景色 〜前編〜
自動的存在さま作


一体あそこで何が起きたのだろう。自分でもよく分からない。あれで何を失い、何を得たのか。いや、そもそもそんなことは考えても意味は無い。あれにはたった一つの意味しか無かったのだから。それはものすごく長いようで、ほんの一瞬のようだった一夏の景色のようで。だけど、それはきっと忘れられない景色で。不確かでおぼろげな景色で。きれいだけど悲しい景色で。私は長い長い悪夢を見ていたのかな、あいつと一緒に…

いつだってそうだ。きれいなのは見せ掛けだけで、その本質はいつも腐敗している。
あの事件はそんな偽造だらけの景色の中で始まった。
呪われた悲劇が幕を開ける。

「…おい…」
(…ん…?)
「…お、い…起きろって」
(…何よ、うるさい…)
「おい、あかね!」
(は?)
「………」
ゆっくりと頭をあげ、目をごしごしとこすった。焦点が段々と合っていく。見なれた顔が目の前にあった。
「たく、何寝てんだよ」
その顔は不機嫌そうな視線を向け、足早に去っていった。
「う〜ん」
天道あかねは上体を起こし、う〜んと屈伸した。そして、辺りを見まわす。
教室だ。誰もいない薄暗い教室。窓からは、遠慮気味に夕日がさしてきている。状況からして、放課後のようだ。
あかねはしばらく、窓の向こう側に広がる景色をのぞきこんでいた。
(きれいだな)
それは、なんの回り道もなく、率直にでた感想だった。
「おい」
そう言って、まだ不機嫌な顔をしているその男、早乙女乱馬が出口付近に立っていた。
「ああ、何?」
「何じゃねえよ、帰るぞ」
「…うん」
あかねはそう答えると、かばんを手にして、よっこらしょ、と年寄りみたいに椅子から立ち上がった。
「…行こうか」
まだ眠そうな顔をしながら、乱馬に言った。
「たくよ」
乱馬が歩き出す。
「待っててくれたのはいいけど、机で居眠りなんかこくなよ。何度も起こしたんだぜ」
「はは、ごめん」
あかねは宥めるように言って、微笑みを漏らした。そうか、私は乱馬を待ってたんだ。そう思うと、二人だけの放課後というシチュエーションに少し気恥ずかしくなって、赤面した。
と、乱馬がぶつくさ呟いてきた。
「そのよ…」
「ん?」
「いや、昼休みはその…悪かったな…」
「?」
最後の方が小声すぎて聞き取れない。
「なに?」
「いや、なんでもねえよ」
そう、ぶっきらぼうに乱馬は答えた。
(まあ、いいか)
でも…と首を傾げる。
何で私は乱馬を待ってたんだっけ?
そして、ポン、と手をたたいた。
「そうそう、思い出した」
「あん?」
「あんた確か、数学の先生に呼び出しくらってたわよね、放課後に」
「ああ?」
「そうそう、それで…」
また首をひねって、記憶の奥底から掬い取るように、考えを脳内に張り巡らせる。
「話があるとか言ってたわよね。今日の朝に」
あかねは、確信的にそう言った。途端に、びくり、と乱馬の体が強張る。やっぱ、覚えていたか。
「ああ、えーとだな」
「だから、私は待っていたんだよ。そうだ、そうだ」
うんうん、と一人で納得する。
「で?」
そして、何年も待ちつづけていたのよ、とでも言うかのように尋ねた。
「話って何?」
「ああ、えーと」
乱馬が、おろおろ、と動揺する。自分でも覚悟していたのに、いざ本番になってみると、時期尚早だったか、と少し後悔しているような感じだ。しかし、今しかない、という感じにあかねを強く見つめた。あかねも雰囲気を読み取ったのだろう。顔が熱くなり、どきっとす
る。
「と、とりあえず…」
「う、うん」
「あ、歩きながら話すよ」
「そ、そう」
なんだか下手な漫才でもしているみたいだな、とあかねは思った。先程までの会話が、ものすごく滑稽に思えてしょうがなかった。
「よし、行くぞ」
落ち着き払ったように、乱馬はすたすた歩き始める。あ、待って、とあかねも後を追う。
(これって、まさかね。あれ?いや、でもね…う〜んと)
妙な期待が高まっていくのが自分でも分かって、あかねは益々顔が熱くなってきた。ふふ、と小さく笑った。眠気も混じって、まだ頭の中が茫洋としている。なんだろ?この感覚。
今までに味わったことは何度でもありそうなのに、自分でもまだよく理解できないこの感覚。
あかねは、再び窓の外をのぞいた。
夕日が沈みかけ、街全体にさっきよりも暗さが広がっていた。それに呼応するかのように、街はあちこちで光を生み出していく。よく観察してみると、野球部が未だにグランドの整備をしている。それに加えて、頭の禿げた40代ぐらいのおっさんが、やっと帰れるか、
