◇キャンドル 〜乱馬編〜  <Act.1>
かさねさま作


一、けんか

「乱馬のばかーーーっっ!」
 ばちーんっ
 あかねの叫びが俺の耳を劈(つんざ)く。両手を荷物で塞がれていた俺は、強烈パンチをまともに食らった。
 だが、俺だってやられっ放しじゃねえ。言われたら…、
(言い返す!)
「いってーなっ!この凶暴女っっ!おめーみてえなかわいくねー女なんか、もう、知るかっ!」
 そう言い放ってやった。言い返して少しはすっきりするはずだったが、次の瞬間、罪悪感の黒いインクがぽたりと落ちて、一瞬にして滲み渡る。
「…あたしだって…、あたしだって…」
(な、泣いてる?)
 俯いていて顔が見えない。だけど、小さい肩と俺の頬を引っ叩いた右手が拳を作り、小さく震えている。俺の怒りのボルテージが一気に下がる。

「あたしだって、あんたなんか……もう、知らないわよっっ!」

(!!)

「あ、あか…ぐえっ」
 あかねの名前を呼び掛けたところで、あいつの拳骨が顔面にのめり込んだ。
「っんだよ!!…って、あ、あれ?…あかね?」
 へこんだ顔が元に戻り、視界がはっきりした時にはあいつの姿はなかった。
「あかね…?」

 どんよりと重い雲に覆われた空からは陽の光など差し込むことはなく、ただでさえ冷たく感じるアスファルトを一層寒々しく感じさせる。
 誰もいなくなった川沿いの道を映す目の裏に、あかねの顔がちらついた。
 最後の言葉を俺にぶつけてきたあかねの、涙をぐっと堪えた顔が…。



二、複雑な少年心

「なんでぇ〜、あかねのやつ…!」
 腹の虫の居所が悪かった。
「っんとに、思いっ切り殴りやがって…!」
 殴られた頬と鼻がずきずきと痛む。
「ったく!あんなかわいくねー女…」
 だが、そこで悪態が止まる。
「……」
 大きな瞳いっぱいに涙を溜めて俺を睨み付けるあかねの顔が目に焼き付いて離れない。
「…ちぇっ!関係ねーや、あんな凶暴女っ」
 それでも意地っ張りで天邪鬼な俺の口からは、あいつを難じる言葉しか出てこなかった。


「ただいまぁ〜」
 三人娘たちとの戦い、あかねに食らった二発、そしてなんだかんだと言って、かなりの重さになった買い出しの荷物を運んだことで、俺の体は疲れ切っていた。
「あら、あかねは?」
 かすみさんが俺を迎えると、一緒に行ったはずの妹の所在を尋ねてきた。
「先に帰ったんじゃねーのか?」
 てっきりあのまま家に帰ったとばかり思っていた俺の胸に嫌な予感が過ぎる。
「あんたたち、またけんかでもしたんでしょ。懲りないわねぇ」
 荷物を運び入れようと奥からなびきが出てくると、呆れ顔で俺を見た。
「知らねーよっ。あいつが勝手にケンカ吹っ掛けてきたんだからなっ」
 胸に過ぎった不安は一瞬にして消える。
「ふ〜ん。まぁ、いいけど。それより、今年はちゃんと手伝ってよね、飾り付け。去年はあんたたちサボったんだから」
「わーってるよっ」
 残った荷物を抱え、俺も二人の後に続いた。


 チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、…
(くっそ〜…)
 秒針の音がやたらと気になる。視線もなぜか時計の方ばかり行っちまう。
 『あたしだって、あんたなんか……もう、知らないわよっっ!』
 ツリーを見ているはずの俺の目には、一時間ほど前のあかねの顔が浮かんでいた。
「遅いわねぇ、あかね」
 ぴくっ
 わざとなのか、なびきの声が俺に耳に届いた。飾り付けていた手が止まる。
「どっかで道草でも食ってるんじゃねーの?」
 さらっと返したつもりだったが、平静を装っていたのはばればれだったかもしれねえ。
「あら、乱馬君。それ、逆さまよ」
 かすみさんの悪意なき突っ込みが入る。
「…え゛…」
「探しに行かなくていいの?乱馬君」
 なびきの挑発的な視線が俺に向かって投げられるが、
「行かねーよ。子供じゃあるめーし」
 意固地な俺は、なびきの挑発には絶対に乗るまいというように突っ返した。
「でも、もうすぐ日が暮れちゃうし…」
「あいつだって一応武道家の端くれだぜ。大丈夫だって」
 おふくろの心配げな言葉が、強気に構えようとした俺をいとも簡単にぐらつかせる。ははっと笑った顔が引き攣ってるのが自分でも分かった。
「ばかものっ!許婚だったらもっと心配したらどうだ!」
 どかっ
「ぐえっ」
 叱咤と共に親父の蹴りが飛んできた。
「いってーなっ!何しやがるっ!んなに心配だったら親父が探しに行けばいいだろうっ」
「何を言っておるのだっ!許婚のお前が行くべきだろうが!」
「はんっ!」
 ここで素直に「分かったよ」とでもさらっと言えたら苦労はしない。周りに言われれば言われるほど、俺の心は頑なになっていく。まったく厄介な性格だぜ…。
「でも、乱馬君。行ったほうがいいわよ。妖怪が出るかもしれないわ」
「そんな、妖怪なんて…」
 かすみさんの心配を、やんわりと打ち消そうとした時だった。
「ら〜ん〜ま〜く〜ん〜」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
 妖怪化したおじさんが俺の背に迫る。
「いっ、行って参りますっ」
 どうにかこうにか探す口実を作ることができた俺は、日の落ちかけた街へと飛び出して行った。



三、クリスマスの街

「ちっくしょ〜…!あかねのやつどこ行きやがったんだっ!」
 白い息が、厚い雲の間から微かに残照を見せる空に消えていく。街中を走り回ったせいか、チャイナ服が汗で濡れ、時折吹き抜けるつんと冷たい風が背筋を寒くする。
 気温も日中に比べたらぐっと下がっているっていうのに、夕間暮れの街は人で賑わっていた。きれいな紙袋やケーキの箱を片手に家路を急ぐサラリーマンたち。肩を寄せ合って歩くカップルたち。食事にでも行くような家族連れ。クリスマスイルミネーションで溢れ返る街を行き来する。街も人も、浮かれ気分。俺にはそんな風に見えた。
(クリスマスイブ、か…)
 俺とあかねがけんかした間接的…、いや、直接的原因。
 頼まれたクリスマスツリーの飾り付けと夕飯の材料を買いに出掛けた俺とあかねは、途中でシャンプー、うっちゃん、小太刀と会っちまった。どうやら三人は、誰が今日のクリスマスイブを俺と過ごすかで争っていたらしい。そこへその議論の張本人が現れたもんだから、あとはいつもの「愛の攻撃」とやらが始まった。…俺にとっては迷惑の何物でもねえが。
 はっきり言って、俺にしてみたらクリスマスイブを誰と過ごすなんてどーでもいいこと。なのに、女どもときたら躍起になってその「特権」とかいうものを奪い合う。俺の気持ちなんてお構いなしさ。
「まったく面倒くせーよなあ、クリスマスなんてよ」
 寒空に零れる愚痴。
 もし、「お前にとってクリスマスは何だ」って聞かれたら、「うまいご馳走とケーキが食べられる日」とはっきり答えてやるぜ。俺にとってクリスマスイブもクリスマスもそんな程度のもの。
(あかねもあかねだぜ…)
 あの三人娘たちがイブのことで俺に絡んでくるのを見てあんなに怒るなんてよ。つんつんして、さっさと帰ろうとするんだもんな。三人からほうほうの体で逃げてきた俺があいつに追い付くと、刺々しい言葉で突っ掛かってきやがった。売られたけんかは買っちまうこの性格。激しい言葉の応酬の末、俺は平手打ちと拳骨の二発を受けることになったが…。
 ちぇっ。あ〜んながさつな性格してんのに、俺が誰とクリスマスイブを過ごすのがそんなに気になるのかよ。
「ったく…!ヤキモチもたいがいにしねえとかわいくねーぞっ」
 まだ見つけられぬ、きっとどこかで膨れっ面をしている少女に向かってそんな文句を吐いてみる。
「それにしても、どこへ雲隠れしちまったんだ?……ん?あれは…」
 何周もした街をもう一度丁寧に捜そうかと思った時だった。あかねの友達のゆかとさゆりが歩いていた。
(あいつらならもしかしたら…)
 あかねの居場所が分かるかもしれないという淡い期待を抱いて、二人の前へ降り立つ。
「よっ!」
「「きゃーっ!」」
「そ、そんなに驚くこたーねーだろう」
「そりゃ、驚くわよっ。空からいきなり降って来られたら…!」
「乱馬君もクリスマスプレゼント買いに来たの?」
 手から滑り落ちそうになった荷物を必死に掴みながらさゆりが意味ありげな視線を俺に向ける。
「あ!もしかして、あかねに?」
 二人の興味津々の視線を跳ね除けつつ、
「ばーか、んなんじゃねーよ。…でも、おまえらあかね見なかったか?」
「やっぱり、あかねとイブを過ごすんだ!」
「ばっ、ばか!そんなんじゃねーって言ってんだろうがっ」
 どうして女っていうのは、すぐそっちの方へ持っていこうとするんだっ!
「今日は見なかったけど…あっ!」
 ゆかがそう言い掛けて、何か思い出したようにさゆりの方へ振り向いた。
「駅で!」
「うん!」
 二人の記憶が合致したのだろうか。お互いを指差す。
「駅?」
 その先の情報が早くほしくて、二人を促す。
「うん。あたしたちがデパートから帰ろうとした時、ちょうど反対側のホームにあかねがいたのよ」
「そうそう。なんだかぼーっとした感じで歩いてたけど…」
「何かあったの…って、ちょっと、乱馬君っっ!」
 背後で二人の叫ぶ声が聞こえた。俺は礼の一つも言わずにその場から去っていた。
「どーりで探してもいねえはずだぜっ」
 あかねがいたという駅はここから五駅ほど行ったところだった。俺の足は猛スピードでその街へと向かい始めていた。


