◇夢幻
  5、Battle Second 〜heaven〜 鎮魂編

自動的存在さま作


゛彼と対峙すれば間違い無く死ぬ。例外無く。行きつく先が天国か地獄かは保証できないけど″
リング「エンジェルズガイダンス」


「…現実行使率およそ85パーセント。人体への影響特になし。ええ、また…」
゛ん?″
「以上より判断して、性格極めて優柔不断。戦闘力、特に脅威とする゛奥底″なし。ん?ああ、だいたい分かったよ。偶然だろうけど、僕こういうの収集するの好きだから」
゛な、なんだ。子供の独り言が聞こえるような″
「ん?ああ、そのことは充分承知してるよ。僕はむしろそれが見たいんだけどな。ところで、他に゛構わない存在″とかはいないの?別に君でもいいんだけど…」
゛な、なんか、重い″
「そっか。うん、いいよ。またね」
゛気、気のせいじゃない!!本気で重い!顔が…″
「ん?」
良牙は呼吸がうまくできず、声にならない悲鳴をあげていたが、その時、
「あ、起きてたの」
という声と同時に、空気と光が訪れた。
「…ぶはっ!!」
途端良牙は跳ね起きた。
「な、なんだよ、ここは…」
良牙は辺りを見まわすと、そこはあの暗い静かな、現実の世界にはまずあり得ないだろう、風林間高校の廊下が広がっていた。景色からして、大体3階くらいだろう。
「お目覚め?」
その声の方に良牙は目を向けた。そこに小さい、なんだか白いシルエットがあった。
「は?」
それは窓のふちに座っていた。
「はじめまして、響良牙君」
そのシルエットは手を振ってあいさつしてきた。そして窓から降り、その場にすくっと立った。よって、窓から光がさしこみ、よく見えなかったシルエットがはっきり写し出されたのだった。
これまた、異様であった。
見た目からして、もうこれは明らかに小学生ぐらいの男の子であろう。身長が大体140センチなのと、非常にまれに見そうなくらいの初々しい童顔からして、丁度三、四年ぐらいだろうか。さらに髪は染めているのか完璧に白い。やけに笑顔が似合いそうな、女子高生がいたら思わず抱きしめられそうな、そんな奴だった。しかし、それも普通の服装をしていたらの話である。その服装とは、仮装でもしているのかと疑えるほどのもので、白い天使の翼のようなマントと、ミツバチのような触角を付けている上、現実世界にはけしてないような型のパソコンを装備している。なんだか、今時珍しいミニオタクというような感じがしてやまない。
「クス」
そいつはにこっと良牙に微笑みかけてきた。良牙はびくっとして、警戒する。
「て、てめ、何者だ…」
そういうとそいつはおどけてみせて、やれやれというようなポーズを作り、、
「ふう、あらら。リングったら。彼をそこまで警戒させちゃって。ま、無理もないかな。ところで…」
じっと良牙の顔を見つめる。
「な、なんだよ」
それはやけに凛としていて、きれいな視線だった。だが、その視線は明らかに慇懃無礼な感じが含まれていた。そいつはまた、かすかに微笑んで、
「あはは、ごめんごめん。君の顔に跡がついちゃったね」
とだけ言った。
「は?」
良牙思わず、さっき妙に重かった顔の部分をさする。そして、ふと目の前の窓ガラスを見る。そこには、くっきりと顔に小さい足跡のある自分の顔が写し出されていた。
「な、」
そう、つまりこいつが、良牙が寝ていることをいいことに、顔を足蹴にしていたのだ。しかも、ご丁寧に両足で全体重がかかるように。
「あは、ごめんね」
再び口に手をあて、失笑する。誠意があるようには全く見えない。一歩間違えれば呼吸困難で死んでいたかもしれないのに。良牙はいらいらして、
「おい、お前な…」
と言いかけると、そいつは何の前触れもなしに、良牙を見上げて、
「僕の名前はヘブン。よろしく」
と形式的に自己紹介してきた。良牙は、少しこけて、あきれて物も言えない。だが、ふっと状況を思い出す。