と、うんざりした表情で車に乗りこもうとしている。
当たり前の景色。普段から見なれている景色。そのはずなのに、あかねには今ひとつ、ぴんと来ないものがある。
人間は生きている間にどれぐらいの景色に遭遇するのだろう、とあかねは思った。それは数的にも、無謀な憶測である。
ではその中で、記憶に焼きついている景色というのはどれぐらいある?
あかねは、ふと思いつき、考えこんだ。自分の記憶を探ってみても、つい最近までの光景しか頭によぎらない。しかも、それらの光景全てに目の前の男が写りこんでいる。
人間とは忘却の動物だ。必要の有無に関わらず、情報は次々に脳から削除されていく。特に印象の残っているものしか、大抵は覚えていないものだ。その、特に印象の残っている景色は、彼女の場合、ほとんどが乱馬が写りこんでいるものなのだ。だから、それ以外の景色には、さっきみたいに純粋に、きれいだ、とか、ごくろうさま、という感情しか生まれず、それで終わりだ。記憶に残る可能性は極めて薄い。だが、これから写る景色はどうだろう?乱馬の(雰囲気的に)重大な話。その時、自分は何を思い、どう行動するか、目に見えてくる。忘れたくても忘れられないだろう。
(ま、期待しすぎかもね。また、一緒にチョコパフェ食いに行こうとかかもしれないし)
そうだったら、あご叩き割るだろうな、とあかねは苦笑した。
「ね、らんま…」
そう話し掛けた刹那のことだった。その熱を帯びた顔をあげた瞬間、
どーん。と、凄まじい轟音があかねの耳に侵入してきた。その音は無慈悲に、透き通って、暗い廊下の中を反響していった。その波動の衝撃に、窓ガラスにひびが入っていった。
あかねは瞬きした。何が起こったのか、さっぱり分からなかった。ただ前を向いていて、時間だけが勝手に過ぎていき、自分はそこから取り残されるような、そんな感じだった。
しかし、その前には、恐るべき光景が広がっていた。
「…え?…」
そこには、その運命を心底嘲笑うかの如く、氷のような冷たい悪魔が舞い降りていた。まず、現実か?と疑った。いや、嘘に決まっている。信じれない。顔が強張る暇さえない。
早乙女乱馬が頭から血を流し、倒れている。目は虚ろに見開かれ、一瞬で全ての要素が取り除かれた廃人のように、その場にうず
くまって、ただの物体と化している。そして、血は壁にべっとりと付着していて、その衝撃の強さを物語っていた。
「ら、ん、ま?」
あかねはまだ、状況が理解できていなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。そうすれば、全ての事実が取り除かれて、
何事もなかったように、また乱馬と一緒に歩ける。そう思ったのかもしれない。でも、頭のどこか片隅で、なんとなく分かっていたのだ
ろうか。早乙女乱馬が死んでいると。だから、咄嗟に救急車という手を思いつかなかったのだろうか。
「い、や」
あかねは乱馬に近寄れない。どきどき、と心臓が時が進むのを告げている。あかねはその場に崩れ落ちた。突然の出来事に涙を
抑えきれず、ぐす、ぐす、と小刻みに嗚咽を漏らす。
嘘でしょ?乱馬。嘘って言ってよ!
どこかから聞こえてくるようだった。
無駄ね、あんたの大事な人は死んでしまっている。あんたも分かってるくせに、何故叫ぶ必要があるの?と。
あかねは、「いや!」、と耳をふさいだ。
誰も話し掛けてはいない。けれど分かってしまう。自分は理解している。乱馬はもう立つことはない。何故私は理解できてしまうのだ?
それは、あんたの責任だからよ…
責任?何が?私の?
乱馬を見ることができない。見るのが辛かった。それ以上に罪悪感あふれる自分が恐ろしかった。
死んだのは私の責任?
しかし、見ているはずの無い、その乱馬の最後の、少し気恥ずかしそうな顔を思い描いた瞬間、
声にならない絶叫が、その場を貫いた。
もはや、涙しか見えなくて、何がなんだか分からなかった。
そのあかねの映像にノイズが走り始める。景色が音も立てずに崩壊していく。
あかねは、最後に眼を見開いて、問いかけた。
(ねえ、乱馬。嘘でしょ?あんた、私を独りにするつもり?ねえ、何か言いたかったんでしょ?言ってよ、お願いだから…)
声は返ってこない。代わりに、乱馬のすぐ横に転がっている、血にまみれた拳銃があかねの目に留まっていた。

