◆写真
Maiさま作


そこを訪れるのはずいぶん久しぶりに感じたが、よく考えてみると、それほど時間が経っていないことに気づき、不思議と笑いがこみ上げてきた。
「どうしたの? 乱馬」
苦笑いを浮かべているのに気づいたあかねが声をかけてきた。
「え? ああ、いや、何でもねえよ……」
説明するのが面倒くさかったので、言葉を濁すことで場をしのいだ。

不思議と足が"そこ"へと進んでいた。
かつて早乙女家が暮らしていた長屋。
実質的には、乱馬が生まれてすぐに、父によって半ば拉致同然に修行の旅に出たため、家族三人で暮らしたのはわずか数年であり、その頃まだ幼かった乱馬に、当時の記憶はまったくといっていいほどなかった。
しかし、どこか断片的に残る生家の風景は、修行中でも時折彼の脳裏に浮かび上がり、彼に奇妙な感覚をもたらしていた。
日本全国、さらに中国へと修行の旅を続け、超常現象を地で行くような体質を身につけたのち日本へ戻り、それから様々なドタバタ劇を繰り広げたのち、少しだけ落ち着ける時間ができた。
そんな中、家族は再び一つになり、十数年ぶりに長屋で一家水入らずで過ごしたのだが、その際にとある人々によって長屋を完全に破壊されてしまい、けっきょく一家揃って、帰国時に玄馬と乱馬が居候していた天道家に"移住"することになったのは、彼らを知る者にとっては、今や詳しく説明する必要がないエピソードとなっている。
そう、早乙女一家が住んでいた長屋は、一度破壊されたのである。
しかし、早乙女一家が天道家へと移り住んだあと、人知れず再建されていたことを知らされてからというものの、乱馬は、いつかもう一度そこへ行きたいと思っていた。
そしてその時は、本人も知らぬ間にやって来た。

