◇恋模様帳簿  其の参
マルボロシガーさま作


「しっかりやれよ」
「はい」
乱馬が骨ばった手で沖田を送り出した。
沖田が、おゆきを連れだってその家から出てきたのはおよそ一時間後のことだった。
「お待たせしてすいまへんなあ」
「いえ、構いませんよ」
「父はんがうるそうてかないまへん。あの人、一人で掃除もでけへんのどすえ」
沖田がくすくすと笑った。
「仲庵先生もおゆきさんにかかればただの人だなあ」
「何言うておます」
肩を並べて楽しそうに歩く二人。
時折目を合わせては恥ずかしそうに顔を背けている。
(何でえ、ずいぶんいい感じじゃねえか)
乱馬はこっそりと後をつけていた。
その彼から見ても二人は恋人同然だった。
「沖田はん」
ただ、沖田が思い出したように咳込むことがある。
「大丈夫どすか?お休みせんと」
「このくらい平気です」
そのたびに、沖田は力のない笑みを見せた。
「でも、父はんも沖田はんの顔色が悪いと言うてはりました」
「そのときは疲れてたんですよ」
「いまも悪うおます」
「おゆきさんは医者じゃないからわからないよ」
おゆきが沖田の手をとり、両手で握り締めた。
その感触に沖田の胸が高鳴る。
「うち、心配で心配で・・・」
おゆきが涙目になりながら言った。
「私は元気ですよ」
「ほんまどすか?」
「ええ」
「でも、ちゃんと父はんには診てもろうておくれやす」
「わかりました」
「じゃあ、指きりげんまん」
そう言っておゆきが小指をからめた。
「約束どす。嘘ついたら針千本飲ますさかい」
沖田は心配をかけたくなかった。
おゆきに対してもそうだが、新選組へのその気持ちは大きい。
新選組とともにすることを決めた命なのである。
自分の都合でその決定を取り消すわけにはいかない。
「約束します」
すると、おゆきが沖田に体を傾けた。
「沖田はん・・・」
沖田は、乱馬に言われたようにおゆきを抱きしめた。
「ずっと、一緒にいたい」
はっきりと沖田が言った。
叶わぬ願望だとはわかっていた。
それでも、愛する人への気持ちは抑えられなかった。
(ったく、やせ我慢しやがって)
その一方で乱馬は、素直に気持ちをぶつけあう二人に背中がむずかゆくなる思いがした。


そのころ、土方歳三は塵一つない畳の上に腕組みをして座り続けていた。
その間、顔に止まった蚊を二匹叩き潰した。
「これは、土方先生」
彼の前に一人の初老の男が現れた。
土方は、その切れ長で二重瞼の眼をぎろっと向けた。
男が土方に向かい合って座ると、
「新選組副長、土方歳三と申します」
と辞を低くして土方が言った。
「半井(なからい)仲庵です。先方のご奮迅のほどはかねがね耳にしております」
泣く子も黙る、と言われる新選組の土方を前にしても動じる様子はない。
その堂々とした姿は一介の医者というより大藩の家老といったたたずまいである。
「して、ご用件は?」
回りくどい言い方が嫌いな土方は、訪問の理由を単刀直入に述べた。
それを聞くと、さすがの仲庵も驚きを隠さなかった。
「娘を、ですか?」
「左様。沖田総司に預けていただけぬかと存じております」
「しかし―――」
「もちろん、屯営外で生活することも許可致します」
他人のことなど歯牙にもかけないこの男だが沖田に関しては違う。
江戸の片田舎にあった試衛館道場で出会って以来、弟のように思ってきた。
新選組の中でも、近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎という天然理心流出身の四人は、一枚岩、一蓮托生を誇っていたのである。
加えて、土方は沖田家の事情を知っていたので、なおさら嫁を取らせたがっていた。
「しかし、土方殿」
仲庵が、気がはやっている土方に釘をさした。
「私としては娘を嫁がせるのはまだ早いですし、医者の娘らしく医者の嫁にしたいと思っております。ですから、今日のところはお引取り願いたい」
この医者自身、沖田のことを好青年だと認めていた。
しかし、本心はやはり新選組隊士ということを気にかけていた。
死と隣り合わせにある男に嫁にやるわけにはいかない、というのは当然の親心だろう。
「どうしても、でございますか」
土方が低い声で言った。
「・・・ええ」
「わかりました。この旨、沖田に伝えておきます」
土方は半井家を後にした。
それを見た仲庵は、どっと流れ出た汗をぬぐった。


