◇武士道と修羅道
武蔵さま作



其之陸 『修羅』


「小僧……おまえ武術を辞めろ」
「え……?」
 禅馬の言葉が静まり返った部屋に響いた。
「ど、どういうことだよ!いきなり武術を辞めろだなんて!」
 若干の間をおいて、乱馬が抗議した。しかし禅馬は冷静に言った。
「言葉の通りだ。二度と格闘技と関わりを持たぬことだ。それが小僧のためでもある」
 禅馬の言葉には有無を言わさぬ物言いが含まれていたが、乱馬にはそれが不快であった。
「そんなんで……納得できるかよ!」
「納得する必要などない。おまえは黙ってわしの云うとおりにすればよい。それでも納得できないのなら……」
 禅馬はそのまま巨大な拳を乱馬の顔面手前で止めた。そして言葉を失う乱馬を見ると、背を向けて去っていった。それは納得できなければ無理にでも格闘のできない身体にするということを物語っていた。


 その日、乱馬は悩んだ。時雨の用意してくれた食事にもほとんど手をつけず、一人道場の中心で考えていた。氣が使えなくなっただけ、それだけならば乱馬が武術を手放す事などできるはずもない。懸命に努力を重ねて氣を取り戻すであろう。しかし禅馬のいった言葉の重み、それは明らかに玄馬が説明し、そして己の身に起きた『暴走』に関わっているのだと知ったために軽率な考えをもてなかった。あの時、乱馬には意識がなかった。そして後に聞かされた己の行為に酷く恐れた。闘気を失った時の不安から生じる怖れを遥かにしのぐ恐怖が乱馬を襲ったからだ。暴走したときの乱馬は明らかに破壊や殺戮といった衝動に駆られていた。玄馬達の助けがなかったら自分が人を殺めていたという事実に絶望したのだ。自分は武術の高みを目指す格闘家であり、殺人者ではない。故に意識がなかったとはいえ乱馬はその概念すら覆す事になりかけていたのだ。

「……乱馬」

 入り口からあかねの声が聞こえた。ずっと閉じこもる乱馬を心配してやってきたのだ。
「あかね……すまねぇ。今日は独りにしてくれないか……」
 弱気の乱馬の台詞にあかねは頷くとそれ以上何も言えずに出て行った。それがあかねにできる精一杯の気遣いであった。



―――翌朝―――
「はぁ……」
 起きるなりあかねは溜息をついた。眠れなかったわけではない。夜の山奥は静寂に包まれていて物音すら感じないほどだ。だからこそあかねは道場に独りでいる乱馬のこの事が頭から離れなかったのだ。結局あかねもぐっすり眠れたわけではなかった。
「あらあら、朝から浮かない顔ね、あかねちゃん」
 のどかが心配そうに話しかける。昨夜は客間であかね、玄馬、のどかが三人で泊まったためあかねが中々寝付けなかったのものどかは知っていた。
「い〜〜え、そんなことないですよ、おばさま!」
 元気よく振舞うあかね。しかし傍から見れば無理をしている事などお見通しであった。
「乱馬の事ね」
 のどかが指摘するとあかねは観念したように頷いた。
「乱馬についてきたのはいいけど、あたし何にも力になれてないなって思って……武術だってそう。女のあたしじゃ男の乱馬には適わない。何をやっても乱馬に及ばないんだなって――――」
「そんなことないわよ」
 あかねの言葉を遮るようにのどかが優しく微笑んだ。
「あかねちゃんがいるってだけでもあの子には十分力になっているわ。あの子は意地っ張りだから認めないでしょうけどね。それに女だから男に勝てないなんて誰が決めたの?ここに来る前にも言ったでしょ。必ずしも武道で女が男に劣っているなんて事は決してないわ」
「おばさま……」
 あかねはのどかの言葉を深く噛み締めるように聞くと、今度は本当の元気いっぱいの声で返事した。
「はいっ!」
「ふふふ、さて、そろそろお義母様の手伝いをしなくちゃ。ほら、あなた。起きてください!」
 強く、それでいて優しげにのどかは玄馬を起こそうと揺すった。
 あかねはふと微笑ましげにその様子を見ていた。



