◇昇竜覇闘  
  第9章  阿修羅狂乱

半官半民さま作


 東の山中。遠く吹き飛ばされた八武岩を追って乱馬とあかねと良牙の3人が山道を歩く。すでに陽は高く昇り、小鳥のさえずりが耳に心地好く響いてくる。爽やかな朝の澄んだ空気を、思い切り吸い込むようにあかねが立ち止まって大きく伸びをした。あかねを挟むようにして並んで歩く乱馬と良牙が、一緒に立ち止まる。乱馬は平然としていたが、良牙は目の下に隈を作っている。一晩中思い切り闘っていたのだ。疲れないはずはない。しかし、乱馬にまったく疲労の色は見られない。ふわあっとあかねが可愛くあくびする。あかねも2人の決闘につき合っていたため一睡もしていない。眠そうだ。しかし睡眠も栄養もゆき届いているといったような乱馬の様子に、良牙が仏頂面を見せた。
「乱馬、なんでおめーは元気なんだよ。」
乱馬より自分の方が体力はあったはずだ。なのにこの差はなんだろうかと良牙は納得できない。乱馬がにやりと笑った。
「おれはあかねに気をもらったからな。壮快だぜ。」
良牙が思わずあかねを見た。そのあかねはまた眠そうに小さくあくびしている。
「ごめんね…………良牙くんにもやってみたんだけど、入らなかったの。」
瞬間だーっと良牙の顔に涙が溢れた。思わずあかねが言葉に詰まる。乱馬が呆れて涙を拭おうともしない良牙を見た。
「だからしょうがねえって言ってんだろ! おめーも早く相手見つけろ。」
良牙が泣きながら林の中へ駆け込む。あかねが声をかけようとしたが遅かった。ちっと舌打ちし、乱馬が後を追う。あかねもその後を追った。
「もう、乱馬ったら良牙くんをからかうんじゃないわよ!」
(ニブいなおまえ。良牙はおまえが好きなんだぜ。)
口には出さず、乱馬はまっすぐ林の中へ走りこんだ。薄く木洩れ日の漏れる木の根元で、良牙がその木を抱くようにうずくまっていた。声をかけようとしてふと乱馬の表情が変わる。
「……寝ちまってるぜこいつ。」
どさっと良牙の体を裏返した。良牙は顔に涙の跡を張り付けたまま豪快に眠っていた。その気持ちよさそうな寝息にあかねも眠気を誘われる。
「あたしもちょっと寝たい。」
「お、おい、あかね。」
ころんとあかねが横になる。とたんにすうすうと愛らしい寝息をたて始めた。
「こらあかね、こんなとこで寝るんじゃねえ。起きろ。」
ゆすってみたがあかねは目を覚まさない。よほど眠かったらしい。
「ちえっ、おれだけで探すとするか。」
眠りこける2人を置いて乱馬は行こうとしたが、すぐに引き返した。あかねの側に座り込む。良牙の側にあかねを寝かせておくなんてとんでもない話だ。
「朝めしがわりに食っちまおうかなー」
あかねの傍らに寝ころんだ乱馬は、あかねの柔らかい頬を人差し指でふにふにとつつきながら、よけい腹の減りそうなことを口走ったが、ふいに我に返る。
「な、なに口走ってんだおれ。」
慌ててあかねから離れた乱馬の腹の虫が、思い出したように鳴った。あかねと良牙は目を覚まさない。3人とも空腹なのは確かだし後の2人は睡眠が足りない。乱馬は周囲の木切れを集め出す。しばらくしてぱちぱちと火が燃え出した。
「飯ぐらい準備してやるか。」
意外にまめなところのあるこの男は、良牙からあかねを隠すように別の場所に寝かせると、食料の調達に走って行った。

 ぱちぱちと音がする。眠る良牙の鼻を食べ物の臭いがくすぐった。薄く目を開ける。
『朝ごはんよ良牙くん。』
銀の鈴を振るように愛らしい声が良牙を呼んだ。途端に良牙の脳裏に妄想が展開される。白いエプロンでかいがいしく台所に立つかわいい少女がにっこりとふり返る。
(あ、あかねさん………)
にやけながら起き上がった良牙の目の前に乱馬の顔があった。
「うぎゃあああああっっ!」
「なんだよ。いきなり近寄ったんはおめーだろうが。人の顔見て叫ぶなよ。」