おゆきが家に戻ると、父親が険しい表情で言った。
「沖田さんと会うてきたんか」
おゆきは控えめに頷いた。
「ちょうどええ。そのことで話があるんや」
そう言っておゆきを座らせたものの、一向に仲庵は話を切り出そうとしない。
山羊髭を触りながら何やら考えている。
(おゆきを納得させるには・・・・・)
彼の頭の中には考えうるあらゆる言葉と、それによって予想される結果が渦巻いていた。
「あの、話って?」
沈黙に耐えかねたおゆきが言った。
「ちょっとな」
「ちょっとって何やのん?はっきり言わんとわからへんわ」
仲庵は一つ息を吸い込んで言った。
「じゃ、はっきり言う。沖田さんは労咳や」
おゆきの顔にさっと翳がさした。
「もう助からへん」
「そんな・・・」
「悪いことは言わん。あの男のことはあきらめや」
「いやや!」
おゆきはだだをこねるようにかぶりを振った。
「そんなん言うても、あとで悲しい思いをするだけやで」
「お父はんの力で沖田はんを治しておくれやす」
「あかん。もう沖田さんはあの世から手招きされとる」
「一生のお願いどす!うち、沖田はんと離れとうない!」
泣きつくようにおゆきが言った。
「あかん」
仲庵は、おゆきから目を逸らした。
わずかにこみ上げる後悔と罪の意識を閉まいこみながら。


「え・・・?」
土方の言葉を聞き沖田は愕然とした。
失望と、事態が一人歩きしていることへの怒りだった。
「なぜそんなことをしたんです」
沖田が土方に詰め寄った。
「おれぁ、お光さんの頼みに従ったまでだよ」
「姉さんの?」
「ああ。お前のことをよろしく、とな」
沖田は、この男の意外なまでの律儀さを恨んだ。
おそらく姉のお光も自分の言った言葉がこのように受け取られるとは予想しなかっただろう。
「だが、医者は新選組がお嫌いのようだ。総司、あきらめろ」
土方がさらりと言ってのけると、沖田は怒りに肩を震わせた。
誤解もはなはだしい。
「そうじゃないんです」
「何が」
「私は、あの娘とはたまに顔を合わせるだけで幸せなんです。なのに――」
「女々しいこと言うな」
「・・・・・」
「もうお前はオンボロ道場の小僧じゃねえ。立派な武士なんだ」
沖田は言葉を飲み込んだ。
代わりに、涙があふれてきた。
(もうおゆきさんに会えない)
そう思うと、目の前が真っ暗になった。


その日の朝、沖田は体の異変に気がついた。
背中に鉛を背負ったように体が重い。
咳がなかなか止まらない。
寒気がする。
「顔色が悪りいぞ、総司」
と土方が声を掛けた。
「そんなことないですよ」
例によって沖田は強がった。
「今日は休むか?」
「いやだなあ、何でもありませんよ。そうそう寝てばかりはいられません」
こうなってはテコでも聞かぬ頑固者である。
そのことを重々承知している土方は、
「わかった」
とだけ言って去って行った。

