◇告白   (後編)
かさねさま作


 三、一線


「ちょっ、ちょっと…!一体何する気なのよっ!」

 あかねが驚くのは無理なかった。…この俺だって、半ば驚いてるんだ。
 俺が向かったのは台場駅近くにあったホテルだった。

 中世ヨーロッパのでっかい屋敷を思わせる円形のだだっ広いロビー。照明のシャンデリアがオフホワイト系色で統一されたロビーを上品に仕上げていた。床と、ロビーを囲うように立っている支柱は大理石で出来ているのか、ぴかぴかに磨かれてある。吹き抜けになった円形の天井が一層雰囲気を演出していた。
 いつものチャイナ服だったら、間違いなく追い返されていただろうな。まだ「普通」の格好をしていたから良かったものの、それでも俺たちが学生に見えたことでフロントのねーちゃんは訝しげな目を俺たちに向けていた。しかも、俺の隣には無理やり連れて来られましたと言わんばかりのあかねがいたんだから。

 俺は、ダブルの部屋を借りるとキーをもらい、あかねを引き摺るようにして部屋へと連れて行った。そして、部屋に入ったかと思うといきなりあかねをベッドの上に倒した。
「ちょっ…!な、何すんのよっ!」
 あかねの上に被さり、手足を押さえ込む。あかねは必死に抵抗してみせるが、俺の力には敵わない。
「ら、乱馬!!離し…!」
 口でも抵抗を試みる。だが、俺の言葉がそれを遮った。

「俺が、何とも思ってねーって言うのか?!」

 あかねの体がビクンとする。俺の大きな声にびっくりしたのかもしれねえ。あいつの抵抗が少し弱まった。

「何年もあかねを一人にして…、俺が何とも思わねーって言うのかよっ!!」

 本心だった。
 自分の気持ちは伝えるつもりだったが、こんなみっともねー気持ちまで出すつもりじゃなかった。
 だけど、あかねの言葉を聞いていたら、居ても立ってもいられなくなっちまったんだ。
「…俺がいなくて不安だって言うなら…」

「誰が不安だなんて言ったのよ!」

 この跳ねっ返り娘は、あれだけ感情を剥き出しにぶつけてきたにも拘らず、素直に認めようとはしない。
「…不安じゃ、ねーのかよ…」
 わざとトーンを落とし、あいつの心の中を探るように言う。そんな俺の作戦があかねの本心をうまい具合に刺激したようだった。

「…あんよ…」
「あ?」
「…不安よ…!!」

 そう言い放つと、マシュマロのような頬を膨らませ、プイッと横を向いた。俺はその横顔にくすっと笑うと、右手でぐいっと正面を向かせる。

「…じゃ、不安じゃなくさせてやるよ」

 そう言っておきながら、俺自身、驚いていた。
(俺は一体、何を口走ってるんだろう…)
 だんだん、理性の部分で考えていた意図がどこかへ行ってしまうような気がした。決して呑まれるまいと必死に避けてきたある感情の蟻地獄へずるずると落ちていくようだった。

「え…?」
 俺の言っている意味が分かったのか、あかねの顔が一瞬強張る。

「…嫌か?」
 瞳の奥を覗く。
 潤んだ二つの瞳が俺をじっと見つめていた。

(やめてくれ、あかね。そんな瞳で俺を見つめるんじゃねー…)
 なんとか理性と欲望の間で戦っていると、あかねはすっと目を閉じた。そして再び瞼を開けると、こう言った。

「…いや…じゃ、ない…」

「!」

(…あかね…、本気か?)