「おい、お前ってまさか…」
「ま、君にとっちゃ、生きている内に最後に見れる存在だと思ったほうがいいね」
ヘブンと名乗ったそいつはにっこりと笑って、冗長たっぷりといった感じにそう言った。
これが掛け値無しの本気であろうと誰が信じるであろう。
「は、」
しかし、障害無く良牙の頭の中で事象は整理された。良牙の頭の中に、七色の虹がさしこんだ。全てのことの映像が彼の脳内を流れていく。
なんというか、別に良牙は頭がこれと言ってさえてるというわけでもない。むしろ、その逆である。まあ、武道家としての動物的本能というか、そんなものが彼には備わっていて、それが彼に危機を伝えたんだろう。
だが、、頭では分かっていても、体はなかなか思いどおりには動いてくれないものだ。その整理があまりに速かったため、脳内がオーバーワークをきたしてしまったらしい。
「あかねさん!!今行きます!」
そう他人が聞いたら、きっと危ない人への対処方を思い出すだろう言葉を言い終わる前に、良牙はヘブンの方に向かって突進していった。その動きは、絶望の淵から目覚めた狂人のようであった。しかし、ヘブンはこれをあっさりかわし、
「ひょい」
と良牙の上に座り込んだ。
「ふぐ」
良牙の体が廊下の床面に叩きつけられる。その上でヘブンはまた、かたかたとパソコンを打ち始める。
「性格非常に単純。物忘れ激し。本能のままに生きるタイプと…」
明らかに良牙は遊ばれているといった感じだ。この言葉と同時に良牙の中に燃えるような闘志が芽生えた。自分が今しなければならないことが、完全に把握された。
「てめ、このやろっ!」
「お?」
良牙は体を起こし、上に座り込んでいるヘブンを投げ飛ばした。それでも、ヘブンは冷静にパソコンを大事そうに抱え、音も無く廊下に着地する。
「たく、何度も人の体の上に乗りやがって」
良牙は服の汚れを手で払いながら、きっ、と相手を見据えた。相手は自分よりも遥かに幼そうに見えるのに、その視線には遠慮というものがなかった。
「さて、俺は今、非常に急いでいる。おとなしく、そこをどけば良し。でねえと…」
「は?」
「ガキだからって容赦はしねえ」
「クス」
ヘブンは鼻で笑った。
「クス、なんだかねえ。リングもつくづく余計なことをしてくれちゃったみたいだねえ」
「あん?」
「僕はまだ、殺気とか敵意とか、君に向けなかったのに、もう君は気を体内に集中させちゃったみたいでさ。随分と警戒してるねえ。僕としてはもう少し゛観察″したかったんだけどなあ」
それは一見、まだ何もしらない、良牙さえ感づかない、純粋そのものの小学生のような笑いだった。
しかし、事実は全く皮肉で、この少年に見えるようなヘブンという存在は地球に存在する何よりも、この世がいかに不条理で過酷な摂理の元に成り立っているか、嫌というほど知っていた。
彼の笑いには、意図的なものか、あるいは何かの原因で今や自然に出るようになってしまったのか。それは、本人以外誰も知らない。しかし、確実に言えることがある。
その笑いには、喜びは一切含まれていない。その代わりに、彼が誰かと対峙する時に抱く感情。それは、狂気にも似た、ただ一方的な゛殺意の謳歌″。
すなわち、彼の感情の大半を占めているのは、そう、楽しみと悪意だった。
「観察だと?」
「そう。君のような人間という生命体は、いかなる法則に基づいて行動しているか。実に興味深いんだよねえ、人間ていうものがさあ。しかも、直に会えるのは、さてさて何年ぶりかなあ」
「………」
「ま、でも、もう大体君のことは観察したからいいんだけどね。ふふ、そうだね。残りは…」
「?」
意味ありげに笑い、ヘブンは右手に抱えていたパソコンを、わずかにためらい無く上に向けて投げた。
途端、そのパソコンは空中でまばゆい青白い光に包まれ、その形状を変えていく。
「!?」
「クス」
