◆モグラ叩き
Maiさま作


あかねの親友の一人、さゆりは悩んでいた。
一昨日から取りかかっているシナリオの制作が進まず四苦八苦しているのだ。
晩夏から初秋にかけてやってくる文化祭の季節。風林館高校二年Fクラスでは、出し物として映画制作に挑戦してみようという話が持ち上がり、以前から洋邦新旧を問わず映画鑑賞を趣味としていることや、この企画の発案者の一人であったこともあり、原作・脚本・監督の三役をさゆりが一手に担うことになった。
その当初こそ、生きているうちに一度でもいいからやってみたいと思っていた映画監督の仕事を、まさか高校在学中にできるとは思わず、嬉しさ半分動揺半分、気分が高揚した状態で胸を張って引き受けたのだが、脚本執筆に取りかかって二日三日が経とうとしていた時には、早くもその事を後悔し始めていた。
(うーん弱ったなぁ……)
寝癖のついた髪に手を突っ込み、ガシガシとかき回した。
この三日間、彼女は冷静に考えると自分が呆れ返ってしまうほど不健康な生活をしていた。
ロクに睡眠をとらないのに、仮眠程度の睡眠で自らの精神状態を如実に表すかのように髪はボサボサになり、目元にはそれとすぐ分かる見事なクマができ、家族はおろか、クラスメイトもそろって彼女のことを心配するまでになった。
今日も、教室で話しかけてくる友人は、口をそろえて「大丈夫?」を連発し、教師からも真剣に「今日は休んだほうがいいんじゃないか?」と忠告されたりもした。
この段階において、彼女の疲労の原因が文化祭の出し物によるものだと気づいた者はほとんどいなかった。さゆりがその事を口にしないせいでもあったが、もしそうだと分かったら、全員が「そこまで思いつめなくても……」と呆れ返ったように言うのは間違いなかった。
だが、かなりの本数の映画作品を観てきたと自認するさゆりにとって、映画を作るということは生半可な態度で臨んではいけないと考えていた。
「うーん弱ったなぁ……」
心の中で幾度となく繰り返した言葉を、今度は口に出してみた。
彼女の自室には、執筆に取りかかって最初に思いついたネタが書かれたメモ用紙から、三十分ほど前にボツにしたネタが書かれたルーズリーフまで、十数枚の紙が散らかったまま放置されている。
これで彼女がドテラでも羽織り、煙草でも加えていれば、絵に描いたような締め切り直前の女流作家の出来上がりだが、今の彼女にはそんな事を考える余裕すらなかった。
モグラ叩きのようにネタを浮かばせては叩きつぶすという不毛の連鎖に、彼女はほとほと参ってしまっていた。

物語を作るという作業は、得てしてそう簡単なものではない。話の主軸が固まっていればすぐにでも完成しそうに思われがちだが、案外そうはいかないのである。
文章によって物語を表現する手法として最たるものに小説がある。文字と、それによって構成される文章を見ることで、見る側はどういう場所で、どういう人物が、どういう状況に置かれて動いているのか、といった情報を読み込み想像する。それゆえに、映像によって直にその場面を見せられて、見る側の認識が統一化させられてしまうのと違い、文章による表現は、人々の想像力をかきたて、開拓していくのにとても役立つのである。そして、それゆえに作家は苦労するのである。
ところが、脚本においては少し様相が違ってくる。舞台劇においても、映像作品においてもそうだが、脚本というのは、舞台劇なり映像作品なり、物語をそれぞれの表現方法において見る側に訴えかけるための材料、つまり設計図として扱われることが多く、見る側のためにだけでなく、見せる側にも意識の統一を図る必要がある。スタッフの考えがバラバラの状態では、撮影や練習などもあったものではない。まずは脚本ありき、なのだ。絵コンテは二の次である。
監督や演出家が自ら脚本を執筆する、というのはそう珍しいことではないし、むしろ執筆者としての意向が反映されやすく合理的ではある。映画におけるそれ、自主制作やインディーズものにおいては、監督・脚本はおろか、撮影から編集、はては音楽監督までやってのける人間がわんさと存在している。
そういう意味では、自主制作映画で、しかも監督・脚本を担うさゆりの立場は比較的ありがたいようにも見える。
しかし、自主制作映画となると、それはそれでやたらと障害が多いのである。
まずは制作するための予算などの経済的な障害。プロダクションなどのスポンサーが付いていれば、ある意味で恐いものなしなのだが、そういった後ろ盾がない世界では、地道に金を稼いで、その利益を制作に回すしか方法はないのである。
金銭的な厳しさが、作品に思い切り反映するのは今日の映像作品における法則と化しつつある。そして、それを脚本で補えると考えるさゆりは、その障害を取り除くべく必死になって考えていた……のだが……
主役は決まっている。さゆりが知る中で、主役をはれそうな人間はあの二人しか考えられなかった。あのおさげ髪の少年とその許婚の少女である。