口に焼いた魚をくわえて乱馬が腕組みする。その傍らであかねが焼き魚に小さな歯形をつけていた。片手で良く焼けている魚を取り、微笑みながら良牙に差し出す。
「はい、お腹すいてるでしょう。」
良牙が嬉しそうにあかねの差し出した魚を受けとった。かぶりと噛みつく。口の中一杯にこうばしい魚の味が広がる。瞬く間に食べ尽くし、早速2匹目に手を出した。
「おい、1人3匹だぜ。」
そういう乱馬はもう3匹目を頭と骨だけにししゃぶっていた。まだ足りない。10匹取って来たから誰か1人は4匹食べることができる。4匹目に手を出そうとした乱馬を良牙がじろりと見た。
「1人3匹じゃなかったのかよ。」
「おれが飯の支度したんだ。当然おれに食う権利がある!」
「ばかやろう。こういう時は女性に譲るのが筋だろうが!」
実は良牙も3匹では足りない。だから良牙は当然あかねも足りないだろうと思っていたのだ。
「それ食べて乱馬。良牙くんにはあたしのあげる。」
あかねが仕方のないようなけんかをする2人の顔を見てくすくす笑いながら言った。
「だ、だってあかねさん。それだけじゃ足りないんじゃ………」
「あたしは2匹で充分。2人ともあたしより体大きいでしょ。同じ量じゃおなか空くわよ。」
良牙が照れながらあかねの差し出す最後の魚を受け取る。食べ盛りの少年2人の小気味の良い食べっぷりをあかねはにこにこと見つめた。食事が終わる。眠ったため体力も回復している。良牙が爆砕点穴で開けた穴に食べた後始末をした。今度は乱馬がそのすぐ側にあった岩に猛虎高飛車をかける。どおんと岩が砕け、その穴に破片が降り注ぎしっかりと埋まった。指一本で、拳一つでこれだけの作業ができる。格闘家を家族や友人に持つと便利ねとあかねは笑った。おめえだってできるくせにめんどくせえ真似させるんじゃねえと言った乱馬はあかねに殴られた。そうして痕跡を無くすと、3人は八武岩を探し、その林を出た。

 八武岩探しは思ったより難航した。地図に無いため大雑把な方向でしか確かめられない。3人は林の切れたところで大きな湖のほとりに出る。
「ねえじゃねーかよ。」
探し疲れて乱馬がぼやいた。
「もー、少し威力下げて闘えばよかったのよ。八武岩吹き飛ばしちゃって。」
あかねがぼやく乱馬をおまえが悪いとばかりに睨みつけた。その隣で良牙がすまなそうにあかねを見る。
「すいませんあかねさん。おれがちょっと本気出しちまって………」
「おれが本気出したからだよ!」
「よーするに2人とも本気出したからでしょ。」
ふいに3人がぴくっと反応した。ばっと背中合わせになり構える。乱馬と良牙はあかねを守るようにその両脇を固めた。
「ふふふふふ…………あーはははははっっ。」
鬼の面を被った女が宙に浮いて現れた。あかねがあっと声を上げる。乱馬をこの島へ連れ去った奇怪な女本人だったからだ。女は3人に近づくと、ふっと自分の手を開いて見せた。その手に2つの秘石が淡く白い光を放っている。
「……その石!」
「あなたがたも、これをお持ちなのでしょう? ご苦労さまですわ私のために。」
女がからかうように尋ねる。その気に障る話し方に良牙が吠えた。
「人と話すときは降りて来い! 失礼なやつだ。」
女が良牙に面を向ける。そして、ゆっくりと面を取った。現れたのは美しい顔立ちの少女である。その顔を見て乱馬とあかねがあっと叫ぶ。
「ルージュ!」
「あんたいつの間に日本へ………!」
どうやらこの女を知っているらしい2人の様子に、良牙が思わず乱馬に詰め寄った。
「おい乱馬。知り合いなのか。」
「ああ、パンスト太郎とやり合ってうちに迷惑かけまくった女だぜ。」
頭上のルージュを睨みながら乱馬が言う。さらに言葉を続けようとしたが、あかねが先にそれを制して進み出た。ポケットから6つの秘石を取り出す。
