◇昇竜覇闘  
 第3章  いい加減にしやがれこのくそ親父

半官半民さま作


 公園は海を静かに見下ろす位置にあった。寄せ返る小波がロマンチックなムード音楽となり、さわやかに吹き渡る海風が恋人たちの甘い囁きを演出する。しかし、この若いカップルは今それどころではなかった。
「くっそー、おれ腹へった。」
「あたしもお腹ぺこぺこ。やっぱりお弁当……」
その途端乱馬がばっと離れる。
「……おまえ、まさか弁当つくってきたんじゃねえだろーな………」
びくびくと身構えている乱馬を、あかねが思い切りの膨れっ面で見た。
「何よその態度。よかったわね何も持ってきてないわよ!」
乱馬が露骨に安心した顔であかねの側に戻る。あかねの料理における破壊力はすさまじい。ひょっとしたら乱馬の飛竜昇天破より威力があるかもしれない。弁当を造り上げても、ほとんどは口に入れたら爆発する。あかねはまだ不服そうな顔をして乱馬を見た。文句を言おうと口を開いた瞬間、2人のお腹がぐうと鳴る。思わず顔を赤らめ2人は顔を見合わせ、そしてくっくと笑った。
「なあ、どっかで何か食おうぜ。」
「うん。公園だもん何かあるわよ。」
しばらくきょろきょろと周囲を見回していた2人だが、あかねが嬉しそうに声を上げた。
「きゃっあった♪ ほら、アイスクリーム屋さん。」
「アイスかあ……ま、何も食わねーよりはましか。」
2人がたたっとその店に走り込む。あかねがポケットから財布を取り出した。
「アイス2つ、くださーい。」
可愛い声であかねが店にいる人影に話しかけた。その影が振り向く。あかねがあっと驚いた顔をした。
「おじさま? なんでこんなとこにいるんですか。」
太った人影だと思って声をかければ、振り向いたのは巨大なパンダである。ずんずんと進むとアイスを1つあかねの手に渡した。
「パフォ、パフォフォフォフォフォ。」
「人間の言葉でしゃべりやがれくそ親父っ!」
乱馬がザバッとパンダの頭からお湯を浴びせた。人間の姿に変わった玄馬に乱馬が詰め寄る。いきなり玄馬が殴りかかった。
「おっと。このくそ親父、てめえいきなり何しやがんでえ! 危ねえだろうが!」
「乱馬、あかねくん。宝はあきらめてもらおうか。」
「なにい?」
ふへへへへと玄馬が笑う。父親は格闘バカと呼ぶにふさわしい修行ざんまいの生活を送り続ける武道家だったが、なぜか物欲が強かった。過酷な修行時代の影響だろうか。パンダの姿でごろごろとぐうたらしている普段の姿もまた玄馬本来の姿である。この男は面倒を嫌い、いい加減でその場その場で態度が変わるくせに妙なところでこだわる。残念ながらこの性格は息子の乱馬にも一部受け継がれているようだ。あかねが怒る原因となる乱馬のいい加減さと粗忽さとセコさは遺伝なのだ。だが唯一違うのは、乱馬は惚れた女のために命を捨てられるということであろうか。さて、息子とその許婚の行く手を阻む父親は、薄笑いを浮かべて構えをとった。反射的に乱馬も構えをとる。あかねが怪訝な顔で2人を見比べた。
「乱馬よ、親は子を千尋の谷に突き落とし鍛えるものだ。ここできさまをたっぷり鍛えてやろう。」
「秘宝が欲しいんでしょ、おじさま。」
あかねが冷めた口調で語りかける。玄馬がぎくりとした。
「や、やだなああかねくん。わしは純粋に………」
「純粋に宝が欲しいんだろうがっっ!」
そう叫び乱馬は宙に躍り上がった。空を切り裂く稲妻のように鋭いとび蹴りがもろに玄馬の腹に入った。しかし、早乙女流初代のこの男は、スピードや力では息子乱馬にかなわないが、技の駆け引き、防御力に優れている。その辺の格闘家が束になって倒せる相手ではない。瞬間ぐっと胆田に力を込め、その蹴りを受け止めた。乱馬が大きく後に跳びずさる。父親がにやりと笑った。
「だらしないぞ、乱馬。」
「うるせえっ! やせ我慢すんじゃねえぜこのくそ親父っ!」
