◇「BOY MEETS GIRL」
  前編 そして少女は自分に還る(彼女が彼を好きになったわけ)

半官半民さま作



 そのことに気がついたのはいつだっただろうか。自分が、ほかの女の子と違うこと。どうしてもっと速く走れないのだろう。どうして何もない所で転べるのだろう。幼い頃から格闘技を見て育ち、そして学んだ。息をするより自然に格闘技は彼女の身の内にあった。無差別格闘天道流の2代目。天道あかね。始めは自分が他の子と違うことが誇らしかった。けんかしても負けることのない強さが頼もしかった。そう、彼女は強くあることを要求された。格闘道場を継ぐ者として、ひとつの流派の跡取りとして。その期待に彼女は全身でこたえようとする。日々鍛錬を怠らず、力と技を磨いていった。
「あかねは本当におてんばなのね。」
長い髪を揺らし、一番上の姉が穏やかに言う。微笑みながら。優しい物腰。女らしい美しさ。あかねの胸がちくりと痛んだ。何も言わず、あかねは道場へと戻る。型稽古のため壁に貼り付けられた鏡の前に立った。そこに映っているのは短い髪をした活発な女の子の姿。小さいながらもはちきれそうに元気な。ふと、その表情が曇る。彼女は自分の短い髪をついと引っ張る。もう一度、じっと鏡の中の自分を見つめた。

 男の子に混じってけんかしていた活発な女の子は、やがて少女の時を迎える。あかねは姉と同じ風林館中学の門をくぐった。体育で、部活で、彼女の群を抜いた身のこなしは数多の目をひきつけるには十分で、たちまちのうちに一目置かれる存在となる。バスケットボールでゴールを決めた時、バレーボールでアタックを決めた時、割れるような歓声を浴びながら振り返ると、そこには自分を遠巻きに囲む眼差し。感歎と、羨望と、そして明らかに異質のものを見る眼差し。ふっと、寂しそうな微笑が彼女の口元に浮かぶ。自分は普通の女の子とは違うのだと否応なく突きつけられている気がした。後片付けをしている時、ボールの入った重い籠を軽々と担ぎ上げたあかねの後ろで、楽しそうな男女の声が聞こえた。振り返る。あかねが片手で担いでいる同じ籠を、彼らは二人で重そうに抱えていた。あかねの視線に気づき、男の子がばつの悪そうな顔を向ける。
「いいよな、天道は。おれたちよりずっと力強いもんな。」
隣にいる女の子が笑った。邪気のない笑いだったが、あかねの心は痛んだ。
(……あたしだって……あたしだって女の子だもん…………)
急に籠を重く感じた。

 強くなければならない。3人姉妹の中で、男のように強くならなければならない。天道流の跡取として。道場を継ぐために。修行にいそしんでいる間は忘れられた。けれども稽古が終わって、鏡に映る自分を見るたびため息が口から漏れる。本当はかわいいものが好きだった。子どもが好きだった。動物が好きだった。きれいな色と、ふわふわした服が好きだった。でも、彼女を見る周囲の目は、強さを期待する目。差し伸べられる手は、頼ろうとすがる手。持ち前の正義感から、頼まれるといやと言えない人のいい性分から、彼女はあらゆる面倒ごとを背負い込む。なまじ解決できる力があることが余計に彼女を落ち込ませた。強くなければならないと思う心と、悲鳴を上げる本来の女の子の心の狭間であかねは苦悩する。人知れず。誰一人として彼女の中の女の子が泣いていることを知らない。どんどん女の子から離れていってしまう自分がいやだった。机にうつ伏したあかねの髪がはらりと流れる。自分の中の、消えていきそうな女の子の想いを繋ぎ止めたくて、あかねは髪を伸ばし始めていた。優しい年上の男性に憧れて、女の子である自分を取り戻したくて。かちゃりと音がして部屋のドアが開く。心配そうに覗き込む姉の姿があった。
「あかねちゃん、どうしたの?」
優しい声。穏やかな物腰。自分にないものをもっている姉の姿。その長い髪が胸元を流れ落ちる。
「……なんでもない。大丈夫よおねえちゃん。」
姉の姿を見るのがつらかった。自分は姉とは違う。あんなに優しくなれない。女らしくなれない。知らず涙がこぼれた。