 左手をあかねから離し、優しくその前髪に触れた。
「本当に…いいんだな…?」
 これは俺自身に投げかけた言葉だったかもしれねえ。
 あかねの解き放たれた右手が、俺の左肩へ垂れたおさげへと伸びてきた。そして、その先をぎゅっと掴む。

「…うん…」
 コクンと頷き、あかねは瞳を閉じた。

(このまま…)

 自分の中から怒涛のように押し流されてくる感情を止められずにいた。
 俺だって、本当はこんなことをするつもりじゃなかった。ただ、聞き分けのないあかねをなんとか説得させようと思っただけだったんだ。
 でも、ミイラ取りがミイラになっちまった。
 
 おさげを掴んだあかねの右手を、俺は左手でそっと握り、静かに枕の横へと置いた。二つの手が指を交互に絡ませるようにゆっくりと重なり合う。
 そして。
 自分の唇を、ほんのり桜色の紅を差した濡れた唇に近付けていった。

 ドクン、ドクン、ドクン・・・
  
 自分の心臓の音がはっきりと聞こえる。あかねにも聞こえちまってるかもしれねえ。

 俺を誘うあかねの優しくて甘い香り。
 渦巻く己の感情に溺れ、もう理性なんてものはどこかに消え失せかけていた。


「?!」


 もう止められない。そう思った時だった。

 あかねの手が…、俺の左手に重ね合わせた小さな手が、微かに、震えていた。

(あかね…)

 爆走しかけた俺を止めるには、それで十分だった。

 あいつの体をそっと解放してやる。
「乱…馬…?」
 ぎゅっと瞳を閉じていたあかねはそっと瞼を開け、不思議そうに俺を見上げる。

「バーカ!」
 見上げた目がきょとんとする。

「無理してんじゃねえ。…ったく、お前はいつだって無茶ばっかすんだからよー。ほっんと目が離せねーよっ」

「なっ!無理なんて…!」
 そう言って、あかねは勢いよく起き上がった。
「だから、それが無理してるっつーの!」
 あかねのおでこを軽く小突く。
 すると、その大きな目から、これまた大粒の水滴がぽろぽろと流れ出してきた。

「おっ、おいっっ」
 
 それこそ優しく肩を抱いて『僕の胸でお泣き』とでも言ってやればいいのだけれど、あいつの涙の前に俺はどうしていいやら分からなくなる。両手のやり場に困っていると、あかねは自分の頭をコツンと俺の胸に預けてきた。
「あ、あかね…?」

「…ごめんなさい…」

 弱々しい声が、俺の心の奥深くを痛くしていく。
「ばっ、ばかっっ!おめーが謝ってどーすんだっ!おっ、俺が、その…なんだ、お、押し倒しちまったんだから…!」
 今更ながら自分の取った行動に照れてしまう。

「ぷっ」

 俺の胸に沈めていた顔をふいっと離し、あかねは吹き出した。
「わ、笑うなっっ!だいたいなー、こーんな色気のねー女なんか本気で襲うわけねーだろっっ」
 お決まりの台詞を吐いてみる。
「色気がなくて悪かったわねっっ」
 あかねは枕を投げ反撃に出る。ボスッとあかねの投げた枕が俺の顔面にヒットした。
「やりやがったな!」
 俺もクッションやら枕やらで応戦する。
「きゃー!ちょっと、やめてよっ」
「へんっ、仕返しだ!」
「やったわね〜!負けないんだからっ」

 傍から見たらきっとすごい光景なんだろうな。
 ちょっとした高級ホテルの一室で、若い男女が枕とクッションの投げ合い合戦をしてるんだからよ。

 おい、あかね…
 俺たち二人ともどこか変なのかもしれねーな。
 喧嘩してるっていうのに、お前も俺も笑っていやがる。
 楽しくってしょーがねーって感じで、笑ってる…

 この二人の距離が、いい。
 俺とお前。
 もう暫く、このまま…。


「お前、ベッド使えよ。俺はソファ使うからよ」
 気付いた時には、とっくに終電の時間は過ぎていた。ここに来ちまったことで、タクシー代もなかった俺たちは取り敢えずこのまま泊まるしかなかった。
「え…、いっ、いいわよ。そんなの悪いじゃない」
 一体、何が悪いんだか…。
「ん?じゃ、何か?一緒のベッドで寝るか?どーなっても知らねーぞ」
 意地悪く言ってみせる。
「な゛っ!ケダモノ!」
 おいっ、『ケダモノ』呼ばわりとはずいぶんひでーじゃねーか。その『ケダモノ』をその気にさせたのはどこのどいつでいっ。
「だったら、ぐだぐだ言わず、そっちで寝ろ」
 相変わらずの横柄なものの言い方に反撃してくるかと思ったが、
「…ありがと」
 やけにあっさり引き下がった。しかも、素直だ。
「…変な気、起こさないでよねっ」
 と付け足しもしっかり忘れなかったが。
「バーカ!安心して寝ろっ」
 そう言うと、俺はばふっとタオルケットを掛け、ソファにその身を沈めた。