再度ばっと詰め寄った。ふいに強くなった風に、あかねが空を見上げる。風は冷たい。空模様が怪しくなってきた。
(やだ、雨になりそう。)
あかねがそう思った途端、ぽつりと落ちてきた。瞬く間に激しい降りとなる。雨は戦闘中の乱馬にとって重大な意味を持つ。中国での修行中に呪泉郷に落ちてしまい、父親玄馬はパンダへ、息子乱馬は女へ変わるという変身体質になってしまったのだ。この変身は水を被ることによって引き起こされる。お湯をかけると元に戻ることができるが、雨に降られている間は乱馬は女のままでいるしかない。
「げっっ! やべえ!」
「むっ………アポッ!」
『やべえ!』の声はすでに女に変わっていた。玄馬もパンダへと変わる。パンダが卑下した笑い方をした。女になると乱馬は戦闘力が落ちる。体が小さくなる分間合いも狭くなる。男の時はその長い手足で攻撃の手を緩めないため乱馬より手足の短い父親は負けることが多かったが、女になってしまえば勝てる可能性が高くなる。さらに、どういうわけか玄馬はパンダの姿で闘った方が強かった。
「アポポポポポアッッ!」
「乱馬っ! 接近戦はだめよっ!」
あかねの声が耳に届いた瞬間、乱馬は強烈にがぶり寄られ、避ける間もなく突き飛ばされた。
「痛ってえーっっ!」
飛ばされた場所が悪かった。乱馬は思い切り大岩に全身を打ちつけ、その場に崩れる。あかねが思わず悲鳴を上げた。次の瞬間、強くパンダを睨む。思わくどおり乱馬にダメージを与えられたパンダは、にやりと笑いを浮かべ、そのまま動きの止まった乱馬に容赦なく迫った。
「くっ……!」
迫るパンダが乱馬の視界に入る。だが、打ちつけられた衝撃が大きい。竜との闘いから引き続く父親との闘いである。体も少し疲労していた。男のままだったら問題はなかった。しかし女に変身してしまったため受けるダメージが大きい。
(ちくしょう……あかねに気をもらっとくんだったぜ………!)
パンダが勝利を確信し大きく腕を振り上げ乱馬に緊迫する。ふいにその懐にあかねが飛び込んだ。パンダが思わず足を止めかけた。だが、今が勝つチャンスである。あかねに邪魔されるわけにはいかない。乱馬は女になっていても厄介な相手である。チャンスを逃しては勝てる見込みが薄くなる。あかねを追い払おうと、パンダは右手をぶんと振った。殴り倒すことはできない。もしそんなことをすれば乱馬を本気で怒らせることになるからである。本気で怒った乱馬は危険すぎる。痛い目を見るくらいではすまない。半殺しにされかねない。あかねに手を出すということは乱馬の逆鱗に触れるということなのだ。だがあかねも乱馬同様激しい性格をしている。パンダの威嚇を、跳び上がってあかねはかわすと、そのままくるりと体を回転させた。
「アパファファー!」
あかねのかかと落としをもろに脳天にくらい、パンダが悲鳴をあげた。
「……おじさま………わざと岩に投げたわねっ!」
あかねがぎりっと睨み上げた。怒りを押し殺した声。あかねは愛らしい外見からは想像もつかない荒々しい性格の持ち主である。凶暴性においては乱馬をも上回る。その激しい怒りに触れ玄馬パンダがたじたじとなった。
「アポ、パフォ。」
「乱馬がこれ以上バカになったらどうすんのよっ!」
「あかねっ! てめー、引っ込んでろずん胴! 邪魔すんなっ!」
乱馬がよろりと起き上がった。こめかみに青筋が一つたっている。
「ったくいちいち首突っ込んできやがって、おまえはあっちでおとなしく見てろっ!」
「何よっ! あんた立てなかったくせに、えらそうに言わないでよっ!」
「パフォッ!」
2人のけんかに玄馬パンダが口をはさんだ。今は玄馬が対戦相手である。けんかする相手が違っていた。すっと構えたあかねを手で制し、乱馬はぐいと横に押しやった。
「……手を出すな。親父はおれが倒す。」
女の姿をしていても乱馬は男である。あかねはその顔を見て、静かに構えを解いた。
「油断しちゃだめよ、乱馬。」
