◇夢幻
  8、失われた心

自動的存在さま作


 人が絶対に正しいと信じられるものは、この世の中にそうそうあるものではない。
 しかし、私はそれを見つけた。信じるに値する人を。
 そして、誓った。
 彼を奪おうとするものは、全て滅ぼそうと。

 奪わせない。壊させない。

 私は、彼と自分自身の世界を護るために、今行動する。
「なんのようじゃ、あかね?」
コロンがさも不思議そうに尋ねてきた。
「わかっているでしょ?おばあさん」
 笑顔を向けてやった。旅立ちへの餞別代りに。
「あんた達には、これから旅だってもらうのよ」
 吐きすてるように言うと、その女が私の視界に入ってきた。
「お前どこか行くのか?」
 随分と間の抜けた女。
 この女だ。憎むべき最大の敵。
 シャンプー。
 怒りで一瞬目の前が真っ白になったが、すぐに落ち着きを取り戻す。
 落ち着け、私。今日限りの辛抱だ。
「あんた達に、これから旅だってもらうのよ」
 ゆっくりと閻魔のように宣告する。
「どこに?」
「無論……」
 言葉を切る。自分でも驚くぐらいに冷たい感情が湧き上がってくる。
 私の中のどこかで、やめてやめて、と叫ぶ声が聞こえる。
 だが、それ以上に憎しみの感情の方が増長してきてどうにもならない。
 この女が奪ったんだ。
 私の大切な人を。
 意を決し、静かに最後の言葉を紡ぎ出す。
「あの世にね」
 奪わせない。壊させない。
 私の大切な人を奪おうとする奴は、誰であろうと……


 コロシテヤル。


 目を覚ますとそこは薄暗い場所だった。
 もういいかげん闇には慣れてきているが、こうも明りから隔絶していると、元の日の当たる場所に自分が戻っていけるか不安になる。
 だが、戻らなければいけないのだ。
 彼女と共に。
「さて……」
 その場に立ち上がり、とりあえず現状の確認を図っておくことにした。
 記憶に残っているのは、自分が本当に死ぬかもしれないという極限の予感、そして一瞬だけ見えた鋭い閃光。
 まさに死と紙一重の状態だったような気がする。
 だが、何故か自分は生きている。とりあえず大事は免れたようだ。
 一体何が起きたのだろうか。
 そして、自分はどうやってその死を免れることができたのだろうか。
 しばらく考えてみたが、答えがでるはずもない。さして問題もないと思うので、これは放置しておくべき過去の事物なのであろう。
 問題はこれからどうするかだが……
 そうだ。まず彼女を助けなくてはいけない。
 確か自分は夢幻空間とかいう未知の場に来ていたのだ。
 そして、彼女を奪われた。
 誰に?
「あいつか……」
 記憶の整理がついた。
 印象が濃いようで、すぐに忘れられてしまいそうな、あの黒いマントを羽織った変態野郎。世界を救うとかなんとか戯言をいろいろほざいていたが、悪いが自分は宗教を信じる性質ではない。
 世界の未来なんてこの世の中で一番どうでもいいことだ。
 そういうのはたぶん、自分の知らないところでいつのまにか決められていくものなのだろう。
 だが、別に自分はそれに対してなんの反感も覚えない。
 革命者になんぞ興味はない。
 諦めの念と鼻で笑い飛ばされるかもしれないが、一向に構わない。
 自分にとっての一番の問題は、未来ではなく彼女のいる現在なのだから。
 彼女さえ無事ならば、あとは何も望まない。
「だから、おとなしくあいつを返してもらおうか……」
 少しドスのきいた声で宣言する。
 その眼前の影に向かって。
「君とは話しが合いそうに無いな」
 そう、その眼前の黒マントに向かって。


「いやだと言ったらどうする?」
 からかうような口調で黒マントは告げる。
 それがいちいち神経に障る。
「悪いがお前にそんな選択肢は許されねえぜ」
「ほう?それはどういう意味かな?」
「こういう意味さ」
 初めから話し合いで解決できるとは思っていなかった。
 だとしたら、力を行使するしか道は残されていない。
 一瞬の内にそいつの懐にもぐりこみ、その影のど真ん中に向かって拳を繰り出した。
 だが……
「無駄だ」
 黒マントは拳が当たる寸前、その指をぱちんと鳴らした。
 その瞬間、身体の横から衝撃がつきあげてきた。
 それも並大抵の攻撃では出せない、巨大な鉄球をぶち当てられたような、想像を絶する威力であった。
「が!」
 身体が横にぶれて、その場に残像だけが取り残される。
 かなりの距離を衝撃によって吹っ飛ばされた。常人なら、あばらがこなごなになっているところだ。
 だが、乱馬はひるまず、すぐに立ち上がり、反撃に転じる。
 負けるわけにはいかなかった。彼女を奪わせるわけにはいかなかった。
「君は随分と勝手なやつだな」
 今度は喉元に衝撃がきた。
 黒マントがいつのまにか自分の前にまで移動していて、喉を締め上げにかかったのだった。
「ぐ……てめえ……」
「勝手だな」
 誰がだ!
「お……まえ……がな」
「いいや、君だね」
「な……」
 んだと。
 叫ぼうにも喉が締められてかすれ声にしかならない。
 おまけにその力がこれまた半端じゃない。
 こんな細腕の一体どこにこれほどまでの力があるというのか。
「君は本当に彼女を大切に思っているのかい?」
「あ……」
 たりまえだろうが! 
「そうか、じゃあこれを見るといいさ………」
 また、その指を今度は耳元で鳴らされた。
 すると、何故か目の前がぼやけてきた。
 聴覚と視覚に、これまでに体験したことのないような刺激が走ってくる。
「あ……?」
 叫び声と同時に映像がつながってきた。
 目にして後悔するだけのその映像を。


