◇FIGHT FOR YOUR LIGHT   その4
ケイさま作


「なぁ、俺は正しいことをしてるのかな」
削夜は煙草の煙を吸い込むと、そう呟いた。
すっかり枯れた草の上に座り込み、空を見上げた。呆れるくらい真っ青な空に雲が流れている。
削夜の眼前には、小さな石積みがあり、そこに朽ち果てた黒帯が一本、置かれていた。
「なぁ、どうなんだよ。哭竜寺を飛び出して、もう二年も経っちまった。でも、俺は何一つ学んでない」
石積みも、朽ち果てた黒帯も何一つ答えなかった。
「最近、思うんだよ。生き延びるべきだったのは多分、俺じゃない。おまえだよ。俺はおまえほど、強くない」
哭竜寺から程近い草原で、小さな墓を前に、削夜はまだ空を眺め続けていた。
「ふん。おまえなりの墓参りか?」
背後から、低い声が響いた。
「・・なんだよジジイ、いつからいたんだ。俺はあんたに用は無い。ここにも来て欲しくはないな。・・今すぐ消えてくれ」
背後にいたのは兵藤老だった。その後ろに、共の修行者が二人。
だが、兵藤老は削夜の言葉が聞こえないように歩き、小さな墓の前に火のついた線香の束を置いた。
「彼の本当の墓は、ここじゃない。そこにも顔を出してやるんじゃな」
兵藤老がそう言うと、枯れ草の平原に風が吹きぬけ、線香の煙が柔らかになびいた。
「俺は二度と、寺に帰るつもりはない。あいつの墓はここだ。俺にとってはね」
削夜はそう言うと、煙草に火をつけた。
「乱馬君は、哭竜洞で行に入った。それを言いに来ただけじゃよ」
削夜は、思い切り煙草を吸うと、ゆっくりと煙を吐き出した。
「・・糸引いてたのはあんたかよ。何がしたいんだ?」
「なに、ふぬけた馬鹿のやられるところが見たいだけじゃよ」
削夜は、煙草を思いきり空に向かって投げつけた。すっかり弱くなった陽光の中を、ゆるゆると煙草が宙を舞った。
「ふざけるなよ、ジジイ!」
削夜はいきり立ち、兵藤老の胸倉を思い切り掴み上げた。
「貴様!師範に何をする!」
共の修行者が削夜に掴みかかった。
「うるせえ!邪魔だ!」
削夜は、一人の袖を掴むと、思い切り前に引き、腰に乗せ上げ放り投げた。柔道の「払い腰」である。
枯れ草に叩き付けられた修行者はうめき声を上げた。
「削夜っ!師範の孫だろうと、それ以上の狼藉は許されんぞ!」
「うるせえ!それ以上ふざけたこと言ってんじゃねえ!」
削夜はそう吼えると、突き出された修行者の拳を軽々と避け、顔に手の指から甲を打ち当てた。「目打ち」である。
修行者は目へのダメージに一瞬たじろいだ。その時にはもう、その顎に掌平打ちが見舞われていた。
修行者は悲鳴一つ上げる間も無く、枯れ草の中に倒れ込んだ。
「ふん、柔道と少林寺拳法の技か。随分と、自分を嫌いになったもんじゃの」
「ああ、そうだ。俺は二度と哭竜の技を使わない。殺し合いの技なんてもう沢山だ。俺はこれでも十分強くなれる」
「それが、おまえの二年間の成果か。ふん、そんなもんじゃろうな」
兵藤老と、削夜の間の空気が変わった。
削夜と兵藤老の間の距離は徐々に縮まり、お互い手を延ばせば届く距離まで近づいた。
「俺はもう、アンタに習うことは一つも無い。消えてくれ」
「ほう、その程度の技で口だけは達者じゃの」
ガリっという、削夜の歯をかみ締める音が響いた。
「けいッ!」
声とともに、削夜の右拳が前に思い切り突き出された。打ち出す前は手の平を天に向け、捻りこむように突き出す、空手の「正拳」である。
だが、その拳は空を切り、削夜の視界から兵藤老の姿は忽然と消えた。
「ほいさァ!」
「なっ?」
削夜の視界がぐるりと一回転した。
削夜の身体は空に放り出され、地面に叩き付けられた。
「ほっ。辛うじて受身取りおったか。なんじゃ、弱くなっとるわ」
「・・・・やってやるぜ、ジジイ。ケリつけてやる」
痛む身体を押し上げ、削夜は立ちあがり、右手を前に突き出し、軽く開いた両手を交差させるように構えた。
「ほほっ。デカい口たたきよるわ。半人前が」
兵藤老は、にやりとした笑みを浮かべると、悠然と構えを取った。
「師範!おやめください!削夜もだ!抑えろ!」
先ほど投げとばされた修行者が、何とか起き上がると二人の間に割って入った。
「師範!そのような事をなさりに来たのではないでしょう!」
「ほっほっほ。そうじゃったわ。削夜。乱馬君との戦いの場は、今から半月後、哭竜寺に変更になった。逃げるでないぞ」
削夜の顔が強張った。
「俺は二度とあの寺の敷居はまたがない。それならば俺は行かないだけだ」
「おまえには来なければならない理由がある。「彼」の遺言状があるからだ」
修行者はそう言うと、倒れ付したままのもう一人を揺り起こした。
「あいつの?」
「そうじゃよ。おまえは葬儀にも出なかったから知らんかったじゃろうがな。欲しければ、乱馬君に勝つことじゃ」
「・・・解った。だが、乱馬君と俺では試合にすらならない。ちょっと稽古つけて終わりだ」
「ふん、まあいいじゃろ。それだけじゃ」
そう言うと、兵藤老は踵を返し、共の二人と共に消えていった。
「あいつの遺言状・・。」
そうつぶやくと、削夜はふう、と息をつき、煙草に火を灯した。


