◇彼の想いは、誰が為に
みのりんさま作
ある晴れた日の午後、都内某所にある風林館高校、正門。
下校中の生徒達がたむろしている中、黒い小さな箱を手に、剣道着姿の男子生徒が、ショートカットの女生徒に、性懲りも無く言い寄っていた。
「伝統ある我が九能家に伝わる、渡来品の一つ。『想い写しのキャンディ』。
天道あかね。この九能帯刀が、お前を想う気持ちを込めたキャンディをやろう。」
久能は箱を開け、キャンディを1つ取り出した。
「さあ、受け取ってくれ。僕の想いを。」
久能はそのキャンディを、あかねの手に握らせようとする。
「要りませんってば。」
いつものように、あかねはまとわりつく九能を鬱陶しそうに振り払っていた。
「何だ、こりゃ?」
九能の手にあったキャンディを、ひょいと奪い取ったのは、乱馬だった。
ソレは、何かの文字が書かれている黒い包装紙に包まれていた。
乱馬は包み紙を開けて、中身を取り出した。
「飴玉か。」
人差し指と親指で挟んで、乱馬はキャンディをつぶさに観察する。
透き通った丸い玉の中に、小さな星が浮かんでいた。
「天誅―――――っ!」
キャンディを見つめていた乱馬に向かって、九能が竹刀で襲いかかって来た。
「おっと」
ひょいひょいっと、乱馬は難なく、竹刀をかわしていく。
「いいじゃねぇか、一つぐらい。」
そして、九能の目の前で、乱馬はキャンディを口に入れた。
「きぃさまぁ―――!」
ぶち切れた九能が、さらに激しく突きを放ちまくる。
「ちぇすとぉぉ――――――!!」
「あらっ、よっと。」
どしっ!
九能の顔面に、一発、乱馬の軽い蹴りが入った。
ドシッと音を立てて、地面に頭を沈めた久能は、そのまま動かなくなった。勿論久能の顔には、靴跡がしっかり残っている。
「さぁてと、帰るか。」
くるりと辺りを見回したが、あかねの姿が見つからない。さっきまで、そこで呆れた顔をして立っていた筈だが……。
「おーい、あかね。」
追いかけてきた乱馬の声に、あかねは足を止める。
「あんたも好きね。九能先輩をからかうの。」
呆れた顔で、あかねは言った。
「へん。別に面白くもねぇけどな。」
乱馬は横目でチラッと、あかねを見やりながら言う。乱馬にとっては、あかねにチョッカイをかけてくる久能が気に食わないだけだ。
「あっ。」
急に、乱馬はポンと、軽く手を打った。
「どうしたの?」
フェンスから飛び降りて、スタッとあかねの前に着地した乱馬は、懐から映画のチケットを二枚取り出した。
「あのさ……こんなの、お袋に貰ったんだけれど……。」
乱馬の手の中にあるチケットを見ながら、あかねは目を輝かせた。
「あっ、コレ『天国への扉』の試写会チケットじゃない。私、公開されたら観に行こうと思っていたの。」
「お袋が、友達に貰ったんだってさ。」
それが何たるかを、乱馬は知らなかった。けれど、たまには、あかねと二人で映画に行くのもいいかと思って、珍しく彼の方から誘ったのだ。
「いつなの?」
「今度の土曜。」
「うん、行く!ちょうど暇だし。」
満面の笑みを、あかねは浮かべた。
その笑顔に、乱馬は思わず目を逸らした。心なしか、顔が赤く染まっている。
「ニィハオ。乱馬。」
突然の乱入者に、あかねは顔を曇らせる。言うまでもなく、それは中国娘のシャンプーだ。
自転車から飛び降りたシャンプーは、片手に岡持ちを持ったまま、器用に乱馬に抱きついてくる。
そして目ざとく、乱馬の手に握られていた、チケットを見つけた。
「おや、それ何あるか?」
「……いや、これは……。」
乱馬は慌てて隠そうとしたが、シャンプーはそれより素早く、チケットを奪ってしまった。
「あ、映画のチケットか。乱馬、アタシと行くため、持って来たか。大歓喜ね。」
「違うって。ったく、離れろよ、シャンプー。」