そして、それは浮いたまま、より一層強い光を放ったかと思うと、ストン、とヘブンの右手に落ちてきた。
いや、それは彼の手に触れた時に、一切の音がしなかったから、良牙にも、ストンというイメージが描けたのである。ところが、彼の手元に落ちてきてから少し経って、それを纏っていた光が消え視認できるようになると、良牙は仰天した。
それはこの世にある、ありとあらゆる金属を混ぜ込んで作ったような巨大な鉄鎚だった。全体的に鈍い光沢を放っている。冗談でその先端にある、鎚の部分に100トンとか書かれていても、誰も突っ込む者はいないと思わせるほど、それには他を黙らせるような圧倒的な圧力があった。
「君を殺していく過程でいかなる変化が現われるか、じっくり観察させてもらうよ」
ヘブンは、その細い腕で大男が数人いて、やっと持ち上がりそうな鉄鎚を軽がると担いでいる。まるで、自分は重力という物理法則の中から抜け出しているとでも言うかのように、そこにはあまりにも余裕がありすぎていた。
「な、てめ…」
良牙はあからさまに動揺していた。もう、すでに敵の力量は痛いほど分かっていた。相手は自分よりも遥かに強いその事が。しかし、彼はここで諦めるわけにはいかなかった。まぐれでも何でも、とにかく目の前の敵を倒すことは彼の絶対条件だった。
「クス」
ヘブンは、何の感情も混ざってないような、貪欲な視線を良牙に向けた。それが良牙の緊張を一気に爆発させた。
「う、この野郎!!!!」
良牙はまるで空中に浮かんでいるように立っているヘブンめがけて突進していった。なんの策もない、ただ感情に任せた攻撃だった。
「クス」
良牙はヘブンの顔面に、勢いを止めることなく、本気の拳撃を打ち込んだ。いや、打ちこんだかのように見えた。だが、当たる瞬間、ヘブンは実に余裕に、ふわっと舞うように空中に飛び上がり、それをいともあっさりかわしてたのだった。
「ち…!!このや…」
「僕の名前は…」
ヘブンは空中でさかさまになりながら、地球上ではまずあり得ない対空時間を保ちながら、何やらぶつぶつ独り言を言っている。
「ヘブン。目的は君の消去。別名…」
「くっ!!」
良牙は、その重力を無視したスピードの遅さに、咄嗟に反応することができなかった。
「エンジェルズガイダンス」
そう言い終わったと同時に彼は、右手に握り締めた鉄鎚を超速の速さで振り下ろしてきた。
「くううっ!!!」
良牙はここでようやく反応して、体をぎりぎりにまでそらせ、何とかそれをかすませる程度に済ませた。が、振り終わり、それが床面に当たると思われた寸前、まるで機械仕掛けのようにぴたりと止まり、その先から予告もなしにいきなり爆風が生じた。そう、人間レベルではまず起こり得ないほどの凄まじいスピードで振り下ろされた鉄鎚の余波であった。一回の攻撃で二度の効き目があるのだ。良牙はその風に楽々吹き飛ばされ、教室に設置されている廊下沿いの窓をぶち破り、そこにある机の群れの中に受身をとる余裕も無く、勢いよく突っ込んだ。
「ぐ、がはっ!!」
がしゃんというあまりにも大きく鈍い音が、暗い校内に響きわたる。
「くっ…」
良牙はうめきながら立ちあがる。
ところどころ体を擦ってみるが、骨折はしていないようだ。だが、けして軽いダメージというわけでもない。机にぶつかった時のダメージはそれほどでもないのだが、むしろ爆風そのものを直に受けたほうが厳しかった。
「一発で死ななかった奴は君で何人目だろうな。よく、かわせたね」
いつのまにか、ヘブンが崩れた机の一つに腰掛けていた。その手には相変わらず、鉄鎚が軽そうに握られている。
ひょっとして見た目以上に軽いんだろうか、という疑念を良牙は抱かずにはいられなかった。しかし、だとしてもあのスピードは速いなんてものではない。桁があまりにも外れすぎている。目の前の少年にしか見えない者が出せるスピードではない。
(こ、こいつ確実に人間じゃねえ…じょ、常識を超えてやがる…!)
