◇昇竜覇闘
  第5章  おのれエロ妖怪
半官半民さま作


 もう陽はかなり傾いていた。次の目的地へと向かう2人の横顔を夕日が照らしている。乱馬とあかねは、今度は遊園地へと向かった。すでに閉園となり人影はまったく無い。
「こんなところに本当にあるのかしら………」
つぶやいたあかねにいきなり跳びかかって来る気配があった。
「きゃあっ!」
あかねが思わず蹴り飛ばす。間発をおかず乱馬がぐしゃりと踏み潰した。見事なコンビネーション・プレイである。さすが曲がりなりにも夫婦と言おうか。
「………じじいじゃねえか。」
乱馬は自分の足の下で地面にめり込んでいる小さな老人を見た。
「何やってんだじじい。遊んでたんかよ。」
「こりゃ乱馬! いい加減に足をどかさんかい!」
文句を言いつつ乱馬の足の下から現れたのは八宝斉。無差別格闘流開祖の老人である。高邁円滑な人格にはほど遠い、女の子と下着が大好きという当世きってのスケベじじいであった。いや、百才はとうに越えているはずなのにその比類なきスケベ心と執着心は、人間というよりはむしろ妖怪じみていた。だからこの老人は時々『エロ妖怪』と呼ばれている。
「おじいさん、この島に来てたの?」
ようやく乱馬の足の下から解放された八宝斉は、腕をさすりさすりその場に起き上がると、話しかけてきたあかねににっこり笑いかけた。
「おもしろいもんがあると聞いてのおー。」
そう言ってげへへへへと笑った。品のない笑顔の奥で目が欲深そうに輝いている。弟子の玄馬と同じく、この師匠も物欲が強かった。色欲も強かった。およそ本能で生きているような老人であった。無差別格闘流を極めるとこうなるのであろうか。幸い孫弟子である乱馬とあかねの2人にはこの強い物欲は遺伝していないようだ。だが、乱馬は勝つことに異常なほどこだわり、あかねもものすごい負けず嫌いである。さらに、互いに相手に対する所有欲が人一倍強い。つまり、相当なヤキモチ妬きなのだ。このこだわるところは遺伝なのだろうか。八宝斉の様子に、あかねが眉をひそめた。
「あの話聞いてたのね。」
「みずくさいのうあかねちゃん。わしに黙って宝探しかの。」
すり寄るようにべたべたとした口調で八宝斉があかねに話しかける。乱馬が明らかにむかっとした表情をした。
「あっかねちゃーん♪ 乱馬なぞほっといてわしと一緒に行こうぞい。」
「ねえおじいさん。このあたりで大きな岩を見なかった?」
あかねに話しかけられ、八宝斉が途端ににこにこした。
「うむ、あの岩のことじゃろう。ほれあかねちゃん、あそこに見えんかの。」
「えっ、どこどこ?」
八宝斉が指差した先をあかねが伸び上がって見た。無防備に胸の前にすきができた。八宝斉の目がぎらりと輝く。
「きゃああああっっっ!」  
その胸に八宝斉は思い切り抱きつき、嬉しそうにぐりぐりと頭をすりつけた。あかねが嫌悪の悲鳴を上げ続ける。
「じじいてめええっっっ!!」
あかねの胸にかじりついている八宝斉を、乱馬は力一杯ひっぺがすと、有無を言わさずはたきまくり蹴り回し殴り飛ばしぼこぼこにし、思い切り蹴り飛ばした。叫び声をともなって八宝斉の小さな体が夕焼けの空に吸い込まれていく。まだ額に青筋をたてたままで乱馬があかねを振り返った。はあはあと息を弾ませている。この感情が興ぶった時の一気に来る攻撃の厳しさは乱馬もあかねもよく似ている。乱馬はとにかくあかねに手を出されることをものすごく嫌う。子どもだろうが老人だろうがあかねに無許可で触る者は一切許さない。まあ、この場合は八宝斉が露骨なスケベ心であかねに抱きついたのは間違いないので、乱馬が怒るのも当然であろう。まだ憤懣やるかたなしという顔で乱馬はあかねを見た。自分のものであるあかねを好き勝手に触りまくられたのが気にくわなくてしょうがないらしい。