「爺さん……」
 禅馬を待っていたかのように、乱馬は禅馬の姿を見つけると呼び止めた。
「何だ、小僧。武術を辞める決心がついたのか?」
 乱馬は一息吸うと、決心したように言った。
「俺は……氣が使えなくてもまだ体術がある。だから武術を辞める気はない!」
 禅馬は乱馬の意思を真っ向から否定する事はしなかった。ただ一言質問を投げかけた。
「また暴走したらどうする気だ?」
「それは――」
 乱馬は返答に困った。まだその問いに関しては答えは出なかったからだ。
「……飯を食ったら道場に来い。寝ていないなどという言い訳は聞かぬからな」
 恐らく乱馬の表情を見たのだろう。そういうと禅馬は居間に向かっていった。


 一言もお互いに話すことなく、重い沈黙の状態で朝食を食べ終えた乱馬。あかね達も気遣ってか無理に言葉を発する事はなかった。朝食を食べ終えた乱馬は部屋に行き、リュックから道着を取り出した。そして帯と同時に気合も引き締め、呼び出された道場に向かった。
 
 ガラッ
 
 引き戸を開けるとそこには禅馬の姿があった。まわりにはのどか、玄馬、あかねが正座をして座っていた。乱馬が部屋に戻るときに話が伝わったらしい。
「さて、おまえの云う体術とやらがどこまで通用するのか見せてもらうとするかの」
 長い顎鬚(あごひげ)を摘むように弄る禅馬。乱馬は瞬時に構えを取った。
「ああ、待て待て。おまえの相手はわしではない」
 そう言って人差し指を乱馬の横に指す禅馬。そこには袴を着た時雨の姿があった。
「なっ!?」
 驚く乱馬に構わずに、禅馬は傍にあった太鼓の前に立った。
「判定と合図はわしがするとしようかの」
 すっと立ち上がると禅馬は乱馬に背を向けた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!俺の相手はあんたじゃないのか!?」
「誰がわしが相手すると言った?」
 禅馬は道場に来いと言っただけであり、相手するとは言っていない。しかし乱馬の横に立つ時雨はどう見ても強そうには見えない。
「あらあら、私みたいなお婆ちゃんが相手じゃ嫌かしら?」
「いや、そうじゃなくて!」
 外見はまだ若く見えるし、体格ものどかとそう変わりはしない時雨に乱馬は困惑した。
「女相手にマジに闘えるかよ!怪我でもしたらどうすんだ!?」
 乱馬は禅馬に突っかかっていったが、禅馬は呆れただけであった。
「やれやれ、相手が女だから本気が出せないか……見かけで判断するようじゃ、おまえもまだまだ修行が足りんのぅ。断っておくが時雨と体術だけで勝負した場合、わしでも三本に一本取れるかわからんほどだ」
「……え?」
 言葉を失う乱馬。体格で比較した場合、見上げるほど巨体な禅馬と自分よりも若干小さくか細い時雨で何故時雨が勝てるのか。それが不思議でならなかった。
「怪我が心配だ?安心しろ、おまえが時雨にまともに一撃でも当てることなどない。さて、用意ができたところで試合開始じゃ!」
 乱馬の有無を言わさずに禅馬は太鼓とドンと打ち鳴らした。
「くっ……」
 最早何を言っても無駄だとわかった乱馬は時雨と対峙した。そしていつものようにまずは分析するように相手を見た。
(わからねぇ。どういう技を使ってあの爺さんを倒したんだ?)
 筋力は見るからに女性の腕であり、丸太のような禅馬の筋力と比べるまでもなかった。
(まずは出方を伺うか……)
 乱馬が慎重に相手の出方を伺っていると、時雨の方から乱馬に近づいてきた。
「来ないのならばこちらから行きますよ」
 遠い間合いが段々と近づいてくる。乱馬は焦った。何せ相手の動きに予測がつかなかったからだ。
(こうなったら牽制で一発)

 シュッ
 
 手加減された突きではあったがするどい攻撃が突き出された。しかし次の瞬間、乱馬は天井を見上げていた。
 
トンッ

 軽い衝撃が背中に響いた。自分が倒れているという事実に気付くまで乱馬は唖然としていた。



「え……?」
 横で見ていたあかねは驚きの声を上げた。本当に一瞬の出来事だったが、離れた位置で見ていたあかねにはその動きがよくわかった。
「動きをよく見ていると参考になるわよ。女だからといって必ずしも男に劣っているわけではないってことがよくわかるでしょ」
 のどかが闘いを見ながらあかねに話しかけた。あかねにはのどかがあかねを連れてきた理由がわかった。乱馬の力になる事だけではなく、あかね自身の気持ちにもこの闘いは大事なのだと思ったからだ。
 起き上がった乱馬は何が起きたのか理解できていない様子であったが、手加減無用の相手だという事は理解したらしい。今度は本気の正拳が繰り出された。直線を通り真っ直ぐに相手を貫かんばかりの勢いで撃ち出される拳。しかし時雨の出した左手が乱馬の拳に触れたと思った瞬間、拳の軌道は一瞬にして逸れ、乱馬の懐を無防備にした。
 