乱馬は急いで、シャンプーの手からチケットを取り返した。
「いやある。私とデートするね。」
乱馬は、彼女から離れようともがいた。でも、絡みつくシャンプーの手は、乱馬を離そうとしない。
ゴゴゴゴゴゴゴ――――――――。
後ろの方で、物凄い殺気が立ちのぼっているのに、乱馬はようやく気付いた。
「あ、あかね……。」
「まぁ。大変、お仲が宜しい事で。」
慌てて、片手をあかねの方にヒラヒラさせて、自分の意志じゃないとアピールし、手をパタパタと振る乱馬だった。けれど、あかねはそんなものに見向きもしない。
しかも、中々離れようとしないシャンプーと乱馬の様子を見て、あかねは更に苛立った。
「行ってらっしゃいよ。シャンプーと二人で。」
あかねはギロリと乱馬を睨みつけて、さっさと独りで行ってしまった。
「ま、待てよ。」
呼び止めた乱馬を無視して、あかねはどんどん先に進んで、見えなくなった。
―まぁた、可愛くねえヤキモチ妬きやがって。
舌打ちしながら、乱馬はあかねが消えた方向を見つめていた。
「乱馬。あかねなんかほっといて、あたしとデートするね。」
始めっから、あかねの事など眼中に無いシャンプー。
抱きついていた手を離し、今度は乱馬の左腕に自分の右手を絡ませていた。
自転車に乗りながら、二人でどこかへ……そうして、あーして、こーして……などと、アレコレ妄想を浮かべつつ、シャンプーは乱馬に身体を寄せながら考えていた。
―よぉーし、こーなったら。
乱馬は、明後日の方角に指をさした。
「あっ、空飛ぶタコ焼きが!」
「え?空飛ぶタコ焼き?ドコあるか?!」
乱馬の指先を、シャンプーの眼は追っかける。
その隙に、シャンプーの手を振りほどいて、乱馬は逃げた。
「何もないね、乱馬。ああっ!逃げられてしまた!」
シャンプーの声を遠くで聞きながら、乱馬はあかねを追いかけた。
天道家に帰りついた乱馬は、玄関にあかねの靴があるのを見つけた。
乱馬の口から、小さく溜息が出る。
通りがかった居間では、なびきが独りでスナック菓子を食べながら、テレビを観ていた。
「あら。お帰り、乱馬君。」
先程の久能が起こした騒ぎよりも先に帰っていたので、なびきは乱馬より帰宅が早い。
「あ、ただいま。あかねは?」
「居るわよ、部屋に。帰ってきたとたん、自室に篭ったまま出て来てないから。」
「そっか……。」
乱馬は、再び溜息を吐く。
「また、何かあったの?」
気がつくと、探るような視線を、なびきは乱馬に向けていた。
「何でも、ねえよ。」
乱馬はその視線から逃げるように、自室へ向かった。
―別に、アイツがヤキモチを妬くのはいつもの事じゃねぇか。
ほって置けば、そのうち……。
ゴロゴロ畳に転がりながら、乱馬はブツブツ独り言を呟いていた。が、思い立って、スクッと立ち上がる。
部屋を出た乱馬は、まっすぐあかねの部屋へ向かっていた。そして、白鳥のネームプレートがぶら下がっているドアの前で、足が止まった。
このドアの向こう側では、恐らく、膨れっ面をしたあかねがいるのだろう。
―で、おれ……一体何しに来たんだ。
あかねが拗ねてしまうのは、いつもの事だ。なのに、足が勝手にココに来てしまった。
―別に、おれが悪いわけじゃねぇし、謝る必要はねえ。
回れ右をして、乱馬は帰ろうとした。
その時、部屋の中から漏れる、小さな声が乱馬の耳に入った。
「……何よ……シャンプーなんかにデレデレしちゃって……あんなヤツ………。」
―ったく、何言ってやがるんだ。
思わずコソっと、乱馬は聞き耳を立てていた。
「…………なのに、どうして……こんなに苦しいのよ。…………乱馬なんか……乱馬なんか…………居なきゃいいのに……。」
その後、ずっとドアの向こうから、あかねのすすり泣く声が聞こえていた。