「あかねっ! じじいなんぞにかまってねえでさっさと行くぞ!」
「いつあたしがかまったってのよ!」
「おめえにすきがあるからじじいにちち触られるんだろーが!」
「なによっ! あんただって女になった時しょっ中触られてるじゃないっ!」
またぎりぎりと顔がくっつきそうな近くで睨み合いを始める。寄ると触るとけんかする。普通の男女ならここまでけんかばっかりしていたらさっさと別れていそうなものだが、乱馬とあかねの場合はけんかという位置づけが他と違う。2人にとってけんかは一種の愛情表現。ともに相手がまったく遠慮のない自分の分身であることの証明でもあるのだ。攻撃型の男女の恋と言おうか。本当に仲の良いカップルである。睨み合い始めると同時に体は攻撃態勢にある。つまり構えをとっている。はたで見ていると今にも殴り合いを始めそうでひやひやするが、これは2人にとっては当たり前。ともに武闘家であるから欠伸をしたり伸びをしたりするのと同じ、自然な体の反応である。
「……おめーは、なんでそう無防備なんだよ!」
「無防備なんかじゃないもん!」
「無防備だっつってんだよ! ほらな!」
ぱん、と乱馬があかねに足払いをかけた。あかねの身体が宙に舞う。その身体がどさりと乱馬の腕におさまる。
「みてみろい。ったく抵抗一つできねーでやんの。攻撃はあんなにすげーのによ、防御からきしだもんなあ。」
あかねのすぐ上ににやにや笑った乱馬の顔があった。乱馬の腕に絡め取られたこの状況にあかねは目をぱちくりさせたが、次の瞬間真っ赤になって乱馬にびんたをかました。しかし恥ずかしさの裏返しであるそのびんたはいつもの威力がなく、乱馬は軽くかわす。
「暴れるなって。」
乱馬が腕に力をこめた。ぎゅうと胸に押しつけられあかねがじたばたもがく。あかねからは見えないがこの時乱馬は満面の笑みを浮かべていた。あかねがもがくのでますますこの状況が楽しくなる。
(ほ……ほっぺにちゅうとかしても、よかったりしてドキドキ)
しかし、乱馬のささやか?な野望は次の言葉でぶち壊された。
「えーかげんにせんかい!」
すぐ足元で声がした。ぎくりと乱馬とあかね、2人とも下を向く。
「まったく恥ずかしい奴らじゃのお。ちっとは人目を気にするくらいの慎みを持たんか。」
およそ似つかわしくない八宝斉の真っ当なセリフに、2人はただその場に凝固してあっけにとられ老人を見つめた。
「乱馬。あかねちゃんを離さんかい。」
2人はまだ先程の態勢でいた。その言葉に思わず見上げたあかねの視線と、あかねを見た乱馬の視線が出会い、真っ赤な顔で2人は慌てて離れた。まだ照れた表情ながらも、ぎらりと八宝斉を睨みつける。
「じじい……いつの間に。」
「あのてーどの攻撃でひるむわしじゃないわい。」
げへへへへ、と小柄な老人は乱馬を睨む。
「乱馬よ、わしと勝負せい。おまえが勝ったら八武岩のありかを教えてやろう。だがの、わしが勝ったら…………」
八宝斉があかねに目を移し思い切りすけべったらしい笑顔を浮かべた。思わずあかねがぞくりと背筋を震わせる。
「おまえがさっきあかねちゃんにやろうとしてたこと、わしがやっちゃうもんねー♪」
「んぬわにいいいいっっっっ!!」