 息を切らせ、全速力で辿り着いたところまでは良かったが…、
「本当に、どこいっちまったんだ?」
 一通り駅前は探したが、あかねを見つけることはできなかった。仕方なく、この街が一望できそうな高い場所へと腰を落ち着かせてはみたが、勝手を知らない場所だけあって、うまく身動きが取れない。しかも、俺の目の前には、温かな家の灯りが幾多も浮かぶ住宅街を、日の暮れ切った夜空の闇が追い討ちを掛けるようにすっぽりと包んでいる。
「駅前の繁華街にいなかったってことは、公園にでもいんのかよ。こんなに冷え込んできたって言うのによ…」
 夜になっても厚い雲は空を覆い、月の明るさを感じさせない。
 初めは余裕があった俺も、だんだん焦りが出てきていた。いつもだったら、あかねがどんな場所にいようと、すぐに探し当てることができた。あいつの行動パターンや考えていることなんて俺には手に取るように分かる。それだけあかねのことは分かっているつもりだった。だけど、今回だけはそうじゃないらしい。
「ったく、こんな所まで来るとは思ってもみなかったぜ…」
 まさかの場所だった。
「ん?でも、一回だけあるか。一晩中探したのに、見つけられなかったこと」
 そう。あいつが、俺や親父が天道家に来て一年経ったからって、不器用ながらに焼いてくれたケーキを俺とじじいが駄目にしちまった時。家族全員と良牙で街中を探し回った。でも見つからなくて…。結局あかねは家の屋根に一晩中いたんだけどさ。
「燈台下暗しってやつだったよな…」
 ぼそっと呟いて、ふと座り込んだ場所に目を落とす。
「…まさか、な…」
 白い鉄の棒が十字に交差する。その交差して横に伸びた部分は、腰掛けるには格好な場所だった。こんなところに尻付けてたんじゃ、罰が当たるかもしれねーが。
「…教会…か。一応当たってみるか…!」
 そうひとりごちて、古そうな教会の入り口へと降り立った。



つづく




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