◇愛する者へ   萌芽の章 〜十九歳〜
  二、「根」〜気付き〜 乱馬編 (中編)

かさねさま作




「ったく!なんなんだよ、あのババアはっ!」
 乱馬は面白くなかった。当然である。
 本人で自覚していることを他人から言われることほど腹立たしいものはない。しかも、それが自分自身にとって一番のネックであり、本人としてもどうしたらいいのか手が付けられないものであれば、尚更だ。
「やっぱり、当たってたじゃねーか。ええ?乱馬」
 良牙の突付くような言葉が火に油を注ぐ。
「うっせーなっ!だいたい、あの占いババア、ぜってー怪しいぞ!」
「なに言ってやがる。本物の占い師なんてもんはあんなふうに怪しい感じのするもんだっ」
 根が単純な良牙はすっかり信じ込んでしまっている。
「ばかっ!お前、あの邪悪な妖気を感じなかったのか?!」
「な〜にが邪悪な妖気だ。お前、図星を言われたからって人のせいにするな」
「だっ、誰が図星言われたっていうんだよっ」
「ほ〜れ、熱くなってんじゃねーか」
「あっ、熱くなんかなってねえっ!とにかく!もうあそこには近付かないほうがいいぞっ」
「はんっ!真実を突き付けられるのが怖いんじゃねーのか?」
「!」
 一番言われなくない言葉だったのかもしれない。容赦なくグサリと刺さる。だが、そんなことは間違っても見せなくない。乱馬お得意の虚勢が彼を押しやる。
「いちいちうっせーな!俺は忠告しといたからなっ!もう、勝手にしろっ」
「おお、勝手にさせてもらうぜっ」
 これ以上続けても無駄だと思ったのか、それとも、墓穴を掘りそうで怖かったのか。乱馬は村へ帰るまで一言も口を開かなかった。

「あれ?」「陳さん?」
 村に着いてみると、陳さんが心配そうに家の前で行ったり来たりとしているのが目に入った。
「陳さ〜ん!」「ただいま〜!」
 二人の呼び声に気が付くと、彼女の顔がぱあっと明るくなった。
「良かった!良かった!」
「「ち、陳さん?!」」
 駆け寄った彼女は二人をしっかりと両腕に抱きかかえる。
「良かった!二人、帰りません。心配しました!」
 肉付きのいい温かな体をぎゅっと押し当てる。
「……」「……」
 彼女の脳裏に、息子が出て行った日のことが蘇ったのかもしれない。乱馬も良牙も、黙って彼女の肩に手を置いた。小さく震えているように見えた「母親」の肩に。





 バキッバキッバキッバキッ
 ビシュッ、ビシュッ
 ドカッドカッドカッドカッ
 朝から血気盛んな稽古が繰り広げられている。
「おい、良牙!どうしたんだ?元気ねーじゃねー…かっ!」
 バシッ
「うわぁっ」
 乱馬の拳がストレートに決まり、良牙は遠くへと吹っ飛ばされる。が、上手く体を回転させ松の枝に着地すると、空高く舞い上がった。
「なに?!」
 今までに見たことのないような跳躍力。その姿が深い霧の中に消えたかと思ったら頭上から気弾が矢のように降ってきた。
 バスンッバスンッバスンッバスンッ
「どわぁっ!」
 乱馬は辛うじて身を翻し避けていく。
「おいっ!良牙!朝っぱらから飛ばすんじゃ……ん?!良牙っ!」
 ひゅるるるるる〜
 ドサッ!
「うへっ!」
 乱馬の両腕に、血の気を失いぐったりとした良牙が落ちてきた。

「いったいどーなってんだ?」
 死んだように眠っている良牙の枕元で乱馬はやつれた友の顔を見ていた。
「良牙、夜、あまり寝ません」
「あん?」
 思いがけない一言に眉をひそめる。
「どーゆーことだ?」
「夜、いつも外に出ました。良牙、一人で稽古します。私思いました。でも…」
 ベッドに横たわるやつれた良牙の顔を見て、口を閉ざしてしまった。
「闇稽古か?…にしてもこのやつれようは穏やかじゃねーな…」
 目の下にはくっきりと隈ができていて、頬骨も目立つほど頬が痩けていた。最初はただの疲れか、腹痛かなんかだろうと高を括っていた乱馬だったが、この急激な衰えと生気を奪われたような顔に、なにか邪悪なものの影を感じずにはいられなかった。
「陳さん、いつもって毎日か?」
「そう、毎日。ちょうど一週間くらい」
「一週間…?」
 一週間といえば、占い師の所へ行ってからちょうど一週間だった。あの日以来、良牙があの老婆の所へ行くような素振りは見せていない。
(もしかしたら…)
「ちっ!」
「乱馬?」
「あ、いや…」
 己も日々の修行で疲れていたため、良牙が夜中に床を空けていたことなど気付きもしなかった。
「私の息子も…」
 ぎりっと唇を噛み締める乱馬の許へ来ると、陳さんは心配そうに良牙の頬に手を当て、息子のことを話し始めた。眠っている少年を遠い目で見つめながら…。