 パァンッ

 弾けたような音と同時に乱馬の体がくの字に曲がり、後方に仰け反った。
「おばさま、時雨さんの使っているのはやっぱり……合気……」
「そうね。近代合気道とは少し違うけど、根本的には同じよ。お義母さまは古来より伝わる合気術の使い手よ」
 のどかの言葉を実証するように、時雨は乱馬の攻撃を全て受け流すように攻撃していた。それはまさに殴り合いだけが格闘ではないとあかねの意識に根付かせるには十分であった。



「げほっ!」
 咳き込む乱馬。体へのダメージは相当蓄積され、乱馬は息切れしていた。
「はぁ、はぁ……なんて威力だよ……これなら爺さんを倒したってのも納得できるぜ」
 息を整えつつ考えをめぐらせる乱馬。すると時雨は易しく言った。
「あらあら、私には見ての通り力なんてほんの僅かしかないのよ。ただ相手の力の流れに自分の力を足してやるだけ。ただそれだけよ。あなたが傷つくのは自分の力に攻撃されているのと同じ事なのよ」
 時雨の言葉が意味する事は感嘆であった。乱馬の力を十とすると時雨の力は一くらいである。しかし乱馬の攻撃が時雨に伝わることなく、技によって十一になって乱馬自身に返されていたのだ。攻防を一体にした技故に、乱馬は手を出す事ができなかった。
 手を出さなければ攻撃は返されない。しかし攻撃しなければ相手にダメージを与える事が不可能であった。この場合、氣が使えれば何とかなるかもしれないが、それを言ったら体術を理由に武術を続けるといった乱馬の負けであることは乱馬自身重々承知していた。
「……勝負ありだな」
 禅馬が太鼓を打ち鳴らした。



「これで諦めもついただろう。もう二度と武術に関わるな」
 蹲(うずくま)る乱馬に禅馬は言った。乱馬は悔しさのあまり涙が溢れた。
「乱馬……」
 あかねも乱馬の悔しさが伝わったのか、涙が溢れ、顔を覆った。
 物心つく頃から格闘技を始め、そしてこれまでずっと修行に明け暮れながら生きてきた。普通の学生として過ごす時間などなく、全て己の鍛錬のために時間を投げ打ってきたのだ。それが一瞬にして崩れ去ってしまった。


「くそっ!くそっ!」
 子供のように泣きながら道場の床を叩く乱馬。
「乱馬……」
 乱馬の行為を止めさせるように玄馬が乱馬の横に立った。
「親父……!」
 乱馬は玄馬の姿を認めると、立ち上がって玄馬の胸倉を掴んだ。
「てめえのせいだ!俺を格闘の道に引きずり込みやがって……!てめえがいなければ俺はおふくろの下で普通の生活が送れてたんだ!何が暴走だ!何が早乙女の血だ!そんなもののせいで俺の今までをぶち壊しやがって――――!!」
 ドンドンと玄馬の懐を叩きながら乱馬は想いの内をぶつけた。
「乱馬……」
 あかねも見ていて辛くなったのか目を逸らして泣いた。乱馬が今までどれほどまでに武術に身を投じてきたのか、そして自分と同じ志があったから、あかねには痛いほど乱馬の気持ちがわかった。
「返せ!俺の今までを返してくれっ!」
 段々と力が失せ、玄馬を叩く力が弱くなっていった。黙ってされるがままになっていた玄馬はそっと乱馬を抱き寄せた。
「すまなかった、乱馬……」
 普段見せる事のない父としての顔を玄馬は乱馬に見せた。父親の懐で乱馬は嗚咽しながら段々と冷静になって言った。
「……ホントは、わかってるんだ……親父のせいなんかじゃねーってこと……格闘があったから今の俺があるんだってこと……だけど……こんなのってねーよ……」
 嗚咽交じりに途切れ途切れであったが乱馬は悔しさを精一杯表した。


