乱馬とあかねの文化祭
武蔵さま作


−−−風林館高校−−−

 乱馬とあかねが二年になった年、またしても文化祭の時期が近付いてきた。各部活も文化祭に向けて精を出していた。
「乱馬君、あかね。ちょっと来てくれる?」
 二年F組になびきが顔を出して乱馬とあかねを呼びよせた。
「なに、お姉ちゃん?」
 言われるがままに教室の入り口に来た乱馬とあかねはなびきの前に立ちながら訊ねた。
「ちょっと二人に頼み事があるんだけど・・・・」
 なびきの言葉に二人はドキリとした。なびきの事だから断ったら酷い目に遭うのではと思ったのだ。
「なんだよ。頼み事って・・・」
 顔を引き攣らせながら乱馬はなびきに訊ねた。
「実は私の友達に演劇部の子がいるんだけど、その子がどうしても乱馬君とあかねに今度の文化祭の劇に出て欲しいらしいの。もちろんお礼は出すわよ。」
 得意気に言うなびき。恐らくはその演劇部員から前払いで報酬は貰っているのだろう。そして仲介手数料を引かれたわずか数十パーセントが乱馬達に渡されるのだ。
「どうせ断る事なんてできねーだろ!?」
 乱馬とあかねはなびきの性格を知り尽くしている。前払いでお金を貰っている以上如何なる理由があろうとなびきは二人の弱みを突いて無理矢理にでも協力させられるのだ。だからこそここは素直に従った方が良いと判断した。
「よくわかってるじゃない。まあ、なんにせよ交渉成立ってことね。じゃあ放課後演劇部に行ってちょうだい。」
 なびきが去った後、乱馬とあかねは深い溜息をついた。もはや風林館高校の名物となっている二人、この二人が演劇に出る以上望まれる出し物は『挌闘系』か『恋愛系』に絞られる。
「はあ〜、どうせ大方去年の『ロミオとジュリエット』で思いついたんだろうよ。」
「どちらにしたってなびきお姉ちゃんには逆らえないんだから、これも仕方ないと思って諦めるしかないのよね。」
 あかねは別に劇が嫌いというわけではないが少なくとも『挌闘系』での男役は絶対に嫌であった。
 乱馬としては演劇が苦手な為、どうせやるなら『恋愛系』よりは『挌闘系』の方が助かるのであった。
 もう一度深い溜息をついて教室に戻ると、教室中は興味津々で期待の眼差しを向けていた。
「乱馬とあかね、今度はどんな劇をやるんだろな?」
「去年の劇では見せつけてくれたからな。今回はもっと凄かったりして・・・」
「あかね、頑張れ!」
「あかねならどんな役でもへっちゃらよね。」
 クラスの中でも特に期待して話し掛けてきたのは乱馬とあかねの友人のひろし、大介、さゆり、ゆかの四人であった。
「おめーら、勝手な事言ってんなよ。何も去年みたいな劇をやるって決まったわけじゃ・・・」
 ひろしと大介の期待を否定するように乱馬は言ったが、ひろしと大介は人指し指を立てて左右に振りながら勝ち誇ったような態度をとった。
「甘いな、乱馬!今度の文化祭は大規模だ。特に演劇に関しては周りの期待も大きい!」
「そしてそんな期待の中乱馬とあかねを使った劇など決まったも同然!」
 ひろしと大介の気迫に圧倒されながら乱馬はたじろいだ。
「ま、去年みたいに人前であかねとキスできたんだから大丈夫だろ。」
 ポンと乱馬の肩に手を置くひろしに対し、乱馬は真っ赤になりながら肩に置かれた手を振り解いた。
「バ、バカやろう!あれはガムテープごしだ///!」
「ほほう、しかしパッと見た感じでは本当にキスしてるように見えるぞ。」
 大介は冷静に去年の文化祭の記事の載った学級新聞を乱馬に見せつけた。その一面には紛れもなく去年の文化祭ベスト1に輝くあの瞬間の写真が掲載されていた。
 乱馬は初めてみる記事に驚いて転倒してしまった。すぐに立ち直り、大介から新聞を引ったくってマジマジと見てみたが間違いなくそこには乱馬とあかねがキスしてるように見える写真が載っていた。(しかも
 カラーで)
「な、なんでこんなに堂々と記事が・・・・」
 普段から学級新聞など見ない乱馬は初めて気がついた事実に動揺し、穴があったら入りたいという気持ちにさえなった。あかねは知っていたらしく、顔を赤らめて乱馬から目を逸らした。
「まあ事実がどうであれ、周りはそうとはとらないでしょ。だったら本当にしちゃってもいいんじゃない?」
 ゆかはにっこり微笑むと、あかねに向かってVサインをした。それはつまり本当にキスをしてしまえという意味であった。
「か、勝手な事言わないでよね!」
 あかねは頬が紅潮するのを隠すように自分の席に戻ってしまった。
「ま、どんな劇かは実際行ってみりゃわかる事だしな。」
 乱馬も同じように自分の席に戻り、ただひたすら時間が過ぎるのを待った。


