◇FIGHT FOR YOUR  RIGHT その2
ケイさま作



歓声と怒声が入り混じった空間の中、二人の男が闘っていた。

二人とも白の道着を身に纏い、互いに一歩も引かぬ闘いを繰り広げていた。
一人の男は百九十はあろうかという細身な長身の男。そしてもう一人は長身の男よりは一回り小さいが、
体格では一歩勝る。この男こそ、後に乱馬に災厄を運ぶ事になる男、兵藤削夜。このとき十六歳。
長身の男がその長い脚を利して踵落としを放った。巨大な斧が振りかぶさるような蹴りが削夜を襲う。
だが、削夜はその蹴りをギリギリのところで受け交わし、反撃に転じた。
削夜の野獣性が無意識に反応する。

鍛え上げられた身体は思考よりも速く、最適の反撃を実行した。
幼いときから身体に染み込まされてきた技。

何かが砕けるような嫌な音が試合場一面に響き渡った。

そして辺りの観衆までもが水を打ったように静まった。
長身の男は倒れ伏し、数刻の後、二度と目覚める事の無い眠りに就いた。





削夜は強く閉じていた目を見開いた。窓から差し込む夕暮れの光が天道道場を朱く染めている。
「ふぅ・・・。やなこと思い出しちまったな・・。」
道場の片隅で、削夜は煙草に火を灯した。深く煙を吸い込み、吐き出す。
不愉快な記憶の奔流を吐き出すかのように。
「よお、削夜君。煙草は体によくないよ。」
「・・!待ってましたよ玄馬さん・・。あんなもんでよかったんすか?」
唐突に現れた玄馬に驚く風もなく、削夜は応えた。
「ああ。ありがとう削夜君。・・でどうだったかね?乱馬と戦ってみた感想は。」
「はぁ・・。才能は素晴らしいと思いますよ。身体能力の点では乱馬君は俺なんかが及びもつかないものをもってます。・・ただ・・。」
「ただ?」
怪訝な顔で玄馬が聞き返す
「才能・・。というか身体能力に頼りすぎですね。精神面での修養が足りない。だから非常に動きが読みやすいです。まあ安心して「稽古をつけられる」レベルですね。」
「ふむ・・。精神修養か・・。耳の痛い話ではあるな。・・・もっともそのために君を呼んだんだがね。」
「はぁ・・。こんなもんで精神修養になりますかね?」
削夜は長くなった煙草の灰を携帯灰皿に落とした。
「まあ、一度思いっきり負けたのもいい薬には違いないが・・。まだ足りんな。」
「はあ・・・。そりゃまたどういうことで?」
削夜は玄馬の思惑を図りかね、訊き返した。
「・・ギリギリの一線に追い込んで初めて見えるものもあるってことだよ。」
「・・・そりゃあそうでしょうが。俺を呼びだしたのと何の関わりが?」
「・・・君と乱馬にもう一度闘ってもらうということだ。ただし、今度は本気でね。」
玄馬の言葉と共に、削夜の表情が一変した。先ほどまでの穏やかな笑みは影をひそめ、代わりに深い怒りと困惑の色が浮かび始めた。
「・・・冗談は止めてくださいよ・・。玄馬さん。」
「なにが冗談なんだね?愛息子であり愛弟子の乱馬が道場破りに敗れたらその再戦を申し込むのは父として、師匠として当然のことだろう?」
「玄馬さんは「一度だけ、手加減して稽古をつける」って約束で俺を呼んだはずです。・・そんな無茶な話は通りませんよ。」
削夜はすっかりフィルターだけになった煙草を思い切り揉み消した。
「玄馬さんだってしってるでしょう?「あのこと」は。俺は真剣勝負は二度としない。道場破りのマネゴトだってこれっきりです。」
「・・逃げるのかね?」
「・・・そうとっていただいても結構です。」
先ほどまでとは打って変わった凍てつくような声で削夜が言い放った。
「ならば、君の師匠に報告するまでだ。」
「・・!!師匠は関係ないでしょう!!」
削夜は口調こそ穏やかだが、表情は今にも玄馬に掴みかからんばかりである。
「関係無いことはないだろう?弟子が勝負を挑まれた相手から逃げ出したんだ・・。」
「はぁ・・・。卑怯ですね。玄馬さん。」
削夜は諦めたように一息ついた。
「まあ、乱馬君では当分は俺と「真剣勝負」の域へは達しないでしょう。次も軽く稽古つけてやりますよ。」
「そうかな?まあ、ムシのいい話だが頼むよ。」
「・・・日時は?」
「一月後だ。」
「そうですか。」
そういうと削夜は煙草に火を灯した。
「若いモン・・格闘家が煙草なんか吸っちゃイカンな。」
「こればっかはね・・。やめろっていわれましてもね。まあ乱馬君に俺が負けるようなことがあったらヤメますよ。・・・それじゃ。」
そういうと削夜は足早に道場から出て行った。
「さて・・。これから一月が乱馬にとっちゃ試練だな・・。」
すっかり闇に覆われた道場の中、玄馬がポツリと呟いた。