耳を側立てていた乱馬は、足音を立てないよう、静かに自室へと戻って行った。
部屋に戻って来た乱馬は、再び畳の上で寝そべりながら、ボーっと天井を眺めていた。
と、口の中に妙な異物感を感じて、手にソレを吐き出した。
「ああ、さっきの飴玉か。」
溶けてかなり小さくなりはしていたが、形が残っていた。
仕方なく、乱馬は再び口にキャンディを入れなおし、舐め始めた。そして、大きく欠伸を1つ。
気がつくと、乱馬はいつの間にか眠りについてしまっていた。
うめき声が、部屋に響く。
悪い夢を見ているのか、かなりうなされ、何度も寝返りをうつその顔は、苦痛に歪んでいた。
そして、喘ぐように呼吸する口から、一筋の白い閃光が放たれた。
「乱馬、夕食よ。食べにらっしゃい。」
呼びに来たのは、乱馬の母―のどかだった。
「ああ。すぐ行く。」
背中が、汗でグッショリ濡れていた。
どんな夢だったのか。それは本人すらすぐに忘れてしまったが、とてつもなく嫌だったという、記憶だけが、乱馬の中に残っている。
寝起きの機嫌の悪さと重なって、乱馬の気持ちは荒んでいた。
乱馬の父―玄馬と、あかねの父―早雲は二人揃って修行と称し、どこかへ出かけていた。
夕餉の席についた乱馬とあかねは、お互い顔を合わせる事なく、過ごしている。勿論、二人の間には会話はない。
妙に気まずい夕食が、終わりにさしかかろうとした時だ。
「すみませーん。誰かおられませぬか!」
玄関から、大きな男の声がした。続けて、玄関の戸が叩かれる。
「誰かしら?」
いそいそと、かすみは玄関に向かう。
「夜分に、申し訳ございません。」
という声が、玄関から聞こえてきた。
しばらくして、かすみは居間に客を案内しながら、戻って来た。
「あらっ、小太刀に佐助さんじゃない。」
なびきが言うと、二人は居間の前の廊下で正座をし、深々と頭を下げた。
「乱馬様、皆様。お食事中のところ、お邪魔して申し訳ございません。」
「邪魔をして悪いって思うなら、来ないでよ。」
間髪入れず言ったのは、あかねだった。
顔も見たくないと、顔を向こう側に向けている。
「あかねちゃん、お客様に失礼よ。」
窘めるかすみは、突然の来客のために、お茶を用意していた。
「どうぞ、こちらへ。」
座布団を二つ奥から取り出してきたのどかは、二人を中へ招き入れた。
「ありがとうございます。」
もう一度、深々とお辞儀をした後、居間に小太刀と佐助は入った。小太刀の後ろで、佐助は控えている。
「おめぇら、こんな時間に何の用だ。」
不機嫌そのものといった顔で、面倒くさそうに、乱馬は言った。
「佐助、例のものを。」
「はっ、コレに。」
佐助が取り出したのは、白い布に包まれた黒い小箱だった。それは、乱馬達の下校時に、久能が持っていた物と同じ物だ。
「乱馬様。今日、お兄様に窺ったところ、この箱に入っていた、キャンディをお食べになられたとの事ですが、本当ですか?」
やけに、深刻そうに小太刀は乱馬に尋ねた。
「え?あ、そういや、そんなの食ったっけ。」
乱馬は曖昧に頷いた。
小太刀は小箱の中を開け、入っていた黒い包み紙を取り出し、それも開けて、乱馬に見せる。
包み紙の中に、六角形の星が浮かんでいる、透明なキャンディが入っていた。
「ああ、食った。」
今度は、はっきり断言できた。そのキャンディは、つい先程も手にとって見たのだから、間違いはないだろう。
「そうですか。」
乱馬の答えを聞いた小太刀は、一層に深刻な顔になった。
「そのキャンディが、どうかしたの?」
なびきが聞くと、佐助が深々と溜息を吐きながら言った。
「久能家の蔵の奥にしまわれ、封印されていたモノにござる。
拙者が蔵の整理をしていた時に、偶然通りがかれた、帯刀様が勘違いなされたまま、無断で持って行かれてしまわれて……。」