−−−放課後−−−

「んじゃ行くぞ、あかね。」
 二人揃って演劇部の部室に向かうのを見たひろし達は面白そうだと後をついていった。
「失礼します。」
 ノックをした後、あかねは一礼をして部室の中に入っていった。
「待ってたわよ!来てくれたのね。まあそこに座って!」
 歓喜の声と同時に現れたのは一人の女子生徒であった。彼女が演劇部長且つ依頼主であった。以前いた殿様風の格好をした部長は受験生という事で部長の座を彼女に譲った。
「自己紹介まだだったわね。私は演劇部長の劇賀 素貴代(げきが すきよ)よ。よろしくね。」
 部長は自己紹介と同時に今回演じる劇の台本を二人に渡した。
「あの〜、登場人物の所に私と乱馬の名前があるんですけど・・・」
 1ページ捲(めく)ったその場所に自分達の名前がある事に気がついたあかねは素貴代に訊ねた。
「ああ、それね。今回はなるべく日本を舞台にしたいの。だから役の名前も一緒でも構わないかなって思って・・・」
 乱馬の方は真剣に台本を見ていたが、やがて素貴代の目の前に台本を見せて言った。
「どうでもいいけど、またキスシーンがあるのかよ。こういうのナシにできねーのか?」
 乱馬が指摘したその場所には言った通りにキスシーンと記されていた。
「う〜ん、ここは重要なシーンだから止める事はできないわね。どうしても嫌だって言うのならこのシーンだけ代役を立てましょうか?」
 眼鏡のブリッジを人指し指で押し上げながら素貴代はレンズをキラリと光らせた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 二人が黙ってしまうのを確認した素貴代はニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ということで配役に異存はないわね。なびきから聞いた話だと別にラブシーンは問題ないってことだから別に心配しなくても良さそうね。」
 沈黙する二人を前に、素貴代は自分の持つ台本に色々と書き加えていった。
「ところで外にいる四人はあなた達の知り合い?」
 窓の隙間から覗いている事がバレたひろし達は急いで逃げようとしたが素貴代に呼び止められた。
「あなたたち、エキストラ採用よ。この二人を補佐してちょうだいね。」
 こうして大した打ち合わせもせずに決まった配役で乱馬達は劇の練習に励む事になった。



