◇Back to the … 後編
武蔵さま作


「よし!完璧な作戦だ!」
 乱馬は作戦を実行するべく、のどかを連れて祭りへ向かった。
「あの、どうかしら?」
 のどかは自分の浴衣姿を乱馬に見せた。腰元まで伸びた髪を上で束ねたその姿は乱馬にとって元の時代ののどかを思い起こさせるには十分であった。
「あ、ああ。似合ってるぜ。」
 自分の母親にこんな事を言うのには違和感を感じたが、乱馬は深く考えないようにしていた。
 祭りの会場に到着すると、乱馬はその近くのベンチに座っている玄馬の姿を発見した。いつものような白い道着ではなく、ちゃんとした浴衣を着ていた。
(よ〜し、計画通りだ!)
「あ、ちょっくら用事思い出しちまった。悪いけどそこのベンチに座って待っててくれよ。」
 そう言うと乱馬はのどかの返事も聞かずにその場から走り去った。
「どうしたのかしら?」
 残されたのどかは乱馬に言われた通りにベンチに座ろうとした。その時、そこに座っている玄馬に気がついた。
「あら、あなたは先程の・・・」
 のどかの声に気付いた玄馬ものどかの顔を見て驚いた。
「あ、あなたもここで彼を待っているのですか?」
 知り合って間もない女性に対し、玄馬は話す言葉がなく、適当に話題を見つけてのどかに話していた。
 乱馬はそんな二人の様子をベンチの後ろでこっそりと聞いていた。しかしその顔はとても苦しそうで今にも倒れそうであった。
(俺の存在が消えかかってやがる。このままじゃ本当にマズいぜ。)
 自分の手を見る乱馬。その手は透き通っていて手の向こう側にある草が見えてしまっていた。
(こりゃダメかもな。写真の俺はもうほとんど写ってねーや。)
 半ば諦め状態で覚悟を決める乱馬。ベンチでは玄馬とのどかが無言のまま座っていた。
「あの、つかぬ事を伺いますが・・・」
 玄馬がのどかに話し掛けた瞬間、消えかけた乱馬の存在がはっきりしてきた。
「はい、なんでしょう?」
「あなたと先程の乱子という少女、なにか御関係はおありでしょうか?」
 玄馬の問いにのどかは首を傾げながら答えた。
「いいえ。なぜそのようなことを?」
「いや、どこか顔立ちがあなたに似ていたものですから・・・」
 勘違いかと思い、玄馬は考え込んだが今度はのどかが同じような質問をしてきた。
「あなたと乱馬という方、お知り合いなのですか?」
 その問いに対して玄馬は首を横に振った。実際は乱馬から窃盗を働いたという関係以外はないのだが玄馬はそういった行動を知られたくない為に一切関係はないと言った。理由を訪ねるとのどかは玄馬の顔を見ながら言った。
「いえ、どこか男らしさというか・・・何かあなたを見ていると彼を思い出すんです。」
 そんなやり取りを聞いているうちに乱馬は自分の姿が元に戻り始めている事に気が付いた。写真を見るとまだ半分ではあるが自分の姿が写っていた。
「あの、よろしければ一緒に踊りませんか?どうやら連れは来れなくなったようだ。」
 玄馬はベンチから立ち上がり、のどかを誘った。
「そうですね、あの方も用事で帰ってしまったかもしれないですし・・・踊りましょうか。」
 玄馬とのどかはそのままベンチから離れ、太鼓の音の響く祭りの場に向かっていった。
「いよ〜し!このままいけば・・・でも不安だからもちっと見ていくか。」
 乱馬はそのまま玄馬とのどかの後を尾行した。
乱馬が木陰からこっそりと覗くと、玄馬とのどかがぎこちなく踊っているのが見えた。傍から見たらお世辞でも似合っているとはいえないカップルであった。ただ、お互いに時々目を合わせるその姿は、今の自分の両親を思いださせて微笑ましくも感じた。
「もう、俺が見守る必要はないな。」
 乱馬は南蛮ミラーに涙を落とし、元の時代へ帰った。



