◆Perfume
みのりんさま作


「げっ!またおれの負けかよ!!」
 おれはベッドに向かって、ジョーカーを放り投げた。
「乱馬、お前が弱すぎるんだって!」
 そう大介の野郎が言う。
「そうそう、弱いおめえが悪い!」
「ちくしょう!ひろし、手前まで言うか!」
「だって、なあ。」
「これで、連続二十三敗。よく飽きねえな……」
 二人して顔を見合わせながら言ってくれる。
 格闘なら、おれの右に出るやつはいねえと断言できるが、どうもトランプだと全く勝てない。
 ――ちくしょ――っ!
「もう一回!」
 トランプをかき集めながら、おれが言うと、バタッといきなりドアが開いた。
 誰かが部屋の中に入れられる。
「――だから、人違いですってば……」
 そいつは慌てて手を振った。
「聞く耳持たん!」
 しかし生活指導の先生によって、無情にもバタリとドアは閉じられる。
 そして、ガクリとそいつはその前でうな垂れた。
「おい、お前……」
 ひろしが声を出すと、そいつはゆっくりと顔を上げた。
「あ……」
「何だ……乱馬が二人?」
 指差して言う大介の前に、情けねえ顔をした“おれ”がいた。
 グルルル…………
「ごめん、何か食べるものない?」


 おれ達は修学旅行で海と山に囲まれた街、“神戸”に来ていた。
 東京から新幹線に乗って一日前神戸入りした。
 今日泊まっているホテルは、十四階建て。五階のフロアが男子、六階のフロアが女子と分けられている。
 問題が起きねえように、先生達が階段とエレベータの前で見張っている。
 仕事で偶然神戸を訪れていた拓也は、おれとかん違いされて、無理やりこの部屋に押し込められたとか……
 ――って、待て!
 おれは慌ててドアを開けたが、生活指導の先生の姿はない。
 ――ひょっとして、おれがあかねの所に忍び込もうとしたとか……かん違いされてんじゃ……
 嫌な汗が沸いてくる。

「いやー参ったよ。遅い夕食をとりに行こうと思っていたのに、間が抜けていてさ、財布持ってなかったんだ。身分証明の関係、全部あの中だし……こんな格好じゃ説得力ないし……」
 パリパリとポテトチップスを食っている拓也が着ているのは、一見安っぽいシャツのようだが、なびきの談によると“カールヘルム”というブランドものだと。
「まあ、乱馬くんと一緒にいるところを見せたら、先生も納得するだろう……あー美味しい……しっかし本場のソバ飯食べそこねたな…………」
 ――たく、なんて呑気な野郎だ!
 おれはブルブルと振るえる拳を拓也に向けそうになった。
「そういえば、君達“北野の異人街”とか、“南京町”とか行ったのかい?」
「北野……そういえば、一日目に行ったよな。」
「その前に布引とかいう、ハーブ園に行っただろ。」
「ちょっ……」
「布引ハーブ園か……ミサトのヤツがあそこの展望レストランのハーブティが好きだったな……」
 おれが言いかけるのを遮った拓也は、食べる手を止め、遠くを見つめるような目をした。
 ――ミサト…………その名前に、聞き覚えがあった。

「乱馬――!こっちこっち!!」
 “神戸夢風船”こと、“新神戸ロープウェイ”の終点『布引ハーブ園』駅前で、あかねが大きな声でおれを呼んだ。
「さゆりとゆかと写真撮るの!」
 そう言って、あかねはカメラをおれによこした。
「しょーがねえな。」
 ロープウェイをバックに三人を写してやった。
 ――何が嬉しいのやら……女どもの気持ちは分かんねえや。
 引率のガイドと共にハーブ園の中を巡った。
 駅を降りてすぐ、レストランとハーブグッズのお店があった。中世のヨーロッパの古城をイメージしたらしいこの建物。土産はここでしか買えねえとかで、あかねのやつ、がっかりしていた。
「ここでは、二百種七千五百株のハーブたちに出会えます。」
 ガイドの説明をボンヤリとおれは聞き流していた。
園内を巡っている時、たえずあかねは歓声を上げていた。いっぱい写真をとりまくっていた。
「きれー!」
「あれも、カワイイよ!!」
 花……いっぱい咲いていた気がする。
 花……匂いをかいだ気がする。
 花……おれは全く興味が無かった。
 おれは……花より、花を愛ながら微笑むあかねを見ていた……
 一見して、同じように見えるが、他とは違う綺麗な小さな花……
「おーい!乱馬!!」