「天道!」
(はい?)
天道あかねは眼を覚ました。
「ん?」
気づくと、再び教室の中にいた。そして、自分の机の上に寝そべっていた。
「あれ?」
「おい、天道!」
そのやかましい声に気づき、あかねは目をぱちくりさせた。40代ぐらいの禿げた男が一人、眠そうに教壇の前にいて、いかにも、形式的に、と黒板にへたくそな字を書きなぐっていた。
「この問題を解いてみろ」
そう言われ、あかねはまた目をぱちくりさせた。自分のすぐ下に、数学の教科書とノートが広がっている。そして、自分は目の前の教師に指されている。状況は丸わかりだ。あかねは立ちあがった。
「え〜と」
あかねは必死になって、ノートをめくり、その問題の答えを探した。
そうしてあくせくしている内に、隣の女子がノートを滑らせてくれた。
「あ、」
そして彼女は、ノートの問題の一つに丸印を打った。
「ありがと」
小声で礼を言い、ノートを貪るように凝視した。滑稽なまでに、そのノートの字と黒板の字は対称的だった。一方は嫌味なぐらいに整然としていて、また一方は、罵詈雑言の如く雑然としている。あかねは教師を見て、皮肉の一つでも言ってやりたくなった。
そして、答えはわかったものの、どこか自信なさげに答えてしまった。いかにも、自分は分からず、他人のノートを見ました、という答え方だった。やはり、少し気の咎めるところがあったのだろう。
しかし、教師は、眉をぴくりとも動かさずに、
「よろしい。正解」
と、また眠そうに言った。それに加えて、なんだか別の意味で満足げな、女子には確実に嫌われそうな、微笑みを浮かべていた。
あかねは、落ち着いて、ため息さえ漏らしながら席に着いた。教師は、あくびをしながら、「ええ、次の例題は…」と投げやりに話を進めていく。
あかねは、隣の子にノートを返しながら、そっと聞いてみた。
「ほんと、ありがと。あのさ、私寝てたの、気づいてたよね、先生」
隣の子は、くすり、と微笑しながら、
「いえ、大丈夫でしたよ。天道さんが当たったのは偶然ですよ。全く気づいておりませんでした」
と、同級生とは思えないぐらいに丁寧に答えた。
「私もさっきまで、天道さん起きてると思ってたんですよ」
そう嘘には感じられないよう付け足した。
「まあ、言っては悪いですけど」
その子は口に手を当てて、そっとささやきかけた。
「あの方ですしね」
あかねは、ほっとした。目の前の教師が「あの親父」で、隣の子が学年トップの女子というこの偶然に心の底から感謝した。
落ち着いて、辺りを見まわす。普段と変わらぬ授業風景が、その場に展開されていた。外の景色は、雲と太陽が交互に入れ替わる
という、中途半端な天気を街に写していた。
「ん?」
あかねはいつものその光景に、視線を傾けた。
「あれ、たしかその…」
あかねは首をひねる。その答えに至るまでに、多少の紆余曲折が生じていた。それが本当に不思議だった。いつもだったら、例え徹
夜明けの期末テストの最中でさえ、忘れていることなどあるまい。しかし、なんでだろう?まるで、何年も一緒にいたのに、突然離れ
離れになってしまった恋人のような感じを覚えたのは。
「乱馬…」
あかねの視線の先には、いつもながら、自他共に認める「俺から格闘を取ったら何が残る?」の男、早乙女乱馬が、机に上半身を
乗っけて派手に熟睡している光景が広がっていた。寝るならもう少し私みたいにばれないように寝ろよな、と言ってやりたいぐらいの
見事なまでの熟睡っぷりである。ほら、鈍感なあの親父でも気づくわよ。あいつは女子には甘いけど、男子にはむちゃくちゃ厳しい
んだからね。こら、分かってるの?
案の定、目の前の「あの親父」は乱馬に視線を向けた。その視線は、獲物を見つけたような、ストレス解消のはけ口を見つけたよう
な、女子にはけして向けないような、要するにむかつく視線だった。あちゃあ、とあかねは自分でも恥ずかしくなった。
この後、乱馬が「あの親父」にこっぴどく嫌味をかまされ、「放課後私のとこに来るように」と横柄に教師の役割を果たされ、数学の授
業はその幕を閉じた。

