下げた乱馬は即座に隣のあかねに声を掛けた。
「あかね!」
「あかねー!」
 その声はダブった。あかねの友人であるさゆりの声だ。
 あかねは乱馬の声など聞こえなかったかのようにさゆりにニコニコと返事する。
「今日のノート貸してくれないかな?」
「数学でしょ?」
 あかねは分かっていたと言わんばかりに、机の上に出していた一冊のノートを手渡した。
「そうそう。保健室で休んでたから・・・。」
「はい、これ。わかりにくかったらゴメンね。」
「ありがとー。校門まで一緒に帰ろう?」
「うん。」
 さゆりの誘いを受け、二人は連れ添って教室を出た。
 一人残された乱馬。
「あかねの馬鹿ヤローッ!」
 悔しそうに叫ぶと、乱馬は窓から飛び降りて二人の先回り。
 程なく昇降口にあかねとさゆりの姿が現れた。
 さゆりはムスッとした顔の乱馬があかねを待っているのを察して、側にいたゆかに声を掛けてあかねに先に帰るように促した。
「ゴメン、あかね。」
「気にしないで。また明日ね。」
「バイバイ。」
 軽く手を振って、昇降口から出たあかね。
「あかね、帰るぞ!」
 命令口調の乱馬をあかねはジロッと見上げた。
 あかねは断る理由も特にない。黙って乱馬の後について歩く。
 沈黙のままに校門から出る。
「・・・・・・。」
(乱馬は一体何を考えてるのよ。)
 フェンスの上をいつものように歩く乱馬の顔色をあかねは横目で窺った。
 しかし何を考えているのかあかねには見当もつかなかった。
(いつ渡す?家だとまた面倒だし・・・。)
 ポケットに入りっぱなしのお返し。渡すのには二人きりの今が一番いい。
 それは分かるのだがあかねは機嫌悪いし、どうも恥ずかしくて踏ん切りがつかない。
「はあぁー。」
「なによ、ため息なんかついちゃって。」
「なんでもねぇよ。」
 そう言ってからもう一度、今度は小さくため息をついた。
「ため息ばっかりつくと幸せが逃げるわッ!?」
 あかねの声が突然途切れた。
 隣を見ると、あかねの姿はない。
「あかね?」
 足元に視線を落とすと大きな穴がぽっかりと空いていた。
「落とし穴?」
(こんな所に?)
 乱馬は首を傾げて穴の脇に立った。
「あかねー?」
 返事は返ってこない。ただ穴の中で乱馬の声が反響して響くのみ。
「ったく仕方ねぇなぁ。」
 あかねの姿がない。そしてあかねが落ちたかもしれない穴がそこにあれば、確かめてみるより他はない。
 乱馬はためらいもせずに、暗い暗い穴の中へ飛び込んだ。


「あ゜ぅッ!」
 あかねは突然お腹の上に重みを感じて思わず呻き声を上げた。
 いつの間に寝た姿勢になったのか分からない。しかしあかねは地に寝ころんでいた。少し起きあがって見てみると、そこには目を回した乱馬が覆い被さっている。
「なんなのよあんたはー!」
 ドンと乱馬を突き飛ばす。
 数歩分後ずさって恥ずかしさと驚きでドキドキする胸を押さえた。
 乱馬はそのお陰か目を覚まして、起きあがった。
「あ、あかね。」
「あかね、じゃないわよ!急に人の上に落ちてきて!」
「てめーが穴に落ちたから、助けに来てやったんだろうが!」
「ここのどこが穴よ!」
「へ?」
 乱馬は辺りを見回した。
 まわりに広がるのは雑木林。
「ここ、どこだ?」
 そう言われてあかねも辺りを見回して、目を丸くする。
「俺は確かに穴に落ちたのに・・・。」
「どうしよう。」
「どうしようったって俺だってどうしたらいいのかわかんねぇよ。」
 二人はとりあえず立ち上がった。
 服についた土を払って、もう一度辺りを見回す。
 人気もない雑木林の中。いるのは乱馬とあかねのみ。ここがどこだかなんてさっぱり分からないが、今ハッキリしているのはいつもの通学路ではないという事。
 風が吹くととても寒く、あかねは思わず身震いした。
「とりあえず、歩くか?」
「そうね。こうしていたって仕方ないし。」
 はぐれないように注意しながら歩き出す二人。しばらく歩く事になる、二人共そう思った。
 しかし、突然に背後から声を掛けられた。
「ねぇ、恭介。あそこに人がいるよ。」
「なにやってるんだ?そんな所で。」
 振り返ると仲睦まじい男女がピッタリと寄り添いながら立っている。
 女はしっかりと男の腕に掴まっていて、男は少々照れているようだった。
「あの、ここはどこなんでしょうか。」
「ここか?ここは長野だけど。」
「「長野!?」」
 乱馬とあかねは同時に叫んだ。
「私達はね、お義兄さんのコテージを借りてここに来たの。」
「そんな薄着じゃ寒いんじゃないか?良かったらこの近くだし、俺達の泊まってるコテージに寄っていけばいいんじゃね、ないか。」
 男は何故か言葉を言い直した。ところどころ言葉がぎこちない。
 それを誤魔化すように男は女を残し、あかねの側に立つ。そして着ていたジャンパーをそっとあかねの肩に掛けた。
「寒いだろう?それを着なよ。」
「で、でもあの・・・。」
 あかねが女の様子を見ると女は微笑みコクンと頷いた。絶対の自信がある余裕の笑みだ。
「あいつは大丈夫。寒ければ俺のこれでも着せるから。」
 男は着ているトレーナーをさし、ニッコリと笑いかけた。男の笑顔にあかねはときめく。
 無論、乱馬は面白いはずもない。
(なに赤くなってやがんでぃ。あかねの奴。)
 女も男の隣にそっと立った。綺麗な金髪がなびく。優しげな青い瞳が一人離れて立つ乱馬を捕らえた。
「あなたもこっちに来ない?」
「え、はい。」
 ドクンと乱馬の心臓が跳ね上がる。
 それを見てあかねは半眼で乱馬を睨んだ。
(綺麗な人を見るとすぐデレデレするんだから!)
「じゃ、行きましょうか。」
「そうだな、か、加奈子。」
 男は再び女にギュウッとしがみつかれて、声が裏返る。
 幸せそうな二人を見て、乱馬とあかねはお互いをチラリと見やる。
(あかねもあんな風にしてくれたら・・・。)
(乱馬にあんな風に出来たら・・・。)
 丁度視線がぱっちりあって、慌てて反らした。
 そんな二人を見て男と女はクスリと笑う。
 あかねは羨ましそうにその二人を眺めていた。


