◇乱馬のいないクリスマス  後編
みのりんさま作


三、終業式

 コンコンというノックの音で、あたしは目を覚ました。
「あかね、そろそろ起きる時間よ。」
 かすみお姉ちゃんの声だった。
「あ、うん。」
 あたしはパジャマから制服に着替えた。
 下に下りて行くと、まだ乱馬の姿はない。
「あかねちゃん。悪いけれど、乱馬起こしてきて。」
 朝ご飯の支度をしながら、おばさまが言った。
「はい。」
 あたしは乱馬の部屋に向かった。
 ガラッっと襖を開けると、乱馬はまだ布団の中でぐっすり眠っていた。
「乱馬――っ!」
 声を張り上げると、乱馬は「うっ……」とうめき、大きな欠伸をしながら身体を起こした。
 そしてあたしの顔を見て、少し考え込む。
「おはよ。えっと…………あかね?」
 語尾はやはり疑問形だった。
 あたしは落胆の顔をしたのを、後ろを向くことで隠した。
「早く着替えて。朝ご飯だから。」
「え……あ、うん。」
 昨日のうちに、おばさまが着替えの場所を乱馬に教えていたから、勝手に好きなのを着て来るだろう。
 あたしは慌てて居間へ戻った。
 
「おはよー乱馬。」
 大介くんが乱馬に向かって声をかけた。
「えっと……あんたは……」
「大介くんよ。」
 あたしは慌てて教えた。
「……大介。」
「あんたの友達よ。」
「どーしたんだ、あかね。」
 ひろしくんも近寄って来た。
「こいつは?」
 乱馬はひろしくんに向かって、指を差す。
「ひろしくん。彼もあんたの友達。」
 二人は目を見合わせて、乱馬を見た。
「なあ、一体どうしたんだ?」
「実は……」
 あたしは二人に簡単に説明した。
『えーっ!乱馬が記憶喪失?!』
 二人は声を揃えて言った。
「自分のこと、何も覚えてないんだって。」
 あたしが付け加えると、二人は頷きあった。
「じゃあ、これ何か分かるか?」
 黒板の上を指差しながら、ひろしくんが乱馬に問う。
「時計だろ。」
「これは?
 今度は黒板を叩きながら大介くんが聞いた。
「黒板だろ。」
「じゃあ、お前は?」
 二人は指差しながら問う。
「おれは早乙女乱馬。」
「分かってんじゃねえか。」
 そうひろしくんが言ったが、乱馬の目が一瞬不安そうにかげったのに気づいたのは、あたしだけだったみたい。
 あたしの目線に気づいた乱馬が、小さく笑みを返してきた。
 『おれは、大丈夫。』
 そう言っている気がした。
「でよー、昨日テレビ見たか?」
「あれだろ、『フニャン・フニャンの底なし沼』。」
 全く実生活にかかわりの無い、妙な雑学を一般から募集している番組である。
「あ、おれも見た。」
 乱馬はそう言って笑った。
「おもしろかったよなー。」
 両手を広げながら、乱馬は言う。
「身長と両腕のばした長さが一緒なんだってな。」
「そーそー。でもって、世界最大の食虫花とか見た?」
 大介くんが言う。
「見た見た。あんな気持ち悪ぃ花に、よく虫が寄ってくるよな。」
 あたしはひろしくんと大介くんと話す乱馬から離れた。
 思ったより乱馬は、世渡り上手だったみたい。
 予鈴が鳴る前に、三人で教室を出て行くところを見送り、あたしもゆかとさゆりと一緒に校庭に出た。