佐助を制して、小太刀がゆっくりと口を開いた。
「この『想い写しのキャンディ』は、久能家に伝わる渡来の品。
このキャンディには、口に含んだ者の負の想いを移しとり、実体化する呪いがかけられているのです。」
「実体化?どういう事だ、それ」
キャンディを指で弾きながら、乱馬は言う。
「その前に、確認しておきたいのですが、乱馬様。このキャンディをお舐めになられていた時、何か口から出て行きませんでしたか?」
一同の目は、乱馬に注がれる。
「……いや。特に何も、出てこなかったけど。」
小太刀は、ホッと一息ついた。
「なら、大丈夫ですわ。このキャンディから何も出なければ、問題はありません。」
「どういう事?」
問うたなびきを見て、小太刀は言う。
「舐めた者の想いを写し取り、その者の分身を創り出して、どんな手段を使ってでも達成させるようとするのです。
文献によると、以前コレを所持していた、とある紳士は、まったくの身に覚えのない、強盗事件で捕まったことがあるそうです。それは、『お金が欲しい』と言う、紳士の想いの元に生み出された分身が、お金を手に入れるために、銀行を襲ってしまったせいだったとか。」
「……よ、よかったわね。乱馬。」
「あ、ああ。」
向こうを向いたまま、あかねが言うと、乱馬もぎこちなく言った。
乱馬宛てに、一通の脅迫状が届いたのは、翌日の事だった。
朝、ランニングから帰って来たあかねが、郵便受けに入っていたのを見つけたのだ。
その脅迫状には、わざわざ、新聞から切り抜かれた文字が、紙の上で踊っている。
『貴様は、天道あかねを不幸にする。
だから、お前を消す。』
僅か二行に込められた、そこはかとない敵意。
「へん。どっかの妙な野郎からの挑戦状か。」
朝食の席で、あかねからその紙を受け取った乱馬は、グシャリと握りつぶした。
「『あかねを不幸にする。』って、どういう意味かしら。」
と、お茶を啜りながら、かすみが言った。
「そりゃ、きっと、乱馬君は口が悪いし、奥手だし、小心者の癖に、アチコチに彼女はい
るし……。」
「人聞きの悪い事言うな!」
腹を立てた乱馬は、ご飯を掻き込む箸を止め、なびきを睨んだ。
「全部、本当の事じゃない。」
横目で乱馬を見ながら、あかねが言った。
「なんだと?!」
あかねに向かって、突っかかる乱馬。
いつもの喧嘩が始まろうとした時、台所からのどかが出てきた。
「乱馬、あかねちゃん。そろそろ支度しないと、遅刻してしまうわよ。」
二人は時計を見て慌てた。
乱馬が慌ててご飯の残りを掻き込む間に、なびきはとっとと出て行ってしまう。
そしていつも通り、乱馬とあかねは、天道家を飛び出した。
―放課後。
方向の違う悪友の大介とひろしと別れ、乱馬は独り、いつものようにフェンスの上を歩いて天道家に向かっていた。
突然、前触れもなく、気配が生まれた。
「殺気!?」
乱馬は高く飛び上がり、襲ってくる何かをかわした。
地面に降り立ち、身構える。
「……フン。うまくかわしたな。」
その男は、フェンスの上に立っていた。
顔を覆面で隠し、全身を黒いマントで覆っていた。
右手に細長い、銀色に煌めく剣を構えて。
「誰だ!てめぇは!!」
覆面の男を睨みながら、乱馬は叫んだ。
けれど、その問いに男は答えず、無言で地面に降り立った。
「早乙女乱馬。てめぇをこの世から、消してやる!」
低く押し殺した声で言い捨て、覆面男は乱馬に向かって飛び掛っていった。
光る刃が何度も激しく、乱馬に襲い掛かる。
何とか、乱馬は避けた。覆面男から繰り出される剣の勢いは、久能のものとは比べ物にならない。
―何者だ、コイツ。
乱馬は必死にそれを避けながら、相手の隙を探した。
だが、その凄まじいスピードで放たれる剣は、避ける乱馬の服を裂き、皮膚をかすめた。