「これが欲しいの?」
ルージュの目がその秘石を見てきらりと輝いた。含み笑いをしあかねを見る。
「おとなしくこちらに渡してくだされば、手荒なまねはしませんわ。」
相手を睨みつけたままあかねが声を上げて笑う。
「あんたこそ手荒なまねされたくなけりゃ、消えなさいよ。」
ルージュが笑うのを止めじろりとあかねを見下ろす。
「私の実力をご存じないとは、無知というものは恐ろしいものですね。」
話しながらあかねの闘気が音もなく膨れ上がっていくのを、はらはらして乱馬は見ていた。乱馬は阿修羅に変身したルージュと闘ったことがある。その熱線攻撃は厄介だった。防御力の低いあかねでは攻撃をくらってしまうと耐えられない。あかねがうまいことラッシュすれば勝てる見込みはあるが、多分難しいだろう。乱馬は鼻息荒くルージュに立ち向かうあかねの背後に歩み寄ると、その闘気ごとあかねを抱きしめた。そしてじっと気を集中する。
「やっ、やだ、乱馬。やめて!」
あかねが乱馬の腕の中でもがいたが乱馬は腕を解かなかった。先ほど高まっていたあかねの闘気が、跡形も無く消えていったのを良牙は感じた。互いに気を交換できる2人のことである。おそらく、乱馬があかねの闘気を自分の中に吸い取ってしまったのだろう。やがて乱馬が抱きしめた腕を解く。あかねが明らかに抗議の目をして乱馬を睨んだ。
「返してよっ!」
あかねが触れれば今度は乱馬が闘気を吸われることになる。ひょいっとかわすと、乱馬は大きくジャンプしてルージュのすぐ側に下り立った。
「おれに任せな。おまえは良牙と見物してろ。」
ぷうとあかねが膨れて見せる。その可愛い拗ねた顔を乱馬は楽しそうに見た後、ぎんと表情を変貌させ、ルージュを睨んだ。
「よう、妙な言葉で人を陥れやがって。よくもあかねと闘わせようとしやがったな。落とし前つけてもらうぜ!」
あかねがぶつぶつと不満を漏らしながら良牙の隣に座った。良牙があかねに話しかける。
「あかねさん、あのルージュって女、どういうやつなんです。」
「彼女も呪泉郷の犠牲者……て言えるのかな。水を被ると阿修羅に変身するの。」
「阿修羅……って、あの仏教の闘いの神という、あれですか。」
「そう。前乱馬と闘った時は、宙を飛び雷を落とし、熱線を操るいやな相手だったの覚えているわ。」
そんな危ない相手にあかねが立ち向かおうとしていたとは、と良牙が顔色を変えた。良牙の考えを知り、あかねがふっと笑う。
「阿修羅が相手だったら、あたしも手加減なしの奥義を試すことができたんだけど。」
良牙がぴくりと動いた。忘れがちになるがあかねも武道家である。しかも乱馬としょっ中けんかしている。多分修行も一緒にやったことがあるのだろう。あかねとて無差別格闘天道流の二代目。その奥義を伝授されていてもおかしくはない。どうやらかなりの威力を持つ大技をあかねは練習中らしい。あかねを危ない目に遭わせるなんてもってのほかという思いと、その奥義をこの目で見てみたいという思いが良牙の中で交錯した。
「ふふふふふ……頭の悪い人たちですわね………」
ひゅっとルージュの体が湖の上に飛んだ。そのままざぶんと湖中に飛び込む。間を置かず巨大な水柱が上がった。
「馬鹿ものども。まとめて我が雷蛇天誅殺の餌食にしてくれるわ!」
水柱の中から頭3つ、腕6本の阿修羅へと姿を変えたルージュが現れる。その姿を見て3人は驚いた。広い肩幅、太い腕。女のルージュが阿修羅に変身した姿ではない。その迫力は、まさしく男のものだった。
「……て、てめえ……野郎だったのかよ!」
阿修羅が口元に獰猛な笑みを浮かべる。
「この姿、きさまらへの冥土の土産だ。よっくおがんでおくんだな。」
乱馬が笑う。瞳が強い光を放った。
「上等だぜ。男相手なら手加減はいっさいしねえ。おれの力すべてでてめえを倒す!」