乱馬とあかねはこの春、無事に進学して、高校2年生になっていた。(一名はかなりボーダーラインだったと、まことしやかにささやか
れている)が、だからどうだ、という変化も無く、クラスがごっそり入れ替わって1年の延長だ、という感じだった。この辺は腐れ縁とい
うべきか、運命というべきか、それでも最初の内は無神経な男子に「仕組んだのかい?」とからかわれ煩わしかったが、両名は同じ
クラス、2年3組に進学していた。内心、二人ともかなり安堵の息を漏らしていた。最初の男子達の徴発ぐらいだったら安いものだ。
おまけに、あかねの大抵の親友級友に、自称乱馬の許嫁、右京も同クラスで、担任もひなこ先生と来ているのだから、あかねには
進学したという実感が沸いてこないくて当然だった。
そして、その彼らが一年身を置くことになった2年3組は、校舎の3階の一番端っこにひっそりと置かれていた。そこは購買部や体育
館までの距離が一番遠いだけでなく、何より日当たりが学校一悪い所だった。そんな場所だったので、生徒からの評判も最悪だった。
悪意を持ってここに回されたのではと、乱馬もしきりに、あの変態校長が、と愚痴を漏らしていた。
あかねの親友達もため息をついていた。ここじゃあ高2という青春まっさかりの時季が充分に満喫できない、と今にも呟きそうなぐら
いに。
その事に関して、あかねは別に気にしていなかったので、まあいいじゃない、と最初軽く宥めたことがあった。しかし友人の一人が、
「場所がどうとか言うんじゃないわよ。ここは呪われた教室なんだから」
「?」
「ほら、やっぱりきた」
そう言われ、あかねは背後を振り向いた。ちょっと目を丸くしてしまった。なんだか、やけに強面な兄ちゃん達に、目がつりあがったきつい感じのする姉ちゃん達が数名、堂々と大名行列のようにクラスの中に入ってくるところだった。彼らは一様に髪を脱色、もしくは様々な色に染めていて、ピアスをしていた。女子の方は、親不孝と思わせるぐらいのミニスカまで身に着けている。無論これら全て、
掛け値無しの校則違反である。彼らも、もちろん自覚しているだろう。しかし、誰か咎めるわけでもなく、教師も生徒も見て見ぬ振りを
するのだった。別世界の異質住人どもにはそれが一番賢明な策、と全員が承知していた。
その内の女子の一人が、あかねの傍を通過した。途端に、その公衆衛生に反すると思わせるぐらいの、きつい香水の匂いがあかねの嗅覚を刺激した。おえ、と吐き出しそうだった。
「ね、言ったでしょ」
友人が、こっそりささやいてきた。
「ここはああいったような連中が、全員回されてこられる、通称゛敗者の教室″なのよ」
あかねはうなずく。
「でも、それってあたし達まで、あいつらと同程度に扱われるかもしれないってことなのよね。ま、そこまであからさまには言わないだろうけど、やっぱ差別みたいな視線は送られてるでしょうよ」
「ああ、それで」
「そうよ。誰もがここに入りたくない理由。それは、あいつらと一緒の上、全員があいつらと同じ枠に括られてしまうから」
「ふ〜ん」
「ま、あかねみたいに優秀な生徒はまだ良いわよ。一番悪夢なのは、あいつらと同じぐらいの成績連中なんだから。たく!」
友人は、うんざりと憤って、呟いた。
「なんでここの教師は、平気でこんなクラスを作るのよ。PTAにでも訴えてやろうかしら」
友人は心から不平を漏らし、彼らへの軽蔑を迎合していた。あかねはちょっと嫌な気持ちになった。
あかねはこの手の話に疎かった。いつも自分は、こういううわさから取り残されてしまうのだ。
あかねもこの学校に、いわゆる教師から見放された不良君達、がいることは以前から知っていた。とは言うものの、実際一年の時は、一人も同クラスにそういった人物がいなかったので、どうでもいいや、と考えていた。
しかし、今回は勢ぞろいで一緒のクラスときている。一年の時に、教師に見きりを付けられ、日々ストレスしか溜まっていない連中。
ある意味哀れな連中だった。が、付き合うとなれば話は別だ。あかねもこういった連中とは、極力関わりたくなかった。別に、彼ら特有の暴力性に畏怖を抱いたからではない。そもそも、本気で考えれば、あかねだったら数秒あればこんな連中のせると思う。だが、最近の若者は、時としてとんでもないことをやらかす上、何かと面倒としか思えないことと関わっている。そんなのに関わったら、とあかねは考えるだけで億劫になる。何より家族にも乱馬にも心配をかけさせたくなかった。
しかし、あかねは、自分こそそれをしないものの、不良と決め付け、改心にも教育にも全く手を出そうとしないで、「敗者の教室」まで作り出し、担任一人に責任を押し付ける、教育者どもの非道なやり方に心底腹を立てた。教育するのが教師の仕事じゃないのか。
こんな奴らにやる金こそ、税金の無駄遣いというものだ。それをあの校長が指示しているかどうかは分からないが、こういうのには、絶対に先頭を切ってやっている統率者がいる。権力者に指示されれば下は逆らえない。あかねはそいつに、煮えたぎった味噌汁をぶっかけてやりたいと思った。
無論、彼らにも責任はある。教師のいうことを全て跳ね除け、自分から敗者と言われるまでに成り下がったのだから。友人の言うことも分かる。不良と同じクラスは嫌と言われる一番の理由は、常に緊張していなければならないからだ。そんな状況下で、高2の誰もが願望を持っている、青春の満喫などお笑い話だ。
「でもさ、仕方ないよ。決まっちゃたんだからさ。彼らとは関わらなければ、大丈夫だって」
あかねは再び友人を随分と軽く宥めたのだった。しかし、この後あかねは自分の甘さを思いしることになる。
「ええ、確かにそうよね。それは我慢すれば大丈夫よね。なにせこのクラスを受け持つ教師のほとんども、我慢なんざ余裕余裕と言わんばかりの、無神経な悪評高い先鋭部隊と来てるんだから」
友人は皮肉な口調でそう言った。

