◇「BOY MEETS GIRL」
  後編 振り向いて、そして微笑んで(彼が彼女を好きになったわけ)

半官半民さま作


強くあること。逞しくあること。格闘の道を目指し、登りつめ、誰にも負けない強い男になること。それが彼に課せられた使命であり、彼の生きる理由だった。強くなりたい。もっと強くなりたい。今以上に強く。飢えた野獣の貪欲さで彼は過酷な修行を繰り返す。その生活を占めているのはすべて格闘。自らを高めること。強さを磨くこと。幼い頃からそのためだけの生活を繰り返し、精進していった。無差別格闘早乙女流を継ぐ男、早乙女乱馬。同じ年頃の少年たちの中においてもくっきりと異彩を放つ、風貌。眼差し。格闘家としての魂を内包したその肉体は、若木のようにしなやかだがしかし近寄りがたい強さをみなぎらせていた。何者も恐れぬ若さと自信に満ちた瞳は、ただ己の強さを高めることしか映していなかった。
「おい、乱馬。今日も彼女たち来てるぜ。」
彼が通う男子校に、いつからか姿を見せ始めた少女が数人。放課後になると正門のところからこちらをのぞきこんではきゃあきゃあと笑いさざめいている。
「手ぐらい振ってやれよ。彼女たちおまえ目当てで来てんだぜ。」
「興味ねえな。」
素っ気無く乱馬は答えると、ふわりと2階の窓から飛び降りる。少女たちの歓声が高く聞こえた。正門を走り抜けようとした時、少女の一人が意を決したように彼を呼び止める。
「あ……あのっ、待ってください。あの……っ」
ついと乱馬は立ち止まった。自分を呼び止めた少女を不思議そうに眺める。
「あ……あああの、こ、今度、会っていただけませんかっ!」
おそらく相当の決心のもと言ったであろうその言葉に、少女は真っ赤になってうつむき彼の言葉を待っていた。
「……悪りいけど、おれ稽古しなきゃなんねーから。」
少女が顔を上げた時はすでに乱馬の姿はなかった。彼は塀の上を滑るように走っている。その目は、すでに格闘家の瞳へと変貌を遂げていた。彼の頭の中に、もはやさっきの少女の姿はなかった。正門前で狐につままれたような顔をしてたたずむ少女たちに、乱馬の友人の一人が慰めるように言葉をかける。
「あいつは、普通のやつとは違うから。」
「悪いとこ言わない。あきらめた方がいいよ。」
そう言って彼らは乱馬の走り去ったであろう方向を見る。
「あいつが女の子とつき合う姿なんか、ちょっと想像できねえよなあ……」

 女っ気まったく無しで育った武骨でうぶな少年は、皮肉にも自ら女に変身してしまう体質となり不幸と面倒を背負い込んでしまった。しかも、16才のある日、父親から衝撃的な話を聞かされる。無差別格闘早乙女流と対を成す、同じ流れを汲む流派、無差別格闘天道流の二代目と自分との間に許婚の約束があることを。未来は自分の手で築き上げるものだと思っていた。自分の力と技で切り開くものだと思っていた。しかし、レールは敷かれていた。当然彼は反発する。冗談じゃねえ、おれはごめんだ! 最後まで抵抗したもののついにその許婚とやらの待つ場所へ、天道道場へと彼は強制連行された。そして、初めて自分の許婚とやらに対面した。

格闘をやっている女。しかも男嫌い。しかもすっげー馬鹿力の凶暴!