「さ〜て、なんか久し振りに帰ってきた気がするな。」
 天道家の門を潜り、玄関に向かう乱馬。
「ただいま〜。」
 そのまま居間に向かい、取り敢えずこの世界に影響が出ていないか確認する乱馬。しかしあまり変わった様子はなく、安心していた時だった。
「おや、君は誰だい?」
 早雲が居間にやってきて乱馬に訊ねた。乱馬は冗談だと思い、笑って言った。
「やだな〜おじさん。俺だよ、乱馬。親父とおふくろはどこに・・・」
 どこにいるのか尋ねようとした乱馬に、早雲は驚きの表情を見せた。
「君が乱馬君か!そうか、混乱しているんだね。気持ちは分かるが落ち着いて、まずはここの環境に慣れてくれ。」
 乱馬は早雲が何を言っているのかわからなかった。少なくとも冗談ではないという事がわかっていたが、カレンダーを見ても、自分が過去にいっている間を差し引いても時間に間違いはなかった。状況を理解しようとしていると、早雲が皆を呼び寄せた。
「お〜い、かすみ、なびき、あかねー。」
 呼び出された三人は居間で机越しに乱馬に向かい合って座った。
「乱馬君、これが私の娘達だ。」
 順を追って紹介する早雲。乱馬はますます混乱してきたが、ある決定的な違いに気がついた。
「あ、あかね!おめー髪が・・・」
 乱馬の言いたい事はあかねの髪が元の世界と違って長かった事だ。それはまさにあかねと初めて会った時と同じくらい、いや、それ以上であった。
「な、なによ・・・って初対面のあなたに呼び捨てされたくないわ!」
 急に話しかけられたあかねは乱馬に対し、不愉快だとばかりに声を荒げて言った。
「こら、よしなさいあかね。乱馬君はいろいろと・・・・」
 早雲の言葉にあかねは大人しくなって言った。
「そうね、悪かったわ。あなたも辛かったのよね。」
 なにかがおかしいと感じつつも取り敢えず玄馬とのどかの所在を早雲に尋ねようとした時であった。
「それにしても私を頼ってきてくれるとは・・・早乙女君が死んで母親と二人暮しでやってきたのは大変だっただろう。君の母親が病床に伏せていた時は私としても何か手助けをしたかったのだが・・・」
 乱馬は我が耳を疑った。
「親父が・・・死んだ?おふくろが病気って・・・どこにいるんだ!?」
 違和感を感じていたが、乱馬は混乱して早雲に頻りに問いただした。
「可哀想に・・・まだ現実が受け止められないようだな。先日、君の母親が逝去されたとき、君が一人旅をすると言っていたから立ち直れたと思っていたのだが・・・」
後の早雲の言葉はもはや乱馬には聞こえていなかった。
「親父とおふくろが・・・・死んだ・・・?」
 呆然と言葉を繰り返す乱馬を見兼ねてあかねは言った。
「元気出しなさいよ!私達だってお母さんが死んじゃったからあんたの気持ちはわかるわ。」
 同情だけでなく励ますようにあかねは乱馬にいろいろ気を遣ってくれた。その為もあって乱馬は段々と落ち着きを取り戻してきた。
 元の世界と同じ、居候の部屋に案内される乱馬。しかしそこにはいつもいたはずの父と母の姿はない。それだけで広い空間に取り残された感じさえ受けた。
「なんでこうなっちまったんだ?俺が過去を変えたからか?だけどうまくいってたはずだ・・・一体俺が去った後に何が・・・」
 乱馬はそう思ってハッと気がついた。
「ないっ!」
 南蛮ミラーがなくなっていたのだ。
「たぶん天道道場の前だ!俺が来た時に落としたんだな。」
 駆け足で乱馬は家を飛び出した。そして通りに出ると、乱馬は膝をついてその場に座り込んだ。
 南蛮ミラーはあった。しかしその鏡は粉々に砕け散り、無惨な姿であった。恐らく車が何台も通ったのが原因であろう。乱馬は気の抜けたまま部屋に戻った。
「俺は・・・どうすればいい?このままこの世界で暮らすのか?」
 相手のいない状況で自分自身に問いかける乱馬。しかし答えは出せなかった。
「乱馬、だったよね?稽古付き合ってくれない?」
 気の抜けた様子で天井を見ていた乱馬にあかねは声を掛けた。乱馬は気が紛れていいと判断し、あかねと二人で道場に向かった。
「お父さんから聞いたけど、あんたあまり武術はできないんだってね。でもあんたのお父さんが無差別挌闘早乙女流だったんだから少しぐらいできるでしょ?」
 どうやらこの世界の乱馬は物心つく前に玄馬が死んだ為に挌闘をしないらしい。母、のどかを養う為に働いたりしていた為に武術とは全く縁がないという状態であった。
「大丈夫よ、本気だしたりしないから。」
 軽く牽制で拳を突き出すあかね。乱馬は簡単にそれを避ける。当てるつもりはなかったが完全に軌道を読まれていたあかねは驚いた。
「へ、へ〜。結構やるわね。なら・・・!」
 今度は単発ではなく連続で攻撃が繰り出される。乱馬は同じように余裕を持ってそれを躱す。
(当たらない・・・見切られている。)
 息を整えてあかねは本気で拳を繰り出した。道場端に追い詰められた乱馬は逃げ場がないと判断したのであろう。フェイントなどはなく、真直ぐに拳を突き出すあかね。乱馬は軽く跳躍し、道場の壁を蹴ってあかねの背後にまわる。
「くっ!」
 振り向いたあかねの目の前には悲しそうに笑う乱馬の姿があった。
「同じだな・・・初めてあった時と・・・」
 あかねには何の事だかわからなかったが、ただ、乱馬の悲しそうな顔が目に焼き付いて離れなかった。