亥の刻(午後十時)、数名の隊士とともに、沖田は巡察に出た。
すでに街は寝静まっている。
街灯があかるすぎるせいか、月がぼんやりとかすんで見えた。
「妙ですね」
沖田が言った。
「どうしました」
「誰かいる」
そのとき、商家の塀を乗り越えてくる影があるのを一同が認めた。
沖田は隊士に邸外の四方を取り囲むように指示し、自らはその影を追った。
「待て」
男がぎょっとした顔で振り向いた。
その手には大きく膨らんだ包みを持っている。
「新選組である。不審があるから屯所まで同行されよ」
沖田がそう言うと、だっ、と男は駆け出した。
迅い。
が、沖田も負けていない。
京の街を二つの影が駆け抜けた。
しかし、男を追って通りの角を曲がると、そこにいたのは五人の浪人集団だった。
「そこの者」
沖田が問いかけた。
「たった今、賊らしき者が逃げ込んだ。見かけなかったか」
一番図体の大きな男が粘着質な笑いを浮かべながら言った。
「さあな。犬コロと追っかけっこでもしてたんじゃねーのか?」
その大男の陰に見覚えのある姿があった。
「そうか」
と一言呟くと、沖田は不意に刀を抜き、陰の男の羽織袴をあっという間に斬り下げた。
「な、何しやがる!」
裸一貫となった男の懐から盗品があふれ出ている。
あ、と浪人たちの体が凍りついた。
「これでも知らぬと申すか」

乱馬はぼんやりと過ごしていた。
自分の今後や次の日の朝食のことなど、考えることならいくらでもあった。
あるいは、そんなことなど考えずにただ夢の世界に飛ぶこともできた。
にもかかわらず、ふとんを掛けたり蹴飛ばしたり、割れた腹筋を撫でたりすることを半ば生理的に楽しんでいた。
いつからか、彼には楽しみがもう一つ加わった。
それは音楽を聴くこと。
ゆるやかな風の音、風に揺られる草木のさえずり、短い命を燃やす虫の儚い鳴き声・・・。
そして、男たちの嬌声。
「ん?」
乱馬は意識を取り戻した。
正確に言うと、自我を取り戻した。
それまでの彼は自らを自然の一部と化していたのである。
(何だ、ケンカか?)
野次馬気分で乱馬が外へ飛び出した。
こんな行動をするのは彼しかいない。
京の善良な民は、夜中何が起ころうとも犬の遠吠えと思うに越したことはないとわかっているのだ。
「何だこりゃあ・・・」
乱馬の目の先では見慣れない形のケンカが繰り広げられている。
三人目の男が前のめりに倒れ、どす黒いものが道を濡らした。
(あいつ・・・沖田さん?)
確かにその中に沖田はいた。
だが、それは乱馬の知る純情ではにかみ屋の沖田総司とは全くの別人である。
一瞬目が合った気がした。
不意に乱馬は戦慄を覚えた。かすかに震えた足は地面に張り付いてしまっていた。

沖田は、不用意だった。
他の隊士はずっと離れたところにいる。
普段ならこれだけの人数を一人で相手にすることはない。
敵の誘いに乗ってしまった。
三人の血を吸った刀は脂がつき、刃こぼれを起こしている。
何より、体が思うように動かない。鎖の着込みが重くてしょうがない。
しかし、休む間もなく敵は撃ち込んでくる。
沖田は体勢を崩しながらもその太刀を払い、素早く踏み込んで胴を薙いだ。
「てめぇ、沖田総司だな・・・」
最後に残った巨漢の浪人がかすれた声で言った。
「へ、へへへ、でも、こいつはおいしい獲物だぜ・・・」
興奮と恐怖で、男の顔が醜く歪んでいる。
体中から汗が噴き出し、えもいえぬ体臭が周囲に立ち昇っていた。
「うあーっ!」
突如、男が全くの無防備で沖田に突進してきた。
それを軽く――沖田自身はもはや必死になっているのだが――見た目には余裕たっぷりにかわし、脇腹から斬りつけた。
「!?」
ところが、刀が切れなくなっているうえに、脂肪という甲冑をたっぷりとまとっているため致命傷には至らない。
「つ、かまえ、た、ぜ・・・」
男が狂気の表情を浮かべながら刀を掴み、強引に自分の肉から引き抜いた。
瞬間、鮮血が飛び散ったものの、取りも直さずそのまま力まかせに沖田の体を民家の壁に叩き付けた。
男がその反動で刀を奪い、膝でもって叩き折った。
「くっ・・・」
「へへ、こっからは素手のケンカといこうじゃねえか。可愛がってやるよ」
沖田にとって幸いなことは、男が錯乱のあまり脇差の存在を忘れていることだった。
刀身の短い脇差ではうかつに斬りにいっては命取りとなる。
となれば、狙うは突きだ。
沖田は、ありったけの神経をその一撃に集中した。
相手の出に合わせて素早く懐に飛び込み、刀に思いっきり体重を乗せて踏み出す。
その全てが終わり、男は絶命した。

「ふう・・・。」
沖田は汗をぬぐった。
もう立っているのもしんどい。
吐き気がした。
すぐに、吐いた。
血を。
(え・・・・・?)
意識が底に底に沈んでいく。
(私は・・・)
その中で必死に思いを巡らせたが、結論は一つしかなかった。
(死ぬのか・・・?)

