◇答えはそこにあった その4
みのりんさま作


十一、彼の想いは遠く彼方に……

 四日目の朝も、昨日、一昨日の繰り返し。
 ただ違ったのは、乱馬の様子である。
 相変わらず、拓也を避けようとするが、何かを言いたげな顔をする。
 拓也は待っていた。彼が自ら進んで話をしてくることを。しかし、乱馬は沈黙を保っていた。
 後残された日は、今日を含めて後二日。何事も後味が悪いというのは、気持ちいいもんじゃない。
 朝ご飯を食べるときも、ただ、ジッと乱馬を見つめていた。
 たくましいその肉体を、己の貧弱な肉体と比べながら、『まるで鏡のようだ』と友人は言ったが、その実はまるで違う。そもそも、パソコンの前でカタカタ打ち込みをやっている人間と、毎日肉体を鍛えている彼とを比較するのが間違いである。
「やくん、……拓也くん。」
「あ、ああ。」
「どうしたの?さっきから呼びかけているのに、ボォッとしちゃって。」
 なびきは拓也の視線の先を追って、ははんと、口を歪める。
「気になるの?」
「フィフティ・フィフティ。」拓也はご飯を口に運びながら言った。
「ライフ・ライン、使わせてあげましょうか?」
 なびきは半分からかうように言った。某クイズ番組のノリである。
「そんな必要ない。それぐらいの賞金、自前で何とかするさ。お、『何とかするさ、留守か盗んな』」
「本日、一発目の作品ね。」蘭子が言う。
「ね、昨日から、何か変なこと言っているけど、何それ?」
「なびきお姉ちゃん、“回文”よそれ。」あかねが答えるとなびきは首を傾げる。
「右から読んでも、左から読んでも同じ言葉になるってやつよ。拓也の十八番ね。」
 そう言って蘭子は味噌汁をすする。
「ふ〜ん、文学青年だね。」しみじみと早雲が言う。
「そんなもんじゃないです。」拓也は慌てて否定した。「ただの趣味の一つです。」
「それでも大したもんだ。凡人には、簡単に出来るもんじゃないからね。」
 頭をかきかき、拓也は顔を朱に染めた。
「ごちそうさま。」そう言って、乱馬は立ち上がった。
「乱馬、おかわりは?」
 のどかが炊飯器を開けていたが、「今日も食欲がねえ。」と言って、乱馬は居間を出て行った。
「変よね。」
「変ですね。」
 昨日に引き続いてのことに、のどかとかすみが顔を合わせる。
「きっと、何かあったんだと思うんですが、今はそっとしておいた方がいいと、思いますけど……」そう拓也は意見を述べた。
「駄目ね。それは。」なびきが断言した。「乱馬くんみたいなタイプは、こっちから手を差し出さないと、何も出来ないわよ。」
「……そう、なんですか。」拓也の問いに、コックリとなびきは頷く。
 しばしの沈黙。
 そして拓也は言った。「――関西風味、『何ですかやて、焼かすでんな』。」
「駄作ね。」蘭子が呆れて言った。
「なんですかやてやかすでんな……あ、なるほどね。」指を折りながら、なびきも頷いた。
 ゴクゴク麦茶をすすり、拓也も席を立った。「ごちそうさま。」