 コテージに着くと二人に座るように促す。
 四人でソファーに座ったが女がすぐにコーヒーを入れると言った。しかし男が席を立ちかけた女を引き留めて、自分が台所に立ってコーヒーを四人分入れた。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
 乱馬とあかねは二人と向き合う形で座っている。
「ところで名前はなんて言うの?」
「天道あかねです。」
「早乙女乱馬。」
「あかねちゃんに乱馬君ね。二人は・・・高校生?」
「はい。」
「高校かー。懐かしいな、加奈子。」
「そうね。」
 二人はどこか遠い目をする。男はおもむろにコーヒーを飲もうと口を付けたが、あまりの熱さに取り落としそうになった。
 そこをすかさず女がそのカップを支える。
「気をつけなさいよ。」
「悪いな。」
「・・・なんか、息ピッタリですね。」
 女はクスッと笑って少々誇らしげ左手を見せながらに言った。
「だって、結婚一年目ですもの。」
「「結婚ッ!?」」
 女の薬指には確かに指輪が光っている。
「あんたら一体何歳だ?」
「俺もこいつも二十二才。去年の三月十四日に結婚して、今回は結婚一周年記念の旅行って事でここに来たんだ。」
「あ、あたし達名前言ってなかったね。この人は坂田恭介。あたしは加奈子よ。」
「加奈子さんて、どこの国の人ですか?」
 あかねが尋ねると加奈子は違う違うと手を振った。
「よく勘違いされるけどあたしはハーフ。お母さんがアメリカ人でね。けど、生まれも育ちも東京よ。ほら、髪や目はそれっぽいけど、顔立ちは日本人みたいでしょ?」
「へー。」
「ところであかねちゃん達は一体どこから来たの?」
 恭介の問いに乱馬がかいつまんで説明した。
 穴に落ちてここに来たと知って二人は驚いた・・・と思うがそうでもなく、ただ微笑んだ。
 そしてしばらくここにいるように言った。
「いいなぁ、加奈子さん。」
「え?」
「恭介さんみたいな格好良くて優しい人と結婚出来て・・・加奈子さんもすっごい美人だし。美男美女のカップルですよ。」
 あかねが誉めると乱馬はすかさず悪態をついた。
「おめー、恭介が気に入ったのか?やめとけよ。誰かさんと違ってしとやかで美人だからな、加奈子さん。かないっこねぇって。」
「それ、どういう意味よ!」
 叫んで立ち上がり、グッと拳を握るあかね。
 乱馬もすぐに立ち上がって言い返す。
「そのまんまの意味だろうが!」
「なんですってぇ〜!」
「言ってる側から見て見ろよ!その拳はなんだ!?」
「うっ・・・。」
 あかねは珍しく言葉に詰まった。
 握った拳を力無く降ろすと小さく呟く。
「どうせあたしは可愛くなくて、しとやかじゃないわよ。」
「まぁまぁ二人共、ケンカしないで。」
「とにかく座れよ。」
 二人に言われて座るが、乱馬もあかねも顔を合わせようとしない。
 あかねは気を取り直してこんな質問をしてみた。
「あ、お子さんとかいないんですか?」
「う〜ん、それがなかなかな。努力はしてんだけど・・・。」
「ば、バカッ!」
 加奈子が恭介の頭を叩く。
「大変だな。色々と。」
「あんたねッ!」
 あかねも乱馬のみぞおちを殴る。
「「デリカシーってものがないの!?あんたには!」」
 最後の言葉はハモッた。
「あかねちゃん!外行こう!」
「そうですね。」
 二人はすっかり怒って寒い中外へ出て行った。
 加奈子はちゃっかり自分の上着と恭介の上着を持っている。
 コテージには乱馬と恭介、男二人が残された。



つづく




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