「何ボケッとしているんだ!次、お前の番だぞ!」
 そう言って、大介が差し出す三枚のトランプ。
 いつの間にか拓也を加えた四人で、徹夜トランプ大会がおっ始まっていた。
「えっと…………これだ!」
 おれが引くと、大介は顔をニヤリと口元を歪ませる。
「げっ!」
 またもや、おれの手にジョーカーが回ってきた。
「全く、単純なヤツだ。」
 ひらしが言う。
「同じ顔していても、お前ら全然レベルが違うな。」
「……方や五連勝。対する乱馬は二十八連敗で独走状態……」
 拓也が言う。
「いや、ちょっと運が向いていただけだよ。」
 ――…………ちくしょう!
「もういっちょう!勝負はこれからだ!!」


 勝負といえば、受験も勝負の一つだろうか?
 神戸にある『北野天満神社』は、学問の神様で親しまれている菅原道真公を祀っている神社だと、さゆりが言っていた。神戸の街が一望できる場所でもある。
尖塔上の風見鶏と、赤レンガが目印の『風見鶏の館』の“風見鶏”をバックに写真を撮ることができる。
 昔来日した人が建てた館が立ち並ぶ“異人街”。昔の石畳、急な坂が続く名所。
 二日目は班に分かれての自由行動だった。おれはひろしと大介、あかね、ゆか、さゆりの六人。本当はうっちゃんも一緒だったが、急に実家の不幸があったとかで修学旅行は不参加だ。
北野の異人館見学は、あかね達女子陣のたっての希望だった。
 見学したのは『風見鶏の館』、『うろこの家』、『ラインの館』、『香りの家オランダ館』
 特に『オランダ館』で、女三人でキャーキャー言っていたな……
「世界でただひとつの香水を調合してくれるのよ!」
 拳をあげて、さゆりは熱弁をふるっていた。
「はあ〜」
 おれとひろし、大介は同時に声を漏らした。
「今ココで作ってくれるの!」
 ゆかも同じように拳をあげる。
「んなもん、できるの待つのかよ……」
 おれが不平を言うと、あかねが顔をおれに近づけて言う。
「時間ならあるでしょ。」
 引きつった笑顔であかねはおれを見た。右手に軽く息を吹きかける仕草。
「ねえー」
 ……小首を傾げるさゆり。
「お願い!」
 ……片手で拝んでくるゆか。
「いいでしょう……」
 ……今にも殴りかかろうとするあかね。
 おれ達は顔を見合わせた。
「しょが……」
「ねえ……」
「な……」
 「キャー!」って三人が手を合わせて、無邪気に喜びあった。
 民族衣装を着たスタッフが、あかね達の年齢や血液型、星座、好きな色など聞いていた。
 できあがるまでの間、約二十分間、館内の家具や調度品を見物していたが、あんまり記憶にない。
 ただ、古い建物と調度品、装飾品を見て回ったと、かすかに覚えている。

「ふ〜ん。僕の場合、逆だったけどね。」

『もう、無駄遣いしないでよ!』
『いいじゃん。“今の自分の気持ち”をこれからも忘れないでいたいんだ。』
『馬っ鹿じゃない。香水は揮発しやすいのものよ。ちょっとでも空気に触れちゃうと、ほとんど無くなっちゃうものが多いんだから。』
『……でも、思い出は残るよ。』

「ってね。口説いたんだ。」
 すると、ひろしと大介は互いの顔を見合わせた。
「聞きました、旦那。」
「……乱馬が口説いたって……」
「違うだろ!」
 ――ったく、どこをどうすれば、おれが口説いたことになるんだ!
「お前ら……」
「なあ、あんたは天道あかねのことどう思ってる?」
 ひろしが、拓也に尋ねた。
「あかねちゃん?え、可愛いと思うけど……」
「聞きました、聞きました?」
 わざとこっちに聞こえるようにひろしに耳打ちする大介。
「はい、しっかりとこの耳で。」
 耳打ちを返すひろし。
「乱馬が……あかねが可愛いって。」
 二人して、ニヤついてやがった。
「違うって言ってんだろうが!!」
 慌てて否定するおれ。
「……でも、ミサトの方が少しだけ可愛かったな……」
 ポツリと呟く拓也の顔がほんの一瞬だけ、泣きそうな顔になった。
「そういえば、南京町に行ったんだっけ。やった?鍋から水が飛び出るやつ……」


