◆Fall snow〜初冬の午後〜
Maiさま作


東京に雪が降った。
別段不思議なことではない。東京よりもはるか南の九州でも降積雪が観測されているのだ。東京に雪が降るのも当然とも言える自然現象である。
問題はその時期だった。
暦の上では冬になっているとはいえ、十一月に東京で降雪が観測されるというのは、気象観測史上まれに見る事態だった。しかも、首都圏をピンポイントで狙ったかのように、関東地方でも、東京とその周辺の県にのみ、冬の使者が舞い降りたため、マスコミ各局はこぞってこの雪を報じた。
そして、その冬の使者は、一組のカップルが奏でるラブソングを静かに見つめていた。

「この雪、積もるかな……?」
「さあ、どうだろうな……」
つきあい始めてまだ少しのカップルならば、少女の言葉に対して、少年の方はもっと気の利いた言葉を返すものだろうが、早乙女乱馬は空を見ながらはっきりしない答えを返す。天道あかねも、彼の性格をよく知っているので、そこで余計な反応はしない。
灰色の雲に覆われ、薄暗い空からゆっくりと地面に降りていく雪を見つめる乱馬とあかね。
二人はいま、商店街でかすみに頼まれた夕食の買い物を済ませ、帰り道を歩いているところだった。今日は珍しく買った物の量が多く、あかね一人で荷物を持とうとしたが、とてもではないが一人では持ちきれない量だったため、見かねた乱馬が気を利かせて荷物を持つのを手伝っている。あかねがビニール袋を一つ手に持ち、乱馬が大きな紙袋二つを両脇に抱えている。
目の前の角を曲がれば、家まであと少しだというところで、雪が降り始めたのだ。
雪に対して人が抱くイメージというのは、まさに千差万別だが、あかねはどちらかと言うと、雪は神秘的というよりは幻想的、という優しいイメージを抱いていた。その種類はどうあれ、彼女は雪が舞い降りるのを見ると、雪だるまか、さもなければ妖精が傘を差して降りてくるような絵を連想してしまう。あかねの純粋なところをしっかりと表しているが、乱馬に言わせると、雪という物はやっかいな存在以外の何者でもなかった。
いつだったか、父の玄馬と冬の雪山で山ごもりをしたことがあったが、あの時の寒さと雪のうっとうしさは、まさに筆舌に尽くしがたいものだった。どっさりと降り積もった雪が、山肌を歩く彼の足をことごとく妨害し、風と共に衣服や髪にべたべたと張り付き、それが容赦なく自分の体温を奪っていく。さらにやっかいなのが雪崩だ。その山ごもりの時も、ささいな事から玄馬と大喧嘩になり、その時に生じた大声がもろくなった雪の塊を刺激したのか、せっかく吹雪の中で張ったテントごと、雪の波に押し流されてしまった。
そんな経験がある以上、雪を決してかわいいものとして見ることが、彼にはできなかった。