阿修羅が一気に乱馬へ向かって来た。乱馬が腰のところで拳を構え、大きく跳躍する。阿修羅の先制攻撃は難無く乱馬にかわされた。今度は無数の気弾が乱馬にぶつけられる。とん、と軽く飛び上がりまた乱馬はそれをかわす。一度も当たっていない。
「おのれ、ちょろちょろしおって!」
「今度はこちらからいくぜ!」
乱馬の掌から闘気が膨れ上がった。突きを繰り出すように乱馬が阿修羅へ拳を向ける。途端に巨大な闘気の塊が阿修羅にぶつかった。
「猛虎高飛車!」
阿修羅が大きく後ろに吹っ飛ぶ。その阿修羅の飛ばされた方向に乱馬は跳躍し、今度はついと踏み込んで、一気にスクリューアッパーをかけた。
「飛竜昇天破!」
高く阿修羅の体が舞い上がったが、そのままふいと阿修羅は宙に浮かんだ。飛べる相手に対しこの技は有効ではない。
「ふん! ただの竜巻など恐ろしくも何ともないわ!」
阿修羅がうそぶく。そして6本の腕を素早く交互に動かし始めた。
「竜巻は雨や雷を伴ってこそ恐ろしいもの。くらえ! わが奥義雷蛇天誅殺!」
大気が唸った。稲妻が網目のように飛び交う。逃れるすきなどなく電気でできた籠のようにそれは乱馬を閉じ込めた。
「ちいっ! しまった……」
あかねが思わず悲鳴を上げた。乱馬は逃れようと身を縮め檻のすきを潜ろうとしたが、途端に物凄い電流が流れ、檻の中央へ弾き飛ばされた。よろりと身を起こす。檻の外に勝ち誇ったように笑う阿修羅の顔があった。
「くくくっ! げす野郎。こんがりと焼き殺してくれるわっ!」
途端に檻が狭まり出した。乱馬が顔色を変える。地上で見ていたあかねがいやあと叫び思わず顔を覆った。限界とばかりに良牙が身を乗り出す。そして、阿修羅に向かって突進した。
「加勢するぜ乱馬! 爆砕ー点穴!!」
大きく腕を振りかぶり、良牙が思い切り地面を突いた。膨大な土砂が乱馬を閉じ込めた電気の檻に降り注ぐ。だが、檻はびくともしなかった。
「いでででで、いで、いで、良牙あてめえっ!」
膨大な土砂は電磁波をつき抜け直接乱馬の頭上に降った。避けようがなく乱馬は降ってきた岩や石をぼこぼこ頭にぶつけられた。それを見て阿修羅が大声で笑う。おかしくてたまらないというように腹を抱えて笑い続けた。
「電磁波を吹き飛ばすには、もっと強いエネルギーをぶつけなきゃだめよ!」
「でもあかねさん、獅子咆哮弾をぶつけたら中の乱馬もやられちまうぜ!」
「方法はあるわ。良牙くん、あたしをあの檻のところまで放り投げて。」
良牙が驚いて首を振った。乱馬ですら脱出できないあの危険な檻にあかねを近づけることなどできるわけがない。しかし、あかねは真っ直ぐ良牙を見つめた。真剣に見つめるあかねの大きな黒い瞳に良牙の心臓が跳ね上がる。
「お願い。時間がない。乱馬が殺されちゃうっ!」
諦めたように良牙が獅子咆哮弾の構えをとった。あかねをあの位置まで飛ばすには獅子咆哮弾を撃つしかない。あかねにダメージを与えることなど断じてあってはならなかった。しかし一瞬にして飛ばされなければ阿修羅の熱線攻撃の餌食となる。
「あかねさん……気をつけて。」
あかねが良牙ににっこり微笑んだ。その笑顔を見つめ、良牙は大きく両腕を突き出す。
「獅子咆哮弾!」
その気弾にふわりと押し上げられ、あかねは一気に乱馬のところまで到達した。驚く乱馬にあかねが必死で手を差し延べる。
「乱馬! あたしの気を使って!」
差し延べたあかねの手を乱馬がつかみ、ぎゅっと握りしめた。檻の外と内で闘気が爆発するように膨れ上がる。その闘気のエネルギーに押され、2人の間の電磁波が消滅した。乱馬がぐいとあかねを抱き寄せる。そして、ぎゅっと胸に包み込んだ。2人の身体が青く光る。次の瞬間まばゆく輝く。
「哈ァァァァ〜〜〜〜…………」
あかねは闘気を放出し続ける。