「このまま・・・この世界で暮らすのか・・・・」
 暗い部屋で乱馬は電気も付けずにぼんやりと天井を見上げていた。南蛮ミラーが壊れた今、乱馬にはどうする事もできないという無力感を感じていた。
「そうだよな。どうしようもないんだ・・・だったらこのまま・・・」
 乱馬はこの世界で暮らす事を決意した。しかしそれなのに乱馬の瞳からは絶えず、涙が溢れ出してきた。
「親父・・・おふくろ・・・」
 元の世界に似ているが、確実に違う世界。乱馬は迷子になった子供のようにただひたすら涙を流していた。
 そんな様子を襖の向こうであかねは心配した様子で見守っていた。


「おはよう!」
 元気よくあかねが乱馬を起こしに来た。一瞬、今までの事が夢であったように乱馬を錯覚させたが、目の前のあかねの長い髪を見て、これが現実なのだと実感させられた。
「おはよう。」
 極力笑顔を見せて答える乱馬。いつものようにあかねと接する事はできなかったが、あかねは気を遣って言った。
「酷い顔よ。洗面所で顔洗ってきたら?」
 言われるがままに洗面所に赴く乱馬。鏡に映った自分の顔を見て苦笑した。ずっと泣いていた為か、目は赤く充血し、瞼が腫れていた。顔を洗って気分を一転させ、乱馬は居間に向かった。そこには朝食が並べられ、いつものような朝であった。2つの空白を除いては・・・
「私は学校に行くけど、あんたはどうする?」
 本来ならば、乱馬も学校に行っているはずである。しかし状況がわかっているため乱馬は丁寧に断った。
「俺は・・・東風先生の所で手伝える事をしてるよ。」
 過去にいるわけではない。だからこそ今から学校へ行ったところで自分を知っている人は誰もいないのだ。その考えがあかねと一緒に学校へ行くという意見を拒否した。
「東風先生の事知ってるんだ。じゃあ途中まで一緒に行こうよ。」
 普段なら見せない優しさを乱馬に向けて、あかねは乱馬と一緒に学校への道を向かっていった。
「初めまして、早乙女乱馬といいます。」
 知っている人に初対面の挨拶をする事は乱馬にとっても苦痛であった。しかしこの環境になれるように乱馬は頑張っていた。あかねは乱馬が一方的に東風の事を知っていただけだと思い、深く追求する事はせずに、そのまま学校へ向かっていった。
「乱馬君っていったよね。君はあかねちゃんとはどういう関係なんだい?」
 自己紹介のようにまずはお互いを知ろうと東風が話し掛けてきた。
「あいつは俺のいいな・・・」
 乱馬は慌てて口を押さえ、言い直した。
「家族・・・です。身寄りのない俺を早雲おじさんが引き取ってくれて・・・」
 この世界ではそうなっていると乱馬は自分を納得させた。早雲は義理の父、かすみとなびきも義理の姉である。あかねと結ばれた結果そういう形になるのではなく、ただ養子となった関係である。
「そうか・・・君も大変だったんだね。」
 その後は東風と話をしたり、患者の面倒を診たりなどで夕方まで時間を費やした。
「こんにちは〜!東風先生いらっしゃいますか?」
 あかねが小乃接骨院に顔を出した。乱馬がそれを出迎え、あかねを待ち合い室に待たせる。
「今、先生診察中なんだ。ここで待っててくれよ。」
「そうなんだ。じゃあ折角だから少し話さない?」
 あかねに言われるままに隣に腰を下ろす乱馬。あかねは心配そうに乱馬に言った。
「どう?この辺には慣れた?」
 あかねの問いに乱馬は黙って頷く。それもそうであろう、自分がよく知る町なのだから当然だ。乱馬が元気のないのを見てあかねは少し怒り気味に言った。
「もうっ!男だったらシャキッとしなさい。あんた昨日初めに私と会った時みたいにもっと明るくしたらどうなの?昨日のあんたの方がよっぽど良かったわよ。」
あかねが一気に捲し立てると、乱馬はあかねの方を目を丸くして驚いていた。しかしすぐに笑い出した。
「そうだな。いつもの俺らしくいかなきゃダメだな。」
 乱馬はいつもの調子に段々と戻っていき、あかねとの会話を楽しんだ。しかし、あかねには乱馬がどこか無理をしているのがわかっていた。



