◇昇竜覇闘  
  第6章  沐絲の復讐
半官半民さま作


 2人は浜辺に辿り着く。遠目からもはっきりわかる大岩が海中にあった。
「あれだわ、きっと。」
あかねが指差すその岩に向かって2人は駆け出す。しかし、ふいに岩の上に現れた人影に2人その場に立ち止まった。
「待っておったぞ………」
押し殺した声を発するその奇怪な人物は、軽く岩の上から2人の目の前に降り立った。変なお面を着けているが、腰まである長い髪、中国の長衣。2人には馴染みのある人物だった。
「ムース! 何やってるの!」
あかねが呼びかけた声にその人物はぎくりと立ち止まる。
「な、なぜおらの変装を見破ったのじゃ。」
「おめえあれで変装したつもりかよ。」
呆れたように乱馬が言った。
「そーかムース。おめえも宝の話、聞きつけてきたってわけか……」
乱馬がにやりと笑い、ばっと構えをとった。瞳がぎらりと輝く。じっとムースを睨みつける乱馬の瞳は先程八宝斉相手に苦戦したイライラをここでスカっとさせようとばかりに底光りしていた。その乱馬の様子にちらりと目をやると、ムースはあかねへと視線を移した。
「早乙女乱馬。きさまとの勝負はおあずけじゃ。今は………」
ばっとあかねを指差す。
「天道あかね、おまえを倒す!」
「なっ………! 何考えてんだてめえ!」
指差され、上目使いにムースを睨みつけるあかねと、思いがけない言葉に思わず拳を握り締め今にも跳びかからんばかりにムースに対峙する乱馬を、ムースはじろりと見比べた。
「シャンプーのかたき、討たせてもらおう。」
「……上等じゃない。」
あかねがずいと前に進み出た。
「ばか、んな勝負受けるんじゃねえあかねっ! ムースはおれが……!」
「けんか売られたのはあたしよ。」
思わずあかねの肩をつかみ引き止めた乱馬を、あかねは肩越しに見上げ、静かに言った。
「乱馬……あんたはいつかあたしのかたき討ってくれたわね……嬉しかった。」
乱馬は黙ってあかねの言葉を聞いている。
「だから、シャンプーのかたき討ちたいムースの気持ち、わかる気がするの。ね、お願い。」
じっと見上げるあかねの瞳を見つめ、静かに乱馬が手を離した。
「あかね、おまえがやられたら、おれがすぐムースを倒してやるぜ。」
「うん……わかってる………」
ふっと微笑み、あかねは顔を上げ、正面に立つムースをぎらりと睨んだ。ムースが静かにあかねを睨み返す。次第に闘気で包まれ出すあかねのその背中を、不安そうに乱馬は見て、そしてじっとムースを睨み据えた。ムースは動かない。懐に手を入れたまま立っている。ムースは暗器の達人。迂闊に近づけばたちまち暗器の餌食になる。
「どうしただ。来ないのならこちらから行くだぞ。」
間合いを取ったままのあかねにムースは呼びかけると、いきなり上空に跳び上がった。
「鷹爪拳!」
あかねの頭上から襲いかかるムースの靴の爪先からかぎ型の爪が出ていた。とっさに避けたあかねの服をその爪がかすめ、腕の部分が裂けた。思わず乱馬が息を飲んだ。あかねをかばおうと動きかけた足を踏み止める。
「鶏卵拳!」
あかねが避けた方向に今度は卵の形をした爆弾が降ってくる。とっさに腕で顔をかばい防御の態勢をとったあかねの頭上でそれは爆発した。あかねを煙が包む。咳込む声が聞こえた。乱馬が思わず拳を握りしめる。その煙の中へムースは一気に暗器を投げつける。にやりと笑った。煙が消え、ムースの暗器で体の自由を奪われたあかねがそこに立っていた。
「かわいそうじゃが、とどめささせてもらおう。」
