◇恋模様帳簿  其の弐 
マルボロシガーさま作


翌日。
非番の沖田が朝から出かけようとするのを土方が呼び止めた。
「どこへ行く、総司」
沖田が振り向くと、
「女のところか?」
と土方が言った。
「違いますよ。いつもの散歩です」
沖田は身振りを加えながら否定した。
そのまま出て行こうとすると、
「待てよ」
と語気を強めて土方が言った。
「何か?」
「聞きたいことがある」
「はあ」
「お前、嫁を貰う気はねえか?」
思いもよらない質問に、沖田はしばし絶句した。
土方の表情は真剣そのものである。
「昨日から考えてたんだよ。どうだ?」
「いえ、考えたこともないです」
「好いてるんじゃねえのか?あの娘のこと」
沖田は、まいったな、という表情を見せた。
もちろん、「いいえ」などとは言えない。
この場しのぎの嘘だとしても、誠実な彼はそんな言葉を吐いた自分を許さないだろう。
しかし、正直に「好きだ」と言ったら土方がどんなにはやし立てるかわからない。
結果、沖田の口から出た言葉は曖昧なものだった。
「さあ、どうでしょうね」
そう言うと、逃げるように早足で去って行った。
土方は今度は無言でそれを見送った。
沖田の性格を知り尽くしている彼にとって、その思考を想像することはさして難しいことではない。
土方はその答えに確信を持っている。
ふと、土方が暦をめくった。
今日は大安吉日なり。


一方、こちらは未来からやってきて初めての朝を迎えた乱馬。
彼を叩き起こすことが朝の日課になっているあかねがいないためか、すでに太陽は中天に近づいていた。
この世界では夏も盛りである。たっぷりと寝汗をかいた乱馬は宿のそばにある小さな滝口で汗を流すことにした。
「ひゃあ、冷てっ」
などと言いつつも、乱馬は自然の爽快感を満喫していた。
と、そこに、見覚えのある男が宿に近づいてきた。沖田である。
それに気づいた乱馬が、
「おーい」
と手を振りながら声をかけた。
ところが、彼は乱馬を見るなり顔を真っ赤にしてそそくさと宿へ入っていった。
「あら・・・」
それもそのはず、上半身裸の女らんまとなっていたのである。
少しの間自慢のナイスバディーにうっとりしたあと、
「しまったな・・・。まあ、見られたもんはしょうがねえか」
と、らんまは呟いた。


宿に戻ると、沖田が店主と何事か話している。
「おい、俺に何か用か?」
そう言ってらんまが割って入ると、沖田が大慌てで弁解を始めた。
「さっ、先程は失礼致しました。決して悪気は・・・」
「そうじゃなくて、何か用かって聞いてんだよ」
沖田はこの言葉遣いの荒い少女をキョトンとした顔で見て、言った。
「あの、私はここに泊まっていらっしゃった方に会いにきたんです。でも、もう出て行かれたようですね」
するとらんまが、話し相手を取られて押し黙っている店主に向かって、
「おっさん、お湯ある?」
と聞いた。
突然何を言い出すのか、とその脂の浮いた中年男は思ったものだが、とりあえずお茶の入った急須を手渡した。
「サンキュ」
らんまが沖田の手を引っ張った。
「こっち来い」
二人は部屋に入り、らんまが障子戸をしっかりと閉じた。
「驚くだろうけど、あんまり大騒ぎしないでくれよ」
そう言うと、らんまは頭からお湯、もといお茶をかぶった。
そのとき、沖田は赤の他人の少女が知り合いの少年に姿を変えるのを目の当たりにした。
「さ、早乙女君?」
「その通り。びっくりした?」
びっくりしたどころではない。
沖田は目をこすった。
次に、幻覚を見るほど自分の体はおかしくなっているのか、と思った。
が、そうではなかった。これは現実だ。
「信じられない」
「初めて見た人はみんなそう言う」
乱馬を見ているうちに、なんだか沖田は可笑しくなってきた。
女と男が入れ替わるなんて、こんな愉快な話はない。
「何笑ってんだよ」
「いやあ、何だか狐みたいな人だなあ、って」
沖田はケラケラと笑い出した。
それが止んだところで、沖田が乱馬に聞いた。
「じゃあ、ひょっとして未来から来たというのも本当なんですか?」
「ああ」
「凄いなあ・・・。未来はこんなに進んでるのか」
「・・・いや、こんな奴はたぶん俺くらいしかいないだろうけど・・・。こっちが本当の俺なんだよ」
「あ、そうなんですか」
ところが、ここで沖田は重大なことに気づいた。
乱馬が未来から来たのであれば、新選組の行く末を知っているかもしれない、と思ったのである。
幸か不幸か、乱馬に関してはそれは杞憂だった。
それに、沖田自身もそれを問いただす気にはならなかった。

