◇答えはそこにあった その3
みのりんさま作


七、哀しみを告げる朝

 六時三十分、きっかり、拓也は目を覚ました。
 今日は昨日と違って、ここが天道家であることを把握している。
 昨日と同じように、乱馬を起こさないように、顔を洗いに洗面所に向かう。
 ファ〜と、欠伸が出るのも同じ。低血圧で機嫌が悪いのも同じ。違ったのは――
『おはよう。』
 あかねと蘭子が揃って、色違いのピンクハウスの鈴蘭ブーケのプリントワンピースを着ていた現れたことだ。
「あ、おはよう……」思わず圧倒されて、拓也は言った。
「どう、似合うでしょ。私の見立てどーり!」と、蘭子はあかねの方に手をやりながら言う。
 蘭子は赤。そして、あかねは青。
「……一体、何着持って来たんだお前は。」
「さ、それは乙女のひ・み・つ。」
「…………」
 ――やたらと大きなカバンだと思っていたけど、なるほどな、そういうことか。
 大きく拓也は溜息をはいた。
「どう、似合ってるでしょ?」肩を叩きながら、拓也にあかねを見せる蘭子。
「うん。いいと思うよ。」
「どの辺が?」
 ――そーだな。
 こうツッコまれると、弱い。
「あかねちゃんの“清楚”ってイメージが、強調される感じで、いいんじゃない。」
 柔和な笑みを浮かべながら、拓也は言った。
「ありがとう。」恥ずかしそうに、あかねは答えた。
「あら、乱馬くん。おはよう。」いつに間にか後ろに立っていた、乱馬に笑顔で言ったのは、蘭子だった。
 乱馬は、呆然と突っ立ている。
「珍しいわね。今日は一人で起きれたんだ。」あかねも笑顔で言う。
「…………」
「おはよう、乱馬くん。」拓也も言うが、反応が無い。
「あの、大丈夫?」
 拓也は乱馬の目の前を、手をひらひらさせる。
「な、何でもねえ……」
 そう言って、乱馬はそそくさと出て行ってしまった。
 それから拓也は部屋に戻り、初日に着ていた、くまさんプリントの水色のカールヘルムのシャツとオフホワイトズボンを着た。
「おはよう。」
 今日もまた、新聞を片手にしたかすみと鉢合わせになる。そして、満面の笑顔で、朝の挨拶をしてくれる。
「おはようございます。」そう言って、軽く頭を下げる余裕が、今日はあった。
 昨日と同じく、居間へ入る。
 朝刊を受け取る早雲にも挨拶をし、テレビを見る。
 昨日と同じ朝の情報番組が流れており、昨日と同じ、和やかな朝が訪れたと、拓也は思った。
「おはよう、乱馬くん。」
 ところが早雲の言葉に、不機嫌さを隠すことなく「おはよーございます。」と乱馬は言った。
『いただきまーす!』という言葉とともに、朝食が始まった。
 パクパク……
 込められた愛情を感じつつ、ありがたくいただく拓也である。
「ごちそうさま。」
 いち早く食べ終えた乱馬が、立ち上がった。
「あら、乱馬くん。おかわりは?」不思議そうに言うかすみに、「今日は食欲がねえんだ。」と、らんまは居間を出て行った。
「どうしたのかしら?」のどかは心配そうに、乱馬が立ち去った方を見ていた。
「ほっとけ、ほっとけ。それより、わしのおかわり!」
 しかし、玄馬の声など聞こえないようで、のどかはじっと乱馬が行った方を見つめていた。