青竜刀を構え、ムースが一気にあかねに迫ってくる。もう限界とばかりに乱馬があかねをかばうためその間に飛び込もうとした。
「遠慮しとくわ。」 
じっとムースを睨んだあかねが、闘気を一気に解放した。
「ぬおおおおおっっ!」
ぶちぶちと音をたててあかねの体を戒めていた鎖が切れる。頭上から振り下ろされた青竜刀をはっしと受け止めた。
「うぬう……戒めを切って真剣白羽取りをするとは、あなどれん女じゃ。」
ばっと離れてムースが構えをとる。あかねは青竜刀を遠くへ投げ捨てる。乱馬の側まで飛んできたそれを乱馬は2本の指で軽く受け止めた。 
「あいつ本っ当強くなったなあ……凶暴なのはちっとも変わんねえけど。」
青竜刀をくるくる回して弄びながら、乱馬はじっと闘いを続けるあかねを見た。あかねが反撃を開始している。猛攻だ。その連続蹴りにムースは翻弄されていた。 
「はあっ!」
どさりと倒れたムースに跳びかかって、あかねはその腹部に強烈な正拳突きをくらわせた。
「あうっ!」
ダメージを受けるはずだったムースがにやりと笑う。あかねが痛そうに拳を押さえていた。
「ふっ、残念だったのう天道あかね。おまえが殴ったのはおらの暗器じゃ。」
ふいにあかねの目の前に蹴りが迫る。完全に避け切れなかった。あかねの脇腹を思い切りムースが蹴りつけた。思わず乱馬が叫びそうになる。しかし、ぎりっと歯を食いしばった。顔が真っ青だ。体が小刻みに震えていた。あかねは武道家。最後まで闘わせるのが礼儀。しかし、あかねがやられるのを見続けられるほど乱馬は神経が太くなかった。自分の女が痛めつけられるのを黙って見ていられるほど、武道家の礼儀と対面を重んじる冷たい男にはなり切れなかった。よろりと倒れそうになった体をあかねはぐっと踏ん張り止まる。黒く輝く大きな瞳がきっとムースを睨み上げた。
「さあ、もう楽になるのじゃ。」
ムースの両腕からすっと刃物が現れる。巨大な2枚刃をきらめかせ、ムースはおたけびとともにあかねに躍りかかった。あかねは動かない。その視界の端で堪忍袋の緒を切らした乱馬がこちらへ飛び込んで来るのが見えた。
「来ないでっ! 乱馬!」
あかねが叫ぶ。その声に乱馬が叫び返した。
「ばか野郎! おまえ真っ二つにされる気かあっ」
ふいにムースの前であかねの姿が消える。思わず立ち止まったその背後にとんとあかねが下り立った。
「むうっ?!」
ムースが身構えて振り返ろうとした。
「待ちな。」
ふいに耳元で声がした。いつの間にかすぐ前に乱馬が立っていた。すっと乱馬の腕が動く。音をたててムースの腕から出ていた刃物が砕かれた。
「貴様、何をするのじゃ!」
「んな危ねーもんであかね攻撃されてたまるかよ。男だろうが。素手でやりな。」
ぎっとムースが乱馬を睨みつけた。その瞳のままあかねを振り返る。ばっと自分の上着を取った。上半身裸体になったムースからあかねがあわてて目をそらす。
「……おもしろいだ。素手でやってやるだ!」
「きゃっ、何考えてんのよ!」
「ばかあかね、目ェ離すなっ! おまえおれの裸見慣れてっだろーが。今更ブリっ子すんじゃねえっ!」
「あんたの裸見るのとわけ違うわよ!」
言い合いをしていたあかねの背後にムースが進み出た。がばっと後ろからあかねをはがい締めにする。あかねがおもわず悲鳴を上げた。
「なっ……ムースてめえ! 何しやがる!」
服を通して感じる生々しさに、あかねが真っ赤になってもがき続ける。
「いやっ、離して、離してっ!」
「この野郎ォォォォ!!」
