◇答えはそこにあった その5
みのりんさま作


十三、真夏の終演

 夏らしい、雲ひとつ無い、晴れた空だった。
 相変わらず、低血圧の拓也の心は泥色だけれど。
 拓也は、今日もまた六時三十分に起床した。隣で乱馬が寝ているのも、もう見慣れた光景である。
「う〜ん。」伸びをやって、とりあえず目を覚ます。
 洗面所へ向かって足を延ばし、着替えてからかすみに出くわすタイミングも同じ。早雲とも挨拶を交わすのも同じ。
 ただ違うのは、この光景を見るのが、今日で最後ということだ。
 とはいえ、テレビは朝の情報番組を流しており、ボケっとそれを見入っていると、あかねが蘭子と一緒に降りて来た。もうすっかり打ち解けているようで、二人して仲良く談笑していた。

「また、乱馬のやつ、朝寝坊してるの!」
 朝食を前に、あかねが大声で言った。
「全く、いつもいつも!」
 ブツブツ言いながら、あかねは乱馬の部屋に向かって行く。
「乱馬っ!起きなさーい!!」
 すぐに外から声が聞こえてきた。
「もう、ちょっとぐらいいだろ!」
「駄目、皆待っているのよ、あんたもいい加減起きなさい!」
「嫌だ!」
「分かった!あんたが起きるまで、いくらでも叫んでやる!起っきろ!起っきろ!起き――ろっ!」
「うっせーな。わーった。もう、頼むから耳元で騒ぐなよ!」
「始めっから、そう素直に起きてりゃいいのよ。」
 ドタバタ……。
 あかねが乱馬を引き連れて、降りて来る。
「乱馬くん、おはよう。」早雲が、手をあげてにこやかに言う。
「おはよーございます……」機嫌悪そうに、乱馬は答えた。
『いただきまーす!』
「拓也くん達は、いつ帰るんだっけ?」
「えっと、今日の午後二時頃ここを出ます。午後六時には成田空港へ、両親を迎えに行くと約束していますんで。」
 拓也は頭をかきながら言った。
「五日間、どうもお世話になりました。」
 ご飯を置き、頭を下げながら拓也は言う。
「それを言うのは、最後にしたら。こんな中途半端なときに言われても、対処しようがないわよ。」
 蘭子が言う。
「あ、それもそっか。」納得して、拓也はご飯に箸を戻す。「何って言ったらいいのかな。長かったようで、短かったようで……。」
「おれにとっちゃ、メチャ長かった。」ムスッと乱馬が言った。
 拓也は苦笑する。「そうかい。そりゃあ、どうも。あ、お昼ご飯、もしよかったら、僕、とびきりの料理を思いっきり、作りたいですけど……」
 ちらりと、のどかとかすみの女性陣を拓也は見る。
「じゃあ、お願いしようかしら。」のどかが微笑んで言った。
「ありがとーございますっ!」拓也は、これ以上もない快感に酔った。
「ああ、夏のお昼ご飯……あれでもいいし……これでもいいし……どうしようかなぁ……」
 そんな拓也の様子を見ながら、なびきが言った。
「普通、『食わしてくれ!』って言うのはよく聞くけど、『作らしてくれ!』って珍しいわね。」
「拓也はそういう人種なのよ。」しれっと蘭子は言う。
「よし、後で食材の買出しに行こう!乱馬くん、ついて来てくれるよね。」
 拓也は隣でご飯をかきこむ、乱馬を見やった。
「なんでおれが……」
「だって、僕、この辺りの地理に詳しくないし、それに荷物持ちがついて来てくれないと困るだろ。」
「しかし、野郎二人で、ショッピングなんて……」嫌そうに乱馬は言う。
「いいだろ。別に、男女差別するなよ。」
「……分かった。」
 そう言った乱馬に、拓也はほくそ笑んだ。



