◇嗚呼、麗しの君の髪
  第三話、サロン初体験

かさねさま作


  駅前の通り沿いにその美容院はあった。
  ガラス張りの店の前に立ち、じっと中を睨みつける。
 「よ〜し、ここだな?」
  扉を開ける前から、カラーリング剤やパーマの薬品など美容院特有の匂いがする。
 「けっ!こんなちゃらちゃらしたとこ、よく行けるぜっ」
  と悪態をついてみるが、ちゃらちゃらした格好のらんまには説得力がない。
  超ミニのボディコンに身を包み、しっかりと化粧を施している。
 「ふん!軟派な野郎はこの俺様が成敗してくれるぜ!」
  鼻息荒く、入り口の扉を開けた。

 「「「「いらっしゃいませ〜」」」」
  店内のスタッフ全員がらんまに振り向き、笑顔で迎える。
 「えっ、あ、あの…、予約した早乙女…乱、乱子ですけど…」
  先ほどの勢いはいずこへ消えたのか、一瞬怯む。
 「天道あかね様のお知り合いの方ですね」
  受付の女性がにこやかに話し掛ける。
 「え、ええ、まぁ…」
 「只今、担当の者が参りますので、こちらでお待ちください」
 「え、あ、はい…」
  訳の分からぬまま、受付の前にあるソファへと座らせられる。
 
 (担当者…ってことは田辺の野郎だな)
  訳が分からないなりにも、あかねの担当者のことだけはしっかりと頭の中に入っていた。
  田辺を待っている間、店内を見渡す。
  白いタイル張りの床と壁。ライトが反射していっそう店内を明るくする。シャンプー台の前の壁からは静かに水が流れ続け、その水を受けるタイル張りの水槽には植物らしきものが浮かんでいた。
  と、奥から一人の男性が現れた。

 (あいつか…?)

 「こんにちは。あかねちゃんのお友達?」

 (『あかねちゃん』だとぉ〜!馴れ馴れしい野郎だぜっ)

  いかにも美容師というような風貌の男性。
  格闘の「か」の字も無縁そうなその男を、上から下までじろじろと眺める。髪を茶色に染め、全身黒でまとめた服装。その服のラインから、華奢な体が覗える。
  自分とは全く違ったタイプの男の出現に、乱馬の男としての自尊心が納得いかないようだった。
 (なんでぇ、あかねのやつ。こんなひ弱そうな野郎がいいのかよ)
 「え、えっと…」
  田辺はらんまの敵意剥き出しの眼差しにたじろいでいた。

 「あたし、早乙女乱子でぇ〜す!あかねちゃんのお友達なのぉ〜」

  田辺に悟られまいと、らんまはぶりっ子を装う。
 「そ、そうなんだ。え、えっと、今日はカットでいいのかな?」
  らんまの豹変ぶりにも一瞬尻込んだ田辺だったが、すぐさまプロの顔へと戻る。
 「え?え〜っと、そ、そうですぅ〜」
  今度はらんまが戸惑う。
 「どのくらいカットする?と、その前におさげを解いてもらってもいい?」
 「え、あ、は〜い」
  らんまがゴムを外すと、田辺は解いた髪を手で梳き、髪の状態を見る。
 「あかねちゃんも綺麗な髪してるけど、乱子ちゃんも健康的でいい髪だね」
 (けっ!あったりめーだ!…ていうか、こいつ、あかねにもこうやって髪の毛触ってんのかよ)
  本来ならば、触っただけで髪の状態が分かるプロの目に感心するところだが、乱馬の場合、先入観が邪魔していた。
  田辺にとってはあくまで仕事上の動作にしか過ぎなかったが、乱馬にはどうしても田辺が下心でやってるとしか思えなかったのだ。
 「シャンプーはどうする?」
 「え、え〜っと…お、お願いするわぁ」
  美容院のことなど全く無知ならんまは、されるがまま、なすがまま。
 「じゃ、これに袖通してくれる?」
  田辺は薄いスモックのようなものをらんまに着せる。
 「じゃ、ちょっと他のスタッフに洗ってもらうから。ごめんね」
  そう言うとさっきまで担当していた客の方へ戻っていった。
 (ふ〜ん、掛け持ちでやるほど忙しいのか…)
  途中になっていた客のほうへ戻る田辺を横目で見ると、らんまはシャンプー台のほうへ案内された。
  しかし、シャンプー台にある思わぬ落とし穴にらんまはまだ気付いていなかった。