限界のぶち切れた乱馬がついにムースに襲いかかった。あかねを盾にしたムースが蹴りを放つより先に乱馬はその背後に飛び込む。あかねを羽交い絞めにしているムースの腕を強引に解くと、いきなりねじりあげた。
「な、なにするだ!」
「ざけんじゃねえっ! そりゃこっちのせりふだ!」
乱馬の闘気が音を立てて膨れ上がる。ムースが息をのむほどに凄まじい圧迫感があった。
「火中天津甘栗拳!」
無数の突きがムースの身体に炸裂した。至近距離で撃たれたそれは100%のダメージを与えた。ムースの身体が大きく中に舞う。ほっ、と乱馬が息を吐き出した。ムースの身体が落下する。
「……あ、気を失っちゃったみたい。」
ダウンしたムースをひっくり返し、その顔をのぞきこんだあかねが、まだ怒りの表情の取れない乱馬に話しかける。乱馬は憮然としてムースを見下ろしていた。あかねがふうとため息をつき、くるりと踵を返すと海に向かって走り出した。乱馬があかねの行動を見守る。あかねは落ちていた空き缶で水を汲み、戻って来ると倒れたムースにその水をかけた。
「ガッ………」
水をかけられムースが姿を変える。彼も呪泉郷の被害者だった。水を被るとアヒルになる変身体質になっていたのだ。
「ムースごめんね。乱馬が手出しちゃった。」
ぷいとアヒルがそっぽを向く。
「もしよかったらまた、果たし状受けるけど?」
「だめだっ! あーゆーことする野郎相手の決闘なんざ、おれが絶対許しゃしねえからなっ!」
もう一度あかねがため息をつく。乱馬はあかねに対する独占欲が強い。それは闘いの場においても例外ではないらしい。あかねがムースに目を移す。アヒルは憮然とそっぽを向いたままだった。乱馬がついと大岩に歩み寄る。ふわりと飛び上がり、その大岩に強烈な一撃を打ち込んだ。
「おりゃあっ!!」
瞬間岩が粉々に吹き飛んだ。地面に下り立った乱馬の前に神将像が現れる。あかねがアヒルのムースを抱いて駆け寄ってきた。乱馬はその口から秘石を取り出す。
「夜叉王ね。」
「あと3つか………」
ふわりとあかねがムースを空へ放り上げる。ムースがばさばさと飛び去っていった。あかねがその姿が見えなくなるまで見送った。夕日が落ち、残照がわずかに海を染めていた。まだ遠くを見つめるあかねの横顔を見て、乱馬がそっと話しかける。
「おまえ……怒ってるか?」
あかねが乱馬を見上げた。
「怒ってるって……なんで?」
「そ、そりゃ……おれがおまえの決闘邪魔したからさ……」
あかねがふわりと笑う。その笑顔に乱馬の胸がどきりと音を立てる。
「でも、あんた我慢できなかったんでしょ?」
あたしのこと好きだからでしょ? そう言われたような気がして乱馬は照れたようにうつむいた。そんな乱馬にあかねは極上の笑顔を向け、そっとささやく。
「ねえ……治して。」
あかねがさっき痛めた拳を乱馬は掌で包み込んだ。腫れて、熱をもっていた。あかねの拳をそっと持ち上げ、乱馬は自分の大きな掌で包み込む。温かいような熱いようなスッとするような感覚があかねの手を覆い、瞬く間にそれは体中に染み透った。相手に触れていれば気を送り込むことができる。じっと目を閉じて、あかねは乱馬から受ける感覚に浸り切っていた。やがて乱馬の気はあかねを満たし切る。あかねが手を開いたり握ったりした。もう何の痛みも感じない。
「さっきから気を交互に入れ替えしてるみたい。」
あかねの言葉に、乱馬が声をたてて笑った。



つづく




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