……彼女、天道あかねに対する彼の第1印象はあまり良くなかった。どちらかといえば悪かった。ただ……最初に話しかけられた時の笑顔はちょっと良かった…………

 押しつけられた許婚、あかねと風林館高校へ通う生活が始まる。彼女は完璧に彼を認めない。頭から反発してくる。これまで女の子とろくに接したことのない乱馬には鼻息の荒いあかねの態度はけんかを売っているとしか思えなかった。売り言葉に買い言葉の応酬が続く。
「凶暴!ずん胴!色気がねえっ!」
「なによばかっ!へんたい!気っもち悪い男女!」
思い切り反発し合いつつ初めて踏み込んだその高校で、乱馬はあかねの男嫌いの要因を知る。いるわいるわ。わらわらと押し寄せてくる男の集団のむさくるしい気配。しかもそのすべてがあかねに、この小柄な少女に襲いかかろうとしているのだ。しかし、加勢しようかと彼が躊躇している間に勝負はついていた。時間にしてわずか3分足らず。小気味良かった。あかねは強い。少し、このじゃじゃ馬が自分にふさわしいような気がしてきた。トラブルメーカー、九能との初対戦と、その後のいざこざの中で、乱馬はあかねの不器用な態度に隠された優しさの一端を知る。自分の変身体質を知る彼女が、文句を言いながらも自分をかばってくれようとしたこと。無償で他人にかばってもらったのは初めてだった。それが自分と同じ年の女の子なればなおさらだった。他人の力をあてにすることなど、他人に頼ることなど知らずに生きてきた。しかしあの時、確かに彼女は自分を助けようとした。自分のために九能に勝負を挑んだ。きりっとまなじりを上げ九能を睨むあかねの顔が脳裏に浮かぶ。風になびく長い髪。その身体がすっと構える。鈴を振るように愛らしい声で、相手を威圧するように叫んだ。ふっと、乱馬の口元に笑みが浮かんだ。他人に関わられて心地よい、と初めて思った瞬間だった。礼ぐらい言っとくかと珍しく殊勝な気持ちになってあかねの部屋をノックしかけた乱馬だが、中から聞こえるあかねの怒声に思わずむっとなってその場を立ち去る。すれ違う心はなかなかかみ合わない。

 彼女は、自分を睨みつける。口を開けばけんか腰の言葉しか飛び出さない。なのに、彼女はある男の前ではひどくおとなしい。自分に対する時の姿が本当なのか、それとも東風先生の前での姿が本当なのか。あかねの気持ちが、この先生にあることは彼にも理解できた。なんとなく面白くなかった。あかねは自分の相手ではないのか。だけどそれは親が勝手に決めたことであって、自分があかねを選んだわけでもなく、あかねが自分を選んだわけでもない。むしろ正面切って反発しあっている。なのに……あのバカ、どうしておれの目の前であんな顔見せやがった。クラスメイトと笑顔で談笑しているあかねの姿。花が咲いたように笑っていた。あかねの周りだけ色がついているようだった。はっと乱馬は我に返る。そうだ、あいつは好きな男がいるんだ。初めて知る嫉妬に近い感情。あかねと出会ってから、彼は自分の内に生まれる様々な感情を初めて知っていった。母親に触れることも、年頃の友人たちと普通に接することも、同じ年頃の女の子と接することもなかった彼の心に、あらゆる感情を芽生えさせていったのはあかねであった。あかねの憧れの相手である東風先生に諭された小野接骨院からの帰り道、腰砕けになった自分を背負ったあかねの暖かい背中に寄り添った乱馬は、確かに自分の中に生まれたよくわからない、不思議な、だけど心地よい感情を噛み締めていた。

 日々の生活の中で、彼女の存在は次第に大きくなっていく。理由などわからない。表向きは反発し合っているのに、どうしても彼女に構いたくなる自分が確かに存在する。その思いが次第に強くなればなるほど、彼は認めたくない事実に突き当たる。あかねが好きな相手は他にいる。自分ではない他の男。東風先生の前であかねはよくその長い髪を撫でている。気づいて、とでも言うように。東風先生に会った後の、嬉しそうかと思えばすぐ寂しそうに変わる表情。東風先生の前でのあかねは、無理して背伸びしているように乱馬には見えた。

あの笑顔が、おれに食ってかかるあの元気のいい姿が、あかねの本来の姿ならば。おれといる時が、一番あいつらしいのなら。……おれが、おまえを元気つけてやりたい。だから……笑って欲しい。おまえは笑ってる時がいい。おれどうしたらいいんだろう。拳で決着つけることなら誰にも負けねえ。けど、どうしたらおまえのそのつらい顔を笑顔に変えられるんだろう。あかね……こっち向けよ。そして……笑ってくれよ……

