◇キャンドル 〜あかね編〜  <Act.1>
かさねさま作


一、けんか

「乱馬のばかーーーっっ!」
 ばちーんっ
 あたしはそう叫んで、気が付いたら乱馬の頬を叩いていた。
 『あかね、もう二度と男の人を叩いたりしないで』
 いつだったかかすみお姉ちゃんがあたしを諭すように言ったことがある。自分でも分かってるわよ。もっと女の子らしくしたほうがいいことなんて…。
(…分かってるのに…)
 東風先生を好きだった時は、こんなことは絶対になかった。ちょっとした反発心が生まれたって、絶対に叩いたりすることなんてなかった。女の子らしくしなくちゃって思って、そうするように心掛けていたし、東風先生の前では少しはしおらしくできてた…つもり。それに、落ち込むことはあってもこんなに情緒不安定なることなんてなかった。
 でも…。
 こいつの前だと全てにおいてコントロールが効かない。

 後悔と情けない気持ちと悔しさがごちゃ混ぜになった塊がどんどん膨らんで、あたしの胸をいっぱいにしていこうとした時だった。

「この凶暴女っっ!おめーみてーなかわいくねー女なんか、もう、知らねーからなっ!」

(!!)

 『かわいくねー』『不器用』『凶暴女』『寸胴』『がさつ』…
 いつも聞かされている台詞だったけど、がつんと来た。
 分かっていた有罪判決を判事から言い渡されたような…そんな心境。あいつの顔なんてまともに見られなかった。

「…あたしだって…、あたしだって…」

 それでも、どうしようもなく捻じ曲がってしまったあたしの心は、どう足掻いても素直にはなってくれない。どうして、シャンプーや右京や小太刀のように自分の気持ちをぶつけられないんだろう。

「あたしだって、あんたなんか……もう、知らないわよっっ!」

 空回りした心からいつも吐き出されるのは自分を裏切る言葉。そして、凶暴性を増す手。
 あたしは彼の顔面に拳骨を食らわせていた。
(なんで、こうなっちゃうんだろう…)
 収拾のつかなくなってしまった胸の塊がずんずんと大きくなっていく。
(もう、やだ…)
 気が付いた時には、あたしはその場から逃げていた。
 訳の分からなくなってしまったこの気持ちと、そんな気持ちで押し潰されそうな自分と、そして、乱馬の目の前から逃げ出したかった。
 できるだけ、遠くへ行ってしまいたかった。誰も知らない、あたしを見つけることのできない処へ…。



二、複雑な乙女心

「あれ…、ここ…」
 知らないうちにあたしはどこかの町に迷い込んでいたみたいだった。どうやって電車に乗ったのかも、どう歩いてきたのかも覚えていない。ただ行く当てもなくさまよい歩いていた。
「ぷっ…、良牙君みたい」
 あれほど掻き乱れていた気持ちはいつの間にか静まっている。それでも、胸に残る塊の創痕は完全には消し去れない。
「どうしようかな…、これから…」
 暗く重たい雲が空に広がっていても、深い夕焼け色に染まる彼方西の空が雲の隙間から僅かに覗くことができた。暗くなり出した空を背にぽつりぽつりと明かりが灯り出す。
 冬の日の暮れは早い。あっという間に夜の闇に包まれてしまう。でも、まっすぐ家に帰る気にはなれなかった。家に帰ってあいつの顔を見る気には、とてもじゃないけどなれない。
「って言っても、家にはいないかもね。…シャンプーたちとイブの夜を楽しんでて…」
(……)
 そう言ったあたしの胸の中が、またどろどろとしたもので塗りたくられていく。

 いつものけんか…で終わるはずだった。小一時間ほど前のあたしたち。
 クリスマスイブの夜。好きな人と一緒に過ごしたい聖夜。
 その夜を誰が乱馬と過ごすかで、いつもの三人娘たちが熾烈な戦いを繰り広げていた。クリスマスツリーの飾り付けの買い足しと夕飯の買い物を頼まれていたあたしと乱馬は、運悪くその三人娘に遭遇。争われている当本人が現れたんだから、当然、あとはいつもの奪い合い合戦。あたしは怒るというより無性に空しくなってきて、あいつを置いて先に歩き出していた。暫くして、なんとか抜け出してきたのか、ぼこぼこになった乱馬があたしに追い付いて…。
 そして始まったいつもの言い争い。
 あたしは相変わらずの乱馬の優柔不断さにいらいらしてた。嫌なら嫌だってはっきり言えばいいのに、あいつは一度だって言ったことはない。…別に、乱馬があたしとイブを過ごしたがってるなんて思わないけど、でも、…期待してないわけじゃない。
 そして、乱馬も苛ついていた。そりゃ、毎回毎回あんなに攻撃されたんじゃたまったもんじゃないだろうけど。
 お互いむしゃくしゃしていたから、いつもの他愛ない言い合いで済むはずがどんどんエスカレートしていった。
「はぁー…」
 深く長い溜息が白色の気体と形を変えてあたしの前に流れていく。
「…?」
 その白い息の消える先にふと目が留まった。
「教、会…?」
 何気なく歩いていたら素通りしてしまいそうな控えめな楼門。中世イギリスの田園風景を思い起こさせる白壁と黒柱でできたその門はかなりの年季が入っていて、赤い煉瓦作りの古そうなアパートの間に挟まれ、ひっそりと建つ。まるで、ここだけが時間に取り残されてしまったような空間。
「オルガン…」
 入り口の奥からパイプオルガンの音が聞こえてくる。その幾重にも重なる神秘的な音色に吸い寄せられるように、あたしは楼門を潜った。



三、教会

 門を潜り抜けると、少し開けた空間に出た。20メートルほど先にある教会までの細い道の両側はアパートのプライベートガーデンのようになっていて、真冬だというのに青々とした芝生が生えている。
 ぎぃぃぃぃ…
 重い木の扉を押し開けて、あたしは教会の中へと入った。

「わぁ…」

 そこは、とても小さな教会だった。
 入り口を入ると左手に身廊があって、その前方に小さな祭壇が置かれてあった。一番後ろの信徒席から祭壇までは50メートルもないかもしれない。半円形のドーム形の石壁が身廊と祭壇を囲い、外側が側廊になっている。祭壇とその側廊で静かに揺れるキャンドルと僅かなライトだけが教会内を照らす。上を見上げると、三階ほどの高さにある窓が群青色に染まっていた。
 ステンドグラスも煌びやかな装飾もない。石で建てられたその教会は相当古いようで、壁や柱の石が所々剥がれ落ちていた。
 簡素だけども重厚な空気が流れている。
 コツン、コツン…
 いつの間にかパイプオルガンの演奏は終わっていて、歩くたびに足音が小さく響き、重みのある空気を振動させる。信者席には数人座っているけれど、みんな祈りを捧げているためか、教会内は静まり返っていた。
 あたしは、なんだかとても厳粛な気持ちにさせられていた。
 もともと教会なんてものは騒がしいところじゃないんだろうけど、それでもここは精霊でもいるような、そんな神聖な雰囲気が漂う。
 あたしは、祭壇に近い席に腰を下ろし、静かに揺れ動くキャンドルの火を見つめる。
(きれい…)
 炎を見つめながら、あたしはいつの間にか両手を組んでいた。
 別にクリスチャンなわけじゃないけど、ここに暫くいたいと思った。この深閑とした空間に自分の身を置いていたら、少しは落ち着けるような気がした。



 つづく




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