 十四、買出し紀行

「じゃあ、とりあえず手近なスーパーか商店街へ連れて行ってくれよ。」
 そう言って、拓也は自転車を押す。
「ってことは、おれが運転するのか?」自分を指差しながら、乱馬は言った。
 こくりと頷く拓也。
「頼むよ、な。」ウインクしながら、拝むように片手を顔の前に立てる。
「……分かった。」
 乱馬が向かった先は、天道家御用達の商店街。
「ここなら、何でも揃うだろ。」
 と、自転車から降りるように、乱馬は拓也を促す。
 辺りを見回し、「ホントだ。じゃあ、とりあえず、あそこから言ってみよう!」
 自転車を自ら押しながら、拓也は乱馬を誘った。
「え〜っと、おっ、生きの良さそうな魚だ。」
 両手を組んで、並んでいる魚を拓也は睨みつける。
「へいらっしゃい。お兄ちゃん、どれも生きがいい魚ですぜ!」
 もみ手をしながら、ハチマキをした魚屋のおじさんが言う。
「じゃあ……奮発して、タイはこれ、イクラはこれとこれ、ちりめんじゃこ三百グラムと、このタコも一緒にお願いします。」
「へい。」
 魚屋のおじさんにお金を払い、入れてもらった袋を、拓也は乱馬に渡す。
「はい。次、行くよ。」
 魚屋の次は四季おりおりの野菜が並ぶ、八百屋さん。
「レタスにトマト、キュウリ……わ、このスイカ大きいな……けどパスっと。そこのしその葉、お願いします。」
 そそくさとお金を払い、次の店へ拓也は向かう。
 大きな上りが掲げられていて、『ティッシュ一袋、お一人様一九八円』と書いてある。
「あ、すいません。そこのティッシュ二袋、僕と後ろの彼の分で。」
「はい。」
「……なあ、ティッシュなんて、料理に関係あんのか?」
「うちのティッシュがちょうど切れてたんだ。常備品は安いとこで買っとかないと。」
「…………」無言の乱馬にティッシュ二袋、拓也は渡す。
「卵も安い!一パック、八十八円!!……くぅ〜〜すいません、一パック下さい。」
 ――く、くやしい……けど、いっぱい持って帰ったら、割れちゃうかもしれない……
 思案しながら、拓也は次の店に向かう。「酢は確かあったし……」
「何作るつもりなんだ?」拓也の後ろからついてくる乱馬が聞く。
「とりあえず、チラシ寿司。みんなでワイワイやれるだろ。お、キノコ!」
 乾物屋に拓也は目を輝かせ、歩いて行く。
「しいたけ、えのきに、しめじとかんぴょうと、カツオと昆布、ノリは六枚ぐらいで足りるかな。お願いします。」
 しばらく歩いていると、クンクンといい匂いがどこからか漂ってくる。
「お茶か。」その匂いに引きつられ、拓也は前へ進んで行く。
「どうぞ――」
 手に湯飲みの乗せた盆を片手に持った女性が、歩いてくる客に向かって振舞っていた。
 早速、試飲する拓也。「決めた!このお茶は、どれですか?」
 女性は深緑の濃い茶を、片手でそれを示す。
「すいません、三百グラム下さい。後は…………」
「まだあるのかよ。」そう言って、両手いっぱいに荷物を持つ乱馬が嫌そうな顔をする。
「言ったろ、荷物持ちがいないと困るって。後はこんにゃく、かまぼこ、豆腐、紅しょうがをみるだけ。」
 拓也はニコリと微笑みながら言う。仕方ないと言う顔を乱馬はする。

 ギコギコ…………
 乱馬の後ろにまたがる拓也は、満足げな顔をしている。
「まるで、女の買い物に付き合わされた気分だぜ。」
 重たい荷物を運ぶ自転車をこぎながら、乱馬が言った。
「え、そうかい?蘭子よりはましだと思うけど……。あいつの買い物に付き合わされたら、三時間は軽くかかるからね。
 結構、実は優柔不断なんだ。……特にピンクハウスのセールの時なんか、ひどいよ。僕のことお構いなしに、ドンドン服を積み重ねてくれるから。」
「へ――。」
「客どおしで奪い合うし、ぶつかりあうし、終いには蘭子を見失っちゃうし……」
「結構大変そうだな。」
 拓也は苦笑する。「ま、家族サーヴィスはできる時にやっとかないとな。」
「……家族サーヴィスねぇ。」
「君ンとこは、何もしないの?」
「んなことする以前に、金がねえ。」
「あ、そうなんだ……悪いこと聞いちゃったかな。」
 乱馬は首を振る。「いや、別に……」
 ギコギコ…………
「君は、将来どうするつもりなんだい……」
「え、おれ?」
「そう、君のね。」
「とりあえず、『天道道場』を継ぐってことは、前々から決めてるけど……」
 乱馬は語尾をにごす。
「君は若い。人生はまだまだこれからゆっくり、決めていけばいいさ。」
 穏やかに拓也は言う。

「美味い。すごいね、君。」と早雲は笑顔で拓也に言う。
 拓也の作ったちらしずしとすまし汁は好評で、特に早乙女親子は何杯もおかわりをした。
「そんなに、急がなくても、まだいっぱいあるよ。」
 作った拓也も、すごく作りがいがあるというものだ。満面の笑みを浮かべ、その成果を喜ぶ。
 即座に盛られるちらしずし。けれど、それはあっという間に、乱馬と玄馬の胃袋の中に収まる。
 終いには、「あ、僕食べるの忘れてた……」
 空っぽのおけを見ながら、拓也はいまさらになって呟いた。
 目の前には一応、すまし汁があるが、食べるべきちらしずしがない。
「あはは……」
 むなしいのか、楽しいのか分からない、笑いが沸き起こった。



