◇愛する者へ  萌芽の章  〜十九歳〜
  二、「根」〜気付き〜 乱馬編 (後編)

かさねさま作




「良牙っ!!目を覚ませっ!」
 バキッバキッバキッバキッ
「…っ!」
 乱馬の呼び掛けに返ってくるものは、容赦ない攻撃。
 良牙の目は完全に物の怪のものと化していた。体は良牙であっても、心は人間「響良牙」のものではない。彼は今、本気で乱馬を殺そうとする妖怪だった。
「どう足掻いても無駄じゃ!良牙はわしの操り人形じゃ!奴の若やかな魂はわしが頂戴したわい!その代わり、奴には邪悪な魂を植え付けてやったのじゃ!さぁ、どうする?お主に友人を倒せるかな?!」
「くっ!」
 確かに、中身は良牙ではなかったとしても、良牙の命を奪うことはできない。
 だが、このままでは乱馬自身も危なかった。邪悪の魂を植え付けられた良牙は、人間でいる時よりも遥かに超人的なパワーとスピードを持っていた。
 ドガッ、ドガッ、ドガッ、ドガッ、ドガッ
(ちくしょうっ!なんてえパワーだっ!)
 骨を砕くような剛拳がものすごいスピードで襲ってくる。乱馬は防御一本に絞らざるを得ない。
「だーーーーっ!」
 ドスッ
「ぐえっ!」
 隙を衝いて、鉛のような蹴りの一撃が乱馬を吹っ飛ばした。
 ドガッ
 ガラッガラッガラッガラッ
「…つっ!」
(なんとかならねーか!こいつを目覚めさせる方法は!このままじゃ俺も…!)
「は〜〜〜〜っ!」
 ドウンッ
「やぁっ!」
 獅子咆哮弾も威力を増していた。いちいち同じ気弾で迎え撃っていたらとてももたない。
「今の貴様には良牙は倒せんっ!諦めてこの水晶玉に魂を吸い取られるがよい!さすれば、良牙もお前も完全にこの水晶玉に取り込んで、わしの永遠の命の源にしてやろうっ!!お前らを吸収すれば、今までの数倍は強力な生命エネルギーになるわっ!!」
 老婆は水晶玉を掲げ、高らかに笑った。
(水晶玉に取り込む…?!)
 老婆に目を転じると、水晶玉の放つ邪悪な光が弱くなったり強くなったりしていた。
(なんだ?!さっきまではあんなふうには光ってなかったはずだ…)
「でやーーーっ!」
(んっ?!)
 良牙の気が増大した瞬間、水晶玉の異変が乱馬の目に入った。
 ドスッ
「どわっ!」
 ドンッ
 ガラッガラッガラッガラッ
 ドッドッドッドッドッ
 小さな岩山に叩き付けられた乱馬は木っ端微塵に崩れた岩の下敷きとなった。
「さぁ、良牙!一息にやってしまえっ!」
 バウンッ
 ドガシャーンッ
 シュウ、シュウ、シュウ、シュウ…
「?!」
 埋まっていた乱馬に向かって放った気弾は、粉々になった岩だけを焦がしていた。
「良牙!俺はここだ!」
「!」
 ブンッ
 背後に入れた良牙の蹴りが空を切る。
「どうした!ここだぜっ」
 次は木の上から声がした。
 ザッ
 ブンッ
 一気に飛び上がり、再び拳を振るがこれも空を切った。
「なにやってやがるっ!こっちだぜっ!」
「!!」
 今度は地上から声が聞こえた。
「こ、これは、いったい、どういうことじゃ!!」
 乱馬の気が点滅するように現れたり消えたりしている。
「どうした、良牙!早く仕留めてしまえっ!」
 老婆の命令に、良牙は乱馬の気を感じる毎にその場所へと気弾を打ち込んでいく。
 ドウンッ、ドガガガガガッ
 ドンッ、グヮシャーンッ
 だが、どれも岩を砕くだけで命中しない。
(やっぱり、俺が睨んだ通りだぜっ。あの水晶玉が鍵だ!!)
 良牙の動きと攻撃に合わせて、水晶玉の光が変化していた。
(一か八かだ!)
 乱馬は海千拳の特訓で会得した、気配と姿を消す技で自分の位置を撹乱しながら老婆の近くへと迫っていった。
「良牙!俺はこっちだ!」
 ドンッ、ドガガガガッ
「なにやってやがる!こっちだぜっ!」
 ドワッ、ガラッガラッガラッガラッ
「へんっ!どこ狙ってんだあ〜?!」
 ドーンッ、ガララララララッ
 いつの間にか良牙の攻撃が爆砕点穴へと変わっていた。ちょこまかと動き回りなかなか仕留められない苛立ちで、単純な良牙は乱馬がもぐら叩きの「もぐら」に見え始めていたのだった。妖気に満ちていたとしても、根っこにある単純さは変わっていなかった。
「なにをやっているのじゃっ!良牙!さっさとやってしまえっ!」
 老婆もまた焦りで完全に集中を欠いていた。乱馬の狙いなど気付く余地もなかった。
「そんなにお望みなら一気にカタを付けてやるぜっ!」
 スッ
「なっ、なにっ!!」
 老婆の前にぬっと現れたかと思ったら、まさに電光石火の早業で水晶玉をその手から奪い取った。
「返せーーーーっ!」
「やなこった!良牙!!俺はここだーーーーーーっっ!!」
 姿を現した乱馬は、良牙に向かって水晶玉を投げつける。
「!!」
 目の前に現れた“もぐら”に良牙は無我夢中で爆砕点穴を見舞った。