良牙は逡巡していた。すると、ヘブンが良牙の顔をのぞきこんできた。
そして、かすかに、くすっと笑った。
「な、なんだよ?」
「人間…そう、確かに僕は人間じゃない。でも、別な見方からしたらそんな言い訳、我田引水に過ぎないような気がするんだよなあ、僕としては」
ヘブンは小ばかにしたような口調で言った。
「あ?」
「人間…、いや、存在するものすべてに限界なんてものあると思うの?生物はね、自分で何かと力を抑えながら生きているんだよ。まして人間なんて、内在する力の半分もひきだせていやしない。万物可能性は無限なんだよ。つまりね、人間じゃないから強いとか、その前に自分自身を見つめなよ。君リングに言われたことなんも理解してないんじゃない?彼は事実ではなく、可能性を疑えって言ったんだよ。常識という枠を超えたね。常識?僕に言わせれば、そもそも、そんなもの在ること自体間違っている。生物が自分達の都合のいいように世界が進行すればいいという思いから生まれたエゴの産物に過ぎないのにさ…」
「………」
さっきとは打って変わって、それは真剣な口調だった。しかし、良牙は言われていることの半分も理解できていない。腕を抱えて、リング?なんて思っていた。
「だから、既成概念からいつまでも抜け出せず、可能性を導き出せない君を待っているのは…」
ヘブンは話し掛けながら、くるくると気軽に鉄鎚を手元で回している。そのせいか、あたりには小さな旋風が生じていた。そして、冷淡極まる目つきで良牙を見つめ、
「死゛エンド″しかないんだよ」
そう言ったかと思うと、突如彼は鉄鎚をぶるんと凄まじい速さで振るった。その瞬間、彼の周辺にあった机は、金属部分も含めて、ズシャ、というまるで砂のお城が崩れ去ったような音を立てて、粉々に砕け散った。
「!?」
辺りに、その残骸の粒子が舞う。それがヘブンの姿を霞ませる。しかし、良牙は目を凝らし、何とか確認しようとその粒子と奮闘した。
が、彼はその瞬間、背中が凍りついた。
「くす」
そこではヘブンが笑っていた。目をぎらつかせ、獲物を狙うような視線をこっちに向けて、殺気を止めようともせず、ただ無機質に笑っていた。何の疑い用も無い、救いも無い、喜びも無い、理由も無い、秩序も無い、安定も無い、負の感情全てが混ざり合ったような、そんな狂気の笑いであった。
それはまさに、閻魔の宣告のようであった。
「う、」
良牙の感情のバランスが崩れる。
「この野郎!!」
良牙は再び突進していった。しかし、それは馬鹿の二つ覚えというものだった。
すでに、そこにヘブンの姿はなかった。代わりに良牙の首筋に冷たいものがあてられた。
ヘブンの鉄鎚であった。
「!?」
いつのまにか、ヘブンが良牙の後に回っていた。良牙に背中合わせにもたれかかり、彼の鉄鎚を首に押し当てていたのだった。
「スピードはあいつ程じゃないけど、少なくとも君よりかはある」
そう言って、ヘブンはナイフの如く首筋に鉄鎚を押し当てる。良牙の身体に氷のような鋭いものが突き刺さる。
「これはただの鎚じゃなくてね。文字通り、一発くらったら即アウトなんだ」
ヘブンは面倒くさそうに説明した。対する良牙は緊張のあまり、動けなくなっていた。
(い、今動いたら粉々にされる…)
「僕がさっきなんで当たる直前に止めたか分かる?当たったら、冗談ではなく床が抜けてしまうからだよ」
「………」
良牙は聞いているのかいないのか、黙りこくっている。
「ねえ…」
良牙の動揺などお構いなしに、ヘブンは話し続ける。
「なんで君は僕と戦おうとしたんだい?その気になれば、逃げれたはずだよね」
「………」