「もしかして、ちょっと懐かしくなってたりして……?」
あかねが意地悪そうに問いかけてきた。
図星であり、特に恥ずかしいことではないので、乱馬はあっさりとそれを認めた。
「ああ、あたりまえだろ……」
意地っ張りを前面に押し出すような返答を期待していたのか、あっさりと答えを返されたあかねは、言葉をつなげることができず、しばしの間キョトンとなってしまった。
玄関先に立つ二人に、いまこの長屋に誰が住んでいるのかは分からなかったが、二階の軒先に洗濯物が干してあるのを見ると、少なくとも空き家でないのは確かなようだ。
二人は、先ほどから二分ちかくそこに立っているが、誰も長屋から出てくる気配はない。
家人は全員出かけているのだろうかと思い、もう少し長屋を眺めていようかと思ったその時だった。
「行ってきまーす!」
「うわっ!」
玄関の引き戸が勢いよく音を立てて開き、中から野球帽をかぶった幼い少年が飛び出してきた。
乱馬もあかねも、思わず声を上げて驚いた。
少年も同じように驚き、声さえ出さなかったものの、見知らぬ二人の男女に激突する直前でなんとか踏ん張り、再びその場に静寂が訪れた。
互いに予想外の出来事に対する動揺の沈黙だった。
「どうしたの?」
玄関先での異変を不審に思ったのか、玄関の奥から住人とおぼしき女性が現れた。
年の頃は三十代後半といった感じの落ち着いた雰囲気だ。
乱馬もあかねも、家人の登場に完全に混乱してしまっており、不審げに自分たちを凝視する母子に、この状況をどう説明すればよいのか分からなくなっていた。見ようによっては空き巣の下見にやってきた泥棒カップルなどと考えられてもおかしくない。
「……どちらさまですか?」
あからさまに怪しげな視線を向けながら、女性が口を開いた。
「あ、あの、俺たちは別に、怪しい者ではありません……」
おそろしく使い古された言い回しのセリフだった。ドラマなどでこのセリフが出るたびに突っ込みを入れてきたものを、事もあろうに自分が言うハメとなった皮肉に、乱馬は不覚にもそのセリフを口にした自分が笑ってしまいそうになった。
「あの、彼…昔ここに住んでいたんです」
あかねが言葉を継ぐように援護射撃を行った。とりあえず自分たちがここにいる理由の要点の一つだ。
そして、それはすぐに効果を表した。
「ここに……?」
首を縦に振る二人の若者を見る女性の表情は、相変わらず疑心に満ちたものだった。
無理もないことだった。彼女たちがこの長屋に移り住む直前まで、この長屋は地震でもあったかのように悲惨な姿をさらしていたのだから。以前に人が住んでいたとは思ってもいない人間からすれば、自分たちが住んでいるよりも前に住んでいたと言われて、信じるほうがむずかしいものであることは言うまでもない。
次に女性の口からどんな言葉が飛び出すか、乱馬とあかねはだいたい予想がついた。
しかし、そんな二人の予想に反して、女性は何かを思い出したような表情になった。
「もしかしてあなたたち、あの写真の二人かしら」
「はい?」
あまりに突拍子もない言葉に、二人は目を点にした。しかも、今の言葉からすると、実際にこの家に住んでいた乱馬だけでなく、あかねのことも知っているような口ぶりである。
「ちょっと待っててね、いま取ってくるから」
そう言うと、女性は踵を返して長屋の奥に下がった。
予想外の展開に、二人はその場を立ち去るタイミングを見失ってしまった。
「……ねえ、どういう事かしら」
「んなこと、俺に聞かれても分かんねえよ……」
乱馬は正直に答えたが、あかねは引き下がらなかった。
「分かんないったってねえ、あの女の人、乱馬のこと知ってるみたいじゃない?」
「そりゃ分かるけど……俺は全然知らねえぞ、あんなオバサン。それにおめえの事も知ってるみてえじゃねえかよ」
「う…うん、それはそうだけど……」
それにはさすがにあかねも認めざるをえなかったが、すぐさま言葉を返した。
「でも、どこかで迷惑かけた人だったら……」
「なんで迷惑なんだよ」
「だって、恨みでヒドイ目に遭った回数はギネスものでしょ……?」
反論できない指摘に、乱馬は口をつぐんだ。確かに、覚えのない恨みで大事件に巻き込まれた回数は、普通の人のそれと比べたら雲泥の差があるかもしれない。
しかし、それでも今の女性と自分たちとの接点は考えようがなかった。
首をかしげっぱなしの二人のもとに、一枚の写真を手にした女性が再び現れた。
「待たせてごめんなさい」
そう言って、女性は写真を乱馬に手渡した。
写真を目にした乱馬の顔に驚きの色が浮かんだ。
それに気づいたあかねも、写真を覗きこんだ。
それはやや古い写真で、しかもインスタントカメラを使用したものらしく、かなり色褪せていたが、そこに写っているものははっきりと見てとれた。
一歳かそれ前後と思われる幼い子供。すわった首、ぽっちゃりとした頬、不思議そうにこちらを見つめる二つの無垢な瞳。
どこにでもいるような赤子だったが、どこか乱馬に似ていた。
しかし決定的だったのは、その赤子を腕に抱くおしとやかな女性と、傍らに立つ白い道着を来た男。
今とあまり印象の変わらない、長屋の縁側に集合した早乙女夫妻だった。
「これ…乱馬……?」
あかねが、どこか信じられないような口ぶりで、誰ともなく尋ねた。
無理もないことだった。何しろ、あかねは乱馬の幼少の姿を見たことがなかったからだ。天道家に何冊も保管されているアルバムには、かすみ、なびき、あかねの三姉妹はもちろん、父の早雲、そして、母のまどかの若かりし頃の写真が収められ、とりわけ母の写真は大切に保管されている。
それに対して、早乙女家にはアルバムはおろか、写真すらほとんど存在しなかった。
それだけに、乱馬はあかねの幼い姿を見たことはあっても、あかねは乱馬の幼い姿を見たことがなかったのだ。
ゆっくりと首を縦に振る乱馬を見て、あかねは赤ちゃん乱馬とのご対面に感動を覚えるはずだった。
だが、二人は驚きの表情を崩すことはなかった。
写真に写っているのが、早乙女一家だけではなかったのだ。
乱馬を抱いて座るのどかの隣に、同じように赤子を抱いて座るもう一人の女性。のどかと同じような風貌の女性で、優しい笑みをこちらに向けている。
赤ん坊も、乱馬と似たような愛くるしく無邪気な笑顔を浮かべている。
男の子なのか女の子なのかよく分からなかったが、あかねはそれが誰か、すぐに分かった。
"幼い自分が、同じように幼い乱馬と同じ写真に収まっていた"!
「どうしてわたしが……?」
当然の疑問が口をついて出た。
写真を持ってきた女性は、二人が予想とは違う反応を見せたことに不思議そうな顔になった。
「あら、あなたたち、知り合いじゃないの?」
「はい、あっ、いいえ…知り合いですけど……」
事態を飲み込めず、あかねはおどおどした口調で言葉を返した。
「あの、この写真をどこで……?」
もうひとつの当然の疑問を、今度は乱馬が口にした。
「この長屋が建つ途中に見つかったものよ。いまあなたたちを見て、どこかで見た顔だなあと思ったんだけれど…まさか本人だったとはね……」
そして女性は、この写真の持ち主がいつか現れるのではないかと考え、それを捨てることなく保管していた旨を話したが、それを聞きながらも、乱馬とあかねはいまだに信じられない気持ちで写真を見ていた。
実に意外な場所で、自分たちは顔を合わせていたのだ。
しばらく黙り込んだのち、乱馬は女性に写真の礼を言うと、くるりと踵を返し、あかねと共に帰宅の途についた。
「こりゃ、オヤジたちに確かめるしかなさそうだな」
「そうね」