乱馬が思わず八宝斉に詰め寄る。額に青筋が何本もたっていた。顔を紅潮させ恥ずかしさと怒りの混じった表情で乱馬は八宝斉を睨む。
「冗談じゃねえっ!………んな真似してみろ、すぐさま棺桶にたたっこんでやる!」
(あかねのほっぺにちゅうとかされてたまるかっ!////)
「けちくさい男じゃの。少しは老い先短い老人にサービスすると言うことを知らんのか。」
「その短い余生、今終わらしてやるぜ!」
どおん、と強大な闘気がぶつかりあった。乱馬が大きく後ろに下がる。八宝斉はさすが無差別格闘流開祖。闘気の巨大さは類を見ない。本気で睨み合えば残念ながらまだ乱馬の方が気合い負けする。しかし、あかねがかかっていた。絶対に負ける訳にいかない。乱馬はばっと間合いを詰める。
「八宝大華輪!」
飛び込んだ位置に八宝斉の必殺技が炸裂した。防ぎ切れなかった。乱馬の頭上で爆発したその衝撃で乱馬はもんどりうって倒れる。
「乱馬よ、あかねちゃんはわしがもらった。」
八宝斉が得意そうに踏ん反り返った瞬間、一気に乱馬がその足元に飛び込んできた。
「飛竜昇天破!」
ごおう、という音とともに、乱馬が必殺技をかけた。ものの見事に八宝斉を巻き込み、その闘気の竜巻は遥か宙へと昇っていった。しばらくして八宝斉が落下してくる。どかっと地面に激突し、老人は体半分までめり込んでいた。乱馬がさらに近づき地面から半分出ている八宝斉を瓦割りの要領で思い切り正拳で突く。ずんという音とともに、八宝斉の体が全部地面にめり込んでしまった。
「ら、乱馬っ! ちょっとやり過ぎよ!」
さすがにそのまったく容赦のない攻撃にあかねが止めようと駆け寄ってくる。しかし乱馬はじっと自分の足元を睨んだままだ。
「このくそじじいがこれっくらいでくたばるようなタマかよ。」
あかねも乱馬の足元を見た。2人同時に顔に不安な影がよぎる。八宝斉の気配が消えていた。
「ちょっと乱馬、おじいさんどうしたのよ。」
「……逃げたか……」
しかし逃げられる暇はなかった。逃げる動作をすればすぐ乱馬に感づかれるはずだった。
「やべえ…おれ本当にじじいやっちまったかな……」
乱馬の顔を冷や汗が伝ったときだった。いきなり足元から強大な闘気が膨れ上がってくる。
「きゃっ………!」
「うわっ………!」
とっさにあかねを抱え乱馬が大きく跳躍する。とん、と地面に降りた。その乱馬の目の前に巨大化した八宝斉が立っていた。
「…無礼な小僧が。ちとお灸をすえてやろうかの。」
顔を打つ激しい闘気。あかねが思わず両手で自分の顔を覆う。
「あかね、離れてろっ。こいつはちっとヤバイぜ!」
乱馬の指差した林の中へあかねが走り込んだ。その後ろ姿が視界から消えると、乱馬は1人巨大化した八宝斉へ立ち向かった。あかねが林の端の陰からじっと乱馬を見守る。本気になった八宝斉はとてつもなく凶悪な存在だ。乱馬が無事でいられるだろうか。ぞくりと冷や汗があかねの背中を伝う。また貧力虚脱灸をすえた時のように邪悪なことをされるかもしれない。乱馬にとって強さを奪われることは己の存在価値を全て否定されるほどにつらいことである。八宝斉が何をやろうとしているのかは知らないが、自分が我慢すればいいのなら乱馬が手酷い目に遭う前に申し出よう。例え乱馬が許さなくても……。あかねがそう決意した時は、すでに勝負は再開されていた。八宝斉の恐るべきスピードにさしもの乱馬も翻弄されている。旗色は極めて悪かった。すでに数十発もの攻撃を乱馬はその身に受けている。乱馬だからまだ立っていられるのだ。おそらく並の武闘家では10回はダウンしているに違いない。いや、とっくの昔に戦闘不能だ。