 乱馬が天道家の養子となってから一ヶ月が過ぎた。乱馬専用の服なども用意され、乱馬も道場の稽古を手伝うなどという本当の親子のような関係を築いていた。どちらが年上という事も関係なく、乱馬とあかねは『きょうだい』という事で世間に通していた。乱馬の変身体質にも初めは驚かれたが、今ではすっかり動じずに普通に生活していた。
 乱馬とあかねは喧嘩をする事もなく、仲の良い『きょうだい』としてお互いに接していた。しかしあかねは時折見せる乱馬の悲し気な表情が気になっていた。乱馬も元の世界では見られないあかねの素直なおもいやりに少しずつ惹かれ始めていた。しかし、ある事をきっかけにこの全ての関係は崩れる事になる。
「こんにちは〜!」
 いつものように小乃接骨院を訪ねるあかね。このまま乱馬と一緒に天道家に帰る事があかねの習慣となっていた。しかし今日に限って乱馬の姿は見当たらなかった。
「ああ、あかねちゃん。乱馬君なら今日はもう帰ってもらったよ。用があるっていってたけど。」
「そうですか・・・」
 残念そうに呟くあかねに東風は思い出したように言った。
「そうそう、丁度良かった。乱馬君、いつも大事にもっている写真を今日に限って忘れてっちゃったんだ。あかねちゃんから渡してくれるかい?家族皆でなんて仲が良いんだね。乱馬君は昔の写真だって言ってたけど少し変な所があるんだよ。」
 そう言うと東風はあかねに写真を手渡した。
「これって・・・・・」
 あかねは東風から写真を受け取ると、そのまま天道家に向かって走り出した。


「乱馬ーー!」
 帰ってくるとあかねは乱馬の姿を捜した。しかし乱馬はどこにもいなかった。かすみがまだ帰ってきていない事を告げたので、あかねはそのまま居間にで待機する事にした。


「へへっ、ある程度金もってて良かったぜ。こっちだとなびきも俺を脅すようなマネしねーから結構減らねーもんだな。」
 乱馬は小さな箱をポケットにしまうと、そのまま天道家の玄関で自分が帰ってきた事を伝えようと居間に向かった。
「ただいま〜!」
 居間に向かって元気よく挨拶したが、何故か天道家一同が深刻な表情で乱馬を見ていた。そしてその卓袱台の上に置かれた写真に乱馬は目がいった。
「それは・・・!」
「東風先生の所に乱馬が忘れてったのよ。この写真、説明してちょうだい。私、髪を切った覚えはないし、こんな写真撮った事ないわ。昔の写真だって言ってたけどどう見たってこれはつい最近撮られたような写真じゃない!」
 あかねは混乱の為か、声が荒くなって乱馬に言った。乱馬はどう答えればいいのかわからずにただ立ちすくんでいた。
「私もこれについては聞いておきたい。どうして死んだはずの早乙女君や君の母親まで写っているんだ?」
 早雲が乱馬を問い詰める。かすみとなびきはあり得ない事に恐怖すら感じていた。
「その・・それは・・・」
 乱馬は言葉に詰まったまま困惑していた。
「その・・・理由は言えません。・・・すみません。」
(理由を言ったらこの世界まで変えてしまう可能性もある。もう未来を変えるのは嫌だ!)
 やり場のない苦しみに乱馬は目を瞑っていた。すると、そっと自分の手に手が重ねられるのを感じて乱馬は目を開いた。
「お願い。理由を・・・聞かせて!」
 それはあかねであった。あかね自身、何かを察しているのかその瞳には涙が薄らと浮かんでいた。乱馬は耐える事ができず、全ての経緯を皆に話した。