「知らん、わたしゃ知りませんよ、そんな話」
乱馬とあかねが天道家に帰ってまず最初に問い詰めたのは、問題の写真に写っていなかった早雲だった。広間で新聞を読んでいた早雲は、乱馬とあかねの二人が、広間に入るなり警察で取り調べを行うような口調で、見知らぬ古い写真について尋ねてきたために、いつのまにか敬語になって弁解していた。
「ほんとに知らないのね?」
「隠すとあとで後悔するよ、おじさん」
別に何も後悔することではないのだが、その場の雰囲気が、意味を取り違えた問いかけに変えてしまっていた。
と、そこへ玄馬とのどかが広間に姿を現した。
"容疑者"の出現に、乱馬とあかねは即座に二人に噛みついた。
「オヤジ、この写真はどういうことだよ」
「おばさま、これに写ってるのって、ホントにお母さんなんですか?」
ここまでくると、本当に安手の刑事ドラマのようである。
玄馬はわけが分からずうろたえるばかりだったが、傍らに立つのどかは、二人が示した写真を見るなり歓声に近い声を上げた。
「まあ、この写真は…二人ともこの写真をどこで?」
その質問には乱馬が答えた。
「俺たちが住んでた長屋。建て直しの途中に見つかったんだとさ」
のどかは、乱馬の言葉に耳を傾けながらも、一枚の古い写真をまじまじと見つめていた。
このことからも、この写真に写っている早乙女一家は本物だということが分かった。
では、あかねとその母親と思しき人物は……

「この写真はね、あなたたちが生まれて二、三年ぐらい経ったころ…そう、あの人が乱馬を連れて旅に出るほんの少し前だったかしらね……」
夕食の席で、のどかは昔を思い出すように切り出した。あなたたちという言葉を使い、やはり写真に写っていた二人の幼子は乱馬とあかねであることを暗に示しながら、彼女はその当事者に話していた。
幼いあかねはもちろん、今は亡き母親も一緒に写った写真の話であるため、その当事者――乱馬とあかねだけでなく、家族全員がその話に聞き入っていた。
そんな中、のどかの回想は続いた。
「ある日の昼下がりに、まどかさんがあかねちゃんを抱いて私たちの家に現れたの。
偶然だったわ。お互いに家も知らなかったのに、軒先でばったりと顔が会っちゃって…それで、話がはずんでいるうちに、写真を撮ろうということになって、ちょうど使い捨てカメラの残りがあったから、それを使って撮ったものなの……」
言葉を切って、のどかは写真を手にとり、感嘆のまなざしを向けた。
写真を目にしてから何度も同じように繰り返している行為だが、誰もそれをとがめることはなかった。
「存在すら忘れてしまってたわ……」