 部屋に戻ると、拓也は昨日の紙の束を取り出し、マックのI/Oスイッチを入れる。
 立ち上げると、ワープロを選択し、昨日の続きを始める。
 一枚目、二枚目、三枚目と、流れるように紙をめくっていく拓也。
「なあ。」
 ――ドキッ!
 再び、何の気配もなくかけられた声に、拓也は心臓が止まるかと思った。「な、何?」動揺を隠し切れず、上ずる声。
「おめえ、あかねのことどう思う?」
「え?」突然のことに、拓也は戸惑う。「あかねちゃんのこと?」
「そ。」乱馬は真剣な表情で、拓也を見つめていた。
「えっと、一生懸命で、素直で可愛い子だと思う。」率直に拓也は答えた。
「……そっか。」
 拓也には、乱馬が何を言いたいのか、察することが出来ない。
「それが、どうかしたの?」
 その問いかけに、返事は無かった。
 昨日と同じように着替えを取ると、乱馬は部屋を出て行った。
 首を傾げながら拓也は、乱馬の出て行ったふすまを見た。
 ――何かあったんだろうか?
 乱馬は昨夜、いきなり現れた、良牙とかいう人に呼び出されて、中々部屋に帰って来なかった。
 ――喧嘩でもしたのかな。
 それ以上推察することが、拓也には出来ない。
 とりあえず棚上げして、作業を再開することにする。



八、すれ違う感情

 今日の昼は、これもまた夏定番の“冷やし中華”だと聞き、拓也はエプロンを着て、鼻歌でアンネ・クライネ・ナハト・ムジークを歌いながら、台所に行った。
「手伝います!」飛び切りの笑顔で、拓也は言った。
 味のついたしいたけに、カニかまぼこ、卵焼き、キュウリ、トマトといった材料をザクザク、切る拓也は実に楽しげな顔である。
 かすみが茹でる大量のめんと、合わせて皿に盛り、タレをかけて出来上がり。
 そして、拓也は率先して居間へ運ぶ。
「みんな、お昼ご飯ですよ!」
 のどかの声に、将棋を指していた早雲と玄馬がちゃぶ台に向かう。
 あかねもなびきも蘭子も上から降りて来た。
「あれ、乱馬くんは?」
 かすみの言葉に、みんなは辺りを見回す。
 いつものなら、一番に駆けつけるはずの乱馬がいない。
「あかね、乱馬くんは?」なびきが問う。
「知らないわ。拓也くん、乱馬は?」あかねが聞く。
「さっき、いや……随分前に着替えを取りに、部屋に戻って来たのを見てから、一度も見てない。」
「道場で稽古しているんじゃないかしら。」と、のどか。
「見て来ます。」拓也は立ち上がり、道場の方へ向かう。
 初日の夕方に一人で探検したので、場所は分かっている。
 家の中をぐるっと一回りして、渡り廊下にさしかかる。
 すると、幾重にも積み上げてある瓦が、見事に二つに割れているのを見つけた。
 ――凄いな……そういえば、格闘技やってるんだっけ。
 と、道場の方から声が聞こえてきた。
「てぇい!てやぁ!とう!」
 ――乱馬くんの声だ。
 半分だけ扉が開いていて、「乱馬くん、入るよ。」と、声をかけたが、本人は全く気づかず、道着を着て稽古にはげんでいた。
 仕方なく道場の中に入り、「乱馬くん、お昼ご飯だよ!」と、拓也は大声で言った。
「っと……飯?」乱馬は拓也の方を見ようとしない。
「うん、みんな揃って待っているよ。」
「分かった。」拓也を避けるように、乱馬は道場を出た。拓也もその後を続く。
 ――どうしたんだろう?
 明らかに、自分は避けられている。頭を傾げるが、拓也には理由が分からない。
『いただきます』と声を揃えて、昼食が開始された。
 パクパクと食べるスピードは相変わらずだが、乱馬は何か様子がおかしい。
 男の勘というやつが、拓也の頭の中で警鐘を鳴らす。いつもより倍のスピードでめんをかきこみ、拓也は冷やし中華を食べた。
「ごちそうさま。」
 やはり一番に食べ終え、乱馬は立ち上がる。
「ごちそうさま。」
 思いっきり無理をしたせいで、少し気持ち悪いが、拓也は慌てて乱馬の後を追った。
「どうしたの?何があったんだい?」問いかけるが、まるで無視。
「待てよ。」 乱馬の腕をとり、拓也は動きを止めようとした。
「離せ!」乱暴に振りはらわれて、拓也はあっけなく、ドスンとしりもちをついた。
「あ……」何か言いたそうな顔。けれど、そのまま乱馬は去っていった。
「ふられたわね。」
 後ろからかけられた声に振り向くと、なびきが立っていた。
 苦笑いを浮かべながら立ち上がると、拓也は言った。「そうみたいだね。」
 フゥと溜息を一つ。
「どーして乱馬くんが怒っているか、教えてあげましょーか?」
 拓也は手を振って制止した。
「やめとく。人の感情なんて、他人に教えられてもらえるぐらい、簡単に理解できるような単純なもんじゃないから。」
 ほぉーっと、なびきは感心した。
「大したもんね。」
「臨床心理学ほど、胡散臭い学問は無いってクチだからね。あ、『心理学が臨試』。」
 なびきは目をパチクリさせた。
「何それ?」
「『仮名のひらめきさ、キメラ火の中』。『滝で舞う花は馬で来た』。ただのジョークだよ。」
 スタスタと拓也はなびきの横を通り、部屋に戻った。