 毎度おなじみの終業式の光景である。  
 まあ、あの変態校長が何を言い出すのかと、教師一同は心配そうに見ていたが、あたし達はわりとすぐに開放された。
 キンコーン!カーン!コーン!
 ホームルームの始まりを知らせるチャイムが鳴り響き、皆それぞれの机に着く。
 いつものように乱馬を、あたしの隣に座っている。そう言えば、ひろしくん達が乱馬に教えてたのを見たっけ。
「良い子の皆さん。おはよー。」
 二ノ宮ひな子先生が入って来ると、乱馬はあたしに向かって、大きな声で聞いた。
「なあ誰だ、この子供?」
 しっかり聞こえていたらしく、ひな子先生は口を尖らした。
「失礼ね。先生は子供じゃありません!」
「そう、うちの担任の二ノ宮ひな子先生よ。」
「へー子供でも先生になることができるんだ……」
 乱馬は寄って来た先生の頭をポンポンと軽く叩く。
「だから、違うって。」
 あたしは手を振りながら言った。
 すると、先生が五円玉を構えた。皆一斉に乱馬から離れる。
「八宝五円殺!」
 そして、先生はムクムクとアダルトチェンジ…………しなかった。
「何でぇ?」
 先生は何度も乱馬に向かって、五円玉を突き出すが、一向に変化は無い。
「そっか……今の乱馬は記憶がねえから……」
 ひろしくんが言うと、大介くんが続ける。
「……闘気が出てるわけねえよな。」
「うわ〜ん!」
 先生は廊下に向かって走って行く。
「……先生っ!」
「待ってください!」
「通知簿を返してくれなきゃ、帰れません!」
「……通知簿なんかどうでもいいけど、ホームルーム早く終わらせてくれー!」
 男女何人かの生徒が、ひな子先生を追いかける。
「あの子供、ここ大丈夫か?」
 乱馬はあたしに向かって、頭の横で人差し指をクルクルさせた。
 ――大丈夫じゃないのは、乱馬の方なのに……

「乱ちゃん、聞いたで。記憶喪失になったんやって?」
「この人は……?」
 右京を指差して、乱馬はあたしに聞く。
「久遠寺右京や。」
 自分で答えて、右京は心配そうに乱馬に尋ねた。
「うちのこと、ホンマに分からへんの?」
 すると、乱馬は申し訳なさそうな顔をして、小さく頷いた。
「ずっとこの調子なの。昨日脳外科行ったんだけど、治る見込みは分からないって。」
「そーなん。」
 あたしは手招きして、右京を呼び寄せた。
「何?あかねちゃん。」
「乱馬ね。“自分”を取り戻そうと必死なの。だから、なるべくあまり余計なこと言わないであげて。」
 そう耳打ちした。
 右京は「うん。分かったわ。」と言ってくれた。
「何だよ、二人して。」
 乱馬が不満そうに言う。
「女同士の秘密や。」
「そう、女同士のね。」
 うわべだけで笑い合う、右京とあたしに、乱馬はすねたような顔した。
 なだめられたひな子先生が教室に戻って来たのは、そのすぐ後だった。
 先生は一人一人の名を呼び、皆に通知簿を手渡していく。
「早乙女くん。」
 乱馬の番のとき、チラッとこちらに目を送ってきた。
 『……どうしよう。』と悩んでいる顔だ。
 あたしが頷くと、乱馬は「はい。」と声を出して通知簿を取りに行った。

 乱馬とあたしは一緒にうちに帰った。
 うがいと手洗いを済ませ、着替えて来たあたしが居間に行くと、
「乱馬くーん。」
 と、妙に慣れ慣れしく、なびきお姉ちゃんが乱馬に言い寄ていた。
「何ですか?」
 キョトンとしながら、乱馬は尋ねる。
「この間貸した五千円、そろそろ返してくんない?」
 ――もう、お姉ちゃんったら……
 あたしが何か言おうとする前に、乱馬が答えた。
「それ、ウソだろ。」
 なびきお姉ちゃんも、あたしも驚いた。妙に自信たっぷりに乱馬が言ったから。
「どうして?」
 あたしが聞くと、乱馬はなびきお姉ちゃんを指差した。
「だって、目が笑ってる。」
「しまった……」
 そそくさとなびきおねえちゃんは、居間を後にする。
「なびき。記憶が無い乱馬くんに、たかっちゃダメよ。」
 その後ろ姿に、かすみお姉ちゃんが言った。
 ふと、頭に浮かんだ。
 ――記憶があったらいいのかしら……
 頭を振って、あたしはお茶をすすった。