「君のそのつまらない意地の為かな?まあ、そんなことはどうでもいいんだけど…」
「………」
「結局の所、生命ってのはそんな風に空虚の螺旋をたどっていくんだろうね。生まれては死に、死んでは生まれ、それの繰り返しさ。あろうことか君みたいに平気でそれを投げ出す者もいるしね。生命に存続の意義なんてあるのかな?最初から何も無い、空っぽの状態のままであればいいのに…」
「………」
「本当に。死ぬってなんだろ?君、定義できる?心臓が止まったらとか脳が機能しなくなったらとか、そんな陳腐な生理的説明は無しにしてさ。僕、今でもよくわからないんだよ。死を実際に体験するわけにもいかないしね。全ての事象は、実体験に基づいているんだよね」
「………」
「だから、僕はそれを潰して、観察したくなるんだよ。生きていても分かるその日が来るまで。真実に絶望して挫折した者。腕だめしに立ち向かってきた者。生まれた瞬間に叩き潰された者…いろいろいたね。ここで生まれたのも幾人かいたけど、その大半は僕が潰してきたんだな、これが。はは、リングに呆れられたね」
「………」
「夢幻空間てのは、そんな死と空虚の集大成なんだよ。ここには、けして救いはないんだ」
「俺は…」
ここでようやく良牙が反応した。
「そんな戯言なんざどうでもいい。ただ今、少なくとも死に急いでるわけじゃねえ。俺は…」
良牙の体に気が集まる。相手はそのことに気づいているのかいないのか、反応はない。
「俺は意地でも生きて、先に進まなきゃならねえんだ!!」
「生きていても真実に踏みにじられるだけなんじゃないかい?」
「うるせえ!!」
良牙が瞬間的に振りかえる。が、すでに相手はこちらを向いていたのだった。
すかさず良牙は顔面に拳を打ち込む構えを取る。ヘブンの体は本能的に右に反れていた。だが、良牙は一方で、ヘブンの膝に軽い蹴りを入れていた。上に集中させておいて下。ヘブンはその反動でよろめく。ダメージを与えることが目的なのでは無い。この瞬間を創り出すためだったのだ。
「くらいやがれ!」
良牙は全てをその時に賭けた。最大限の気を拳に込める。その余りの衝撃に教室全体が振動する。窓に、ぴし、ぴしと亀裂が走る。そして…
放った。ヘブンの人体における最大の急所めがけて、手加減することなく正拳突きを放った。最後の賭けと言ってもいいぐらい、それには痛烈な思いが込められていた。
だが、目の前の現実は残酷だった。
ヘブンは必死にかわそうとした。しかし、今回の場合それだけではまずいと判断したのだろう。鉄鎚を自らの体の前に押し出した。そうしたかと思うと、その鉄鎚がまばゆい光線に包まれたのだった。再び形状を変えていく…。
「な!?」
良牙の気づいた時には、もうその形を変え終わっていて、元のパソコンになっていた。しかし、拳は止まらない。そのパソコンに激しい音をたてて、当たった。
「く!」
このまま貫いてやろうと、さらに力を込める。だが、それはさらに事態を悪化させる引き金となってしまったのだった。
「防御力最大」
そうヘブンが叫ぶとパソコンが光った。まるで、その言葉に呼応したかのように。
良牙の拳は、そのまま勢いよく弾かれてしまった。後方に思いっきり、その反動により引っ張られた。誰かが良牙を掴んでいるのかと錯覚させるほどに、その勢いは凄まじかった。
本気で放った分の皮肉な代償であった。
そして、良牙は体勢を立て直そうと必死に踏ん張るのだが、時というのは、こういう危険性を全く無視して、むしろより速く、より無慈悲に進むものなのだ。
ヘブンが、もう眼前に迫ってきていた。パソコンを一瞬で鉄鎚に変化させ、それを振りかぶりながら。
「終わりだね」