部屋のドアをノックする音が、ジレンマに陥るさゆりを現実に引き戻した。
「はい……」
半ば消え入るような声で彼女はそれに答えた。
ドアが開き、母が顔を覗かせた。
「あんまり根詰めると体に毒よ」
娘の尋常でない焦燥ぶりを見て、母は改めて呆れたような顔で声をかけた。
「だいじょうぶ、死んじゃうわけじゃないんだから……」
「そんなこと言って……昨日も寝てないんでしょ?」
「えーっと……どうだったかな……」
「とにかく少し休みなさい。その顔見てるとホントに死にそうな人みたいよ」
「ダメよ、今週中に書き上げないと間に合わないの」
頑として休息をとる事を拒むさゆりに、母はため息をついた。
「分かったわ。じゃあちょっと待ってなさい」

しばらくして、雑炊の入った小さな土鍋を盆にのせ、母が再び部屋へ戻ってきた。
「こういう時ってどういうものを出せばいいか分からないけど……」と話しながら、母はさゆりが陣取る机ではなく、部屋の隅にたたんである来客用の小さなテーブルを組み立ててその上に置いた。
「これ食べて、無理をしちゃダメよ」
「……ありがとう……」
風邪をひいた時にもここまで面倒を見てくれたことがないのに、これは本当に自分が相当ひどい顔になっているのかもしれない……
さゆりは、母が部屋を後にしてからも机に向かっていたが、ふと思い出したように雑炊を振り返り、迫り来る空腹についに負けて腰を上げた。
かなり冷めてしまっていたが、こんな時に感じることになった母の暖かさを一口一口に受け、さゆりは無我夢中でそれを口に送った。
ほどよい満腹感に満たされ、ひと息ついたさゆりは、再び机に戻ろうとしたが、自分がどんなネタを作り出し、そしてそれを捨ててきたのかを確認しようと思い、散らばっていたルーズリーフをかき集めた。


日高「ねえお願い、私も一緒に……」
山口「……俺と一緒にいたら、お前が後悔する」
目に涙を浮かべる日高。
日高「どうして? 」
山口は黙ったまま答えない。
日高「少しでもあなたと一緒にいたいの。お願い……」

作ることに集中するあまり、自分が書いたことを覚えていない学者や作家がいるという話を聞いたことがあるが、今の彼女がまさにそれだった。確かスパイの暗躍を描いたネタだったような気がするが、予備知識の希薄さからボツになった……ハズである……
書いた覚えがないうえに、歯の浮くようなセリフの応酬にさゆりは眉をひそめた。
首をかしげながら、彼女は次の紙を見た。

山口「間違いありません、犯人はあなたです」
日高を指差す山口。ざわめき立つ一同。対して、それを予期していたような表情の日高。
日高「……それで? 私が犯人だというのなら、それなりに説明があるんでしょ?」
山口「ええ、まず最初に、緒方さんとその夫人が同時に違う場所で殺害された件からご説明します……」