「父上……我らがここに来たのは乱馬に武術を諦めさせるためではありません。他に方法はないのですか!?」
 玄馬がしっかりと禅馬を見ながら申し立てた。
「……」
 無言で禅馬は玄馬の瞳を見た。その瞳がいつも見せるオドオドした眼ではなく、強い意思を持った瞳である事を悟った禅馬は苦笑した。
「ふん、貴様もそういう顔つきをするようになったか……父親の顔か……」
 苦笑する禅馬を見て玄馬は希望を持った。しかしそれも僅かの事、禅馬は厳しい口調で言った。
「氣が使えない段階ならばまだ対処はできる。武術と関わりを持たねば今後の人生を楽しむ事なんざいくらでもできる」
「父上!しかし乱馬には武術を生きがいに今まで生きてきたのです!あなたにも格闘を捨てると言う事がどんなに辛い事か想像はつきましょう!」
 必死に食い下がる玄馬。しかし禅馬は断固として認めようとはしなかった。
「くどいぞ玄馬!貴様は暴走した事がないからわかるまい!そして暴走によって失われたものの辛さがどれほどのものか……貴様にはわかるはずもない!」
 禅馬の言い放った言葉の気迫に道場全体がビリビリと震えた。
 禅馬の言葉には強い意志が込められていた。それは玄馬の想像していたものを遥かに凌ぐものだと理解させるほどの言葉であった。
「……『修羅』になってからでは遅いのだ……」
 ボソリと呟く禅馬の言葉に玄馬は怪訝そうな顔をした。
「父上、『修羅』とは―――?」
「……なんでもない。もうこの話は終わりだ。小僧も理解しろとは云わん。だが納得せよ!」
 そのまま立ち去ろうとする禅馬。乱馬はその背中を掴もうと手を伸ばした。


『納得する必要なんかねーよ。どの道全てが終わりになるんだからな』


 頭の中で声が響いた。乱馬は驚いて手を引っ込めた。
「おまえ……」
 乱馬は血の気が引いていくのがわかった。聞こえた声、それは乱馬が以前聞いた声だった。
「どうした、乱馬!顔が真っ青だぞ」
 一番近くにいた玄馬が心配するように乱馬に語りかけた。禅馬もその様子を見て一瞬立ち止まった。その映像を最後に、乱馬の視界は閉ざされた。


 次に目を開けたとき、乱馬は何もない空間に漂っていた。ただ宙を彷徨う、水の中のような感覚であるが現実感のないということもわかる。そう、以前に見た場所だ。
「よう、相棒」
 少し離れた位置でもう一人の乱馬が手を上げた。
「てめぇ……」
「そう睨むなって。ひょっとして、怒ってんのか?」
「あったりめぇだ!てめえ、俺の身体使って勝手しやがって……危うく人を殺すとこだったじゃねえか!」
 乱馬は怒りをぶつけた。自分の身体で好き勝手したというのも事実であるが、今回のケース『暴走』と呼ばれる行為に当たっては全面的にこの瞳の紅い乱馬が原因であるからだ。
「ああ〜、悪い悪い。まだ俺も力が足りなくてね、時間がなかったもんだから。」
 言葉とは裏腹に全く悪びれた様子を見せない様子に、乱馬は苛立ちを覚えた。
「だから睨むなって。俺だってこう見えて腹立ってんだぜ?俺にもっと十分な力があれば……」
 悔しがる様子を見せる紅い瞳の乱馬。その演技でもない様子を見て乱馬は怒気が抜けかけた。しかし―――
「俺にもっと力があれば、あんな中途半端しないで確実に殺せてたのによ」
 冷めかけた怒りがどっと吹き上がった。
「てめえっ!」
 殴ってやろうかと思った乱馬だが、相手との距離が縮まらない。相手は下がっている様子などないのに距離は一向に縮まらなかった。
「早乙女の血……暴走……全部てめえが関係してる事だろう。てめえ、何モンだ!?」
 追いかけるのを諦めて乱馬は訊ねた。
「言ったろ。俺はおまえだって……さて、話は聞いていたがどうも思い通りいってねーみたいだな。武術を辞めろってか?」
 乱馬が聞いていたことは全て理解しているのか、紅い瞳の乱馬は考える様子を見せて言った。
「全部てめえが原因だろうがっ!さっさと俺の中から出て行きやがれ!」
「『出てけ』か……難しい事を言う。」
 ニヤリと紅い瞳を歪ませて笑う乱馬。
「さてと、前よりちょっとは力がついたし、あの爺に見せてやるとするかな」
「な、何をする気だよ!?」
「決まってんだろ……おまえが俺の手を取る前から全ては始まっていたんだぜ」
「……やめろ……やめろぉーーーーっ!!!!」