そう宣告したと同時に、ヘブンは鉄鎚を横になぎ払った。それは、速すぎて常人の眼では、けして捉えられることはない。だが、わずかに、影程度に、良牙には見えていたのだった。
なんとか、もはやこれ以上の背筋力はないと思わせる程に、体を思いっきり折り曲げ、それをかわした。
奇跡に近い芸当だった。良牙も内心終わりだと思った。しかし、かわせた。
そこで油断したのが間違いだった。いや、油断しようがしまいが、結果は同じだったのかもしれない。
運命から逃れることは不可能なのだ。
ヘブンは振り終わり、床に着地した。良牙は、こいつも反動がすごいだろ、と一抹の期待を抱かずにはいられなかった。
甘かった。
そう、着地したと同時に、再び今度は逆方向になぎ払ってきたのだ。振り終わらせるつもりはなかったのだ。それは、筋力とかなんとか、そんなものは一切関係無かった。人間に、このような神技は不可能だ。目の前の超人は、完全に慣性の法則を無視していた。
良牙には、その超人を超えることはできなかった。反射もくそもなかった。体勢とかの関係も皆無だった。意識することさえできなかった。
その鉄鎚は、今度こそ間違い無く、良牙の腕から入っていた。良牙が気づいた時には、すでに充分に衝撃が体中を貫いた時だった。
当たったと同時に爆風が生じ、周囲に散乱している、いす、机はおろか、教室の壁も窓も完全に吹き飛び、その衝撃はその階全ての教室に影響を与え、床も残すことなく粉々に砕け去り、二人は中に浮く格好になった。
その場の全ての物体は、ほとんど分子のレベルにまで分解されていた。その原因である二人を除いては。
良牙は咄嗟に気を死ぬほど溜め込み、なんとか体が粉々にされるのを防いでいた。だが、衝撃は良牙の体の全てを蝕んでいた。ごき、ぼきと、骨の折れる、思わず耳をふさぎたくなるような嫌な音が暗い校舎に断絶的に響き、筋肉はちぎれ、体内の五臓六腑にまで甚大な影響を及ぼしていた。
絶大な痛みが彼を襲った。身体全体が、あまりにも激しい損壊で終わることの無い悲鳴をあげていた。体内の内臓にまで、深いダメージが及んでいたので、立ちながら、ほとんど無意識に嘔吐していた。
その凄まじい痛みはしばらく続いたのだが、すぐに消えた。神経まで切断されていたので、痛覚が消えたのである。しかし、それは彼の意識を消滅させるスイッチにもなっていた。彼は深い黒沼に引きずり込まれていった。
その彼の意識とは無関係に、事態は進行していた。衝撃を受けた良牙の身体は、そのまま廊下の窓をぶち破って外に放り出された。しかし、身体は落下しなかった。そのまま、ほぼ真横に弾丸の如く流れていったのだ。普通、地球上での場合だが、物体というのは、このように水平投射された場合、水平方向には同じ速度で進み続けるのだが、鉛直方向には必ず重力の影響を受け、速度を増しながら落下していくものだ。しかし、この時の良牙の身体は全く落ちるということを知らない。そのあまりのスピードに、水平方向のみに進んだのである。
そのまま、良牙の身体は隣の校舎の窓を突き破り、壁に当たって、そしてようやく静止した。
絶望的に、もう事は進みすぎていた。
生きているという望みは、あまりにも儚かった。

再び暗い闇の中に良牙はいた。感覚もなんにもなく、ただひたすらその中を泳ぎ続けているような気分を味わっていた。
(…こ、ここは…?)
そのことが何なのか気にかかるが、すぐにどうでもよくなった。もう、ずっとこのままでいたいという欲望の方が強かった。だが、大体の、自分がどのような状況に置かれているかは分かるらしかった。
(…はは、俺死んじまったんか…?)