 「師範、本当に、削夜は弱くなっているのですか?正直な話、削夜が寺にいたころは、私でも稽古の相手くらいは務まりました。しかし、さきほどの削夜には私は手も足もでませんでした。」
修行者の一人が兵藤老に尋ねた。
「弱くなんかなっとりゃせんよ。あいつはそうでもしなきゃかかってこんだろう。見てみい、コレを」
そういうと、兵藤老は、真っ白な髪の生え際を指差した。
「これは、先ほどの突き・・ですか?」
そこには、真っ直ぐに切れた小さな傷口があり、少しではあるが血が噴出していた。
「かすめたんじゃろうな。かわしたと思ったんじゃが。しかも、あいつは本気など出しとらんよ。本人は本気のつもりかもしれんがな」
「・・・。確かに。幾ら強がっても、削夜に師範を本気で打つことは出来ないでしょうね」
「おまえ達も、じゃよ。怪我させぬよう、動きだけを止められたんじゃ」
修行者達は黙り込んだ。彼らとて、自分の強さには人並み以上の自負があるのだ。
そもそも、哭竜寺には、強くなければ入山を許されない。そこにいる修行者達は、須らくして何かを極めた人間達なのだ。
「だが、あいつは精神的にあまりに未熟じゃ。それを鍛え直したいんじゃよ」
「・・私には解りませんよ。ただ、私が稽古不足だってことくらいしか」
修行者はうなだれたまま、そう答えた。
「気を落とすな。人には強くなる素質の差はある。しかし、極めるということはまた別なんじゃよ」
「・・・はい」
「明日で三日じゃな。」
兵藤老は空を眺めながらそう呟いた。
「たいしたものですよ。乱馬君は。この寺でも数えるほどしか完遂者を出していないあの行を、越えてしまいそうです」
「うむ・・・さて、これからが本番じゃの」
そう呟くと、兵藤老は哭竜寺への歩みを続けた。