作り手が犯人を追い込む突破口を作るのを考えていなかったという笑えない理由からボツにした、いわゆる自爆オチで諦めた推理ものである。
いくら活字でとはいえ、こういう物語を作るとなると、本当に人を殺す気で考えなければ、まともな作品は生み出せないことを思い知らされた。
同時に、どこに着眼点を置いて物語を展開させていくかという点についてもいろいろと考えさせられた。これはあらゆる物語についてもそうなのだが、推理ものの場合、どの登場人物の視点で描くかが重要なポイントとなっている。
おおまかに区分するなら、刑事側、犯人側、その他の三パターンに分けられる。
刑事側の場合、これは主に犯人を追う刑事と、それを取り巻く仲間たちを中心に物語が展開する。そのため、犯人や他のあやしい容疑者などは、ここぞという時以外はそれほど矢面に立って動くことはない。
それが、物語が犯人の視点で描かれる場合は、まったく逆の構図を見せる。事件を起こした犯人が、警察に捕まるまいと画策、行動したりするのを前面に押し出すこのパターンは、犯人がどうやって事件を起こしたか、そして犯人は誰なのかという先のパターンにおける醍醐味を逆用し、主役である犯人がどこまで逃げ切れるか、という点に魅力を持たせるパターンである。そのためか、犯人を追う側となる刑事は、どちらかというと顔を見せることは少ない。
もう一つ、刑事でも犯人でもない、主人公がその職業や趣味から事件のカギを見出すという、この頃の二時間ドラマの定番になりつつある、一般人が事件に巻き込まれるというパターンである。これは、刑事側、犯人側もさることながら、主人公の職業などに関して細かな知識を入れておくことが必要となる。
得るものはあっても、それを生かせない自分に腹を立てたのを思い出しながら、さゆりは次の紙へ目を進めた。

病室へ駆け込む山口。
中には数人の人間がいる。日高の両親、兄弟、親戚、友人、そして――。
彼らが取り囲むベッドには、顔に白布をかけられた物言わぬ遺体が一体。
ゆっくりとベッドに歩み寄り、その白布を取り払う山口。
目を閉じているが、ともすれば笑っているようにも見える日高の顔。
膝の力が抜け、床に崩れ落ちる山口。首をうなだれ、呆然となる。
その頬をつたう一筋の涙。

人の死と、それを受け止める周囲の人々。そういう場面を一度演出してみたかった彼女にとって、これまでで一番筆の進んだネタではあった。
しかし、その死んでもらう役の少女が、幼い頃に母を亡くしているのを知っていただけに、当時の苦く悲しい思い出を連想させてしまうのはダメだろうということで、結局ボツにしたものである。
映画というのは妙なもので、たとえ虚構の世界といえど、それを作る時でも見る時でも、過去の思い出が、良いものも悪いものも甦らせる効果がある。そのため、ひとたび大事件や災害が起こった折には、公開予定の映画が延期になったり、それを連想させるシーンの削除などの添削を余儀なくされ、また、テレビで放映される予定の映画が変更になる、ということがしばしば見られる。
さゆりはふと思い立ち、いま考えている物語はそういう点について校正の必要がないか確認することにした。
現在執筆中のネタは、何とか筆が進み、八割がた執筆は終わっている。しかし、終わり方をどうするかで、彼女は二時間近く思い悩んでいた。

●とある川の河川敷
川岸の野原に座り込む山口と日高。
山口「まったく、お前は相変わらず向こう見ずなんだな」
日高「へへへ…ごめんね」
やれやれと首を振りながら、日高の傷口を見る山口。
山口「大したことはねえ、こんなもん放って置いてもすぐに治る。お前の場合は特にな」
日高「何よそれ、ひっかかるじゃない?」
山口「それだけお前は体が丈夫だってこと」
日高「何よ、私だってか弱い女の子なのよ。あんたが助けてくれなかったら、今ごろどうなってた…か……」
だんだん声が小さくなっていく日高。それに気づき、彼女の言わんとすることを察して顔を赤くする山口。
奇妙な沈黙。顔を合わせず同じように川面を見る二人。鳥が夕陽を受けながら飛んでいる。
日高「あの…さ……」
山口「何だよ……」
日高「ありがと……」
山口「……ああ……」
それきり会話が途切れる。