「心配すんな。女になってたって親父に負けるおれじゃねえぜ。」
そういうなり乱馬は大地を蹴ってパンダに飛びかかった。女になると攻撃力は下がるが身が軽くなる。乱馬はパンダに接近することを許さず、打っては離れるというHit&Awayの攻撃方式でパンダを翻弄した。瞬きをする間に右に左に自在に飛び回る乱馬の動きは、相手を攪乱し目を回させるには十分だった。パンダは完全に先手を取られた。勝負の雲行きがあやしくなった。このままでは敗色濃厚である。父親の威厳にかけて息子に負けるわけにはいかない。しかも息子は女になって戦闘力が落ちているのだ。パンダが焦り始めた。しかし、乱馬の動きの方がはるかに速い。
「へっ、どうした親父。動きが鈍くなったぜ!」
男の時のように一撃で相手を倒す強烈な攻撃は今はできなかったが、何度も回数を繰り返せばかなりのダメージになる。
「パッフェー…………」
ついにパンダがダウンした。乱馬ははあはあと息をついている。歩み寄ってきたあかねをふと乱馬は見上げた。
「………あかね。」
あかねがにっこりと笑う。
「さすがね。」
「ったりめーだろが。ざっとこんなもんさ。」
不敵に笑う乱馬の顔を、あかねがにこにこと見つめた。右手にいつの間にかやかんを下げている。湯気が出ていた。
「ま、おれがちっと本気だせば、親父の1人や2人ものの数じゃ……」
得意そうにふんそり返った乱馬の、その頭にたっぷりとやかんのお湯が浴びせられる。
「あっぢい!もうちっと冷ましとけよあかねっ!」
ちょっと温度が高すぎた。湯気をたてて男に戻った乱馬は、熱湯のせいでゆでダコのようにまっ赤になってしまいぶつぶつ文句を言った。続いてあかねは倒れているパンダにもお湯をかける。
「パファちいっ!」
玄馬が人間に戻った。
「おじさま、じゃ、岩のとこ案内して。」
にっこり笑って玄馬を起こしたあかねを、ばつ悪そうに玄馬は見た。しぶる父親を見て乱馬がぼきぼきと指を鳴らす。
「親父いー……わかってるよなあ………」
凄む息子は男の姿に戻っていた。けんかしても勝ち目は低い。それに玄馬は先程の闘いで疲れていた。若い乱馬とは回復力が違う。さらに側には息子の将来の妻である天道流の二代目がいる。凶暴な怪力少女、あかねが。この2人を敵に回して秘宝を奪取するのは困難だった。しぶしぶ玄馬は立ち上がると黙って岩の方を指差す。乱馬はその方向に向かって駆け出していた。続いて駆け出そうとするあかねを玄馬が引き止める。
「あかねくぅん、宝はわしにゆずってくれないかね………」
情けない声を出して、それでも玄馬があかねに懇願する。プライドも何もなくただただ宝が欲しいらしい。
「しばらくそこで頭を冷やしていてくださいっ!」
あかねの言葉に玄馬はしゅんとうなだれた。

 あかねが駆けつけたときはすでに岩は粉々に砕かれていた。その中から現れた神将像の口から乱馬はまた石を取り出した。近寄ってきたあかねに白く光る小さなその石を手渡す。あかねがそれをポケットにしまい込んでいる間、乱馬はじっと神将像を見た。
「よお、あかね。これは何てゆーんだ?」
あかねが像を見上げる。八部衆の中では最も体格のよい神将である。
「竜王よ。八部衆最強と言われている神将。」
その言葉に乱馬の顔が少し興味深いものになった。
「どんな技使うんだろうなあ………」
じっと像を見つめる乱馬の瞳は、闘いの修羅にいる若い武道家の瞳そのものである。血気に溢れ、闘いを、命の攻防とその刹那を真から好む格闘家の本能そのままを映していた。
「乱馬、ねえ、乱馬ってば。」
呼びかけるあかねの声に、乱馬がはっと我に返る。
「どうしたの。その像、何かあるの?」
「何でもねえよ。」
もう一度じっとその神将の顔を見た後、乱馬はあかねの手を取って次の場所へと向かった。




つづく




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