 九、建築物は夢を見せるか

 両腕を枕に、ボケっと拓也は天井を見上げる。
 ここ二日で見慣れた天井だ。少し汚れている。
 ――年代ものだからかな。
 今時珍しい外向きの廊下といい、門構えといい、旧家といっていいだろう。
 この手の建築物を見せたら、喜びそうな友人が拓也にはいる。建築マニアなのだ。
 ふとその友人の顔が浮かんだので、拓也は携帯電話を荷物から取り出した。メールが三通届いていた。
 一通目は無差別に送られてくる広告メール。即座に削除。
 二通目は一時間前に届いたもの。内容は『帰省ラッシュに巻き込まれて、身動きが取れない』という愚痴。『ご愁傷様』とレス。
 三通目はその建築マニアの友達からだった。着信記録を見ると、ついさっき届いたものだ。
『四国お遍路参りから帰って来た。何か面白いことないか?』
 これには拓也は少し驚いた。実にタイムリィだ。
『古い建築の家にお泊りしている。君が来たら喜ぶかも。』とレスを送ると、すぐに返事が返ってきた。
『ぜひ、寄りたい。許可を求む。』
 拓也は頭をかいた。
 承諾を得るには、早雲に尋ねるといいだろうか。
 立ち上がりながら、考えつつ、拓也は居間の方へ向かった。
 早雲は玄馬と共に、また将棋を指していた。
「あの、すいません。」拓也が言うと、早雲は手でそれを制した。
「ちょっと待って。今、大変なところだから……」
 早雲は顎に手をやり、将棋盤を睨みつけていた。
「その……角を動かして、金を斜め前に指せば、『王手』になるんでは……」おずおずと、拓也は言った。
『ん?』
 早雲と玄馬の動きが止まった。
 そして――
「本当だ!こりゃもらった、早乙女くん!」手を打って早雲は喜んだ。
「そりゃないよ。天道くん!」泣きつく玄馬に、勝ち誇った早雲は万歳三唱する。
「あの……僕の友人がこちらにお邪魔したいと言ってるんですが、よろしいでしょうか?」
「いーよ、いーよ。幾らでも呼んじゃって頂戴!」
 機嫌のいい早雲の言葉に、拓也はホッと一息ついた。
 かすみにこの家の住所を聞いて、『許可を得た。早いうちに来い。』とメールを送ると、『了解!今すぐ行く!』とレスが返ってきた。