数学の授業を終え、あかね達は昼休みを迎えていた。それでも、あかねは一人数学の教科書を取り出し、熱心にノートに先程の授業の内容を書きこんでいく。寝てしまったのは痛かった。貴重な「理解を深める」時間が省かれてしまったからだ。
あかねは、いかにそれが下手くそで、分かりにくい授業であろうと、予習復習をきちんとこなしているので、意味不明に陥るようなことはけしてない。ただ、教師によって、ある程度の授業の流れというものが存在する。それをきちんと把握しておかないと、どんな質問が飛んでくるか分からないわけであり、数学教師である「あの親父」の嫌味を買ってしまい、成績も下がってしまう。しかも、あかねは別に数学が苦手というわけではないのだが、どうにも「あの親父」の流れはよく掴めないのである。だから、分かっていたことが逆に謎になるなんてこともしばしば起きてしまう。予習してない生徒なんか、ほとんどミステリアス旅行の気分だろう。かと言って、誰も「あの親父」には質問しない。質問しても無駄だということが分かっているからだ。一度だけ、あかねは余りにも目に余るものがあったので、雲を掴む気分で質問してみた。しかし、「あの親父」ときたら、自分の間違いを正すどころか、納得のいくように独りで勝手に解釈をし始めたのである。そして、強弁としか思えない説明で筋を通す。自分の間違いはけして認めない。こりゃだめだ、とあかねは首を振った。
それ以来、あかねは、数学の時間はなるべく自主自学し、予習してきた内容を理解するための時間として使うことにした。教師がだめなら、頼れるのは自分しかいなかった。それでも、重要そうな説明や、質問を投げかけて来る時は、きちんと耳を傾ける。なんとも器用なことだ、と思うかもしれないが、あかねは2年になってから、すっかりこのやり方をマスターしてしまっていた。
何とか今日の部分をノートに書きこみ、あかねはノートを閉じた。
「よ、がんばってるわね」
あかねが顔をあげると、そこには彼女の友人、ゆかとさゆりが立っていた。
「何?待っててくれたの?」
「ううん。あたしらも今数学やっててさ〜。ほんと、わかんなくて」
「あかね〜。今度一緒に勉強会しよう〜」
「別にいいけど、宿題は手伝わないわよ」
「あはは。分かってらっしゃる」
「んじゃ、あかね。ちょっと待っててよ」
ゆかが、ぴっ、と手をあげる。
「え?」
「あたし達、今から購買部でなんか買ってくるから。弁当、今日二人ともないのよね」
「ん。わかった」
「ちゃんと待ってなさいよ。食い意地張ると、婚約者に嫌われちゃうよ?」
くすくす笑いながら、二人は購買部の方に向かった。
余計なお世話だっつうの、とあかねも一人苦笑していた。
この三人は一年に引き続き、再び同クラスになっていた。親友と呼ぶのには充分すぎる仲なので、大抵のお昼は共に過ごしている。
もちろん彼女達以外にも、あかねは持ち前の明るさで、男子にも女子にも人気はある。しかし、流石にまだ、机を囲むほどにまではなっていないので、グループでのおしゃべりに参加するぐらいだった。というより、向こうが誘ってこない限りはこのままでいいか、とあかねは思っていた。2年生にもなれば、みんな親友の一人や二人いて、その人達としゃべっている方が、見たこと無い新しい人達と話すより面白いものだから、と承知していたからだ。
