◇キャンドル 〜あかね編〜  <Act.4>
かさねさま作


六、クリスマス・マジック

「乱馬、電気消してくれる」
「おう」
 パチン

「うわぁ…」「へぇ…」

 電気の明るさに代わって暗闇に浮かび上がった小さな炎。
 アクセサリー入れに使っていたクリスタルガラスのシュガーボールは、キャンドルを入れるにはちょうど良かった。
 ボールに刻まれたデザインが、中で灯るキャンドルの火を受け、外へと照らし出される。微かに揺れ動き続ける炎に合わせて、放射状に伸びたデザインの影も小刻みに震える。
 ベッドに寄りかかって座るあたしと向き合うように、乱馬は胡坐をかいて座った。二人の間で弱く小さなキャンドルが揺れている。
 あたしたちは暫く言葉を交わすことなく、この灯りを眺めていた。
(なんだか生きてるみたい…)
 決してじっとしていることのない炎。常に空気の流れに身を任せて揺れ続ける小さな火は、消えそうでいて消えない。なんだかとても儚く見えるけれども、何か一生懸命に自分の存在を訴えているようにも見える。
 でも、不思議ね…。
 小さな炎を見ているだけで、こんなにも穏やかで優しい気持ちになれるなんて。
 あの教会で見つめていたキャンドルは、吸い込まれてしまいそうなほど綺麗だった。ゆらゆらと揺らめく炎に手招きされるように、無色透明の清閑な世界へと誘われていった。
 けれども…
 今この胸にある落ち着きとは違う。無心でいられても、それは、見なくてはいけないものから目を背けていたから。己を閉じ込めて、周りにある全ての存在を遮断しようとしていたから。

(でも、今は…)

 現実に向き合える。真実を受け入れられる。
 たとえ、すぐにはできなくても、気付くことができたから。
 本当の自分の気持ちから逃げないという静かな決意が灯る、凪の心。

 『あちらの方が、ずっとあなたのことを見守っておられましたよ』

 牧師さんに聞かされた、真実。

 『あなたが来てから三十分ほどしてからでしょうかね、こちらに入られて…。ずっと待っていらっしゃいましたよ』

 解されていく絡まった気持ちの糸。
 とき和らげられた頑なな心。
 これから先、幾度となく繰り返してしまうかもしれない。
 それでも、あたしは思い出す。今日という日と、この気持ちを。
 真実に気付かぬまま、大事なものを失いたくはないから。

「あ、あのさ…」
 長い沈黙を破ったのは、乱馬だった。
 じっとキャンドルを睨んでいるように見える。何かを言いたそうにしているのは分かるけど、すぐに硬くなってしまう乱馬のことだからきっと何にも考えられなくなっちゃうのね。

「あ、あかね…?!」

 あたしは、自然とそうしてた。
 どうしてだろう。そうしなくちゃと思ったの。
 少し身を乗り出し、乱馬の左頬に軽く触れる。

「…ごめん…ね…」

 体は素直に動くのに、言葉にするのは難しい。「ごめんなさい」というたった一言を言うのがこんなに大変なことだなんて。あたしの心は相当捻くれてるんだろうか。
 乱馬はなんとも形容しがたい顔であたしを見ていた。
 そりゃそうよね。今まで散々素直じゃない態度ばかり取っていたあたしが、こうして謝ってるんだから。
「…痛…かった…?」
 今回のことばかりじゃなく、今まで事あるごとに乱馬を殴り、それを受けていた彼の痛みを考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになっていく。
「い、いや、俺のほうこそ…」
(…乱馬?)

「…悪かった、な…。その…、色々と…」

「え…?」

「元気なほうがおめーらしくていいよ」
 彼の口から零れてくるのは不器用な響きのする言の葉。けれども、あたしの体と心に甘く巻きついて雁字搦めにする。
「お、俺は…元気ねーあかねより…その、なんだ…、元気にしてるあかねのほうが…、す、す、す、す…」
 薄暗い部屋の中でも、どれほど乱馬が緊張しているか分かる。沈み切る前の深い夕焼け色にも似た光に照らされた顔は必要以上に汗を噴き出し、困り果てている。
 きっと、これだけ言うのにも必死なのね。
 でもね、乱馬。もういいの。
 あなたの気持ちは十分伝わってくるから。
 だから、そんなに無理しないで…。
「おさげ、乱馬のトレードマークだね」
 彼を緊張から解き放したくて、おさげに手を伸ばす。
「な゛っ…!なんだよっ。人が真剣に話してるって言うのに…!」
「ごめんなさい。でも…」
(茶化したつもりじゃないの)
 そんな思いも込めて、