 ホー、ホー、ホー…
 夜霧が川の水面を滑るように流れていく。
 普段は泥のように眠りこけていたから気にもしなかったが、梟の鳴き声だけが聞こえてくる真夜中の静けさは却って気味が悪い。
 良牙は朝倒れた切り一度も目を覚まさずに眠っている。乱馬はいつものようにその隣で横になっていた。しかし今夜は、背中越しに聞こえてくる寝息に全神経を集中させていた。

『陳さんの…息子さん…?』
 昼間、陳さんが青白い良牙の横で話してくれた息子の話。
『そう。武道大会の少し前、占いの先生知りました。息子、毎日行きました。占いの先生の話、息子私に話しました。昔のこと、とてもよく当たりました。未来のこともよく当たりました。だから、武道大会のこと、占いの先生から聞きました。息子が行きます。優勝します。占いの先生、言ました』
 陳さんの息子も、失踪する前ずいぶんとやつれていたと言う。陳さんはひどく心配したが、息子は優勝するためにきつい稽古をしているからと母親に言っていた。

(あの占いババアが一枚噛んでることには間違いねー)
 良牙が夜中にあの占い師の所へ出掛けているのは確かだった。彼が動き出すのを、乱馬は息を潜めじっと待つ。
(ん?!)
 と、布団の擦れる音が聞こえた。
 隣で寝ていた良牙はむくっと起き上がり音もなくベッドから立ち上がると、まるですうっと消えていくように部屋から気配を消した。
「…この気、良牙のじゃねーな…」
 邪悪な気に舌打ちすると、乱馬も急いで布団から飛び起きた。

 シュッ、シュッ、シュッ、シュッ…
 いつもの良牙では考えられないようなスピードで岩や木を飛び越え、駆け抜けていく。
(なるほどな…)
 今朝の良牙の驚異的な跳躍に納得がいった。毎晩、片道二十キロの道を往復しているのである。自然と足腰が鍛えられ、ジャンプに伸びと力が付くのは必定。
 しかし、このスピードは異様だった。さきほどの気といい、この速さといい、良牙のものとは思えない。しかも、あのド方向音痴の良牙が二十キロも離れた所まで迷わずに行き来できること自体、不自然だった。
「こいつはちっと面倒なことになりそうだぜ」
 これから来るであろう厄介な戦いの予感を友の背中に呟いた。

 辿り着いた場所は、一週間前良牙と来たその場所だった。
 日がある時でさえ濃い霧で先が見えないこの谷間は、月影なき夜陰の中では肉眼で何かを捉えるのは不可能に近い。
「見失ったか…」
 さきほどまで追っていた良牙は姿を消していた。薄ら寒い闇の中で、乱馬は良牙の気、いや、怪しげな気を探る。

(?!)

 背後に何かを感じた。
「良牙かっ!」
 ばっと振り返ると、そこには怪しく光る蒼い玉が浮かんでいた。
「やっぱり、てめーか…。占いの婆さんよ」
 その蒼い光にぼんやりと照らされるように、占いの老婆の姿が浮かび上がる。
「待っておったぞ、『勇者の魂を宿す者』よ。お前さんの連れの少年もなかなかのご馳走だったが、乱馬、お前のは極上じゃ…」
「ご馳走だった…?」
 過去形な言い方に胸がざわついた。
「もう一歩遅かったようじゃな。良牙の生気はついさっき搾り上げたばかりじゃ。この水晶玉でな」
 良牙の若き瑞々しい魂を吸い取ったせいだろうか。初めて見た時よりも、水晶玉の光が強くなっているように見える。老婆は水晶玉を味わうようにぺろりと嘗めた。
「んだと?!」
「良牙はもうお前さんの友人でもライバルでもない。ただの廃人じゃ……わしの命令通りに動いてくれるな!」

 ドンッ

「はっ!」

 ドガッ
 ガラッガラッガラッガラッ
 乱馬を狙って放たれた気弾がざっくりと地面を抉った。
「良牙っ!」
「何を言っても無駄じゃ。お前の言葉など聞こえはせぬ。良牙はわしの僕となったのじゃ。さぁ、お前もその生命力溢れる美しき魂をわしに捧げるがよい!」
「はんっ!誰が貴様なんぞにやるもんかっ!」
「くっ、くっ、くっ!強がっていられるのも今のうちじゃ。行けっ、良牙よ!」
「良牙ーーーーーっっっ!!!」
 乱馬の呼び声に、良牙は応えることはなかった。



つづく




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