「こんにちは!」
 野太い大きな声が天道家の玄関から、とどろいた。
「あの……道場破りの方ですか?」
 応対に出たかすみの声が聞こえてくる。
「は?」
「あ、違うのですか。」
「あの僕、南慎二っていいます。冴草拓也くんがこちらにおられると聞いたんですが……」
 拓也は慌てて玄関に出向いた。
「よお、久しぶりだな。」黒光りした皮膚をした、屈強な大男が手を上げる。
「久しぶり。どうだった、お遍路参りとやらは。」 
「四国は、しごく暑かった。」
 拓也は呆れて言った。「……笑えないね、そのギャグ。」
「そうか?これでも、それなりに考えたんだが……」
 拓也は驚いているかすみに、「すいません。こいつに、スリッパを貸してくれませんか。」と、声をかける。
「ああ、ええ。」かすみは慎二を見ながら、慌てて客用スリッパを出す。
「これ、つまらない物ですが。」と、慎二は四角い箱をかすみに差し出す。
「あ、ありがとうございます。」
「お邪魔します。」
 そう言って、慎二は上に上がってスリッパを履く。
「この家、“切妻造り”だな。」
「切妻?」
「そう、屋根のことだけどさ、板を使った板葺きの家とか瓦葺きの町家なんかに多いんだ。こう、ハの字型になっていたろ。」
 ハの字型に慎二は両手を合わせる。
「そうだっけ。」
「日本の家屋って言ったら、まずは屋根だろ。ここの門からして、かなりの年代ものだ。おっ、外向きの廊下か。珍しい!」
 そう言って、慎二は腰をかがめる。
「おお、“縁が切られている”。ここなんか、“おがみにされている”!」
 興奮する友人は、デジカメを取り出し、パシャパシャと撮影を開始する。
「ここの廊下のアルミサッシの引き戸は、最近変えられたもんだな。材質が違う。」
「ふ〜ん。」
「この家の造りって、どうなっている?」
「一階に和室が五つに台所、道場が一つ。二階は聞いてないから分からないけど、四部屋ある。とりあえず、僕が泊まっている部屋は和室だ。」
「九Kかよ。すげえな。」そう言って、慎二は階段の方へ行った。
「お、ここからはちょっと層が違うな。上の方が新しい。建築基準ぎりぎりってとこか。元は平屋だったのを建て増ししたんだな、きっと。」
 そして、彼は居間へ入った。
 すると、再び将棋に興じる早雲と玄馬。アイスクリームを食べているなびきがいた。
「すいません。お邪魔してます。」
 軽く慎二は頭を下げると、三人の視線が慎二に集中する。
「僕の友人の、南慎二といいます。」と、簡単に拓也は紹介する。
「へ?」
「えっ?」
「はい?」
 三者三様の驚き顔である。
「彼とは十三年来の親友なんです。」そう拓也を指しながら、慎二は追加する。
「はぁ、さいですか。」
 早雲がこっちに気をとられている隙に、玄馬は何か細工をする。
「こちらの建築は、ざっと見たところ、軽く七十年は越えているみたいですね。」
「はあ。」
「施行されたのは、いつ頃ですか?」
「さあ、それはちょっと……」早雲は渋い顔をする。
「では、施行主は?」
「うちの曽祖父が建てたらしいってことぐらいしか……。」
「ほう。なるほど。」うんうんと、慎二は頷く。
「しっかし、大変ですね。この家維持するだけで、かなり税金取られてるんじゃないですか?」
「ええ、まあ……」苦笑いを浮かべる早雲である。
「ここの天井もずいぶん、“いじめて”ありますね。」
「?」
「雨漏りとかしてるんじゃないですか?」
 拓也は、慎二の二の腕を取った。「おい、いい加減にしろ!失礼だろ!」
 ハッとなって、慎二はペコリと頭を下げた。「すいません。でしゃばりすぎました。」
 非礼を詫び、再び二人は廊下に出た。
「ったく、お前の興味はいいが、他人の迷惑考えろよな。」
 拓也は慎二を睨みつけながら言う。
「悪かったよ。俺も言い過ぎた。」そう言って、慎二は庭の方を向く。
「あ、池だ。灯篭まである!」
「気づかなかったのか?」拓也は不思議そうに聞く。
「当たり前だ。俺の興味は、建築一筋だからな。」
 今日何度目かの溜め息を吐きながら、拓也は言った。
「そうだったな。ま、とりあえず、僕の知っている限りを案内してやるよ。」
 玄関の手前まで戻り、反対側の廊下へ進む。
 とりあえず、台所にたどり着く。
 ちょうど戸が開いていて、かすみとのどかが談笑しているのを見た。
「あ、拓也くんと南さん。」かすみが気がついた。
「はい、お邪魔しています。冴草拓也さんの友人の南と申します。」
 のどかの方を向きながら、慎二は言った。
「あら、そうなんですか。どうも、拓也さんがお世話になっています。」と、のどかは頭を下げる。慎二も慌てて頭を下げた。
「いえ、どうも。」実に歯切れの悪い返事である。
 ジロジロと周囲を見渡して、慎二は台所から離れた。
「中々、時代を感じるな。居間と距離がありすぎる。今流行のリフォームやるなら、まずここからだな。」と、慎二は独り言のように感想を述べた。
「ここは脱衣所と風呂。」
 台所を大回りして、次の扉の前で拓也が説明した。
「ふ〜ん。次行こう。」と、慎二は足を次に向ける。
 ガラリと戸が開き、慎二は客間への一歩足を踏み入れる。
「襖は瓢箪の引き手で、天井三段重ねか。う〜ん、材料は何だろ?」
 と、腕組みしながら、慎二は頭をかく。
「次ぎ行く?」拓也が促すと、慎二は素直に従った。
 そして、茶の間に入る。
「おおっ!“六帖座敷”か!」
 パシャ、パシャと再びデジカメのシャッタが切られる。
「いい、いいね。!」
 パシャ、パシャ、パシャ、パシャ……
「柱は吉野桧、床框は黒檀か。長押と天井廻と竿は吉野の赤杉かな。おっ!仏間の欄間も中々のもんだ。天井は萩だな。」
 ボケ〜ッと、拓也は熱心に観察する友人を眺める。
 独りの世界に入ってしまったら、どうすることもできない奴だから、仕方ない。
 パシャ、パシャ……