「やめろーーーーーーっっっ!!!」


 ピシッ…

 ガッシャーーーンッッ!!


「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 老婆の断末魔の叫びが幽谷に鳴り響き、その体は一瞬にして灰色の砂子となった。そして、砂山を作ることなく、薄暗い空へと消えゆく叫びと共に霧の中へ散り去った。
「あ、破片が…」
 粉々に砕け散った水晶玉の破片も、地に吸い込まれていくように消えてなくなった。

「うっ…!」
 バターンッ
「良牙っっ!!」
 妖気の呪いが解かれた良牙もまた、その場に倒れこんだ。
「おい!しっかりしろっ!良牙っ!」
 バシッバシッバシッバシッバシッ
 乱馬は良牙の頬に強烈な往復ビンタを喰らわす。
「…う…」
「良牙!気が付いたか!」
「…乱…馬…」
「ったく!危ないところだったんだぜ、お前」
「…ここは…」
「あの『有名な占いババア』のところだ」
「…つっ…」
 立ち上がろうとした良牙に眩暈が襲う。
「さすがに生気吸い取られた上に邪気を入れられてたんじゃ、相当のダメージ受けてるだろーよ。少し待ってな」
 そう言うと乱馬は川の方へと歩いていき、両手で水を汲んできた。その姿はみるみるうちに女体へと変化する。
「ほらよ」
「ぶぎぎぎぎぎっ」
 いきなりブタにされた良牙は弱った体を押してくって掛かってきた。
「なんでぇ!今のてめーの体じゃ、村に帰るのは大変だろうと思ってせっかくブタにしてやったんじゃねーか」
「ぶぎ…」
「ほらよ。少しの間だけだから我慢しろよなっ」
 良牙をひょいっと摘み上げると襟元へ乱暴に仕舞い込んだ。子豚は戦友の情けに抵抗を止め、おとなしく納まる。
「落っこちるなよっ」
 暗闇と深く濃い霧に包まれていたこの地も、東の空が白み始めていた。







「乱馬、良牙。本当にもう行きますか?」
 旅支度を済ませ、彼女の前に立つ二人の少年を前に、無駄だとは分かっていても引き留めずにはいられない。
「……」「……」
 乱馬も良牙も、何も言えなかった。
 自分たち二人に我が子のように接してくれた陳さん。彼女が二人の滞在中に見せた束の間の喜びと、その笑顔の裏側にある尽きることのない悲しみを知らないわけではない。二人は答えることもできず俯き黙るしかなかった。
「…ごめんなさい。分かっています。二人は私の息子じゃありません。ここにいます。だめ。でも…、私、とても楽しかった。本当に息子がいます。思いました。ありがとう。ありがとう…」
 何度も何度も「ありがとう」を繰り返す陳さんに、いたたまれない思いでいっぱいになっていく。
 彼女が、二度とは帰って来ない息子をただひたすら待ち続ける、気が遠くなるような長く寂しい日々を過ごすかと思うと、そしてまた、そんな思いを胸に抱きながら彼女の一生が終わるのかと思うと、乱馬にある衝動が走るのだった。
「陳さん…!」
 ガッ
「!!」
 思わず前へ踏み出した乱馬の腕を良牙は掴んでいた。
「よせ、乱馬…」
「……」
 陳さんの肩に置こうと伸ばした手を切ない思いで下げる。握り締めた拳がひどく痛かった。
「陳さん…。どうか元気で…」
 自分にできる、陳さんへの精一杯のエール。乱馬は心の底から、彼女の穏やかで平和な日々を祈った。
「お元気で、陳さん」
 良牙もまた、彼女の幸せを願っていた。
「乱馬も、良牙も、元気で…」
 込み上げてくる思いをぐっと堪えた笑顔。
 彼女が二人を見送った後、いったいどんな思いで一人家に戻るのだろう。どんな顔をして玄関の戸を潜るのだろう。どんな気持ちで食卓に座るのだろう。
 あの家に残る賑やかさの余韻は、彼女にはあまりにも辛くはないだろうか。
 二人は、何度も何度も振り返っては小さくなっていく陳さんに手を振り続けた。