「ありがとう、乱馬」

 さっきは言葉にして言えなかったから、ちゃんと伝えたかったの。その深く綺麗な泉の瞳を見ながら、たくさんの「ありがとう」の気持ちを伝えたかったの。
「だ、だから、俺は…」
 乱馬はすくっと立ち上がってあたしの方へと移ってくると、隣にどすんと座り込んだ。
 そして、逞しい腕がすっと肩に回されたかと思うと、彼の右肩へとぐっと引き寄せられる。

「こういうことだからなっ!分かったかっ?」

 ぶっきらぼうな言葉も、肩に置く手のぎこちなさも、胸に引き寄せた強引さも、全てがこんなにもいとおしい。

「…うん!」

 きっと、普通の恋人同士ならここでキスの一つでもするんだろうけど、あたしはこれだけで十分。
 この広くて温かい胸が傍にあれば、何も望まない。
 こうして近くに感じる乱馬の鼓動があれば…。

「大好きよ、乱馬…」

 その耳に届かぬよう、囁く息で呟いた。
 ごめんね、乱馬。
 伝えなくちゃって心に決めてたんだけど、面と向かって言うにはやっぱりもう少し勇気が必要みたい。
 でも、きっと聞こえちゃったね。…だって、乱馬の体、こんなに緊張してるもの。
 乱馬の全身が益々硬くなると分かっていて、あたしはその胸に頬をぎゅっと押し当てた。


 もし本当にサンタクロースがいるとするならば、今年もらったプレゼントは今までで一番素敵なプレゼント。
 臆病すぎた心は殻を破る術も勇気もなく、いつも独りで悪戦苦闘の空回り。
 だけど、聖なる日と火の魔法でやっと殻から生まれた素直な気持ち。
 大切に育てていきたい、ずっとずっと。


 それにしても…。
 お互い素直になって油断したようね。
 そのままの格好で寝ちゃったあたしたち。目覚めた時には家中が…。
 そりゃ、もう…、ね。


 あっ、そうだわ。クリスマス・マジックと言えば、もう一つ…


「…冗談きついぜ…」
「ちょっと、これって…」
 昨日二人を導いてくれた教会へもう一度行ってみたくて足を運んだあたしたちは、思わず言葉を失った。
 そこは、ただの更地になっていた。
 楼門だけは残っていたけど、その先の教会はきれいさっぱりなくなっている。
「どういうことよ、これ…」
 乱馬に聞いても仕方がないと分かりつつ、どうにもこうにも頭の中で渦巻く疑問を口にしないことにはパンクしてしまいそうだった。
「見ての通りってとこかな」
 しれっとした顔で返してくる。
「な゛っ!何、悠長なこと言ってんのよっ!だって、それじゃ、牧師さんも教会にいた人もみんな…」
 考えただけで恐ろしいっ。やだ!あたし、幽霊と話しちゃったわけ?!
「まぁ、そういうことかもしれねえな」
「って、ちょっと!じゃ、あのキャンドルだって…!」
「でも、怖いもんじゃなかっただろ?」
「そ、それは、そうだけど…」

「おばけじゃなくて本物のサンタクロースだったかもしれねえぜ、あの牧師」

「え?」
(…サンタクロース…)
 乱馬の言葉を反芻する。
(ああ、そういうことか…)
 恐怖が納得と安堵へと変わっていく。

 この場所へ逃げてきて、この場所で泣き、そして、この場所で気付いた真実。
 それは、大切ものを見失わないようにサンタが掛けてくれた魔法なのかもしれない。

「…うん。そうかもね」
 乱馬の発想には時々舌を巻く。あたしは素直に肯いた。
「お、お前、人の心が読めるのか?!」
 だけど、往々にしてその馬鹿さ加減が露呈される。
「はぁ?何言っての、あんた」
「んだよ、その、人を小ばかにした顔はっ」
「だって、あんたが馬鹿なこと言うからでしょっ」
「人をバカバカ言うなっ」
「なによぉ、本当に馬鹿なんだからしょうがないでしょ、バカッ」
「っんとにかわいくねーなー」
「かわいくなくて結構ですよーだっ」

「「ぷっ」」

 多少は成長したかと思いきや、全然変わらないお互いに噴き出してしまう。
 これじゃ、せっかく素直になる魔法を掛けてくれたサンタクロースも今頃呆れ返ってるわね。
 でも、二人でこうしている時もあたしは結構気に入ってる。だから怒らないでね、サンタさん。

 『はっはっはっ!まったく、仕方のないお二人さんだ』

 昨日とは打って変わって、澄み切った空が果てしなく広がる冬の空。その天空から牧師さんの声が聞こえてきたような気がした。
「さっ、帰るか」
「うん」
 自然に絡まり合う手。
「…あかね」
「…乱馬」

「「Merry Christmas!!」」





あかね編 完




引き続き、乱馬編をお楽しみください。
同じストーリーが、また違う広がりを持って展開しています。
(一之瀬けいこ)


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