「ち………くしょう………」
「げへへへへ、乱馬よ。おとなしく降参せい。」
「ざけんなくそじじい。まだまだでえっ!」
「ほう、口だけは相変わらず達者じゃの。」
ぎろりと八宝斉が乱馬を睨み据えた。
「じゃがもう、限界のようじゃのう。」
にやりと笑った八宝斉の言葉に、乱馬がぐっと返答に詰まる。確かにかなりのダメージを受けている。おそらく次で反撃できなければ負ける。
「乱馬よ。そろそろ楽にしてやろうかの。」
凄味をもった禍々しい笑みが八宝斉の顔を彩った。乱馬は思わず背筋に戦慄を走らせる。はらはらして闘いの行方を見守っていたあかねが、もう限界とばかりに林から飛び出してきた。
「待っておじいさん! 手をひいてっ!」
「ばっ……来るなあかねっっ!」
近づいてきたあかねの姿を見とがめ、乱馬が思わず叫ぶ。しかしあかねはお構いなしに八宝斉へと向き合った。
「おじいさん。さっきの話受けるわ。だから乱馬から手を離して!」
「本当かのあかねちゃん!」
八宝斉の目がきらきらと輝き出した。もう乱馬のことなど頭に無いかのように期待に満ち溢れた視線をあかねに向け、その足元に近寄ってくる。
「ばかやろー! 女が口出しすんじゃねえっ!」
「何よ! あんたもう限界じゃない。これ以上あたしにあんたのやられてる姿見てろって言うの!」
あかねの真剣な瞳に、思わず乱馬が口をつぐんだ。
「……つらいのよ。自分が我慢する方がまだましだわ!」
「おれはそっちの方がつれえんだよ!」
乱馬が真顔であかねに答える。そしてじっと目を見合わせた。 
「おまえがじじいに好き勝手されるのを黙って見てるくれえなら、おれは………」
八宝斉がふてくされて熱く見つめ合う2人を見上げた。ばかばかしいと言わんばかりに背を向けた。すきの生まれたその瞬間、乱馬とあかね、2人同時に目つきが野獣の瞳に変わる。
「破っ!」
「ていっ!」
蹴りと突きの同時攻撃が八宝斉の脳天に炸裂した。避けようのない強烈な一撃だった。しかも、寸分違わず急所に、同じタイミングで入った。この無差別格闘夫婦の同時攻撃に耐えられる武闘家は皆無と言っていいだろう。さしもの怪老も無言のまま倒れる。ぴくりとも動かなかった。完全に気を失ったらしい。
「やだ……もろに入っちゃったみたい………」
「ぜんぜん手加減しなかったからなあ。」
じっと2人足元に転がっている八宝斉の体を見下ろした。あかねが乱馬の顔へと目を移し、何か言いたそうに唇を薄く開く。
「どうした。」
「おじいさん、介抱した方がいいんじゃない?」
乱馬が今度は冷たい目で見下ろした。あかねに対する八宝斉の言葉がまだ気に障っているらしい。
「ほっとけ。しばらくしたら自分で目ェ覚ますさ。」
「でも………」
あかねがそっと屈み込んで俯せになった八宝斉の体を裏返す。完全に白目をむいていた。パンパンと八宝斉の頬を叩いてみるが起きる気配はない。心配そうな瞳になってあかねが八宝斉に呼びかけた。
「おじいさん、ねえ、おじいさんたら、起きて。」
優しく揺り起こす。乱馬がそのあかねを拗ねた様子で見下ろした。
(なんでーあかねのやろー。おれには滅多にそおゆう起こし方しねーくせに。)
ふうっと乱馬の脳裏に妄想が浮かんだ。赤と白の愛らしいギンガムチェックのエプロンで、あかねが寝室のカーテンを開ける。爽やかな朝の風が吹き込んでくる。明るい陽射しの中、ういういしく微笑むあかねが優しく呼びかける。