「で、さっきの続きだけど、何しにきたんだ?あんた」
と乱馬が言うと、沖田は、
「早乙女君が退屈してるかもしれないと思いましてね」
と、とってつけたような返事をした。
本当はたまたま立ち寄っただけなのだ。
「てことは、あんたも暇なんだろ」
「はは、実はそうなんですよ。今日は非番ですから」
乱馬がニヤっとして言った。
「それなら、俺なんかのところに来るよりも昨日の娘とデートでもすりゃあいいじゃねえか」
「デ、デエトって?」
「逢引だよ、逢引」
沖田の顔がかあっと上気した。
彼の考える「逢引」は乱馬の言う「デート」よりも深い意味があるようだ。
「で、できませんよ。そんなこと」
動揺する沖田を乱馬が楽しそうにながめている。
そして、
「俺が思うに、沖田さん、あんた女が苦手だろ」
と言った。
「だって、さっき女のおれが手を繋いだら震えっぱなしだったもんな、あんた」
乱馬の言うことは紛れもなく、事実だった。
育ての親でもある姉のお光がいたとはいえ、沖田は小さい頃から男衆の中で生活してきたため、女と接する機会がなかった。
と、言えば嘘になる。
今でも、新選組隊士には特定の女性がいるというのがほとんどなのだ。
実際のところは、彼自身、女に興味がなかったのだろう。
おゆきに会うまでは。
「それは・・・」
さすがに沖田も、先ほど目にしたまばゆい裸体を想像してしまったから、とは言えない。
だんだん悔しさがこみ上げてきた。
明らかに年下の少年からこんなことを言われるのは、男として恥だと思った。
「なんなら、俺が女の扱い方を教えてやろうか?」
乱馬が自信ありげに言った。
「いえ、構いません」
「遠慮すんなって。その方が彼女も喜ぶぜ?」
「・・・・・」
沖田は迷った。
どちらかというと彼は饒舌なほうであるが、おゆきの前ではうまく舌が回らない。
彼女が困ったような顔をすることもあった。
その表情を思い出した沖田は、自責の念のようなものにかられた。
だから、この提案を受けるのは決して邪な理由じゃない、と心に叩き込むことにした。
「それでは」
「ん?」
「ご指導願います」

「まず、女ってもんはな」
乱馬が知ったふうな顔で語り出した。
「素直じゃなくて、かわいげがなくて、ちょっとおだてりゃつけあがる、そういうもんだ」
「そ、そうなんですか?」
偏見もいいところである。
聞いているのが沖田だから口を挟めないでいるが。
「中には、凶暴でどうしようもなく不器用なやつもいる」
乱馬の中で、該当者はただ一人。
「それに、しつこくてまるで遠慮ってもんを知らねえやつも」
これは、例の三人娘のことを言っているのだろう。
なんのことはない。
乱馬は身の回りの女たちの性質を「女性」という概念に置き換えて喋っているだけなのだ。
バカにされても仕方がない。
だが、人の好い沖田は、この詭弁ともいうべき乱馬の言葉をすっかり鵜呑みにしてしまった。
彼にとって、女性とは神聖な存在だった。
その幻想が崩れかけている。
「しかし、早乙女君」
沖田が願望をこめて言った。
「きみの言うような人ばかりが世の中にいるわけじゃないでしょう?」
むしろ、彼の言い分のほうが常識的である。
それでも乱馬は、
「いや、どこの女も同じようなもんだ」
と言って自説を曲げようとしない。
「そうですか・・・」
沖田は黙りこくってしまった。
ここで、乱馬が恋愛に対する考えの浅はかさをますます露呈した。
「そこで、だ。相手が素直じゃないならこっちも素直にならない。これに限るぜ」
「はあ?」
「目には目を、ってやつだ」
乱馬は完全に自分のことを話していた。
沖田にしてみれば、どうしてその方法がいいのかさっぱりわからない。
それを理解する間を与えず(と言っても理解のしようもないのだが)、乱馬が、
「それじゃあ、そろそろ実践練習といくか」
と言って立ち上がった。
「それはどういう・・・」
「まあ、待ってなって」
そう言うと乱馬は部屋を後にした。