「まずはシーンAの3から。不良に囲まれたあかねちゃんを乱馬君が現れて助ける。」
 不良役二名に選ばれたひろしと大介はあかねを取り囲んだ。そこへ乱馬が通りすがりあかねを助ける。ただやられるだけでは張り合いがないのでひろしと大介は本気で乱馬に立ち向かう事になった。
 ほとんど素貴代がその場で思いついた通りに演じるので台本の内容はほとんど代わる事になった。
「はい、そこであかねちゃんに向かって一言!」
 素貴代の指示に従い乱馬はあかねに向かって声をかける。
「大丈夫か?」
 しかしその声は棒読みで気持ちすら伝わってこない。
「ダメダメ!もっと真剣に心配するように・・・」
(んな事言ったって大丈夫に決まってんじゃねーか。あかねだったら不良の10人や20人・・・)
 素貴代は熱心に乱馬に教えようとするが乱馬としてはどうもやりにくかった。実際のあかねと役のあかねとを重ねてしまう為、ついいつものように憎まれ口を叩いたりしてしまった。
「それじゃあ一番乱馬君の苦手そうなラブシーンから行くわよ。」
 乱馬は顔を顰めたが素貴代は許してはくれなかった。
「シーンFの5。乱馬、あかねを抱き締めて愛の告白。」
 実際の劇と同じように暗幕をひいて暗くなった舞台にスポットライトを二人に照らしながらその場面をやることになった。
乱馬はあかねの手を取り、お互いに見つめあいながら言葉を発した。
「あかね、俺はおまえを・・・あ、あ、あ・・・・」
 乱馬が言葉に詰まったところでそのシーンはやり直しになった。
「愛してるんでしょ!?」
「んなわけねーだろ!!」
 乱馬の言葉の続きを直すようにあかねは言ったのだが、乱馬はどうしても劇と割り切れない様子であった。
「だから、これはお芝居なのよ!あんたはただその台本に書かれた台詞を言えばいいの!」まだ言い争う乱馬とあかねを見ながらひろし達は溜息をつきながら呟いた。
「はぁ〜、これで何回目だよ。」
「確かこれでちょうど30回目だな。根本的に乱馬にラブストーリーは向いてないんじゃないのか?」
「そうね、実際に素直じゃないからね。」
「他のシーンはなんとかなるのに・・・・」
 四人が話していると、遠くで乱馬は花束を投げ捨てながら面倒くさそうに叫んだ。
「あーー、やめだやめだ!こんなことやってられっか!」
 そのままステージを降りて体育館を去ろうとする乱馬の背に向かって素貴代はわざと乱馬に聞こえるように声を大きくして言った。
「それならこの役は良牙君にやってもらおうかしら。」
 良牙という名に一瞬体を止めた乱馬。振り向いたその表情には明らかに困惑が浮かんでいたが、そのまま体育館を出ていってしまった。
「ちっ、ダメか!」
 舌打ちしながら素貴代は悔しそうに呟いた。


「お〜い、乱馬!」
 乱馬を追ってひろしと大介が体育館の外へやってきた。
「あんだよ!?」
 少し不機嫌そうにひろしと大介の方に顔を向ける乱馬。その表情から先程の素貴代の引っかけが相当気になっている事がわかった。
「さっきのラブシーンの事だけど・・・」
「大人しく乱馬がやれば素貴代さんがガムテープ越しでもキスシーンをやってもいいって。」
 ひろしと大介は何か企んでいそうな笑みを浮かべながら乱馬に言った。
「もし断ったら?」
 少し考えるような素振りを見せた乱馬はその二人の笑みが気になって試すように答えを聞いた。
「それなら良牙とキスシーンだって。しかもガムテープ無しで・・・」
 その返答を聞いて乱馬は目を見開いた。だが平常心を装って誤魔化していた。
「そ、そんなのあかねが承諾するわけねーだろ!」
「だけどあかねは誰かさんと違って途中で物事を投げ出したりしないからな〜。」
「そうそう、今頃『乱馬が嫌なら仕方ないか』とか言ってたりして。」
 もちろん本当は素貴代が仕組んだ出任せなのだが単純な乱馬は信じてしまった。
『あかね。俺はおまえが好きだぜ!』
『私もよ、良牙君!』
 いつの間にか二人は乱馬の目の前でこれから予想されるであろう良牙とあかねのラブシーンを男二人で演じていた。乱馬は親友二人が演じるその不愉快な劇が目障りだったのか、はたまた実際にそんな事が起きてしまう事を不安に思ったのか、その場で大きな声をあげながら承諾の返事をした。
「わーったよ!やればいいんだろ、やれば!」
 そのままふんぞり返りながら体育館に向かっていく乱馬を見て、ひろしと大介は手をとって作戦成功を喜んだ。彼等としてもやはり親友の幸せを願っているのだろう。多分。決して乱馬とあかねのラブシーンを面白がっているわけではないと思う。