―このまま、接近戦は無理だ。
そう判断した乱馬は、取り敢えず逃げの一手で相手をまいて、戦略を考えようとした。
ところが、逃げる乱馬の後を、覆面男は軽々と追って来る。
「何なんだよ、一体。」
殺気を背中に感じつつ、乱馬はひたすら逃げた。
その後を追って、覆面男は剣を振るい、執拗に乱馬に襲い掛かる。
乱馬が逃走劇を繰り広げていると、その視界に、あかねの姿が見えた。
「乱馬!」
驚いた顔で、あかねも近づいて来る乱馬を見ている。
慌てて、乱馬はあかねの前で立ち止まる。そしてあかねを庇いながら、乱馬は覆面男と対峙した。
覆面男は、二人の間近で足を止めた。
「あかね、か。」
そう呟いて、覆面男は口元に笑みを浮かべた。
「ねぇ、何なのよ、コイツ。」
あかねは乱馬に、耳打ちする。
「知るかよ。おめぇこそ、知ってんじゃねぇのか?」
ブルブルと、あかねは首を振った。
覆面男は、あかねの名を呼んだ。そして、乱馬の事も知っている。
―この男は、一体、何者なんだ……。
改めて、その疑問が乱馬の頭によぎった。
二人に向かって、覆面男は足を一歩踏み出す。
乱馬はあかねを庇いつつ、一歩後退した。
「早乙女乱馬。てめぇは、あかねを不幸にする。だから、俺はてめぇをこの世から消してやる!」
覆面男は、予告ホームランをするバッターのように、乱馬に向かって剣を突き出した。
「何言ってやがるんでぃ!そうか……お前、今朝の脅迫状の差出人か!」
今朝の妙な脅迫状の差出人であることは間違いない。乱馬に向けられている、憎悪に満ちた瞳が、それを物語っている。
だが、どうして、この覆面男はこんなにも、乱馬を憎んでいるのだろう。
「にゃぁー。」
ビクッ。
乱馬の身体が、一瞬にして硬直した。
突然現れた猫が、のそのそと乱馬達の前を通過して行く。
「ねっ、ねご……ねごが、いるぅ―――――。」
猫恐怖症の乱馬は、あかねにしがみ付きながら、必死で猫をやり過ごそうとした。
―相変わらず、情けないわねぇ。
と、あかねが思っていると、覆面男の方にも変化があった。猫を前に、すくみ上がって、震えているではないか。
まるで、猫が怖いかのように……。
あかねは意を決して、しがみついている乱馬を置いて、覆面男に近づいた。
覆面男は、前を通る猫に怯える瞳を向けたまま、近づいて来るあかねには見向きもしない。
あかねはバッと、男の覆面を取った。
「ら……乱馬?」
覆面男の素顔を見て、あかねは驚いた。
恐怖に顔を引きつらせたその男の顔は、すぐ側で震えている自分の許婚と、全く同じ顔なのだ。
猫は彼らを横切って、のっそりと、どこかへ消えて行く。
それと同時に、もう一人の乱馬の剣を握る手に力が戻った。
「お前……。」
乱馬は、もう一人の自分を指差して、驚きに目を見開いたまま呟いた。
剣を携えているその男は、激しい敵意を瞳に宿しながら、乱馬を睨みつけている。
「てめぇがいたら、あかねは不幸になる。そうだろ?」
「………………。」
そして、ようやく乱馬は昨日の事を思い出した。
自分がキャンディを舐めながら、見ていた夢を。
どこからか、笑い声が聞こえる。
どうしてだか、視界がぼやけて、周りがよく見えない。
部屋の真中に置かれたちゃぶ台、幾つか並べられている座布団。
見覚えのある風景。ここは、天道家の居間のようだ。
台所から、湯気が立ち上る鍋を持って、あかねがやって来た。
「お母さん、お茶碗並べたよ。」
ちょこまかと動いていた、小さな女の子が笑顔で言う。
「ありがとう。良い子ね。」
ちゃぶ台の上に、あかねは鍋を置いて、女の子の頭を優しく撫ぜた。
「晩御飯の支度が出来たって、お父さん呼んで来てくれる。」
「うん。」
可愛く頷いて、女の子は廊下を走っていく。
「おっ、美味しそうだな。」
