◇キャンドル 〜乱馬編〜 <Act.3>
かさねさま作
五、キャンドル
「乱馬…」
あかねの呟いた俺の名が、今度ははっきりとこの耳に届く。
だけど、どんな言葉を掛けていいのか分からない。もう二度とあんな顔はさせたくねえって思うけど、そんなすぐに変われたら苦労はしない。頭の中には何一ついい言葉が浮かんでこない。俺は、ただ黙ってあかねを見つめ返すことしかできなかった。
そんな俺が怒っているとでも思ったみてえだ。その表情が曇り、目を伏せてしまう。俺は、反射的にあかねの手を取った。
「帰ろう…」
やっとの思いで搾り出した言葉。
あいつは、俺の言動に驚いたのか視線を上げると、濡れた瞳で俺を見つめてきた。そんなあかねに、もう一度言葉を掛ける。
「あかね、帰ろう…」
今度はいくらか自然に言えた。
「うん…」
あかねは上げていた顔をまた俯かせ、か細い声で答えた。
(……)
こっちを見てくれないあかねと、頼りない声が苦しくて、少女の指先を辛うじて握っていた手に力を込める。握り締めた指先が冷たかった。
早くうちに連れて帰って温めてやりたかった。冷え切ったあかねの心を温めてやりたかった。
「行くぞ…」
いつもの強気な語り口は影を潜め、覇気がないのは自分でも分かる。引っ張る俺にあかねは黙って付いて来てくれた。
「もし、そこのお二人さん」
俺たちが出口に差し掛かろうとした時、奥からここの牧師と思える人が出てきて俺たちを呼び止めた。
「これを…」
そう言うと、なにやら白いものを差し出してきた。
「キャンドル…?」
あかねはその差し出された物を両手で丁寧に受け取る。手渡された物は丸くて小さなキャンドルだった。
「いいんですか?」
「ええ。この教会に来てくださった方へ、ささやかですがクリスマスプレゼントとして差し上げているんです」
牧師はにこやかに微笑んだ。
「それじゃ、ありがたく頂きます」
「ええ、どうぞ。…あっ、お嬢さん」
(ん…?)
あかねが俺の傍ヘ戻ろうとすると、その牧師はあかねを呼び止め、何かこそっと話し掛けた。
「え…?」
あかねの顔が少し驚いたような顔になる。気のせいだろうか、ほんのり赤くなっているような気もする。
(何話してるんだ?)
明らかに俺には聞こえないように話している。
あかねは牧師に一礼すると俺の所へ戻ってきた。
「何話してたんだよ」
「え…」
何、顔赤らめてんだ?
「おいっ、まさか…」
「べっ、別に疾しいことじゃないわよっ」
「ふ〜ん」
「お二人に神のご加護がありますように」
出て行く俺たちに牧師らしい言葉を送る。あかねはもう一度一礼をしたが、俺はさっきの内緒話がなんだか気になって、そのまま教会を後にした。
教会を出ると、容赦なく空っ風が俺たちに吹き付けてきた。
「寒いっ」
あかねは首に巻きつけたマフラーに顔を埋め、手を擦り合わせる。
「え…」
あいつのびっくりしたような、それでいて戸惑ったような小さな声が俺の横で聞こえた。
「少しはあったけーだろ?」
自分でこんなことをしておきながら、照れてまともにあかねの顔が見られない。
「…うん」
恥ずかしそうに頷く声がさらに緊張を呼ぶ。それでも、俺のポケットで重ねた二人の手の温もりが、恥ずかしさで硬くなったこの心を少しずつ解かしていった。
覚悟はしていたが、あかねを連れて帰ると、そこには賑やかな顔ぶれが揃って待っていた。しかも、多種多様な視線が複雑に入り組んで俺たちを見つめている。どの視線にしろ、気持ちのいいもんじゃねえ。
「あんたたち、また飾り付けさぼったわね〜」
「二人とも、遅かったじゃないかぁ。なんかいいことあったのかなぁ?」
「いやぁ、若いもんのクリスマスはまたちょっと違うからねえ、天道君」
「よかったわ、あかねちゃん。乱馬が心配して家を飛び出して行ったのよ」
「あかね、乱馬君。お友達が来てくださったのよ」
「今年も来てやったぞ、天道あかね」
「ぶひっ」
「乱馬っ。あかね探しに行たというのは本当か?!」
「あかねちゃん、抜け駆けは許さへんでえ」
「乱馬様、天道あかねなどほっといて、早くわたくしの隣へ」
「遅かったのぉ。待ちくたびれたわい」
「「……」」
俺もあかねも、次から次へと繰り出される言葉に呆然として何も返せない。
「何をやっておるっ。さっさと席に着かんか、乱馬。早くしないとお前の分のケーキは食ってしまうぞ」
「あ!ずるっこい、早乙女君っ。去年は君がケーキを買ったけど、今年は僕が買ったんだからね。僕に決定権があるんだよ」
「何を言ってるんだい、天道君っ。息子のものは父親であるこの僕のものだよ」
「またそういう時だけ、父親らしいこと言って。ここの家長はね…」
「あのねぇ、天道君。親と子の道理ってもんが…」
一年も経って全く成長のない親父たちの愚論で居間に笑い声が溢れ返る。
家族がいて、友人がいて、笑いがあるこの空間を、温かいと思った。らしくねえが、クリスマスも悪くねえって気がしてくる。
隣にいるあかねに目を遣ると、あいつも同じ気持ちだったんだろうか。優しく微笑んでた。
もう、その横顔には孤独の翳りはない。
そんな俺の視線に気付いたようで、あかねはこっちに振り向く。
「座ろう!」
俺の好きな笑顔を見せ、袖を引っ張った。
ここにあかねを連れ戻せて良かった、と柄にもなく内心ほっとした。
コンコン…
ひっそりとした夜陰の中に煌々と明かりの漏れる部屋の窓を叩く。
すでに日付は変わっている。
さっきまでのドンちゃん騒ぎが嘘のように夜のしじまが俺を覆っている。静けさの中にいると余計に寒さを感じるのは気のせいだろうか。
「…乱馬?!」
ノックされた窓が開くと、あかねの驚いた声が俺を迎え入れた。
「しっ」
人差し指を口に当て、そのままあかねの部屋へと失礼する。こんな時間に窓から部屋にやってきて、拒絶されるかと思ったがすんなり入れてくれた。
「わりーな。もう、寝るんだったんだろ?」
「ううん。まだ、すぐには…」
「そうか…」
そこまで言って、沈黙が訪れる。
みんなが寝静まった後に、あかねの部屋へ来た理由。
そう。これを言うためにここへ来たのに、教会で決めた覚悟は本番に立たされ、揺らぎ始める。
「あ、あのさ…」
「な、何…」
こちらの緊張があかねにも伝染してるみてーだ。あいつまでどもり始めてる。益々切り出しにくいじゃねえか。
「い、いや、だから…さ…」
「う、うん…」
(ぐだぐだ言っても仕方ねえだろっ!さっさと、言えねえのかっ!)
自分で自分の尻を叩いてみるがナイーブなこの性格は一生掛かっても治らねえだろうな。
「つ、つまりだ、な…」
(教会で見た横顔を思い出せっ!)
「キャ、キャンドル…!そう!キャンドル、もらっただろ?あれ、どうしたかなって…」
(…ああ、何言ってんだ、俺…)
孤独に沈んだあかねの横顔を思い出し、「本当の気持ち」を告げようと飛び出した言葉は、教会の帰り際に牧師からもらった「キャンドル」へと成り変っていた。
つづく
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