「乎ォォォォ…………」
その闘気をすべて乱馬は受け止め、吸収する。膨大かつ巨大なその闘気のエネルギーを至極短時間でやり取りするのは相当な負担が体にかかるものだが、同じ魂を持つ2人にとってはまったく問題ではなかった。あかねの闘気が弱まってくる。苦しそうに息を吐いた。自分の持てるすべての闘気を乱馬に与え、あかねはぐったりと乱馬に体を預けた。乱馬の内側で闘気が超新星のように一気に爆発する。
「ぬうっ?!」
雷の檻が跡形もなく消滅した。あかねを抱いたまま、乱馬が阿修羅に対峙し突き刺すように睨む。とんと地上に降りた。駆け寄って来た良牙に気を失ったあかねを託すと、再度乱馬は阿修羅を睨んだ。
「今のおれの技の威力はMAXを超えているぜ。あかねの分だけな!」
跳躍する。その飛距離も通常ではない。どうしようもなく満ち溢れるエネルギーを、乱馬は相手にぶつけ切って倒したくてたまらなかった。阿修羅が迎撃しようと腕を構える。
「遅せえ!」
容赦ない蹴りが正面から阿修羅を襲う。真ん中の顔にもろに入り、阿修羅はそのまま顔1つ気を失った。
「おい、こら、しっかりせい!」
横の顔2つが口々に起こそうとする。そこに今度は、乱馬の火中天津甘栗拳が炸裂した。阿修羅のボディーに何十発もの拳が打ち込まれる。
「ぐえっ…………」
その威力の凄まじさに、ついに阿修羅が地上に落下する。だがまだ勝負はついていなかった。残り2つの頭は続いて下り立った乱馬をぎらりと睨んだ。
「おのれ…… 我が生涯最大の屈辱……汚点を消し去ってくれようぞ!」
「おれの方もまだ殴り足りねえぜ!」
乱馬が吠えた途端、目にも留まらぬ速さで阿修羅の熱線が乱馬の首を襲った。阿修羅がにやりと笑う。しかし、次の瞬間その顔に失望の色が浮かんだ。
「だから遅せえって。」
身をかがめ乱馬はかわしていた。至近距離で撃ったにもかかわらずかわされたことに、少なからず阿修羅はショックを受けたようである。
「貴様………」
睨んだ阿修羅の目の前で不意に乱馬の姿が消えた。驚き慌てて阿修羅は乱馬を探す。6つの目を持つ阿修羅から逃れることのできる人間は皆無であるはずだった。
「お、おのれ、どこにいるげす野郎!」
途端にすぐ側で竜巻が起こった。阿修羅はその竜巻を避ける。しかし……
「飛竜降臨弾!」
避けたその阿修羅の頭上へ、膨大な闘気の塊が落下すると同時に、弧を描いて刃物状になった気が無数に襲いかかり、次いで吹き荒れる嵐のような風のかまいたちが回転し、避けるひまなく一気に阿修羅に襲いかかった。
「ぐあああああーーーっっ!!」
荒れ狂う闘気の渦は大地を巻き込む。その表面が海のうねりのように逆巻き、千切れ、奔流する土砂とともに阿修羅を飲み尽くした。

 荒れた大気が次第に静けさを取り戻す。地面がすべてはぎ取られ、巨大な深い穴を穿ったその中に2人分の人影が見えた。気を失い倒れた阿修羅は、もとのルージュの姿に戻っていた。じっとそれを見下ろす乱馬は、拳法着が破れ荒く息をついていたが、それほどのダメージを受けている様子ではなかった。内側にまだ暖かい気を感じている。あかねの気配を抱いているような気がする。その上空から良牙が中をのぞき込んでいた。
「おい乱馬、終わったな!」
その良牙を見上げ、乱馬は倒れているルージュの体を頭上高く持ち上げると、良牙に向かって放り投げた。慌てて良牙がその体を受け止める。そして乱馬は軽く跳躍し、穴の外へと出た。
「あかねは?」
ルージュを肩に担いだままで、良牙が黙って向こうにある木の根元を指差す。少女が1人、もたれ掛かって眠っていた。すべての気を放出してしまったあかねは、すうすうと深い眠りについていた。
「目を覚まさねえんだ。」
心配そうに言った良牙に、乱馬は軽く笑ってみせた。
「心配いらねえ。おれに闘気を全部よこしたから寝ちまってるだけだ。」