女の子に連れられて、居間にやって来た男は、あかねに微笑みかける。
が、しかし、その男は乱馬ではない。乱馬の知らない男だった。
「誰だ、お前!おいっ、あかね!!」
乱馬は思いっきり叫んだが、あかね達には全く聞こえないようだ。
そして、茶碗によそった一膳飯を、仏壇の前にあかねは置いた。
あかねは、仏壇に手を合わせる。
「ありがとう、乱馬。貴方がいなくなったお蔭で、あたし、こんなに幸せよ。」
心からの笑みを、あかねは乱馬の写る遺影に送っていた。
その様子を見ていた乱馬は、呆然とした。
「何だよ、それ………」
あかねの姿は徐々に薄れていった。
「あかねっ!あかねぇ―――――――っ!!」
乱馬は必死であかねに向かって手を伸ばしたが、光の中にその姿は消えてしまった。
そこで目が覚めたのだ。
「おめぇ、ひょっとして、あのキャンディの……。」
そう、乱馬が眠っていて気付かないうちに、想いが解き放たれていた。
「俺なんか、いない方が、あかねには幸せなんだよ。」
ギッと乱馬を睨みつける、乱馬と同じ顔をした男はそう言って、再び剣を構えた。太陽の光に反射して、剣は銀色に光る。
「やめてっ!」
乱馬に迫ろうとした彼の前に、両手を広げて、あかねが立ちはだかった。
「あかね、そこをどいてくれ。」
静かに、乱馬の分身は言う。
「嫌よ。」
あかねは、首を大きく振った。
「どいてくれ。」
また、あかねは首を振った。
仕方ないと、分身は肩をすくめ、跳躍してあかねを飛び越えた。。
そして、着地したのと同時に、再び乱馬に向かって剣を突き出し、襲い掛かった。
あかねと自分の分身とのやり取りを見守っていた乱馬は、それを寸前でかわした。
ところが、続けざまに放たれた一撃が、左腹をかすめ――――。
「っぅ……。」
乱馬は顔をしかめて、左腹を見る。薄く開いた切り口から、鮮血が滲み出ている。
「あかねを苦しめた報いだ。ジワジワと痛めつけてやるよ。」
冷笑を浮かべながら、彼は剣を持ったまま、乱馬に向けて火中天津甘栗拳を放った。
襲い掛かる剣は、更に激しく、乱馬に襲い掛かる。
しかし、全く疲れを見せない分身に対し、乱馬は先の攻撃と、逃走時に体力を消耗している。そして、この攻撃だ。
何とか避けてはいるが、自分と同じ能力を持つ分身に対して、かなり分が悪かった。
「てめぇは、あかねを泣かせた!」
剣を振りながら、乱馬の分身は叫ぶ。
乱馬は応戦しようと試みた。しかし、相手は剣を持っている。うかつに飛び込めば、蜂の巣にされることは必至。
一度、乱馬は分身から距離を置いて、身構え直す。
「てめぇは、あかねを苦しめやがった!」
乱馬に向かって叫びながら、分身は突っ込んでいく。
それを避けながら、乱馬は男の間合いに飛び込んで、ボディに蹴りを入れた。
しかし、蹴りをくらった分身は、全く動じない。そればかりか、凍りつくような冷たい瞳を乱馬に向けていた。
乱馬はゾッとした。本当に、これは自分の想いから生み出された、分身なのだろうか。
「俺は、絶対にてめぇを許さねぇ!!」
不意をつかれた乱馬は、分身に左腹に、強烈な蹴りをくらって、吹っ飛んだ。
「うげぇっ!」
そしてそのまま電柱に向かって飛ばされ、受身をとる間もなく、乱馬は電柱に激突した。
気を失ったのか、乱馬はそのままピクリとも動かない。
「フン。いい気味だぜ。さて、止めを刺してやるか。」
不敵な笑みを浮かべ、分身は乱馬に向けて、剣を高々と振り上げた。
「やめてっ!」
叫びながら、あかねは二人の間に飛び込んでいた。
「どうして止めるんだ?お前のために、早乙女乱馬を抹殺しようとしているのに。」
分からないと、彼は小首を傾げている。
あかねは、彼の目をまっすぐ見つめ、言った。
「あたしを……あたしを、不幸にしないで!!」
―何を言っているんだ、あかねは?