 ステージの上では素貴代が入り口の方を見ながら口元を歪めていた。
「さて、そろそろ乱馬君が帰ってくると思うんだけど・・・」
 計画通りに進める所がなびきの友人らしいが、高笑いをしている素貴代の後ろからあかねが気になった事を質問する。
「あの、もし本当に乱馬がやらなかったら私、良牙君とキスシーンやるんですか?」
 少し困惑の表情を見せるあかねに素貴代は笑いながら言った。
「や〜ね〜、冗談に決まってるでしょ。実際本番に、道を間違って遅れました。なんてことになったら私の劇がめちゃくちゃになっちゃうじゃない。」
 あかねは冗談だと判ると安堵の溜息をついた。そんなあかねを見て素貴代はニヤリと笑った。
「はは〜ん、やっぱ乱馬君の方がいいんだ。」
「べっ、別にそんなわけじゃ・・・・!」
 あかねが手を振りながら否定していると体育館のドアが勢いよく開けられた。そこには不機嫌極まりない顔をした乱馬がいた。
「ようやく帰ってきたわね。こっちだってお金払ってるんだからしっかりやってもらわなきゃ困るのよ。」
 乱馬は渋々納得したがその身体からは明らかに自分は不機嫌だと表しているような気を感じた。
「あーー、もうっ!しょうがない、このシーンはぶっつけ本番でいくわ!その代わり絶対に失敗しないでよ!」
 慣れれば問題ないと思っていた素貴代だが、一向に慣れる様子のない乱馬に痺れを切らし、それならば一回こっきりを真剣にやってもらおうと考えたのだ。実際、アクションシーンやらその他はプロ顔負けの行動をするので困ってはいない。機材なしでもワイヤーアクション並みの事は簡単にこなせる乱馬だからこそ、代役は他にいないのである。
「ホントに大丈夫かよ・・・」
 不安でいっぱいになるひろし達。正直、コメディーになってしまうのではという心配は結構噂として広がってしまうのであった。



−−−文化祭当日−−−

 急激の変更があった。昼に体育館で行われるはずだった演劇が、夜、それも劇場ホールを貸し切っての大舞台となってしまった。
 実はひょんな事から芸能人やらの有名人にまで噂が広がり、あることないこと吹き込まれた報道陣が新聞にまで載せたのだ。それを見た校長が気を利かせてホールを貸し切ったらしい。しかし、本音はコメディーになる可能性を期待して、乱馬が観衆の前で恥を曝すところを見たいという理由である。
 既に校内での販売やらは終わり、いよいよ残すは演劇となった。
 大舞台となった為、一般人もチケットを買えば入れるようにしたところ、わずか30分で完売。更には立ち見席の方まで満員になる程であった。もちろん販売員はなびきである。