 とは言ったものの…

(ね゛む゛れ゛ね゛ー…)

 あんなことがあった後じゃ、尚更意識しちまう。
(う゛っ…蛇の生殺し…)
 俺が必死に羊の数を数えていると、あかねの気持ち良さそうな寝息が聞こえてきた。
(んにゃろー…、本当に寝てやがるっ)
 いつかのことを思い出し、俺はソファから起きあがると、あかねの眠るベッドへ忍び足で近付いた。
 ギシ・・・
 あかねを起こさぬよう、そっとベッドの脇に腰掛け、お姫様の寝顔を覗き込む。

 スースースー…

 静かで規則正しい寝息。
(ぷっ)
 完全に寝に入っている。
 こいつは、俺のことを信用し切っているか、はたまた、男として見ていないのか…。まぁ、さっきの反応からして、一応「男」とは見てるよーだが。
(しっかし、まぁ…)
 気持ち良さそうに寝てること。

 そんなあかねの寝顔を見ているうちに、俺はある衝動に駆られ始めた。

(このまま、こいつをどこか自分だけの場所に閉じ込めておきてーな…)

 誰にも邪魔されない、俺だけの場所へ…。
 誰にもこの安らかな眠りを犯せない秘密の場所へ…。
 自分だけが、いつでもこの寝顔を見守ることができるように…

(あの時…)

 あかねを自分のものにしちまうことなんてきっと簡単にできただろう。その気になっていたら、力づくで…。
 あの震える小さな手がなかったら、俺はあのままこいつをめちゃくちゃに傷つけていたんだろうな。今まで押し殺していた感情と欲望を留める術を知らない俺は、その荒れ狂う思いのままあかねにぶつけていたに違いない。

 でも…

 そっとあかねの頬に触れ、指を滑らせた。
 柔らかで温かなあかねの頬が気持ちいい。
 頬から伝わる体温の優しさが、触れた指を通して俺の体に浸透していく。


「大切にしたいんだ…、おめーのことは…」


 いつかきちんと自分自身をコントロールできるようになったら、その時は…

「…っ///」
(なっ、何、考えてんだっ、俺は!)

 ものすごい勢いで顔が上気していく。
「さっ、寝るぞ、寝るぞ!」
 そう自分に言い聞かせ、両頬をパンッパンッと叩くとソファへと潜り込んだ。


 …ゆっくりお休み。
 大切な、大切な、ボクのお姫様…


 そして、俺もそっと瞼を閉じた。
 …もちろん、一睡もすることができず、翌日の俺の顔は至極最悪なものになっていたのだけれども。



 四、贈る言葉


 朝靄のかかる住宅街を俺たちは微妙な距離を保ちながら歩いていた。
 結局、家には連絡を入れることができず、「無断外泊」となってしまった俺たち。いくら家族公認の許婚同士とはいえ、さすがにそれはまずい。俺は例の如く一睡もできず朝を迎えていたが、あかねもずいぶん早くに目を覚ました。やはり家族が寝ているうちに家に戻ろうと考えていたらしい。

 家の前の通りに出る角でお互い顔を見合わせ、頷いた。帰宅大計画開始の合図。
 角を曲がり、家の正面玄関が見えてくる。
 だが、正面から家に入ろうなどと愚かなことは考えていない。
 家の前を足早に通り過ぎ、道場近くの塀から入り込む。そして、あかねの部屋の方へ回り込み、部屋の窓から入る。俺はそこから自分の部屋へ戻る。
 完璧な計画だぜっ。