十、Pervasion

「終わったぞ。」
 そう宣言されて、ようやく拓也は動く。
「後はこの家の主の部屋だから、入室は厳禁。どうだい、なんか成果あった?」
「来たかいはあった。中々こんな日本建築の家には入れないからな。」
「そう、良かったな。」拓也は笑顔で言った。
「後、その道場とやらを拝見さしてもらおうか。」
「OK。すぐそこだから。」そう言って、拓也は渡り廊下へ向かう。
 と、元気のいい女の子の声が聞こえてきた。
「てぇやぁ!」
 ガシャ―ン!
 渡り廊下の方へ行くと、あかねが道着を着て、瓦割りをやっていた。
「あかねちゃん、精がでるね。」拓也が声をかける。
「ええ。あら、あの……」
「僕の友人の南くん。ここの家が見たいってやって来たんだ。」
 そう言いながら拓也が慎二を見ると、口をポカンと開けて、その様子を見ていた。
「すごいね。それ、君がやったの?」慎二は呆気にとられながら、あかねに聞く。
「あ、ええ。はい。」しどろもどろしながら、あかねは返事する。
「あかねちゃんはね、『無差別格闘天道流』の後継者なんだって。日々精進してるらしいよ。」
 しばしの間。――そして、「それは大変だね。」と、慎二は言った。
「え、いえ、そんな……」顔を赤くしながら、あかねは答えた。
「じゃ、僕達道場の方へ行くから。」
 そう言って、立ち去ろうとすると、あかねが拓也に向かって言った。
「道場では、乱馬が稽古やってるよ。」
「そ、ありがと。」片手を振って、拓也は道場の扉を開けた。
「邪魔するよ。」
 拓也が声をかけたとき、乱馬も道着を着て、虚空に向かって蹴りを放っていた。
「……すげえな。まるで鏡を見てるみたいだ。」
 慎二は再びポカッと口を開いて、感想を述べた。
「何か用か?」ぶっきらぼうな声。
「ちょっと、ここの家の見学者がいてね。その案内ついでに、ここに寄ったんだ。」
「…………」向けられた顔は、『神聖な場所を汚された』と、物語っている。
 それに対し、全く拓也は動じず、道場へ足を踏み入れた。穏やかな顔で、一歩、一歩、乱馬の方へ近づいていく。
 乱馬は拓也から目をそらした。
「……日本人はね、昔っから、相手の気持ちを互いに思いはかって行動する人種なんだ。けれど今、君の心は閉ざされている。だから、何も見えない。何も感じない。
 アメリカ人だったら、きっとこう言うよ。『話してくれなきゃ、何も分からない』。」
「それが、どうした?!」語気を荒げて乱馬は言った。
「答えて欲しいんだ。何が君をそうさせるのか。……何を君が求めているのか。」
「…………」
「無理強いはしない。ただ、僕は君じゃない。そして君は僕じゃない。だから分からないんだ。」
 拓也は後ろの慎二の方を向いて、「ここはいいか?」と尋ねた。慎二は無言で頷いた。
 二人は拓也が泊まっている、乱馬の部屋へ行った。
 慎二は自分で撮影したデジカメの写真を再生して、チェックする。
「あいつ……お前と何かトラブってるのか?」ぽつりと慎二は漏らした。
「まあね……」慎二はポーカ・フェイスで答える。
「っと、そろそろ時間だな。」右手にしている腕時計を見ながら、慎二は言った。
「時間?」拓也が尋ねると、「うちのオフクロが上京して来るんだ。そろそろ迎えに行かないと……」慎二は立ち上がる。
「普通逆じゃないか?」拓也が言うと、「帰省ラッシュに便乗すると、こっちの身がもたないんでね。」
「オフクロさんも大変だな。」
「いや、むしろ空っぽの東京を観光できるって、喜んでいるよ。」
 拓也も立ち上がり、慎二を玄関まで見送った。
「じゃあな。」
「また、学校で。」
 互いに軽く手を振り合い、慎二と拓也は別れた。