悲観的にそうは呟くが、でも、もういいやと諦めの境地ではあった。もう、なんでもいい。全てを受け入れる。好きにしてくれ。
その彼の目の前に見なれた光景が広がってきた。二人の人間が手を取り合って、幸せそうに微笑んでいる。
(…ら、んま…あかねさん…?)
ああ、そうだ。二人はもうそんな仲にまできてたんだっけ。俺は結局、虚しく泳いでるだけだったなあ。
苦笑を浮かべた。自分が馬鹿らしかった。なんて今まで無駄な時間を過ごしてきたんだろう。
(…俺は馬鹿だな…)
「ああ、その通りだな」
どこかから懐かしい声が聞こえてきた。
(…らん、ま…?)
そう、早乙女乱馬だった。彼は勝手に目の前で怒ったように立っていた。
「馬鹿だよ、お前は。こんなとこで諦めてるようじゃ、あかねにもふられるよな。満足に告白もできずに」
「………」
「お前らしくねえな。いつもはもっと執念深いくせによ」
「………」
「やっぱ、お前は不幸だな。象徴しているかのようだぜ」
「う…るせえ」
「あん?」
「う…るせえんだ…よ」
良牙は憤りよりも、むしろ自分に情けなさを感じていた。
と同時に目の前の、幻だかなんだか知らないが、乱馬にほんの少し感謝さえしたい気分が湧き上がった。
彼はその場に起きあがった。
「うるせえんだよ…。誰がお前なんぞにあかねさんを渡すか…」
「へえ」
「ったく、余計にこの戦い負けられなくなっちまった」
「へっ、だったらさっさと言ったらどうだ?」
「ふん。お前に言われるまでも無い」
良牙は完全に目覚めていた。確固とした意思をこれでもかというぐらい詰め込んでいた。
そして、その場のもう一人の方に目をやった。
「良牙君」
にっこりと、激励するようにあかねは言った。
「がんばってね」
「はい。任せといてください。あかねさん」
そして、なにかの呪文のようにぶつぶつ呟き出した。それは、とても激励され戦地に赴くような者のせりふではなかった。
「俺は、今までなんて不幸だったんだ。そうだ、俺は不幸、不幸、不幸、不幸、不幸、不幸、不幸……」

ヘブンは、一応その者のなれの果てを見ようと隣の校舎に移動していた。まさか、生きているとも思えないが念のためだ。なぜならあの男は、吹き飛びはしたものの、粉々に粉砕されなかった。過去何度かこういうケースには直面していたが、その時はニ発目を加え、完全に分子に吹き飛ばしていた。そして、今回もというわけである。
その者はすぐに発見できた。隣の校舎の様々な物を吹き飛ばし、ぐったりとその場に横になっていた。衣服はほとんど裂け、四肢が変な方向を向いている。目は虚ろに見開いたままだ。きっと何が起こったのか全く理解できなかったに違いない。割れた窓から荒荒しく風が吹いて、その者の髪をなびかせていた。まるで、最後の餞のように。
「やれやれ」
そう呟き、すうっと鉄鎚を振り上げる。それは、あたかも死神が鎌を持って、死者を黄泉の国に葬り去るかのように見える。しかし、振り下ろそうとした瞬間、その異常に気がついた。
「ん?」
ヘブンは目を見張る。その者の手が、ぴく、ぴくっと動いているような気がしたのだ。いや、気がするのではない。それは今や現実に動いていた。
「な…」
(こいつ、生きている…?)