「すげえ・・・」
乱馬が文字通りの真剣勝負を見るのは最初で最後だろう。
その生死を賭けた緊張感に引き込まれているのに気づき、乱馬は頭を振った。
(そんなはずねえ。殺し合いに見とれてどうすんだ!)
突然、沖田が膝をつき動かなくなった。
(どうした?)
そこに、倒れていた黒い影がよろよろと地を這って沖田に近づいていく。
手には刀が握られている。
(危ねえ!)
ようやく乱馬の体が動いた。
血も、恐怖も、全て忘れてまっしぐらに駆けて行く。
そして、すんでのところで影の横っ面に蹴りを放った。
男は昏倒した。
「はぁ、はぁ、危なかったぜ・・・」
だが、沖田がその出来事に気づく様子はない。
「沖田さん?」
乱馬がその表情を覗き込む。
「おい、大丈夫か!しっかりしろ!」
沖田は吐血したまま気を失っていた。
(くそっ!どうすりゃ・・・。どっか病院は・・・)
咄嗟に乱馬は思い当たった。
「よし、もうちょっと辛抱してくれよ!」
そう言って沖田を抱え上げると、乱馬は慎重かつ出来る限りのスピードで走った。


「おい、誰か来るぞ」
一人の新選組隊士が仲間に告げた。
「シッポを出しやがったな、盗っ人め」
しかし、その前に現れたのはチャイナ服の少年と、その手に抱えられた彼らの隊長だった。
「沖田先生!」
「貴様、どういうことだ!」
今にも襲いかかってきそうな男たちに、乱馬はそれ以上の剣幕で叫んだ。
「うるせえ!今はそれどころじゃねーんだよ!おれは早くこいつを医者に連れてかなきゃならねえんだ!どけ!」
「お前、強盗では・・・」
「知るか!それより、あっちにまだ生きてるやつがいるから助けてやれ!」
隊士たちはまだ不審に思いながらもこの非常事態である。
納得せざるを得ない。
「わかった。だが、お前一人に沖田先生を任せるわけにはいかん。俺が同伴しよう」
「勝手にしろ」
一刻を争う。乱馬とその隊士は急ぎに急いだ。


「開けてくれ!」
乱馬が突き破らんばかりに半井家の門を叩いている。
数分後、まだ夢うつつの仲庵が外に出た。
我が眠りを妨げる者は役人だろうが将軍だろうが追い返すのみ、といった様子である。
そして、門扉を開けた。
「なんだ、こんな時間に―――」
ところが、一瞬にして彼の目は覚めてしまった。
「沖田さん?」
乱馬が初対面の男に言った。
「頼む、この人を助けてやってくれ!」
仲庵は沖田とこの少年が結びつかなかったのだが、新選組の男が一緒にいたことから、おそらくこれでも隊士の一人なのだろうと思った。
「入りなさい」

一同が家に入ると、おゆきが蒼白な顔で駆け寄った。
彼女の目に、口もとから胸にかけて紅く染めた男の姿が映った。
「沖田はん・・・」
そのあと一転、顔をクシャクシャにして父親にすがりついた。
「お父はん!お願いどす!沖田はんを助けておくれやす!」
「ああ、そのつもりや」
「沖田はん、生きて・・・生きておくれやす・・・」
乱馬も同じ気持ちだ。
つまり、そう信じることしかできなかった。




つづく





息尽かさずここまで読ませていただきました。
う〜む。好きこそって良く言った言葉ですね。見事です!!
感動ついでに、要らぬ おまけ です・・・他意はありません・・・
本当はイメージ描き起こしたいんですが・・時間が(涙
(一之瀬けいこ


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