夕刻も近づき、雪が降り始めたことによって、ただでさえ低い気温が、一気に下降線をたどるように低下していた。
本音を言えば、チャイナ服で一年を過ごせるほど、乱馬も完璧な健康体ではない。今日はさすがの彼も、厚手のジャケットをしっかりと着込んでいた。反対に、先を歩くあかねの方は、こんな天気になるとは思いもよらなかったのか、やや薄手のトレーナーしか着ていなかったため、一気に低くなった空気に思わず身震いをした。
と、あかねは自分がふわりと暖かな空気に包まれたのを感じた。自分の肩にも降る雪が、その暖かさで姿を消してしまったようにも見えた。うしろを振り返ると、ジャケットを脱いでトレーナー一枚という格好になった乱馬の姿があった。
あかねが凍えそうになるのを敏感に感じ取った乱馬の思いやりだった。
彼が着るジャケットを、両脇に抱える荷物を落とさないように器用に肩袖ずつ腕を引き抜き、肩を振るわせ始めるあかねにかぶせたのだ。
優しかった。ジャケットの暖かさも、彼の表情も暖かかった。暖かさと同時に、言いようのない優しさをあかねは感じた。こんな感覚は久しぶりだった。
「乱馬……?」
乱馬の表情に胸を高鳴らせながらあかねは口を開いたが、彼の名を呼ぶくらいしかできなかった。
「これで寒くねえだろ?」
「で、でも……乱馬が……」
彼女の性格からして、やはり乱馬の体の方が心配になってしまう。ジャケットを貸してくれたのはうれしいが、それによって必然的に乱馬の方が寒くなってしまう。
すると、乱馬は鼻をすすらせて笑いながら言った。
「大丈夫だよ、俺の方がしっかりと鍛えてるからな」
乱馬のそんな挑戦的な言葉にカチンとこないほど、今のあかねは彼にうっとりとしていた。
言葉を交わす機会が徐々に増え始め、修学旅行から戻った直後と比べると、会話の回数は確実に増えていたし、その内容も、よそよそしいものから、修学旅行前の日々に交わしていたドタバタな会話となることもあり、周りが称する"いつもの二人"に戻りつつあった。
そして、およそ半年前――修学旅行から戻った直後に、あかねがなびきとのどかに誓った、『自分の気持ちは自分で伝える宣言』を、いろんなことがあって今まで実行できずにいただけに、今しかチャンスはないと、彼女は覚悟を決めたのだが、その前に一つはっきりさせておきたい事があったのを思い出し、あかねは乱馬に話しかけた。
「ねえ、乱馬……」
「ん?」
ジャケットを着る者が交代してから、二人は並んで歩いていたため、乱馬はあかねの呼びかけに首を横に向けた。
「ひとつ、聞きたいことがあるんだけど……」
「どうしたんだ?」
あかねが足を止め、乱馬も同じように足を止める。二人分の足音が止まり、同時に静寂が二人を包んだ。
「私たちって、修学旅行から帰ってしばらくの間、あんまり話をしなかったじゃない?」
その言葉ひとつで、あかねの言わんとすることが分かったのか、乱馬は少し曇ったような表情を見せた。
「……ああ、例の事件のこともあって、正直に言えばあかねと話しづらいこともあったし、ヘタに話し掛けて、いつものようなつまらねえ口喧嘩にでも発展したら、余計にあかねを傷つけると思ったから……」
乱馬がすぐに簡潔な答えを返した事で、あかねは少し拍子抜けしたような気持ちになった。
実はあかねは、乱馬が自分と話をしないのは、なびきやのどかの前でこそ、自分のことを案じてくれていると話したが、もしかしたら、乱馬が自分のことを見限ったのではと危惧していたのも事実だった。もし誰かに乗り換えているとしたら、その後ろめたさにしばしの間黙り込むはずだと思っていた。それだけに、乱馬の言葉はあまりにも予想外だった。
やはり乱馬は自分のことを気遣ってくれていたのだ。
「それに、もしかしたらさゆりやゆかみたいな、女友達と話した方が、あかねらしさが戻るかもしれないと思ったのもある」
「そうなんだ……」
乱馬もあかねもしばしの間口を閉じた。その間も、雪はやむことなく空から降り注いでいる。
どれぐらい押し黙っただろうか、道路や二人の肩や頭がうっすらと白くなっていた。
二人はじっと見つめあったまま動かなかった。
と――
「へっくしょん!」
乱馬のくしゃみに、あかねはきょとんとした顔になった。直後、彼女は声を上げて笑い出した。
「何だよ?」
「やっぱり言わんこっちゃないわね」
「へっ、これくらい何でもねえよっ!」
そう言いながらも、乱馬は鼻をすすりながら意地を張っていた。
「返そうか?このジャケット」
「いいよ、もう家は目の前なんだからよ」
「意地っ張り」
「うるせえっ」
ふんっ、とそっぽを向いた乱馬の片腕に、あかねが笑顔と共に腕を絡めた。これなんだ。自分たちは、今はこれで十分なんだ。他人に何と言われようと構わない。ゆっくりと、しかし確実に、二人で歩を進めればいいんだ……
「ありがと、乱馬……」
何に対しての感謝の言葉か、自分でも分からない。しかしあかねの心は、期待と満足感でいっぱいになっていた。乱馬も、顔を赤くしながら、微笑み返すことでそれに答える。
「さ、早く帰ろう。夕食のおつかいだったことすっかり忘れてた」
「あ、いけね。俺も忘れてた」
あかねの言葉に、乱馬も焦りの表情を見せる。
「親父たち怒ってるかな……」
「かもね。テーブルをひっくり返してたりして」
十分予測できることだけに、二人は逆に笑いをこらえる表情になった。広間を破壊してまわる早雲や玄馬の姿を思い浮かべているのだろう。
音を立てずに舞い降りる白い妖精たちに見守られながら、乱馬とあかねは家へ向かって再び歩き出した。
「でも、ホントに、雪ってきれいね……」
あかねが空を見上げながらつぶやいた。乱馬もつられて空に目を向ける。
「ねえ、乱馬って、雪のことをどう思ってるの?」
「え、どうって言われてもなあ……」
急に聞かれて、乱馬は言葉に詰まった。本心としては、雪に対する恐怖のイメージを言って聞かせたいところだが、さすがにそれは、今のいい雰囲気をぶち壊しかねないため、彼は言葉を選ぶのに手間取った。だが、歯が浮くような言葉しか頭に浮かんでこない。
「やっぱり、純粋なイメージかな」
考えた割には安直で、しかも妙な日本語だった。

突如として夕刻に降り始めた東京の雪は、夜になってもその勢いが衰えることはなく、むしろその降雪量を徐々に増やし、気象庁は、このまま雪が降り続けば、翌日に積雪が確認されるのはもはや確実だろうという見解を出し、都内の主要幹線道路や高速道路などを通るドライバーに、スリップなどに充分注意するよう警戒を促した。
一組のカップルが、一抹のわだかまりを取り払うことができたことに対する空からのプレゼントともとれるが、それにしては少しやりすぎのように見えなくもない。








作者さまより

Fall snowつまり『秋の雪』なんですが、なぜか初冬の午後です。
過去に作った文章作品の中でも一、二を争う甘さになってます……皆様のお目にかなうかどうか……
あえてノーコメントということで……(逃走)



情景のある小説って大好きです。
雪・・・初冬・・・少しだけ素直に・・・。
スローステップで進んでゆく二人の愛情風景・・・。
雪は冷たいのはずなのに、何故か温かさを感じます。
(一之瀬けいこ)



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