「っ!!」
 ふと視界が戻るとそこは道場であった。
「乱馬っ!しっかりしろ、どうしたんだ!?」
 揺さぶる玄馬。どうやら現実では数秒と経っていないようであった。
「来る……ヤツが……来るっ!!」
「乱馬……!?」
 乱馬は玄馬を突き飛ばすと、そのまま頭を抱えた。
「うあぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
 叫びが響いた。
「小僧っ!!」
 禅馬が乱馬に駆け寄った瞬間、すさまじい衝撃波が道場を伝った。それだけで道場の壁や天井は粉々に砕けて飛び散った。
「まさか……また……!?」
 ほんの数日前の出来事があかねの脳裏に思い起こされる。状況はそれほどまでに酷似していた。


 雄叫びのような叫びが終わると、乱馬はぐったりと項垂れていた。しかし前回のような獣の唸り声のようなものはなかった。
「乱馬……」
 恐る恐る声をかけてみるあかね。
「近づくなっ!」
 あかねが前に出る事を警戒しての事であろう、禅馬はあかねにその場を動かないように言うと、乱馬の様子を見に出た。
「おまえ達……下がっていろ。十分すぎるほどにな」
 禅馬はそう言った。しかしその声からは余裕は感じられなかった。
「小僧……意思はあるか!?」
 禅馬は訊ねながらゆっくりと近付いて行った。しかし乱馬はピクリとも動かなかった。
「小僧っ!」
 意識を呼びかけるように禅馬は声を大きくしながら近づく。そして一歩足を踏み入れた時のことだった。
 
 ギラッ!
 
 項垂(うなだ)れて見えなかった乱馬の顔が禅馬を見据えた。そしてそこにはあたかも燐光を放っているかのような紅い瞳があった。
「グアアーーーーー!!!」
 そのまま禅馬の喉元を掴みかかろうとする乱馬。しかし警戒していた禅馬はその攻撃をいなすと、足を掴んで地に叩き付けた。
 
 ズダァン!
 
 受身も何もなく激しい音を立てて地に叩きつけられた乱馬。しかしすぎさま飛び起きると、禅馬を睨みつけた。
「我……血・……欲スル……」
「む!?」
 禅馬の表情に一瞬の隙が生じる。その瞬間を乱馬は逃さなかった。
「グルァーーーー!!!」
 突進にも近い身体を使っての打撃に禅馬は防御ごと弾き飛ばされた。すかさず飛び掛る乱馬に、禅馬はは右手から一瞬にして巨大な気砲を作り出し、撃ち出した。直撃した乱馬は遥か数十メートル遠くにまで吹き飛んだ。
「あやつ……意志があるのか……!?」
 先ほど発した乱馬の言葉に禅馬は戸惑いを見せた。
「時雨っ!皆を非難させよ!」
 禅馬が指示を出す。そしてすぐ様向き直ると、そこには既に乱馬の姿があった。夥(おびただ)しいほどの流血をしながらも、その顔は笑みに満ちていた。
「そんな……酷い怪我……」
 あまりの血の多さにあかねは言葉を失った。それほどまでに禅馬の攻撃は凄まじい物だと物語っている。
「やりすぎよ!すぐ乱馬の手当てをしないと!」
 暴走している状態だというのに、あかねは乱馬のことを気遣った。しかしその心配は無用に終わった。見る見るうちに乱馬の傷口が塞がっていったのだ。
「この状態の小僧に治療などいらぬ……」
 禅馬は吐き捨てるように言った。
「収気法か……」
 禅馬の言葉にあかねは疑問に思った。
「時雨さん、『収気法』って一体……?」
 あかねの疑問を解消するように、時雨はわかりやすく説明した。体内に巡回する氣を一時的に患部に集め、収縮させることによって怪我を癒すのだという。また、体外から氣を集めて同じく怪我を癒す『集気法』もある。乱馬が使ったのは前者の方である。
「でも、乱馬はそんな技使えなかったはずよ、それが一体どうして……」
「早乙女流古武術は氣に深く精通しているのよ。そしてその早乙女に流れる血も深く関係している。これは血が覚えているとでも言うべきなのかしらね」
 時雨が一息つくと禅馬は叫ぶようにして言った。
「悠長に説明している間はない。この場をどうにかしないとな」
 禅馬が前を向いたとき、既に乱馬の傷は塞がっており、衣服についた血痕さえなければ先ほどのダメージがまるでなかったかのようであった。
「時雨……いざというときは頼むぞ!」
 禅馬は決意した表情で時雨に訴えると、そのまま乱馬に向かって行った。


つづく







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