十二、優しさは残酷の中に


 昼食。かすみとのどかが外出していて、なんと、あかねが台所に立つという。
「悪いわね、あかね。友達と約束があって。」なびきが引きつった笑顔で言った。
「ごめん、前からの約束が……」早雲は背広を着て、ネクタイを締めながら言う。
「すまないなあかねくん、ちょっと急用があるんだ。」玄馬までが、慌てて外出して行った。
 後に残ったのは、乱馬と拓也と蘭子だけだった。
「皆、いつもこう言って逃げちゃうの。」赤いエプロン姿のあかねは、悲しげな顔をする。
「まあ、とりあえず、僕と一緒に作ろう。昼ご飯は何にする?」サックスのエプロン姿の拓也が言った。
「とりあえず冷蔵庫の中を拝見させてもらうね。え〜っと、レタスとハム、キュウリ。これで、サラダができるな。後はメイン……あ、食器棚の上のケースにスパゲティがあるね。冷蔵庫のタラコと合わせて、タラコスパゲティにしょうか。あの……海苔ってどこにある?」
 拓也が尋ねると、棚の中から、味付け海苔をあかねは取り出した。「後はオリーブ・オイルっと……あ、見つけた。」キッチンの下に収納されていた。
「じゃあ、とりあえずお湯を沸かそう。一番大きな鍋は?」あかねは戸棚の上を指す。拓也はそれを取り、ジャーっと水を注ぎ入れ火にかける。
「あかねちゃん、キュウリ切ってくれる?」
 拓也が言うと、包丁とまな板を取り出し、あかねは「でやぁ――ッ!」っと気合を入れて、切りまくる――まな板ごと……。
「スト――ップ!」慌てて拓也が大声を出した。
 フッと小さく息を吐いて、あかねは笑顔で拓也を見た。「どうしたの?」
 あかねの前にあるのは、見るも無残なキュウリの残骸――というべきモノと、まな板のものらしい、木片の欠片がチラホラと見えていた。
 皆がそそくさと出て行くった理由が、拓也は良く分かった。
「あかねちゃん、力入れすぎだよ。」
「そうかしら?あたしは普通だと思うけど……」
 拓也はあかねの作ったキュウリの残骸にならなかった、残ったキュウリを取り上げ、「可哀想って思わない?」そう言って自ら包丁を取り、ゆっくりと輪切りにする。
「可哀想?」「そう、食材はまだ生きているんだ。そんなに乱暴に扱うと、可哀想だよ。」
「じゃあ、どうしたいいの?」あかねは戸惑うように、拓也を見る。
 すると拓也はあかねの後ろに立った。そして手を伸ばし、あかねの手の上に自分の手を重ねる。
「いいかい。こうやるんだ。」
 ザクリ、ザクリ……
 ゆっくり、ゆっくり、キュウリの輪切りが出来ていく。
「感じ、つかめたかい?」あかねは首を振る。「じゃあ次はハムを切ろうか。」そうして拓也はあかねから離れ、ハムを一枚一枚ほぐしてから、再びあかねの後ろに立ち、手を伸ばす。
「切り方はなんでもいい。ただ、もっと力を抜いて。」拓也はゆっくりとあかねに手を重ねで、ハムを切っていった。
 ザク……
 まず横に切る。それから、縦方向に切っていく。
「習字と同じで、まずはコツをつかむことだよ。」
「コツ……」あかねは拓也の顔を見る。
「そ、誰だって最初から、何もかも出来るわけじゃない。何度も練習して、コツを掴む。これが攻略のポイントさ。」そう言って、拓也は軽くウインクした。
「おっと、お湯が沸いたな。塩を入れて、パスタを茹でよう。」
 拓也はあかねから離れる。
 と、台所の戸の向こうに、誰かが隠れて立っているのが見えた。
「あれ……」
 拓也が戸の方へ近づくと、その人影は、さっと消えた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。」
 拓也はスパゲティの袋を開け、きれいに円状に鍋に入れる。「えっと、これのアルデンテの目安は……七分か。電源抜いて、オーブン・トースタのタイマで計ろう。」
 ニコリとして、拓也は作業にとりかかった。
「タ〜ラコ、タラコ、皮剥ぎゃ、ただの赤い粒の塊♪」
 即興の歌とともに、ぐい〜っとタラコをまな板の上に乗せて、包丁で皮を剥いでボウルに入れる拓也。バターとオリーブオイルをダボダボ入れて、少々のニンニクを下ろし入れる。さらにコショウ少々。
「はい、かき混ぜて。」拓也がそれらを入れたボウルに、しゃもじを入れて、あかねに渡す。
 と、「うりゃ――!」と、思いっきり台所のアチコチに、中身を撒き散らしながら、必死でかき混ぜ始める。
「待ったっ!」これも慌てて拓也は止めた。
 フゥと溜息一つ。
「あかねちゃん。具材が泣いてるよ。」ポツンと拓也は言った。あかねは、ただ呆然と立ち止まる。
「だからね、何でも力をいれちゃダメだよ。もっとゆっくり、ね。」
 泣きそうな顔のあかね肩を叩いて、拓也は優しく言った。
 こうして、拓也とあかね合作の“タラコ・スパゲティ”はなんとか完成した。
「もう、お腹すいちゃった。」むっつりと顔を膨らして、蘭子が言う。
「ったく、お前もあかねちゃんを見習って、ちょっとは料理の一つや二つ、勉強したらどうだい。」
「大丈夫よ。世の中、な〜んにもできなくったって、働いて稼ぎゃ何とかなるわよ。」
「レンジでチンするご飯に、即席の惣菜に、カップめん、調理済みの魚と冷凍食品……。終いにゃ、お前、食物繊維不足になるし、ビタミン不足にもなるし、ダイオキシンか、食品添加物中毒で死ぬぞ。」
「大丈夫よ。天然素材、百パーセントの食材を使った料理ってのも結構多いのよ。サプリメント食品で足りない分は摂取すればよし。それに通販でも、包丁を使わないで済むグッズ、たくさんあるしね。」
 ウインクしながら蘭子は言った。
「ああ、お前の親の顔が見てみたい……」
「見てるじゃない。」即座に蘭子は答える。
「いや、ものの例えさ。昔はもっと素直だったのに……」
 拓也は大きな溜め息を吐いた。
「何よそれ、どういう意味よ!」
「そのまんまの意味。それより、確か乱馬くんも残ってたよね。」
「ええ。道場の方へ向かってたわよ。呼んでこようか?」
「頼む。」