「さっきは…、助かった…」
 村を出た頃、重くもの悲しい空気を背負ったまま歩いていた乱馬ははっきりと言うでもなく、そう呟いた。
(あの時良牙が引き留めてくれなかったら、本当のことを言っちまってたかもしれねえな…)

 陳さんの息子は、もう二度と帰って来ないんだ、と…。

 良牙の話では、未来のことを占い始めた頃、つまり水晶玉に手を置いて占ってもらうようになってから、記憶の糸がぷつりぷつりと切れ始めたと言う。
 恐らく陳さんの息子も、良牙と同じように未来を占ってもらううちに生気を吸い上げられ、水晶玉に取り込まれてしまったのだろう。
「これで、よかったんだよな…」
「…さあな…」
 これから先、あの小さな家で独り息子の帰りを待ち続ける陳さんの姿を思うと、いっそのこと真実を打ち明けてしまったほうがいいのではないのか。
 気持ちに踏ん切りをつけ、これからのことを前向きに考えたほうがいいのではないか。
 乱馬はそんな気持ちに駆られた。
 しかし、一時の衝動で告げてしまうべきことなのか。本当に真実を伝えることが彼女にとっていいことなのか。
 本当のところ、乱馬自身も分からなかった。
(…もしも…)

 ―――もしも、陳さんが真実を知る時が来るのならば、


 どうか、その死が彼女に優しく伝わりますように…


「なぁ、良牙。お前、紙とペン持ってるか」
「持ってるが、それがどうした」
「いや、後で借りるかもしんねー…」
 乱馬は、自分が家族に全く連絡を入れていないことにふと気が付いた。
 自分の帰りを待っている人がいて、その人たちが元気で生きていてくれる。
 その幸せの価値を見過ごしていたような気がした。
 日本にいる大切な人たちに思いを馳せる少年の心に、陳さんの手を振る姿が重なっていった。



萌芽の章 二、「根 」乱馬編  完




作者さまより

(小人のつぶやき)
乱馬編を書くに当たり、中国の写真集と睨めっこ。千変万化の国。広大な土地にあるいくつもの大自然と人々の暮らしと顔に魅了されます。…中国語ができれば、何ヶ月か掛けて渡り歩いてみたいです。

今回、(あかね編も含め)初の「妖怪もの」を扱ったお話でしたが、慣れないせいか話に広がりがなく…。(全体を通して乱馬編の描写はあかね編に比べて少なかったしなぁ…)格闘シーンも難しいですね。擬音語・擬態語ばっかり。これからこんなものが続くのに…(封印したはずの海千拳もちょこっと復活させちゃったし…)


 中国ははまったら恐ろしいそうです・・・私の両親がはまってしまって、ここ数年、毎年遊びに行ってます。多い年は複数回。
 それも、チベットの奥地や古墳の発掘現場とか・・・普通のツアーじゃいけないところへ。
 行くたびに目まぐるしく変わる都会は高度成長期の日本のようだと言っておりました。
 息子も修学旅行でこの春、上海まで・・・と思いきや、某病原菌のせいで北海道へ変更。

 親にとっては、逆縁は辛いものです。でも、きっとこの話の陳さんにはそれとなくわかってはいるでしょう。
 乱馬と良牙の二人中国紀行・・・続き期待しています♪
(一之瀬けいこ)


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