 そうだ、次に向かったのは、“南京町”。
 日本では横浜の中華街と並ぶ二大中華街――旅のしおりに書いてあった。
“肉まん”のことを関西では“豚まん”というらしい。
 大きな鳥居をくぐると、そこは中華料理店中国の物産店の軒先がずらりと並んでいた。
「うおっ!餃子!肉まん!食い物だ――!!」
「ちょっと乱馬よしなさいよ!」
 あかねがおれの背中を叩く。
「うるせーな。お、こっちからいい匂いがする〜」
 なんせ、あかね達の香水の出来上がってここに辿り着いた時には、すでに十二時過ぎていたから、思わず腹も鳴ってしまう。
「どこにしよーか?」
 そう言うさゆりに、ひろしが言う。
「さっきはお前らの我がまま聞いてやったんだから、今度はおれ達に決めさせろよな。」
そんな会話を後ろに、おれはすでに何食うかで、頭いっぱいで、辺りを探り始めていた。
 ぐるりとあっという間に一巡りした。その成果をひろし達に言って、水餃子を食った。
「立ち食いって、ちょっと抵抗あるわね。」
「いーじゃねえか。うめえんだから。あ、あの餃子もうまそー。」
「全く、食い倒れでお金を使い果たしちゃダメよ。ちゃんと皆のお土産のお金残しておきなさいよ。」
 ぶつくさとあかねに言われた。
「分かってるぜ!んなこと言われなくても。」
 あかねに向かって怒鳴ると、ゆかが笑った。
「まるで、旦那と奥さんの会話みたいね。」
 一瞬、体中の血が沸騰するような感覚が、おれを襲った。
『違うって!』
 全身が真っ赤になって、否定したタイミングが、あかねと全く同時だったんで、みんなに指差して笑われた。


「ミサトがある店の肉まんが食べたいって言ってね、長い行列に並んだんだ……」
「……ミサト、ミサトって、さっきから言っているけど……それ誰のこと?」
 至極当然の質問だ。
 照れ笑いを浮かべながら、拓也は言った。
「……え、僕の妻……」
『妻っ!』
「あんた、結婚してるんだ!」
「何だ、ちぇっ。」
 ――何を期待してやがるんだ……
「これがその証。」
 拓也が掲げる左手の薬指には、少しくすんだ銀色のリング。
「……娘もいるしね。」
 すると、またひろしと大介は顔を見合わせる。
「じゃあ、あんなこと……」
「こんなこと……やったんだ……」
「おいっ!何のことだよ!!」
「……ご想像に、おまかせします。」
 ――あ、まただ……
 おれしか気づいてないみたいだけど、こいつ……今にも泣きそうな顔をしやがった。
 カチカチとおれの頭の中で響く、時計の秒針の音。
 ――そうだ。思い出した……
『僕と亡くなったミサト……最愛の妻は……十二年前に亡くしている。』
 そう、本人の口から聞いていた……
「あがりーっ!」
『マジっ?!』
 おれ達は同時に叫んでいた。
「……十連勝……」
「う〜ん……」
 頭をかきかき、照れながら拓也はおれ達を見つめる。
「いや…………何て言ったらいいのか……えっと、今日は特に、勝利の女神が微笑んでくれる日だから…………」
 ――何のこった?
 ピンポンパンポーン!
 スピーカから音が聞こえた。
『……お客様にご案内いたします。東京からお越しの冴草拓也さま〜、冴草拓也さま〜ロビーの方にお連れさまがお待ちです。』
「あ、呼んでいる……」
 拓也の呟くと、バタッとノックもなしに、勢いよくおれ達の部屋のドアが開いた。
 ドアの前で呆然としていたのは、ひなちゃん先生だった。
「えっと……。ここに、早乙女くんとそっくりな人がいるとか……」
「あ、それ僕のことです。」
 立ち上がった拓也と、おれとを見比べ、ひなちゃん先生は驚きを隠せない様子だった。
「何か、あの……緊急の用があるとか……」
 そう言って、拓也にひなちゃん先生は携帯電話を差し出す。
「ああ……」
 携帯電話を受け取ると、拓也はすぐに受話器に向かってよびかけた。
「もしもし……」
『何やっているのよ!もう!!』
 でかい声が聞こえてきた。拓也は思いっきり受話器から耳を離した。
『こっちに宮部先生から電話がかかってきたのよ!貴方と連絡が取れない、足取りが不明だ!!捜索願い出そうかって話にまでなって……』
「そっか、心配かけたな…………ごめん。」
『私に謝ってもらっても困る!早く京本教授に連絡しなさい!』
「うん……分かった……」
『ねえ……あんた、また変なことでいじいじしているんでしょ?』
「……え……どうして……どうして分かるの?」
 驚く拓也の耳元から、大きな声が漏れ聞こえる。
『声聞きゃ、イヤでも分かるわよ。家族なんだから。』
「……そっか……家族だもんな……」
 拓也はゆっくりと繰り返すと、微笑みを浮かべた。
『大丈夫?全く、つまんないことで、すぐにいじけるんだから……あ、ご飯ちゃんと食べてる?』
「うん……ありがとう。……あ、そうだ。なあ、思い出したんだけど、仏壇の上から二番目の引き出しを開けてみてくれないか。今すぐ……頼むよ…………話したろ、母さんと神戸に旅行した時の……」
『えっと……母さんのオリジナルの香水を作ったとかってやつ?』
「そう……。奥の箱があるはずだ。開けてみてくれる?ビンが入っているはずなんだけど。」
 チラッと拓也はおれを見た。
 ……笑っていた。
「そこに日付が書いてあるだろ。」
『ええ。……あ、そっか今日ね。母さんの誕生日。』
「そ、なあ、母さんの香り……残ってないか?」
『残ってないわよ。……香りの成分は、空気に触れると揮発してしまうものがほとんどなんだから。』
「あは、そうだな……。さてと、さっきまで忘れていたこと、今からやらなきゃな……」
 こうして、拓也は自分の部屋へ帰って行った。