 「乱馬君、三日じゃ。よく耐えた」
洞窟の風鳴りの音の中、兵藤老の声が響いた。
乱馬は洞窟の暗闇の中、禅を組み、闇の中に溶け込んでいた。
「・・・良し!もう三日か!」
乱馬は目を見開くと、そう叫んだ。
「ゆっくりと立ち上がって出て来るんじゃな。食事の用意もある」
「おう!わかったぜジイサン」
立ち上がろうとして、乱馬はよろけた。しかし、身体の奥底に不思議な力が漲っていた。
 乱馬は初めて哭竜寺に来た時と同じ部屋に通され、目の前に三分粥の乗った膳が出された。
「なんだ、食事ってこれだけかよ」
「いきなり食べても戻すだけじゃよ。ゆっくりと衰弱した身体を癒すことじゃな」
「まあいいや。腹減ってるから何でも旨いぜ」
そう言うと、乱馬はあっと言う間に粥をかきこんだ。
「さて、修行はどうじゃった?」
兵藤老は顔をほころばせてそう尋ねた。
「ああ、やっぱしんどかったぜ。それでもなんだろうな、何時間位かしてからだな。頭から余計な考えや恐怖がすっ飛んでって、空腹も暗闇も気にならなくなったよ」
兵藤老は、ゆっくりと一つ咳払いをすると
「大した、大したものじゃよ。それが禅の境地じゃ。その心の持ちようを忘れるでないぞ」
と感慨深げに言った。
「ああ、それで、もう技を教えてくれるんだよな?」
乱馬は身を乗り出して、兵藤老に詰め寄った。
「うむ。しかし、技とはまた違うのじゃがな。これから組み手をしよう。あと半月程。削夜より強くなってもらう。修行は厳しいぞ」
「望むところだぜ!・・あ、そうだ。その前に一つ聞きたいことがあるんだ」
兵藤老はふう、と息をつくと、首をこきりと鳴らした。
「削夜との関係、というとこじゃな?」
「そうだ」
乱馬は毅然とした面持ちで答えた。
「何か釈然としねえんだ。オヤジが急にここを紹介したことと言い、削夜が急にうちを訪ねて来た事といい」
「ふむ・・・どこから話したものかのう」
兵藤老はそう呟くと、話を続けた。
「まず、削夜はわしの孫じゃ。そしてこの寺の正当な後継者でもある」
「なるほど。まぁ、その辺りまでは予想ついてたけどな」
「うむ、だが、あやつはこの寺を出て行き、その技の全てを捨てようとしておる」
そう言うと、兵藤老はまた一つ大きく息をついた。
「何故?この寺の格闘術はかなり高いレベルだ。何故それを捨てるんだ?」
「この寺には、正当伝承者を決めるしきたりがあるんじゃよ」
「しきたり?」
「この寺では、後継者を決める時期になると、弟子の中から最も優れた男と、この寺の血筋の者の中で最も優れた者が試合うのじゃよ」
「ふうん。それがどう関係あるんだ?」
「まぁ、聞いとくれ。その時の、血筋の者の代表はもちろんあやつ。削夜じゃった。それともう一人、こちらも素晴らしい使い手が弟子の中から選ばれた」
懐かしげに兵藤老は続けた。
「その試合は凄まじい試合じゃった。その時削夜は若干十六歳。君と同じ歳じゃ。そして、皮肉なことに、その相手も十六じゃった」
「やっぱ、大した奴なんだな、削夜は」
「うむ。そして、削夜は負けた」
「え?削夜が正当伝承者だってジイサン言ってなかったか?」
「うむ。削夜は正当伝承者には違いない。何故なら、その試合に勝った男は直後に死んだからじゃ」
「・・・。」
乱馬は黙り込んだ。格闘技にはつきものと言ってもいいことだ。
しかし、まだ乱馬にはその事態に直面した経験は無かった。
「我が流派は実践性を重んじる流派じゃ。だから、他の格闘技では消えていった、危険な技が数多く残されておる。そして、正当伝承者を決める戦いではその全ての使用が許される」
兵藤老は続けた。
「一発じゃ。試合も終わりに近づいて、二人に色濃く疲労が見え始めた頃、踵落しの隙をついて、削夜の一本拳(指一本分の拳で相手を打つ技)が彼の首筋に決まった。乾いた音じゃった。確実に終わったと誰もが思った。しかし、彼は倒れなった。その攻撃の隙に削夜に一撃を叩き込んだ。そして、削夜が先に倒れた。彼も倒れた。そして、もう起き上がらなかった」
「・・・。そんな事があったのか」
「わしは、削夜と全力で戦える相手を探していたんじゃ。削夜の今の状態はただの怯えじゃ。武道家にとって、これは宿命ともいえることじゃ。もう一度、全力の闘いと通して、何かを感じて欲しいんじゃよ」
乱馬は閉じていた目を見開くと、
「そうか。でも、俺には関係の無いことみたいだな。俺は、全力で削夜を倒す。俺にも失えないものがある。それだけだ」
と言った。
「うむ。それでいいんじゃよ。君にとっても価値のある戦いになる筈じゃ」
「ああ、親父もきっとそう思ったんだろうな。俺は勝つ。絶対に失えない。」
「削夜にその全てのぶつけてやってくれ。・・頼むぞ・・乱馬君」
「ああ!さあ技を教えてくれ!ジイサン!」
「うむ!」

決戦の日は刻一刻と近づいていた。
すっかり山も街も冬の様相を呈す中、二人の武道家の戦いは今、まさに始まろうとしていた。





つづく




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