「そういうことだったのか。そう言えば昔乱馬君に会った覚えがある。もう20年以上も前の事だから俄には信じられんが、こうして証拠がある以上納得せざるを得ないな。」
 煙草を吹かしながら早雲は落ち着いた物腰で言った。
「この世界の本当の俺は今頃おじさんの言った通りに一人旅を続けていると思います。」
 全てを告白した乱馬は皆の目を見る事もできずに俯いたまま話した。
「どうりで挌闘とは縁のない君が無差別挌闘早乙女流を極めているわけだ。でももう元の世界には戻れないんだろう?」
「はい。南蛮ミラーが壊れた以上、元に戻る術はありません。」
「だったら今まで通り問題はない。君は私の息子だ。」
 事情を知った上で自分を今まで通りに扱ってくれるという早雲に乱馬は心底感謝した。
 ただ一人、あかねだけは浮かない顔をしていた。
 その夜、乱馬は元の世界の事を考えていた。
「こっちじゃ『うっちゃん』や『猫飯店』はないしな。コロンの婆さんに聞けば何かわかるかもしれねーけど中国へ行く費用なんかねーし・・・」
 乱馬は元の世界との共通点を捜し、ある事に気がついた。
「そうだ!八宝斉のじじいは確か今から百年以上前、つまりは俺が過去に行った時よりも遥か昔にコロンの婆さんから南蛮ミラーを盗んだんじゃねぇか!ということはこの世界のじじいも南蛮ミラーを持っている可能性はある。」
 乱馬は早朝家を出て八宝斉を捜す事にした。


「ふむ。そういうことなら仕方がない。お師匠様なら恐らく山籠りをしておられるだろう。早乙女君が死んでからというもの、すっかり変わってしまって・・・」
 乱馬は早雲にお礼を言うと、そのまま近辺の山を虱潰しに捜す事にした。
 乱馬は数日間、歩き続けて山を捜索した。しかし、八宝斉の姿はどこにもなかった。
「す、すみません。小柄な老人を見ませんでしたか?」
 ちょうど下山してくる人を見かけ、乱馬は疲れ果てた様子のままその人に訊ねた。
「んっ?ああそういえばこの頂上にそんな人がいたな。えらく厳しい修行をしてたけど・・・俺にも目標があったらあんなふうに修行で山に籠ってみたいぜ。」
 その下山してきた人物に乱馬は見覚えがあった。若い青年である。
「俺の顔に何かついているのか?」
 青年は怪訝そうに乱馬に言った。しかし乱馬はなんでもないと首を横に振った。
「そうか。俺もたまたま道に迷い込んだだけだが、役に立ててよかった。それじゃあ、俺はこれで・・・」
 大きな荷物と番傘を背負ったバンダナをした青年は乱馬に背を向けて去っていった。
 乱馬はふっと笑みを見せ、目的の為に山頂へ向かった。
「なんじゃ、貴様は!?」
 山頂で修行していたのは紛れもない八宝斉であった。しかし元の世界とは違い、厳格で威厳のある様子であった。
「俺、早乙女玄馬の息子の乱馬です。」
 乱馬を無視して修行に励もうとしていた八宝斉はピタリと手を止めて乱馬の方に向き直った。
 乱馬はなるべく手短に事情を話し、八宝斉に南蛮ミラーを譲ってもらえるように頼んだ。
「そういうことか。つまりおまえはこの世界とは異なる次元から来たということじゃな?ならば急いで帰るがよい。同じ時間軸に同一の人間は存在してはならん。同一人物が会えば消滅しかねん。」
 八宝斉は淡々と乱馬に話だした。とても博識で協力的な八宝斉に唖然としながらも、乱馬は気になっていた事を訊ねた。
「でも、なんで写真は親父とおふくろが写った状態で残ってるんだ?歴史が変わればそれに関するものも消えちまうはずじゃ・・・」
 乱馬の言葉を遮るように八宝斉は言った。
「それはおまえの世界とこの世界が連続していない、つまりは確立された世界だからじゃ。まあ詳しい事は知らんでもよい。おまえはすぐに元の世界に帰るのじゃ。」
 優しく乱馬に言い聞かせる八宝斉。乱馬はお礼を言って下山していった。
「あれ、じいさん。今誰かいなかったか?」
 乱馬が去った後、反対側から修行着を着た乱馬がやってきて八宝斉に訊ねた。
「ふんっ、誰もおりゃせんわい。さぁ、さっさと修行を続けんか!」
(体つきが違うから最初はわからんかったが確かにこやつと似ておるわ。)
「待ってくれよ。親父が継いだ無差別挌闘早乙女流だかなんだか知らねーけど、俺には一切関係ねーよ。」
 そんな乱馬を叱責し、ビシバシ鍛え上げようとする八宝斉。彼は表に出さなかったが自分の弟子を大切にしていた。だからこそその弟子の形見である息子を引き取って修行をさせていたのだ。