 「今日初めてなの?」
 「え、ええ、まぁ…」
  やけに馴れ馴れしく話し掛けてくる男に苛々しながらも、適当に話を合わせる。
 「大学生?この時間に来るんだから社会人じゃないよなぁ」
  ただでさえルックスのいいらんまである。それが、体のラインを強調するような服装に加え化粧までしているのだから、普通の男だったらイチコロである。
 (ったく、うぜぇな…)
  そうこうしていると、椅子が横になり、顔に布が被せられた。
 (な、なんなんだ、一体…)
  これからシャンプーをされるというのは分かっていたが、慣れないために一々驚いてしまう。
  と、そこでらんまはやっと落とし穴に気付いた。

 (ん?待てよ…。シャンプーするってことは…)
  勢いよく出るシャワーの音が頭上で聞こえる。

 「や、やべぇ!!」

  がばっと起き上がり、間一髪でお湯を免れた。
 「え?え?え?…あれ?」
  驚いたのは髪を洗おうとした男性スタッフである。
  はっと我に返るらんま。
 「おほほほほほほ!ごめんなさぁい。あたしぃ、お湯って駄目なのよぉ。いつもお水で頭洗ってるのぉ。ほらぁ、その方が頭もすっきりするしぃ、気持ちいいでしょぉ?」
  苦し紛れのいい訳を並べる。しかし…
 「ね?お水でやっていただけるかしらぁ?」
  お得意の色仕掛けで、
 「は、はい…」
  お手の物である。

  真水はさすがに冷たかったが、人に頭を洗ってもらうのは確かに気持ちが良かった。
 「どこか痒いところはない?」
  とか、
 「どこか洗い足りないところはない?」
  などとわざわざ聞かれるのは面倒臭かったが、横になって全身の力を抜いていると、まるで頭のマッサージでも受けているような感覚にさえ陥る。
 (なびきの言ったことも満更嘘じゃねーな…)
  椅子に身を沈め、ほんの少し寛いでいると、再びシャワーの音が聞こえた。今度は泡立ったシャンプーを洗い流すようだった。
  と、その時、

 (ひっ!)

  らんまの首筋に男性スタッフの指が当たり、思わず脇腹がビクンと動く。
 「あ、ごめんね」
 (な゛、な゛、な゛…、なんだぁ〜!)

  わざとではないにしても、らんまはこの状況が気に食わなかった。
  たとえ女性のスタッフがいたとしても、どこの馬の骨だか分からない野郎があかねの首筋を触るかもしれないということが何故だか許せなかった。


  シャンプーが終わると、次は作業台へと移された。いよいよ本命との対峙。
 「やっぱり、なかなか帰ってこなかったね」
  らんまが椅子に座ると、田辺は開口一番にこう言った。
 「やっぱり?」
 「かわいい子だとね、なかなか帰ってこないんだよ。逆に、女の子のスタッフがかっこいい男の子なんか担当しちゃうと、やっぱりシャンプーの時間がやけに長いんだ」
  ああそういうことか、と納得したが、
 「あかねちゃんも、僕以外のスッタフがシャンプーを担当しちゃうとなかなか帰ってこないけどね」
  ピシッ
  田辺の言葉で頭の血管が一本切れた。

 (やっぱり、許せねー…)

 「僕以外ってことは、あんたは違うのかよ」
  ぶりっ子のことはすっかり忘れ、いつもの口調に戻っていた。それでも田辺は何とも思わなかったようで、
 「まぁね」
  平然と返してきた。
 「ふ〜ん」
  口ではそう言ってみたが、
 (どうだか…)
  らんまは内心疑っていた。

 「どのぐらい切る?」
  鏡越しにらんまに話し掛ける。
 「あんまり切ってほしくねーんだけど」
 「じゃ、揃える程度かな。伸ばしてるの?」
 「いや、そういうわけじゃ…」
  別にムースみたいに長くするつもりはなかったが、トレードマークのおさげを結えるほどの長さは保っていたかった。
 「おさげが結えれば…」
 「そっか。じゃ、やっぱり揃える程度でいいかな」
  そう言うと、側においてあるカートからピンを取り出し、手際よく髪をいくつかのブロックに分け出した。そして、腰に刺さっている数本のはさみの中から一本を取り出すと、チャキチャキチャキという音を立てて髪を切っていった。