「なんでこんな事になったんだよ。」
 舞台裏、急展開した事態に乱馬は動揺していた。知らされたのが2日前である為、なかなか気持ちの切り替えができなかったのである。
「あんの校長〜、こんな大衆の前であかねとラブシーンやれってーのかよ!」
 ぶつぶつ呟く乱馬に素貴代は呆れながら言った。
「まったく、いい加減覚悟決めたらどうなのよ。もうっ、色々準備あるんだから早くこっち来て!」
 言われるままに渋々と乱馬が更衣室に連れていかれた。
「ちょっと待てよ!このままじゃダメなのかよ!?」
 着替えを要求されて乱馬は戸惑った。
「あったりまえでしょ!日本を舞台にしているのにチャイナ服を着るバカがどこにいるのよ!?」
 素貴代の言葉が乱馬の心に突き刺さる。役の事を言っているとはいえ、現実にチャイナ服を日本で当たり前のように来ている乱馬への精神的ダメージは大きかった。
「それじゃ私はあかねちゃんのところへ行ってるからちゃんとコレに着替えるのよ。」
 素貴代はそう言うと更衣室から去っていった。
「俺が・・・・バカ・・・」
 譫言(たわごと)のように繰り返す乱馬には全く気付いていなかった。
「あの〜、私はこのままでいいんでしょうか?」
風林館高校の制服を着たあかねは素貴代に訊ねた。
「うん、着替えは必要無いけど・・・ちょっと化粧してみようか。」
 素貴代はメイク道具を取り出し、あかねの顔に化粧を施していった。
「あかねちゃん、あまり化粧ってしないでしょ?」
「は、はい。」
 素貴代の質問にあかねは頷く。武道をやっている身のあかねはあまりどころかほとんど化粧をした事もなかった。それというのも素顔のままで十分周りを惹き付けていたからだ。もちろん、当の本人にとっては稽古などで流れてしまうので必要ないと思っている。
「やっぱりね。化粧のノリが違うわ。本当はあまり必要無いけど、軽くしといた方がいいわ。」
「は、は〜、そういうものですか///」
 人に化粧をしてもらうのが初めてな為、あかねは少し照れながら頷いた。
(ふっふっふ、その方が乱馬君をその気にさせるのよ。)
(きっと自分でやったら上手くできないんだろうな。私、不器用だから・・・)
 それぞれ別の考えを抱いていると、乱馬が更衣室から出てきた。その姿を見てあかねは唖然とした。
「よう、化粧してもらってるのか?」
 開いた口が塞がらないといったように、あかねは乱馬の問いに目を丸くしながら首を立てに振った。
「こんばんは〜!!」
 そこへひろし達がやってきた。
「緊張するね〜、あれ?あかね、もしかして化粧した?」
 さゆりとゆかがあかねの顔の変化に気が付いて質問した。しかしあかねはまだ口を半開きの状態であった。
「乱馬のやつ、まだ来てねーのか?」
「案外すっぽかしたりして。」
 ひろしと大介はすぐ近くに乱馬がいるという事にも気付かずに勝手な事をいっていた。さゆりとゆかも気付いていなかったが、あかねの目線を辿っていくと、ある男子の姿に気が付いた。
「ええっ!?もしかして、乱馬君!?」
 冷めた目でひろしと大介を見ていた乱馬はさゆりとゆかの方を向いて無言で頷いた。
 それにつられてひろしと大介も慌てて振り向く。そこには確かに乱馬の顔があった。
「なんだよ、そんなにコレが珍しいか?」
 乱馬は呆れたように自分の来ているものを見せつける。そこには珍しくも何ともない風林館高校でも使用されている学生服が着用されていた。学生服自体は珍しくないのだが、乱馬がそれを着ているという事で珍しさは遥かに駆け上がる。遅れてやってきた四人もあかね同様唖然としてしまった。
「な、なんか新鮮な感じだよな。」
「あ、ああ。なんか乱馬じゃないみたいだ。」
 乱馬はいじけていた。素貴代に言われた言葉に加え、親しき友人達にはいつものチャイナ服を着替えただけで気が付いてもらえない。そんな事が乱馬の心を荒ませていった。
「どうせ、俺はそれだけの存在さ。チャイナ服だけが目印で、その目印がなくなれば気付いてさえもらえない。そんな人間なんだ。」
 いつもの強気な乱馬らしくない様子を見た四人は弱った顔をした。しかし同時にある思いつきをした。
「悪かったよ、乱馬。それよりあかねを見てみろよ。」
 床を人指し指で突いていた乱馬はひろしに言われるがままあかねの方を見た。
 薄らと化粧の施されたあかねを見た乱馬は先程のあかねのやったように口を半開きにして硬直してしまった。
「きれいでしょ?乱馬君。」
 さゆりの言葉も耳に届いていないのか、乱馬は応えなかった。乱馬自身、あかねの化粧した姿を見た事がないわけではない。祝言騒動の時にも化粧のしたあかねに見とれた事もあったが、眼前にいるあかねは着飾る事はせず、ただいつも通りの格好なのだが、違って見える事で言葉を失ってしまったのだ。
「似合う・・・かな?」
 いつもは照れ隠しで喧嘩になってしまうのだが、あかねの言葉に乱馬は素直に頷いた。
(いよっしゃー!これなら今夜の劇は大成功よ!)
 素貴代は隠れて様子を見ていたが、心の中で叫び、ガッツポーズをした。
「あー、俺緊張してきた。よく乱馬は平気だよな。」
 ひろしはそわそわしながら乱馬の方を向いた。乱馬は平然とした様子でひろし達を見ていた。
「まあな。たかが大勢の前で挌闘やるだけで緊張なんかしねーよ。」
 自慢気味に胸を張る乱馬。
「じゃあ、あかねとのラブシーンは?」
 乱馬の動きがピタリと止まった。
「ぐはあ!」
 まるで心臓発作のように胸を押さえて苦しむ乱馬。その動悸は激しく、心臓が破裂しそうな勢いである。
「しまった!そのことを忘れてたぜ・・・」
 今度は頭を抱えて悩み出す。そんな乱馬にゆかは優しく言った。
「大丈夫よ。どうせキスシーンだけが重要なんだから。まあ将来の予行演習だと思って・・・」
 立ち直りの早い乱馬は頷きながら言った。
「そうだな。将来の予行演習はともかく、ガムテープ越しのキスさえ乗り切れば!」
 乱馬は呪文のように繰り返し出す。
「あ、あのさぁ、ホントにガムテープ越しにするの?」
 残念そうにさゆりが訊ねてきた。
「あ、あったりめーだろ!」
 乱馬はこれ以上聞きたくないとばかりに控え室に入って行った。緊張しているのか、あかねもそれを追った。
「んっふっふ。だ〜いじょうぶ!私の計算が正しく、あの二人があることに気が付かなければ、物理的に、
 必然的且つ合理的にあの二人は舞台の上でキスをするわ!」
 幽霊のようにどこからかひょっこり現れた素貴代は眼鏡を掛け直し、四人に言い聞かせた。
「それより、あなた達、頑張ってね。いやぁ、乱馬君の演劇指導に気を取られて他の役の人の事考えてなかったわ。一人当り十人分の役やってもらうから。」
 素貴代はそのまま嬉しそうに去っていった。その場に残された四人は突如告げられた衝撃な出来事に呆然としていた。
「だ、大丈夫かよあの人。」
「いや、それより俺達の身が持つかどうか・・・」
「今まで代役として演じてきた事を全部やれっていうの?」
「私、帰りたい。」
 それぞれの思いを口にして、四人は同時に溜息を付いた。