あかねは、ちょっと暇になって、乱馬のいる方向に目を向けた。
これまた同じくという感じに、同クラスに進学してきた大介君達と、このクラスの気のあう人達何人か集めて、トランプにふけこんでいた。焼きそばパンをもぐもぐと食っている。
男子は慣れるのに早いな、とあかねは思った。乱馬も、女たらし、とか言われて、男女共に結構人気あるんだよな。
あかねは、ちょっと切なくなった。
それにしても、二人とも遅い。この時間はそんなに込んでいるのか?購買部はあんまし使ったことがないので、分からなかった。
仕方無いので、自分の携帯を取り出した。折りたたみ式のそれを、かこん、と開ける。
(メールも着信も無し、と)
あかねは、年がら年中携帯を操作しているような「病気」にはなっていなかったが、暇な時はやっぱり開けてしまうのだった。無論、公共の場所で使うような節度のないことはしない。たまに電車の中で大声で話している奴を見かけるが、それがあかねには本当に信じられなかった。アナウンスで耳が痛くなるほど注意してるのに、平然と話し込んでいるのだ。常識というものがないのだろうか。こ
ういう奴は死ぬまで携帯握ってるんだろうな、とあかねは考える。
携帯はみんな持ってるから買った、ていうのもあるけど、人の目を引くぐらいの没頭人間にはなりたくなかった。実際そういう人もいるらしい。携帯が無いと生きてけないなんて人もいる、とテレビで特集を組んでいた。あかねは、目を見張って思った。
こうなるのだけは絶対避けよう、と。
しかし、特集が終わり、えらそうな顔した60代ぐらいの評論家の嘲笑うかのような顔を見ると、
世代が違うんだよ
と、少しその気持ちも和らぐのだった。
だが、今は暇だった。あかねは意味も無く、携帯のボタンを叩いていた。過去のメールを見たり、着メロ見たり、サイト見たりと。すると、やっぱりな、て感じぐらいに、隣の子も自分の携帯を取り出しているのだ。あかねは、ちょっとおかしくなった。もはや、これは現代人の習性であろう。他人が携帯開くと、絶対に自分も携帯を取り出したくなるのである。あかねは電車に乗っている時に、この事に気づいた。一人の女子高生が携帯を取り出したかと思うと、連鎖反応のように、次々とその周囲の人達が携帯を取り出すのである。
何かの宗教でも見ているかのようだった。そして、たいがいそういう人達は、今のあかねと同じく、別段その時は携帯に用などない
のだ。
あかねは欠伸した。
その時、ん?、と目がある場所で止まった。
それは携帯に内蔵されてるメモ帳だった。あかねは何か忘れてはいけなさそうな用事をここに書きこむようにしている。
そこに書いた覚えのないメモがあるのだ。
あかねはボタンを押して、そのメモを開いてみた。
「………」
そこには、こう書かれていた。

「乱馬から。
今日の放課後話しあるとのこと。
また、チョコパフェかね?」



作者さまより

まとめるのへたくそすぎ。
また、いらぬことばっか書いて長くなってしまった。お祝い品なのにすいません。


とっても深い作品です。読み応えあります♪
日常の中に突如あらわれた非現実。さて、倒れた乱馬くんの命運はいかに?
(一之瀬けいこ)



Copyright c Jyusendo 2000-2005. All rights reserved.