「いらないって。」憮然とした顔で蘭子は言った。
「え?」拓也は首を傾げる。
「その……」言いにくそうに蘭子はあかねを見る。
「『あかねが作る飯なんて、誰が食えるか』って……」
 ちゃぶ台の上に置かれた、四人前に分けられたタラコ・スパゲティは、きれいに味付け海苔が飾られ、誰が見ても美味しそうに出来上がっている。もちろん、サラダもである。
「乱馬が……乱馬が……そう言ったの。」身体を震わして、あかねが俯いて言った。
 蘭子は答えにくそうにしながらも、「うん。」と首を縦に振った。
「まあ、落ち着きなよ。」拓也は、あかねの肩に手をかける。と――
「乱馬ぁ!」一皿スパゲッティを持って、ドスドスとあかねは道場に向かって走って行く。
 呆然と拓也はその様子を見送った。
「とりあえず、私たちだけでいただきましょ。」フォークを持って食べ始める蘭子を止めることなく、拓也はあかねが消えて行った方角を黙って見つめていた。
 道場の方から、大きな声で言い争う声が聞こえる。
「僕も道場へ行って来る。」拓也も道場の方へ足を向けた。
 思った通り、あかねと乱馬が言い争っていた。
「いらねえったら、いらねえ!」
「何よ!せっかく作ったんだから食べなさいよ!」
「乱馬くん、あかねちゃん、ストップ、ストップ。」
 拓也は二人の間に立って、手で制する。そして、乱馬の方を見ながら、
「どうしたんだい?」
 ムスッとした表情で、乱馬は拓也を睨みつける。
「あかねちゃん、一生懸命頑張ってたよ。僕も手伝ったけどね。これ、ちゃんと食べられるよ。」
 そう言って、あかねの持つ皿からパスタの一本を取り出し、自らの口に入れる。
「うん。ちょうどほどよくアルデンテになってるし、タラコもきいてて、美味しいよ。」
 笑顔でそう拓也は言う。
「おれは…………気にくわねえ……」
「え?」
 小さく呟いた乱馬の声は、拓也の耳には届かなかった。
 そして拓也から目をそらし、乱馬は道場から去って行った。