「よーし!もういっちょ!」
 トランプを拾い集めて、おれはもう一度切った。
「またかよ〜」
「本当に、勝つもりなのか?」
 呆れかえるひろしと大介……
 ――そういや…………拓也がこの部屋に来た理由……
「げっ!忘れていた!!」

 翌日、“乱馬があかねの部屋に忍び込もうとして、捕まった”という、風聞がまことしやかに流れた。
 当然おれは否定したが、否定すれば否定するほど、泥沼にはまっていった……ちくしょーひろしと大介の野郎まで、茶化しやがって!


 で、今その“修学旅行”を題にした作文の課題を前に取り組んでいるのだが、全く手がついてかないでいる。
「駄目だっ――!」
 さっき喧嘩して出て行ったあかねが、去り際にかけていった香水。
 その匂いを妙に意識してしまって、さっぱり頭が動かない。
 さわやかで、ほろ甘くて、透きとおる少女の香り……“AKANE”。
 残り香が漂う部屋の中、おれは一人、体中でその匂いを感じていた。
 このまま……いつまでも…………








作者さまより
 1月中旬、神戸の元町を歩いていると、修学旅行生らしい制服姿の学生のグループを見かけました。
 ずっと住んでいる町だけど、行く範囲なんて大したこともなく、某所など実は行ったことなかったり……もし 実際と違いがあっても、気づかなかったことにしてください(^_^;)。

 “Perfume”は、林原めぐみさんのオリジナル・セカンド・アルバムからとりました。
 “Perfume”とは、芳香; 香水; 香料の意です。
 ちなみに、林原さんの3rdベストアルバム“Enfleurage(アンフルラージュ)”は、神戸で撮影されたブックレットが使われています。


神戸。あの震災から九年。
私はあの揺れは知らないんですが、(関東に居たため)、神戸は親戚が多いので心配した記憶が。
同じ関西圏でも、神戸はちょっと遠いから、構えないと遊びにいけない(笑
旦那は中学時代に住んでいたらしいのでやたら変なところ詳しいのですが・・・。
豚まんもいいですが、焼き豚も美味しいです。入口際のお店の(笑
ハーブ園はまだ足を踏み入れてないので今度行ってみよう・・・
(一之瀬けいこ)



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