−−−休憩時間−−−

 前半の一時間が終わり、皆は休憩を取る事になった。本当はもっと短く劇を終わらせるはずだったのに、
 校長がホールを貸し切ると言う事を聞いた素貴代が演劇時間を倍にしてしまったのだ。さほど大変なことではなかったので、なんとかできたのではあるが、校長と素貴代には急展開で物事を決められた為、乱馬達はグロッキー状態だった。
「しかし、演劇部だっていうのに他の部員はどうしたんだよ。」
 体力的には問題ないのだが、精神的に疲れた乱馬は隣で倒れてるひろしに訊ねた。
「何でも、素貴代さんが俺達に構ってたから他の部員に指示を出すのを忘れてたらしい。そのせいで他の部員は今日会場で見学だそうだ。」
 生気の抜けたような声で乱馬に言うひろし。隣の大介はもう痙攣して魂が口から出かかっていた。
「ふっ、ある意味俺達の方が前半では主役・・・だった・・・な・・・」
 そこまで言うとひろしはガクリと項垂れてしまった。
「ひろしーー!」
 まるで映画のワンシーンみたいに叫んでみる乱馬。しかし死んでいないという事はわかっているのでその場を去っていった。
「ひろしが倒れた。大介なんか半分魂が出ちまってる。」
 取り敢えず素貴代に報告する乱馬。
「あら、またなの?仕方ないな。ゆっくり休ませてあげましょうか。後半は出番ないし・・・」
 そう、後半はいよいよ乱馬とあかねのラブシーンオンリーなのである。それも一時間ぶっ続け。
 また動揺してきた乱馬は気を鎮める為に控え室に入ろうとした。
「なんでぇ、あかねじゃねーか。」
 ちょうど控え室から出てきたあかねに動揺しながら声をかける乱馬。あかねは人指し指を立てて口元に置き、乱馬に言った。
「しーっ!今ちょうどさゆりとゆかが眠ったところだから。」
 彼女達も疲れ果てたのであろう。何しろ前半のあの四人の働きはかなりハードであった。不良として出てくれば次は医師と看護士として出てくる。更には乱馬とあかねの父母それぞれに出てきたのである。事態を知らなかった乱馬とあかねが驚いてしまうぐらいに彼等は出演したのだ。その着替え時間は1分未満であるから驚きだ。手伝う人もいないので全て自分達で行ったのだ。
「あいつら、頑張ってくれたな。」
「そうね。みんなの為にもこの劇、成功させようね。」
 乱馬に笑いかけるあかね。不思議とみんなの気持ちを察したのか、乱馬には先程までの不安や動揺はすっかり消え失せていた。