 三時頃、天道家、早乙女家の面々が徐々に帰宅して来た。
 そして、拓也が部屋に帰っても、乱馬の姿はそこにはなかった。
「う〜ん……」
 一人で唸っていたところで、何も始まらない。
 かといって、マックを立ち上げるのも、何となく気が進まない。
 携帯を取り出しメールチェックをするが、これといって、すぐにレスを返すような大した用件はない。
 そこでふと思いついて、拓也は持って来たスケッチブックを机の上に広げた。
 ちょうど机の上に鉛筆がある。それを取って、とにかくがむしゃらに絵を描いた。
 描きあがったのは、一匹のラブラドール・レトリバー。それもかなりデフォルメされたキャラクタ。一年前に死んだ、彼の愛犬を模している。
 描き終えると、ポイッと畳の上に放った。その表情は、なんともなさけない表情をしている。自らの心情を、見事に描き出したといったところか。
「『課した模試も確か』……」ポツリと呟くその顔も、どこか寂しげだ。
 人に好かれるというのもそう多くはないが、こう徹底して嫌われるというのは、初めてだった。
「『罪と罰は唾と蜜』失敗作だなぁ、これも……」蘭子がいたら、また叩かれそうだ。
 ボヤッと壁にもたれて、頭を天井に向ける。
 ――何だろう、一体……そうだ!“結果”があれば、必ず“原因”があるはず。
 彼は立ち上がった。そして、なびきの部屋をノックする。
「どうぞ。」と声が返ってくる。
 ガチャッと扉を開け、開口一番にこう言った。「ライフ・ライン、まだ有効かい?」
 にやりとなびきは拓也を見る。「これがあればね。」親指と人差し指で丸を作る。
「商売上手だね。」拓也は溜め息と銭の換わりに、これまでのことを欠かさず話し、真相を得た。