咄嗟にヘブンに動揺が走る。こんなケースに直面したことは一度もなかった。粉砕しないにしろ、必ずくらった者は例外無く死んでいたからだ。
「く…」
そして、ヘブンは悟った。今ここで殺しておかないと、とんでもないことになると。
躊躇い無く、鉄鎚を振り下ろした。その良牙の顔面へ。
そして、振り下ろされ、そこから爆風が生じた。爆音が鳴り響き、周囲の物が一瞬で吹き飛ぶ。だが…
「!?」
ヘブンはその影に気づき、上方を見上げた。なんとそこには良牙がいた。鉄鎚に当たると思われた瞬間、体が上に跳びあがっていたのだ。寝ているままで。あり得ないことだった。まだ、体にまともな機能が残っているとは到底思えなかった。
「くっ!」
初めてヘブンに動揺が走った。そして、今度こそ間違い無く叩き潰してやろうと落ちてくる良牙向けて鉄鎚を構えた。だが、振ることはできなかった。
良牙は無意識だった。ただ、自分の使命の為に、彼の本能が自動的に彼の体を突き動かしていた。そして、これまた自動的に、
「不幸、不幸、不幸、不幸、不幸、不幸、不幸、不幸、不幸………」
と謎の呪文を繰り返していた。そうしていく内に今度は良牙が輝き出した。世界中の負の闘気が彼に集まっていった。
「くっ!」
そして、そのまま闘気が発射された。それはあまりにも巨大な気だった。気柱が起き、天井、床、全てを縦に貫いた。それは、さながら原爆を投下した後の景色のようであった。
獅子咆哮弾。
負の気を相手にぶつける彼の必殺技。気は消費していようがいまいが彼の意思に比例して発生する技なので、さして関係は無い。
しかも、今回のは今までの比ではなかった。とにかく絶対的な力がこもっていて、彼の半径10メートルいないのものは全て押しつぶされた。
ヘブンは声なき絶叫をあげ、そのままその校舎の一番下の階をも貫き、地中深くにまで落とされていった。意識は途中で途切れていた。
良牙の身体はそのまま一階に落ちて、どす、という鈍い音をあげた。終わったというような達成感は何もなかった。感じようがなかったのだから。
彼はもう最初から意識を失っていた。本能だけが彼の原動力となっていたのだ。
だが、今まで瞬き一つしなかった見開かれた眼がここにきて閉じられた。安らかに眠るかのように、彼は深く底無しの深淵に落ちていった。そして、そこにはやっぱりお決まりの人がでてきていた。しかも、邪魔者は今度はその場にはいなかった。その人は何も言わず、ただ黙って良牙を見つめていた。
そして、にっこり微笑んだ。それは、この世の何者よりも美しく優しい女神のような笑いだった。
(…あかねさん…)
彼もにこっと微笑む。
こうして一つの戦いは、その幕を下ろした。辺りには戦いの残骸と、空虚で生暖かい思わず涙さえ誘いそうな風が吹いているだけだった。



つづく




作者さまより

ええ、お久しぶりです。遅れてすいません。10月とか9月、いろいろ大変だったんで。しかし、あまりにも文章まとめるのがへたで、こんなに長くなってしまいました。よって二つに分けました。ええ、ちなみに冒頭の謎の一言ですが、ああいうその話の象徴的みたいのって、よく本物の小説にありますよね。いや、かっこいいと思いまして。実在する文載せたかったんですけど、見つからないんで自分で勝手に考えました。うわ、エセくせえ。お許しを。ここに書いてあること全てフィクションです。はあ、おまけにまた脇役?といっては悪いですが、乱馬とかでてきませんね。でてきたけど、ところどころ。ぶっちゃけ、この話が面白いのかどうか自分でも全く分からないです。恋愛物でもないし、無意味に長いし、変なキャラが主体に見えるし。でも、私としては乱馬達を主体に書いたつもりです。一人、一人の切羽詰まった状況。こういうの結構好きです。
が、明らかにキャラが描けてないですね。すいません。がんばります。(何を?)
ええ、こんなひとりよがりな小説ですが、読んでくれている人が一人でもいましたら、感激の極みです。近いうちにあかね×乱馬も書こうかななんて考えてます。うまく表現できるかどうか微妙ですが。次から、もっと更新速くしたいなとも。
ええ、そういうわけで次回に御期待しなくとも、まあ、読んでやるかとお考えの人。
ありがとうございます。がんばってきますね。
ああ、しかし最近親が、勉強しろ、って連呼してきてうるさいんだよなあ。ふう。
すいません、勝手な独り言でした。(また無意味に長いし)


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