「よし、あかね、俺の手に掴まれ」
 先に塀に上がり、上からあかねの手を引っ張る。別に、あかねを抱えて塀を飛び越えることもできたが、できればあかねとの密着は避けたかった。あいつからも妙なよそよそしさを感じてた。
「ほっ」
 あかねは俺の手を掴み、そのまま塀の上へ。
「ありが…」
 俺にそう言いかけて、あかねの顔が真っ青になった。

(まっ、まさか…)

 俺の背中に一筋の冷たい汗が流れる。
 塀の内側を見たまま固まってしまったあかね。そして、俺の背中に感じるいくつもの視線。

(間違いねー…)

 俺はゆっくり振り返った。

「あかねっ、乱馬君っ」
「これ、乱馬!」
「乱馬、あかねちゃん。あなたたち…」
「駄目よ、二人とも…」
「あらあら、二人で朝帰り?」

「み、みんな…」
 あかねがやっと口を開く。
「起きて…たん…だ…」
 俺が言葉を繋いだ。

 一瞬の沈黙。
 そして…

「マンマミーヤ!!」
「我が息子ながらでかしたぞ!」
「男らしいわっ、乱馬っ」
「まだ、結婚前なのに…」
「ついにね〜」

 ズルッ
 この家族は一体…

「ちっ、ちっ、違ーうっっっ!!!」
「そっ、そうよ!!!あたしたち、何にもないわよーっっっ!!!」

 塀の上で必死に否定する。
 両腕、顔などを思いっ切り振り、全身で訴えるが、この家族は見ちゃいないし、聞いちゃいねえ。

「いやいや、これでうちの道場も安泰、安泰!」
「これでめでたく祝言があげられるなぁ〜、乱馬!」
 おめでたいのはおやじたちのほうだっ。
「できちゃった婚が今流行りなんでしょ?」
 お、おふくろ!なんつーことを!
「既成事実が先だなんて…」
 ち、違うんだっ!かすみさんっ!
「あんたちの仲が確定しちゃったら、商売もやりにくくなるわね」
 なびき〜!てめーってやつは…!

「「本当〜に、違うんだってばぁーっっっ!!!」」

 日曜の早朝。
 まだ眠りに就く静かな住宅街に、俺たちの声が空しく響いた。



 その日一日俺たちに異様なまでの視線が注がれっぱなしだったというのは言うまでもない。俺はそんな視線から逃れるように、夕食をさっさと済ませると道場へ向かった。家族の探るような視線からも逃げたかったが、あかねの近くにいることからも逃げたかったのかもしれねえ。あいつの側にいるとどうしても昨日のことを思い出しちまって、とても普通にしいてられる自信がなかった。
 しかし。
 同じ武道家ってのは恐ろしい。それとも俺たちの思考が似てるんだろうか。

「乱馬も稽古?」

 俺が一汗かいていると胴着を来たあかねが入り口に立っていた。
「…ああ。ちょっと体動かしたくなってな」
 今一番話し辛い相手。視線をなるべく合わせないように答える。
「あたしも一緒に…いい?」
 俺の素っ気ない態度が気になったのか、少し躊躇いがちに入ってきた。
 だが、可愛らしいあかねはそこまでだった。

「てやーっ!」
 気合の叫びと共にあかねの一直線な蹴りが飛んでくる。
「甘い…!」
 俺はそれを簡単にかわす。
「たーっ!」
 横に動いた俺に振り向くと、瞬時に真っ直ぐな突きを出してきた。
「どこ、狙ってんだ…よ!」
 俺は素早く身を屈めると、両手を床につき、下から一気に蹴り上げる。
「はっ!」
 だが、あかねもなかなかやるもので、後方へ宙返りをし、俺の蹴りをかわす。

 俺は珍しく真剣にあかねと手合わせをしていた。
 どうしてかは分からないが、何故だかそうしなければならないような気がした。
 あかねはいつもと同じように真剣に俺に向かってくる。
 でも、何かが違う。

「「はっ!」」
 お互い同時に飛んだ。空中でぶつかり合い、視線と視線がかち合う。

(…あかね?)