四、乱馬をさがして

「乱馬がいなくなった!!」
 かすみお姉ちゃんに言われて、あたしは始めて気がついた。
「そうなの……ついさっきまで、ここに座っていたんだけど。」
 そう言いながら、おばさまはコタツを指差す。
「あたし、探してきます!」
 自分の部屋に戻って、コートを手に取った。
「乱馬が行きそうな場所……」
 思わず飛び出してきてしまったが、今の乱馬が行きそうな場所なんて、あたしには分からない。
 右京の店なんて分かるわけないし…………シャンプーが無理やり連れて行ったとか?
 あたしは『猫飯店』に向かって走った。
 ガラッと店の戸を開けると、「ニ〜ハオ。」と当のシャンプーが出迎えてくれた。
「……乱馬は?」
「乱馬?今日は来てない。どうしたあるか?」
 不思議そうにシャンプーはあたしを見ていた。
「ううん。何でもない。」
 あたしは店の外に出た。
 ――頭を抱える乱馬。
 ――苦悶の表情をしている乱馬。
 ――今にも泣きそうな顔をしている乱馬。
 どの顔も、あたしが知らない乱馬だ。
 ――どこに行ったのよ! 
 必死であたしは街中を探し回った。……そう、まるで去年のクリスマス・イヴのように。
 ――……去年のクリスマス・イヴ?!
 あたしはあの公園を目指して走った。
 いない確率の方が高い……けれど、ひょっとしたら…………
「いたっ!」
 乱馬はやっぱりこの公園にいた。
 去年のクリスマス・イヴの時、こっそり隠れてプレゼントを用意していてくれた、あの公園。
 一人ベンチの上に腰かけいた。
「どうしたのよ、乱馬!探したわよ。」
「……あかね、か。」
 あたしの姿を確認して、乱馬は驚いた。
「待ってたんだ……誰かを。ここで……」
 そう言って、ゆっくりと乱馬は立ちあがる。
「そしたら、おめえがここに来た。……おれは、おめえを待っていたのか?」
 乱馬は何度も瞬きを繰り返した。そして、ズボンのポケットをまさぐる。
「これ、おめえにやるよ。」
 ポケットから乱馬が取り出したのは、ガシャポンのプラスチックのケースだった。
 楕円形で、下半分が黄緑色をしている。
「えっと……その……“クリスマス・プレゼント”ってやつ……」
 乱馬は照れながら言う。
 ――“クリスマス・プレゼント”が、“ガシャポン”だなんて、せこい奴……
 そう思いながら、パカッとプラスチックのケースを開けると、中に入っていたのは、なんと小さなリングだった。
「これって……」
 驚きながらあたしが言うと、乱馬はそっぽ向いて頭をかく。
「ここに来る奴に、渡そうと思って……」
「どうして……?」
 月明かりで、ボンヤリと写る乱馬の顔が赤く見えるのは気のせいだろうか。
「どう、言ったらいいか、分かんねえけど…………“証”が欲しかったんだ。」
「証……?」
 乱馬は俯きながら、ポツリポツリと言う。
「独りっきりで、おれ、ホントは怖かったんだ…………だから、誰か一人でも“おれのことを想っている奴がいる”って“証”が欲しかった。」
 ――そうだったんだ……
 あたしは気がつくと、涙ぐんでいた。ハンカチを取り出して、目を拭う。 
「でっかい“W”だな。」
 唐突に乱馬が言った。
 あたしが見ると、乱馬は夜空を見上げていた。
「あれは“カシオペア座”よ。」
 空を一生懸命探さなくとも、それはすぐに分かる。
「こっち見て。」
 あたしは、ゆっくりと指を動かす。
「あの“ひしゃく”が、“おおくま座”のしっぽの“北斗七星”。」
 七つの星を一つずつ指差しながら、あたしは言った。
「あれか、ああ分かる。」
「そう。でね、見えるかな?北の方角にある輝き。」
「えっと……あれか?」
 あたしの指先を追って、乱馬が尋ねてきた。
「そう。これは“こぐま座”のしっぽの先、“北極星”って言うの。大体、真北にあるはずよ。」
 あたしは星から目を離して、乱馬の横顔を見た。
 乱馬は興味深そうに、空を見ていた。
「この星はね、真北にあるけど、少しづつ動いているの。そうね……分かりやすく言えば、コマを廻すでしょ。で、しばらくすると同じ所で、斜めに傾きながらでも、ちゃんとぐるぐる回る。この傾き角度が変わらないまま、傾いている方向が変わっていくようなもんって言えば分かるかな。……ややこしいけど。」
 あたしは本で読んだだけの知識を思い出すのに集中した。
「確か……この向きがぐるりと一周するのに二万六千年くらいかかるの。それで昔の人はね、この“北極星”を目印に、迷子にならないように船を漕いだり、歩いたりしていたんだって……」
「へえ……迷子ねえ…………痛っ!」
 突然乱馬は頭を抱えた。
「…………そうだ、おれ、“迷子”の子供を……」
 乱馬は頭を押さえる。苦しそうだ。
「大丈夫?」
 あたしは慌てて乱馬に駆け寄った。
「うぐっ……交番に、送ろうって思って……それで……暴走して来るバイクに…………」
 乱馬はハッとあたしを見た。
「…………なあ、あかね。どうして、おれこんな公園にいるんだ?」
「えっ?」
「おれ、確か商店街の辺りをブラブラしてたはずだぜ。」
 乱馬は不思議そうに周囲を見回す。
「ひょっとして、思い出したの……」
「思い出したって、何だよ?」
 不思議そうに乱馬はあたしを見た。
「乱馬っ!」
「お、おい……」
 あたしを乱馬は離そうとするが、泣いているあたしに気がついた乱馬は手を止めた。
「どうしたんだよ、おめえ。」
 優しく乱馬はあたしの髪を撫ぜてくれる。
 その温かさが伝わって、あたしはやっと笑みを浮かべることができた。
「良かった。本当に良かった……」
「……あかね。なあ、こんな所にいると、風邪引くぜ。」
 その顔は暗い中でも真っ赤に見え、おまけに慌てているのが良く分かった。
「あ、うん。」