 そんな時、彼は現れた。早乙女乱馬。あかねと同じ無差別格闘流の、早乙女流を継ぐ男。そして天道道場の跡取り。親の勝手な取り決めで引き合わされた将来の結婚相手。そんなことをあかねが認めるはずはなかった。女であることを押し殺され、男であることを要求され続けた少女は、意地でも男に負けるわけには行かなかった。しかし、あかねは初めて本物の男の強さを知る。動きも、力も、自分の比ではなかった。最初は負けた悔しさから反発した。認めたくなかった。武道家としての意地と、自分を守ろうとするかたくなな心。最初から自分を女として扱うこの男は無遠慮で、横柄で、粗暴で。こんな男に流されたくない。こんな男のペースにはまりたくない。乱馬と道場で手合わせしても、いつも軽く受け流される。決してかなわない。自分はこんなに息を上げているのに、目の前の男はニヤニヤと余裕の顔だ。悔しい。
「ちょっとは打ってきてよ!」
「おれに手使わせるくれえ上達したらな。」
「何よ!」
あかねがぺたんと座り込む。
「本気でやってよ!」
悔しい。乱馬にかなわない自分が悔しい。乱馬の強さは認めざるを得なかった。だけど、認めてしまったら自分の負けだ。自分を守りたかった。
「おまえは女なんだから。」
乱馬は笑いながら言う。
「男はな、女とは本気で手合わせしたりしねーの。」
嫌い。嫌い嫌い大っ嫌い!
女の子らしさを否定されて生きていた。強く頼もしくあることを求められてきた。なのに、唯一残されたこの存在価値も、こんな男の出現で否定されてしまうのか。悔しさに涙がにじむ。せめて、憧れが恋に成就できれば彼女もこの苦しさから解放されたであろうに。しかし、憧れたその相手は、優しく強い年上の男性は、彼女を見てはくれなかった。彼の視線の先にいるのは、姉。優しい、穏やかな、たとえようもなく女性の魅力にあふれる姉、その人。誰も本当の自分を見てはくれない。誰も本当の自分を認めてはくれない。深海に一人沈んでいく寂しさがあかねの心を蝕んでいた。
(かわいいのに……)
彼を見る彼女の顔は、いつも怒っている顔。大きな黒い瞳は、いつもきつく彼を睨みつける。だけど、あの体育の時間、偶然見かけたその笑顔はすごくかわいかった。数多の男を、そして彼の心を魅了するに十分だった。あんな顔できるのに、とてもかわいいのに、どうしてもっと笑わないんだろう。彼が知っているのは、怒っている顔。睨んでいる顔。そして……あかねが憧れている、あの先生に会った後のつらく沈んだ顔。笑顔を向けてほしい。乱馬はそう思った。そんなにつらい顔しないで。いつもいつも睨まないで。笑って。おれに笑って見せて。だから……

「笑うと、かわいいよ。」

強くなくてもいいのだろうか。もう女の子に戻ってもいいのだろうか。傍らを見上げる。そこに自分を見下ろす2つの瞳。強い男の気配。今まではずっと頼られるだけだった。けれど、自分も誰かに頼ってもいいのだろうか。いつか……この腕に身をゆだねてもいいのだろうか……


「笑うとかわいいよ。」
それは彼女を呪縛から解き放つ言葉。醜いアヒルだと思い込んでいた少女が、美しい白鳥であったことを知る始まりのA。


(前編:END)


(ザンゲ)
某カキコで話題になった、「なぜあかねは乱馬を好きになったのか」の半官半民的解釈っすが……やっぱテーマ重すぎたっす。わし殴りっこ書いてるほうが性に合ってるっす……とか舌の根も乾かんうちに次回後編「振り向いて、そして微笑んで(彼が彼女を好きになったわけ)」請うご指導ごベンタツ!(いいのかこんなこと書いちまって……後には引けんぞ)

一之瀬けいこ的コメント
良いの(笑
本当にこのテーマって重いですよね。でも、描きたい・・他の人のプロットも読んでみたいっ!
後半を待ちましょう♪



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