◇キャンドル 〜あかね編〜  <Act.3>
かさねさま作


五、キャンドル

「乱馬…」
 あたしの呼び掛けに、彼は答えなかった。ただ黙ってあたしを見つめている。
(怒ってる…)
 そう思った。家に連絡も入れず、こんな暗くなるまで外にいたんだもん。当然よね。
「ごめ…」
 そう言おうとして、口を開けた時だった。

「…帰ろう」

 乱馬があたしの手を握っていた。
 『ばかやろうっ!今までどこほっつき歩いてたんだっ』とか『こんな所で何やってんだよっ!みんな心配してんだぞっ』とか、そんな言葉が飛んでくると思ってた。
 でも、彼の口から零れたのは、
「あかね、帰ろう…」
 やさしいけれど、なんだか悲しい響きのする言葉。そして、あたしを辛そうに見つめる瞳。
「うん…」
 あたしは、俯いて答えるのが精一杯だった。
(乱馬…?)
 あたしの指先を握っている彼の手にぎゅっと力が入る。今まで気付かなかったけど、あたしの手はずいぶん冷え切っていたようだった。触れる乱馬の手の暖かさで、指先がじんじんと痛んだ。凍った体と心が少しずつ解凍されていく。
「行くぞ…」
 やっぱり、いつもの乱馬と違う。別に怒っているわけでもなさそうだけど、どことなく元気がない。あたしはそんな乱馬にただ黙って付いて行った。

「もし、そこのお二人さん」

 あたしたちが扉の前まで来ると、奥からここの牧師さんらしき人が出てきた。
「これを…」
 そう言いながらあたしたちの前に何か白いものを差し出す。
「キャンドル…?」
 あたしは乱馬の手を離れ、牧師さんから差し出された代物を受け取った。それは、ティンカップに入った直径三センチほどの小さなキャンドルだった。
「いいんですか?」
「ええ。この教会に来てくださった方へささやかですがクリスマスプレゼントとして差し上げているんです」
 そう言って、やさしく微笑む。
「それじゃ、ありがたく頂きます」
「ええ、どうぞ。…あっ、お嬢さん」
 乱馬のところへ戻ろうとすると、牧師さんはあたしを引き止め、少し抑えた声であたしの耳元に囁きかけた。

「え…?」
 その意外な事実に、あたしの心臓はきゅんと鳴る。

 あたしは牧師さんに、キャンドルとその事実を知らせてくれたお礼も含め頭を下げた。
「何話してたんだよ」
 乱馬の隣に戻ると、間髪を入れず不服そうな声が飛んできた。内緒話だったのが気に食わない様子。
「え…」
(い、言えるわけないじゃない…)
 どう答えようかと口籠っていると、
「おいっ、まさか…」
 あらぬ誤解をしかける。
「べっ、別に疾しいことじゃないわよっ」
「ふ〜ん」
 とは言ってはいるけど、納得してないみたい。
「お二人に神のご加護がありますように」
 牧師さんは、出て行くあたしたちにそんな言葉を送ってくれた。あたしはもう一度お辞儀をして教会を後にした。

 教会を出た途端、師走の冷たい風が頬に吹き付けた。
「寒いっ」
 あたしはマフラーに顔を埋め、手を擦り合わせる。

「え…」

 擦り合わせた摩擦で温かくなるはずだった両手の右片方が温かくて大きなものに包まれたかと思ったら、すっぽりとチャイナ服のポケットへ納められた。乱馬の体温で暖かい小さな袋の中で、触れ合った二つの手は自然と握り合う。
「少しはあったけーだろ?」
 照れているのか、こちらへは顔を見せてくれない乱馬のぶっきらぼうな声が聞こえてきた。
「…うん」
 爆発してしまいそうなほど高鳴る心臓を落ち着かせるのに必死で、一言頷くのがやっと。
(…暖かいよ、乱馬…)
 ポケットと乱馬の手の暖かさは、重なり合った手を伝い、全身を熱くしていった。