 あかねの瞳の奥が揺れている。
 けれども、俺の目の奥を真っ直ぐと見つめてくる。

 お互いの技で跳ね返り、距離を置いて着地する。そして、また空中へと飛んだ。
 ドスッ
 あかねの蹴りと俺の腕がぶつかる。
「あか…」
「乱馬っ」
 俺が呼び掛けた名は、あかねの呼んだ名に掻き消された。
 ストン…
 二人同時に着地し、少し離れた位置で正面に構える。
 だが、あかねからは闘気が消えていた。

「あかね…?」
 もう一度その名を呼んだ。
「乱馬」
 あかねも俺の名を呼ぶ。そしてにっこり笑うと、こう続けた。

「いってらっしゃい」

(――――!)

「…あ」
 何か言おうと口を開けかけた時、あかねがゆっくりこちらへ歩んできた。
 目の前に来て俺をじっと見つめる。真っ直ぐな瞳に釘付けになり、俺はもう何も言えなくなっていた。
 そして、あかねがすうっと軽く息を吸い込む音が聞こえたかと思うと、最高の笑顔を俺に見せ、

「乱馬、気をつけていってらっしゃい」

 そう言った。
 それは、昨日俺が言った告白の「答え」だった。

「…待ってて…くれるのか?」
 情けねーが、声が少し震えてる。
 俺の気持ちを察したのか、あかねはまた飛び切りの笑顔を見せる。

「待ってるわ。…だって、あたしも…」
 そう言いかけて、頬を桃色に染める。
「…あたし、も?」
 その続きが気になった。

「…あたしも乱馬のこと、…大切に思ってるから」

「!!」

(あの時の…!!)

 すぐに昨夜の情景が頭に浮かんだ。
 そう…、あかねが寝ていると思ってたから言えた俺のキモチ。
「おっ、おめー…!あの時、起きて…?!」

「だーって、乱馬があたしの頬に触るんだもん」

(げっ!)

 今度は俺の顔が真っ赤になり、頭の上から蒸気がもくもくと出てきた。俺の頭はパニックに陥り、周りの景色がぐるぐると回り出す。
(お、俺、あの時何言ったっけ…)
 と、目の前にあったはずのあかねの顔が、突然天井となり、そのまま一気に落ちていく感覚がした。

 ドスンッ

(いってーっっ!)

「一本!」
 あかねの嬉しそうな声が上から聞こえた。
 くらくらする頭を押さえながらなんとか体を起こすと、いきなり床に打ちつけられた俺をくすくすと笑うあかねがいた。
「てめーっ!汚ねーぞ!」
 大外刈りを不意打ちで食らった俺。
「昨日のお返しだもん」
「うぐっ」
 それを言われると、何も言えなくなってしまう。確かに、昨日は俺が悪かったよな…。

 でも。

「ほら、立てる?」
 俺を起こそうと、あかねが右手を差し伸べてきた。

「きゃあ!」

 あかねの行為を無にするかのように、差し出された右手を掴むと一気に自分のほうへ引き寄せた。結果、あかねは俺の懐へ倒れこんだ態勢になる。
「昨日は、別にな〜んにもなかったよな?」
「な゛っ!何しようって言うのよ!」
 俺の腕の中で真っ赤になりながらバタバタと暴れ出す。
 一気に形勢逆転!
 へんっ!俺は勝つまで、ぜってー諦めねーんだっっ!