 あたしはオルゴールの蓋を開けた。
 ゆっくりと『アンネ・クライネ・ナハトムジーク』が流れ出す。
 そこには、あの時もらった黄緑のプラスチックのケースと指輪が大切にしまってある。
 今日、この指輪の隣に本物のエンゲージ・リングが加わった。
 二人の“永遠の誓いの証”に――――








作者さまより

 “記憶喪失ネタ”という、ありがちなネタをやったのは、実はうちの母が雨天時にバイクに乗車中に事故りまして、本当にその“前後の記憶”を失ってしまったという、衝撃的な出来事が頭をちらついて離れなかったからです。幸いにも、母は大事にいたらず、今日もバイクで買い物に走っております(^_^)。

 そして、昨シーズンのドラマ『14ヶ月』にハマったこともそのきっかけになりました。とはいえちゃんと見たのは初回と最終回のみ。後はインターネットでの総集編閲覧という、いいかげんな見方でしたが……
「私、あなたの北極星になる。」という言葉が、ジーンときまして、ラストシーンは絶対に“北極星”の下にしたかったのです。
 これが私なりの“幸せの表現”(14ヶ月のテーマ曲)です。

 ……記憶喪失になったら脳外科に行くのか?新聞の当番医、星の位置などは勢いで適当に並べてしまったので、できればツッコまないで下さい(^_^)。


 知人に記憶喪失経験なさった方がいらっしゃいました・・・。その方のお話だと、本当にすっかんとその辺りの記憶が真っ白で抜け落ちていらっしゃるそうで ・・・幸い数週間分だけの記憶ですんだと言われていましたが・・・。
 人間の身体って神秘ですよね。

 でも、乱馬君、君は美味しい奴だよなあ・・・。良いところだけさらりと持っていける。主人公の特権ですね。
(一之瀬けいこ)



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