彼は、戸惑ってしまった。
―あかねを不幸にするのは、自分のせいだ。だから、おれがいなくなれば、きっとあかねは幸せになれる―。
それが、彼を創った想い。ところが、それを本人に真っ向から否定されてしまったのだ。
「……俺は……早乙女乱馬は、お前に何をした?」
自嘲の笑みを、彼は浮かべていた。
「口を開けば、お前に暴言を吐き、例え自分が悪くとも謝りもしない。いいかげんで、優柔不断で、おまけに水を被ると女になっちまう変態体質ときた。
こんな男がいても、お前のためにならない、だろ?」
彼の口から、吐露される言葉。
言葉の端々から、ひしひしと伝わって来る、己への怒り嘲り、そして――――。
「やめてっ!!」
あかねは、叫んだ。
「確かに……その通りだけど…………あたしは、乱馬にいて欲しいのよ。
いっぱい、嫌な事言われて、腹が立つ事もヤキモチ妬くこともあるけど……。
でも、それだけじゃない。乱馬がいてくれて良かったって事、もっといっぱいあるんだから!!」
あかねの瞳から涙が零れ落ちるのが、彼の目に映る。
「……あかね……。」
彼女の名を呟く、彼の手から、剣が滑り落ちた。
そして、ゆっくりとあかねに近づいて行き、あかねの頬を伝う涙を、彼の手は優しく拭った。
「……お前は……俺が―乱馬がいた方が……幸せなのか?」
問い掛ける、小さな声。
彼は、あかねの目をジッと見つめていた。
「うん。」
あかねは微笑みながら、頷いた。
「そうか……。」
笑顔をあかねに向けたまま、乱馬の分身は、スゥッと光に溶けこまれて、消えていった。
あかねは急いで倒れている、乱馬の元へ向かった。
「乱馬!乱馬ってば……。」
あかねが何度か揺すると、乱馬はゆっくりと瞼を開いた。
「あ……いってっ。」
乱馬は右手で頭を押さえる。電柱にぶつかったところに、たんこぶが出来ていた。
「大丈夫?」
「ああ、何とかな。」
乱馬は何度か首を振った。そして、頭をあかねに向ける。
「アイツは?」
顔をしかめながら、乱馬は聞いた。
「消えたわ。」
ポツリとあかねは言う。
「そっか……。」
小さく呟いて、乱馬はパンパンと、服についた埃をはらった。
「いっ……。」
うっかり、左腹に手が当たったのか、乱馬はうめき声をあげた。
「東風先生の所、寄ってく?」
心配そうにあかねは聞いた。
乱馬の破れたチャイナ服には、アチコチに薄っすらと血が滲んでいるが、幸い大した事はなかった。ただ剣がかすり、強烈な蹴りを受けたせいで、左腹が痛むのと、たんこぶが痛いくらい。
「ああ……。」
乱馬が頷くと、あかねが差し出した手につかまって立ち上がった。
二人は小乃接骨院に向かって、ゆっくりと歩き始める。
「乱馬。あんた、あたしが部屋の中で言っていた事、聞いたの?」
あかねの様子を横目で窺いながら、乱馬は人差し指で、頬を掻きながら。
「えっ。いや……そのぅ……部屋の前を通ったら、偶然聞こえてよぉ。」
「ふーん。」
あかねは不信げな目で、乱馬を見る。
「おい、お前。信じてねぇな。」
乱馬があかねを睨むと、仕方がないなぁと、思いつつ、あかねは人差し指を立てて言った。
「まあ、いいでしょ。その代わり、今度奢りなさいよ。」