数分後、赤髪の女の子となってらんまが戻ってきた。
「よーし、やるか!」
「あの、いったい何を?」
「そうだな、まずは手を繋ぐことからだな」
そう言ってらんまが沖田の手を握ると、やはりビクッと反応した。
正体が男だとわかっているにもかかわらず、である。一種の条件反射になっているのだろう。
「俺を彼女だと思うんだ」
そう思うと、沖田はますます緊張した。
(小さくて、かわいらしくて・・・やわらかい・・・)
きっとおゆきもこうなんだろうか、と想像した。
「慣れてきたか?」
「え、ええ」
とは言ったものの、その手はまだうっすらと汗ばんでいる。
「じゃあ、次だ」
と言ってらんまが沖田に体を寄せる。
「えっ?」
女性特有の艶やかな香りを沖田は感じた。
「かーっ!何ボーッとしてんだよ!」
「す、すいません」
「こうやんだよ!こう!」
らんまが羽織の後ろから手を回した。
その手が短いため、らんまの胸が沖田の体に触れてしまう。
(うわっ・・・)
その柔らかさは手とはまた比較にならない。
沖田は、体がむずむずしてきた。
「わかったか?」
半ば呆然としながら沖田は首を縦に振った。
「それじゃ、今度は俺を抱きしめてみろ」
「・・・・・」
「早く」
「あの・・・。これは未来では当たり前のことなんですか?」
「ああ」
傍から見れば、らんまがこんなことを言っても何の説得力もない。
未だにろくにあかねとそんな場面になることはないのだ。
すると、沖田は眉を寄せて言った。
「駄目ですよ」
「何がだよ」
「病気が移ります」
「いいよ、風邪くらい」
沖田にしてみれば、この恥ずかしさから抜け出す最大の口実だったのだが、らんまは少しも気にする様子はない。
だからと言って、自分の病状を大っぴらにすることもできない。
仕方なくらんまに従うことにした。
「・・・では、失礼します」
ご丁寧にそう言うと、そっとらんまの体を包んだ。
「おい、もうちょっと力こめてもいいぜ」
「はい」
「そうそう」
しばらくしてらんまが訊ねた。
「あんたの恋人の名前、何だったっけ?」
恋人、という響きに抵抗を感じながら
「お、おゆきさんです」
と沖田が小さく言った。
「そうか、じゃあこう言うんだ」
らんまが抱き合ったまま沖田を見つめた。
「おゆき、愛してるぜ」
その直後の沖田の顔は、マグマが吹き上げたように真っ赤になった。
「言えませんよ!そんな!」
「なーに。要するに肝心なのはここだよ」
らんまが沖田の胸を叩いた。
「・・・」
「まあ、ここまでしろとは言わねえけど。大丈夫、見た感じあの娘も沖田さんのことが好きみたいだったぜ?」
らんまのセリフに根拠はない。
それでも、他人からそう言われると沖田の心は騒いだ。
「これでキスまで行ければ完璧だけど、ま、あんたには早いか」
などと偉そうにらんまがのたまう。
「よし、それじゃあ行くとするか!」
「え?どこへ?」
らんまが意味ありげな笑みを浮かべて言った。

「鉄は熱いうちに打て、って言うだろ?」




つづく



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