 俺はすっとあかねを見据える。
 あかねも俺の様子に気がついたのか、手足をばたつかせるのを止め、おとなしくなる。
 絡み合う視線と視線。互いの瞳の奥に吸い込まれていく。

 俺は洒落たことも言えねーし、おまけに不器用過ぎて素直に自分の気持ちを言うのにも一苦労だ。
 だが、ほしいもんはほしい。
 あかねと出逢った頃の俺は16で、全くもってガキだったけど、二年も経てば多少は変わるもんさ。
 だから、これくらいはいいよな…。

「あかね…」
 愛しい女(ひと)の名をこの上ない想いで呼ぶ。

「乱馬…」
 彼女が呼ぶ俺の名。甘酸っぱい思いでいっぱいになる。

 何年も離れてるんだ。他の虫が寄り付かないように、お前は俺のもんだっていうまじない、掛けてもいいよな。
 …その唇に。

 あかねがそっと目を閉じる。
 俺もそっと目を閉じた。
 これから訪れる甘く切ない瞬間(とき)を待つために…


 バッターンッッ


 二人の距離があと1センチに縮まったところで、俺もあかねも固まった。

 ぷち、ぷち、ぷち、ぷち…

 俺とあかねの頭に数多の怒りマークが現れる。
 そして…、

「「いい加減に…」」

「しろーっっっ!!!」
「してよーっっっ!!!」

 道場の入り口が壊され、積み重なった家族の姿。
「君がパンダになんかなってるからだよ、早乙女君!」
「パフォ〜!(そんな〜!)」
「もうちょっとだったのにね…」
「残念だわ…」
「せっかくのシャッターチャンスだったのに」

 ったく…、毎回毎回このオチかよ。
 冗談じゃねーぞっ!
 俺の青春、返せーっっ!

(ん?)
 怒りで震える俺の拳に何か暖かいものが触れた気がした。
「あかね?」
 微笑むあかねが手を添えていた。そして、俺にこっそりと耳打ちをする。

「また今度デートした時に、ね」

 そう言ってはにかむと、軽い足取りで道場を後にした。
(かっ、かわいーとこあるじゃねーか…)
 俺の顔はほんのりと熱くなっていく。

 まっ、いっか。修行の旅に出るまでまだ暫くあるわけだし。
 焦るこたーねえ。
 ゆっくり歩いていけばいいよな、俺たちのペースでさ。
 大事にしたいんだ、俺の気持ちも、あかねの気持ちも。
 そして二人の関係も。

「ふ〜ん、今度のデートねぇ」
「乱馬君!頑張れ〜!」
「アポ〜、アポ〜!(フレー!フレー!)」
「その時には頑張るのよ、乱馬」
「あかねをよろしくね」

 ぴきっ

(この環境じゃ、進むもんも進まねー…)

「…もう、これ以上…、邪魔すんなーっっっ!!!」

 俺の叫びが、天道家、いや町内中に響き渡った。



 なぁ、あかね。
 本当はその零れる笑顔をいつでも見ていたいのに、不器用な俺はいつもお前を怒らせちまう。
 本当は優しい言葉の一つでもかけてやりたいのに、天邪鬼な俺はいつもお前を悲しませちまう。
 でも、あかね。
 信じて待っててくれよな。
 大事な大事な俺の宝物だから。
 どこにいても、どんな時でも、
 大切にするって誓うよ、あかね。
 だから、待っててくれよな、
 俺が本当の意味でお前を守れるようになるその時まで。

 まだ面と向かってなんて言えねーが、今は俺の中で誓うよ。
 常しえの愛を…








 秋月空さまはこの作品からHNを「かさね」さまと改名されました。
 松尾芭蕉の『奥の細道』の「かさねとは八重撫子なるべし」の一句からとられた名前だそうです。
 国文履修生でありながら、俳句は未踏分野の私(苦笑・・・俳句関係の知識は皆無に近いです(涙
 近世文学が専門じゃなかったのかって?中世から近世の間の説話文学が専門だったもんで(汗
 『奥の細道』も原文じゃ読んでいません。あはは・・・。暴露。

 それはさておき・・・ハンドルネームが変わって心機一転。
 この作品、あかねを抱けたのに抱かなかった乱馬の心情がとっても切なくて・・・それでいて彼の愛情の深さが如実に表れていて、好きです。
 なもので、無理矢理、移転記念に貰い下げました。(邪悪)
 素敵な乱あ作品ありがとうございました。
(一之瀬けいこ)


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