−−−天道家−−−

 「ただいま戻りました。」
礼儀を改めて乱馬は早雲に報告した。これが最後の別れになる事をわかっているからだ。
「そうか、元の世界に帰るんだね・・・」
 穏やかに、そして寂し気に乱馬に呟く早雲。乱馬は黙って頷いた。
「せめて、今日はゆっくりしていってくれないか?明日、皆で君を見送りたいから・・・」
 乱馬はもう一度頷き、そのまま部屋に戻った。
 その日の深夜、乱馬の部屋にあかねが訊ねてきた。
「明日、帰るんだってね・・・」
「ああ。」
 皆が寝静まっているので乱馬とあかねは遠慮せずに語り合った。
「元の世界だと私と乱馬は許婚なんだよね。」
「ああ。おめーよりずっとかわいくねーけどな。」
 苦笑しながら乱馬は言う。それにあかねもつられて笑った。
「な〜に言ってんのよ。同じに決まってるじゃない。」
 暫く沈黙が続いた後、あかねが切な気に呟いた。
「行かないで・・・」
「えっ?」
 乱馬があかねの方を見ると、あかねは耐えきれずに乱馬の胸に飛び込んだ。
「行かないで、乱馬!私・・・・あなたの事が・・・」
 涙を拭おうともせず、ただ乱馬の胸の中で泣きじゃくるあかね。乱馬は拒絶する事はせず、あかねを抱き締め、長い髪を撫でた。
「ゴメン。」
一言呟く乱馬に、あかねは笑って言った。
「うん。わかってる・・・困らせてゴメン。」
 無理している事は明らかであった。
(あかねと同じだけど・・・俺の愛してるあかねとは違うんだ・・・)
 乱馬の脳裏にその事が浮かんだ。だがここでのあかねへの想いも決してウソではない事を伝えたかった。
「本当は、このままここであかねと住んでいようって思ってたんだ。だけど、ここは俺のいるべき場所じゃない。この世界にいる事自体許されない事なんだ。」
 そう言うと乱馬はポケットにしまい込んだままだった小さな箱を取り出し、あかねの手の上にそっと乗せた。
「受け取ってくれねーか?俺がこの世界のあかねに贈りたいと思ってたもんだ。」
 それは赤い石のはめ込まれた指輪であった。
「乱馬・・・ふふ、サイズ・・・ピッタリだね。やっぱり元の世界と一緒なんだ。」
 笑顔を乱馬に向けるあかねだが、その瞳からは絶えず涙が溢れている。
「最後に・・・一つお願いがあるんだけど///」
 乱馬が何かと尋ねるとあかねは小さな声で耳打ちした。乱馬は少し照れながら頷き、言われた通りにあかねの唇に自分の唇を優しく重ねた。