 乱馬に連れられて家に帰ると、賑やかな居間は普段以上の人で埋まっていた。
「あんたたち、また飾り付けさぼったわね〜」
「二人とも、遅かったじゃないかぁ。なんかいいことあったのかなぁ?」
「いやぁ、若いもんのクリスマスはまたちょっと違うからねえ、天道君」
「よかったわ、あかねちゃん。乱馬が心配して家を飛び出して行ったのよ」
「あかね、乱馬君。お友達が来てくださったのよ」
「今年も来てやったぞ、天道あかね」
「ぶひっ」
「乱馬っ。あかね探しに行たというのは本当か?!」
「あかねちゃん、抜け駆けは許さへんでえ」
「乱馬様、天道あかねなどほっといて、早くわたくしの隣へ」
「遅かったのぉ。待ちくたびれたわい」
「「……」」
 あたしも乱馬も、矢継ぎ早の言葉に唖然として何も言えない。
「何をやっておるっ。さっさと席に着かんか、乱馬。早くしないとお前の分のケーキは食ってしまうぞ」
「あ!ずるっこい、早乙女君っ。去年は君がケーキを買ったけど、今年は僕が買ったんだからね。僕に決定権があるだよ」
「何を言ってるんだい、天道君っ。息子のものは父親であるこの僕のものだよ」
「またそういう時だけ、父親らしいこと言って。ここの家長はね…」
「あのねぇ、天道君。親と子の道理ってもんが…」
 去年と全く変わらないお父さんたちの屁理屈論で、居間は笑い声でいっぱいになっていく。
(なんでだろう…)
 外気で冷えた体が家の暖かさで温まるのを感じながら、あたしはなんだか胸の辺りも一緒に温かくなっていくような気がしていた。
 人がいる。あたしを知っていて、待っていてくれる人たち。
 あたしは、この時初めて、自分が孤独だったことに気が付いた。教会で独りになることを望んだあたしは、この温かい世界から自分を切り離さそうとしていた。
(だから、乱馬は…)
 隣から流れてくる優しい気。その気が柔らかくて温かい毛布のようにあたしを包んでいく。
 いつでも傍にいてくれる人。あたしが苦しい時には…。
 乱馬の視線を感じ、彼を見上げた。
(ありがと…)
 そう心で呟いて、
「座ろう!」
 チャイナ服の袖を引っ張った。
 体の奥で小さな蝋燭が灯っていた。


 日付はすでにイブからクリスマスへと変わっている。
 ついさっきまで続いたクリスマスパーティー…と言えば聞こえはいいかもしれないけど、要は乱痴気騒ぎ。お父さんも、お酒が回っちゃうとほんと調子よくなっちゃうんだから。客人にはなんとか帰ってもらったけど、明日もこんな状態だったらって考えると少し恐ろしくなる。
「…まっ、そのほうがうちらしいけど…」
 ギシ…
 ベッドに腰掛けて、ふと時計に目を遣る。
 小さい頃は、まだサンタクロースがいると信じていて、あたしはサンタの顔を絶対見るんだって言って頑張って起きていようとしてたけど、結局眠さには勝てずにいつも志半ばで翌朝を迎えていた。それでも、枕元に置かれたサンタからのクリスマスプレゼントに大はしゃぎで、嬉しくって家族みんなにプレゼントを見せてたっけ。
 『ほらぁ!サンタさんからプレゼントもらったの!』
 『良かったなぁ、あかね』
 サンタの正体がお父さんだとは知らずに、プレゼントの本当の贈り主に自慢してた。それでも、お父さんはあたしの夢を壊さずに大事にしてくれた。

 コンコン…

 窓をノックする音が遠い意識の向こうで聞こえた。微睡んでいた彼方の記憶から呼び戻される。
「…サンタクロース…?」
(まさか…ね)
 そんなことはありえないと思いつつ、童心に帰りかけた胸の鼓動が少し早くなっている。
 ゆっくりと窓を開けると、深夜の冷たい空気が一気に部屋へ入り込んできた。カーテンがふわりと揺れる。
「…乱馬?!」
 サンタクロースだったらどうしようとドキドキさせた正体は、乱馬だった。
「しっ」
 声を立てるな。そんな合図をして、あいつはすいっと部屋に入ってきた。あんまりにも突然な珍客に抵抗することも忘れてしまう。
 というより、もともと止める気なんてなかったのかもしれない。
「わりーな。もう、寝るんだったんだろ?」
「ううん。まだ、すぐには…」
「そうか…」
 そこまで言って、言葉が続かない。
 何か話さなくちゃって思うけど、クリスマスの、しかもこんな時間に現れた乱馬の存在に胸がトクン、トクンと小さく波打つ。
「あ、あのさ…」
「な、何…」
 なんだか乱馬が緊張してるのが分かる。それを受けてあたしまで構えてしまう。
「い、いや、だから…さ…」
「う、うん…」
「つ、つまりだ、な…」
 そして、一瞬の沈黙。

「キャ、キャンドル…!そう!キャンドル、もらっただろ?あれ、どうしたかなって…」

(キャンドル…?!)

 ほっとしたような、ちょっぴり残念なような。
 そんな複雑な気持ちを覚えつつ、思ってもみなかった言葉と、乱馬の照れて慌てふためいた顔のちぐはぐさが可笑しかった。



つづく




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