 夕食はお手軽なカレーライス。食欲が湧かない夏だからこそ、更に重宝されるメニューである。
『いただきます』皆揃っての食事。けれど、その空気はどこかよどんでいる。それを感じているのは、拓也だけだろう。
 誰とも目を合わせようとしない乱馬。皆が笑っている中、一人黙々と食べている乱馬。
 ずっとその様子を、密かに拓也は観察していた。
 ――どうしたんだろう?
 皆が談笑している中、一人そっと立ち上がり、どこかへ行く。
 ――追いかけるべきか……
 『若いうちは、悩めるだけ悩んだ方がいい』恩師の言葉が、ちらりとよぎる。『そして、悩みながら、人間は大きく成長していくのだ。』
 今がその時なのか。誰だって、何かから抗いたくなる時がある。それが偶然、瓜二つの自分という存在が、その対象なのかもしれない。拓也は一人思いを巡らす。
 けれど、それに気づく者は誰もいなかった。



つづく




作者さまより

読者への挑戦状(実はこれ、一度やってみたかったので(^^♪))
 さて、ここで問題です。
 どうして、“南慎二”を紹介したら、みんな驚いたのでしょう?
 作者であるこの私は、『とある事実』を意図的にぼかしています。
 最初、“乱馬サイド”から書こうと思っていたんですが、“拓也サイド”に切り替えざる得なかったというのが、ヒントです。
 さらに、これは“アンチ・ミステリィ”であるということを、予め言わなくても分かりますね。
 ここで分かったら、拍手喝采します! 

 しかし、誰だ、この“南慎二”って……キャラが勝手に動くって意味がよく分かりました。勝手に拓也が呼び出してくれたんです。
 一応断っておいた方がいいでしょうか。この慎二の話は、単なる“トッピング”に過ぎません。別に分かってもらおうと思って建築用語を羅列している訳ではないのです。ただ、話の流れを感じてくれれば、それでいいです。
 かく言う私も、『建築探偵シリーズ』篠田真由美著と『建築学科の助教授』が出てくるミステリィ――森博嗣著(共に講談社)を完読しただけの、「“建築”、ンなもん知るか」な人間なのであります(←おいっ!)
 更に、この話は当然フィクションです。実際の施行主や建て方なんて、知る由もありません。
 後になりましたが、今回も“一期一会”にある『天道家の見取り図』がかなり役立っております。心から御礼申し上げます。 


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