十三、月齢の真実

 午後五時。
 拓也は駅近くの、石上井公園に向かっていた。そこには、“彼”が待っているはずだ。
 大時計の前、赤いチャイナ服の姿が良く目立つ。時計を見、誰かと待ち合わせをしているように、キョロキョロと辺りを見回す。
 けれど拓也は木陰に隠れていて、その視界の圏外だった。
「待っていても、のどか“姉さん”は来ないよ。」そう言って、ゆっくり乱馬に拓也は歩み寄った。
「おふくろが来ない?」大きく拓也は頷く。
「僕が頼んだんだ。ここに君が来てくれるように、呼んで欲しいってね。」
 乱馬は拓也を睨みつける。「で、何だ、こんなとこに呼び出したりして。」つんけんとした態度で乱馬は問う。
「誤解は、早いうちに解いておいた方がいいと思って。」
「誤解?」
「そう。君は完全に大きな誤解をしている。」穏やかながら、毅然として拓也は断言した。
「一つ、君に……君達に隠していたことがあるんだ。」
 拓也は子供が思いついた企みを話すように笑みを浮かべる。 
「君から見て、僕は一体、幾つに見える?」
 考える様子もなく、乱馬は即答した。「おれと同じ、十六だろ」拓也は大きく頭を振った。
「まず、きちんとした自己紹介からするべきだね。」
 そう言って、拓也は一枚の名刺を差し出す。乱馬はそれを受け取る。そして――
「……『N大学、生物学科、生体構造学、助教授――冴草拓也』?!」
「君のお母さん、“早乙女のどか”は、旧姓“冴草のどか”。僕の実の姉だ。それにこれでもね、実は今年で三十八になる。一児の父親だ。」
 驚愕の表情を浮かべる彼に、拓也は笑った。
「素直だね。そのリアクションは。」
「んな……嘘だろ。そのツラのどこが、三十八になるオッサンなんだよ!」
 拓也はズボンのポケットから、運転免許証を取り出し、乱馬くんに見せた。
「これが、その証明さ。生年月日のところをよく見てご覧。ま、役所に行って、戸籍を調べてみればすぐに分かることだけれどね。」
 乱馬はそれを取り上げ見た。確かに、生年は三十八年前だ。
「僕はね。昔、大きな飛行機事故にあったんだ。仕事で忙しい両親の代わりに、祖父母と一緒に旅行に行ってた帰りだった。そして、僕の祖父はその身を犠牲にしてまで、僕を守ってくれた。
 けれど、僕は頭に強い衝撃を受けていた。そして男性ホルモンの分泌が、止まってしまったんだ。そのせいで、第二次成長も途中で止まってしまった。もうこれ以上背が伸びることも無いし、髭も生えることはない。ずっと、この――十六歳――の姿のまま。僕は生き続けることになった。」
 驚きの表情のままでいる彼の側を通り、拓也は近くのベンチに腰をかけた。
「ごめんよ。なびきちゃんに教えてもらった。君の許婚はあかねちゃんだったんだね。すまなかった。全然気づかないでいた、僕が悪い。」
「…………」
「っつーことは、結婚、してるのか?」半信半疑で乱馬は尋ねる。
「ああ。けれど、最愛の妻は十二年前に亡くしている。胃の裏側の癌でね、発見されたときには、すでに手遅れだった。」
 拓也は自嘲気味に語る。
「僕と亡くなったミサト……妻はね、幼馴染で、そう――あかねちゃんみたいに活発で、可愛い子だった。毎日のように遊んでいるのが当たり前だった。
 けれど、ま、これは自賛してるわけだけど、僕も結構運動神経が良くてね。それなりにもててさ、もう毎日喧嘩ばかり繰り返してた。実際に何人かと付き合ったこともある。けれど、“何か違うって”すぐに別れた。
 そして、あの事故。意識を戻して、最初に目に入ったのは、涙を流しながら僕を見つめている、彼女だった。
 僕がこれ以上成長できないって事実を知った時、最初に打ち明けられたのも、彼女だ。そして、結婚しようって言ってくれたのも、彼女の方からだった。」

「――けれど、俺は、もう、お前が婆さんになっても、ずっとこの姿のまんまなんだぞ。」
「それでもいいじゃない。そんなちっぽけなことにこだわるなんて、拓也らしくないぞ。」
「……ミサト。」
「私じゃ、嫌?」拓也はは大きく首を振った。
「結婚、してくれるのか?」
 その時の笑顔は、彼女のどの笑顔より、ずっと綺麗だったことを、彼は忘れない。

「真実は幾つもの嘘と、欺瞞と、偽りの中に隠れていて、見つけることは難しい。本当のことを表に出すことも、またとても難しい。
 君とあかねちゃんを見ていると、まるで昔の自分を見ている気分になるんだよ。」
 そして、拓也は免許書入れの中から、一枚の写真を取り出した。
「これが、彼女と僕の永遠の誓いをした証。」
 だいぶ色褪せている、ウエディングドレスに身を包んだ彼女と、かしこまって、まるで七五三のような背広姿の拓也が映っていた。
「けれど“永遠”なんてものはない。“形あるものはみんな壊れる”。そして、失ったものの大きさを知り、後悔する。それじゃ、何もかもが遅すぎるんだ。」
 拓也の頭の片隅によぎる、霊安室の彼女の姿。そして泣きついている自分。
「“今”が壊れることは、あまりにもたやすい。しかも何がきっかけで、壊れてしまうかは分からない。
 今でも僕は、ミサト以上に好きになれる人間はいない。ミサト以上に僕のことを理解してくれる人間もきっといないだろう。
 僕の場合、全ては終わってしまった後だった。自決する気にもなった。」