「おまえ、あの時の・・・また会えるなんて思わなかったな。確か、あかね・・・だよな?」
「ええ。あなたは乱馬よね。本当にあの時は有り難うございました。」
 後半、今まで以上の最高の出来栄で順調に劇をこなしていく乱馬とあかね。
(う〜ん!いいわ!そのまま一気に行くのよ!)
 素貴代は舞台の横で興奮して行く末を見守っていた。
「ど、どうですか、あいつら・・・」
 いつの間にか意識を取り戻していた四人が素貴代の後ろに立っていた。その姿は重病人のように酷く、見るだけでも気の毒であった。
「う〜ん、後少しで終わるわ。問題は最後のシーンよ。あなた達も最後は舞台に立つんだから休んでいなさい。」
 素貴代は忠告したが四人は同時に首を横に振った。
「いえ、私達、あの二人の劇最後まで見ます。それに素貴代さん、最後はキスするって言ったじゃないですか。」
 何を言ってもダメかと観念した素貴代は申し訳なさそうに言った。
「悪かったわね。あなた達にもちゃんと報酬は出すからね。それにしてもあの二人、見事なまでに息が合った演技だわ。」
 素貴代の言った事は事実であり、見てるだけでも飽きが来ない演技であった。そして遂にラストシーン。
「あかね・・・俺はおまえを・・・」
 あかねを抱き締めて告白の瞬間、乱馬の言葉が途切れてしまった。
(くそっ!たかだか劇じゃねーか。言わなきゃ、あいつらの為にも・・・)
 客に見えないように顔を顰める乱馬。その目線の先には無言で応援する四人の友人達の姿があった。
(あいつら・・・無理しやがって。)
 不意に笑みが出た乱馬は、少し間が空いてしまったがあかねに言葉の続きを言った。
「俺はおまえを愛してるぜ。」
 自然に言えた言葉。しかも間を空けた事が逆に観客の感動を誘った。
「乱馬・・・私もよ。」
 いよいよクライマックス。乱馬とあかねは一挙手一投足を心の中でシミュレートした。
(左手をあかねの肩に置いて、右手はあかねの後頭部にそっと添える。そんでもって・・・)
(乱馬の腰に手を回して乱馬の顔に高さを合わせる。それで・・・)
 既に幕が降りる準備がしてある為、もう後には引けない。
 二人は目を瞑り、お互いに顔を近付けた。
「・・・!!!」
 唇を重ねた瞬間、二人は驚いて目を開いた。幕が降りているとはいえ、完全に降りるまで客が見ているので慌てて離れる事もできず、ただ驚きの表情をしていた。
完全に幕が降りて客から目が届かなくなると、二人は慌てて離れた。
「ななななな、なんでガムテープ持ってねーんだよ!?」
「そそ、そっちこそ!」
「前回はおまえがガムテープくっつけただろ!だから今回もそうだと・・・」
「最初にその考えを出したのはあんたでしょ!だからあんたからだと・・・」
 沈黙が続く二人。素貴代の言った通り、二人は本当に舞台の上でキスをしたのである。お互いが用意してると思っていたガムテープはなく、本当の唇の感触に驚いたのである。照れ隠しに喧嘩する二人だが、まだ口に残る柔らかい感触を思い出し、赤面して俯いてしまった。
「へえ〜、ガムテープ越しに・・・か。俺達にはどう見ても本当にキスしてるようにしか見えなかったよな?」
「ホントホント。二人とも両手が塞がった状態でいつのまにガムテープなんて用意したんだか。」
 一部始終を見ていた四人の親友かつ悪友。悪戯そうに笑いながら二人に近付いてきた。
「いや、それは・・・その・・・待てよ!?」
 誤魔化そうとした乱馬はあることに気が付く。
「そういや、最後のシーン。手の置く位置から全てが細かく書いてあったけど、もしかしてあいつ・・・」
 素貴代の姿を捜す乱馬。遠くの方で素貴代はキラリと光るレンズの角度を変えてVサインを向けてきた。
「あのやろう〜!」
 追い掛けようとする乱馬だが、最後に舞台で挨拶するので時間がなかった。