 十五、離別の時

 拓也と蘭子はそれぞれ荷物を抱え、天道道場の前に並んだ。
 天道家、早乙女家の面々も見送りに出てきていた。
「あっそうだ。あかねちゃんに渡す物がある。」
 そう言って拓也は自分のカバンの中をまさぐる。「はい、これ。」
「『簡単・お料理レシピ―家庭料理 VOL.5』著者――早乙女拓也?!』」
「将学館って、出版社に、たくさんレシピを投稿したんだ。そしたら見事採用されちゃってね。“趣味が講じて”、ってよく言うだろ。まさにそれさ。」
「あっ!料理の研究本をたくさん出している、“早乙女拓也”って、もしかして、あなたのこと……?!」かすみが声を上げる。
「あは。実はペンネームってもんが、すぐに思いつかなくて、それで、“早乙女”って姓を使わしてもらってます。
 印税のおかげで、また新しい研究ができる……まあ本業の合間だから、限られた時間しかないけどね。ちなみに著者近影は、いつも僕のイラストをマックで加工してるんだ。そうそう、確か……」
 と、さらに拓也はカバンの中をまさぐる。そして取り出したのは一冊の絵本。
「これも僕の著書。」タイトルは『草原と雲とぼく』。
「早乙女のおじさま。“肖像権”とれますね。」なびきが笑いながら言う。
「別に、“早乙女”って名字、珍しいわけでもないだろ。その辺はアバウトってことで。」
 拓也は苦笑しながら言う。そして、あかねの手に持たせる。「これもあげるよ。」

 そして――
「お別れね……。」ポツリとあかねが呟く。
「バカね。私はいつだって、この“足”があるのよ。」と、自転車にまたがっている拓也を指差す。
「おい……」呆れ気味の拓也を無視して、蘭子は笑う。
「いつでも、連絡くれたら会える、電話を使えばお話できる、でしょ。」
 小指を蘭子はあかねに向かって突き出した。
「約束よ。『さよなら。』なんて言わないで。」
 ちょっと、瞳から涙がこぼれそうだったあかねは、右手でそれをぬぐって、蘭子に小指を差し出す。
「指きりげんまん。ハリセンボンの――ばす!」
 思いっきり明るく、蘭子は笑顔で言った。あかねも笑い返す。
「また、会いましょ。必ず、ね。」
「ええ。」
「じゃあな、乱馬くん、あかねちゃん。皆さん、ひとまずのお別れです。ありがとうございました。」
 拓也が頭を下げると、蘭子も頭を下げた。そして、蘭子は自転車の荷台に乗る。
 ギコギコ…………
 ペダルをこぎだすと、拓也達は徐々に天道道場から遠ざかって行く。
「まぁ〜たねぇ〜〜!」
 蘭子は頭の帽子を押さえながら、手を振った。あかね達の姿が見えなくなるまで。 


 炎天下の下、来た道を引き返して、拓也は自転車を駆る。
 セミの鳴き声がうっとうしい程、耳に入ってくる。
「なあ、蘭子。」
 前を見たまま、拓也は言う。
「何?」
「……僕は……“父さん”はね。自分のことが、大好きだ。こうやって、毎日誰かと会ったり、色んな出来事にぶつかったりする日々が、楽しくて仕方ない。」
「何を今さら……」蘭子の呟きを遮るように、拓也は続ける。
「お前とこうやって、話ができることも、すごく嬉しい。生きていてこんなに良かったって思える瞬間が、何度もあって幸せだ。若い子と一緒に暮らすのもいいね。刺激があって。」
「……自分だってまだ若いくせに。」
「そう言ってくれる、お前のおかげさ。“灯台下暗し”とはこのことだな。」
 穏やかに拓也は微笑んだ。
「未来は輝いてるものだ。求めれば、何でもその通りになる。例え迷ったとしても、必ず答えはすぐそこにある。」








作者さまより

あとがき
 最初、――“自分”をこの世界に投じてみよう。――それが、この物語のスタートでした。
 けれど、拓也は全く私の知らない人物へと、一己の確たる人格として、存在していきました。
 「料理を手伝いたい。」などと、言い始めた瞬間から、もうすでに、“自分”ではなくなっていました。そして“彼”のことが、私には理解できなくなりました。
 けれど彼の目は、まっすぐと前を見つめています。私は、その彼の後から見えるものを書き綴ったにすぎません。
 彼は『臨床心理学など、胡散臭い学問はない。』と、言い切りましたが、実は私は大いにお世話になっているのです。
 この小説も、深いうつ状態にいる“自分を奮い立たせよう”と始めたのに、彼は私の意図を超えていってしまいました。
 ラストの言葉とて、とても自分が書いたとは思えないセリフです。

 そして最後に、彼に質問しました。「あなたは、誰?」と。
 すると、拓也は笑って答えました。「僕は僕。それ以上でも、それ以下でもありません。」そして彼は軽く手を振り、「じゃあ。」と、私には手の届かない向こうへ行ってしまいました。


 不思議な清涼感に溢れる作品、でした。
 答えってのは、案外、身近に転がっているものなんですね…。とくにそれが、己にとって他に替えられないものであればあるほど…、多分。
(一之瀬けいこ)

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