 「あかねちゃんとは、高校のお友達?」
 「…ああ、そうだけど」
  田辺はローラーのついた丸椅子に座り、らんまの後ろ・左右を自由自在に行き来する。
  真横に来た時には、田辺の顔が至近距離にあり、田辺の指がらんまの頬に触れることもあった。
 (ったく…。こんなところに2カ月に1回のペースで来てるのかよ)
  まるであかねが風俗店にでも足を運んでいるかのような言い草である。らんまの心は、自分の独占欲が生む小さな嫉妬の数々で乱れていた。
 「太くて真っ直ぐした髪だね」
 「ああ、きっとおふくろの髪に似たんだろう」
  らんまは無愛想に答える。
 「へぇ、そう。あかねちゃんもいい髪してるけどね。顔もかわいいし、もてるでしょ?」
  らんまは内心ムッとする。
 「てめぇ、あかねには興味ねーんじゃねえのかよ」
  ギロッと睨む。田辺に脅しをかけるつもりだった。
 「ぷっ!乱子ちゃんて、なんかあかねちゃんの彼氏みたいだね」
 「い゛っ!」
  うろたえたのは、思わぬ反撃を受けたらんまの方だった。
 「おっ、俺は、べ、別にそんなんじゃ…!」
 「ああ、ほら、動かないで」
  慌てふためいたらんまを静止させるように、ぐいっと顔を正面に向かせる。
 「あかねちゃんて、許婚がいるんでしょ?」
 「えっ!あ、ああ。そっ、そうみたいだけど…///」
  突然自分の話題になり、居心地が悪くなる。
  それでも、自分がどう言われているのか知りたい気持ちもあった。

 (あいつ、俺のこと、こいつにどう言ってんだ…)
  恋をする者なら誰でも気になることだろう。意中の相手が、自分のことを他人にどう話しているのか…。
  らんまも例外ではなかった。
  しかし、心の準備もまだ整っていないまま、いきなり核心に触れてしまった。

 「髪を短くしてるのも、その許婚君のためって言ってたよ」

 (え…)

 「好きな男の子の好みに合わせた髪型をするなんて、かわいいよね、あかねちゃん」

 「…っ///」

  らんまはもう何も言えなくなっていた。
  らんまとて、あかねがショートのままでいるのは自分の好みに合わせているからかもしれない、と思わなかったわけではない。
  しかし、それが今「そうだ」と確定されたのである。
  しかも、「好きな…」という嬉しい修飾を伴って。
  今は乱子だと分かっていても、口元が自然と緩み、頬が火照ってくる。
  つい先ほどまであれほど嫉妬の嵐だった己の心が、あかねの本心が少しでも覗けた途端、ほんのりとした幸せで満たされていった。


 「あかねちゃんからの紹介ってことで30%OFFにさせてもらうね」
  カットが終わった頃には、らんまと田辺はすっかり打ち解けていた。
 「あ、あのよー…、あかねには俺が来たってことは内緒にしてもらえねーか?」
 「?」
 「と、とにかく、頼む!」
 「OK。分かったよ」
  と、らんまが田辺からお釣りをもらおうとしたその時、

 「あれ…、あんた…」

  田辺の左薬指をらんまの目が捕らえて離さなかった。
  先ほどまであんなに近くにいたのに全く気付かなかったが、確かに田辺の左薬指にリングがされていた。

 「結、婚…」
 「そ!ここに来たお客さんとね」

 (な゛っ!)

  ここに来て、ようやく全てが繋がった。
  らんまはまたしてもなびきの策略に嵌まったのである。いや、なびきだけではない。この田辺にも…。
 「だから、あんたは別だって…」
 「そういうこと。それに好きな人がいる娘(こ)には興味がないからね」
  嬉しそうな笑みを浮かべる田辺。
  誤解が解けて何よりのらんまだったが、『好きな人がいる…』という言葉にまた体がぎしっという音を立てていった。

 「またのご来店をお待ちしております。あかねちゃんにもよろしく…と、あかねちゃんには内緒だったんだね」
 「おいおい、頼むよ…」
  らんまは一抹の不安を覚えていた。
 (まっ、ここにはもう二度と来ねーけどよ)


  店を後にし、商店街のショーウィンドーに映った自分の姿を見つめる。
  垂らした髪は艶やかに輝き、さらさらと風に揺れる。
 (確かに、女だったらこういうの好きかもな)
  珍しく女心が分かるような気がした。
 「だけど、俺にはやっぱ…」
  と言うと、バックからゴムを取り出し、慣れた手付きでおさげを編んでいく。
 「うん、やっぱこれだな」
  満足げにウィンドーに映ったおさげ髪を見た。
  そんならんまを震える瞳で見つめる女性の姿が…。
 「ら、乱馬…!」
  はっとその気配に気付き、自分に視線を送る主へと振り向く。

 「お、おふくろ…!」

  らんまの顔からは笑みが消え、代わりに恐怖で青ざめていく。
  のどかには、化粧をした乱馬が女性の服で着飾り、ショーウィンドーに映る自分の姿に微笑んでいるように見えていた。
 「ちっ、ちっ、違うんだ!!おふくろ!」
 「乱馬!男らしくないわっっ!!」
 「ご、誤解なんだーっっ!!」
  血相を変えたらんまが商店街の彼方へと消えていった。



つづく




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