「いてててて・・・。」
打たれた身体をさすりながら乱馬が布団から起き上がった。見渡すと見慣れた寝室が目に入った。
(・・・おれ・・どうしたんだっけ?)
とにかく体中が痛い。
「あっ、乱馬目を覚ましたの?」
扉をガラリと開けて入ってきたのはあかねだった。
「・・ああ。」
すこしずつ記憶が戻り始めた。そうだ。やられたんだ。
「身体、大丈夫?」
「ああ。まだ痛えけどな。」
そういって乱馬はむくっと立ち上がった。
「あてて・・。まだ体中がグキグキいってら・・」
全身を動かしてみてダメージを確認する。幸い打撲だけで骨や腱にダメージはないようだ。
「そうそう。目を覚ましたら玄馬おじさまが道場に来るように言ってたわよ・・。」
「ちっ・・。なんか言われそうだな・・。」
不機嫌に乱馬は言った。
「ねえ、乱馬・・。削夜って言ったっけ・・。あの人・・強いの?」
「ああ・・・。嫌になるほどな。」
乱馬はそう言いのこすと、道場へ向かった。
(全然・・。勝負にならなかったな。)
あの闘いを思い返す。あの勝負は乱馬の自信を自負心を木っ端微塵に砕いた。
生まれてこの方格闘と名の付くものには負けた事がない・・。
いや、たとえ一度敗れたとしても、次は必ず勝利する。そんな自信があった。だが・・。
(勝てそうも・・ねえな。)
考えはそこに辿り着いた。
自分と削夜は何かが違う。圧倒的な違い。それは強さだけではないのかもしれない。
得たいの知れない壁。
「はぁ・・。」
玄馬の用件はわかっている。
「再戦」だ。それ以外にはあり得ない。一介の道場破りに負けるなど、あの負けず嫌いな性格からして許せるはずが無い。
もっとも、その負けず嫌いは乱馬も同じ、いやそれ以上のはずなのだが・・。

     『怖い』

たった一つ、乱馬の心を支配する感情。
闘技者の心に決して棲まわせてはならない魔物。それが乱馬の心には棲みついてしまった。
恐怖と言う魔物ははその姿を欠片ほどでも瞳に映すと、際限ない早さで膨張する。視界の全てを覆うほどに。
「くっ・・。」
乱馬は立ち止まった。
「ちょっと、どうしたの?」
「えっ?」
乱馬はぎょっとした。自分の後ろにあかねがいたのだ。どうやら気配に気づけなかったらしい。
「どうしたってのよ、急に立ち止まって・・。」
「いや、おまえこそどうしたんだよ?」
「あたしも呼ばれてるの。おじさまに。どうしたのかしらね・・。」
乱馬は応えなかった。ただ、猛烈な悪寒が身体を突き抜けていくように感じた。きっと悪い知らせは近い。

道場に入った乱馬とあかねを重苦しい空気が出迎えた。
早雲と玄馬が正座している正面に、乱馬とあかねは並んで座る。
「さて、乱馬。話はわかっているな?」
重苦しい沈黙が支配する中、最初に口を開いたのは玄馬だった。
「ああ・・。」
「おまえも分かっていると思うが、無差別格闘流を名乗るものが道場破りに敗れる事。それは流派の断絶を意味する。
例え、修行の延長上の闘いであったとしてもだ。」
玄馬は続けた。
「あの試合は公的な意味合いを持つものではない。しかし、無差別格闘早乙女流の歴史にお前が敗北の泥を塗ったのは確かだ。」
「・・・。」
乱馬は一言も発しなかった。
「・・・だが、おまえに今、用があるのはわしじゃない。・・天道君だ。」
その言葉に呼応し、押し黙っていた早雲が口を開いた。
「早乙女乱馬君。・・・君に訊きたいことがある。」
「・・・はい。」
乱馬が小さく応えた。
「君は私の道場・・。天道道場を継ぐ約束なのはわかっているね。」
「はい。」
「もちろんこれは、私と早乙女君がむかし約束した、君とあかねの許婚の約束のことだ。・・勿論わかっているね?」
「・・・・はい。」
「だが、昨日の削夜君との試合を見て私は不安を感じた。乱馬君、君が道場を継ぐということは、無差別格闘流の発展のために尽力するということだ。
・・そして、武道の本質はたった一つ。「強さ」だ。その点で君には不安がある。」
「・・・。」
「極論してしまえば、昨日の闘いを見る限り、後継者には君よりも削夜君のほうが相応しい・・ということだ。」
「それは・・。」
「勿論削夜君を後継者にするわけではない。・・だが、そう簡単に他流派の人間に負けるような男を後継者に据えることが出来ないのもまた事実だ。」
一息もつかずに早雲は言い放った。
「よってこの結論は再試合にてつけようと思う。もしも乱馬君がこの試合に敗れるようなことがあれば、道場の件も、あかねとの許婚の件も全て白紙に戻す。
異論はないね。」
「ちょっとまってお父さん!!そんなにそっちの都合だけで勝手に約束したり取りやめたりいい加減にしてよ!!」
「あかね、黙りなさい。」
かつてない強い調子で早雲が言った。今まで見たことがない父の表情にあかねは黙り込む。
「再戦は一月後の正午より執り行う。・・・異論はないね。」
「・・・わかりました。」
たった一つ小さく乱馬が答えた。
道場の外を一陣の冷たい風が吹きつけた。すでに街には長く厳しい冬が訪れている。



つづく




Copyright c Jyusendo 2000-2005. All rights reserved.