「ぐ……なにするか……」
 普段のシャンプーならばこんな愚かなミスはしなかっただろう。たとえ不意打ちを食らったとしても、警戒心が身体に染みこみすぎているので、相手の攻撃の威力を軽減させ、逆襲に転じることなど造作もないことだ。
 だが、今回の場合は事情がいくつか違ってきた。まず、相手があかねであったこと。そして、彼女の身体能力が異常なまでに強化されていたこと。
 あかねは自分よりも弱い。彼女から自分に攻撃を仕掛けてくることはない。
 経験から来たその油断が、シャンプーの警戒心を一時消してしまった。
 それが失敗だった。
 気がつくと、あかねの拳が鳩尾に入ってくるところだった。
 スピードもパワーも今までのあかねとは比べものにならないような、その拳が。
 どか、という音と、みし、という音が同時に辺りに響き渡った。
 背中から壁に思いきりぶつかる音と、骨が何本か折れる音であった。
「つ……!」
 決して無視できないようなダメージが身体に走ったことが、シャンプーを動揺させた。攻撃動作に移ることができなかった。
 そこに容赦のない第二撃が入ってくる。
 あまりの威力に、壁に少しひび割れが入った。
「あ……」
 世界がゆらゆらとゆれているような気がした。がくりとその場に膝から崩れ落ちる。
 たった二発で立ち上がれなくなるまでになったのは生まれてはじめての体験だった。
 意識が深い闇の底に落ちていく。
 しかし、強引に現実に引き戻された。
 目を開けると、あかねがこれ以上はないというほど冷たい視線で自分をにらみつけていた。胸倉を掴みあげられ、無理やりその場に立たされる。
「だめよ、まだ眠っちゃ。まだ……私の気は済んでいない」
「あかね!お主なにを……!」
 コロンが叫び声をあげた。
 だが、彼女は紐みたいなもので縛り上げられていた。
 あれはムースの暗器だ。
 そして、自分はいつのまにかもう一人の男に羽交い締めにされていた。
「あかねさん、こんなもんでいいんすか?」
「ええ、ありがとう、良牙君。しっかり押さえといてね」
 まさか、二人までぐるだったとは……
「お前ら、何考えてるね……」
 すると、二人の男は顔に普段の彼らからは考えられないような狡猾な笑みを浮かべた。
「わりいのはおめえだろ、シャンプー」
「死んで償うだな」
 あっさりと宣告してきた。
 抵抗しようにも、先ほどのダメージのせいで身体が動かない。
 少し、絶望感がこみ上げてきた。
 その様子をあかねは楽しそうに眺めている。
 シャンプーに顔を近づけ、軽蔑と憐れみの視線を向けて、冷淡にその思いを打ち明けた。
「あんたに私の苦しみがわかる?」
「……」
 わかるわけないだろ……
「いっつもあんたに奪われてきたんだよ。私の大切な人を」
「……」
 人を試すようないやらしい口調だ。
「絶対に奪わせない。そしてあんたを許さない。だから……」
「……」
 一体さっきから何を言っているんだろう、この女は。
 私が大切な人を奪っただと?
 私が彼女から?
「あんたの命を奪うことにしたの……」
「……は……」
 言う前に衝撃が襲ってきた。


「君が彼女を本当に大切にしてきたのなら、こんな行動は起こさないんじゃないかな?」
「……てめ」
 締め上げてくる腕を怒りのままに、人体構造上ありえない方向に無理やりはずした。
「あかねに何をした?」
「……」
 ふう、と黒マントは肩を落とし、曲がりっぱなしの腕を、機械でも直すみたいに平然と元に戻す。
「洗脳しやがったな?」
 それ以外に、彼女の先ほどの異常な言動を説明する術はない。
「そう思いたいなら、そう思えばいいさ」
 意味ありげに、そして冷淡に言ってきた。
「どういう意味だよ……」
「そう思うだけなら簡単だよねえ。自分は彼女を全く傷つけていないって、表明できるんだから」
 う、と乱馬は言葉に詰まった。
「あれは、彼女が今まで溜め込んできたものを僕が少しだけ解放してやった結果さ。まあ、確かにこれはある種の洗脳とも言えるかも知れないな。だが、0からの完全な洗脳ではない。ああなるであろう原因が彼女の中には少なからずあった。それからあの二人はまあおまけに洗脳しておいた」
「な……」
 なんだって?
「わかるだろう?乱馬君。君の態度がはっきりしないからあんな原因が彼女の中に生まれたんだよ」
 精神がぶち壊されたような気がした。
「そうだ、彼女は確かに君を求めているんだろうよ。だが、彼女にはそれ以上に救いが必要だ……」
 まるで犯罪者を断罪する裁判官のような目でこっちをにらみつけてくる。
 なんだよ?
 俺のどこが悪いっていうんだよ?
「君に彼女を渡すわけにはいかないな」
 当然という口調で断言してきた。
 ふざけるな!と掴みかかろうと思った。
 だが、なぜか身体は思うように動いてくれなかった。


 あかねを傷つけた?俺が?



つづく




Copyright c Jyusendo 2000-2005. All rights reserved.