『乱馬、朝よ。起きて。』
乱馬はまだまどろみの中にいる。その体が優しく揺すられる。
『ねえ、起きてったら、乱馬。』
その響きが心地好い。あかねの柔らかい手が触れている部分が酷く嬉しい。
『う……ん、あかねえ……まだ眠りてえよお……』
『だめよお。目を覚まして。ね、起・き・て♪』
「きゃあああっっ! 何すんのよあんたはあっ!」
妄想に支配され思わずあかねを抱きしめて頬擦りしてしまった乱馬は、驚いたあかねに頭一つ分地面にめり込まされてしまった。顔を赤らめパンパンと手を払ったあかねだが、次の瞬間もう一度悲鳴を上げる。八宝斉が嬉しそうにあかねの胸に抱きついていた。だが、ものの1、2秒で八宝斉も乱馬に並んで仲よく地面に頭をめり込ませていた。
「まったく、何考えてんのよ本当に。」
ぶつぶつあかねが文句を言う。この攻撃の出るスピードではあかねはトップクラスである。乱馬とほぼ同時か、いや、むしろ速い。じろりと睨むあかねの前でようやく乱馬と八宝斉が頭を引き抜き地面に座り込んだ。
「痛たたた………、ひどいのうあかねちゃん。」
「……凶暴。首へし折る気かまったく。」
へらず口を叩き続ける乱馬はそのままにして、ずいとあかねが八宝斉の前に身を乗り出す。
「さあ教えておじいさん。八武岩はどこ?」
八宝斉が拗ねたようにあかねを見上げる。しかしあかねはまったく態度を変えなかった。
「確かさっきあっちの方って言ってたわよねえ……」
あかねが八宝斉の言っていた方向に目を向ける。八宝斉のぎくりとした表情を乱馬は見逃さなかった。
「なるほど。あっちらしいぜ。」
「ま、待て乱馬。あっちには岩なんかないぞい。」
途端に乱馬がふわりと飛び上がり、とんとんとそばの木の枝を上った。
「おい、あったぜあかね。」
乱馬の言葉にあかねがにこりと微笑む。そして八宝斉を見下ろした。そのあかねの愛らしい笑顔を八宝斉は相変わらず拗ねた様子で見上げる。
「じゃあね、おじいさん。」
「わしも連れてって欲しいのう………」
指をくわえてじっと見つめる八宝斉はそのままに、あかねは乱馬の後を追って走り出した。

 2人の前に八武岩がその巨大な姿を現す。破壊しようと構えをとった乱馬をあかねがやんわり制した。
「今度はあたしにやらせて、乱馬。」
「いーから。おまえは離れてろ。」
「やだ。あたしがやりたい。」
「…………ちぇっ………拳痛めても知らねえぞ。」
ぶつぶつ言いながらも乱馬はその場をあかねに譲る。あかねは、先程の八宝斉との闘いで乱馬がかなりダメージを受けたことを思いやって自分がやると言い出した。こんなことを口に出せば意地っ張りの彼は絶対自分がやると言ってきかない。少し休ませたかったから彼女はあえて自分がやりたいと言ったのだ。
「破〜〜〜〜〜〜………」
あかねの清烈な闘気が渦を巻き絡み合うように膨れ上がっていく。
「ぃやあっっっ!!」
中心を突いた。途端に岩の頂上まで亀裂が走る。カラカラカラと音をたてて小さな破片が幾つも崩れ落ちたかと思うと、大気を震わすようにして岩は真っ二つになった。
「おい……手、大丈夫かよ。」
乱馬が心配そうにあかねの拳を見る。だがどうもなっていなかったしあかねも平気な顔をしていた。
「ちえっ……いつの間にかまた腕上げやがって。」
半分は嬉しそうに、半分は悔しそうに乱馬がつぶやく。割れた岩の中央にあかねが歩み寄った。頭部は鳥で、体は鎧をまとった姿の神将像がそこにあった。
「なんだよこれ。ばけもんか。」
「失礼ね、これは迦瑠邏王よ。鳥の神様よ。」