「それじゃ、お世話になりました。」
 天道家の門の前で乱馬は別れを告げた。あかねは泣くまいと必死に耐えているのがわかった。
「じゃあな、あかね。」
「うん、元の世界の私の事、大切にしてね。約束よ。」
 乱馬は涙を落とし、まずは20年前の過去に向かった。早雲の話によると、玄馬の死因は20年前の祭りで乱馬が去った直後にのどかが暴漢に襲われ、それを助けた玄馬が頭部に大怪我を負ったそうだ。それが元で二人は結婚したが、玄馬は怪我の後遺症で数年後に死亡する。それで心に病を負ったのどかが病気になるのだ。
 20年前の過ちを修正した後、今度こそ本当に乱馬は元の世界に戻った。


「一応二ヶ月ぐらい立つのかな?」
 気がつけば乱馬は台所で佇んでいた。
「乱馬〜。」
 あかねの呼ぶ声が聞こえる。乱馬は台所で返事をした。
「なにやってるのよ。ってあんたいつの間にそんな服に着替えたの?」
 乱馬が見たあかねは間違いなく、自分がタイムトリップする前のあかねの姿であった。
「おばさまの話、一緒に聞こうよ。」
 乱馬は嬉しそうに微笑んだ。あかねはそんな乱馬を不思議に思ったが、一緒に居間に向かった。
「今にして思えばあの人は既に心に決めた人がいたんじゃないかしら?」
「ふむ、わしなど最初から相手にされてなかったのやもしれんな。だがそのおかげでこうしてのどかに会う事が出来たというわけじゃ。」
「でもその人って不思議よね。いきなり現れていつの間にか去っていくなんて。しかもおじさまとおばさまを暴漢から助けたんでしょ?」
「ええ。だからこそその人のように男らしく育ってもらう為に『乱馬』と名付けたのよ。」
 歴史は少し変わってしまっていた。しかしそれは過去の記憶に影響する程の些細なものであった。しかし乱馬は不安に思い、あかねを自分の部屋に呼び寄せ、ある事を試した。
「なによ、話って・・・」
 訪ねてきたあかねに乱馬は早速その事を試した。
「かわいくねー、色気がねー、不器用、ずん胴、カナヅチ、凶暴、ガサツ・・・etc」
 たちまち怒りを顕にし乱馬の腹部目掛けて突きを繰り出すあかね。まともに入ったその攻撃で顔を苦痛に歪ませた乱馬だが、それ以上に自分は戻ってきたのだと嬉しさが込み上げ、そのままあかねを抱き締めた。
「ちょ、ちょっと・・・なにすんのよ!」
突然抱き締められた事によりパニックに陥るあかね。それでも乱馬はあかねを抱く力を弱めなかった。
「あらあら、よくやるわね〜。」
 いつの間にかなびきを初め、天道家の一同が揃っている。そこには玄馬とのどかの姿もあった。
「ち、違うの!これは乱馬が勝手に・・・」
 いつもならその場で離れて否定するのに、乱馬は相変わらずあかねを放さなかった。
 あかねは乱馬の腕から逃れようとするが、乱馬はそれでも放さない。天道家の人々は乱馬の様子を不思議に思ったが、二人にしてやろうとその場からいなくなった。
「いつまでやってるのよ!恥ずかしいじゃない!」
「だ〜め、約束したからな・・・」
「約束って誰とよ〜。」
「教えてやんねー。」
 いい加減放して欲しいと頼むあかねだが結局は乱馬の気が済むまで抱き締められた状態でいた。
(絶対、幸せにしてやるからな。)
 その想いは別の世界のあかねに向けられたものなのか、それとも今自分の腕の中にいる許婚へのものなのか、それは乱馬だけがわかっていた。



 完




作者さまより

以前書いた『ネリマールクエスト』でも説明として書いたように『確立された別世界』ということで書きました。本当はあかねが元の世界に戻れないように南蛮ミラーを壊してしまうなどともっと長かったんですが、リタイアして大方省きました。八宝斉、ちっとカッコよすぎかな?


 パラレル世界に迷い込んだ乱馬君。
 最後の安堵の「ぎゅっ!」は彼の本心からの行動なのでしょう。
 口で悪口を言いながらも、あかねの温もりを感じて、安らいでいるワンシーンが、脳内に、ぶわっと浮き上がってきます。
 ともあれ、元に戻ることができて、めでたし、めでたし。
(一之瀬けいこ)

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