 真っ暗な道を眠っている幼い蘭子を抱え、ふらふらと歩いている拓也。
 ふと立ち止まる。そこは幾つもの車のテールライトが輝く、橋の上。
 ボンヤリとその灯りを見つめ、発作的にガードレールを乗り越えようとする。
「お父さん……」はっと、声を上げた蘭子を見つめる拓也。
 小さな雫が、蘭子の頬に落ちる。
「どうしたの、お父さん。どうして、泣いているの?」
 真っ直ぐに見つめる少女の瞳は、泣いている父親を不思議そうに見つめる。
 拓也はガードレールから手を離し、両手で蘭子を抱きしめ、嗚咽を漏らした。
「……ごめん……父さんが、バカだった……」
 
「けれど残った彼女の意思を、僕は蘭子を通して受け取った。だから、今、僕はここにいる。」
 パチリとロケットを開き、夕日に映える、ミサトの写真を拓也は見つめた。
「蘭子はね、僕の父――君のお祖父さんの精子と、ミサトの卵子を体外受精させた、試験管ベイビィだ。けれど、大事な一人娘であることは変わらない。
 しかし、すぐにあいつは僕の歳を越えていく。だから、あえて『お父さん』と呼ぶのをミサトが亡くなった時やめさせた。

「……いいか蘭子。もうこれから、『お父さん』って“父さん”のことを呼ぶのをやめなさい。」
「えっ?!」
「“父さん”はお前の『お父さん』だってことは変わらない。ただ、これからは“父さん”のことを『拓也』って名前で呼びなさい。」
「やだよ。お父さんが、お父さんじゃなくなっちゃうの?!」
「いいかい、蘭子。お前のためなんだ。僕はこのままずっと変わらない。そして、お前の友達のお父さんみたいに歳をとらないんだ。
 だから、きっと皆変に思うだろう。今日限り、僕のことを『拓也』と呼ぶんだよ。いいね。」

「可哀想なことをしたと、今でも思っている。蘭子は母親を亡くしたのと同時に、“父”と呼べる存在を失ったんだからね。
「…………」
「君の気持ちは……君の想いは、僕には察することしかできない。例え、どんなに愚かでもあっても、何があったとしても。まっすぐ前を見なさい。真実はそこにある。」
 ロケットを閉め、拓也はベンチから立ち上がった。
「あの……叔父さん……」戸惑いつつも、乱馬は声をかける。
「よしてくれ。娘にも『拓也』と呼ばしているんだ。君も『拓也』でいいよ。さあ、帰ろう。みんな心配しているだろうから。」

 拓也と並んで、乱馬は帰途についた。みかけは、まるで双子の兄弟のようだ。
 乱馬は尋ねる。
「じゃあ、何でおれ達のところに来たんだ?」もっともな質問である
 拓也は苦笑した。
「僕が“こんななり”をしているから、だろう。だから“可愛い孫娘を襲うかも”なんて、つまらないことこと考えたんだと思う。」
 クスリと拓也は笑った。
「そんなことしたら、こっちの方が襲われるに決まっているのにね。」



つづく




作者さまより

読者への挑戦状、解答編
 ここまで読めば、分かってくれましたね。
 意図的に隠していたのは、『拓也の年齢』なのです。フェアじゃないって怒んないで下さい。
 乱馬サイドから見れば、なんで外見16の少年と30代半ばの男性がため口ききあっているのか?だけれど、拓也側から見れば周知の事実なので、別段驚く必要がないというわけです。
 いやー苦労しました。蘭子に関しては、のどかの“姪”とハッキリ記述していますが、拓也については“甥”なんて一言も書いていません。のどかと拓也の会話に関しても、細心の注意を払いました。

 後、大法螺を1つついています。誰か、それに気づいているかもしれませんが……それは“蘭子の年齢”です。
 『夫婦間以外の親族よりの体外受精が許可がおりたのは、実は“2000年11月”』なのです。
 ま、後から調べたということで、13年経てばOKかな……なんて……嗚呼、すいません。うかつ者なんで、許して下さい。

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