乱馬の無知ぶりに呆れた顔をしながらも、あかねが神将像の嘴がはさんでいる秘石を取り外した。その間乱馬は感心したように迦瑠邏王像を眺めている。
「ばけもんでも神さんになれるのか。たいしたもんだな。」
「本当にあんたってバカね。」
乱馬が少しむっとした顔になったが、お構いなしにあかねは秘石をポケットに入れ次へと向かう準備をしている。
「おい、八部衆ってあと何と何なんだ。」
「えー……とね、乾闥波王でしょ…摩抛羅迦王、夜叉王そして阿修羅王ね。」
「阿修羅って……なんかそーゆー奴いたなあ……」
「あ……覚えてる。ほら、肩凝りのひどい………」
「ルージュのことか!」
2人の脳裏に同時に1人の少女の姿が浮かんだ。パンスト太郎に力の源(磁気絆創膏)を奪われて日本までやってきて大騒動したお騒がせ娘である。丁寧で優雅な物腰ながら自分勝手な考えしか持たない困った娘である。ふと、あかねは乱馬とこの島を歩く原因となったあの鬼女のことを思い出した。なんとなく雰囲気が似ているような気がした。
(まさかね……)
ふわりと、2本の腕があかねを包んだ。背中によく知った体温の暖かさを感じる。乱馬が少し甘えるように話しかけた。
「おい、気……くれよ。」
あかねがはにかんで笑った。体の向きを変え乱馬に向き合うと、その胸に手を当てる。目をつぶった。すうっとあかねの気が高まり、乱馬の胸に当てた掌が熱くなる。そしてそこからあかねの気が乱馬の体内にしみ込んでいった。乱馬が気持ちよさそうに目をつぶる。2人の呼吸が一つになった。息をするたびに乱馬の中にあかねの気が伝わり、満たしていく。
「温ったけえぜ………」
至福の表情である。自分の片割れから送り込まれる温かい気が、体の中に浸透していく何ともいえない心地好い感触に、乱馬はあかねを抱いた腕にさらに力を込め、胸の中に包むように抱きしめた。頭では理解していなくても知っていた。遠い昔、自分たちが一つの存在であったことを知っていた。ともに相手は、自分から引き裂かれた片割れだった。本能で、心の奥で、無意識のレベルで、乱馬もあかねも互いのことを知っていた。同じ魂を持つ者同士であることをわかっていた。抱き合った2人を同じ気が柔らかく取り巻いている。あかねから出て、乱馬に入っている。静かに繰り返されるゆっくりとした呼吸。その呼吸音も一つに重なっている。身動きすらせず抱き合う2人は、まるで一つの生き物のように見えた。乱馬の体のあちこちに、蒼く光る気が点在する。そうして、乱馬の中を満たしきると、あかねは乱馬の胸からゆっくりと手を離した。乱馬もあかねを抱きしめていた腕を解く。疲れがすっかりとれている。たっぷりと眠った後、自然と目覚めた時のような充実感と壮快感があった。
「元気になった?」
あかねが、すっかり充実して元気に動き回る乱馬をにっこりと見上げる。そのあかねに、乱馬もさわやかな笑顔を見せた。
「ああ、満タンってとこだな。」
そう答えるや否や、軽い足取りで、ついと乱馬は歩き出した。
「行くぞ、あかね。」
呼ばれてあかねが振り返った時は、乱馬はもうかなり離れたところにいた。
「待ってよ!」
あかねが走り出す。島に着いてもう6時間が経過していた。今しも海に夕日が沈もうとしていた。ふと振り返り夕日を見つめるあかねの横顔を夕日が赤く照らす。もうすぐ夜になる。何か起きる予感がした。



つづく




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