片想いの彼女。そしてその彼女のことが気になる自分。これが好きという感情なのかどうなのか、彼にはわからなかった。まだ未熟で幼い恋心は、いや、恋と呼ぶにもまだ早すぎるその気持ちは、ただ臆病に身を潜ませていた。彼女の気持ちを知っていたから、彼女が東風先生に片想いしている心を知っていたから、彼は余計に自分の心をもてあましていた。しかしある日、その思いを繋ぎ止めていた彼女の長い髪は、ばっさりと切り落とされる。彼と、彼のライバルの喧嘩によって。図らずも自分が手を下してしまったことに彼は落ち込む。知っていた。彼女の気持ちを。わかっていたはずだった。見守ろうかとまで思っていた。なのに……今、彼女の切ない思いが手元にある。リボンでくくられた一房の長い髪。ついさっきまで彼女の背中で揺れていた、憧れの男性に振り向いて欲しくて伸ばしていた彼女の髪。彼女の恋心。それを自分は無残にも切り落としたのだ。まず会って、謝ることが先だと乱馬はあかねの後を追う。追いついたのは、すでに髪を短く切りそろえたあかねの姿だった。あの長い髪がすっかり短くなったその姿が痛々しくて、どう切り出してよいものやらわからず乱馬はただ頭を下げた。気にしないで、と言いながら前を行くあかねの、白いうなじが、細い肩が、髪の長い頃は意識しなかったのに短くなったため際立って、胸をかきむしりたくなるほどはかなかった。そして……あかねはその人の胸で泣いた。声を上げて泣いた。あかねを泣かせてしまった罪悪感と、あかねが他の男の胸にすがって泣いている様が、ずっと乱馬の心に残った。見たくなかった。だけど目を離せなかった。あかねがずっと気になっていたから……彼は、最後まであかねから目を離さなかった。

二人帰る夕日の道。慰めの言葉も見つからずただ黙って乱馬はあかねの後を歩いていた。ずっと距離をおいていた。いつもの乱馬らしからぬその態度に、あかねが振り向いてどうしたのよと話しかける。しかし乱馬は、その顔をまともに見れなかった。罪悪感と、もうひとつの気持ち。それでもなんとかあかねに元気になって欲しくて乱馬は必死に言葉を探す。そんな不器用な彼なりの慰めに、あかねは乱馬にふわりと微笑んだ。
「ありがとう……嬉しい。」
思わず振り向いた。あの笑顔で、乱馬が欲したあの顔であかねはそこにいた。

その場だけ周りから切り取られたような気がした。

涙に洗い流された艶やかに潤む瞳。淡くはにかんだ微笑。白い顔の中の、小さなさくらんぼのような唇。さらりと風に流される今は短くなった……だけど、細くて陽にきらきらと光る、とてもきれいな髪。

その言葉が彼に降臨する。

(……かわいい……)


寂しそうな顔をした長い髪の少女が、愛くるしい微笑を見せるショートカットの少女へとゆっくりと姿を変え、そして、彼の心に永遠に住みついた。

(後編:END)



(後編ザンゲ)
うーん、すんませんっす。どかこういうわけわかめな解釈するやつもおるんだと一笑にふしてくだされ。あかね編はあかねの心理掘り下げたのに何で乱馬編はあかねがかなりウエイトしめてんだろおか……前後編書きながら、あかねはあれがスタートだったのに対し乱馬はゴール、もしくは本番開始という気がしたっす。しかも少々インプリンティング。東風先生の描写を入れると乱馬の片想いぽい期間ができてしまうし……うーんしかしもっともっと描写力が欲しいッス(切実)


一之瀬けいこ的コメント
乱馬の恋は片想いのような両想いです。彼も好きな彼女も格闘家だからなのでしょうか、どちらも「好きだ」と先に口にした方が負けだと思っている節もあります。
彼はナルシストなんで絶対的に自分に自信があるのかも・・・いや、本当はお物凄く純情なんだろうな・・・
あかねも乱馬も自分の恋に関しては不器用ですからね・・・いじましくなるくらい。

私的には、あのフェンスの上で乱馬があかねに想いを寄せるようになった夕焼けのシーンが大好きです・・・。原作もアニメも。
この二人っていつまでも初々しさを持ったまま大人になると勝手に思っています。


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