乱馬はあかねの側まで来ると、そっと抱き起こした。

煩悩に任せて描いたイラスト(BY一之瀬けいこ)


「あかね……起きろよ。」
腕に抱いたあかねに乱馬は唇を寄せる。ふうっと息を吹き込むように気を送り込んだ。あかねの睫の先が揺れる。しかし、まだ目を覚まさない。乱馬は唇を離し、あかねの両のまぶたに軽く音をたててキスすると、もう一度あかねの唇に重ねた。そして、またふうっと気を吹き込んだ。あかねのまぶたがぴくりと動く。乱馬が唇を離した。あかねがその黒く艶やかな瞳を開く。
「起きたか………」
「乱馬……? 勝負は?」
鈴を振るように愛らしい声が乱馬を呼んだ。声に誘われるように乱馬が腕の中のあかねを見てさわやかに笑った。あかねがじっと見上げる。乱馬がその柔らかな頬に手を当てて、答えた。
「勝ったぜ……おまえと一緒に。」
あかねの黒い瞳がみるみる潤む。そのまま乱馬の胸に顔を埋めた。乱馬が気持ちよさそうにあかねの体をすっぽりと抱きしめ、包み込む。
「よかった……!」
勝利を収めた乱馬の力強い腕の中で、あかねはその無事を心から感謝した。そして、胸の中でうれし涙を零す愛する許婚いや妻を抱きしめ、乱馬はとろけそうに満足気に微笑み、何度も何度も互いの思いを確かめるようにあかねの髪を撫でた。ルージュの体を地面に下ろし、仏頂面で良牙が抱き合う2人を見る。
「見せつけやがって、やな野郎だぜ。」
互いのぬくもりを堪能し2人は離れると、むくれてそっぽを向いている良牙の側へと近寄った。あかねが倒れたルージュの側にかがみ込む。ふと、普通の人間の姿に戻っていることに、乱馬に怪訝な顔を向けた。
「乱馬、お湯かけたの?」
「いや、どーゆーわけか勝手に戻っちまった。」
あかねが軽くルージュの頬を叩いた。何度目かにルージュが薄っすらと目を開く。側で見守る3人に、悔しそうな目を向けた。
「ルージュ、秘石渡してくれる?」
あかねが手を差し出す。その手をじっとルージュは見ていたが、しぶしぶ2つの秘石を取り出すとあかねに手渡した。あかねが揃った8つの秘石をころころと掌で転がす。しばらく無言だったが、ルージュが声をあげて泣き出した。
「えーん。こんなはずではなかったのに………!」
「おめえ男なんだろ。もちっとしゃんとしろよ。」
仕方無さそうに乱馬が言った。その言葉にルージュがまた大泣きする。もう一度乱馬が声をかけた。
「それより湯を浴びずに元に戻る方法教えろよ。」
ルージュが思わず泣く手を止め乱馬の顔を見る。
「わ……私阿修羅に変身していたのでは………!」
「だから、おれと闘って、何もしねえうちに戻ったんだって。」
ええええーっ! とルージュが叫んだ。
「阿修羅の力を無くしてしまうなんて………!」
今度は俯せになり身も世もなく泣き始めた。乱馬と良牙が決まり悪そうに顔を見合わせる。あかねが慰めるようにルージュの肩にそっと手を置いた。
「他人の力なんか借りずに、自分の力を高めなさいよ。その方がずっと素敵よ。」
ルージュが泣いていた顔を上げあかねを見つめる。あかねがその涙に濡れた瞳に優しく笑いかけた。つられてルージュの顔にも笑みが零れる。
「なんておやさしい……私はあなた方を酷い目に遭わせたというのに。」
そっと涙を拭い、ルージュが3人に微笑みかけた。
「ごめんなさい。あかねさん、あなたの言うとおりやってみますわ。」
手を振りながら3人に別れを告げ、ルージュが去って行った。



(つづく)



挿絵
煩悩に任せて描いた私のイラスト・・・手で描き出したのでやっぱりねえ
ま、たまにはこんな挿絵も・・・すんまっせん、画像が汚くて。
(一之瀬けいこ)




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