 帰り道、無言のまま一緒に帰る乱馬とあかね。
『ガムテープなしてしたかったね。』
 去年のあかねの言葉が乱馬の脳裏に浮かぶ。よもや本当にガムテープ無しでするとは思わなかったのであろう。暫く沈黙が続いた後、あかねの方から話し掛けてきた。
「今日の劇、上手くいって良かったね。」
「あ、ああ。」
 まだぎこちなさはあるが、お互い普通に話そうとしていることはわかった。
「あのね・・・最後の言葉、なんか劇だってわかってても嬉しかったよ。」
 あかねの言葉に乱馬はフェンスの上を歩く足を止めた。あかねはそれに気付かず、暗い夜道を家に向かって歩いていた。
「そんなに嬉しけりゃいつか本当に俺の口から言ってやるよ。」
 後ろから聞こえた声に驚いて振り向くあかね。
「乱馬・・・今、なんて・・・」
「さあな。」
 乱馬自身、ここまで素直になれた事に驚いたが、帰路を急いで走り出した。
「あっ、待ってよ〜!」
 追い掛けるあかね。二人の距離はもうかなり近いところまで来ているのかもしれない。


「「ただいま〜。」」
 同時に二人天道家に付いた。かすみが出迎えに来たが、なにやら居間が騒がしい。
「どうしたの?」
 あかねが戸を開けると、そこは既に宴会場のようになっていた。
「いや〜めでたい!」
「そうだね〜天道君!」
「男らしいわ〜乱馬!」
 完全に酔っぱらっていた。そこへなびきが笑いながら言った。
「今日の劇良かったわよ。みんなでちゃんと見ててあげたからね。写真も結構撮れたし、明日の学級新聞楽しみにしててね。それからテレビでも放映するらしいわよ。素貴代が解説するって。」
 酔っぱらった親と大量の写真を見て乱馬とあかねは言葉を失った。
『おまいらのせいで素直になれないんだ〜〜〜!!!』
 乱馬の心の叫びは夜空に虚しく響いた。








作者さまより

原作のあの話の続編といったところですかね。あれを利用した話を書こうと思ってできたのがコレです。
劇賀 素貴代(げきが すきよ)って名前、安直すぎですかね?


 「ロミオとジュリエット」のガムテープ越しキスのリベンジ作品。
 「あれから一年」という年数が、二人の距離を、少しだけ縮めたのかもしれませんね。
 恋愛などというものは、騙し騙され?周りに騙される二人は、純情の上に「ど」が付くのかも。
 で、一家総出で、茶の間のテレビにしがみ付く天道家の姿も浮かんでくるような…。
(一之瀬けいこ)

Copyright c Jyusendo 2000-2005. All rights reserved.