そこからが問題だった。二人にもう一歩踏み込んでもらうか、この曖昧な状態で終わらせるか、さゆりはひたすら悩んでいたのだ。校正が必要な部分は幸いにも見つからなかったが、再加熱し始めた難題に、彼女は再び頭を抱えた。
さゆりとしては、二人をいい関係にしてハッピーエンドで終わらせるのが得策だと考えていたが、それを演じる二人が猛反発する姿が容易に想像できたからである。キスシーンがあればなおのことだ。
しかし、ある意味でさゆりにとってはこれが狙いでもあった。この撮影がきっかけで二人の関係が、あるいはいい方向に進むかもしれない……お節介やきの本領発揮でもあった。
さゆりは、おさげ髪の少年に感心こそすれ、恋心を抱いたことはない。そしてその許婚である少女には、親友としての感情は持つものの、さすがに恋愛的な感情を持ったことはない。
二人が互いに否定しているが、今や二人が互いにとっての絶対的な存在になっていることへの大きな憧れが、なぜかさゆりの中に芽生えていた。だからこそ、二人がケンカをすればその中を取り持つようなお節介をしたり、逆に二人が仲良く歩いていたりすると、そばではやし立てるおじゃま虫になったりもする。自分にいい人がいないだけに、彼女は二人を見守ることで、自分が恋愛を疑似体験しているような気持ちにさえなっているのである。

悩みに悩んでさらに二時間が経った。
やはりこの物語は、明確な答えを出さないほうがいいのかもしれない。さゆりは決断し、筆を手にとった。
二人の関係も、完成予定の脚本も、どこか常に延長戦のような状態だが、この映画制作をきっかけに、延長戦に決着がつけばいいなあと思いながら、彼女は、それよりもまず、この脚本の制作が延長戦にならないようにしなければと思い、最後の詰めに入った。








作者さまより

作者の言い訳的あとがき
……結局何なんだ!?と思われた方、ゴメンナサイ…作者の自己満足です…(土下座) とはいえ、この話の主役、というよりは唯一の登場人物であるさゆりの位置は、我々らんまノベリストのそれと大差ないように作ったつもりです…むしろこれが狙いでもありますが……乱馬とあかね、そのどちらかに憧れる人はもちろん多いと思いますが、それにも増して、二人の絶対的な関係に憧れを抱く人もまた多いと思います。乱あなる言葉が存在しているのが何よりの理由でしょう。それゆえに、らんまノベリストはその関係をいじくりたくなり、そして苦悩するわけです。二人の関係を(というよりは人生を)文章を使って操作する己の姿を何とか表現できないかと思ったのが本作を作るきっかけでした。(その結果がこれかい……!)
二次創作の快楽を脚本執筆に置き換えて展開したこの作品、かなり説明くさい部分もありますが、どうかご容赦ください。


こういう切り口で、作品を仕込むやり方があったんだ・・・と唸った一之瀬です。
さゆりを通して、彼女の脳内に浮かび上がった「乱馬」と「あかね」というカップルの姿。
二次創作者の姿を如実に捉えている作品だと思います。
作中に現れてくる、パロディー的部分などもファンには見逃せません。
らんまファンで知らない方はよもやいらっしゃらないとは思いますが…
日高はあかね役の日高のりこさん、山口は乱馬役の山口勝平さんでございます。

何度か読み返すうちに、私も彼らに脚本を一本・・・などと(笑
この手腕は見事です。
(一之瀬けいこ)



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