「チョット待て、どーしておれが、お前に奢らなきゃいけねえんだ?」
「当然よ。あんたは勝手に、人のプライヴェートを覗いたんだから。」
ビシッと、あかねは乱馬の背中に右手を叩きつけた。
「痛てっ!おめぇな、怪我人に何てことすんだよ!」
ヒリヒリする背中の痛みを堪えながら、乱馬は言った。
「フン。」
あかねは膨れて、首を90度向こう側に向けた。
「で、どうやって、アイツを消したんだ?」
「…………。」
尋ねる乱馬の言葉を、あかねは無視したまま、そっぽ向いている。
「なぁ、教えろよ。何か、アイツと話したのか?」
「…………。」
「あかねぇ。」
自分の想いから生まれたという、乱馬の意思とは無関係に動いたアレと、あかねとの間に、何があったのか、乱馬は気になってしかたがない。
―変な事を、口走っていなければいいが……。
あかねは立ち止まると、乱馬もそれに合わせて、足を止める。
そしてあかねは、人差し指を口に押し当てて言った。
「ひ、み、つ。」
そして、あかねは歩き始める。憮然として動かない乱馬を残して。
ハッと我に返った乱馬は、慌ててあかねを追いかけた。
「何だよ、秘密って。」
何気ないように空を見上げながら、あかねはクスリっと笑った。
「ねぇ、乱馬。」
「ん。」
乱馬はブスッと膨れながら、気のない返事を返した。
「お願いだから、勝手にいなくなったりしないでね。」
「はぁ?」
あかねはまだ、空を見上げたままだ。ジッとその顔を見つめた乱馬だったが、あかねの真意が分からない。
「約束、だからね。」
あかねは笑顔で、乱馬に向かって小指を突き出した。
―ずっと、側にいて。約束よ。
完
作者さまより
初投稿です。
私は、乱馬役の山口勝平さんが大好きです。
つい最近、(格好良い悪役で)勝平さんが出演なされていた、『神風怪盗ジャンヌ』という作品を改めて観ました。(その作中で、キャンディから悪魔が出現するという設定がありまして、そこからこの作品を思いつきました。
テーマはズバリ、[アンタなんか、いなきゃよかったのに]。
そこから彼がどう思い、どうするのか……が書きたかったのですが……難しい。全然、キャラクタが描けてないし、心情も表せてないです。大層なタイトルなわりに、内容無いし。(反省)
文章表現力がなく、ダラダラとお目々汚しとなってしまいましたが、これでも、精一杯書きました。
つまらなかったら、至らない私が悪いです。すみません。
みのりん拝
みのりんさまの記念的初投稿作品です。
最近、歳をとってきたせいか、涙腺がやたら緩くなって困っている私ですが、これもまた・・・。勝手に作品の中へ気落ちが入っていってしまいました。
乱馬の自己嫌悪が生み出したもう一人の乱馬。それに対するあかねとのやりとりに迫るものがありました。
私も山口勝平さんの声が大好きです。「神風怪盗ジャンヌ」は放映時間がチェックし辛い時間帯にあったのでまだ完全にチェックできていませんが、ゆっくり見てみたいなあ・・・。勝平さんの作品ということなら、見なくちゃですね・・・再放映やんないかな。なかなかやってくれないな(溜息)
(一之瀬けいこ)
Copyright c Jyusendo 2000-2005. All rights
reserved.