「人間、意外な縁があるもんだな……」
「そうね……」
翌日、乱馬とあかねはいつものように学校への道を歩いていた。
愛娘との散歩中に偶然に出会った親友の一家と一緒に撮られた写真。それは撮影から十数年たって、天道家の、そして早乙女家の不思議だが確かな絆を示す大事な証しとして、大切に保管されることになった。
そして、知らぬうちに奇妙な邂逅とでもいうべき出会いをはたしていた二人は、どこか複雑な面持ちで歩を進めていた。
「なあ、あの写真みたいに、俺たちだけじゃなくて、知らない間に顔をあわせたヤツがいたりするんじゃねえかな……?」
おもむろに乱馬が口を開いた。
「そうね、実はわたしと良牙くんとが知り合いで、それをお互いに思い出さないだけってのも、案外あるかもね」
「なんでそこで良牙が出てくんだよ……」
横目であかねを盗み見る乱馬に、あかねは意地悪な笑みを向けた。
「だって、九能センパイよりはマシでしょ?」
それは確かに、と言おうとした時、正面から土煙を立ち昇らせて接近する影が見えた。
自分たちに向かってくるその正体は言うまでもなかった。
「早乙女乱馬ァ、いざ勝負ー!」
年中袴男との異名が噂される九能帯刀の登場に、乱馬はあからさまなため息をついた。
「確かに、あんな男と知り合いだった、なんて聞かされたら、いま以上に気が滅入るだろうな……」
あかねが軽く噴き出すのを視界の隅でとらえながら、乱馬は九能にむかって飛び上がった。

一枚の写真がもたらした不思議な出来事。それは生活に重大な影響を与えるわけでもなく、その当事者同士の関係に重大な発展をもたらすわけでもなかったが、負けず劣らず五十歩百歩のお互いの意識に微妙な変化を与えたのは間違いない。
本人がそれに気づいてなかったとしても、である。








作者さまより

言い訳的筆者あとがき
一枚の写真がもたらす意外な事実…推理モノでよくありがちなネタですが、それを使ってみました。と同時に、思い返してみれば『らんま1/2』では、家族に関する話題になった時に、写真という媒体がそれほど頻繁に登場することがないように思います。
さすがに今のようにコンビニエンスストアで金出しゃカメラが買える、という条件下に、はたして天道家や早乙女家があてはまっていたかどうかは分かりませんが、それでも家族――特に母親の話題になっても写真が登場することはなく、回想シーンが描写されるだけでした。
それもあって、今回はちょっと変わった形で乱馬とあかねの接点を作ってみました。
原作やアニメと照らし合わせるとつじつまが合わない部分があるかと思いますが、平にご容赦ください……(土下座…
それでは、まだ見ぬ次回作でお会いいたしましょう。

あと、本文中に、唐突にあかねの母親の名前がまどかとして表記されていますが、まだ完成していない長編で、おなじくあかねの母の名前として使っているものをそのまま流用したものです。


 昔住んでいた家というのは懐かしいものですね・・・ふと生まれたころから幼稚園に上がるころまで住んでいた「長屋」を思い出してしまった私。当時はまだ家風呂もなく、銭湯に通っていた私。両親が仲良しだったおかげで、番台の上にちょこんと腰掛けてテレビマンガを見るのが日課のような生活でした。父と入った男湯で○くざさんの見事な刺青に「おじちゃん背中落書きしている」と無邪気に言って父は冷や汗を流したそうですが・・・「でも、きれい・・・。」と目を輝かせた私をおじさんは優しくなでてくれたのを今でも鮮明に覚えています。(怖い子やなあ・・・)銭湯で見たあの昇り竜の刺青はほんのりと赤みが射してそれはもう子供心に印象に残ったのでしょうね。今でもあの家はあるのかなあ・・・。阪神高速の守口料金所の下辺り。高速道路も鳥飼大橋も無かったもんなあ(時代が分るって)
 色褪せかけた写真を見ながら、思い出に浸るのもたまにはよろしいのではないでしょうか?
(一之瀬けいこ)



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